May 03, 2006

春は落ち着かない

ちょうど今の気分を何か例えるならば、引越しが終わったばかりの仮住まい的気分がそれに近いと思う。

テンが生まれて、娘が入学し、春のそわそわとした気分の中、パソコンが壊れ、おまけに昨日はモデムを交換してもらった。ネットにはケーブルを使っているのだけど、インターネットの周波数はテレビよりも高く、しかもわが家はどうも信号が弱いらしい。

特にこれから暑い季節になるとネットの接続が悪化するそうで、増幅器の工事が必要と言われたが、今までもっと悪いコンディションで使っていたために今さら言われてもピンと来ない。電話回線を使って、落ちまくっていた時のことを考えると、これで十分。

とりあえず、日中、接続できなくなるほどモデムが破壊されていたため、それを交換してもらっただけでも絶好調に感じる。このところ真夏日を記録し、それも関係していたのだろうか・・・

***

オークションで注文した品物がぼつぼつ届き始めた。

正直、サイトで眺めていたのとは少しずつイメージが違う。絵の箱が届いたとき、何かの間違えではないかと思ったが、絵のサイズよりも大きな額に入っているため、相当大きい。

リースを一つ外して絵をかけた。壁にも部屋にもすっきり収まったが、絵があまりにも素晴らしすぎて、そこだけ部屋の雰囲気が変わった。喜んでよいのか悲しんでよいのか、娘に言わせると、そのうち慣れるらしいが、妙に落ち着いたムードが漂い、犬の駆け回る部屋には似合わないかも。

子どもはすぐに順応してしまうが、テンが生まれただけでも家の中の雰囲気ががらりと変わり、どこか大家族になってしまったようなあわただしさがある。これで開業するとなると、わさわさわさわさした雰囲気の中、また生活が変わるのだろう。

***

同窓会が二つあり、一つは直前で連絡がきたので行ったが、もう一つはわさわさしているうちに終わってしまっていた。写真を送ってきてくださったので眺めたら、・・・・・・少し年はとっているものの懐かしい顔ぶれ。もうお子さんが大きくなっている人たちが多いせいか、これからはまた親交をあたためるために集会が増えると書いてあった。

あー、そういう年頃なんだなー、と。
しみじみ・・・感じる。
少し前までは、子どもが小さいのと、田舎暮らしを理由に、いわゆるどこにも行けない感じ、というのを感じていたのだけど、つまり、結婚すると自由な時間がないとか、家族がいて大変とか、その手の生活の中にすっきり納まっていたが、ある程度子どもの手が離れると、この隔絶とした自由な雰囲気は何なのだろう。

話には聞いていたが、いざ自分がそういう年頃になってみると、優雅に主婦が集まってランチをしていたり、習い事を始めたり、仕事をしたり、よくそんな時間があるものだと感心していたが、実際、小学校とは違って中学へ行くようになったら家に帰ってくる時間も遅いし、娘より父親のほうが早く帰ってくる気がするほど。

そうなると、こちらが心配する前に、外出の機会が増える・・・

家でうだうだしていたいが、家の中の環境も、少しずつ変化しつつある。
春は落ち着かない。

投稿者 Blue Wind : 01:43 AM | コメント (0) | トラックバック

May 31, 2005

ニーズを知る

どこの世界も一緒だなーと、しみじみ。
昨日初めて知ったのだけど、今月からうちのダンナの給料が上がったらしい。本人も知らなくて、いきなり事務の人に言われて気づく。うちは年間契約だから、たしかに契約更新の時期なんだけど、ダンナも忙しいから忘れている。

結局どっちかなんだよね・・・儲かっているところからサラリーを得るか、自分で開業するか。
それで、どういうところが儲かっているかというと、結局、患者さまのニーズに的確にお応えしているところが流行る。従業員からすれば院長には不満たらたらで早く辞めてくれないかなという声も多い。それでいてこの不景気な時代、病院といえどもどこも赤字経営が多い中で勝ち組を決めるにはマネージメントも才能なんだそう。院長自らそうやって語っている。国も赤字だし、医者も昔のような感覚ではやっていけない。

え・・・・・・・・・しらいしさん、遠藤周作を読んでそんなこと考えてるの?

なーんてね・・・あははのはです。

高齢化社会、療養型の病院の実体。とてもじゃないけど自分の親を預ける気にはなれないようなところがどこも待ちがかかるほど流行る時代。それでいてそんなところには誰も勤めたくない。医者なら誰だってアクティブに最先端で仕事をしていたいのが普通。

だったら、どんなところだったら親を預けられるか?とか、自分が入院するか?ということは何も患者さまの声を聞かなくてもわかるだろう、だって皆同じですから。どうせ働くならアクティブな治療をしているところがいいし、リハビリにも取り組んでいるところがいいし、スタッフの感じのよいところがいいし、食事だって美味しい方がいいし、欲を言えばキリがない。

しかも、院長=教授。でも、大学じゃない。うちのダンナも大学を辞めたわけではないらしい。辞めたはずなのに。そこがますますわからん、あの世界。

でも、いろんなしがらみを考えると、外へ逃げるわけにはいかないでしょ?万が一、自分や家族が病気になった時。何のしがらみもなければ、あっちが素晴らしいとなればそこへ行けばいい。でも、しがらみがあるということはそういうわけにはいかない。出るにも必然性と手続きが必要になる。

わたしは出産以外で入院したことがないし、至って健康らしい。ただ、だるだる。若干の代謝異常は仕方がない。小学生の頃の交通事故の後遺症で骨盤が歪んでいるため、もしかするとそのあたりからも睡眠中のリラクゼーションが足りないのかもしれない?それとも単にババアになってきたからかもしれないし、検査しても癌ではなさそうだし、精神系の疾患でもなさそう。ってことは病院へ行ってもムダ。

いずれにせよ今は元気でも年を取れば誰でも病気の一つや二つあるのが普通だし、その時になってから心配しても手遅れ。単なるわがまま婆さんになってしまいそうだ。

読みたくないなーって思いながら医者の悪口を読んでいる。うちのダンナはドラマまで観ている。

・・・・・・・・うちのダンナはね、怒るポイントがせこい。細かい。実習生がマニキュアを塗っているのを見てカンカンに怒っていたし、白衣を着て廊下の真ん中を歩いているのを見てぶちぶち怒っていたし、医局にポルノ写真が貼ってあるのを見てこれまた怒っていたし、しまいには吹き出してしまう。平和。

でも、なんで医者がそんなことをしちゃいけないのか、誰か口下手のダンナの代わりにマニュアルをつくってほしい。モラルとか倫理とか、その他諸々礼儀とか?

*****

追記: これはこの前姑さんが言っていたのだけど、おじいさんはパチンコするためにわざわざ神戸から電車に乗って梅田まで行っていたらしい。・・・・・・・患者さまに見られたくなかったからだそうです。(それもなぁ・・・)

投稿者 Blue Wind : 10:44 PM | コメント (0) | トラックバック

主人公不在のドラマ

人間は誰でも自分のドラマを生きている。
遠藤周作の 『生き上手 死に上手』 を読んでいるうちに浮んだ言葉。実際には、「私はあなたの人生の傍役(わきやく)」という節を読んでいる時に感じたこと。

当たり前のことなんだけど、誰でも自分が主人公なんだなーって思って。わたしの母のようにエキセントリックなタイプに限らず、どんな人でもそう。例えば、娘から見ればダンナとわたしは彼女のお父さんとお母さん。当たり前のことなんだけど、不思議だ。

わたしの母から見れば、わたしは彼女の子であり、彼女を中心に家族関係も存在している。そうやって考えると、父も彼女の亭主なんだろうし、弟も彼女の息子なんだろうし、わたしの娘も彼女の孫なんだろうし、わたしの叔母も彼女の妹なんだし、どうやっても彼女中心に世の中が回っている。

このことは非常に重要で、たまに母に対して感じたことがある・・・「あなたがいなくてもあなたの夫はわたしの父だし、あなたの息子はわたしの弟なのよ」って。あの自己中には何を語っても無意味だったが。

冗談ではなく、例えば祖母のお葬式。

わたしは祖母の初孫だったのでとても可愛がられた。その祖母が亡くなったのだからわたしにとっても大事件なのである。ところがあまりの悲しみに何を血迷ったか、「私の親なのよっ」と彼女は言い放った。それが父に言うのならわかるのよね・・・父にとっては祖母は他人なのだから。でも、わたしはれっきしとした孫である。要するに「世界で一番悲しいのは娘である自分であり、あんたには関係ない」と、故人の初孫であるわたしに言い放ったのである。

そのおかげで、祖母のお葬式はあまり悲しくなかった。うまく説明できないけど、祖母のお葬式では、主役は母とその姉妹だけであり、それ以外はその付帯物として存在していたらしい。その傾向はわたしの母だけではなく、伯母たちにも顕著に見え隠れしており、しょせんわたしを含めて孫一同というのは親の付帯物として扱われていることを知る。

つまり・・・・・母、というのが絶対的権力者として存在しており、子、というのはその付帯物らしい。子が付帯物なら夫は他人に相当するという概念は、わたしの場合、母やその家族に教え込まれたものである。女系家族ってそんなふう。

もう、何と言うか・・・・伯父さんたちは慣れているから、「それ」が始まるとニヤニヤしながら傍役に徹することを知っている。従弟たちもそれなりに親を見ているせいか「それ」を理解している。

わたしも、もう少し自分が若い頃にはチクチクと腹が立ったことでも今はどうでもよくなっている。

例えば、この前姑さんが来て、「孫を育ててもらっているのですから」と言う。「はあ?」って思ったんだけどね・・・正直、彼女の孫はわたしの娘である。わたしがもう少し若い頃にはチクンと逆に針を刺していたかもしれない。

が、しかし・・・・どうでもいいのである。彼女にとっては、うちのダンナはいつまでも彼女の息子なんだし、わたしの娘は彼女の孫なんだし、しょせんわたしは傍役のそのまた傍役なのである。

おそらくは寝たきりの母にしても、いつまでも苦しみながら自分の人生と格闘しているのだろう。果たしてわたしという娘がいることに少しは感謝しているだろうか。案外、自分は運が強いと勝手に思っているかもしれない。しょせん息子も娘も彼女の人生の傍役。

自己中にいちいち腹を立てても仕方がない。そうやって何かに対して寛容になるということは、自分もまたそれを理解しながら生きているということで、ただその発露が実際の生活にではなく、このように駄文を書くことにあるような気がする。

しょせん、自分はワトソン。
名探偵はほかにいる。

投稿者 Blue Wind : 02:36 AM | コメント (0) | トラックバック

May 30, 2005

アイロン掛けと美空ひばり

今日、美空ひばりのドラマがやっていた。娘が観ていて、わたしは背中で聴いていた。明日学校なんだから・・・って思ったけど、何となくそのまま。

観終わった後、娘が自分でアイロンを掛けている。陸上競技会で使ったハチマキ。皺が伸びない。そこでようやく娘に呼ばれる。一言、「お母さん、これアイロン掛けておいて」と言えば済むのに、自分でやりたかったのだろうか。

わが家は洗濯機に放り込むだけなので、乾燥まで一気に終わってしまうがゆえに、そういうことは多々ある。それでいてもう何年も霧吹きを使ったことがない。とりあえず、アイロンにスチームが付いているし・・・それでいてスチームが必要なほどの皺伸ばしって実はめったにない。

当然、スチームをどうして使うのか娘にわかるはずもなく、やり方自体は簡単なので、アイロンの実演講習を始めた。それにしても頑固な皺だった。何回も、何年にも渡って使い込んでいるせいか、原因は洗濯のせいだけではなさそう。かといってわたしが業務用のアイロンなんて使ったら大変なことになるのは実証済みだ。

ワイシャツのアイロン掛け?
うちのダンナ、めったにワイシャツなんて着ない。病院へ行く時もいつもの汚い格好。ズボンも家で洗濯できるものに限る。血がドバ〜って飛んでくる仕事。上等なものは要らない。今は記憶形状シャツというのがあるらしいけど、実際のところビジネスの人たちがどのように暮らしているのか、わたしにはわからない。

*****

エディット・ピアフと美空ひばりは天才だと思う。
もはや好きとか嫌いという次元を超えて、彼女たちは存在している。歌を聴いて、さわさわさわ〜っとチキン肌が立ったことがある。

エディット・ピアフがエディット・ピアフになる前、彼女はモーム・ピアフだったらしい。すずめさん。今日、ドラマを聴いていたら、美空かずえと言っていたので、美空ひばりは美空ひばりになる前は美空かずえだったのかと不思議な気分。いずれにせよ、すずめとひばり。天才には鳥の名前が似合うのかもしれない。



アーティスト: 美空ひばり, 古賀政男, コロムビア・オーケストラ, ブルー・コメッツ, ジャッキー吉川

タイトル: ゴールデンベスト(2)

自分的には、「柔」とか、「悲しい酒」くらいしかベストのタイトルを見てもわからない。それと、「川の流れのように」は、昔、母が聴いていたような・・・テレビで初めて聴いた時から、美空ひばりの復活を喜んでいた母はすぐにカセット・テープを購入。彼女の部屋は和室ですからね、大きなデッキなどあるはずはありません。夜寝る前に、枕元にラジカセを置いて聴いていたような記憶がある。

アイロンと美空ひばり・・・
わたしの母は、アイロン掛けは天才的に上手かった。
和室に座って、業務用のアイロンをいともたやすくあて布をしながら掛けていく。当たり前のことかもしれないけど、洋服に皺があるのが嫌いで、着物でもいつも皺一つなくたたみ方の折り目の通りにたたんでいく。

わたしなんて一人で着物が着られないどころか、たためない・・・

投稿者 Blue Wind : 02:01 AM | コメント (0) | トラックバック

May 29, 2005

50円でワクチン2本と永遠の命

姑さんといると、良くも悪くもどうでもよくなってしまうという・・・何がどうでもよくなってしまうのかうまく説明できないけど、どうでもいいんだから仕方がない。(もう戻られましたが・・その後遺症が)

そういう無意識の怠惰さって何かなーと思っていたら、このところの浪費かもしれん。家電を買い換えるのはいいのよね、わたしが結婚する前から使っていたオーブンレンジだもの、それなりにガタがきているから。

その後すぐに学校説明会があり、そうなると服でも買おうかなーっと思ってしまう。まあ、気分転換でしょうか。これもデパートの積み立てが4年間分使わずに貯まっていたので、特に家計を襲撃しているわけでもない。

その次に、服を買ったらペイバックというわけではないけど、商品券との引き換えポイントが貯まったので今度はそれを使って本を買う。だからこれもめちゃくちゃ家計を襲撃しているわけではない。

その次にヴァカンスの季節なので、例年ダンナの予定を考えているうちに予約競争に負けてしまうため、今年は早めに予約する。
娘の塾の夏期講習の日程が決まったので、今年は正直ダンナの休みもそれに合わせて取った。事情が事情だから(?)、どぞどぞという感じで休みが決まったのはいいけどバッカみたい!夏休みは7月から10月までの間に取ればいいのに・・・
娘の学校がなければ、と毎年思う。

ネットで予約したので、パンフ予算より安く済んだ。
画面を開くと飛行機のチケットが翌日には満席になっているのだもの・・・今が競争。間に合ってよかった。旅行者同士というより、業者が押さえてしまっているから個人旅行者はかなりきつい。

・・・・・・・・と、ここでやめておけばいいのに、つい安く済んだと思い、本を買ってしまった。

浪費ってすればするほど、怠惰な気分に陥ってしまう。

どうやって浪費から自分を救うか?

やっぱ、1円の重みを知らなければ・・・わたしなんて特に自分で稼いでいるわけではないし、働いている人よりも怠惰に走ろうと思えば走ってしまう。

50円でワクチン2本。
50クリックを毎日するより、クリーンセンター節約で1200円浮かせたほうが賢い気がする。すべてのワクチンが効果的かどうかややこしいことは置いておき、素直に考えて1200円だと48本のワクチン。それが無いためにパタパタ死んでいく子どもたち。

わたしだってすべての消費を捨てたら生きていけない。浪費もするな・・・やはり。それでいて、50円でワクチン2本だと思ったら気が引き締まるでしょ?

50円で誰かの命が救えるということ・・・その中にはわたしの永遠の命も含まれているらしい。

投稿者 Blue Wind : 05:15 PM | コメント (0) | トラックバック

May 26, 2005

思わず昼寝したくなるソファ

『SANYO : 四季彩館 ブログ・コンテスト』への参加TB
#02 リビングにおける、あなたの理想のソファは?

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理想のソファ?
思わず昼寝したくなること・・・
ころりんと寝転びながら本を読んだり、テレビを観たり、子どもを昼寝させたり・・・今は、人間のほかに犬が寝ていることもある・・・

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〈現在使用中のソファについて〉

◎素材: ラタン。マットには布製のカバー。
◎カラー: ラタン部分はグレー、カバーリングの色は淡いトルコブルー。
◎サイズ: 240X240(奥行80)。ただし、5つのパーツに分かれる。コーナーソファ。

* コーナー部分のパーツが3つ、肘掛のないタイプをその間に置く。だから、コーナー部分を2つ組み合わせるとラブチェアにもなるし、その間に肘掛のない部分を配置するとソファに。肘掛のない部分を増やせばもっと大きなソファにもなる。

◎ブランド: 村田製作所だったような気がする。名前に弱いのでよく覚えていない。
◎デザイナー: 特になし。ただし、オーダー家具なのでラタンの色やデザイン、カバーリングのカラーは自由に選べる。カバーリングには厚手のカーテン生地を使っているのではないかという記憶もある。このため、カバーとカーテンを同じ生地にして揃えることもできるが、さすがにそうなると重くなるのでやめたような・・・注文して届くまで1ヶ月くらい掛かる。
◎購入方法: その昔に渋谷の丸井インテリア館を徘徊中に発見。突然、ダンナがあみだくじに負け、都内から茨城に転勤が決定し、慌てて日帰りで土浦の不動産屋でマンションを契約した帰りに、土浦の丸井で強引に家具をオーダーしたような・・・

* 後日、カフェなどで村田製作所のカタログにあった椅子が使われているのを発見し、当時はラタンの出始めで密かに流行っていたのかもしれないです。今はめずらしくなくなったけど、ラタンは。

*****

理想のソファということで、逆にNGを書くと次のようになる。

・ いかにも来客用という雰囲気。
・ ソファの奥行きが狭い。
・ 高さがあり、置くと圧迫感がある。
・ レイアウトの変更や融通が利かない。
・ 革の匂いがする。
・ 肌にまとわりつく感じ。

ソファに高さがあると、子どもや子犬が落ちたときに心配。それと圧迫感があり部屋を狭く見せる。昼寝に適さない。実際、3ヶ月の子犬のマリがこの前ソファから落ち、全身打撲でしばらく動きがぎこちなかった。思わず医者に連れて行こうと思ったほどだった。(今は快復してるけど・・)

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理想のソファの難点は、居心地が良すぎるせいか、いつも誰かに占領されていること。犬まで寝ている。おしっこを掛けられ、カバーを何度洗濯したことだろう・・・(泣) 子どもは飛び跳ねるし、このためとうとう痛んでしまった・・・(号泣)

汚れない家具、壊れないほど頑丈な家具もよいけど、華奢で破壊されつつ存在しているというのも時の流れを感じて楽しい。

投稿者 Blue Wind : 02:31 PM | コメント (0) | トラックバック

May 25, 2005

明るい陽射しがよく似合うこと

『SANYO : 四季彩館 ブログ・コンテスト』への参加TB
#01 リビングをデザインする中で、あなたが最初にこだわったことは?

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最初にこだわったこと?
最初にこだわったのは、リビングは南側で明るい陽射しがよく似合うこと。
玄関を入り、パッと目に入るのが明るい陽射し。そこにリビングをつくりたいというのは自然な発想で、しかも共有空間なのだから、おもいっきり広いほうがいい。このため、家具はロータイプ。実際、わが家は一階部分は一つの部屋しかない。キッチンもセミオープン。だから、お客さまがあってもリビングが応接間になる。

家具はラタン。ソファの色は淡いトルコブルー。それに合わせてラタンの色もグレー。
玄関から入ると真正面にパティオドアがあり、庭が見える。リビング空間はその右側に位置する。ソファはコーナーソファなのでちょっとした独立性もアレンジ。その背もたれの後ろに地球儀。同系色。さらに右手には暖炉をつくり、西側にかけて部屋の雰囲気が微妙に変化する。

朝は東側のキッチンから始まり、昼は明るいリビング、そして夕暮れ時の落陽の時間には西側から長い夕陽が射し込む。光を追いかけているうちに一日が終わるような部屋づくり。

今の悩みは、お気に入りのソファが壊れてしまったこと・・・
これだけイメージがはっきりくっきり部屋をデザインしていると、そんなに簡単に買いかえられない。
困った・・・

投稿者 Blue Wind : 10:36 PM | コメント (0) | トラックバック

May 23, 2005

今日の平和

高校生にパワーをもらって情けない主婦モードのわたし・・・

単なる高1から高2にかけての個人課題研究なんだけど、実際に新聞記者・弁護士へのインタビュー、裁判の傍聴、さらに中国残留孤児への取材、膨大な資料の読み込み、いわゆる高校生の調査研究のレポートを読んで、いろいろ考えてしまったわけです。

その中で、日本に帰国した中国残留孤児の人たちの実際の生活、置かれた状況、そして何より印象的な言葉。「中国にいる時は、日本人だというだけですべての戦争責任を背負うが如く虐められ、いざ帰国してもお前は中国人だと言われる。」

そのほとんどが日本語がわからないために職に就けず、年金もなく、生活保護を受けており、しかも毎月2万円で生活しているらしい。2万円もらって中国で暮らせば・・・って思うのは、わたしがバカだからかもしれない。

歴史に翻弄された人たちとは言うけれども、結局、国家に対して損害賠償を請求するより仕方がないのかも。当時満州にいて引き揚げてきた人たちはたくさんいるだろうし、戦争孤児もたくさんいるだろうし、それでいて今はもうそういう話を聞くこともめずらしくなった。でも、中国に置き去りにされた孤児たちの日本での生活は麗しいとは思えない。

******

僅かでも正義感というものがあるのなら、子どもの頃から問題意識を持ちながら自分の進路を考えるのは素晴らしい。

それでいて、子どもの頃の正義感というものは次第に社会に対する無力感に変わり、わたしには考えているだけで終わっていることがたくさんある。

大抵の場合、「それが大変なことなのよ」と叔母に言われる。母に言われると腹が立つことでも、どういうわけか叔母に言われると腹が立たないのは、おそらくは叔母が子どもの頃から体が弱く、病気がちでそれこそ今でも普通の生活をしていることが不思議だからかもしれない。

「それが大変なことなのよ」と叔母が言う「それ」とは普通の生活のこと。つまり、普通に結婚して、普通に子どもを育て・・・というごく平凡な人生。それが大変だと言われてしまうと、たしかにそう。それが大変だということを、子どもを育てながら学ぶ。

神父さんにも同じことを言われた。ネットだと「言われた」という表現は適切ではないかもしれないけど、平和で戦争もなく、のんびり公園で子どもを遊ばせているような生活、それが素晴らしいのだと。

それでいて、日本の母親の感じる育児ストレスは高い。

正直、今はわたしはほとんどストレスを感じることはない。でも、出産からしばらく娘が小学校に上がるまではとてもきつかった。なんでだろう・・・過敏なんだろうか? 生まれて無事に育てるだけでも大変なのは当たり前だけど、その次には公園デビュー。子どもの社会性とかね・・・とにかく次から次へとタスクをこなすような気持ちで情報過多に悩まされる。

ある日、そのすべてがどうでもよくなった。

結局、娘とわたしの問題なんだなーって思って。他人は関係ない。娘のことを心配すると、今の時代はいろいろ先回りしてあれこれ言う人もいるけど、よく考えてみたらそのように語る人たちには責任がないことが多い。担任の先生だってどこかへ転勤になるし、娘のその後までは責任はない。

ママ友?

はあ、まあ、たくさんいるけど・・・はあ、まあ、子どもは一人一人違いますから・・・としか語れない。男の子と女の子でもいろいろ違うみたいだし、立場も違うし、親の教育に対する考え方も違うし、環境も違うし、個々に違うことがたくさんありすぎて、結局、わが子は自分で育てるしかない、というのが結論。

まあ、道で立ち話するくらいが平和でよいのではないかと。

******

一つ気がついたのは、結局はわたし自身。

幸せなことに家庭に恵まれ、子どもがすくすく育ってくれたらそれが何よりわたしにとっての幸せ。休みの日にはのんびり庭に座って子犬を遊ばせているダンナの後姿を眺めているうちに、わたし自身は特に何もしていないけど、社会に対する責任ということでは父さんが働いているわけで、仕事と家庭という言葉はその後姿にあるのかと気づく。

あんまりややこしいことを考えないからね・・・家にいると。

で、まあ、何となく娘がすくすく明るく快活に楽しげにしていると、わたしも楽しい。要するにそれだけのことだと気づく。ちびと一緒にあーでもない、こーでもないと話しているのが楽しい。

というわけで、今年もまたヴァカンスの検索をしているうちに夜が明けた。怠惰な生活。

知的欲求はどうにもならない。しばし思索に耽り、観念的世界に溺れるのも素晴らしいのではないかと。小鳥の声を聴きながらのんびり観念的世界に溺れ、庭仕事。そうやってひねもすはゆく。平和。

投稿者 Blue Wind : 03:18 PM | コメント (0) | トラックバック

May 21, 2005

オープンスクールへ

そろそろ私立中学のオープンスクールや説明会の季節を迎え、今日は娘と一緒に行ってきました。スクールカラーというか、共学だと何かどこかが違う。

なんかね・・・・
「良妻賢母」っていう言葉があるのを誰かご存知で?
学校を卒業したら結婚するのが当たり前、という教育をわたしは受けていたんだということを、すごく感じて帰って来ました。

校庭を歩きながら、ラグビー部の目つきの鋭い連中を眺め、受かったらうちのおちびさんはこういう子たちと同じ学校へ通うのかー、と、不思議な気がした。論文の発表は女の子でしたが、威風堂々、いつでも講演会ができるな・・というか。教室を眺めながら、図体のでかい連中が男女で机を並べているのを見ると、こりゃ隣に誰が座るかで天国と地獄かもしれないとか、何となくつまらないことを考えたりして。

でも、楽しかった。

すでに、図書室の古い匂いも懐かしいし、明らかに学校と社会とが連結し、すでに中学や高校で将来の進路を考え、職業を考え、それが普通なのかもしれないと、さわやかなカルチャーショックを感じて来ました。都内、あるいは関西に住んでいたら、たぶん女子校に進学させることしか思いつかなかったので、この狭く、制約があり、かつ自由な土地柄の影響のせいか、さっぱりとしていて清々しい。

わたし、バカですから・・・朝からお化粧して、服も学校訪問用に新調し、少しは受験生の母らしく振舞おうかと思ったんですけど、いざ行ってみるといつものつくばの顔ぶれが並んでいるという感じで、私立も公立も基本的に関係ないような気がして帰って来た。

まだまだこれからが本格的なシーズンなんですけど、それよりも娘を勉強させないと。この際だからあちこち見学に行きたいけど、その前にやることが・・・・公立だったら引っ越しちゃえばいいんですけどね、私立は受験が・・・・・・・でも、娘を遠くの学校へ通わせる気はなくなった。

要は、楽しかったらよいのではないかと。せっかくの学生時代なのだもの。

投稿者 Blue Wind : 11:40 PM | コメント (0) | トラックバック

怠惰な渡世

最初びっくりしちゃったんだけど、わたしが姑さんを心の底から偉いと思ったのは、義父が亡くなった時、いただいた香典を全部そのままお返ししちゃったこと。

「私一人になったら、主人が生きていた頃のようなお付き合いはとてもできませんから」と言い切り、袋ごと礼状添えて返してしまった。

あっさり語れば、記録でもあればいいけど、実際のところ代がわりしてしまえば親戚でもなかったら亡くなったという報せがわざわざつくばのわが家まで届くとは思えない。姑さんが生きていれば姑さんがするのかもしれないけど、姑さんが亡くなったらまったくわからなくなる。

わたしも真似しようと思っている。わたしよりダンナが先に死んだらお香典はそのまま返す。関東だと半返しが普通なんだけど、関西だと違うみたいだし、知らない人でも来るらしい。お茶をもらえるからだという話も聞いたことがある。それで何も用意していなかったらケチと言われるくらいなら来てくれないほうがありがたい。

つまり・・・・・土地の風習が違うために、理解不可能なこともたくさんあるし、いちいちそんなことで何か言われてもつまらない。それくらいなら家族だけで密葬のほうがマシ。

全部まとめて一律返してしまえば、どこに失礼だの何だの言われることもないし、自分も逃げやすい。近頃、お葬式が終わると家族が消えることが多いことを考えるとそのほうがいいかも。つまり、子どもの数が少ないとか、子どもがいないとか、さまざまな理由で一人になったら転居する人が多い。そのため、お香典をいただいてもお返しができないとかね。

日本にいるならまだしも、子どもが海外にいたらとてもじゃないけどわざわざ誰かのお葬式のために日本に戻ることも無くなるだろう。体も悪くなるし、旅行だってしんどい年頃になる。ましてや一人になり寝たきりで施設に入っているとか・・・

現役で亡くなるのならともかく、今はひたすら長生きの時代なので次第にお付き合いも狭くなるし、パタパタと次から次へと亡くなるそうなので、結局、奥さん一人だけ生き残っているご時世。叔母も姑さんの話をしたら自分もそうしようと言っていた。

娘の結婚式?

もういいよぉ・・・・・仲人も要らないし、うちは一人娘だからお式はしてあげたいけど、じいさんばあさんばかり集まるようなのは要らん。そんなんなら海外で挙式とかね・・・わたしだって行きたい。それを理由にしばらく遊んで来てもいいし、ダンナだって正々堂々と仕事を休めるし、ヴァカンスにお金を掛けるほうが楽しい。

婿さんの側からクレームが来たら?

勝手にやってもらう。(←きっぱり)

投稿者 Blue Wind : 04:06 PM | コメント (0) | トラックバック

ささやかなる自由な気分

なんかいいな・・・
好きな時間にネットができるというのは。
他愛もなく幸せな気分に浸ってしまう。
昼寝とネット。
このふたつが消えたら、おそらくはおそろしい勢いで本でも読んでいるのかもしれない。
いや、このふたつがない時には、おそろしい勢いで庭に花や木を植えていた。
それと通販カタログ。
しょーもな。

おなじようにしょーもない生活なら、少しは役に立つ記事をアップしているほうがマシ。
それでいて何の役にも立たないことがむしょうにハッピー。
のっちなんだろ。
わからん・・・

うちのダンナもおじいさんが亡くなって以来、ピタッと接待以外で外で飲まなくなった。
こんな時代だから接待も減り、いつのまにかマイホーム・パパになっている。

ある日、バカじゃないかと思った。
トイザラスに娘と一緒に行き、あれも安い、これも安いと娘のおもちゃなどを買い込んで来た。
つまり・・・・
後輩を連れて飲みに行くことを考えたら、おっそろしいほど娘のおもちゃや服を買えることを知り、それ以来グッと付き合いが減った。
それまではそれが伝統だからという理由で、後輩などを連れて飲ませていた。
たまの休日には釣りや結婚式。
ある日突然、すべてのそういう付き合いを断っている。
最初、わたしは気が付かなかった。
でも、よく知らないけど、そういうふうに申し合わせたらしい。
あんなんは誰か代表で行けばいい、って。
まあ、ただでさえ人手不足だし、休みが少ない生活だから、それは案外すんなり通った。
今の時代って、すごくわがままだから・・・・上も下も。
互いに互いの生活を大事にするほうが平和らしい。

田舎だからだろうか?

投稿者 Blue Wind : 02:32 AM | コメント (0) | トラックバック

May 20, 2005

マシな人生

結局、家でネットをしているとお金が掛らないというのは、交際費が掛らないということなのかも。今回、姑さんと話していてそんなことを感じた。

だって年寄りが生活するだけならほとんどお金要らん。胃と歯が衰えてきて食事の量も減るし、どちらかというと健康のために食べるという感じ。光熱費だって知れているし、大抵の人たちが年金で生活できるというのはそういうことなんだろう。

結局、医療費や交際費の占める割合が大きい。

姑さんの話によると、昔は入院したと聞けばお見舞いにも行っていたところでも、年中だしお互い様だから次第に行かなくなる。死んでもお互い様らしいし、うちみたいに神戸からつくばに来る予定だと結局年寄りがわざわざ神戸からお葬式に来てくれるとは思えないし、そうなるとよほどのことがなかったらうちの姑さんなんて病気を理由に近頃ではお葬式にも行かない。あまりにもわかりやすい。

それじゃ元気にしているからと始めた陶芸でも、先生と仲良くなると毎月東京と関西で3回くらい個展があるからと誘われる。次はアメリカでやるからと誘われる。それでは足りなくてもっと仲良くなると高い化粧品を買ってくるように頼まれ、なかなか支払ってくれない。「白石さん、これいいねー、私にも買ってくれへん?」と家に来てはやられる。仕舞いには腹が立って来て、「先生、これ支払ってくれへんかったら、私、生活できん」と言ってやったらしい。

わたしなんて、話を聞いているだけで鬱々してしまう。

そんなん考えたら付き合いなんてかったるいだけだ。近所の人と立ち話をしているだけなら金は掛らん。

芸能人の追っかけをしている年寄りの話。聞いているだけで鬱々してしまう。知らん顔してチケットぴあでチケットを購入しているほうが賢い。

結局、交際費なんだよなぁ・・・人生は。

教会へ行こう。

そこが素晴らしいかどうかはわからないけど、幾分マシな気がする。バザーやボランティアのお手伝いをしているほうがマシだ。年取って婆さん同士の付き合いに金を掛けるなら、もっとマシな生活があるかもしれない。

スカッとね・・・自分で運転して・・・さっぱりと。
金を払って収集してもらうより、ドライブ。
かっこいい。(そう思っているのはわたしだけかもしれないけど・・あははのは)

投稿者 Blue Wind : 03:10 PM | コメント (0) | トラックバック

とうとうクリーンセンターにまで行ってしまったわたし

家に話し相手がいるということは、朝から晩まで話しているということで、こんなに話していたのはいつぶりだろうかと悩む。

起きている間中、大抵は姑さんがいて、一人で過ごす時間というのは寝ているか娘を送迎する車の中くらいのもので、大抵は誰かと話している。それでも娘を乗せていれば娘と話し、お絵かき教室に新しい子が入り、そうするとその子のお母さんと30分くらい立ち話をし、買い物の時間を気にし、家路に着く。

もしかすると、それが普通の生活のような気もするけど、娘が生まれて以来、家の中にいる時間が長く、しかも娘が幼稚園へ行くようになると、家で一人で過ごす時間が長いため、姑さんが神戸へ帰った今、何故かわたしは自分が旅行帰りのような疲れを感じている。

どこが違うかというと、まず時計を見るようになった。

一人だとあまり時計を見ない。テレビはめったに観ないけど、テレビを点けていれば何となく時間がわかる。それと同じような感覚で、パソコンに時計が付いているため、わたしは時計を見ない。

一人だと一日が長いために、時計を気にするのは日が翳り、そろそろ娘の学校からの帰宅時間ではないかと思う頃と、塾の終わる頃。それに合わせて、お風呂も夕飯も買い物もするために、日中は時計を見ない。

それが姑さんがいると、どういうわけか時計を見る回数が増える。彼女は滞在中2日間くらい病院へ検査に行ったので、そろそろ戻る時間だろうかと時計を気にする。その後すぐに娘が戻る時間だし、そうなると慌しい。一日があっという間に終わってしまう。話しているうちに夕飯の支度をしなくちゃとか、娘を迎えに行かなくちゃとか、何かと気が急く。

その間に、クリーンセンターへ行ったり、家電ショップへ行ったり・・・

つくば市は粗大ゴミの日は予約制。いくつか捨てようと思い、市役所に電話したら持込だと安くなると言われたので、自分でクリーンセンターへ持って行くことにした。40ℓの袋に入るものは家電でも燃やせないゴミの日に捨てられるのだけど、空気清浄機や赤ちゃん用の歩行器やアイロン台などは捨てられない。かといって、市の収集車を頼むと1つ400円掛かるらしく、980円で買ったアイロン台を400円も払って捨てるのはあまりにもバカらしい。

クリーンセンターは思っていたよりも近かった。車で10分くらい走り、大通りを左折すると大きな煙突が見えて来る。

受付を済ませ、別の入り口から入り直す。ものものしい雰囲気。言われた通りゆっくり車を走らせると、シャベルカーがいくつか動いているのが見えてくる。そして、炉の前に車をバックで入れた。

娘の歩行器を荷台から降ろす。まるで埋葬のような雰囲気がして少し胸が痛んだ。粉砕するということがリアルに見えるせいか、アイロン台や空気清浄機に対しては何の衒いもなかった代わりに、娘のものを捨てるのはつらい。

いつまでもオムツをとっておいても仕方ないと思いながらも、捨てられないものがたくさんある。歩行器はさすがに壊れていたので、思い切って捨てようと思ったんだけど、自分の目で実際に炉を眺めると・・・

センターの中はゴミの収集車が入ってくるだけで一般の車両はほとんどない。まるで場違いのような雰囲気感じながら支払いを済ませるために出口へ向かう。結局、窓口で無料だと言われた。10kgまではタダらしい。いつの間に計量したんだろう。

電子レンジを捨てると20kgくらいあるので130円掛かる計算。(260円?) 家電ショップで買えば逆に下取りしてくれる。でも、今度の新しいレンジを眺めると、そのうちリサイクル品目になりそうな気がする。そうなると一気に高くなる。なんでリサイクルのほうがバカみたいに高いのか不思議。

それにしても、わたしは気が短いので、ゴミの収集日まで家の中にゴミをためておくより、というか、その日に合わせて捨てるより、燃やせないゴミなら自分でクリーンセンターへ持ち込んだほうがせいせいするかもしれない。分別ゴミの日と燃やせないゴミの日とその他諸々粗大ゴミやら古紙やらうっかり忘れると2週間くらい待たなければならない。それを考えるとゴミを捨てるのも憂鬱になる。

タッタカタッタカ自分で車の荷台に載せて捨てに行く。さすがに生ゴミは嫌だけど・・・

その他諸々、髪を染めてみたけど、まるで染まっていないわたしの髪。

なんで姑さんが来ただけで、普段やらないことをやってしまうのだろう?

というわけで・・・なんか、ずっと家にいたのにまるで旅行へ行った後のように疲れている。娘に話しかけられても答えるのが億劫なほど話すのがだるい。

投稿者 Blue Wind : 01:11 AM | コメント (0) | トラックバック

May 17, 2005

ダルダルで怠惰な日々

怠惰になるって結構素晴らしいかもしれないです。

考えてみれば姑さんとの付き合いはダンナと結婚する前からだから、かれこれ20年くらいにはなるでしょうか。当時は待ち合わせ場所からして違います。帝国ホテルのロビーとか、新宿のセンチュリーハイアットとか、その後一緒にお芝居を観たり、お食事をしたり、一緒に青山を徘徊したり、あの頃は2人とも(って誰と誰だよ〜!)若かった。

わたしなどはしょせん文系の学生だからヒマはたくさんあるし、姑さんが神戸から出ていらっしゃると2人で遊びまくっていた。ダンナは留年ばかりしている学生で、親は心配だから最初の頃は月一で上京していたし、それでいてヒマだからあちこち徘徊して・・・

そんなこんなを考えると懐かしい。

結婚してからは、掃除が終わる頃には家電が1つ増えるというのがこれまた慣わしのようになり、姑さんはもともとメカが好きな人なのであれにこれにと新しいものが増える。たまに神戸から物品そのものが届くこともあった。電動モップ、空気清浄機、食器洗浄器、電動泡だて器、全然関係ないけどスパゲティ掴みやアイスクリームサーバー、お肉のミンチ用の機械・・・もう数えていたらキリがないくらい家電や小物が増えまくる。

前回はたしか炊飯器を買い替え、今回は電子レンジを最新式にしてしまいました。

なんでだろう・・・・もう、これは1つの儀式みたいなもので、来るたびに何か新しくなる。それと化粧品の類。これがいいとかあれがいいとか、あれにこれにと使ってみなさいとばかりに化粧品が増える。それとフェイス洗顔用の泡立てタオルが今回のお勧め品。化粧品を買うとついてくるらしいのだけれど、余分にあるから、と持って来てくれた。

なんか平和だなーという気がする。

結婚して子育てして、子どもが大きくなる頃にはエステとかね・・・わたしもいい加減にババアだからやらなければならないらしい。長生きの道は険しい。長生きも大変だけど、顔の手入れも大切になってくるらしく、いい加減にハワイ焼けの染みもババアになると気になるので、そのうち皮膚科を予約してオペしようかと思っています。

長生きしていると結局は健康が財産だし、とにかくマメな人だから何でも次から次へと始まる。家が焼けたり大変なことがあっても落ち着くと元に戻るんだな・・・というのが率直な感想。世の中が不景気だろうと何だろうと後何年生きるか分からないような年齢になると関係ないもんね。仲が良かった友だちもだんだんあちこちに病気が出始め、特に足が弱くなると外出も儘ならないし、そんなことを考えると姑さんが退屈しているのではないかと思ったけど、いまだに放送大学だのオペラだのと習い事をして、せっせと医者通いして、結構忙しそうにしているのを眺めると、元気が何よりだと思ってしまう。

姑さんの一人暮らしの日課は、主にヒマつぶしの読書。そのほかにはテレビを観ては衝動買いをしているらしい。だって一日中家にいたらすることないし・・・わたしもネットをする前は似たようなものだったような・・・それを考えると、ネットは安上がりだ。これをやり始めてから買い物が減った。

そうなのよね・・・・ネットを始めてからだ・・・・仕事がどうたらこうたらとか、子育てがどうたらこうたらとか・・・・リストラだの不景気だの世の中の情報がかすかにでも侵入し始め、何となくそういう気分に感染する。

姑さんと2人で家にいて話をしていると、かなり昔のノリに戻ってしまう。2人ともケチはケチなんだけど、家の中はどこかわが城だし、好きにしていることがストレスの発散。だから要らない道具が増える。その次には美容のこととか・・・わたしはあまりマメなほうではないけど、何となく姑さんと話しているとやろーかなーという気になってしまう。(ええこっちゃ)

こうやって何となく家族やウマの合う人たちに囲まれて、かったるいことはダンナに押し付け、さらにこれにおちびが加わり少しは変化や事件を与えてくれるというのがささやかなる人生の楽しみという気がする。

なんか怠惰っていいわ・・・・平和で。世の中がどーなろーが関係ないから。後何年生きられるか分からないのに、今さら、だよね、たしかに。

投稿者 Blue Wind : 02:28 AM | コメント (0) | トラックバック

May 16, 2005

オスとメスではこんなにも違うものなんだろうか?

まるで買い物へ行かないで、冷蔵庫の中のありあわせのもので料理しているような記事になっていると思いつつ、それでもコメントやトラックバックがあることを感謝しておりまする・・・でも、もしかすると黙っていたらわからないかも・・・(わかるか・・)

ご想像の通り(?)、掃除と庭仕事と娘の送迎と姑さんの話し相手と夕飯の支度と昼寝(オイ!)以外、夜中にコソコソ起き出してお風呂入って掃除してブログを更新している夜更け。

あー、嫁さん、やってるなー、という気がします。

日頃、いかに怠惰な日常を過ごしているかもわかる・・・
ひとりだったら、朝起きたらオンして、家事しながらオンして、うつらうつらと気ままなネットライフ。
それがいかに怠惰なものであるか、この数日間のわたしの雑巾を持ちながら家の中を歩く生活を省みるとわかります。

だったら少しは反省するか?

いや・・・・人生は怠惰なほうが。

この数日間で、オト(ミニピンのオス、2歳)がいかに悪男かわかったし・・・
おばあちゃんのことを2回も噛んだ。ようやく2日目の夜、「餌くれワンワン!」状態になり、すっかり姑さんにも慣れ、ほっとしています。
マリちゃん(ミニピンのメス、3ヶ月半)はソファの上から落ちて一昨日は打撲状態だったのが、今日はすっかり元気になり、彼女は最初からおばあちゃんにも愛想がいい。(とは言ってもマリちゃんも来たばかりなんだけど)

それにしてもオスとメスとはこんなにも違うのだろうか?

悪男オトくんは相変わらずなんでこんなところにおしっこするんだよーっという感じだし、庭を歩けばオトのうんちは落ちているし、歩く人歩く人には吠え掛かるし、いつまで経っても悪いヤツ。マリちゃんは3ヶ月だというのに最初からトイレトレーニングの必要がない。

ペットショップの違いなんだろうか?
それとも、オスとメスの違いなんだろうか?
それとも、単にオトがアホなんだろうか?
わからん・・・

天然の性差だからね・・・
いろいろ考えてしまった。

投稿者 Blue Wind : 01:18 AM | コメント (0) | トラックバック

May 15, 2005

長生きも楽じゃない・・

こんな時間に起き出して、一体何をやっているのだと思いながら、やはり画面に向かって打っている。

姑さんは無事に到着し、おそらくは震災後に会った中では心身ともに一番元気な気がする。もちろん10年以上経過しているわけだから、年相応に弱っているのは仕方がない。

わが家はバリアフリーに対応した家ではないため、年を取ったらただ歩くだけでも手すりが必要になるとか、いろいろなことを言っている。今のところ実感は湧かないけれども、神戸では震災以後建てられた家やマンションには廊下にも手すり、ペット用の出入り口が標準されているという話や、介護付きマンションの話や、実際に介護保険を受けている人たちの話などをせっせとしている。

荷物を持って神戸から一人で来られる状態だから、実際には手すりも杖も必要はない。でも、不安になるらしい。お風呂にはすでに手すりを付けたらしいけど。こればかりは分からない。でも、階段やお風呂場だけでなく、廊下ですら手すりがないと不安になるというので、そういうものなのかもしれない。近頃では電球が切れても取り替えるのが苦痛らしく、トイレの電球が切れた時には朝誰か来るまで懐中電灯を使っていたとか。考えてみたら、今でも階段のところの電球などはわたしでも怖い。やっぱ、照明を含めて、そのうち考え直さないとダメなのかも、と不意に思った。

今は平気なんだけどね・・・いくらなんでも。

元気なうちにつくばに来て、とか、老人施設へ入る、というのはあまり親切なアイデアではなさそう。細かいところなのよね・・・そりゃいざとなれば四国に5万円くらいの老人施設があるとか、介護付きマンションとか、高齢者対策は介護保険を使えばどうにでもなる時代なのかもしれなけど、細かいことなんだと思う。

例えば、本当に意識もないような寝たきり状態になってしまえば下の世話も気にならないかもしれない。でも、少しでも意識がはっきりしていたら絶対に他人の世話になるのは嫌だと言う。そのほか食事のこととか、個室とか4人部屋とか、1日6千円を払って入院するならタクシーで4千円を払って通院しているほうがいいとか、細かい。

そうやって考えていても、わたしの母のように突然意識もなく重度の障害で食事や酸素の摂取すら自力で出来ない状態にまでなると一人で暮らすどころか生きる力もないから、バリアフリーの家など必要ない。体力はあってもボケていればそれこそ24時間介護が必要になるし、状況次第。

もう何年もそういう話をしてきたけれども、結局はその時々の体調次第なのでこればかりは分からない。

なんにせよ、元気が一番。かなり、そういうことを実感。普通に暮らしていても不安な年頃なのに、ちょっと体が悪くなっただけで不安状態が始まる。そうなるとダブルパンチ。体が快調になれば精神状態も良くなる。見事に連動している。長生きも楽じゃない・・・

投稿者 Blue Wind : 04:36 AM | コメント (0) | トラックバック

May 12, 2005

今度こそ元気な子犬

昨日、ペットショップから連絡があり、子犬を見に行ってきた。
去年の暮れ、原因不明の感染症で死んだマリちゃんの代わりの犬。

ミエルではない。
ミエルは先月母の誕生日に連絡がありペットショップへ見に行き、わが家に来ることに決まったのに、その数日後1回目のワクチンを接種した後、急に具合が悪くなり、結局、ペットショップからそのまま里親のところに戻ることになったらしい。

マリちゃんの時のことがあるので、ペットショップといろいろ話し合い、今度はワクチンが3回終わった犬を引き取ることにした。ミエルが元気になれば・・・と思っていたら、ダンナが怒るのでその話はボツ。元気でないと育てられないから、というのが怒りの理由。

そりゃそうかもしれない。
少なくともマリちゃんの時には、来て3日目から具合が悪くなり、朝から晩まで看病し、毎日のように医者へ連れて行き、それでも良くならないので、インターフェロンを投与するために入院。そして、死んだ。

もう、あの時のことを考えたら、ショックが大きくて・・・

生後2ヶ月。まだ赤ちゃん。体重も850グラム。それが食欲が落ちて、700グラムに衰弱。そして、動物病院での知らせを受けて自宅で最期を迎えることに。そして、わたしの誕生日の翌日、ダンナに抱っこされたまま心臓が停止した。

かわいそうで、かわいそうで。
まだ赤ちゃんだったのに。

家にいた時間は短かったけど、情が違う。
すっかりわが家の子になっていた。

マリちゃんは、骨になり、庭に散骨。
小さくてほとんど残っていなかった骨は、あっという間に土に戻る。

このため、ミエルの状態が悪化したという連絡が入った時、うちのダンナは冷たかった。話を伝えると急に怒り出し、自分でペットショップに電話。ミエルに対しては、どうも最初から気に入ってなかったらしく、今ちょうど別のペットショップにダンナのお気に入りのメスのミニチュア・ピンシャがいるので、そっちにしようかと迷っていた。

相性ってあるからね・・・
マリちゃんが可愛かったからマリちゃんはうちの子だったわけで、いきなりほかの犬というわけにもいかないのかもしれない。わたしは、娘がミエルにすると言っていたので、どちらでも。

というわけで、昨日の晩、案外おそるおそる見に行った。今回は断れないから・・・すでにワクチンを3回受けているし、ペットショップも半年かけて探してきた子犬だし、さすがに。ミニピンは可愛い子はすごく可愛いし、可愛くない子は極端に可愛くない(ような気がする)。

正直、新しい子犬の顔を見て、ホッとした。
可愛い。
ダンナも気に入ったらしい。(←ここが一番大事)

わたしはね、案外、どんな犬でもかまわない。相性も何もない。へちゃな犬でも飼っているうちに情が湧く。オトくんもダンナが気に入って連れてきたけど、わたしは犬を飼いたくなかったのでずっと反対していた。いざ飼い始めると、わたしに一番なついている。

そんなもんさな。

名前を考えないとダメなんだけど、悩んでいる。今度は丈夫に育つように強い名前にするべきだろうか。マリちゃんの時は、「マリア・アンジェラ」と付けたから、すぐに昇天してしまったとダンナが言う。それでいて、ミエルの時には、「熊」とか「龍」と付けろという具合。(ふざけとんのか、あのおやじ!)

で、結局、迷っている。
そしたら、「また、マリアって付けようか?」とダンナが言う。
・・・・・・・絶句。
返すことばもなかったね。
なんなんだ、この待遇の差は。

家に来てから考えるか・・・もしかすると、本当にまたマリアになるかもしれないし・・・ただし、マリア・アンジェラではない。

投稿者 Blue Wind : 01:03 PM | コメント (0) | トラックバック

May 11, 2005

綺麗好き

今週末、突然姑さんが神戸からやって来ることになり、こんなことをしている場合じゃないだろう・・・と、気ばかりあせる。わたしみたいな怠惰な主婦とは違って、なんせ歩きながらお掃除している人だったから、いまだに気ばかりあせる。

神経質なくらい綺麗好きで、トイレも使うたびに掃除してから出て来るし、モッパが発売されれば履いて歩いているし、窓のサンにはどこも歯ブラシが置いてあり、開けるたびに掃除している。それで足りなくてお手伝いさんがいて、毎日パジャマとシーツを洗濯し、アイロンかけて、食事も終わるそばから皿を片付けて洗い始めるような性格なので、食事の支度が終わる頃にはキッチンは片付けられ、食事が終わる頃には後は湯呑みやコップを洗うだけになり、どういうわけかほかの食器はすでに片付けられている、という生活。

冷蔵庫やテレビでも相当古くなっても新品みたいだし、クルマも毎日のように洗車。そうなると中古でくたびれた雰囲気というのは掃除や手入れしないだけだから、ということがよく分かる。冷蔵庫の中でも、毎日拭き掃除しているから物が溜まらないし、食器の類も使わないとなったら余分なものは物置などに片付けてしまい、いつもすっきりしている。

掃除も才能だよなぁ・・・と、姑さんを見ているといつもそう思う。

「気にせんでええよ」というのが口癖なんだけど、姑さんのお姉さんというのがまだ元気でいた頃には、一緒にやって来ては多数決に負けてしまう。姑さんよりすごい。姑さんがそこに泊まりに行くと、朝は寝ているそばからシーツを洗濯のために剥がされるらしい。食器が片付くどころかレンジを磨きながら食事している。世の中の人たちはそこまではやらないと思うんだけど、類は友を呼ぶのか性格なのか、多数決に負けそうになる。

どっちが普通なんだろう・・・

掃除や家事というのは、やる人はとことんやるし、やらない人はとことんやらない気がする。それでいて大抵の人たちはその中間くらいだと思うんだけど、その中間というのが分からない。

それにしても、昔は姑さんが来るとなると、来る前に大掃除して、来てからもなぜか大掃除になり、家中綺麗になったのを見届けてから神戸へ戻るというのが慣わしだったのだけど、今は体が動かないという愚痴ばかりだし、果たしてそれを信じてもよいのだろうか? ・・・・・悩む。

叱られるわけじゃないんだけどね・・・・もちろん。あれをやれと言われてもなかなかできない。

最初は荷解きをしながら、じっとしている。そのうち10分も経たないうちに、「まさこちゃん、雑巾ない?」と呼ばれる。嫌味じゃないのよ・・・嫌味じゃなく、じっとしていられないらしい。あっちもこっちも雑巾を持って歩き出す。そのうち、何が足りない、これを整理して、あれを捨てて・・・が始まる。性格だから・・・

そのうち、時間が余ると、娘を連れて散歩へ出かけたり・・・・とにかくじっとしているのが嫌い。何もすることがないと、「アイス、ないかな?」が始まる。カップまるごとは食べられないから、半分だけとかね。シャブ肉3枚でお腹一杯になるくらい少食。それでいて、少量のアイスやプリンを薬を飲む前に食べることが多い。家ではたまねぎをマリネにしたものやもずくなどを少しずつ食べるようにしているらしい。胃が弱いから。

ある朝、靴を磨いていたのを見た時には、さすがのわたしも驚いた。姑さんにそこまでは・・・本人はじっとしていられず、見た瞬間に手が動き出すみたいなところがあるからまるで意識していない。普通の姑さんだったら自分はやらず嫌味だけ言いそうな気がするんだけど、うちの姑さんはそうじゃなく、じっとしていられない、手を出さずにはいられない、だから何でもしてもらう、みたいになってしまう。

まるで病気のようだ・・・と思っていたら、本当に病気になってしまった。今は元気みたいだけど。綺麗好きだけど潔癖症ではないし・・・鬱があるだけで。

しばらくブログを更新できないかもしれない。いや・・・夜中にこっそり書いているかも。こうしている間にも週末は近づく。

投稿者 Blue Wind : 10:27 AM | コメント (0) | トラックバック

May 09, 2005

そろそろ夏か・・

気が付けばゴールデンウィークが終わっている・・・こんなことでいいのか?
休み前の夜、例の如く塾の先生から電話。近頃、塾の宿題をすっぽかしているので休み中にやらせてほしいという・・・

あんなんでは受からん・・・(滝のような汗)

「お母さん、ちょっとHちゃんちまで遊びに行ってくるね〜」
「いいよー、気をつけてねー」

ぐわっ、親がネットをしているのをいいことに、そそくさと遊びに行く娘。親のほうも戻ってきてからやらせたらいいかなーっとのんきにしているうちに、いつのまにか連休が終わっている・・・あまりにも危機意識に目覚め、少しみてやったら、あれじゃ受からんわ、というためいきが。「本気で受験する気があるのか」と、塾の先生が怒る気持ちも何となくわかるような・・・

そうやって言うわたしにしたところで、ちゃらぽらちゃらぽら生きてきたくちだから・・・何とかなるだろうというのは甘いのだろうか。
小指いっぽん引っ掛けて〜♪ 一夜漬けもなんのその〜♪
そんなんで大学院までやってきたのだから、それはそれでよしとしませうか・・・

なんか、こう、やたら真面目すぎる世の中についていけない。
今年は受験もあるし、夏期講習もあるから、夏の旅行をどうしようかと迷いつつ、春が過ぎ、浮かれモードになってくると1週間くらいどうということもないだろう、という気分になってしまう。勉強しても落ちる時には落ちるし・・・

人生、長いからな・・・
大地震があるかもしれないし・・・
やっぱ、ヴァカンスしないと。

投稿者 Blue Wind : 12:09 PM | コメント (0) | トラックバック

May 08, 2005

アイス珈琲の中の今

激動ということがどういうことなのかわからないけれども、いきなり革命や戦争とか?
そういうことが歴史上何回も繰り返され、ある日、生活が狂ってしまう。鎖国が素晴らしいとは思えないけど、アジアが次々と植民地化され、もしかすると戦争がなければ日本もそうなっていたかもしれない。祖国のために戦って、祖国の土を二度と踏むことのなかった人たち。

中国みたいに文化大革命とか?
ある日突然革命が起こり、蒋介石と共に台湾に逃げていった人たち。
イデオロギー的対立により、国が分断された人たち。
そんなことを考えると、ある日突然何が起こるかわからない。

そういう政治的意図はなくても、ある日突然大地震が起こり、それまで普通に暮らしていたはずなのに、突然生活や人生が狂ってしまう。
東京だっていつ大地震が起こるかも知れない。そうなると、今度は那須が遷都されるのだろうか。首都の移転の話はずっと前からあり、実行されない理由が何なのかわからない。行政府の街は単独で存在していたほうがよいのかもしれないし、東京みたいに何もかもがごっちゃになっていると非常に危険。そんなことはわかっているはずなのに、世の中は何もなければ変わらない。

茨城は地震が多い。発生するたびに記録するのがクセになってしまっている。新潟地震の時も揺れたし、その後、震度5、震度6の地震が発生したというのに街の中はまるで変わらない。これより大きな地震が来たらどうしようかと思いながら、その都度わたしはアイスコーヒーのコップを眺める。これが倒れるか倒れないかが大地震かどうかの基準になってしまった。今のところ、震度6近い揺れでも倒れないところを見ると、地盤というのがいかに大切かわかる。
それと、マンションの高層階だったりすると、そりゃ地上よりも揺れることは想像に難くない。テレビの報道を待つよりも目の前のアイスコーヒーを信じる。

それでいてなんと言ったらよいのだろう・・・村の中で唯一転勤のある仕事が駐在さんとか?
つくば市内の小学生の作文。今でもその衝撃を忘れられない。同じつくば市内に住んでいるはずなんだけど・・・しかもそれほど離れているとは思えない。

ちょっとクルマを走らせて、新治村のほうまで遠征すると、忍者屋敷がある。水戸藩のお膝元なので柳生一族の忍者の末裔が住んでいるのもあの辺らしい。パッと見ると何の変哲もない農家。道路を走っていると古い家屋が見える。それが不思議なことにすぐそこに見えるのに、そこにたどり着くまでにぐるっと大回りする必要がある。

国道を走り、看板を曲がり、さらにさっき見えた家の方角まで引き返す。国道ともう一本並行する道の間には田んぼが続く。普通だったら道の一つもあるはずなのに、曲がり角がない。あぜ道すらなかったような・・・遠回りしないとたどり着けないようになっている。そこが忍者屋敷っぽい。ごく普通に見えるのに、何かどこかがトリッキー。

そこで延々と国道に並行する道を走り、この辺じゃなかったかな・・・と検討をつけるんだけど、今度は家が見えない。国道からははっきり見えたのに。そこがまた不思議。今は看板があるので曲がる。すると本当にここでいいのだろうか、と思うような普通の道を進み、うっかり通り過ぎてしまうような平凡な木の壁。ちょうど曲がり道に差し掛かり、何となく通過してしまう。そこが目当ての屋敷。

中に入ると、これまた平凡で小さな家屋があり、物干し竿だと思ったら忍術の練習用の棹だったり・・・広い土間の奥に小さな入り口があり、畳み一畳分くらいの広さの隠し部屋がある。押入れと床の間の壁(トイレの壁だったかな・・忘れた)が入り口になっていて、土間からの入り口を含めると3箇所出入り口があることになる。狭い狭い。そこから外へ出ると裏は田んぼ。

以前、金沢か能登半島か忘れてしまったけれども、そこのからくり屋敷は本当にものものしかったけれども、新治村の忍者屋敷は屋敷ではなく、小さな農家という感じ。昔はいくつもああいう家があったらしいけど、今ではその家が保存されているだけ。今でも誰かが暮らしていそうな雰囲気すらある。ひっそりと目立たず、敵の手を逃れるための工夫がそれとなくされている。あまりにも自然に存在しているところがリアリズム。

投稿者 Blue Wind : 02:07 AM | コメント (0) | トラックバック

May 06, 2005

他愛もない時代

このところ風邪をひいていて、頭がぼぉ〜っとする。それでいて何となく暑いので半袖を着ている。それでいて夜の道をとぼとぼ3人でレストランに向かって歩いていたら、よせばいいのにそういうときに限って歩いていくことになり、向かいから来た犬を連れている人がわたしをギョロリとした目で眺める。あちらは厚手のジャケットを寒そうに羽織り、わたしは半袖で震えている・・・そりゃ互いに目も合うだろう。

クルマだったら半袖でもジャケットでも別に気にしない。店の中に入ってしまえば寒いわけでもないし・・・でも、さすがに歩きだと寒かった。途中で家に帰りたくなったけど、我慢しながら歩く。歩いた結果目当ての店は満席の札。

だから午前中に予約を入れたらよかったのに・・・と思いながら、うちのダンナにしてみればたかが学生街のレストランだと思ってバカにしている。GWだからこそ予約で一杯。お好み焼き屋の前も、学生のグループがずっと席が空くのを外で待っている。仕方がないのでとぼとぼとひきかえし、別のレストランへ入った。そこもほぼ満席状態。

GWだというのに旅行へ行くわけでもないとなると、せいぜい食事に行くくらいだろう。それと新歓の季節なのでどこも学生が多い。この時期を過ぎてしまうと、大抵どこの店もがら空きになる。レストランの隣の席では、カップルが勉強していた。混雑したレストランというのは実は学生が試験前にたむろしていたりするから混んでいるだけのこともある。

******

ジャンルを変更して、1週間が経過。
少しずつブログの内容も変わりつつある。わざとではないんだけど、何となく気分が違うから、としか語れない。視点なんだろうな・・・例えば国家という大きな流れの中で考える教育と、日常的に発生する出来事と、同時進行で考えるには個人差がありすぎる。その昔日本でも学生運動があり、国家と学生が衝突していた時代もある。おそらくはわたしはその頃に生まれたのかもしれないし、医者や研究者でも当時の流れの中にいた人たちも案外多いけど、もう遠い夢のようだ。いざ反日デモを観察し、それに対する中国政府の姿勢などを観察していると不思議な気分に陥る。

日本の学生が日米安保に反対し、学生運動。東京オリンピック。
わたしの子どもの頃には、日の丸的悲壮感が漂っていたオリンピック。
選手が悲壮なまでに日の丸を背負っていた時代のことを考えると、あれは何だったのだろう、という気がする。

去年の夏はイタリアのテレビでアテネオリンピックを観ていた。日本の選手がほとんど映らない。それどころかイタリアの場合はイタリア人選手しか映さないのではないかと思ってしまうくらいわかりやすい。考えてみたら、世界の祭典とは言うけれど、実際には報道とはナショナリズムとコマーシャリズムの権化。今までそういうことを意識したことはないけれども、日本にいたら日本人選手の活躍のニュースばかりなんだろう。それが当たり前だから気が付かないだけのことで。

日本のテレビは・・・・と言えば、今はJR西日本の事故の話題ばかり。

正直に語れば、ニュースを見ているより親子で休日をのんびり庭仕事をしているほうが楽しい。もう何年も鉄道のない街で暮らしていることに気が付いた。その代わり台風や雪の日になれば大抵は交通事故のためにパトカーが停まっている。

スーパーが24時間営業になって2ヶ月が経過したらしい。この前初めて行ってみたけど、案外客がいる。レジや入り口にガードマンがびったり張り付いている。そこがコンビニとは違う。店内は賑やかな音楽が流れ、店内放送がいつもと変わらずに流れている。それでいてどこかものものしかった。夜中でも客が多いレンタル・ショップとはそこが違う。おそらくは防犯カメラがフル稼働しているのだろう。それでも真夜中に主婦が何の衒いもなく買い物に行けるんだから治安はよい。

鉄道と真夜中のスーパーとどちらが危険だろう・・・わからない。

******

で、再び、ジャンル変更の感想。

文学は個の世界だから・・・主人公の誰某さんがどうしたこうしたの世界。多くは、他人の人生の間借りだ。それだけで足りなくなると歴史的背景の説明が長く続く作品もある。その時代の人たちにとっては理解できない感覚だけど、後世になってしまうとそれがどうして必要なのか理解できる。だってわからないもの・・・もはや過ぎてしまった時代や出来事は。仮に同じ人間が違う時代に生きていれば違う人生や価値観を持って生きているかもしれないし、人生そのものも変わってしまったかもしれない。

でも、まあ、親には親の人生があるし、そのまた親にも親の人生があるし、そうやって考えると自分の子孫が仮にいるとして、その子たちがどこでどうやって暮らしているのか想像もつかない。ババアとしてはまだ見ぬ子たちが無事にハッピーに生きていってくれたらよしとしませう。10代も遡ると何万人も子孫がいる計算になるけど・・・昔は特に子沢山だし・・・

教育というのは・・・社会をつくり出すものであり、政策の一部。そこが塾や寺子屋とは違う。学ぶだけなら学校は要らない。それでいて自分の受けた教育に値打ちがあったのかどうかいまだに懐疑的だ。それでいて大して不幸でもないのだから、それはそれでよしとしますか・・・

つまり・・・・同じわたしという人のことでも、書いていて何となく気分が違う。それが教育と文学の違い。

投稿者 Blue Wind : 01:25 PM | コメント (0) | トラックバック

May 04, 2005

楽しい幻想

昔はよかったなぁ・・・
なんてことを考えるようになったということは、わたしもババアになったのだろう。

うちのブログ・・・・検索キーワードの中に毎日「NEET」 が含まれている。よっぽど社会的関心が高いのかも。少なくても就職活動している人たちはこれに含まれないんだけど、無職や失業中の人が使っているのを発見。「ぷー=NEET」ではない。

NEET(Not in Employment, Education or Training)の定義: 学生でもなく、就業者でもなく、求職「活動」もしておらず、主婦(主夫)でもないという者をさす。

わたしはバブルな時代に学生をしていたため、まずは就職難という言葉があるなんてことを知らない。勝手にフリーターをしている人たちはたくさんいたけど、職が無いということが無い。ただし、土地が異常に高かったので一生働いても家が買えないのではないかという不安はあった。このため当時宮沢さんだったかな・・・蔵相の「年収の5倍で家が買えるようにする」という政策発表があり、その直後から一気に流れが変わっていった。

何年か前に、不意に入ったチャット部屋に大学生たちが集っていた。それでね・・・彼らにバブルと言っても通じない。「学生が外車乗っていたり、親にマンションを買ってもらっているのが当たり前だったのよ」って言ったら異常に驚いていた。当時流行っていたのがアルファ・キュービック。つまらないブラウス一枚4万円くらいした。今、どうなってしまったのだろう・・・あのお店。それが学生の間で流行っていたのだもの・・・そういう時代だった。

関東と関西は流行が違って、関西はさらに大阪・神戸・京都では流行が違う。だから、夏休みが過ぎ、関西の子たちが戻ってくるとまた流行が変わる。あらゆるブランド物が横行し、ちょっとめずらしいものを見つけるとチェック。それが2ヵ月後には雑誌に取り上げられるとちまたに溢れる・・・という時代だった。

わたしが茨城に来たのは、ちょうど都内の地価が下がり始めて数年経った頃。地価は下がるのに家賃はなかなか下がらなかったのが一気に下がり出し、それでいて金利が安くなったために借りるより買ったほうが安くすむという時代。銀行の支店が次々と封鎖され、物価がどんどん下がる。あっさり語れば、主婦にとっては物価が安くなるというのは有り難く、不景気を深く考えたことはなかった。

都市銀の支店が閉鎖される中、変わらない常陽銀行。ダイエーは潰れたけど増殖するカスミ。ローカルって強い。

結局、大きく考えるから生きていくのが大変な気がするだけで、小さく考えればどうということもない。

家庭訪問の時に先生が、
「・・・・・・今から美術と決めても本人次第だし、就職も大変ですからね・・・・・・」
とお決まりのセリフ。

そんなことは最初から分かっている。昔から言われていることだし・・・・娘が美術の先生になりたいって言うのだからそれも一つ分かりやすい選択だし、美大を出たらどこかへまた服飾でもデザインでも留学させてもいいし、就職先が無ければ、くま先生のところで雇ってもらえばいい。お弟子さんの就職難につき、どういうわけか増殖する美術教室に美術専門予備校。やる気に満ちあふれ、子どもの頃から集っている人たちが気ままにやっているせいか合格実績が高く、気がついたらあちこちに増殖している。

そこでちまちま絵を教えながら自分のやりたいことを探してもいいし・・・
くま先生自身が、「チャンスを待て」という性格だから、子どもたちのを絵を集めてはあちこちのイベントに送っている。地元で話題になればアート展とかね・・・わたしにはもはや詳しいことは分からない。でも、現役の流れでずっと来ているせいか、アクティブ。お弟子さんたちが若いからなんだろう。

楽しそうでしょ?

大学を出て、どこかの企業に就職して・・・という流れもいいけど、そうやって子どもの頃からの流れで散っては集まり、また流れていっては戻ってくる。そういう流れの中で、娘も大学へ行ったり、留学したり、学んだことを互いに活性化の一部として消化していく。子どもたちに伝えていく。

つくばは基本的にサイエンスの街だから、そういう世界でそういう人たちがいてもいいのではないかと。

まあ・・・・・・もしかすると、それはわたしの幻想なのかもしれないけど。
楽しい幻想だ。

投稿者 Blue Wind : 09:24 AM | コメント (0) | トラックバック

May 03, 2005

風邪薬

声が出なくなるほどの風邪をひいたのは何年ぶりだろう。あまりにも本格的な風邪なので、先週娘のために買ってきた風邪薬を飲んだら、ひたすら眠くなる。日頃薬を飲まないせいか、飲むとやたらと効いてしまう。おかげで薬を飲んで眠りこけていたら一日が終わっていた。そこでまたネットをし、さらに24時間営業のスーパーへ行って夕飯の分の買い物まで済ませてきた。一体何をやってるのだろう・・・

注意書きを読むと、「服用後、乗り物又は機械類の運転操作をしないでください」と書いてある。

これを書きながらまた薬を飲んだ。
頭が朦朧としてきた。
なんなんだ、風邪薬って・・・

投稿者 Blue Wind : 03:14 AM | コメント (0) | トラックバック

May 01, 2005

風通しのよい街

わたしはつくば市に住んで10年半くらいだろうか・・・その前に少し土浦市にもいたので茨城県に住んで12年くらい。

ある日突然、ダンナがあみだくじに負けてこちらに来ることになった。当時は僻地手当てというのがあるくらい誰も住みたがらなかった。1年の予定だったし、あみだくじに負けたとき、勝った人たちが餞別に5万円ずつカンパしてくれた。つまり金を払ってでも行きたくないというのが世論だった。わたしはその訃報、・・・じゃなかった、その報せをダンナから聞いたとき目の前が真っ暗になった。

でも、住めば都というわけじゃないけど、次第に東京に戻るのが嫌になり、妊娠6ヶ月で移転してきて、娘が生まれた頃にはすでに戻る意志が欠如。もしかすると娘がいなかったら違ったかもしれない。

どこが違うかというと、土浦に住んでいたとき、知らない人たちばかりなのに、会う人会う人が話しかけてくる。わたしにではなく、娘に・・・お腹の中にいても、赤ちゃんでも、不思議なくらい茨城の人たちは赤ちゃんが好き。

たまに用事があって都内へ行くと、渋滞待ちする高速バスの中では子どもが泣くと苛々して「うるさい」と怒鳴る人がいる。電車の中でも寝たふりする人たち。ぐずる娘をずっと抱っこしたままひたすら疲れ果てる。

それが不思議なことに常磐線に乗ると、必ず誰かが席を代わってくれる。自分が子どもの頃の東京はそういう感じだった・・・江戸の風情というか・・・ところがいざ自分が子どもを連れて歩いてみると、そこには知らない世界が広がるばかり。

******

つくば市の歴史は浅い。

昭和38年、研究学園都市を建設することが閣議決定。
昭和60年、EXPO’85国際科学技術博覧会の開催。
昭和62年、「つくば市」が誕生。

このように眺めてみると、エキスポが開催された頃はまだつくば市ではなかった。エキスポを開催し、国際科学技術都市「サイエンスシティつくば」をキャッチフレーズに、当時はまだ幻の都市だったつくばを世界に向けてアピールした後に、どうにか6町村の合併に合意がなされたというのが実情なのかもしれない。

だから、物理的に街らしきものはあるんだけど、行政はバラバラで、ややもするとあちこちの庁舎をたらいまわしにされるということもざらである。総務は矢田部、ゴミのことは豊里、という具合にゴミの収集所を一つ開設するだけでも自治会をつくってからとか、許可が必要とか、ゴミの収集所はあるのにそれを使うだけのことがやたらと大変。

これをしなかったばかりに粗大ゴミの街と化した学生街のブロックもあり、そのように言われるとそうなのかもしれないけど、毎日ゴミの収集車はその前を走っているんだし、収集場所もあらかじめつくられている。なのに行政の対応はすこぶる悪い。管轄が違うかららしい。市役所がいくつも点在している感じ。

結局、国が先に動いて街が勝手につくられたために、物理的には街としての器は存在しているのに(例えば道路や学校、公園など)、いざ住んでみるとあれが足りない、これが足りないということになり、30年以上住んでいる人たちは最初はスーパーもなかったから農家の朝市などで物資を購入していたそう。
それでも初期の頃には一戸建ての官舎もあり、どこの家にも花が美しく咲いていたものだった。去年くらいからそれが取り壊されることになり、マンション群になるらしい。

今年の夏にはつくばエキスプレスが開通し、ますます人口が増える。今までだったら公立の学校も越境できたのに急にシビアになる。つまり、人口の増加を見越して、器が足りなくなるかららしい。そのせいか今までだったら高校からしかなかった私立が数年前から急に中等部を併設するようになった。

ちょっと前まで茨城というだけで僻地手当てが付いていたし、僻地扱いになるから防衛大出身者も多かった。それがね・・・この数年の間に、急に僻地ではないということになり、手当てがカットされてめちゃくちゃ怒っている人たちも多い。初年で4万円、勤続年数に応じて13万円くらいかな・・・それがいきなり一律カットだもの。都内のほうがもっと不景気の煽りで大変なことになっているらしく、そのしわ寄せが地方にやってくる。

いっそのこと都内を切り捨てたほうが儲かるかもしれん・・・

政治も変わるし、国が先に動いて出来てしまったこの街に住んでいると、上が勝手に決めてもトラブるだけで損な気がすることが多い。福祉だって都市ごとにまるで違う。教育もそうかもしれない。住民同士の価値観も違うし・・・

このところの自分を観察していると、どうも過密に堪えられなくなっているらしい。

投稿者 Blue Wind : 02:27 PM | コメント (0) | トラックバック

April 28, 2005

番犬

うちの近所は、空き巣被害やコンビニ強盗などが結構多い。コンビニ強盗は東南アジア系の窃盗団という話なんだけど、学生街でもあり、外国人が多い土地柄でもあり、いつの間にやらスーパーが24時間営業になり、レストランや大型店舗が乱立するようになったせいか、便利は便利なんだけどセキュリティには案外気を使う。

もともとは研究所と住宅というコンセプトのブロックなのに、不景気で研究所用地も売れ残っている。そのため国際会議場やホテルを建設できるように条例を変えるというので、住民側が怒ってこの前まで市議で揉めていた。

つくばエキスプレスがこの夏に開通する。駅周辺はマンションの建設ラッシュ。一日で完売。

つくばって職住接近ですごくのんびりしていたところで、デパートを歩いていても知り合いと出くわす。友達が働いている。子どもを連れて立ち話。そういうのどかな世界だったのに、次第に街の雰囲気も変わり始めた。

去年、家の鍵が壊れたので、イスラエル製の鍵にした。輸入住宅なので、うちの家のドアに付けられるのはアメリカ製かイスラエル製。このうちピッキング防止機能が付いているのはイスラエル製の鍵だというのでそちらに変えた。

冗談抜きに、昼寝をしていたらオトくん(ミニチュア・ピンシャーのオス)が吠えるので玄関へ出たらドア越しに帽子を被ったサングラスのおじさんが見えた。ドアにガラスが填められているために誰が来たかシルエットで分かる。インターフォンが鳴ったので出ようとしたとたん何事もなかったかのようにその男は去って行った。

そんなことを考えると、娘一人では心もとない。オトくんがいるのといないのとでは安心感が違う。

オトは小さいし、普段は猫のようにおとなしいけど、いざとなると吠えるし噛むし、寝ていたと思ったら急に起き上がり外敵に立ち向かう。完璧に番犬気質。家の中で飼っているだけなので、わたしでさえひょいって持ち上げられるほど小さいのに、それが誰か来ると豹変してしまう。そんな時に制止しようとしたら噛まれる。わたしも3回噛まれた。

それでも最初の頃みたいにドアを飛び出してまで、ということはなくなり、昔だったらドアをカリカリ開けるのも一苦労だったけど、今はせいぜい後ろで吠えているだけになった。吠えるのをやめさせることはど〜っしてもできない。

散歩の時にはおとなしい。でも、ダンナが連れて行く時には公園中を走り回るのに、わたしが一緒の時にはどういうわけかわたしの足下にくっついて座っている。その代わり植木の手入れしているおじさんには吠え掛かるし、近所の人と立ち話をしていても吠えるし、困ったヤツである。要するに、番犬だから、手綱を引いているのはわたしなのに、オトにしてみればわたしを守っているらしい。わたしのほうがつおいと思うんだけど・・・気のせいなんだろうか。

来客の時には、2階に閉じ込めなければならない。それでもわたしが気づくよりオトのほうがずっと早いので、これが一苦労。

でも、うちのダンナが言っていたけど、犬を飼うと高血圧の人は血圧が下がるというデータがあるらしい。わたしが怒る前に勝手に吠え掛かってくれたら、飼い主はぼぉ〜っとしているだけだから気楽なのかも。ちなみにわたしは低血圧なんだけど。不思議なことに猫ではダメだというから、高血圧の人は犬を飼うべきかも。犬は飼い主には忠実だからね。

というわけで、番犬でもあるし、愛犬でもあるし、多少の粗相を我慢すれば健康面でも精神面でも安全面でも犬がブームになるのは当たり前のような気がする。

投稿者 Blue Wind : 10:59 AM | コメント (0) | トラックバック

April 27, 2005

気になる通販

昨日、娘の担任の家庭訪問があり、3年生の時と同じ先生。この3年の間に、家の中の様子はほとんど変わらず、壁紙が汚れたとか、家具が壊れたとか、テレビが新しくなったとか、庭の様子が変わったとか、おそらくは咄嗟のうちにわたしの脳裡の中がぐるぐる回った。

考えてみればこの家に住んで8年以上経ったわけだし、去年の暮れ、隣の家も少し改装していたようだし、わが家もそういう時期なのかもしれない。

今日はやたらお天気がよく、ずっと庭のドアを開け放している。朝から草刈などをし、労働のせいか少し眠い。それでも懲りずにネットをしているという・・・日課とは恐ろしい。本当は、旗持ち当番だったので何となくそのままドライブしてガーデンセンターへ行きたいようなお天気だったのだけど、さすがに朝はどこも開いていない。

すかさずダイレクト・メール。(メルマガのこと)



これ、欲しいですよね・・・うつらうつらしながら、ぼぉ〜っとしているうちに勝手にロボットが家の中をお掃除してくれるなんて。ただし、拭き掃除やワックス掛けまでやってくれそうな形なので、もう少し待つとそういうタイプが出るかもしれない。そういうのってタッチの差だから。

ついでにサーフィン。

お気に入りのラタンのソファを娘に壊されて、座ると抜ける。修理しようかと思ったんだけど、よく考えたら修理やカバーを買うよりソファごと買い換えたほうが安い。時代が違うんだろう・・・なんか悔しくもありうれしくもあり、複雑な気分。

そこで見つけたのが、このコーナーソファ。色違いもある。雰囲気も形もよいし、気に入ったのはよいけど、納期に3ヶ月かかる、とある。気の短いわたしがそんなに待てるだろうか・・・3ヵ月後は夏休み。予定は未定。

迷う。


違うサイトだけど、どこに置くのだろうと思いながら、何となく座りたくなるような雰囲気。いっそのこと部屋の模様替えをしてしまうとか。

ネットで買い物するのは航空券くらいだと思っていたんだけど、このところ何となくカタログを眺めるようにサーフィンしている。

投稿者 Blue Wind : 12:21 PM | コメント (0) | トラックバック

April 26, 2005

気まぐれな遭遇

⇒トラステへのトラバ: 「あの本の文庫化が待たれる!」

最初、このお題を見たとき、「はあ?」って思った。
本というか、小説の好きな人たちって、そういうものだということを初めて知る。

わたしは、文庫以外で小説などの類を買うという習慣がない。つまり、大抵は文庫でしか買わない。文庫化されるのを待つというより、そういうものだと思ってきた。しかも、読んだら捨ててしまうために、小説は僅かしか手元にない。

読んだら捨てるという習慣は母のせいである。文庫は虫が発生しやすいために、古くなる前に誰かにあげたり、捨ててしまう。つまり、文庫というのは雑誌みたいなものらしい。

それなのにどうしてハードカバーの小説がわが家にあるのかというと、コープで注文して買っていたから。

推理小説以外の小説を最後に買って読んだのはいつだろう・・・おそらくは、渡辺淳一の『失楽園』か、トールキンの『指輪物語』。思い出せない。それ以後、文庫で数冊とハリーポッターを買ったけれども未読のまま積んである気がする。大抵はコープか、成田空港で購入したもの。

どうしてコープを利用していたかというと、割引があるのと、話題の本が多いということと、現実問題、子どもを連れて本屋へ行くのは酷くためらわれ、狭い通路に立ち読みの人たちの背が並びすぐにぶつかるし、ベビーカーは邪魔だし、万が一子どもが触って本によだれがついたらどうしようとか、親が本を選んでいるうちに子どもが本を破いていたらどうしよう・・・とか、子連れにとっては本屋は鬼門である。

それと、夥しいほどの育児書を読み、生まれたら今度は絵本を買い、自分のために本を買ったり読んだりすることがめっきり減った。あっさり語れば、のんびり本を読む時間が出来たのは、娘が幼稚園へ行くようになってからである。いただく本もシュタイナー教育とか、教育関係の本が多くなる。でも、そういう時間の大半は、子どものための通販カタログなどを眺めているうちに終わってしまった。

やがて、仕事を始める人が増え、この辺りには庭のある家が多いので、ガーデニングの本がメインで並んでいる本屋も多い。生活の楽しみは読書から旅行や週末のガーデニングに変わり、旅行記や写真集を買うようになる。

旅行へ行くときには、哲学書か詩歌集を持って行く。強烈な太陽の下で本を読んでも頭の中に入らない。だから少しずつ含みのある文字を好むようになる。歩き回るような旅では夜は疲れてビールを2,3本飲んだら寝てしまう。

まるで異国の出来事のようだ・・・文庫化を待つ、というのは。

投稿者 Blue Wind : 11:56 PM | コメント (0) | トラックバック

April 23, 2005

遺伝子の流出

それにしても20人に1人が国際結婚とは・・・1クラスに2人と考えれば普通のような気もするけど。国際結婚でなくても海外に赴任している家族の多さを考えると、子世代になると日本に戻ってくる気がないとかね。いずれにせよ、気のせいかもしれないけど、嫁さんを連れてくるより、お嫁に行っちゃうパターンのほうが多い。

ダンナの従姉もオーストラリアから戻ってくる予定はない。本人の仕事のこともあるけど、ダンナが日本では働けないかららしい。日本人と結婚したって、今は親の世話などする時代ではないから、結局、遠くに住んでいるのなら海外も国内も大して差がない気がする・・・親にとっては。それでいて一人娘だというのに・・・先にお墓を買ってしまったのを深く後悔しているらしい。1人になってしまったら親のほうが娘の傍に行くしかない。

かく言うわが家だって娘が将来隣に家でも建てて住んでくれるなら話は別だけど、大抵は仕事の都合でどこに住むかも分からないし、それでいて少子化の影響で子どもの奪い合いになることを考えると、今から憂鬱になる。一人娘なんだから・・・と思っても、一人っ子が多いからお互いさまとばかりに幼稚園の運動会へ行っても親や祖父母の数のほうがずっと多いことを考えると、日本人と結婚するのはやめて海外で暮らしていてくれたほうが気楽な気がするほど。

大体、結婚式のことを考えただけでも憂鬱になるではないか・・・日頃付き合いもない親戚とか、やたら長生きしている人たちを招いて何になるというのだろう。出席してほしくもない上司に仲人を頼んだり・・・葬式の次に面倒なのが披露宴。2人だけで海外で挙式というのがどうして流行るのか理解できる。それでいて、結婚となると相手方というのがあるから、勝手に決められない。

だんだんサマンサのママの気持ちが分かるようになっていってしまう。困った。娘と孫だけいればいいのよね。婿は留守がちがいいし、婿の実家からは遠く離れているほうがいいし、それでいて娘とはいえ、一緒に住むのはつらい。独身だったらかまわないけど、結婚したら別の家庭だもの。

娘を留学させる時には気をつけよう。婿を拾ってくる可能性が高い。娘の結婚と同時に改宗してしまうという一発逆転もありいか?

考えよう。

それにしても、日本人の血を引く外国人がたくさんいるというのも不思議だ。そのうち法律も変わるかもしれない。

投稿者 Blue Wind : 11:40 AM | コメント (0) | トラックバック

April 21, 2005

調和のとれた人生に憧れる・・

結局、レールのある人生しか知らない人たちに、わたしの父のことを説明するのはいつも困難である。気がついた人もいるかもしれないけど、わたしの実家はゴルフ場を経営していた。ちょうどゴルフの大衆化の時代に便乗し、潰れかけたゴルフ場の経営権を買い取り、商売を始めた。たまたまそれが成功したために、全国に父がプロデュースしたゴルフ場やスキー場は多い。天職ってあるんだろう・・・北海道の片田舎出身の父にとって、山は熟知した世界でもあり、子どもの頃からの遊び場であり、雪が降ればクローズしてしまうゴルフ場が多い中、雪を熟知している父は朝からスコップを持って自ら穴を掘り、根雪を溶かす。このため、ますます繁盛した。

母は根っからの都会育ちのため、山には住めない。田舎で土地の人たちを相手に地方名士の奥さんをしていられるタイプではない。考えただけで憂鬱になるらしい。このため下界に降りて仕事をしていた。

今日は朝から庭の雑草と格闘し、そういえば札幌の家の庭も相当荒れていたことを思い出した。母に庭仕事なんてできるわけがない。母が札幌を逃げ出したのは、雪が原因である。毎朝の雪かきという重労働に耐えられなかったのが原因かもしれない。それと根っからの江戸っ子のために、東京から離れるのがいやだったのかも。

父にも普通に生きていた時代もあり、兄弟の中で1人だけ大学を出ていない父は、最初は田舎の役場に勤めていたそう。すぐ下の叔父さんは子どもの頃から秀才で北大を特待生で卒業し、あそこの3姉妹は上2人が東大卒、3人まとめて東大の大学院まで出ている。このため父の代の学歴コンプレックスはわたしの代にも続いている。今でも、敗戦後すぐの昭和天皇の全国行脚の時に拝謁した子どもということで、叔父のほうが地元では有名人。父は学校をさぼって山で昼寝していた。

大体、父のようなわがままなやつが田舎の役場に勤めていられるわけがない。結局、上司と喧嘩して飛び出し、札幌へ。その次には敗戦後ということもあって、祖父も亡くなっていたし、東京の祖母の実家を頼って上京し商売を始めた。父の話を書くだけで、小説を書けそうな気がするくらい波乱万丈で面白い。でも、時代も大変な時代だったし、何度か商売にも失敗し、とにかくオール・オア・ナッシングみたいな性格だから、サラリーマンなんてとてもやれる器ではないし、ひたすら商売あるのみ。金こそすべて。どちらかといえば体育会系のタフさがあったから、続けていられたのかも。

そんな風に考えると、母は母で平凡なサラリーマンの奥さんができるタイプではなかったし、男勝り。姉妹ばかりで、兄弟がいなかったせいで、男の子のように育てられた。

わたしの親は変な人たちだったけど、案外、普通の家庭に育っている。父なんてまるきり保守的で、かなりまともなのである、言うことは。どこで人生が狂ってしまったのだろう・・・やっぱ、大学を出ていなかったせいなのかもしれない。いや、金がないとか元々興味がないというのなら別なんでしょうけど、そういう家庭ではなく、わりに教育熱心な家庭だったらしい。朝からお経聞いてるとかね・・・(あーなんなんだ) だから、わたしは叔父さんたちの説教が大嫌い。つまらん。それが勉強もしないで学校さぼってばかりの父はおばあちゃん子で甘やかされたせいで、学歴がない。そういう劣等感があったから、一発逆転的人生を歩むことになっただけ。

調和のとれた人生に憧れる。

・・・・・・・というわけで、わたしはそれなりに学歴はあるのに、ちゃらんぽらんに生きている。普通の主婦といえば聞こえはいい。

自分で商売するだけなら、学歴も資格も要らない。なまじかそういうものがあるから何もできないのかもしれないと、たまに思う。それでいてわたしは働いたことがない。がんじがらめの保守でもないし、それでいて改革派でもないらしいし、宙に浮いたまま加齢している。

やっぱ、研究室で切り貼りしていたり、家でおとなしくうたを詠んでいるくらいしか生きる道はないのかもしれない。もうババアだからなんでもいいけど。

投稿者 Blue Wind : 10:51 AM | コメント (0) | トラックバック

April 20, 2005

わたしの父

わたしの父は活字に人生を求めるタイプではなかったので、朝起きると軽く何かを食べ(柑橘類が好きだった)、ハーフを回り、お風呂に入り、それから仕事。そうしないと低血圧だから体調が悪いらしく、それが日課だった。

たまの休日、めずらしく家にいる日に父が観るテレビといえば、ゴルフ、競馬、天気予報、野球、相撲、格闘技、スポーツニュース。たまに、バラエティ。趣味は麻雀。億単位の仕事を爺さんたちが賭ける。それが社交であり娯楽だった。競馬が好きで、当然馬主。

それでいてふさぎこんでいる時もあり、そういう時には発作で旅に出る。わたしの学校にまで迎えに来る。いつも突然。

父は1ヶ月のうち数日くらいしか家にいなかった。いつも仕事で飛び回っていて、母も仕事をしているし、その分父が家にいる日には、絶対的な権限で呼び戻された。家族で過ごす時間というのは貴重であり、その時には学校も仕事も関係なく、どうしてあんなにわがままなのか不思議だったけど、旅行で飛行機に乗る日は必ず4人で乗ることになっていた。そうしないと飛行機というのは墜落するものであるという恐怖が父にあるために、いたたまれなくなってしまうらしい。

こよなく自由を愛し、こよなく家族を愛し、それでいていつもたくさんの人たちに囲まれているのが好きで、家族からすれば厄介な父だった。晩年は癌ということもあり、病院にいることが多かったけど、すぐに脱走する。着替えてタクシーに乗り、近くのギャンブル場へ行く。病人に思われるのがいやなので、病院の裏手でいつも歩く練習をし、それが終わると点滴の管をつけたまま院内を歩き回る。実際、着替えてしまうと病人には見えず、病室から職場に電話をする。医者の言うことなんて聞かない。看護婦がブスだと気に入らない。病人なのにポマードを使っているので、薬物が検出されてしまうらしい。

あんなにわがままな男をわたしはほかに知らない。

それでいて考え事をしている時に話しかけても反応しない。何やらこむずかしいことを考えていることは分かったけれども、そういう時の父には話しかけないことである。子どもが好きで、小動物が好きで、娘は着飾っているのが好きで、美しいものが好きで、美味しいものが好きで、オシャレな人だった。例えば、ネクタイよりスカーフを好むような・・・それが嫌味でないところが父のセンスのよさだった。

・・・・・・・・・・・・・・なかなか父のような男はいないのよね。ジーザス・マイ・ラブ彼氏なの。ためいき。

投稿者 Blue Wind : 01:02 PM | コメント (0) | トラックバック

April 18, 2005

怠惰な忙しさ

やらなければならないこともそれなりにあるし、やりたいこともそれなりにあるし、何をやるにも時間が足りないという気がするのに、ヒマだ。要するに、怠惰な気分に浸っているからヒマがあるような気がするだけだし、気力に満ちあふれれば時間は足りない。

タスクというわけではないけれども、次から次へとやろうと思えばステップは続く。中学の頃、そういう怠惰なことを言い出したら、いきなりシュトルムの詩集を渡された。わたしはリルケのほうがよかったのに、なんでだろう・・・リルケは友達のほうに行き、わたしにはシュトルムだ。それ以来、わたしはシュトルムが嫌いになった。

シュトルムが嫌いになったのではなく、シュトルムを渡されたことが気に入らなかっただけ。だから、結局、読まないうちに紛失してしまった。

はたまたこういう怠惰な気分の時に、めがねをきらりん☆とさせて、いきなり彼女は黒板にラッセルの『西洋哲学史』を書き出した。「ふふん、これくらい高校生なら読んでいて当然よ」と言わんばかりの小憎たらしさにあのえこひいきの権化を考えると、わたしは読みたくもないのについ全4巻のラッセル卿の書籍を本屋で取り寄せた。読んだら結構面白かった。

大学へ行き、文学部だし、文学少女なら文学を専攻すればいいのに、わたしが一番面白かった教養課程の授業は人間生物学。生理心理学とかね・・・屈折したまま精神物理学。嫌いな統計。嫌いなパソコン。あれにこれに嫌いだ、苦手だと喚きながら次第にのめりこんでいった。

結婚したくない、子どもは要らない、医者は嫌い、あれにこれにと嫌いなもののオンパレードの中、嫌いな方向へ人生は進んで行った。

考えてみたら筑波もそうかもしれない。大学受験の頃、ドライブがてらつくばに来た時、こんな田舎で大学生活を過ごしたくないというだけの理由で、その後大学院の受験すらやめることにしたにもかかわらず、気がつけば住み着いている。

ちょっとした気まぐれなのよね・・・いつも。

短歌も単なるイメージの問題なのかもしれないけど、まるきり嫌いだった。いやだいやだと思っていると、どうも磁石のように反対の極へ惹きつけられるかのよう。これではいけない。でも、好きなことだけやっていると飽きてくるし、ネガティブな刺激はそれなりに活力にもなる。

バランス感覚なのかもしれない。

偏食というわけではないけれども、好きなものしか入れないおでんがまずいように、それなりに嫌いなものを入れるから味が出る。それでいて、姑さんはいつもわたしに言う、「好きなことをやれていいね」と。嫌味でもあるし、本音でもあるし、羨ましいのかもしれないし、憎たらしいのかもしれない。

ネットも好きで始めたわけでもなく、CGIなんて半ば強引に覚えさせられた。教え方が上手だったのかもしれないけど、あっという間に覚えてしまった。ただし、初歩的知識だけ。自分でプログラムは書けない。うっかり怠惰な気分でいると、次から次へとタスクを積みたがる人たちが多いので気をつけねば。

旧約聖書の続きもまだ読んでいないし、読もうと思っている歌集も多いし、それでいて怠惰に支配され、またCSSをいじって遊んでいる。最初は分らなくても、てきとーにいじっているうちに、何となく分るようになる。極めて少ない言語。ただし、それがどのように表示されるのかは慣れとしか思えない。線の太さや色は特にそう。

とりあえず、今やりたいことをやろう。覚えたいことはガーデニングだけど、近頃、雑草を抜くのも下手だということを自覚し、もっと手際よくやってみたいのにどうもうまく行かない。道具の使い方が下手なのかも。なんでも経験だよなぁ・・・庭のことはまるで分からない。失敗続き。育ちすぎた木や草花を去年はまとめて処分しなければならなくなったのはわたしの無知が原因。あんなに育つとは思わなかった。

人生は知らないことだらけ。分からないことだらけ。それでいて怠惰に負けそう。創作はつらい。活字は重い。ブログも重い。(のは、サーバのせいだ)

今日も一日が終わるのが早そう。定年退職者の気持ちが少し分かる怠惰な朝。それでいて、まだやらなければならないことは多いらしい。よかった。

投稿者 Blue Wind : 10:48 AM | コメント (0) | トラックバック

April 17, 2005

マイペース社会

このところ連日して外食をゲットしている。理由はおちびの塾の居残り。それと、ミエルがまだペットショップにいるので、会いに行くのを理由に何となく・・・

金曜日がおちびの学校の創立記念日だったせいか、3連休ボケしている可能性も高い。

ところが、昨日も今日もミエルは留守だった。予防接種のためか、具合が悪いのか、あれこれ訊こうと思ったけど、担当の人も留守だったので何となくほかの犬の顔を見ている。マリがいた頃からずっと売れ残っている柴犬がいる。そろそろ1歳になろうというのに、まだ売れない。あんなに大きくなってきていると、あの狭いケージの並んだ中にいるのはさすがにかわいそうになる。相変わらずチワワなど人気のある犬種はすぐに売れてしまうというのに・・・

木曜日、娘を学校へ迎えに行く途中、娘の友達が一人で歩いているのが見えた。その話を娘にすると、「ふ〜ん」と言っていただけ。世の中どーなっているのだろう。わたしにはよく分らなかったけど、とりあえず娘にジャージを買ってあげる約束なので、そのまま娘と近所の店へ。

本当なら、その子は3人、ないしは2人で歩いている予定なのだけれど、1人で歩いていた。いきなり人間関係がややこしくなってしまったので、逃げているのかもしれない。休日、連日してその子のところへおちびが遊びに行っている。

グループのほかの子たちはどうしたのだろう・・・そのうち1人は年中親が迎えに来ているために、めんどーになり親に頼んでいるのかもしれない。一人っ子の特徴。何となくトラブルはノラクラ回避しようという・・・

というわけで、わたしも娘を迎えに行っている。

つくば理系社会は、子どもの世界までそんなふう。結局、トラブルがかったるかったらそれをいかに回避し、マイペースをキープするか?ということしか考えない。塾で遅くなった娘をダンナと一緒に迎えに行き、ミエルに会いに行きがてらそのまま食事をして帰ってくる。

結局、家庭の中が平和だったら、外のことは関係ないのかもしれない。

投稿者 Blue Wind : 12:56 AM | コメント (0) | トラックバック

April 15, 2005

命は永遠

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April 14, 2005

感無量

平成17年4月13日、母が70歳になる。感無量。

忘れもしない平成11年11月11日、母の発作。即日入院、脳のオペ。一時期は死ぬかと思っていた。いや、一時期どころか、その後数年は危篤を繰り返し、それが落ち着いたのは去年くらいから。

平成11年12月、娘がインフルエンザ。続いてわたしに感染。(これでどうにか家庭を思い出す)
平成12年1月2日、ネットを始める。(意識が朦朧とし無気力・パニックの中、何となく)

感無量だよなぁ・・・・あの時点で、母がこんなに長生きするなんて誰が想像していただろう。しかも、植物に近い状態。つまり脳が半分死んでいる。だから、動けない。自分では何もできないに等しい。

平成16年10月13日、母がつくば市に転院。つまり、わが家の近所にやって来る。春に転院の予定が肺炎などを併発し、移動できる状態ではなくなったため、秋になった。それ以来不思議なことに母の容態は変わらない。一度だけ、弟の嫁さんが見舞いにやって来た翌日、目が充血し、いきなり高血圧で再発の疑い。でも、その後落ち着いている。笑っちゃいけないけど、あんなに意識が欠如した状態でもそうなんだなーって思った。生きているってそういうことかも。

平成17年4月13日、母のお誕生日だというのにネットで夜更かし、見舞いに行き損なった。少々罪悪感に苛まれながらも娘は帰って来るなり泣いて話し出すし、その話を速攻でブログのネタにしている母なのである・・・わたくしは。

夜、塾へ行っている娘からの電話を待っていると、ペットショップから電話があり、ミエルがようやく来たとのこと。ミエルというのは娘が付けた名前。意味は知らない。ミニチュア・ピンシャのメスの赤ちゃん。去年の12月に感染症で死んだマリちゃんの代わり。マリちゃんの死は、どういうわけかわたしがアメブロにブログをつくるきっかけとなった事件。

そして、雨上がりのポストの中には、馬場あき子の歌集が入っていた。

母の誕生日だというのに、おちびにはミエル、わたしには歌集。さっき弟からメールが届き、無事を確認する。少し花粉症が出ているけど、仕事も家庭もそこそこ順調。この、「そこそこ順調」になるまでが大変だったことを考えると、健康って大切。

塾へ迎えに行くと、娘はすっかり元気になり、ミエルに会いにそのままペットショップへ。結局、夕飯の買い物をし損ねたため、そのまま外食をゲットし、3人でウキウキ帰ってきた。ミエルが家にやって来るのは、2回目の予防接種が済んでからで、今はまだ接種前だから1ヶ月以上先のことになる。

祖母は64歳で亡くなり、母もほぼ同じ年の同じ時期に似たような発作。それを考えると、わたしも64歳の同じような時期に発作に倒れる可能性が高い。母の姉妹は母よりも元気だから、それを考えるとおかしな話なんだけど、直系というのは何となく気になるものである。まあ、そこまで無事で元気で生きられるという保証なんてどこにもないんですけどね・・・わたしが。

それでも、母があのような状態でも、何となく70歳まで生きてくれるとわたしもその年までは生きられるのではないかという気がしてくるから不思議だ。世の中の平均寿命はどんどん延びているというのに、なんたる低次元の話。それでいて短命の家系というのは辛い。

父なんてもっと酷かった。代々長男が40代で亡くなっている家系の長男で、実際には生まれてすぐに亡くなった子がいたらしいので、順番で言えば次男なのかもしれないけど、大昔のことで父は長男として育てられ、時代背景が戦争と被っていたから、父のどこか破瓜的な傾向は色濃くわたしにも影響を及ぼしている気がすることがある。

呪縛・・・・・

そういうことは弟のほうがもっといやかもしれない。だって彼は長男だから・・・・が、しかし・・・・何とか無事に生き抜くしかないような・・・・子どもの頃から体が弱かったのは弟のほうで、体力はわたしなどより遥かにありそうなのに病気がち。

とりあえず、うちの母でも70歳まで生きられたので、よしとしますか・・・

投稿者 Blue Wind : 02:17 AM | コメント (0) | トラックバック

April 13, 2005

懲りない・・

このところ連日して、娘の友達から電話が掛ってくる。娘もそういう年頃になったのだと不可思議な気持ちでいたところ、原因が判明した。

女同士のグループ内における確執。

かんべんしてえ・・・

1年生から1クラスしかない。わたしから見たら、同じクラスの同じ連中。どこが違うのか分からない。それでいて、6年生になり、自然とグループができ、娘のグループは5人らしい。そのうち娘を抜かして3人はわたしもそれなりによく知っている。でも、もう一人の子はよく知らない。どうやらそのよく知らない子が原因らしい。その子がいきなり、娘のことがむかつくと言い出し、ややこしいことになっている。

あのね・・・この前は、HちゃんとSちゃんが絶交していて、今度はYちゃんがMちゃんと絶交したいと言い、HちゃんとYちゃんは仲良し、HちゃんはMちゃんとも仲良し、それで間に入ってHちゃんが悩んでいる。この前までHちゃんとSちゃんが絶交していて、間に入っていたのはMちゃん。もう一人、Aちゃんがいて、HちゃんはAちゃんと絶交していて、その時もMちゃんは別々に付き合いがあるためにのらくら。

こうやって書くと、わたしには分かるけど、読んでいる人たちには分からないだろう・・・

要するに、これがずっと続いていくのだからたまらない。

雨の中、帰ってきた娘にひととおり話を聞く。泣いている。途中で帰ってきたダンナに事情を説明し、塾へ送り出した。

塾へ行けば塾の友達がいるし、中学へ行けば中学の友達ができるだろう・・・

さっきポストを覗いたら、別の中学へ進学した娘の仲良しから手紙が届いていた。おそらくは何か相談したのだろう・・・

ひとりっ子だから、めったに喧嘩しない。気がつけば、親としてはこういう事態は初めてかもしれない。逆のケースには慣れている。つまり、娘の友達の誰其ちゃんがどうたらこうたらという話題には。逆に、娘が当事者というケースには慣れていない。おそらくは、娘も酷く戸惑っているのが分かる。

で、本人にどうしてほしいかと尋ねたら、「もう6年生だから、きちんと話し合って、自分で解決して・・・」という答えがリプライ。分かっているなら、親が口出しすることもない。そんなことより、もっとほかにやることがあるのではないかと思ったけど、小さな世界にいると毎日がその話題で埋め尽くされ、明日も皆で放課後話し合うことになっているらしい。(早く帰って来い!)

昨日、娘が不意に言う、「お母さんにはネットの友達がいていいね」って・・・

わたしにはその意味がよく分からなかったけど、今日、娘の話を聞いているうちに理解した。学校でむしゃくしゃしても、ネットでもしていればネットで「あーでもない、こーでもない」と話せる? が、しかし・・・ネットでも変わらないんだよね。一度トラブれば、ネットのほうが解決の方策がないことをわたしは知っている。

毎日学校へ行って、トラブっては友達同士で話し合い、家に帰ってきては泣き出して、ケロッと忘れてテレビ観て、明日朝起きれば学校へ。足りなければ電話に手紙、ほかの友達・・・これに足りなければそのうちネットとか?

それより、晩御飯、どうしませう・・・買い物にでも行くか。近頃、夜更かししすぎ・・・昼寝しすぎてまだ買い物していまへん。

投稿者 Blue Wind : 06:01 PM | コメント (0) | トラックバック

April 12, 2005

深夜の駄文

インターネットばかりしている場合じゃないと思いながら、何となく遊んでいる。
気がつけば今日もまたこんな時間。
少しずつ、あーしよう、こーしよう、なんでこれがこんな風になっちゃったんだろう・・・
などと思いながら、あっという間に時間が過ぎる。

しかも・・・

アメブロがトラックバックもping送信も使えない状態からようやく回復したらしく、何となくホッとした。

と思ったとたん、リニュ以後に書いてきた記事の表示が変わっている・・・

いや・・・今までが勝手に<p> </p>が自動的に記事に追加されていたのがおかしかったわけで、今さら全部の記事を直すわけにもいかないし、まったりした雰囲気が出て、それはそれで・・・・

考えてみたらブログなんだから、これくらい行間が空いて書いている人たちは多いし、それを考えれば、そうやって書いてきた人たちのほうが行間が2倍になって大変なんじゃないかなーって思った。
でも、どうも記事の表示が狂っているのはうちのブログだけかもしれないと、何となく不安になる。

どうでもいいかなーというか・・・・あくまでも、鷹揚で怠惰な気分じゃないとネットなんかやっていられない。

******

娘を塾へ迎えに行ったら、女の子たちが3人で立ち話をしていた。雨が降っているというのに明るい。
よく見ると、そのうちの一人がうちの娘であり、もう一人は幼稚園の頃に一緒だった子。最初は気づかないくらい変わっている。よく見れば当時の面影はあるものの、すっかり顔が細い。あと一人の子は、わたしはまったく知らない子だけど、何となく雰囲気がみんな似ている。

つまらないことだけど・・・

塾って楽しい、という気がした。

雰囲気なのよね。体育のある日はジャージで通学しているせいか、ジャージにランドセル、黄色い帽子の世界。それでもうちの娘はオシャレなので、ジャケットくらいは・・・・って思うのだけど、雰囲気なのよ。男子がいるから暗いのだろうか・・・

旗持ち当番で交差点に立って、子どもたちの集団を眺めていると、いかにも小学生という集団が通り過ぎる。班長が黄色い旗を持ち、下級生の世話をしながら並んで通学して行く。

そういう地味な世界を見慣れたせいか、小学生とは言え、女の子がきゃいきゃい騒ぎながら立ち話をしていると、華やかな雰囲気がある。

それがよいかどうかは別として、やっぱ、うちの娘は、理系や国立のあの根暗な雰囲気に混じって座っているべきではないと思ってしまう。それこそ女子大でも行って、友達ときゃいきゃい言っているほうが似合う。華やかさなんだろうな・・・不思議なことに、それが親の楽しみでもある。

なんか、分かるなぁ・・・・

息子は自転車、娘はお父さんが送迎。実際に、年も近いのに小学校から大学まで姉弟で同じ学校へ行くことになってしまったうちの近所の人の子ども等に対する差別待遇を眺めると、気分の問題だとしか語れない。同じ大学へ通っているのに、娘は遠いからと下宿させ、息子はどんなに遠くても自宅から通え、というくらい差別がある。で、結局、息子は授業をさぼって家でゲームをしているらしい。

そうなると、ゲームをやるのなら、わざわざ下宿させる必要性はない。

親の選択は正しいのかも・・・

******

アメブロのランキングを表示する。

理由その1: 画面に色が少なくて、寂しい気がした。出来れば暖色系の画像が出てほしいけど、寒色系でも同系色になるからよしとしよう。

理由その2: アメブロガーの会員証のようなもので、あれがないとアメブロという感じがしない。コミュニティなんだから、何か分かち合うものがないと話題が偏る。

理由その3: あれがないとブログを改装するのに夢中になり、逆にネットをする時間が長くなってしまった。こんなことではいけない。少しは読書をしないと。(「読書」ではなく、「家事」と書くべきか。)

でも、実際問題、活字から遠ざかっているのも事実だし、このところヒーリング系の本が多いし、詩集に歌集に写真集となると文字数が少ないわりにエネルギーを消費する。そのアウトプットがどういうわけかダラダラとした駄文につながるという悪循環を何とかせねば・・・

逆なのよね・・・

理屈に飽和すると歌が出て来たはずが、今は逆の状態。

これではいけない。哲学書でも読むべきだろうか・・・あー、なのに、アタマの中はタグに埋められていく。しかも、まるで分かってないところが、われながらすごい。

******

(* 原因が判明。わたしが勝手にmarginを入れたかららしい。)

投稿者 Blue Wind : 03:52 AM | コメント (0) | トラックバック

April 11, 2005

震度5強 船酔い地震

娘が出発したと思ったら、地震が発生。
最初のうちは震度4くらい、次に横揺れが大きくなり震度5?
パティオ・ドアが開閉すると音が鳴るように吊るしてある金属製の風鈴がずっと鳴っていた。
比較的ゆっくりとした揺れだったので、物が落ちたり倒れたりということはなかったけれども、船酔いするかと思った。

船酔い型の地震。

投稿者 Blue Wind : 07:48 AM | コメント (0) | トラックバック

April 10, 2005

ランダムな思考の羅列のある暮らし

「人生は、25歳から30歳までに自分が何をしていたかによって決まる」という言葉をどこで見つけたのか、わたしはすでに覚えていない。でも、もしかするとこれは正しいような気がしてしまう。

臨界期というのがあって、脳の発達にも臨界期があり、その時期に適切に刺激が与えられないとその部位が発達しない。大抵は、視覚などの機能という点では乳児の頃なんでしょうし、3歳にもなれば、その頃の親子関係がその後の親子の雛形になるような気もするし、10歳にもなれば、その頃の社会との関係がその後の対人関係や自分のスタンスというものの雛形になってしまう。

個体というのは面白くて、自己中心的な世界から次第に親など身近な人たちとの世界、さらに外の世界へ向けて関わり方を覚え、さらに、「同じ」ということを認識するほうが、「違う」ということを認識するよりも早く発達するらしい。「これとこれは色が同じ」というほうが、「これとこれは色が違う」と思うより簡単なのね。

・・・・・・・ダンナの点けたテレビがうるさくて、これ以上は書けない。

・・・・・・・・・・・・仕方がないので、サウンドを流す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・リビングにテレビ2台とCDとピアノとカシオトーンのある生活を何とかしてほしい。これで、どうやって歌を詠めというのだろう・・・それでいてどんな劣悪な環境にも負けないように脳を鍛えなければならない。

すっかり何を書こうと思ったのか忘れてしまった土曜日の午後。

あ、そだそだ・・・ハロさんのブログへ飛び、すごく前に残したコメントのレスを眺めているうちに思いついたネタだった。

若いっていいよなーって思ってしまう。主婦が社会人かどうかの議論はおいておき、要するにいわゆる狭義での「社会人」という枠に放り込まれ、将来がどうたらこうたらとか、後悔しないかどうかとか、あれこれ迷っているらしい。

それで不意に思い出した。

結局、25歳から30歳くらいまではそういう状態が続き、それが終わると何かが定着しはじめ、40歳を過ぎたらすっかり出来上がってしまう。

ということは、そういうことを考えるのは30歳までで、人生の残り時間が減るに従い、だんだん怠惰になっていってしまう。つまり、自分が今やっていることを変えるのがいやになる。いやになるにもかかわらず、変わらなければならない状況になれば変わらざるを得なくなるけど、それは後悔とか不安というものではなく、いわばおとなの落ち着きの中で何かが決定されているために、もはや選択の余地さえないような気がするから不思議だ。

考えてみれば、わが家はいつもこんな調子。わたしが今よりも若かった頃、ワープロを持ち歩き、ちまちま打ち込む。めちゃくちゃ重かった。それでもパソコンよりは落ち着く。ダンナのところで打っていると、あの人は日頃家の中で勉強するという習慣がないために、大抵はテレビかゲームをしている。

そういうおバカな習慣がどこで形成されたのか・・・・25歳から30歳までの間にわたしが何をしていたかが、今のわたしの生活を考えたら理解できそう。結局、外側のことなんだよね・・・研究をしていたとか、結婚したとかということは。行動という点で考えると、身分はともかくやっていることはほとんど変わらない。生活という意味で。

本は・・・・何と言うか・・・・次の実験どうしようかなーとか、何やろうかなーとか、そういうネタ探しのためにあったような気がするし、ついネタを探すという習慣も何年経っても変わらない。不意に思いついて、それを現実に置き換えるのがとても大変。被験者をどうするかとか、装置はどうするかとか、結局、やりたいことがあってもそれを実際にやろうとすると、あれにこれにと時間と予算と気力が必要になる。それで、大抵の時間を外回りに費やさなければならなくなり、不毛な時間がたくさんあり、そういう時間にさらにネタを思いつくとキリがなくなる。

ある意味、困難を克服するというパワーが気力なのかも。

それにしても、一つ気がついた。脳内の生活音を消すためにサウンドがあり、生活音を加えるためにテレビがある。一人暮らしの頃、テレビなんて観ないと思って最初買わないでいたら、やけに静かすぎて寂しい。そこで仕方がないので小さなテレビを買い、点けっ放しにしておいた。人の話し声もしないところに、ずっと一人でなんていられないよね。気配もないようなところなら、もっとつらい。

わたしの記事に脈絡がないのは、生活の中で気ままに書いているからで、一生懸命にまとまりのあることを書かねばならないというスタンスはない。本気で記事を書くのなら、余分なことを削除して、どこかの文献から拾ってきた資料を並べるべき。

が、しかし・・・・

思考の羅列と経過を並べておくほうが、面白い。

投稿者 Blue Wind : 02:42 AM | コメント (0) | トラックバック

April 09, 2005

ブログ・ニッティング

おーやだ、あーやだ、何でこんなものをつくってしまったんだろう・・・『実験会場ブログ』。近頃、ブログの改造にはまってしまっているために、ブログの雰囲気が破壊されていることにはうすうす気がついていた。そのうちストップするから、まあいいかな・・・と思って。

甘かった。

最初は海で、次は花で、今度は黒スキンのスタンダードなブログをつくろうと思っている。春には春の、夏には夏のブログというか・・・せっかくだから、1クリックでスキンを変更して遊ぶ。タグさえつくっておけばコピペするだけだもの。

外はよい天気だというのに、一体わたしは何をしているのだろう。

それでも、のんびりサウンドを聴いて、家の空気の入れ替えをしながら、画面に向かってパチパチ打っているのは明るい雰囲気で、それはそれでとても気分がいい。

ブログを改造するというのは、考えてみたらセーターを編むのと似たような感覚。網目記号があって、そのとおりに編むと模様が浮き上がる。こればかりは実際に編んでみないと大きさも柄の雰囲気もつかめない。もちろん雑誌に書いてあるとおりにやっていれば似たものは出来上がるけど、使っている糸の太さや色によっても雰囲気が変わるし、サイズを微妙に変更するとさらに雰囲気が変わってしまう。

大雑把に言えば、型紙があって袖と身頃のカーブが接着すれば細かいことはどうでもいい。それでいて、青い糸で編むか、イタリア系のカラフルな糸で編むかによっても、網目記号のパターンが同じでもまったく違ったものに仕上がる。当たり前のようでいて、特にカラフルな糸なんて編んでみないとその糸の雰囲気もつかめないし、サンプルの小さいものを眺めても、実際に編んでみるとまるでイメージが違ったりすることも多い。

編み物の魅力は、想像と実際とが微妙に違うことかもしれないし、糸を見ただけでセーターのデザインまでイメージできてしまう人はすごいと思う。裁縫も似たような感じなのだろうか・・・わたしはやらないから分からないけど。針は雑巾を縫うだけで充分なような・・・針が嫌いなので・・・

編み物の場合は、ぼぉ〜っと手を動かしているだけで作品が完成する。特にアタマを使う必要もなく、時間だけが過ぎて行く。何もしていなくても手を動かしているだけで何かが出来上がるというのは、不毛な時間に少しは意義を見出せるような気がして、昔からわたしは編み物が好きだ。特に、苛々している時には最適。

ブログもそういう感じなのかもしれないな・・・何かをしようと思っても何も出来ないような無力感がある時、何となく不毛な時間が過ぎて行くような時のヒマつぶしには向いている。

こう・・・何かをしようと何かするのではなく、不毛な時間の羅列が形になっていくのが面白い。それがまるで編み物のようだと感じるわたしには、実際、ブログというのはそういうものなのかもしれない。

要するに、楽しい。

あれにこれにと、次はどういう風にカスタマイズしようか考えているだけで楽しい。ウキウキする。CSS編集なんて要らないと思っている人たちも結構いることに気がついた。わたしの場合、単にカスタマイズして遊ぶなら自分のブログがあるし・・・アメブロは借り物だから、実際にはそこまでやる必要性はない。それでいて、スキンのタイプがいろいろあるから、細かいところを眺めてみたり・・・「あれ、これはどうやっているのかな?」とか。

CSSを覚えたいわけではなく・・・あれこれデザインを変えるのが楽しい。

デザインを変えるだけなら、特に余分な知識は必要ないと思う。そのうちCGIのプログラムを自分で書きたいと言っていた人がいたけど、そういう気持ちも分からなくもない。それでいて、わたしは自分用のスキンをいくつか考案するほうが、今のところもっと楽しい。

いずれにせよ、どんなささやかなことでもやりたいことがあるうちは幸せだ。

今の目標は、スキンをいくつかつくることと、短歌を2万首詠むこと。そういえば題詠マラソンのほうもまだ何もしていない。まいったな・・・時間はあるから、と思っているうちにあっという間に1ヶ月以上過ぎている。10ヶ月あるから、のんびり・・・

それにしても、ブログが2つになると、いちいちログインしなおさないとならない。なんか、かったるい。

投稿者 Blue Wind : 02:58 AM | コメント (0) | トラックバック

April 06, 2005

プラマイ0

雨風呂の改造に飽きてきても、いじって遊んでいるうちに娘の新学期が始まるらしい。いきなり、「お母さん、ぞうきん、ない?」って訊かれても夜だし困る。今はぞうきんはコンビにでも売っているらしいので買いに行こうかと思ったけど、これからちくちく縫おうか迷う。

なんか、ババ臭い話だ。

それでいて、ダンナの人間ドックの結果を眺めていてもうれしくない。どうしても治療の必要な病気はないけど、軽い緑内障とか、足の血栓とか、その他諸々お酒の飲みすぎによる疾患がちらほら。本人も飲酒の量を減らせばよいということが分かっていても、なかなか重大なことにならないと習慣というのは直らない。

それにしても、血栓というのはいやですねー。ある日突然、足を切断とか? 今は大丈夫でも将来的にそういう可能性がある、というだけでも、わたしなら憂鬱になる。憂鬱になるために人間ドックを受けるのだろうか?

こうやって次第に50代、60代と生きていればどこかに病気を抱え、毎日その日のことをやるだけで精一杯になっていくのかもしれない。わたしは意外と丈夫で、入院したのは娘を出産した時くらいだし、日頃から医者にも行かず薬も飲まない。よほどのことがない限り薬を飲まないせいか、なんでもよく効く。

ダンナに言わせると、ストレスは良くないという。それでいて何がストレスかは人によって違うから、ある人は仕事を辞めたらストレスになるらしいし、ある人は仕事がストレスだと言うし、結局、自分をストレスから守れるのは自分しかいないことになる。だって他人には分からないもの。

それにしても、ダンナの人間ドックの結果もストレスだし、いきなり夜中にぞうきんを縫わなければならないのもストレスかもしれないし、それでいてわたしはこの前手芸屋さんを覗いて、ちらほら春夏物のセーターの雑誌や毛糸などを眺めながらストレスを解消した記憶がある。

ある人はアメブロのリニュが非常にストレスだと語るし、それでいて改造でストレスを発散している人もいれば、逆にタグの羅列を眺めるだけでストレスになる人もいる。よく考えてみれば、最初から1クリックでブログが完成するようなスタンスは何も変わっていないにもかかわらず、選択肢が増え、それを楽しんでいる人たちもいれば、落ち着かない人たちもいる。

自分的には、落ち着かないからあれこれいじって遊んでいるうちに、それもまたわたしのストレス発散。これで、システムエラーが出なければもっとパチパチ変えるのだけれど、途中で出来なくなるから逆にストレスを感じる。何となく密集された世界という感じがして、疲れた。プラマイ0。

それでも無意識のうちにあれこれ改造しているうちに、わたしがつくると結局同じようなデザインになってしまう。HPでもブログでも似たような感じ。写真も素材屋さんで借りているのだから、それを考えると背景を借りるほうがノーマルという気がして・・・

それにしても、足を切断するというのは可哀想だ。しばらく治療に専念して、今は義足も良くなっているから普通に歩行は出来るようになる。ある意味、静かな人だから、そうなったらそうなったでごく自然にそれが生活になっていってしまうのかもしれないし、その頃にはおじいさんだから仕方がないという諦めも出て来るのかもしれないし、結核の時でもそうだったけどマイペースなんだろうな。

いや・・・それでわたしが何を考えたかというと、娘の送迎が終わったら、今度はダンナの送迎が始まるのかもしれないと。どちらの足か知らないけど、そうなった場合運転できるのかどうかとかね。特殊なクルマがあるから大丈夫なのかもしれないけど。(←自分が倒れるという発想がない)

まあ、40歳を過ぎたらいつ死んでもおかしくないような気がしてくるから不思議だ。死は姉妹。日本語にすると少しニュアンスが違う。

投稿者 Blue Wind : 01:05 AM | コメント (0) | トラックバック

April 03, 2005

鈴の音

パパさまが天に召された。不思議な感覚。去年、娘とアシジへ行ったときには、まだ議会に参列なさっていたようで、わたしはイタリア語がまったくわからないのに、テレビのニュースでイタリア議会を眺めていた。日本のような国会の中継という感じではなく、パパさまがこうおっしゃっている、ということが議会以上にイタリア人にとっては大切なことらしく、それは議会が何を決定してもパパさまが言うことのほうが・・という子どもっぽい感覚にも似ている。

おそらくは、政治や政治家に失望すれば、パパさまなのかもしれないし、この2つのバランスがイタリアっぽく、町のあちこちに教会はあり、通りにはシスターやファーザーが歩いている。朝になれば鐘の音、昼にも夕暮れにも鐘の音、一日中どこかで鐘の音が聴こえる。いわばすべてが町の一部であり、生活であり、信仰というものを持たない人たちでも鐘の音には反応する、という雰囲気かもしれない。

大学時代、パパさまの来日のポスターが貼ってあった。シスターたちは慌しく、学生も、洗礼を受けた熱心な人たちが一緒に会いに行った。とてもウキウキとした感覚で、かんちゃんが本当に幸せそうに微笑んでいるのを見て、わたしは不思議な気がしたものだった。(これは来日直後の様子らしい。朧な記憶。)

信仰が日常的にあるということは、神の愛が日常的に溢れているということであり、学内へ一歩入るとそれが当たり前になる。それでいて、学外へ出ると、まるで空気が変わるように何かが変化する。そういう切り替えをまるでスイッチをオン・オフするように行う。それでいて、一人と二人とでは何かが違い、神の愛を通した関係というのは学外でも続く。

永遠の父がいるために、わたしたちは永遠に子なのである。

普通は両親が亡くなれば、自分もまた親であり、子を育てているため、親である意識のほうが強くなる。でも、永遠の父の前では、わたしたちは誰しも子であり、いつまでも子で生きている。神の前では誰でも子であり、わたしはいつも子なのである。パパさまが身近に感じられるのは、永遠の父がいるからであり、永遠の父の前ではわたしの寿命を星の寿命と比較するようなもので、すべてのことがどうでもよくなってしまう。

わたしは、このところずっとパパさまを愛せなかった。それはあほブッシュと一緒に写っている写真を眺めたせいかもしれないし、どこか世俗的な匂いがして好きになれなかった。飛行機に乗ればパパさまのグラビア、ホテルに泊まればパパさまの絵皿が飾ってある。さらにそれがイタリアのテレビ放送と重なり、ローマへも行かなかったくらいだ。

よく分からないけれども、『法王』(教皇が正式)というのはそういうものらしい。いや、本当は違うのかもしれない、ということを今になって少し感じた。どうしても皇室外交のイメージがあるために、わたしはどこか屈折したシーンを眺めるように何かを眺めていただけなのかもしれないと思う。

わたしは、どこか重苦しい戦後の社会というものの変遷を実はよく分かっていない。気がつけば、あるのは不景気な世の中であり、世界経済であり、イデオロギーであり、国連であり、組織は発展し、戦争は相変わらず発生し、いつの間にかうさん臭いのは宗教とばかりにすりかえられている。いやな世の中だ。

わたしの頑なさは20世紀のひずみから出てきているのかもしれず、不思議なことに、今回わたしはパパさまの死に少し驚き、僅かながらでも悲しみを伴っていることがショックでもある。愛は尊く、広くあまねき、空や空気のように存在している。愛は風という言葉。

ルカによる福音書 6. 43-45 実によって木を知る

「人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」

実によって木を知る。自分の悪しき心の出所も何となく理解したと同時にわたしにはまだまともさが残っている。おそらくは要らない情報が多すぎるのかもしれない。一体わたしは何をしているのだろう。ごくありふれた日常を過ごしているだけ。

そして再び鈴が鳴る。本当に鳴った。何の音だろう・・・偶然だろうか。テレビだろうか・・・偶然。

愛は永遠。

投稿者 Blue Wind : 11:21 PM | コメント (0) | トラックバック

April 01, 2005

タイミングとカテゴリー

せっかくコメントを書いたのに、どうやらまた飛んでしまったらしい。アメブロが重いと感じる理由は大抵コメントを書いた時のような気がする。

----こらこら、他人の恋愛話までネタにするのか?

する!

それくらいじゃないと毎日更新するなんて不可能・・・

というわけでnattoさん、ごめんなさい。わたくしはちゃんとコメントを書いたんですが、アメブロが・・・・(^_^;)

今は地球が狭くって、わたしが遠距離恋愛を諦めた時代とは違う。今にして思うと、no realityと言われた理由が理解できる年頃になってしまった。好きでも、no reality。それは本気だとか本気ではないということではなく、わたしはとりあえず大学は卒業していたものの無収入。あちらはドイツの高校生。インターネットも当時はタッチの差でポピュラーではなく、せいぜいエアメールを書くくらいでしょ?

一緒にしたら悪いか・・・

でも、結婚はできないが恋はできる年齢。それでいて、no reality。わたしは親が金出してくれないと渡欧できない。今の時代より渡航費も高かった気がする。あちらは親が仕事で日本に来るとき、ビジネス・チケットをエコノミー2枚に分割してもらうとか、そういう情けなさだった。

その後、ドイツには大学へ入る前に兵役検査があることも知ったし、彼が運良く兵役を免れ、その後ミュンヘンを離れ、少し遠くの大学へ行くことになったことまでは知っている。今にして思うと、あれは一体何だったのだろう・・・みたいな不思議な恋だった。

ちょうど時を前後して、友達がイギリスへ行くことになった。ロンドンに転勤になってしまった元恋人を追うため。行く前にはウキウキしていたようだけど、結局は向こうへ行き、1ヶ月で現実を知り、別れることになった。結婚まで決まっていたのに、仕事の都合があるからと、結局、彼は一人でロンドンへ行くことになった。仕事の都合があるのは彼女のほうも同じ。つまり、彼女にしてみれば、そんなに簡単に退職できないから時期を変えてほしいというだけのことが、人生を変えてしまったらしい。

タイミングなんだろうな・・・

その後、二人は別々の人と結婚して・・・というケースは叔母さん。叔母は40歳で未亡人となり、叔父さんの遺言で、恋愛はいくらしてもかまわないけど再婚はダメと言われている。

彼氏はいるのである。それが大昔に結婚を考えた人だというから驚き。そのうち、ビジネス・パートナーとなり、不倫だ。

「・・・だって、不倫でしょ?」

って叔母さんに言ったら、怒ったのなんのって・・・

「私の年になったら誰でも結婚してるのよ!」

と、切り替えされた。

もうかれこれ20年近くなるけど、叔母はまだその彼氏と付き合っている。「60歳を過ぎたら結婚しようかな・・」って、この前従妹の結婚式で久しぶりに顔を合わせたら言われた。敵?は、まだわたしの言ったことを覚えているのだろうか・・・

この手の話題は尽きない。なんでかというと、一度軌道から外れてしまうと、実は結婚というのも一つの生活であり、なんていうか、生活の外にあればあったなりに通過してしまうものらしい。

それでいて、アモールのおばさんの愚痴を考えると複雑な心境。

アモールのおばさんというのは、わたしが学生時代に入り浸っていた喫茶店のママで、母と同い年。若い頃に離婚し、わたしより5歳上の娘がいる。娘が結婚してから自分も再婚し、しかも同居している。このため、孫にとっては血のつながらないお祖父さんがいることになる。

が、しかし・・・生まれたときからお祖父さんなんだから、孫からしてみたら祖母が再婚して祖父がいるということは理解できない。しかもめちゃくちゃなついている。

ここまではハッピーエンドみたいでしょ?

ところが、娘さんからしてみたら義理の仲だからそりゃ大変。だったら別居したらいいのに親からすれば孫が可愛いから譲らない。年中、母子で喧嘩しているくせに、今度は寝たきりになったら娘に迷惑が掛かると言い出し、「なんで再婚なんてしてしまったんだろう」と後悔している。他人の世話までわが子がしなければならないということに、深い負い目を感じるらしい。

ヘンな家族。

まあ、じいさんが他人なら婿も他人だし、他人は他人同士、孫を挟んで仲がいいらしい。わけ分からん。

恋愛と結婚と家族、というのはまったく違うカテゴリーらしい。

投稿者 Blue Wind : 09:43 PM | コメント (0) | トラックバック

March 30, 2005

ひとやすみ

塾が休みだというだけで、のんびりしてしまう。それにしても、塾の先生っていつお休みしているんでしょうね? たまに電話が掛かってきても夜10時くらいで、おそらくは毎年受験が終わって一息ついている頃に1週間くらいヴァカンスがある程度? 今は小学校のほうがお休みばかりだから、やけにその違いを感じてしまう。

娘も慣れてしまえば塾友というのがいるらしく、お迎えに行くと友達とのんびり待っている。小学校へお迎えに行くより、しゃきっとしているような・・・気のせいかな。

たまに、「お母さん、食べる?」とコンビニで買ってきたらしいスナックを後ろから差し出されても、「運転中!」って言うしかない。走行中に話しかけられるほうがマシってことが分からないんだよね・・・おちびには。交差点で右折ランプをちかちかさせている時ほど話しかけてくる。こっちはクルマが途切れるのを待っているから、一番危険。たしかにクルマは停まっているが・・・まあ、渋滞していることも多いからそうなのかも。信号が右折に変わってからのんびり曲がってもよいのだし・・・それでも後続車がいると気になる。

娘はいつも授業が終わって、家に電話して、コンビニへ行って買い物をするらしい。たまに送迎バスつきの塾へ変えてやろうと思うんだけど、本人にしてみればそれだけは嫌だと言う。

たしかになぁ・・・集団生活というのは学校だけで充分のような・・・毎朝決まった時間に皆と登校し、一人下校は禁止されているので毎日誰かと帰ってくる。ちょっとお母さんが迎えに来たとか、帰りにコンビニへ行くとか、規則でがんじがらめの学校生活よりも塾のほうが楽しいのかも・・ある意味。

娘もだんだん使い分けというのを覚えてきて、学校には学校用のパーソナリティがあるらしい。親から見ると、それは普段の娘とはいくぶんかけ離れているために、よぉ〜っく疲れないな〜っと感心する。集団生活に適応するためには、それくらいのノウハウは必要なのかもしれない。

春になると、わたしは毎年夏のヴァカンスのことを考え始める。大抵は、ダンナの休みのことがあるから間際にならないと決まらない気もするけど、それでも旅行の計画は考えているだけで楽しい。

今年は・・・

塾。

分かっているから、去年は長めに旅を。それでも去年は去年だし、今年は今年。夏期講習は大切だよなぁ・・・夏が過ぎたら学校行事が多くて勉強なんてしているヒマないし・・・

それにしても、仕事の好きな人たちが多いのには驚く。

----家にいて退屈しないか?

しない。

毎日好きなサウンド聴いて、うだうだしている。皆があくせく働いている時に昼寝をしているほど幸せな気分はない。

タンザニア!

え・・・毎月ガイドを2回するだけで食べていけちゃうの〜?
だったら、何のために働くのかよーわからん。

日本はすごいよなぁ・・・毎日朝から晩まで働いて、その上にまだ不景気だとか失業だとかあれこれ気にしながら生きているのが普通らしい。それでは足りずに老後だの年金だの、とやっている。

投稿者 Blue Wind : 02:01 PM | コメント (0) | トラックバック

ジモティ

本日の駄文2つ目。明日は娘の塾がお休み。やっと送迎から解放される。

いや、その言い方は正しくない。学校があっても娘が戻って来たら結局送迎しているわけで、春休みがスペシャルというわけではない。が、しかし、生活時間帯が微妙に変化するため、昼寝を日課としているわたしは昼寝ができないせいで夜が眠くて困る。

----夜が眠いのは当たり前じゃない?

誰だ、そういう愚問を発しているのは。なんせ10年以上に渡って午後出勤ではなく午後から登校するのが日課だったせいで、わたしは6時間くらいゆとりをもってフレックスタイムを長らく生きてきた。真夜中になると目がようやく覚める気がするくらい何かが違う。

それがやたらと眠いのだから、昼も夜も中途半端に朦朧としている上に、クルマを運転するためにうっかり眠れないというブレーキが意識の底にあるらしく、どうもすっきりしない。少なくても眠れる以上は不眠症というわけでもなく、旅行へ行くと早寝早起きになるから不思議。時差ボケしているせいだろうか? いや、時差がほとんど無くてもそうだから、結局、怠惰というものも一つの生活リズムになるらしい。

一つ覚えているのは、行きのカーラジオで「常総学院」という単語が聴こえてきた。娘に、「甲子園?」って訊いたら、「お母さん、知らないの?」とバカにされた。もうそんな季節かと思っているうちに、娘を迎えに行く途中、6対5で負けたというニュースを聴いた。

もう一つ覚えているのは、どういうわけか一本だけ民家の庭に桜が咲いていたということ。ほかの桜の木はまだ開花していないのに(たぶん)、その家の桜の木はすでに満開だった。

さらにもう一つ覚えているのは、あの自転車2台のツーリングは邪魔だなーと思いながらクルマを走らせていたら、娘がS中の子たちだと言う。制服を着ているわけでもないし、自転車にマークでも入っているかと思ったら、そのうちの一人がなんとか君のお兄さんという話だった。わたしには仮に娘の同級生だったとしても後ろ姿では判別できないだろう。

昼間のんびり娘とドライブしていると、何となく娘のほうが物知りのような気がしてしまう。娘が常総学院へ行って、甲子園へ応援へ行くというのもそれなりに悪くないかもしれない(娘の志望校ではありませんが・・)。わたしは女子校だったので、甲子園には行ったこともなければ、縁も無い。ダンナは地元に近いために、高校生の頃一度だけ甲子園でカチワリ売りのバイトをしたそう。でも、一つも売れなかったらしい。想像しただけで笑えた。

* カチワリというのは、氷のことらしいです。見たことはありません。

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March 28, 2005

年の差カップル、反対!反対!!反対!!!

⇒トラステに参加: 「年の差なんて」

何を怒っているんだ?>あたし

とにかく、両親が年の差カップルだったので、子は大変だった。たしか16歳くらい離れていたような・・・忘れたさ、もう。

何が困ると言って、父と母の言うことはまるで正反対。で、結局、「パパの言うことはもう古いのよ」で終わり。喧嘩しても母が自分から譲るなんてことはなかったですね。自称スカーレット・オハラの母はとにかく勝気で男勝り。

ある日、父がまた例のごとく母と喧嘩したとき、母が気が強いとぼやくので言ってやった。

「パパは顔で結婚したんだから、性格のことなんてとやかく言うべきではないわ」

ぽかんとした顔していましたね・・・父は。

まあ、その反動があってか、わたしは父には非常に甘やかされて育ったせいで、実は父親っ子である。大抵は母がヒステリーを起こし、離婚するとか出て行くとかやる。しまいには眠いのに起こされ、「うるさいなー、わたしはパパと残るから。じゃあね」と言って寝てやったら、さすがに反省したようだ、母も。

仲が悪いわけではないのだけれど、すぐに喧嘩するわけ。大抵は父が折れて終わるんだけど、機嫌が悪いとなかなかそうはいかないでしょ? そうなると母のヒステリーが始まる。年が離れているから、母にも甘えがあると思うのね。

わたしは、そういう親に振り回されて育ったせいか、子どもの頃からどこかませていたかも。どっちも子どもなのだもの。それぞれに価値観は違うし、世代間ギャップはあるし、どちらの言うことを聞いてよいのかマジに悩む。

しかも、年が離れているから、すぐに父が死んだ後のことまで喧嘩の種になるし、実際、心臓が少し悪かったせいか父は40代にしていつ死んでも不思議はなかった。実際には癌で亡くなったけど。それにしても父が亡くなった時、わたしは院生だし、弟は大学生だし、母が大黒柱にならなければならない。

母にも危機意識があり、そうなるとわたしはとても母には厳しく育てられた。いつでも一人で生きていけるようにというのが使命だったらしい。そうすると父が怒って甘やかす。「俺は死なん(=俺を勝手に殺すな)」ってことなんだろう。

弟の目はさらに厳しい。

これは後日弟から聞いたのだけど、中学生くらいの時に父と喧嘩しそうになり、その時、本気で倒そうと思ったら倒せることに気がついたんだって。傍から言われるのではなく、男同士ってそうなんだろうな。父は年寄りだし、弟は体も大きくなってきている。それ以来、自分の父親が世間よりも年寄りで、おじいさんという気がして、がっくりきたらしい。実際、わたしは父と弟が喧嘩しているのを見たことがない。

わたしから見た父というのは、いつもタフな人だったから、その話を弟から聞いた時、「ほおおお・・・」とやたら感心した。

一番つらかったのは母かも。

50代半ばで未亡人となり、その10年後には自分も発作。配偶者を亡くしたショックと子どもたちが独立していく寂しさと、その他諸々いろいろな心労が祟ったのかもしれない。しまいには誰の言うことも聞かなくなり、弟の言うことだけ。それでいて弟が結婚するとなったらヒステリーを起こし、無理やり別れさせたり・・・やることなすことめちゃくちゃだった。

よく考えたら、そういう話は年の差カップルだけではないのかもしれないけど、どうしても負い目というのがあって、親の年を訊かれるのもいやだったし・・・子どもの頃は。どこが違うのかよく分からない。でも、ほかの友達のお父さんやお母さんとは何となく違うような気がして、家族の誰もが母よりもむしろ父に気を使っていた記憶がある。一人浮いてしまわないように。そのくせ、運動会などがあると、父はいつも一等だった。

自然に加齢して、「年取ったなー」という感覚の中に、自分はまだ若いと言わんばかりの使命を持った父が混じっていると、自慢の父なんだけど、何となく負い目を感じてしまう。

あらゆる面において、わたしは「普通」に憧れて育ったのかもしれない。

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March 27, 2005

事故と衝動と桜ブルー

ダメだ・・・すっかり生活リズムが狂ってぼーっとしている。おちびが春休みに入り、ずっと家にいる。今日なんて、なんでダンナまでいるんだろうって思ったら日曜日?

あーもーダメだ。

春休みだというのに塾の春期講習。去年の秋から通わせているからどうもペースが合わない、塾と。3月から6年生の講座が始まり、春期講習も通常授業らしいし、日曜日まで授業なんだもの。これなら送迎しなくてもよい分、学校のほうがマシだと思ってしまう。

しかも!

午後になり娘を迎えに行こうと思ったら車がない。一瞬盗まれたかと思って昼寝していたダンナを起こす。それでも娘を迎えに行くほうが先決だと思って、ダンナの車に乗る。

乗っている途中で思い出した。

ファミレスに置いてきてしまったことを。お昼、友達の家から慌てて戻ってきた娘にケロッグを食べさせ(時間がないっちゅーの)、慌てて飛び出し、ダンナはすでに午前中娘にフラれて一人でボウリングへ行った帰りに食べてきたと言うし、わたしもあまりにも眠いのでおちびを降ろしてからそのまま近所のファミレスへ。

その後、わたしは、今日はあたたかいな〜とぼぉ〜っとしたまま歩いて家に帰ってきたらしい。

*******

衝動買いって何なのでせう?

わたしはあまり事故は起こさないのだけれど、それでもつくばに来て2回経験している。一度は若葉マークにカーブでぶつけられた。あんたが下手なのよって言ってもまるで通じないんだもんね、学生ってヤツは。こちらは路肩に車半分乗り上げて停止しているのに、道の真ん中を走行してきた。2度目は去年。この話はすでに何度か書いている。アメブロにつくる前か・・・忘れた。どちらも大した事故じゃない。

うちのダンナは事故が多い。いや・・・事故でないものも多い。例えば、駐車場に置いておいただけなのに車が破損していたとか、いたずらされたとか、タイヤがパンクし気がつかないで走っていたらどうも車体にまで影響がいってしまったとか。そのほかに当たり屋にやられたとか、普通の事故まで含めると、怪我がないのが不思議だ。しかもあれだけ事故ってるくせに免許はゴールドなのよ。世の中どーなっているのかしら。(え・・・事故じゃないって?)

どっちにしろ車を修理に出したり、買い替えたり、慌しい。だからね・・何かあったら買い替えようと思っているうちに何もないときにはないのね。当たり前か・・・

それで、車が盗まれたと思って、明日から困るなーっと思いながら、警察やら買い替えやらあれこれめんどーだなーって思いながらぼっーっと運転しているうちに、急にファミレスに置いてきてしまったことを思い出した。

このところ、内緒の話だが(書いたら内緒にもならん・・)、車の買い替えをしばしやめて、歌集を出そうかと考えている。が、しかし・・・歌集なんて儲からないし、なんで出すのか自分でもよく分からない。こんなのネットで充分だよなーっと思いながら、それなら春だしいっそのこと気分よく新車に乗り替えよう・・とかね。

そのどちらも衝動が足りないせいで買えない。

例えば、これがマタニティ・ブルーに揺られている時など、いくらベビー・グッズを買っても教材を買ってもそんなものは単なる気休めにすぎないと知りつつも、その瞬間だけはすっきりするので、それはそれでバカだなーと思いながらも値打ちがあったのかもしれない。次第に娘が成長し、なるようになるみたいな気分になると、そういう衝動買いも自然と消える。

*******

それにしても、結婚が一種の衝動買いだと思っている人たちって結構いるんですね。よく、結婚は勢いって語る人もいるけど、何となく理解した。

こーね・・・何がすごいって、やっぱり結婚ラッシュというのがあって、酷いと1度しか会ったことがないのにそのまま結婚しちゃったり、相手がアメリカに転勤が決まっているからといっていくらなんでも・・ってわたしの感覚からすれば不思議だったんだけど、いまだに離婚しないし、普通にやっている。いきなり招待状が届いたと思ったらアメリカでやるから来いと言われて怒っている人もいた。パワーが違うよね。

かと思えば、すごい大恋愛で結婚したはずなのに3年後にはしっかり離婚していたり・・・

こういうのは人生観かも。恋愛なんて結婚してからでいいって人もいれば、惰性で結婚した頃には倦怠期だったり、世の中って分からん。特に男女のことは。

かと思えば、不思議な日記を付けてる人がいて、訊いてみた。「○○さんは、今年の10月頃に結婚してくださいという話なので会ってみたが、お断りした」とか、不思議でしょ? 一体この人は何を書いているのだろう・・・とか。しかも男性の日記なのですよ。そしたら、結婚相談所のサイトを教えてくれた。

つまり・・・「いつ頃に結婚したい」という具体的ニーズがあって、なんでそんなことが必要なのかわたしにはよく分からないけど、人生には予定というものがあり、その予定の中に結婚があり、できればその時期なら都合がよい、とかね・・・

就職の相談してるみたいで・・・不思議な世界だった。

*******

事故とか衝動とかね・・・
縁起の悪い話だ。
そろそろ桜ブルーが始まりそうだ。いや、すでに突入しているのだらうか・・・分からない。

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March 26, 2005

ベビー・グッズ

⇒トラステへのトラバ: 「やってしまった! 衝動買い!」

わたしはバカだ、なんてバカなんだろう・・って、のたうちまわって後悔するのはベビー・グッズのような気がする。もう、こればかりは書いていたらキリないわ。

よせばいいのに、妊娠中には巨大ピーターラビットのぬいぐるみを抱え、電車に乗って帰ってきたら出血してしまったり、まだやっとつかまり立ちしたばかりなのに翌日トイザラスへ行って買ってしまった三輪車とか。部屋の中で誰が三輪車を乗るんだよー!って思いつつも待っていられない。で、結果的にほとんど三輪車なんて乗らずに補助輪付きに進んでしまった。後日その三輪車は家の前にあまりにも違法駐車が多いので防止用に置いておいたらある朝消えていた。

まだまだある。サンプルだけ・・って思ったのに買ってしまったディズニーの英語教材とか、全然使わないで終わった七田シリーズとか、これは衝動買いではないけれども妊娠中に無理やり実家から運んだピアノとか。結局ほとんど使わないのにその後2回も引越しし、その都度深い後悔を繰り返し、あげく娘はピアノが嫌いで・・・親は泣く。

ベビーカーだって生まれる前に買ってしまったA型。ほとんど使わずあまりにも邪魔なのでその後B型を買い、どういうわけかエチオピアに転勤するから貰ってくれと言われて違うタイプのベビーカーも引き取り、電車での移動に不便だという理由で背負子型のベビーカーまで買ってしまった。あーあほあほあほ。

ほかのことではあまり衝動買いという意識のないままに衝動買いをしているせいか、買ってしまったものはとりあえず諦めることにしているんだけど、なんせ気が短いからね・・・パソコンだっていつも衝動買いに近い。1週間待てば2万円安くなると知りながらも使いもしないテレビ機能付きのパソコンを買ってしまったり・・・お持ち帰りじゃないと絶対にイヤなのよ。

逆に語ると、普段ぼーっとしているから、あまり購買欲求というものが無い。それが娘のこととなると、どーしてあんなにバカなのだろうと思うくらいますます気短になってしまう。

今?

この前から学校のジャージが小さいと文句言われているんだけど、めんどーだからまだ買いに行っていない。

投稿者 Blue Wind : 11:20 PM | コメント (0) | トラックバック

解放とファッション

⇒トラステに参加: My Graduation

卒業式の思い出なんて、ろくなものがないですね。好きな先輩がいて第2ボタンを貰ったとか、これでお別れだわ、みたいなしんみりしたものは何もないし、ただひたすら「ザ・解放」とばかりに解放感に浮かれているだけみたいな記憶が幽かにあるだけマシかもしれない。

大学なんて、実際問題、無事に卒業できるかどうか、卒論を提出した後まで心配していたし・・・理由? 出席日数が足りているかどうか心配な科目というのがありまして、このため普通は2年次までに終わっている語学というものを4年生になってもやっていた記憶が・・・どうせ院浪人すると分かっていたら、留年したほうがよかったかも。

それでも角帽かぶってカラスをまとった時はそれなりにうれしかった。

これといって大して自慢するようなものが何もない大学だったけど、カラスを着せてくれるというのは値打ちがあったような気がします。しかも、大学なのに制服があり、入学式も卒業式もその他諸々の大学行事には必ず制服を着用していました。

学長さまや学部長さまのご挨拶となると、普通は眠くなるような気がするのですが、必ず、「ハッ」とか、「ぎょえ」となるセリフが混じっているところが特徴でしょうか・・・

入学式: 「あなたたちは選ばれてここにいるのです。」 
神さまに選ばれたのだそうです・・・シスター里見だったかな・・・

卒業式: 「今までここで学んだことをすべて忘れなさい。そしてそれをすべて子に伝えなさい」 
シスター内山だったと思います。学んだことを役立てるというのなら普通なんですけど、忘れろと力説された時には少し驚きました。

修士号の授与式に至っては、以前少し書いたかもしれないけど、父の告別式と前後していたために家族は出席してくれなかったし、当時彼氏だったダンナが写真を撮ってくれただけ。それでもいち先生の服を着て、金色のコサージュをビシッと高く襟元につけていただいて、それなりに黒服でエレガントにキマッテイタと思います。

え・・・卒業式ってファッション・ショー?

いいえ、決してそういうわけではないのですが、それにしてもダンナの大学の卒業式にも姑さんと一緒に出席したんですけど、あれは一体なんなんだ? 紅白の垂れ幕に田舎臭いおばさんたち・・・医学部というものを少し理解できたような気がしました。アハハ・・・・(汗)

うちの近所の大学の卒業式も、あれはダメですね。貸衣装の袴や振袖まじりで、娘の卒園式の保母さんたちのほうがまだ垢抜けている気がするくらい、なんなんだ、あれ、の世界。かく言うわたしもだんだんめんどーになってくるという・・・

いかん、いかん・・・卒業式というのは子どもだけではなく、親にとっても晴れ舞台でないとあかん。

こう・・・なんというか・・・例えば、女子校とか女子大だと卒業式って感動がないわけ。卒業式の後にフィアンセとドライブとかね・・・あーあ。親と食事というのが一般的か? となると、お別れムードなんてないわね。ある意味、つまんないかも。

投稿者 Blue Wind : 01:51 AM | コメント (0) | トラックバック

March 23, 2005

虐めと校内暴力の発祥?

今日は大変なことが起こってしまった。とは言うものの、わたしは当事者ではない。また、娘のクラス。

6時間目。娘の話はよく分からないけど、今日は6時間目の授業が休みで、何かのお手伝いを皆でしていたらしい。たまたま時間が余ったので皆でドッジボールをしており、教室には参加していない子たちが5,6人いた。そのうち一人の子がベランダに締め出され、ドアに鍵をかけられてしまった。

そこまではよくある話。ところが、ベランダに締め出された子が怒って窓ガラスを割り、その破片が大腿部に刺さり、入院することになった。学校はてんやわんやで先生は放課後お見舞いに行くと言うし、普通だったら入院した子がいれば連絡網で回ってくるはずなんだけど、今日のところはとても静かです。

こういう記事が書けるのも、娘がドッジボールをしていたからで、教室に残っていた子たちのご両親はそれどころではないでしょう。しかも、誰がやったのかも分からないらしいし、秘密裡に処理されるのでしょうか。

さて、誰が悪いのでしょう?

この話だけだと、被害者A君が皆に虐められたという話でしょ? ところが、伏線としていろいろありすぎ。まずは、A君はベランダに締め出されても、ベランダ伝いに理科室や音楽室から室内へ戻ることもできた。

なのに、どうしてA君はわざわざ窓を割ったか?

そうなると、自業自得だという意見が・・・誰が言ったとは言えないけど。(ちなみにうちの娘ではありません)

次に、どうしてA君はそういうことをされたの?

これは当事者に話を訊いてみないと分からないけど、一つ分かっているのはそれなりの理由があったということも充分考えられる。というのは、わたしはA君を直接よく知っているわけではないけれども、彼の武勇伝は有名で、隣の席の女の子が授業中に耳を舐められたとか、うちの娘も一度学校帰りにA君に家までついて来られて、わたしの顔を見たとたんに泣き出したことがある。その後別件で、キレたA君に平手で殴られたという事件があり、その時は担任と親から謝りの電話がかかってきた。彼の被害者でない子がいたら教えてほしい。

というわけで、女の子たちは誰もA君の隣には座りたがらない。

困ったヤツというのはどこの世界にもいるものだけど、A君の特徴はカーッとなってキレちゃうんだよね。それが1年から6年までずっと一クラスしかないところで続いていく。今まで大事にならなかったほうが奇跡に近い。

親?

わたしはほとんどお話したことない。ただ、一度謝りの電話がかかってきて、その時に彼女は慣れているんだなぁ・・ということを数年前に感じたことがあるだけ。毎日似たようなことがあって、先生から連絡を受けたらそこの家に電話をするという具合で、息子の行動を深く受け止めているようでもなかった。まあ、まだ低学年だったから、いろいろあらーなということで終わった。

当時はほかにも問題行動を起こす子がいたし、どちらかといえば、そっちのほうが注目度が高かった。今は、その子はまったく悪さをしなくなったため、少しはまともなクラスになったかもしれないと期待していたら、A君。

すっきりしない事件なのよね・・・虐め、登校拒否、校内暴力、キレるとかいろいろ世間の話には聞くものの、クラスの雰囲気や学校の雰囲気はさほど荒れているという印象もなく、ただ問題児童はどこにでもいるとしか語れない。

うちの娘?

さあ・・・不思議なもので、このところすっかり立ち直り、今日の事件があってか、きっぱり受験すると言い出した。ほかの人たちはどうするんでしょうね・・・A君を責めるより、とりあえず逃げ出すことを考える。逃げ場があるって素晴らしいと思った。

* 訂正: A君はその後4針にて、通院、自宅療養、ということです。

投稿者 Blue Wind : 12:24 AM | コメント (0) | トラックバック

March 22, 2005

地震を考えた日

実感ないなぁ・・・福岡で大地震が発生したというのに、何となくピンと来ない。神戸の時にはダンナの実家が燃えていたので実感どころの騒ぎではなく伝わってきたし、新潟の時はこちらも一緒に揺れていたから、それなりに地震が発生しているということくらいは日常生活から分かる。

それでね・・・ニュースを見てもあれなので、ブログをサーフィン。すると、確かに被害はあったのだけど、現地の人がニュースを見て驚いているという記事をいくつか読んだ。

この感覚分かるのよね・・・この前、わが家も震度5弱でかなり震源地に近いところに位置していたのだけど、揺れ自体はすぐにおさまり、どうということもなかった。ところが、テレビを観たらそれなりに被害もあったらしいので、どこかちぐはぐな印象をぬぐえない。

被害の酷い玄界島の人たちにはお見舞い申し上げます。

それと同時に、ビルのガラスが割れてというニュースには、どうして対策しておかなかったのかなぁ・・くらいの感覚しかない。そういえば、姑さん、何か言っていたような・・・ビルやマンションは新旧ではなく、20年前くらい(神戸の震災より)に建てられた建物が一番被害が大きかったとか・・・すっかり忘れてしまったけど、もしかするとさっきニュースでも言っていたようなことが原因なのかもしれないと、不意に思った。

あっさり語れば、こういうのは人災のような気がするんだけど、どうなのだろう・・・スマトラ沖の地震でも、少しは地震や津波についての知識があれば防げた被害もあったのでは。

わたしは祖母が関東大震災を経験しているので、子どもの頃から地震にはやかましく言われて育ってきた。寝ているとき、頭の上に物が落ちてこないようにとか、地震がきたらすぐに火を消すとか、結構うるさかった。

風水(占い)によるとお風呂の水を貯めておくのはよくないらしいのだけれど、わたしはあれは一種の貯水槽だと思っているので貯めておく。飲料水などの配給はあるけど、一番困るのがトイレの水で、水洗トイレである以上隣の浴室に水を貯めておくのは合理的なのである。庭にもバケツを置いておく。(気休め)

都内の狭いところにいたときでさえ、タンスは寝室には置かない。それでさえ倒れないように上に何かを置いておく。タンスが開いて中の物が飛び出すのならかまわない。本棚も一緒。中の本が飛び出すなら死なない。タンスのような書棚は天井まで届きそうなものを使っている。あれなら倒れようがないから。

細かくはテレビの前に座らないとかね・・・

一生懸命に対策しようとしているわけではないのだけれど、あまりにも地震の多いことに慣れているせいか、ごく自然に覚えた。それでも完璧な横揺れがきたらどうなるか分からない。直下型は縦でしょ?ややこしい。

それにしてもこの記事はどうなんだろう⇒『神社のお粥占いに地震の予知?』

そうだなぁ・・・わたしが5日前にこの記事を読んでいたら、飲料水と乾パンくらいは買いに出かけていたかもしれない。だったら今から行く? う〜ん・・・・・なんか今日は怠惰な気分。怠惰を回復した娘を連れて、お絵かき教室へ行かねば・・・目先の課題が優先か。

投稿者 Blue Wind : 12:32 PM | コメント (0) | トラックバック

March 20, 2005

均衡と協調性のなさ

他愛もないことなんだろうな・・・ただ、わたしにはそれが耐えられないことのように感じてしまうだけで、それが当たり前だと思って育てばそれが価値観となるだけのことなんだろう。

よそさまのことだから、あからさまに面と向かって言うことはない。

例えば、どうして習い事だの何だのとせっせと通っているのに、子どもが漫画一冊自由に買えないのだろう、とか。経済的に余裕がないのであればともかく、必ずしもそうとも言えないことも多々あるし、価値観というのはわからない。動機も違うし・・・

子どもに甘いとか厳しいとか、いろいろな親がいる。ささやかなことなんだよね・・・今の時代は、大きくは違わない。同じような教育を受け、同じような雰囲気の子どもたちがいるだけのことであり、ほんのちょっとしたことに異質物のごつごつを感じてしまうことがあるということだ。だから、通り過ぎてしまえばどうということもなく日常は続いて行く。喧嘩したとか、仲が悪くなったとか、いささかそういうトラブルもなく、どちらかと言えば空気のように存在する違和感を何かでつなぎとめながら人間関係が構築されて行く。

今日、ダンナは仕事なので、おちびは朝から友達の家に行き、午後からも一緒に公園へ行くといって電話が掛かってきたら出かけてしまった。そうやって育ててしまったのだから仕方がない。それはそれでほっとする。

学校には学校の価値観があるし、公園には公園の価値観があるし、塾には塾の価値観があるし、お絵かき教室にもお絵かき教室の価値観がある。日本人なのにインターナショナル・スクールに通っている子もいれば、外国人なのに日本の小学校へ通う子もいる。

それにしてもうちのブロック、どうなっているんだろう。蓋を開けたら、5人が5人とも違う中学へ行く。都会なら驚かないんだけどね・・・この選択肢の限られた世界で一体何が発生しているのか、わたしにはわからない。ひとつ分かっているのは、おとなの世界とこどもの世界は違うらしいということで、それを見て、うちの娘の志望校が微妙に変化してしまったということくらいだろうか。

どーなっているんだよ〜!! はっきり言えよ、はっきり!! どーしてそーいうことになったのか、誰も知らないらしい。誰も何も言わない。もしかするとわかりやすい理由はないのかもしれない。

こういうときに、情報ツウとか、芸能雑誌とかあればね・・・わたしでも買って読むさ。芸能人が何してるかより、うちの近所で一体何が起こっているかのほうが遥かに興味深い。それでいて不思議なくらい情報がない。なんでなんだろう。

まあ、親の職場が同じで、近所に住んでいたら、学校くらい違うところに行きたかっただけなのかも。うちのダンナに言わせると、国立的付き合いというのはそういうものらしい。普通は逆じゃないか? うちなんてシンプルだから、「ゆかちゃんが行ってるならうちのちびも行かせるか・・」みたいなノリしかない。いや・・・それは少数派だからそうやって考えるだけなのかも。

----それじゃあんたは協調性があるわけ?

いいえ、ありません。桜の季節、ミモザを眺めています。だって、隣の家が木蓮植えて、うちも植えたら真似してるみたいじゃない?並木に行けば同じ木が並んでいるし・・・公園は桜だらけだし・・・

ここは、つくば。変なところだよね・・・それでいて住みやすい。なんでだろう。マイ・ペース・タウン。公務員の街なんてこんな感じなのかも。共産圏、か。国家公務員と資本主義社会。なんか変な組み合わせ。

花でも眺めていたほうがいい・・・

投稿者 Blue Wind : 02:42 PM | コメント (0) | トラックバック

March 19, 2005

ちょうじり

それにしても今の小学校っていやですね・・・何がいやと言って、この前娘がいきなり言うんです、「お母さん、お風呂の残り湯使わないの?」って。

国語の授業で短歌や俳句をやっているくらいならいいんです。さらさら〜っとね、親としてはへぼ歌人でもそれなりにさらさら〜っと詠めるだけで気分がいい。マザーテレサのお話など、ついわたしのほうが読んでしまいました。

ところが、「生活」と言うの? 理科や社会と呼ばずに生活という科目があり、これの中に出て来たのか、はたまた家庭科の授業だったのかわからないけれども、いきなり娘が家の中で節約していることとか工夫しているところをわたしに取材するんです。

それとか、お味噌汁の具とか・・・

節水というのなら、わが家はすでに10年以上ドラム式の洗濯機を使っているし、水を貯めるタイプではないのでお風呂の水は使わない。お味噌汁は、ダンナが好きではないので1ヶ月に1度作るか作らないかです。お吸い物のほうが多いかも。

だんだんいやになってきてね・・・うち、輸入住宅なので、小さな窓が30個くらいあり、これにカーテンをつけようと思うとすべてオーダーになってしまう。そうするとおっそろしい額になるので、今は既製のものが売っているのを発見したので半分くらいはそれを使っているんだけど、家を建てたばかりの頃は自分で縫ったし、それなりにわたしはわたしで考えてやりくりしているつもりなんだけど、ライフスタイルの違いというか、「決め」で話されると、なんで小学校でそんなことを学ばなければならないのだろうと、いやになってしまった。

漫画一冊子どもが買うのでも、そこの家庭によっては電話がかかってきたり・・・要するに友達がみんな買っているなら仕方がないかな・・・みたいな感じなんでしょうね。わたしの感覚からすると、それくらい娘の勝手なのではないかと思ったんだけど、金銭の躾というのはそこのご家庭によって大きく違うから仕方がない。

それこそ、毎月の小遣いはいくらとか、そういうことまで相場というものがあって、みんな一緒でないと気に食わない人もいれば、まったく気にしない人もいるし、それだけでも憂鬱になるのに今度はお風呂の残り湯かよ〜!って思ったらかなりしょぼい気分になってしまいました。

物は考えようで、いろいろな節約の仕方があります。建てるときには若干高くても冷暖房効率のよい家とか、服は海外で調達するとか、普段余分な買い物をする習慣が無くなるし、趣味と実益という点で旅行はリーズナブル。

『羽仁もと子案の家計簿』というのがあって、わたしも結婚してかなり長い間これを使っていました。暮らし上手は生き方上手というか、最初に予算を決めて、わりふりする。そこから減法(引き算)により付けていく。普通の家計簿は逆でしょ? 加法(足し算)なのよ・・・使ったものを記録していくだけ。羽仁式は減法で、例えば、光熱費を2万円で月割りすれば、余る月もあるし足りない月もある。要するに年間でプラマイ0か、プラスになればよいのだから、貯金も生命保険料も出費として計上します。

一番ユニークなのが食費の書き方で、一日1000円で副食費(おかず代かな・・主に)を決め、まとめて3000円買えばマイナス2000円になるけど、翌日買わなければその分の予算を足してマイナス1000円という具合に計算して行く。毎月のちょうじりが合えばいいわけで、慣れると年間のちょうじりが合えばいいという具合になる。

旅行へ行けば、その分の光熱費や食費の予算は余るし、それでいて旅行のための代金もどういうわけか毎月予算計上して行く。月にいくらみたいな形で娯楽費として。そうすると光熱費や食費の赤字の分はその月に埋め合わせ、旅行が夏だとすると娯楽費の項目は一気に赤字になるけど、年間予算で考えてちょうじりが合えばいい。

うわっ、赤字だ赤字だどうしよう・・・と思ったとき、不意に貯金も出費ということを思い出しました。どうして家計簿は赤字なのに、口座は赤字でないんだろうとかそういうアホなことを考えたり・・・予算は単なる予算なんだよね・・・それでもそうやって数字やら予算やらをこねくりまわしているのが面白かった。

それにしてもうちの娘は小学校で何を習ってきているのでしょう・・・成績わるくても叱れない。風呂の残り湯とか味噌汁の具で成績が決まるのか? なんかね・・・放っておいてほしい。

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March 18, 2005

ささやかな気分転換のために

オードトワレの名前はむずかしい。覚えられない。名前で覚えるよりも、瓶の形や色で見つけたほうが早い。

ものすごく昔、わたしは名前だけで『レール・デュ・タン』が好きだったけど、今はこの香のきつさに耐えられない。「時の流れ」と訳すのだろうか。空気中に充満する時間のような名前に魅力を覚えた。それで結局この数年ほど愛用していたのが、アルマーニやブルガリの男性用のオードトワレ。あまりにも月並みでネタにもならない。

アルマーニの『アックア・ディ・ジオ』というのは、「大地の水」と訳すの? ブルガリのプール・オムには特別な名前がない。

昔からファンデーションを使う習慣がなく、六本木あたりで遊んでいてもすっぴんだった。正直、化粧が下手だったということもあるだろうし、肌が綺麗だったということもあるだろうし、それ以上に飲んで帰ってその後に化粧を落とすのが非常にめんどうだったというのが一番の理由かもしれない。

OLをしていた友達が言うには、そういうことが許されるのは学生だかららしい。社会人の場合、化粧というのも礼儀の一つであり、化粧もしないで人前には出られないというのが普通の感覚らしい。ほんと?

まあ、それでもルージュやコロンの類は好きで、生活必需品には違いない。

どうしてわたしがお化粧が嫌いかの理由に、毎日同じようにできないということもあるかもしれないと、ちらっと思った。朝起きて、健康のバロメーターのように今日は化粧ノリがよいとかわるいとか、失敗したとかやりなおす時間がないとか、そんなことを考えるだけで憂鬱になる。

最初からしないと決めておけば、その分寝ていられる。帰ってから無駄に化粧落としに時間を割かれない。予算的にも時間的にも精神的にもなかなか合理的。結婚して子どもが出来て、近頃化粧しなくなったと誰からも文句言われなかった。なんてさっぱりしているのだろう・・・

それでも、今日何かブログのネタがないかな・・と探していたら、アナ・スイの『スイ・ラブ』を見つけた。最初この派手な濃いピンクの蝶の瓶を眺めたときには、ちょっと引いた。でも、想像していたよりさっぱり系。それでいてどことなく甘酸っぱい香。「今時の女」という感じ。
正直、わたしは『スイ・ラブ』的な女ではない。外見の強烈さと裏腹のさっぱりとした女性らしさ、というのは自分のイメージではないから。それでも何となく持っている。

近頃気に入っているのは、ドルチェ&ガバンナのライト・ブルー。

アロマ・テラピーというわけではないけれど、花の少ない今の季節にオードトワレはなかなかご機嫌なアイテムかも。ついでにCDラックから、マーヤの『ファースト・イン・ライン』を見つけた。


アーティスト: マーヤ
タイトル: 風をだきしめて+1

以前はよくレンタルショップで借りていた記憶があるので、いつの間に買ったのか、すでに思い出せない。エストニアのアイドルらしいのだけれど、今ではエストニア出身のアイドルと呼んだほうがいいのかも。一時期北欧系のサウンドばかり聴いていた頃に見つけた。エストニアでは録音機材が思わしくないというので、英語版はスウェーデンで作製されたらしい。

ドルチェ&ガバンナのライト・ブルーとマーヤは相性がいい。春の甘い香が漂う

投稿者 Blue Wind : 02:41 PM | コメント (0) | トラックバック

異質空間

その一言を言わせるまでが大変なんだよなぁ・・・いや、おちびがこのところふさぎこんでいるから何か原因があるはずなんだけど、その原因を吐かせるのがテクニックなのかもしれん。

塾や習い事をすっぽかし、それを叱ったからといって何も解決しない。単に塾がいやだとか、習い事に飽きたというのであれば別だけど、それまでやる気で行っていたのが急に、というのは変だ。

学校の帰りがやけに遅いとかね・・・塾があることを知っているはずなのに。以前ならこちらの都合におかまいなしに電話をかけてくる。迎えに来いと・・・

それとか、「うちはどうしてお父さんもお母さんも東大じゃないの?」とかね・・・ガクッてくるようなことを言ってくれる。その時も、「悪かったね、東大じゃなくて」と先回りしてカマをかけたら、「どうして分かったの?」だって。

ハワイにでも移住しようかと思ってしまう。

国立の研究機関ばかりある土地柄っちゅーのは、そういうものなんだよね・・・幼稚園から大学まで国公立で東大一直線、みたいな。私立の医学部に行かせる金はないけど、医者にはなれる、みたいな。プライドだけが変に高い。

それで、何となく皆の輪に入れない、とか?

こうなると、テクニック。ひたすら吐かせる。泣かせる。次におだてる。

「○○くんのお母さんがまほちゃんのこと褒めてたわよ〜、しっかりしてるって。プロボウラーのYさんもタダでボールつくってくれたでしょ?まほを将来プロボウラーにしたいって。すごいわ〜。くま先生だってまほに期待してるって。学校の先生が分かってくれなくてもくま先生が言うんだから、そっちのほうがすごいわよ」とかね・・・次から次へ思いつくままにおだてまくる。

そのうちウキウキしてきて、2階から『中学受験案内書』を持ってきた。

(しめた!)

と内心思ったとたん、バカオヤジ。

「まほ、座りなさい。本当に塾に行きたくないのか?行きたくないのなら・・・(うだうだうだうだ)」が、始まる。

もうその話は終わっているのに・・・酔っ払いが説教を始める。

(やめて〜〜〜〜!!!)

母子でぶんむくれる。

(あんたが東大出てないのが悪いのよっ!)とは言えません・・・さすがに。でも腹が立つ。

こういうとき、父が生きてたらいいよねって思う。彼はシンプルだから、「女は顔だ」で終わり。まだあるぞ・・・「ブスな子ほど飾ってやらねばならない」とか・・・ほんで、小遣いせしめて、ぷわ〜っとね・・・ビル・ブラス、ティエリー・ミュグレ、サンローランにケンゾー。手当たり次第に買いまくる。

「目指せ、東京芸大!東大よりすごいわ〜、お母さん(わたしのことさ)なんて、まほが受けたというだけで自慢だわ、落ちても受験票だけは記念にとっておくの。中学や高校なんてどこでもいいのよ、まほは東京芸大へ行きたいんでしょ?」

・・・・・・・・・われながらあほだと思うんだよね。それでも今日はご機嫌で学校から戻ってきたから・・・それでよしとせねば。

ゆとり教育、か。

たしかにゆとりあるよ・・・昔に比べれば。それでいて何なんだろう・・・この異質物がぎっしりつまったような不自然さは。

投稿者 Blue Wind : 02:09 AM | コメント (0) | トラックバック

March 17, 2005

娘の将来設計?

⇒トラステに参加しています。 テーマ『我が子の将来設計』。


そろそろ娘もむずかしい年頃に突入し、小学生でも高学年になると女の子は次第に”女”になっていく。今までは、男の子も女の子もいっしょくたで、どうせ1クラスしかないし、娘もてきとーにわいわいやっていた。それがだんだん小グループに分かれ始め、今までは普通に仲良くしていたのに、何となく輪の中に入れないとかね・・・過疎の季節を感じ始める。

よく考えてみたら、”進路”で分かれるのかも。

この1週間ばかり、塾もお絵かき教室もお休み。どちらかといえば、ずる休みに近い。わたしは自分がサボることに関しては常習犯でもあったので、そういう意味では何も心配していないのだけど、それよりも急にどうしたのだろう・・と、そちらのほうが気になる。

こういうとき、うちのダンナはあまりにもシンプルで、友達が悪いと思うらしい。そうじゃないんだよね・・・ドロップアウトした友達は案外貴重な存在。単に娘の相談に乗ってくれているだけだ。

同じ小学校で近所に住んでいても周囲は一つ上の学年の子が多く、その子たちは学校は違うもののそれぞれ私立の中学に合格し、そういう意味ではわたしはのほほんとしている。

ところが、一つ学年が下がると、受験する子は減るような気がする。微妙。

仲が悪くなったとか、いじめとか、そういう目に見えることなら気にならないんだけど、そうではなく雰囲気というのかな・・・そのまま小学校のグループで中学校へ行く子たちと、受験する子たちとの間で微妙な壁が・・・そうすると、うちの娘などはノラクラ愛想のよいタイプだから自分も受験をやめたくなってしまうという・・・

これがもっとローカルへ行き、わたしがよく聞かされるのは、医者の子だというだけでいじめられたり、周囲はまるで勉強しないから、などといった類の愚痴で、そうなると子どもも学校より塾や習い事のほうが楽しいとばかりそそくさとバスに乗って1人で塾に通っていたとかね。そういう子たちは小学校がつまらなかった分、中学校が楽しいらしい。

娘がそういう風にならないように今のところに住んでいる。近所は医者が多いし、うちの娘は出来が悪いのでそれはそれで悩みの種。ようやく本人もやる気になってきたところで、今度は心理的過疎の問題で悩み始めている。

延々と続いていくからね・・・

これから先、中学、高校、大学、その他諸々。多数派の中にちょこんといるだけのほうが心理的負荷は小さい。わいわいがやがやその他大勢。

その他大勢の中に入れるために受験させる。

で、気が付いたら、うちのダンナみたいに友達も親も親戚も医者だらけ、という環境になってしまい、まるで外の環境を知らない。たまに言うんだよね・・・僕は友達が少ないなーって。いや・・・少ないのではなく、友達という実感が薄い関係が多いのかもしれないような・・・付き合いが少ないとか友達が少ないということはないんだけど、なんていうか、狭い。

狭いのよね・・・

大昔、友達が、「インターナショナルに友達を増やして・・」って言ったら誰かに笑われたらしい。

娘の将来設計?

「なんでもいいから、さっさと嫁に行って、孫でも産んで」って教育目標欄には書けないよなぁ・・・

「かったるいからこのまま女子大の付属にでも入れて」ってダンナに言ったら、「そんなところに入れて何になるんだ!」って言うし・・・そこまで言われたら、「あ、あたしを馬鹿にするわけ?」と答えるしかないじゃん。

なんでもいいんだよね・・・あいつに負けないものがあったら。やっぱ、自分の専門領域があるって強いし、それが美術でも音楽でもスポーツでもなんでもいい。そういう感覚は家庭内の問題なんだけど、もしかすると社会を考えてもそういうものなのかもしれないと近頃感じたりする。それでいて、以前、ダンナの友達に「家庭内ファシズム」だと言われてしまった。

「『かかあ天下』の家庭を構築する」というのも教育目標にもならないような気がするし・・・どうしよう、困った。

まあ、どっちにしろ本人次第だよね・・・親が決めることじゃない。

投稿者 Blue Wind : 03:46 PM | コメント (0) | トラックバック

March 16, 2005

死への列車

ウェブサイトで公開されている中田英寿選手のファンへのメッセを読んだ。本当に本人が書いたものなのかな・・などとうがった見方をしながらもオフィーシャルサイトで公開されている以上は嘘ではなく、実際、ほんの少しでも考える時間ができると誰でもこんな感じなのかもしれないと、うすらぼんやり共感する。

ずっとサッカー・オンリーの人生で、少し時間ができたら・・と考える。

もしかすると、みんなそうなのかもしれない。生活に拘束されていると、自由がほしくなる。すると旅へ出たくなったり・・・世界中を回っていろいろな生活や人生を見て、そして自分が本当に何をやりたいかを考える。

実際には、どうせスケジュールが一杯で、ワールドカップのこともあるし、怪我でもしなかったら休みもない。本当だったらもう少しお休みしていてもいいような気もするのだけれど、スポーツ選手にはいつかは現役引退の日がやってくる。

なんか、こう・・・10代はそれなりに精一杯で、20代はがむしゃらで、30代は不幸の連続で、わたしは40歳を過ぎてようやく少し休む時間が与えられたような気がしている。かといって、年寄りの相手をしていることもそれなりに疲れる。

少し休みができたときに、人生の愚痴を聞かされるほど退屈なことはない。はっきり語れば、そういう風になりたくないから、ゆっくり考える時間がほしくなるだけのことであり、そういうゆとりの時間に、動けなくなったらとか病気になったりとかお葬式のこととか、未来のない現実を不安一杯に語られても退屈なだけ。

若いうちは将来は違ったものに映る。あれもしてみたい、これもしてみたい、という具合に。それがいつしか将来のことを考えることがいやになる年齢に達する。わたしはちょうどそういう過渡期の年齢に達したせいか、近頃過去を振り返ることが多くなった。

でも、それは悪いことではなく、逆に少しゆとりができたから、過去を振り返る時間があるだけのことだし、何を考えているかといえば、自分がやりたかったことなどをぼちぼち思い出したり・・・

本当にやりたかったのは研究なのかもしれないけれども、今いくつか理由があって昔ほどそれに魅力を感じない。わたしは若い頃はめいっぱいわがままな人間だったし、そういう意味での後悔もない。

30代は大変だった。それでいて、今だから言えるのかもしれないけど、何もないより何かあったほうが充実感がある。結婚だけでも大変なのに、震災やら親の世話やら慣れない育児に見知らぬ土地。病気になりそうでならないのは、わたしは案外タフに生まれているのかもしれない。

夢を見た。

4人で旅行していた。父と母とわたしと娘。その光景なら本当は弟が一緒のはずなのに、どういうわけか娘と一緒だった。いくつか列車を乗り継いでいるうちに降りる駅から離れてしまい、そこへ戻ろうとすると改札を出られない。すると、ターミナルのその駅に急に次から次へ列車が入線し、わたしは15番線の列車に乗らなければならないはずなのに気が短い父はさっさと歩き出し、勝手に10番線の列車に乗ってしまっていた。母と娘が続く。わたしは改札の人が案内してくれるというので(間違えているから・・)、大きな声でその電車は間違っているのよーっと叫ぶ。娘はすぐに気づき手を振りながら降りてきた。母も遅れて降りてきたような気がする。そして、気が付けばその列車は父を乗せたまま動き出してしまっていた。

父との別れ。
その瞬間、あの列車は死への列車だったのだと気づき、わたしは急に寂しくなって目が覚めた。また父だけが1人だけで行ってしまった。それだけでもショックだったのに、その列車に娘が乗っていたら・・と思ったら胸が締め付けられた。そして、もう一つショックだったのは本来なら弟が一緒のはずのところに娘が一緒だったということ。

これが今のわたしの潜在意識。

生きていれば何かを背負って生きている。それが母と娘なのかもしれないし、それが父の代わりにわたしが責任を持たなければならないことらしい。

結局、何をしたいかとか、何をしているか、はあまり関係ないような気がすることがある。ただ、ここで自分がくたばったら大変なことになるな・・と思うような何かに支えられてテンションだけが持続していく。実際問題、わたしはあまり頼りになる人間ではないけれども、それでいてわたしがくたばったら大変なことになる。

しばし、桜の季節。まだ花はない。なんか、こう・・・何もしていないのにやたらと疲れる季節。しばし、桜ブルーと格闘。でも、今年はまだマシだ。西行みたいに桜の木の下で昼寝したら治るだろうか・・・

テンション高いな・・・くたばりそう。土の上で眠りたい。まだ埋められたくないけど。

投稿者 Blue Wind : 02:20 AM | コメント (0) | トラックバック

March 13, 2005

知らん顔してたらええねん

ファン心理って難しいですね。わたしも気になっていたんですよ・・・アメブロに『ヴェルディ食堂』というサイトが登場し、「なんでアントラーズじゃないのよ〜!」って内心ムッていました。でも行かなければ存在しないも等しいのがネットなので、そのうち忘れると思っていたら・・・またまたnattoさん!(いつもネタの提供ありがとうございます)

これ、別チームのサポーターにしてみたらたまらないだろうな・・・みたいな。

記事を読むと比較的紳士的なことを書いてはいるが、内心はむっかむっかしてたまらんぜよ、みたいな・・・わかるようなわからないような・・・そのうち暴動が・・・(ウソウソ)

ファン心理の権化というか、わたしの父は酷かったですからね。根っからの巨人ファンだったから、それこそ巨人が勝つとウキウキしているし、なんで今日こんなに機嫌が悪いんだろうって思ったら巨人が負けたのが原因だったり・・・

そういうアホはうちの父だけかと思っていたら、お舅さん!
家の中ではだ〜れも阪神ファンなんていないのに、その時間になると寝ながら一人でテレビを見ている。酷いとわざわざ誰もいない部屋に篭ってまで見ている。

最初は、「まさか・・」と思っていたのですが、ある日ダンナの実家にいた時、お舅さんが不意に消えたので、「お義父さんは?」と姑さんに訊いたら、「テレビ見てるよぉ」と言い、素知らぬ顔。姑さんは実家が東京だったので、うちのダンナは子どもの頃、巨人の帽子を被せられたそうです。伝統の一戦の時間には、だ〜れもくちをきかない恐ろしさ・・・その後、お舅さんの顔を見ただけで、試合の結果がわかるという。

うちのダンナはくちでは自分は阪神ファンではないと言いながら、はじっめて大喧嘩したのが、キーオが原因でした。窓が割れましたから・・・あの時。いかに壮絶だったかご想像いただけたかもしれません。普通だったら割れないよね・・・相当頑丈なサッシだし・・・それに穴が開いちゃうんですから。

どうして許せなかったかというと、阪神のキーオが160キロの剛速球を投げるとうちのダンナが嘘をつくからです。そんな投手がなんでいっつも3点くらい巨人相手に失点するのかという矛盾を突いたら、怒ったのなんのって、わたしも一歩も譲らない。

めったに喧嘩しないんですけど、あの頃は一度喧嘩が始まると、4,5万は窓の修理代に捨てていたと思います。それっでも許せなかった。あの嘘つきには。(えっ、誰が割ってたって?・・・・ほほほ)


ジーコ!

愛してるよ〜♪

* so-netは使ってないけど・・・

投稿者 Blue Wind : 11:24 AM | コメント (0) | トラックバック

March 12, 2005

橋本一子

なっつかし〜い!
CDショップへ行き、何となく歩いているうちに、不意に「橋本一子」の名前が目に入る。ジャケットを見て、「あ、一子さんだ」と記憶の中の顔がよみがえる。


アーティスト: 橋本一子, 井野信義, 藤本敦夫
タイトル: Miles Away〜トリビュート・トゥ・マイルス

高校時代ですよ・・・わたしたちが一子さんの家に押しかけてしまったのは。わたしは普通ですからね・・・誘われただけです。

その当時はロックやポップスのほうが好きだったし、卒業記念はビリー・ジョエルのコンサートだった。ぶらんかさんのところで久しぶりに、ビリーの名前を見つけて、くすくす笑ってしまう。
理由?
それは何と言ったらいいのだろう・・・薄かったから・・・後姿が。当時はすごく流行っていたので、わたしはビリーの『ピアノマン』ですら持っていたのだけれども、ある日「わたしは『ピアノマン』が好き」とアメリカ人英語教師のパムに言ったところ、げらげら笑われた記憶がある。
アメリカ人の感覚からすると、ビリー・ジョエルの『ピアノマン』というのは当時でもすごいナツメロで、それを日本の高校生が聴いているというのがすごく可笑しかったみたい。


アーティスト: Billy Joel
タイトル: Piano Man

で、話を一子さんに戻すと、当時彼女はまだ音大生か音大を出たばかりだったのではないかと思う。それが突然実家まで押しかけてしまったのは、たまたま友達の家に近かったのと、一子さんの妹が一つか二つ下の学年にいて、いきなり電話しちゃうのだもの・・・家に・・・わが友が。

幸いにして、お母さんというのが愛想の良い方で、突然の電話にもかかわらず、「家で待っていれば戻ってきますよ」とおっしゃったので、そのまま学校帰りに押しかけてしまった。(こういう時、制服というのは絶対的に強いと思う。)

その時わたしを有無を言わさず誘った友達はジャズが好きで、ベース音ばかり聴いている女だった。そのくせ古文が好きで、楽器と言えばお琴をあやつり、お父さんは短歌の先生。一度だけ夕飯をごちそうになった時、コンソメ・スープの中の野菜が全部自家製だった。彼女の部屋は二階の和室で、大きなお琴と小さな机が置いてあるだけ。とても女子高生の部屋とは思えないシンプルな部屋で、わたしたちはジャズを聴いた。
決して裕福な家庭ではなかったけれども、どことなく風流で上品な家庭。彼女がわが家に来るときの手みやげは和菓子と決まっていた。よくあんなに甘ったるいものが食べられると感心した。

それが、突然、なのだもの。
どうせわが家は親の帰りが遅いので、土曜の放課後にちょっと帰りが遅くなったくらいどうということもない。彼女はいきなり家に電話し、喧嘩腰で怒鳴るように電話を切り、「さあ、行こう」という具合。
約束より少し早く到着し、一子さんの家で待つこと2時間、一子さんが賑やかに帰ってきた。それまでが大変だった・・・お母さまが気を使って電話するわけ・・・一子さんに。「待ってるのよ、早く帰ってらっしゃい」という具合。わたしたち2人が勝手に押しかけたにもかかわらず、あれこれもてなしてくれる。

本当のことを言うと、「橋本一子」という名前を聞いたのがその日が初めてだったわたしは話についてゆけそうにない。それでいて妹さんが同じ学校だったので学校の話とか、先生の話とか、そういうつまらない話をぼちぼちしながら時間を過ごした記憶が。ごく普通のご家庭で、ジャズピアニストという匂いはなかった。

その後成り行きで、新宿でライブがあるというので、お礼に花束を持って出かけて行った。実際に演奏を聴いた感想は、「子宮でピアノを弾いている」としか語れなかった。まだ熱い時代だったのだと思う。それとクラシックのくせがあって、それがどうしていきなりジャズへ転向したのか、高校生ながらそういうことを考えた。

本音を語ると、その当時のわたしはジャズが好きでなかったのかもしれない。もっと本音を語ると、今日、橋本一子の名前を見つけたとき、「まだやっていたのか」と思ったのだった。それでいてジャケットの写真は昔のままで、なつかしさのあまり買ってしまった。

感想?

歳月は素晴らしい!

彼女の演奏を聴いたのは、もう20年以上昔の話になってしまったけど・・・ビル・エヴァンスとトゥーツ・シールマンスの『アフィニティ』をもっとメロウにした曲作りで、カバーという点では最高。

そういえば、その時一緒に行った友達は今東北の片田舎で、さらに風流に暮らしている。彼女の家に無理やりファックスを入れさせたのはわたしだけど、そろそろメールが届くだろうか・・・わからない。母屋と離れのある暮らしは大変なのだ・・・電話をするのも、気を使わなければならない。


アーティスト: ビル・エヴァンス, トゥーツ・シールマンス, マーク・ジョンソン, エリオット・ジグムンド, ラリー・シュナイダー
タイトル: アフィニティ

投稿者 Blue Wind : 06:20 PM | コメント (0) | トラックバック

February 27, 2005

のんびり生きるのも大変なのかも・・・

疲れて帰って来て、何が一番イヤかと言えば、夕飯の支度かも・・・
昔はそんなこともなかったんだけどな。とぼとぼ歩いてスーパーへ行き、ついでにパズル雑誌などを買って来て、ポトフを煮込んでいる間にちょこちょこっと解いて遊ぶ。それも一つの気分転換。子どものいない時代は楽だった。

今は、夕飯の支度というのも仕事のうちであり、外食をゲットすると得をした気分になってしまう。たまにダンナがいない時など、「え、今日は夕飯要らないの〜、らっき〜♪」などとルンルンしてしまう。
学生街だからレストランはおっそろしいほどあるし、歩いて行ける距離なのに、重い荷物を買って歩くのがイヤだからわざわざクルマで行くという煩わしさからも解放されるし、ささやかなことでもサボるというのは楽しい。

ディズニーランド・・・
行きはともかく帰りのバスは少しでも寝ようという主婦根性がバスの中に充満する。わたしは爆睡してしまったようで・・・気が付けば窓の外は見慣れた景色。

「あ、家に電気が点いていない!(やられた!)」

という声が、隣の席から聞こえて目が覚めた。

「まったくあの人たちは頼りにならない!!」

高校生の息子と親父。
頼りになるかどうかは知らないけど、少なくても家に電気を点けて、ご飯の支度をしてお風呂を沸かし、「お帰り〜」とは言ってくれないということくらいはわたしにも理解できる。
近頃では、お母さんもお仕事しているし、だったら少しは家の中のこともしてくれたらいいのに・・という気持ちはわかるけど、無理かも。これが最初から共稼ぎの家庭だったら少しは違うような気がする。

わが家は、少しだけマシ?
帰ったら、とりあえず家に電気は点いていたし、ダンナはドラクエをやっていた。
学生結婚だったせいか、彼は今でもヒマなら食器洗いや洗濯はしてくれる。ただし、機械の中に放り込むだけだけど。
機械がない時代、コップ一つすすぐのに5分。つまり勝手にビーカー洗いをされて、あまりにも不経済に泣き、それを姑さんに言ったらホシザキの置き型の食器洗い機を買ってくれたのを思い出す。彼女の息子は(つまり、うちのダンナは)つまらないところが神経質で、それでいて、わたしはそこまでヒマではない。高温洗浄で哺乳瓶の煮沸もできるといううたい文句。食器洗浄器は値打ちがあった。
洗濯に関しては、どうやって言ったらいいのだろう・・・うちのダンナは洗濯が好きなのである、としか語れない。昔からだから理屈ではないのだろう。

確かに生活費を稼ぐのは大変かもしれないけど、赤ちゃんの世話はもっと大変。24時間体制。その上、どこへ行くにも一緒。勝手にハイハイする時期から3歳くらいの目を離せない時期にはトイレの中まで一緒だもの。そのストレス。オムツ替えの出来ないところには行けない。それでいて、買い物やら健診やら忙しい。

この時代の名残で、今でも買い物はクルマなのかもしれない。ベビーカーを積んで、買い物の荷物のほかに子どものためのグッズを運ばなければならない。一人が風邪を引くと、次々に風邪が移り、ダウン。

そういう時代を潜り、少しは楽になったかと思えば、次には受験。近頃、お仕事するお母さんが増え出した。なんだかんだ言っても、出てゆくものは出てゆくし・・・それでいて受験でなければ、バレエの発表会の準備とか? 
とにかく、仕事と子育ての両立は大変。パートで3時間くらいというのが限界のような気がするけど、いざとなるとそういうわけにも行かず、結局、「あの人たちは頼りにならない」ということになるらしい。

わたしなんて、ダンナがドラクエをしながら「おなかすいた」と言うのを3回聞いただけで寿司屋に電話。しかも、彼は中トロだけ。なぜかそうやって決まっている。確かに遊んで来たのはこちらなのですが、朝から5時起きで行って帰って来て、その後まで働きたくない。眠たかったし・・・出前が来ても気が付かないで爆睡していた。

こうなると、今さら仕事に追われ、夕飯の支度、子どもの送り迎え、母親の世話までなんてとてもやっていられない。ってなるよね・・・いや、世の中にはそうやって忙しい人たちはたくさんいる。だったらわたしも?

勘弁してくれよ〜〜〜!!

わたしは働くのが好きではない。それならウダウダ家でネットやったりドラクエしたり、そのうち歌集出して(っていつになるかわからないけど、ええねん、それで)、という具合にのんびりしていたい。夕飯をスーパーの天婦羅で文句言わない家族でないととてもお仕事なんて無理なような気がする。それでいて一人だったら揚げ物なんてやらないことも知っている。サプリも嫌いだし・・・

普通に生きて行こうとするのが難しい世の中なのね・・・たぶん。

投稿者 Blue Wind : 11:01 PM | コメント (0) | トラックバック

寒い日のディズニーランド

昨日は、子ども会の6年生を送る会。ディズニーランド。寒かった。

ジェットコースターって誰でも乗れるものじゃないんだなぁ・・と、そういうことを思う。6年生を送る会の企画は6年生が考える。うちの地区はディズニーランド。隣の地区はボウリング大会。うちの地区はやたらと受験生が多かったせいか、受験が終わったこの時期、がんがんにジェットコースターに乗りたいとばかりにディズニーランド。

そういう中に一人だけ、受験も途中でやめて、ジェットコースターにも乗れない子がいる。

低学年の頃から、娘より一つ上の学年で、傍から見ればずっとうちの娘にしがみついている。越境組。年寄りっ子。お父さんが駅長さんで厳しい。つくばよりもっと田舎から通学している。田舎のことを知っている人たちなら少しはわかるかもしれないけど、田舎で、「長」のつく役職は偉いのである。校長、郵便局長、駅長、市長、その他諸々。

だったら、伝統的に地元の小学校へ通えばいいのに、越境。お母さんとお姉さんが美容師をしていて、お店がうちの近所にある。

案の定というか、例の如く、ほかの6年生の子たちが子どもたちだけでアトラクションを回るというのに、ジェットコースターに乗れないその子は、はみご。それで、いつものように、「まほちゃん一緒に回ろう」と言われ、一緒に行動。今回はあちらのお母さんもわたしも一緒だから、最初にビッグサンダー・マウンテン。「3歳の子でも乗れるよ〜」っとそそのかして並んだのはいいけど、途中で泣き出してしまった。

何とかお母さんがなだめすかしながら、乗る間際まで行き、結局、彼女は乗らなかった。3人は乗ったんだけど。つまり、親2人とうちの娘は・・・

まるで幼児。こういう時、なんて親が甘いんだろうって思うのが世の常なんだけど、よく聞いてみると逆。お父さんがやたらと厳しい。その反動で、お母さんには甘えが出る。

正直、わたしは空腹と寝不足でジェットコースターに揺られると単なる乗り物酔いをしてしまいそうだったので、彼女に救われたと思ってライトで寒いディズニーランド。単なるハニーディップのポップコーンを買うために1時間を費やし、ベビーカーが並んだあたりをウロチョロ。罪滅ぼし的に、おちびに帽子とマフラーを買い、お揃いのトレーナーをゲット。

帰りのバスで、娘は言う、「もっとたくさん乗りたかった」って。だったらその場で言えばいいのに言わない。それでも楽しかったらしい。この辺が難しい。

とりあえず、この前、ダンナがダーツの景品でディズニーランドのペアチケットをゲットしてきたので、次にはお父さんと一緒にあれこれ乗るつもりらしい。そうなんだよね・・・つまりは、次があると思うから今が楽しい。次には別の友達を誘って、がんがんに乗ろうと内心思いながら、今日は適当にノラクラしていたのか?

厳しいお父さんと甘いお父さん。

父親が厳しいから外でわがまま、父親が甘いからのらくら。外でよい顔をしていられるのは父親が甘いからかも。この鬱憤を父さんにぶつければ、父さんなら何でもしてくれるからなぁ・・・

なんでもいいや。ドラクエの続きでもやろう。おちびを見ていると、子どもの頃の自分を思い出してしまうようでストレスが・・・なんででしょう。

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February 23, 2005

のーてんきな日にて

ようやくトロデーン城の図書室へたどりつき、気が付けば、わけのわからないうちにもぐらを倒し、船をゲット〜♪ 娘は微熱と軽い咳があるため学校を休み、二人でうだうだ昼寝。夜、さっさと夕飯を済ませ、せっせとドラクエ。

J.D.サウザーを聴きながら、70年代気分に浸っていると、すべてがどうでもよくなってしまう。60年代に生まれ、思春期を70年代に過ごし、サウザーは高校時代によく聴いていたと思う。当時、2時間目の授業が終わると急いで学校の電話ボックスに駆け込み、そのままウドー音楽事務所にコール。初代ウォークマンは4時間で電池切れするために、駅の売店で電池を買っていた。

とりあえず、女子校で付属に大学がついていたけど、何となく外へ出てみたかった。無試験でそのまま上がれるので、誰も勉強していない、そういう環境。懐かしい。クラス会やっても一番盛り上がる。(しつこく4年に一度いまだにやっている。)

留学したかったけど、わたしの成績ではあまり多くを望めないため、結局、日本の大学を受験。UCLAに知り合いがいて、彼女は日本人とのハーフ。しばらくわが家に滞在していたため、わたしはすっかりカリフォルニアに憧れるようになっていた。

高校時代、彼女からもらったUCLAのTシャツを着て、シドニーを歩いていた時、アメリカ人に声をかけられた。どうやらUCLAの学生と間違えられたらしい。それに、当時のシドニーといえば、一緒の飛行機に乗っていたスチュワーデスのお姉さんたちに街で声をかけられるほどローカル。日本人なんてバスの中にいるだけ。わたしは従妹と二人でのんびり歩いていた。ヘンな日本人。その後、シドニーでツアーガイドをしていたお姉さんが留学していたという大学に進学することになる。人生って不思議。

大学に入ってからかな・・・何かが変わり始めたのは。バリバリのアメリカ訛りの英語をクイーンズに直され、卒業後、院浪人していた時代、英語を学ぶならUKとばかりにケンブリッジへ。ケンブリッジの素晴らしいところはほとんどアメリカ人がいないということだった。

敗戦国から、『Japan as No.1』だもの。そのどちらからも解放され、ヨーロピアンにちやほやされていると、ネガティブに傾いていた日本人としてのわたしがポジティブに変容するから不思議。フジヤマ、ゲイシャでもない日本。それ以来、すっかりアメリカ嫌いになってしまった勝手なわたし。

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February 22, 2005

適材適所

今、わたしは10年ぶりくらいでドラクエをやっている。いや・・もっとかな。学生時代はファミコンが好きで、ソフトの発売日には速攻で買っていたのに、娘が生まれて以来古いソフトは小屋裏部屋のダンボールの中にでも入ったままなのだろう。どこにあるのかも忘れている。

この前、ってそれすらいつか忘れたけど、娘と一緒にダンナがゲームボーイをやっていたのは知っているけど、とうとう彼はプレステを買ってきてしまった。彼にしてみれば、それこそ10年ぶり以上の快挙かもしれない。

これも結核のおかげだ。結核にならなかったら、風邪で熱を出したくらいだと、自分が点滴打ちながら働いている始末で、ゲームどころではない。なんせ自分の親が危篤だというのに職場を空けられない過酷な世界だからね。

一番困るのが、一般社会との病気や怪我に対する認識の違いかもしれない。わたしはちょっと指先を切っただけでも死ぬんじゃないかと大騒ぎするタイプだったんだけど、なんせうちのダンナは感性が違う。あの世界は、「ナイフで刺したくらいで人は死ぬことはない」ということを実証している世界だし、大阪の小学校で児童殺傷事件が起きた時、彼が一番驚いたのは、犯人がいかにプロかということだった。普通はありえないらしい。後になり、犯人が元自衛官だということを知り、納得していた。

その陰で、わたしが一番言いたいことは、わたしは普通の主婦なんだよ〜ということかも。事件が発生して、小学校の警備の強化や子どもの送り迎えに神経を尖らせているというのに、このギャップ。

娘が具合が悪そうにしていても、ダンナが大したことないからと学校に行かせる。すると、速攻で保健室から電話が掛かってきてしまう。微熱や顔色の悪さが理由。開業医だったら、とたんにやぶ医者と言われてしまいそうで怖い。専門で、予約制でやっているから先々まで予定が詰まっている。

どんな世界にも適材適所ってあるのかもしれない。

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February 18, 2005

ラノー・ドール

ブログって難しいですよね。何を書いたらいいのか迷うし、書くとなおさらに誤解が発生しそうだし、淡々と書いているくらいがちょうどいい気がします。

以前にも少し書いたかもしれないけど、わたしの父というのは若い頃には3回くらい事業に失敗したつわもので、わたしが幼い頃母の実家に預けられていたにはそれなりの訳があるのかもしれません。(下町っ子なんですよ・・うちの母はちゃきちゃきの江戸っ子。ひとしの区別がつきません。)

その間、父と母は、札幌で生活の建て直しをしていらっしゃったようで、その頃の記憶の中に親の姿がない。どうして札幌かというと、父が北海道の出身だったからで、その後、生活が軌道に乗り始めた頃、わたしも小学校の半ばくらいまで札幌で過ごしました。

でも、母は札幌の雪が嫌いで、ある日とうとう東京に戻ってきてしまう。そこで、父と母とで最初は小さな会社を原宿で始めた。そうなると、生活が仕事オンリー。わたしは、何となく家で静かに棲息していた。

そのうち、父の遊び仲間で、安達さんという今は亡くなったおじいさんがいて、外見は何となく田舎くさい人なんだけど、実は、バブル当時で、第一勧業銀行の筆頭株主をしていたという資産家。

で、ある日、会社が安達興産ビルの中に存在するようになり、いつのまにか父はゴルフ場を経営し、母は会員権を販売する会社の社長になっていた。そうなるといくらでもお金あるから、馬主とかね・・・その他諸々ノルウェイ協会の会員とかね・・・華美な生活。いやはやいやはや・・・うんざりでございました。

そういう生活からどうやって逃げようか?

考えに考えた挙句、ある日突然、父と喧嘩して大学院へ進学することにした。楽しかったんだよね・・・あれにこれにと研究が楽しかった。どうして空が青いのかなぁ・・とか、人間の知覚の仕組みとか、そういうことを考えているほうが遥かに楽しかった。

博士後期過程の試験の前日が、父の告別式だったので、わたしがせっかく修士号を取っても誰も出席してくれなかった。当時、彼氏だったダンナが写真だけ撮ってくれた。装いは、日本のオートクチュールの草分け的存在だった千葉一雄先生。ケンゾーにデッサンを教えていたという・・・(いち先生については、そのうちまた書くかも。)

母は、相変わらず自分のことだけに精一杯。そりゃそうだよね・・父の会社の後始末のこともあるし、自分の会社や生活のこと、弟のこと、あれにこれにわたしのことなどどうでもいいらしい。もともと仲があまりよくなかったので、父が亡くなって以来、ほとんど実家には行っていないような気がする。第一、わたしは母に抱っこされた記憶がないのである。どちらかといえば、父の膝の上で育った。

すったもんだしているうちに、義父から結婚の話が出て、どうやらわたしの身柄は白石のほうへ引き渡されることに決まった。

つまらない小説を読むよりも、わたしの人生をそのまま書いたほうが面白いかもしれない。いや・・・それは驕りだな・・・世の中にはもっと面白い人生が存在しているような気もする。

そだそだ・・・今日は、健診に仲村トオルさんがやってきたそうです、ダンナのところ。数日前は、どこかのヤクザの親分。どこからどこまでがVIPなのか知らないけど、いつのまにかVIP係の医者になっている彼という人。最先端でね、今にも死にそうな人たちを相手にしているほうがかっこいいよね、VIPの相手しているより。
でも、そのおかげで、彼は家でのんびりドラクエをやっていられるんだから、人生はそれでよしとしますか・・・

なんで、こんなつまらない話を書く気になったか?

ネットの毒かも・・・


**************

お店、紹介します。オーナーシェフの奥さんが友達なんです。招待状が・・・

フランス料理 ラノー・ドール
〒160-0004
東京都新宿区四谷4-6-1 四谷サンハイツB1F
03-5919-0141

来月、再オープン。しばらく箱根で静養していらしたので。
(Start: 平成17年3月6日(日)12:00)

オーナーシェフ谷川: 新宿生まれ。1980年渡仏。パリの1つ星、昭和天皇もお泊りになったスイス・ローザンヌ5つ星ホテルにてミシェル=トロワグロと厨房をともにする。帰国後、渋谷区松涛に「シェ松尾」でソーシエとして勤め、皇太子殿下(当時浩の宮様)に供す機会に恵まれる。1989年下北沢シェタニを独立オープンし、料理ひとすじに精進。 2003年から1年半の転地静養を経て、今日に至る。 クラブミストラル会員。 やさしいフランス料理教室も開催。

新宿御苑近く、新宿通り。新宿御苑駅と四谷3丁目の間くらいなのかな・・・

投稿者 Blue Wind : 03:11 AM | コメント (0) | トラックバック

February 09, 2005

白い太陽

昨日はよく眠ったなぁ・・・・あんなに寝たのは何年ぶりだろう。朝、娘を送り出しそのままダウン。午後、娘から学校へ迎えに来てほしいという電話が掛かってくるまで寝ていた。これだけでも昼寝しすぎなのに、その後、お絵かき教室をさぼった娘と外へ食べに行こうと話していたら、いきなり研究会をすっぽかしてダンナが帰ってきた。

買い物に行くのも面倒なのでありあわせのもので済ませ、9時頃までは起きていたような気がするけど、次に目が覚めたのは朝の4時半。ブログでも更新しようかと思ったら、サーバ・メンテの時間だった。

朝は気持ちがいい。

娘がいつまでも起きて来ない。結局、ダンナがさっき学校まで送って行った。わたしはその間、コンビニまで朝のお散歩。

すごい朝靄。

一瞬、白い月が出ていると思ったら、どうやらあれは朝陽。真っ白い太陽。それくらい強烈な朝靄。50mも離れてしまえば、建物や電柱の影が見えるだけ。その向こうはまるで視界が利かない。

そうさな・・・・週末になれば、嫌な事件のことも忘れられ、また次の事件が発生する。しかも、地球の裏側へ行ってしまえば、そこにはそこの世界の出来事。

わたしが寝ていても地球は回る。

白い太陽・・・月のよう。

朝の散歩は気持ちがいい。よく知った街が、空が、太陽が、まるで知らない顔をしてたたずんでいた。

投稿者 Blue Wind : 08:29 AM | コメント (0) | トラックバック

February 08, 2005

正直、鬱を跳ね返すには睡眠しかないような気がする。こひつじちゃんあたりになるとまともだから、氏家容疑者みたいな人たちがいたら、福音を説いて〜ってなるんでしょうけど、わたくしはそういう気分の時にはひたすら眠るに限ると思ってしまう。

おかげで、今日はもしかすると一日中寝ているかもしれない。などと思っていたら、雨。暗い。一日がすでに終わってしまったかのよう。

9.11事件の直後でも、どういうわけかそれまで鬱だった人たちが元気になり、それと同時に鬱々し始めた社会。今回の安城市の事件にはそれくらいネガティブなパワーがある。

子どもの頃から借金地獄のような家庭で育ち、友達もいない、両親も相次いで亡くし、兄弟もバラバラ・・・刑務所から出ても行くあてもない。迎えに来てくれる人もいない。もっと言ってしまえば、悲しむ人も喜ぶ人もいないほど孤独な人生。

あれで、鬱にならなかったとしたら奇跡かもしれん。

だからといって、自分の不幸をばらまかれても困る。こーねー、なんと言ったらよいのでしょう・・・それなりに鬱々した人たちが多いのは認識しているけど、それでも誰か一人でも家族がいるとか、親身になってくれる友達がいるとか、それだけでも救われる気がする今日この頃・・・

わたしは子どもの頃から、とても孤独には強いほうだと思っていたけれども、あのような孤独を省みると、自分にはあんな孤独には耐えられそうになく、自分を家庭の中に引き止めているパワーがあるとすれば、ひたすら孤独への恐怖のような気がするわけです。

はみだしていくのは簡単なんだよね・・・今でも独身だったとしたら、わたしは東京で暮らし、研究やって、それだけでは食べていけそうになかったらカウンセラーにでもなり、日々日日鬱々したあっぱれな人たちの相手をし、不安を移され、それを捨てるためにどうせ毎日同じような人たちと酒を飲んで暮らしているのだろう。

そのうち、本当に救ってほしいのは自分だということに気がつく。しかも、そうなってからでは遅い。30歳を過ぎても独身で子どももいなかったら負け犬? 負け犬は負け犬でかまわないんだけど、次第に子どもを連れている人たちを疎ましく思い始め、自分は一体何をやっているんだと思いながらも使命感だけに支えられ、酒を飲む。

考えただけで鬱々してしまう。

はあ〜〜〜、決して軽やかではないけれども、決して軽やかな気分ではないけれども、よく眠れる・・・

でも、落ちるのならもう少し落ちないとすっきりしない。もう少し落ちると浮遊が始まる。でも、今、何かがわたしを引き止めていて、落ちきれない。

雨だから、いいか・・・

投稿者 Blue Wind : 05:29 PM | コメント (0) | トラックバック

February 05, 2005

ノイズ

たまに思うんだけど、わたしはネットを含めて、こんなところで何をやっているんだろう、と。そこで神父さんのサイトへ行く。すると・・・本当の意味で信仰心をもっている人はそれだけでレアモノ、良いハンターだと書いてあったりする。

ガクッと来る。(←一瞬、顔文字をパクッてこようと思ったけど、やめた・・)

聖霊による洗礼か・・・
もしかすると、あれがそうだったのかもしれない。
それでいて、いまだに形式的にはクリスチャンではない。

その昔、こういうことがきっかけで修道院などに入ったりするのではないかと思ったけれども、わたしははっきり聴いていた・・・声なき声を・・・わたしは一番好きな人とは結婚できないらしい。当時は若すぎて、それを文字通り解釈したこともある。

が、しかし・・・・

マザーテレサのジーザスに対する濃厚な愛を知るにつれて、こういう場合、相手が人間だったら嫉妬に苦しむんだと思うけど、一貫して自分の場合はジーザスはいつまで経っても彼氏なんだよなぁ・・・と、他人にはわからないことを考えたりする。

信仰心がないわけではないらしい。でも、マザーの濃厚な愛とも違う。エピソディックに考えても、わたしは浮浪者のおじさんをジーザスだと思って、抱きしめたりはできません。それでいて、完璧に無視したり、石をぶつけるようなこともできません。それで、パンを置いて逃げ出す・・・

普通でしょ?

わたしのキャパからすれば、これが最低限度の普通さなのである。一番困るシチュエーションは、その時、誰かと一緒にいたとする。でも、その人が、浮浪者のおじさんを無視したり、知らん顔して通りすぎたとしたらどうだろう?ましてや石をぶつけたり、とか?
そういうことをする人が、わたしの知らない人ならマシだ。なんて酷いことをするのだろうと怒ればいい。ところが、その人がよく知っている人とか、友達や家族だったとしたらどうだろう?
わたしは、おそらくは他人には理解されない怒りに襲われ鬱地獄へ突入しそうになる。後になってから自分が激しい後悔に襲われることを知っているからだ。他人にとってはささやかな出来事なのだと思う。都会には夥しいほどの浮浪者がいる。今は知らないけれども、西新宿をどうやって歩けと言うのか、銀座から日比谷までの地下鉄の連絡通路をどうやって歩けと言うのか、それは一つの闇の光景。それでいて、通路の真ん中を友達と歩く。それもまた普通・・・

そういうことを重ねていると、デパートの中へ飛び込むことを覚える。そこには普通の生活がある。普通の人たちが買い物をしている。おそらくは何かを買って電車に乗って帰る人たちなのだろう。わたしとて、お金があるっていいなぁ・・と思ったりする。財布を持ち、買い物をする。そういうつまらなさの中に優越感が存在するほどつまらない地下鉄。

夥しい人たちが、そういう日常の中に埋没し、生きるってことや生活するってことが、財布を持つことだと勘違いするようになる。そして、経済への不満。

原点に戻って考えれば、わたしの普通さは、わたしの普通さであり、わたしの良心というものに突き動かされて存在している。ところがどうだろう・・・慌しい人たちの中に群れているうちに、そこには死に絶えたわたしが歩いているかのようだ。

だから、やめてほしい。地下鉄内でのつまらない布教活動。あんなところで、「悔い改めよ」などとバカなアナウンスを流している人たちを考えると、それだけで虚しくなる。

コヘレトの言葉・・・

  なんという空しさ
  なんという空しさ、すべては空しい。(1. 2)

あの時代の人たちの気持ちがわかる。

そして、空。

夥しいほどの退廃。

あーあ・・・・朝、テレビ、北朝鮮。国民。

はいはい、好きにやって。
なーんてね、朝だ。うるさい箱が鳴る。
ノイズノイズノイズ。
しまいにゃ、怒るよ・・・一生懸命つくってるんです、なんて言う人いたら。単なるノイズ。


あ、でもこれならゆるす・・・・(ネタ元: NINABLOG
愛の告白をされるなら、イケメンセレブ。イケメンセレブがいたら女性専用車両も空しい?


その朝は笑いとともに過ぎてゆく突き進みゆくゲームサウンド

投稿者 Blue Wind : 07:21 AM | コメント (0) | トラックバック

February 04, 2005

ひっくりかえった街

わたしの世代って、ヘンなやつ、たくさんいた。
その代表が、アレフの上祐さんとか、多重人格の宮崎とか?
すべてがそういう人たちばかりではないよ、もちろん。でも、ヘン・・・

例えば、ジャズ親父は、親に恵比寿にマンション買ってもらって住んでいるのに、成田で火炎瓶を投げていたとか・・・軽くは、実家が裕福で、バイトなんかしなくてもいいと思うのに、朝から晩まで大学さぼってバイトしてはサーフィン三昧なんていうのは軽い部類だったと思う。

まともな人たちは、まともだから、なんて言ったらいいのかわからないけど、まともな選択をしながら生きていく。その一方で、フリーターというわけではないけれどもなんせ社会に職と金があるから、わざと大学を留年して遊んでいる人なんて朝飯前。

大卒の初任給が、外交官で8万円、商社で11万円くらいだったのかな・・・忘れた。証券会社へ勤めたらいきなり20代で年収1500万とかね・・・そういうのも当たり前。その一方で、安い初任給、値上がりする土地、一生家なんて買えない・買わないという人たちも多かった。

そのくせ、学生が億ションに住んでいたり・・・家賃を払うより買う。そうすれば卒業するまでには勝手に値上がりしていく。そういう時代。広尾にガーデンヒルズができたとき話題になった。でも、中は普通のマンションだと誰かが言っていた。

あの頃、誰がそういう社会がこっぱみじんこになるなんて想像していただろう・・・

それで・・・・なんとなく理解できた気がする。
わたしは、今の時代を知らない。

気がつけば、ここは公務員の街。しかも、多くが国家公務員らしい。家賃1万で官舎に住んでいたら、世の中のことなんて関係ないのかも。うちは公務員ではないから、そういうわけにはいかない。それでも、皆が一生懸命に商売をしている土地柄ではないから、そういう喧騒には程遠い。

昔、誰かが言っていたけど、経済の良い時代に研究者になろうなんていう連中は、それだけで変わり者らしい。つくばだったら農家のほうが桁違いに裕福だもの。いまだに常磐新線が通って、いきなり資産が46億円になってしまったとか騒いでいるし・・・そうなると、東京でサラリーマンしている子世帯が戻って来るとか来ないとか、親子でどんぱちしているらしい。

この街では、どう考えても研究者のほうが偉いような気がする。それでいて、金という点では研究者が一生働いてもかなわない植木屋・左官屋・土木の人たち。例外もたまにあるのかもしれないけど、めったにないと思う。それでいて地元の主な産業が研究所だったとしたら、やたらと高くなる学歴。兼業農家って言ってもなぁ・・・何かどこかが狂い始めている。

それでいて、資産が何億もあるだろうにゴミ収集車の運転をしているおじさん。税金のためらしい。よーわからんのよ・・・ここにいて、何かを考えようとすると、自分のほうがヘンになりそうで。

たまに思うんだけど、もしかするとよい意味で狂わされているのかもしれない・・・

しまいにはロケットだの気象観測台などのオブジェがその辺に転がっていたりすると、すべてがどうでもよくなる。高エネ研に勝手に入り込んで遊ぶ子どもたち。背筋を伸ばして自転車に乗る中国人研究者の奥さん。ペラペラペラペラ早口で日本語を語りだすアフリカ人研究者の奥さん。娘の最初の友達が、ナサトくん。NASAに研修に行っていた頃に生まれたかららしい。日本人より日本人的な台湾人の医者。日本人よりさらに日本人的なブラジル人。多くのオージーは語学学校の先生をしている。たまに思うんだけど・・・・なまってるよって。

なんでドラッグストアで、ヴィトンやプラダが売ってるわけ?(本物なんだよ・・それが) 1階が100円ショップで2階がブランド品の販売というのはやめてほしいと思うの。100円ショップの並びに接待でしか使わないような料亭をつくるのはやめてほしいの。繁華街じゃないんだから・・・
ピアノ教室の窓を隔てた隣がヤクザの事務所? もはや誰も興味を持たない発砲事件、コンビニ強盗。それでいてひっそり交差点にたたずむ安全坊や・・・

そのすべてが、人工的に造られた街の中に放り込まれている。人はペデ(遊歩道)を歩き、クルマは大通りを走る。誰も歩いていない歩道。コンベンション・センター(国際会議場)をつくるとなったら大騒ぎになる住宅地。パチンコ屋一軒でも入り込む隙がない。

わたしね・・・・この街が気に入っている、今。
だから、テレビがつまらない。
すごく平穏な街なんだよね・・・のんびりしていて。それでいて、何となく記述し出すと変な街。

投稿者 Blue Wind : 12:46 PM | コメント (0) | トラックバック

January 30, 2005

サイゼリアの三大料理

みほ☆こたさまへのトラバ。

うちの近所、学生街だから、当然あります、サイゼリア・・・うちの娘なんて、イタリア行って、「サイゼリアのほうが美味しいわ〜」って泣いていました。
イタリア人って、外食でもピザやパスタを食べる人たちなんですね・・・知らなかった。
マックでサラダを頼んだら、モッツァレラ・トマトが出てきた。ケースの中に、たしか普通のサラダも並んでいたはずなんですけどね。しかも、ソフトクリームを頼んだら、食後にするか先にするか、マックなのに訊くんです。意味がわからなくて、後ろに並んでいたイタリア人が英語で通訳してくれました。

◎サイゼリアの三大料理?

1位 小エビのカクテルサラダ
2位 青豆とベーコンの温サラダ
3位 ピザ・マルガリータ

このほかに、ぺペロンチーノやフォッカチオが娘の定番です。(なんで小さくなったのさ・・・フォッカチオ)

投稿者 Blue Wind : 07:37 AM | コメント (0) | トラックバック

January 26, 2005

新手の詐欺?

電話。
ダンナの後輩の名前を名乗る。病院からの連絡だと言う。
「・・・ご家族にも関係のある話だと思うので奥さまにも話させていただきますが、今、警察が来て、白石先生が患者さんに対して業務上過失があり・・・」
がちゃっ。

医療のことをまるで知らないらしい。あほじゃ。

それにしても気持ち悪い。固有名詞を使っている。「今、そちらの病院には勤めておりません!」って言ってやったらよかったかな。辞めさせてくれないのは、単に退職金を払いたくないからか? あんな電話がかかってくるわけないの!!

オレオレ詐欺って怖い・・・・

前は、高校生みたいな雰囲気だった。すぐ傍に本人がいるのに、「俺だけどー」って言っていた。あほ。

今回は、さすがにもっと気持ち悪い。
いやな時代。次から次へと、知らない声。わたしは顔と名前をすぐに忘れる。でも声は忘れない。

島流しにしてやりたい。電話のかけられないところ。

投稿者 Blue Wind : 11:14 AM | コメント (0) | トラックバック

January 24, 2005

蒼い月

ご常連の皆さま、朝から憂鬱な話を書いてすみません。ですが、わたくしにとってブログと短歌は鬱捨て場なのでございます。あしからず。

朝、母の病室へ行き、とてもよい歌が詠めそうな気がしたのですが、あまりの眠さにそのまま5時間も寝てしまいました。こうなると昼寝と言えるかどうか・・・

午後4時: 娘と一緒に母の病室へ。物資を届ける。状態安定。

おばあちゃんの具合が悪いということで、いつもより早く帰って来るところが、いやし系なんでしょう・・・娘は。その点がわたくしとは違うと思います。あの母からはわたくしのような娘が育ち、わたしからは娘のような娘が育ち、生育環境の違いをしみじみ感じたりします。

午後4時30分: 娘を塾へ。いつもと違う道。途中、自転車に乗った男の子。同じ塾の子らしい。かっこいい〜♪(って小学生だろ・・)

他人の息子はいいなぁってしみじみ思います。おちびは可愛いので、かっこいい彼氏を連れてきて、その次は孫に期待したいと思っています。
わたしは、オトくんがいるからいいや。平和。

ほかの人たちがお見舞いにいらしてくださっても大丈夫なんです。だけど、嫁さんが来るとたちまち状態が悪化してしまうのです。地雷。こういう話がとても鬱々する話だということはわかっているのですが、わたしもまたわたしを救わなければならない。

今さら、どーにもならないよね・・・

とりあえず、CT写真の影は、以前のくも膜下出血のものだそうです。ほっ。
ということは、やはり原因はアレで、いきなり血圧が上がってしまった、と。
さすがに朝から検査してくださった先生には言えない・・・実はアレが原因なんです・・とは。

今日は、ダンナが新春ボウリング大会にウキウキ出かけて行ったので、わたしと娘は軽く外食で済ませようと思っています。らっき〜♪

まあ、なんと言いますか、母の容態が悪化するのはいつものことなので、いつ死んでもおかしくない状態が5年以上続いています。お気遣いなく。
ありがとうございました。

なんか、誰かに似てきたな・・・この書き方。ほほほ。
それでいて、どこかぎこちない。

投稿者 Blue Wind : 06:56 PM | コメント (0) | トラックバック

母の血圧

朝5時: 看護士が母の血圧を測る。160にまで上昇。眼が充血。医師に連絡。すぐにCT検査。

朝6時: 病院から連絡。

朝6時30分: 主治医と面談。ついでに洗濯物を運ぶ。

CTの写真を見ながら、くも膜下出血が再発している可能性があると説明された。この一週間で呼吸停止等の可能性が高い。オペは不可能。高血圧の治療。原因不明。
一週間前に高熱を出し慢性病床から急性病床に移ったばかりで、そちらのほうは状態がよくなっているとの説明。再び慢性病床に移そうかと考えていたところ突然の高血圧、眼の充血。原因不明。詳しい話は脳外科の医師によるCTの写真の所見待ち。

朝7時20分: 小学校の旗持ち当番。交差点へ向かう。

朝8時: 帰宅。弟からのメールの返信を読む。

え・・・・
昨日、さっちゃん連れて来たの?母の病室に??

わたくし的に、母の血圧が上がった原因を知る。
くも膜下出血が再発してしまうほどのストレスなんだろうか・・・・

頼むよ・・・・いまだに息子を取られたと思って憎んでいるんだから・・・・嫁さんを連れて来るな。かといって、弟が一人で母の見舞いに行くなんてなったら怒るだろうな、あの人。

わたしはあなたが憎くて言っているわけじゃないんです。あなたが来ると本当に母が死にそうになるんです。だから来ないでと言っているだけ。あなたたちは、どうせ母に意識がないと思って、母には結婚のことは内緒にしていましたね? そりゃ母はあなたたちを別れさせたこともあります。ですが、一応は親なんだし、まだ生きているわけですから、母の了承を得てから結婚してほしかったと思っています、せめて。母が何もできないことをいいことに彼女の意思を無視しましたね? わたしは娘だから何となく母の気持ちがわかってしまうんです。ごめんなさい。

まいったな・・・・
もしかするとそうかもしれないと思っていたら、本当にそうだった。かといって、弟がいつまでも独り者で母の世話だけしているというのもなぁ・・・かといって、やっとこっちに来て、母の気持ちが落ち着いたというのに、なんで一人で来ないんだよ・・・・君の辛い立場もわかるけど、親を殺す気か?

ああ、なんておおげさなんだろう・・・

午後には紙おむつとティッシュを補給せねば。

投稿者 Blue Wind : 09:26 AM | コメント (0) | トラックバック

January 22, 2005

femme: 2

大人になれよ>わたし
気にするな。
ただ、カタルシスが終わっていないだけだ。それでもわたしは神を愛している。わたしはこの話になると過剰反応してしまう。わたしは娘を愛している。わたしはわたしの罪のゆえに、神を愛し、娘を愛している。そして、ダンナに感謝している。もしかすると、かつては違っていたかもしれない。わたしは普通だ。罪を意識すれば、それから逃げ出したくなる。

あまりにもよくある話。親にも相談した。学生時代に子どもが出来てしまう。医者は癌細胞でも取り除くように胎芽をわたしの胎内から除去した。医者はご機嫌で母に言った。母体は安全、オペは成功。母がうれしそうに礼を言っていたのを思い出す。わたしは麻酔から醒めると胎内の異物が消え、体が軽くなったのを感じた。家に戻り、母がめったにないことだけど、わたしを抱きしめてくれようとした。わたしはそれを振りほどいた。わたしのためではなくわたしの子どものために泣いてほしかった。わたしは悲しすぎて泣けなかった。

わたしたちは子どもだった。誰かと誰かの子どもだった。そしてわたしたちの親はそれぞれの子どものために心配した。その子どもというのがわたしと彼だ。彼の親は言った。結婚はかまわない。だけど、子どもはダメだとヒステリックに言われた。彼女が心配しているのはわが子のことだけだった。わたしの親が心配しているのもわたしのことだけだった。そのくせ父は何も知らなかった。わたしも父には知られたくなかった。それだけ。どういうわけか、何を言われても説得力が欠如していたくせに、母に言われた「父が悲しむ」という一言でわたしはすべてを受け入れてしまった。歪んだ骨盤のことも、金が無いことも、将来のことも、子どもに対する責任のことも、道徳も倫理も何もかもがどうでもよかった。彼は大学を辞めて働こうかと言っていた。ははん。弱いくせに。最初から無理だということはわかっていた。常識、良識、くそったれ。そしてわたしは再び実家を飛び出し、彼のところへ。幽霊だ。互いに幽霊でも見ているようにそこに存在していた。彼は衰弱し、泥酔し、泣いていた。弱い自分に泣いていたのかもしれないし、子どものために罪のためにわたしのために泣いていたのかもしれないし、彼は弱っていた。わたしは体が傷つき、彼は心が傷ついていた。

ある日、姑さんがボソッと言った。彼の姉二人と彼との間に年の差があるのは流産したかららしい。そして結婚してすぐに4回の腸の手術をし、子どもができないという理由で虐められた話。叔母は中学生の頃に眼を患い出産すれば失明すると医者に言われていた。結婚と堕胎と離婚。そして再婚。失明してもかまわない、妻の世話は自分がすると、新しい叔父が言った。そして二人の子ども。

いろいろあら〜な。

そして、それでも神はわたしを愛してくれる。罪の無い人などいない。アダムの頃から、人間なんてそんなものらしい。そして、わたしたちの罪を贖ってくれたのがイエス・キリスト。彼はすべての人の罪を赦すために生きている。彼はわたしたちを裁くためにきたのではなく、わたしたちを救うためにやってきた。わたしが罪のうちに責められるとき、皮肉なことにわたしを救ってくれるのがジーザス・・・福音があるから罪も悪も知ることになり、福音があるからわたしたちは救われる。皮肉だ。地球が反転するような奇妙な感覚と静かな愛。罪を背負うために生まれてきている。誰もかれもが。罪を知るために生きている。だから、わたしは罪の中にあり、罪の中で神を愛す。

わたしと彼は互いに罪の中に生きることにより、今でも一緒に生きている。恋愛なら冷めてしまったかもしれない。皮肉だ。誰もかれもが一緒に罪を背負うことにより家族になった。わたしの傷は誰よりも彼を傷つけた。弱さ、か。弱いよ。わたしが責められれば、彼が泣く。そういう人生は今でも続いているらしい。

春になれば、子犬がやってくる。何事もなかったかのように連れられてくるのだろう。そしてひねもすはゆく。わたしはいつも要らないと言う。それでいて娘もオトもマリも新しい子犬もわたしの子。愛することでしか自分を救えない。

投稿者 Blue Wind : 06:47 AM | コメント (0) | トラックバック

January 21, 2005

femme

女が母になるというのは、弱く生まれた者がさらに弱くなるということ。弱さゆえに強くなる。

妊娠すると、妊娠中はどういうわけか風邪も引かずに丈夫になった。体温が高かったせいかもしれない。吐き気と食欲。いわゆるつわり。やたらと増進する食欲と吐き気。やたらと高い感受性。いつも子どもといる。

外の世界からは、わたしはまだ一人。
中の世界からは、いのちが倍になって、わたしにささやきかける。
いつも誰かがわたしと共にいる。

悦びと不安。交互に訪れる。

次第にお腹が重くなり、足のむくみ。歩くのもつらい。靴も履けなくなる。

6ヶ月くらいまでは、東京と土浦を往復し、買い物するくらいどうということはなかった。急な転勤で、わたしが引越しの準備と後始末。土浦の不動産屋へ行き、その日に契約してきた。

逆に、動いていないとお産が重くなるのではないかと思って、不安だった。だから、ひたすら動いていた。歩いていた。お腹の中を子どもが蹴飛ばす。

毎日毎日床の掃除・・・
ベビー用品を買いに行く。

ある日、電車に乗ってデパートへ行った。とても大きなピーターラビットのぬいぐるみが売っていた。衝動買い。大きなお腹を抱え、電車に乗り、大きなぬいぐるみを抱えて帰ってきた。
出血。

子どもは順調に育ち、わたしは髪が抜け、歯が弱くなった。派手な妊娠線。西瓜のようなお腹。

子どもを愛すれば愛するほど、不安は増した。無事に生まれてくるだろうか・・・わたしに子どもを育てられるのだろうか・・・あまりにも悲しくて、歩きながら泣いていた。

娘が生まれて、数時間後からわたしは再び歩いていた。母乳というのはすぐに出るものではなく、死にそうに苦しんだ後に、お腹の中にまだ子どもがいるような不思議な気分が押し寄せ、あちらはわたしの声を知っており、わたしはまだ娘の声を知らないという不思議な関係の母子を、つまり、わたしのお腹にまだわが子がいるような気がしているのに、いないのだと気づき、その喪失感を埋めるように悦びが押し寄せ、気がつけばわたしがこの世にはいないかのような不思議な気持ちの中で子どもがわたしの腕の中にいる。そして、乳首を思いっきり抓られたような痛み・・・お産の痛みより、痛い。

つまらないことを書くようだけど・・・
わたし、母になってから、ビキニが着られるようになった。妊娠線、格好悪いなって思いながらも、へいちゃらになった。合理的だから・・・トイレに行く時など。赤ちゃん連れて海遊び。

どこまでも弱くて醜い自分を終結してしまうと、あっけらかん。そういう意味で、母は強いと言われてしまうのだろうか?

子どもは、見事にわたしを破壊してくれた。わたしという人間のエゴも醜さも。どこまでも醜悪さの中で、わたしはうれしかった。

夥しいほどの出血。1ヶ月くらい出血が止まらない。それでもわたしは生きていた。そうやって肉体的には弱いのに、さらに弱い者を育てる。わたしがいなければ死んでしまう子と二人。

娘が8ヶ月くらいになり、この世の食べ物に適応し出すと、わたしもいつものわたしに戻っていった。彼女はわたしであり、わたしの中におり、それでいてわたしとは違ういのちを持ち、それでいてわたしの肉体が彼女の中に取り込まれていった。そして、それが終了すると、わたしたちは、わたしと娘になった。

投稿者 Blue Wind : 10:52 PM | コメント (0) | トラックバック

January 20, 2005

今日も元気です・・・なんで?

なんか疲れると思う理由・・・
右翼と左翼に挟まれて苦労している気分。
それでも、ブログをお散歩しながら、すっかり作歌な気分を阻害され、またまたパチパチ駄文を打つ。わたしはいつになったら復帰できるのだろう・・・それでいて、3首くらいは詠んでいるんだなぁ・・・と、うすらぼんやり思う。

江口洋介さんのドラマ、昨日、わたしも観ました。正確にはテレビがやっていた、映っていた、としか語れない。

災害時の病院。
うちのダンナ、あっさり言ってましたね・・・家族が被災したからといって帰っているような医者はクビだって。たしかに、親の死に目に間に合った医者の話はめったに聞かない。あの世界は、何となく感性が違う。
それでも、今の時代はまだマシになったらしい。旅行に行けるもの。かつては旅先からでも呼び戻されるのが当たり前だったようで、成田のゲートを潜った瞬間の何とも言えない開放感・・・クセになります。

ということは、あんな災害がきても、わたしはまた子どもとオトの世話なんだろう。自分がダウンするとは思っていないところが、われながらすごい。慣れた。

それでいて、誰かが病院の床の上で赤ちゃんをハイハイさせているのを見たときには、それなりにショックを受けた。が、黙っているわたし・・・だって、誰も何も言わないし・・・わたしは医療関係者ではない。

うちのダンナが結核になった時、排菌はしていないけど、影があった。それで、わたしと娘も写真を撮って、検査。陰性。さすが。
でも、説明してくれた医者も、そのまた別の医者も、検査をするとぷわ〜っと陽性。そりゃそうでしょ。毎日そういう人たちと接しているのですもの、感染してるわよ。要するに発症しているかしていないかの違いだけらしい。
それでいて、看護士さんたちには秘密なんだってさ。生半可に知識があるほうが怖がるかららしい。

ダンナより、わたしのほうが代わりに感染していたかった。だって、2,3ヶ月寝ているだけなら、そのほうが楽。実際、ダンナが結核だとわかってわたしは2,3日寝込んでいた。その間、あちらは1ヶ月仕事をお休みすることになったので、暇。家事やら娘の送迎までやってくれる。
結核も悪くないと思った。

それとは裏腹に、精神的にはテンションが高かったかもしれない。排菌してないってことは感染しない。それでも、娘に移ったらとか、娘の友達に移ったら、などといささか不安になるのが人情ってものだろう。
理屈で考えれば、マメに検査して、排菌していないことは確かめている。従って感染はしない。
そこで開き直った。
一緒に暮らしている家族が感染しないのに他人に移るわけがない。それこそ病院やスーパーみたいにいろいろな人たちが集まるところのほうが遥かに危険。

針刺し: 患者さんに注射した後、間違えて針の先が自分に刺さってしまうこと。

これにより、肝炎に感染した医者も多い。そうなると、患者が患者を診察し、研究しているようなものだから、命がけだ。発症し、肝硬変から肝癌。そういうこと考えたくないでしょ?なのに、苦しんで死んでいく人の姿を毎日見ている。
でも、仕事を辞めるわけにもいかない。

ヘンな患者さんからの脅迫もあるらしいよ。一度だけ職員の人が心配して、うちに連絡をくれたことがある。
ピンと来なかった。

ジャンキーネタを書いて、ヘンに誤解されるのは、不安になってしまうんだろうな・・・もし知らない誰かに襲撃されたら、とか、ストーカーとか。
はいはい、無言電話がかかってきたこともあるし、メルマガを勝手に登録されたこともあるし、考えてみたら危ないよね、ネットも。うちのダンナの友達はカードを勝手に使われたらしいし・・・

でも、気持ち悪い電話はネットでなくてもあるでしょ? オレオレ詐欺も2,3回かかってきたし、どうやっても変質者からの電話としか思えない電話もある。でも、それがネットが原因だとは思えない。

名簿?
わたしの名前にバリューはありません。セールスの電話は大抵うちのダンナのほうの名簿からかかってくるようです。それと教材のセールスは娘の名簿でしょう。ダイレクトメールもわたしの場合は、出版社からの図書目録や葉書くらいのものです。

社会派のカウンセラーだったらもっと危険かもしれない。脱カルトとかね。エレベーターに誰か一緒に乗っていたら、背中を向けられないらしい、怖いから。知らない人が見たら、どっちが狂っているのかわからんぜよ・・・大抵の人たちは、電車もエレベーターも普通に乗っていますから。

その昔、オレンジの輸入自由化の時には、毎日研究室に脅迫電話とファックスが。そういう研究者の話も、ここではめずらしくない。

まじめに考えたら、生きていられそうにない。
なのに、今日も元気。

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January 18, 2005

教科書

こう、なんて言うのかしら・・・・発作でアメブロにブログをつくって以来、わたしは無意味に精神が疲弊しているのを感じている。その理由は例の如くわからない。いろんな意味で毒を浴びているのかもしれない。

昨日、神父さんのサイトを開いていたら、娘が急に、「イエスさまのビデオある?」と訊く。以前、観ていたから何となく覚えていたのだろう。そして、ビデオが見つからないので、聖書を一冊渡した。子ども用の聖書を買うべきか迷った。でも、娘もすでに本が読める年頃なのを不意に思い出す。

学校で使うらしい。
娘が見せてくれた国語の教科書に、マザーテレサの話が書いてあり、わたしも一気に読んでしまった。インドでのご様子、マザーのお言葉、写真。
「お母さんも毎日聖書開いているから、修道院に入りたいの?」と娘が訊く。
聖書を開いているのと、修道院へ入りたいというのとは別かもしれないとちらっと思ったけれども、娘は修道院へ入りたいと言う。理由は素朴で、マザーテレサの話に感動したかららしい。

わたしは、娘にイエスさまの話をしたことはない。日頃、教会にも行かない。娘は普通の公立の小学校へ通っているので、逆に、中学は寄宿舎にでも入れようかと考えたこともある。でも、一人娘だし、あまりにも寂しいのでやめた。

「マザーの親はどういう人だったの?」と娘が訊く。
わたしはよく知らないけれども、マザー自身のお言葉の中に、たしかごく普通の家庭で育ったと。そして、ごく普通に学校生活を過ごし、ごく普通の女の子だった。

わたしが修道院へ入りたいかどうかの問いに対しては、「世の中が全部まほちゃんになってしまったら大変だから」と答えた。世の中がすべてまほちゃん(うちの娘)になってしまったら、それこそ休む暇もない。マザーってそういう人、と娘に言ったら、やけに納得していた。

マザーはつおい。

マザーのたまわく、日本は物質的には恵まれているけれども、精神的にはとても貧困に喘いでいるらしい。愛に飢えている国。餓死寸前の人たちがどれくらいいるのでしょう。
かく言う自分も、癒しがほしいのは自分のほうであって、癒しを求められたくないとは常々思ってしまう。物質的に貧困に喘いでいるのなら、誰かが働きかけて世界中から援助が集まる時代。ところが、愛に飢えていても、もはや誰も救ってはくれない。

ぱらぱらぱら〜っとね、空から愛が降ってくればいいのに。
爆弾でもラジオでも塩でもなく・・・

投稿者 Blue Wind : 03:33 AM | コメント (0) | トラックバック

January 16, 2005

せめて、わたしくらい姑さんの味方しないと・・・(って何が?)

神戸の震災が来て、ほかの年取った医者仲間は落ち着くまで大阪とか有馬でのんびりしていたそうです。だってお金あるから・・・
ところが、おじいさん、その時、教育委員長してたんです。
そうなると、いくら自分の家が焼けたからといって、神戸中の学校が避難所になっているわけですから、毎日毎日ファックスが届く。しばらくは義姉のところにいたけど、忙しい。水がないから水汲み、エレベーターも動かない。毎日毎日手続きでおっそろしいほど歩いたり・・・そのうち、癌。
そしたら、お払い箱。(←このセリフは姑さんです)

うちのダンナは、毎日毎日奴隷のようにこきつかわれ、ぼろぼろ。まだ医者になって3年目くらいだった。あれだけ救命救急の果てまでやっていたら、そりゃ悪口言われないです。いや・・・これが東京や神戸みたいに医者の多いところだったらまた事情が違ったと思うんです。ところが、当時は僻地手当てが出ていたし、防衛大からも結構来ていたし・・・茨城ってそういうところ。
サッカーで有名な鹿島でも、自分が死んだら無医村になるからと80歳の女医さんがまだ勉強会へ参加してがんばっている。
うちのダンナは数年前に、運良く結核になったのでいのち救われました。それでも排菌していなかったので、感染はしない。となると、結核でもまだ使おうとする・・・信じられない世界。とりあえず、勤めて初めて大学を出て、家から一番近い病院で仕事しています、今。近頃ようやく体の具合も落ち着いてきたばかり。

人間らしい生活したい。

10年は長い。
でも、あっという間だった。

震災後、家族で一番最初に神戸へ行った時、ポートアイランドからバスに乗り、神戸の街並みを眺めた。高速道路は倒れていたし、皆マスクして歩いていた。芦屋の駅で、いきなり十本の指に高価な指輪をしているおばさんを眺めた時には驚いた。まあ・・・身に着けていれば・・・
電車の景色は、新しい家並み。それでも山は変わらない。
帰り、六甲アイランドから最後の貨物フェリーが空港まで行くというので、それに乗った。
中はがらんどう。階段を上り、乗組員のための休憩室みたいなところへ行く。
そこからデッキ。鉄棒みたいな柵があるだけだった。おそろしい・・・
でも、貨物船は揺れない。
静かに六甲の山並みを眺めていると、震災があったことが嘘のような静けさだった。
海の上から神戸を眺めると、とても綺麗。
海はきらきら光っているし・・・
実際には、埃まみれ、建設ラッシュ。

うちのダンナ、神戸で就職決まっていたのに、6年生で留年して、しばらく神戸へ戻ってくるなと言われていた。それがなかったら、わたしも娘も被災して死んでいたかもしれない。

現実喪失というか、震災の時、テレビの画面で燃えている神戸を眺めていたとき、娘はまだ1歳3ヶ月だった。おおげさではなく、娘を抱っこしながら震えが来た。
テレビを消して、娘を連れてつくばを歩くと、街中に神戸の募金箱。うちにも神戸へ送ってくれといって送金がきていたので郵便局へ。なんか、悲しかった。あまりにも外が平和すぎて。うちは貰う側なんだなって少し思った。
そのうち、見慣れた駅がテレビに映し出され、まるで風景が変わっていた。虚しかった。

結局、古今東西いつの時代も、人も変わるし、街並みも変わるけど、山や海は変わらない。

変わらずに在るものさがし尊べばきらきら光る海と六甲

それでもまだ神戸は山を削るのだろうか・・・
復興か・・・・・
茨城だったら、ありえない、と思う。筑波山を削って霞ヶ浦を埋め立てる、なんて。
そういうささやかなことに癒されている、今。

投稿者 Blue Wind : 03:05 AM | コメント (0) | トラックバック

January 08, 2005

王様の耳はロバの耳

去年、一番イヤだったこと・・・一番腹が立ったこと・・・かな。

夏。
弟の嫁さんに、うちの姑さんが鬱病になったのはうちが悪いくらいのことを言われたこと。親の世話をしないとか、親を一人にしておくからとか、世間の人たちは勝手に言う。

じゃあ、わたしたちは間違っているのだろうか?
例えば、これが一度でも鬱地獄を味わったことのある人なら、少なくてもそういうことは言わないだろうと思う。

姑さんは、今、一人で優雅に海の見える高層マンションで暮らしている。そこへ移るときも勝手に決めた。そこなら安心して暮らせそうだと本人が言うから。神戸は住み慣れたところだし、今さら遠くへ行きたくない。近所には娘(義姉)が住んでいる。身のまわりのことは数十年も働いているお手伝いさんがしている。
今さら知らない人に世話を頼むのは本人がイヤだろうし、ゆきえさんはうちのダンナが赤ちゃんの頃からいる人だから、話題にも困らない。神戸の震災で実家が焼けて、ダンナの子どもの頃の写真が残っているのは、ゆきえさんのアパートが単なる倒壊だけだったからだ。そういう中から、古い写真を送ってくれた。

ゆきえさん、か。
考えてみたら、こんなに強烈なキャラはいないかもしれない。実際にはわたしは数回会ったことがあるだけなんだけど、強烈な人だからすごく印象が強い。

どこか鳥取の農家の生まれらしい。詳しいことは知らない。例の如く、娘の頃、裕福な農家に嫁ぎ、姑との折り合いが悪く、飛び出して神戸。その後、年下のご主人と恋愛結婚。このゆきえさんのご主人というのも、もともと会社を経営していて裕福な人だったらしい。それが倒産し、なかなかプライドが捨てられず、仕事が続かない。そういう中で、ゆきえさんが女中をしながら生活を支えてきた。それが今日まで続いている。

ある意味、夫婦で壊れているから、貯金がいつも無い。倒壊する前は家賃が1万円くらいのアパートで、主のように暮らしていた。夫婦で働いてかなり生活が楽になったとしても、ぱっぱらぱっぱら使ってしまう。いつも要らない道具に溢れかえり、娘のためなら習い事でも何でもぱっぱらぱっぱら。年金にも入っていない。

姑さんは、逆に昔ながらの長男の嫁で、裕福は裕福なんだろうけど、いつも姑の苦労の愚痴まみれで、何度も実家に戻ったけれども結局一度も迎えに来てもらえず、親にも説得されて神戸へ。いつもしまつ(節約)して、よその人たちみたいにぱっぱらぱっぱらというわけにはいかない。嫁さんとしては完璧だと思う。

要するに、姑さんとゆきえさんは腐れ縁。姑さんにしてみれば、ゆきえさんみたいに苦労するのは怖い。貧乏はイヤ。それでいて、嫁ぎ先を飛び出して好き勝手しているゆきえさんには子育てから家の中のことやら寝たきりの親の世話までしてもらっている。
ゆきえさんにしてみれば、うちの姑さんとは若い頃から何度も喧嘩して辞めてはいるらしいんだけど、結局、ほかで続かず戻ってくる。

二人は正反対の生き方をしているけど、どこか互いに理解しあえるものがあるのだと思う。

わたしがそうやって勝手に思っているだけなのかもしれない。

でも、一生懸命につらい思いを我慢して生きてきて、ある日もう何も心配することもない老後の生活が震災によって狂ってしまった。姑さんが爆発するのも無理はない気がする。そして、義父の死。

もともとが鬱々した人だったような気がするけど、いざ70歳を過ぎて発症して、それがうちの責任のように言われても困る。実際、不幸なのは姑さんだけではない。わたしだってね、自分のやりたいことを辞めて一生懸命に家のことをしていて、いわば家族の犠牲。そうなると、どっちが不幸とばかりに鬱合戦。

まあ、そういう中で、一番怖かったのが、娘。誰だって家族がいがみ合っている中で子どもを育てたくないと思うよ。ダンナは怒っていたけど、わたしは姑さんを捨てた。本音は自分を救いたかったのかもしれない。

生活は遠く、娘は神戸を知らずに育つ。赤ちゃんの頃とおじいさんのお葬式の時に行っただけ。その間に姑さんが何度か来て、毎年おちびの服やらおもちゃやら送ってくる。平和。

むずかしいな・・・
わたしのすることを観察していると、たしかにメンヘル系の人たちとよく似ている。それでいてわたしは発症していないらしい。実際にはあっけらかんと明るい。

鬱捨て場、か。

短歌もネットも大嫌いだったけど、王様の耳はロバの耳。
箱は、わたしの話を何となく理解してくれるような気がする。

投稿者 Blue Wind : 03:22 AM | コメント (0) | トラックバック

January 05, 2005

危険な電話

頼むよ、郵便局・・・
近頃、気のせいかもしれないけど、年賀状の配達が遅い。神戸から電話があり、姑さんがウルウルしている。一体どうしたのかと思ったら、年賀状が届かないから、わが家がスマトラ島沖の地震の被害に遭い、今ごろプーケットにでも遺体で転がっていると思ってしまったらしい。

これね・・・普通の人に言うと、「はあ?」って思うと思う。「年末年始に電話していないの?」とかね・・・

姑さんは鬱病だから、なるべくこちらからは電話しない。いきなり夜中に電話するとパニック発作が起こったりするらしい。そうなると、電話口で息が苦しくなり、ハアハア、ゼイゼイが始まる。これで死にはしないだろうけど、死にそうに苦しいというので、普段でも電話ではなくファックスを使うようにしている。そうすると、状態がよければ向こうから電話がある。

鬱病って言うと大変だと思うかもしれないけど、われわれは彼女が鬱病と診断されてホッとした。一番ホッとしたのは姑さんらしいけど。それまでが大変だった。それこそ胃が痛い、骨粗しょう症かもしれない、歯の手術、毎日どこか悪いと言っては入退院を繰り返す。あげく、医者と喧嘩したらしく、病院を替わったり・・・だって、どこも悪くないのに悪くないって言うと怒り出すわけだから、これでは医者もたまったもんじゃない。それで仕方なく数年前にこちらの病院へ入院し、軽い鬱病の診断。
病名がついたら安心したらしく、そそくさと神戸へ戻って行った。

その後、本当にパニック発作が始まったらしく、ますます安心した。診断がしっかりしていると、本人が自覚する。すると、あちこち痛い痛いが始まっても、騒ぐ前に、本人が、「待てよ? これは単なる鬱のせいかもしれない」という具合に冷静になるから、放っておく。そこまでになると、あらゆる用事や誘いを、「わたしは病気だから・・」と断り、外出するにしてもこの辺で発作が出るかもしれないとばかりに薬を持ち歩く。

近頃は、かなり快調だから、以前から仲良くしていた人と暖かくなったら一緒にエステへ通ったり、水泳へ通ったりしようかな・・と言い出している。

姑さんから電話がかかってきて、ダンナを起こそうと思ったけど、娘に代わったらさっさと電話を切ったらしい。眠いところを起こされて、「プーケットで遺体になっている」と大真面目に心配されたら、それだけで息子の機嫌がどつぼに悪くなることを知っているからだ。

その次に、お酒をやめろ、たばこをやめろ、が始まる。もう何十年も同じ話の繰り返しだから、これは病気とは関係ないんだと思うけど、言っているほうは案外本気で大真面目でクソマジメに心配するために、次第に不安のツボを刺激し、ダンナの機嫌がどつぼに悪くなる。
鬱病になったおかげで、逆にそういう説教めいたことは減った気がする。でも、一度始まると止まらない。

わたし?

もう慣れた・・・

その昔、姑さんが鬱病になる前のほうがつらかった。それこそ義父が亡くなってからは毎日嫌がらせの電話がかかってきて、それだけでストレスでわたしのほうが代謝異常などの病気に倒れてしまった。

そうなると病気になった者勝ちで、逆に心配してくれるから不思議だ。これは背骨に良いとか、足ツボマッサージとか、婦人科の病気だけは他人にはわからないつらさだとか、親身になって心配してくれる。自分がいろいろ言うと嫁が倒れるから、などと反省している。でもその次に、自分の嫁さん時代の苦労話が続くために、なるべくなら避けたい話題。

やがて、わたしが病気になったせいか、毎日かかってきた電話がパタッとかかって来なくなった。

冷たいようだけど、わたしにはわたしの親がいるとばかりに、本当にうちの母親が倒れたら、なおのこと静かになった。

ダンナが結核になった時には、ヘンに元気だった。栄養つけて、神戸から肉送って、とばかりにはりきっていた。

ダンナの従兄がまだ若いのに癌で死んだ。そうすると、そこの嫁さんの愚痴を毎日電話で聞いて、あーでもないこーでもないとますますはりきっていた。

今・・・・・どうしているだろう・・・・・・?

たぶん・・・・・・ウルウルしながらセロトニンが増加して、安らかに眠っているかもしれない。なんで、うちがスマトラで遺体になっていないとダメなのかわからないけど、本人にしてみれば、本気で心配していたのだろう。

ウルウルウルウル・・・・安堵の寝息。鼾かいて口開けて寝ている。賭けてもいいね。

一番危険なのは、こういう時に電話すること。

投稿者 Blue Wind : 12:41 AM | コメント (0) | トラックバック

January 02, 2005

静かすぎる年明け

年末年始だというのに、ネットユーザーの多いことに驚かなくなったのはいつからだろう。普通だったら帰省したり、家族や来客という具合にネットどころではないような気がする。

父はレジャー産業の人だったので、お正月は元日がお休みなだけで仕事。世の中の人たちが休みの時期はやたらと忙しかった。その代わり、平日に学校を休んでふら〜っと家族で旅行に行ったり、そういう意味では自由。
このように、社会の動きと連動しない家庭環境で育つと、ぼっけーっとしているうちに年を取る。

いきなり、年賀状を出したかとネットのヘビー・ユーザーに心配された。一緒にするなよ・・・わたしは普通の主婦なので、個人的に年賀状を出すところなんて毎年決まっている。だから、ダンナが年賀状のデザインを決めて、わたしの分もついでに住所も印刷してくれる。そうなると、ちょっと一言書けばいいだけなんだけど、なんかそれすらもめんどっちー。

しかも毎年決まった日に決まった人たちから届く。元日に届く人もいれば、元旦が終わった頃に届く人もいるし、それすら決まっている。わたしの場合、今年は早いほうで、元日のお昼に出すなんて何年ぶりだろう・・・去年は出しそびれてしまったけど、何も困らなかった。

つまりは、あまりにも付き合いが長いと年賀状すら意味がないような気がしてしまう。まあ、仕事でもしていたらそういうわけにもいかないのかもしれないけど、主婦は気楽だ。

その中で、不審な年賀状が・・・・

いや、不審というのは言葉の使い方が間違っている。去年とは名前が違うじゃないかー、というヤツ。結婚して変わるならいいけど、いきなり離婚か? 実家の住所とも違うし、連名の男の名は息子らしい。ヤレヤレ・・・えみこ叔母ちゃん、怒ってるんだろうなぁ・・などと思いながら、従妹からの年賀状を眺める。

そういう世論を配慮してか、ちびちゃんの元気な写真2枚に添えて、「・・・働くお母さんとしては嬉しい限りです」と書いて締め括っている。まあ、ちびちゃんが明るく楽しく元気で育ち、離婚しても誰にも迷惑かけてないならいいよね・・・って言うしかない。う〜ん・・・・いつの間に。あまりにも用意周到な年賀状の一つ。お見事。

うちは父親二人すでに他界しているし、母親二人は病気だし、ダンナはこのところお正月に呼び出されることがなくなったけど仕事あるし、弟もどうせ仕事だろうし、上の義姉のところは昔から年末年始はスキー場で松明を持って年越し。わたしはまた明日には母の病院へ洗濯物を運ばなければならない。

学生街のよいところは、静かな年越しかな・・・それでいて、スーパーもコンビニもレンタルショップもレストランも開いているし、何も困らない。難を言えば、お正月ムードがないところか? クリスマスを過ぎると、とたんに学生が姿を消す。うれしい。

いや・・・・クルマ飛ばして伯母さんの家にでも行って、どんちゃかお酒飲んで盛り上がるのも楽しいような気がするけど、ダンナが・・・娘は同じ年頃の子たちがたくさんいるから楽しいだろうけど、ダンナが・・・楽しそうにしてるからいいのっかなーなどと油断すると戻ってから機嫌が悪くなる。

それを考えると、娘と二人で桃鉄をやらせておいたほうが平和。わんわんらんど行ったり、ボウリングへ行ったり・・・

このようにして、つくば理系社会は静かに新年を迎える。気楽というか静かすぎるというか・・・つまらない記事を書いているうちに夜は更ける。

ちなみにわが家は、毎年除夜の鐘の代わりに、祝砲というか花火というか、どちらかよくわからない音により年明けを知る。

投稿者 Blue Wind : 03:37 AM | コメント (0) | トラックバック