April 21, 2005

調和のとれた人生に憧れる・・

結局、レールのある人生しか知らない人たちに、わたしの父のことを説明するのはいつも困難である。気がついた人もいるかもしれないけど、わたしの実家はゴルフ場を経営していた。ちょうどゴルフの大衆化の時代に便乗し、潰れかけたゴルフ場の経営権を買い取り、商売を始めた。たまたまそれが成功したために、全国に父がプロデュースしたゴルフ場やスキー場は多い。天職ってあるんだろう・・・北海道の片田舎出身の父にとって、山は熟知した世界でもあり、子どもの頃からの遊び場であり、雪が降ればクローズしてしまうゴルフ場が多い中、雪を熟知している父は朝からスコップを持って自ら穴を掘り、根雪を溶かす。このため、ますます繁盛した。

母は根っからの都会育ちのため、山には住めない。田舎で土地の人たちを相手に地方名士の奥さんをしていられるタイプではない。考えただけで憂鬱になるらしい。このため下界に降りて仕事をしていた。

今日は朝から庭の雑草と格闘し、そういえば札幌の家の庭も相当荒れていたことを思い出した。母に庭仕事なんてできるわけがない。母が札幌を逃げ出したのは、雪が原因である。毎朝の雪かきという重労働に耐えられなかったのが原因かもしれない。それと根っからの江戸っ子のために、東京から離れるのがいやだったのかも。

父にも普通に生きていた時代もあり、兄弟の中で1人だけ大学を出ていない父は、最初は田舎の役場に勤めていたそう。すぐ下の叔父さんは子どもの頃から秀才で北大を特待生で卒業し、あそこの3姉妹は上2人が東大卒、3人まとめて東大の大学院まで出ている。このため父の代の学歴コンプレックスはわたしの代にも続いている。今でも、敗戦後すぐの昭和天皇の全国行脚の時に拝謁した子どもということで、叔父のほうが地元では有名人。父は学校をさぼって山で昼寝していた。

大体、父のようなわがままなやつが田舎の役場に勤めていられるわけがない。結局、上司と喧嘩して飛び出し、札幌へ。その次には敗戦後ということもあって、祖父も亡くなっていたし、東京の祖母の実家を頼って上京し商売を始めた。父の話を書くだけで、小説を書けそうな気がするくらい波乱万丈で面白い。でも、時代も大変な時代だったし、何度か商売にも失敗し、とにかくオール・オア・ナッシングみたいな性格だから、サラリーマンなんてとてもやれる器ではないし、ひたすら商売あるのみ。金こそすべて。どちらかといえば体育会系のタフさがあったから、続けていられたのかも。

そんな風に考えると、母は母で平凡なサラリーマンの奥さんができるタイプではなかったし、男勝り。姉妹ばかりで、兄弟がいなかったせいで、男の子のように育てられた。

わたしの親は変な人たちだったけど、案外、普通の家庭に育っている。父なんてまるきり保守的で、かなりまともなのである、言うことは。どこで人生が狂ってしまったのだろう・・・やっぱ、大学を出ていなかったせいなのかもしれない。いや、金がないとか元々興味がないというのなら別なんでしょうけど、そういう家庭ではなく、わりに教育熱心な家庭だったらしい。朝からお経聞いてるとかね・・・(あーなんなんだ) だから、わたしは叔父さんたちの説教が大嫌い。つまらん。それが勉強もしないで学校さぼってばかりの父はおばあちゃん子で甘やかされたせいで、学歴がない。そういう劣等感があったから、一発逆転的人生を歩むことになっただけ。

調和のとれた人生に憧れる。

・・・・・・・というわけで、わたしはそれなりに学歴はあるのに、ちゃらんぽらんに生きている。普通の主婦といえば聞こえはいい。

自分で商売するだけなら、学歴も資格も要らない。なまじかそういうものがあるから何もできないのかもしれないと、たまに思う。それでいてわたしは働いたことがない。がんじがらめの保守でもないし、それでいて改革派でもないらしいし、宙に浮いたまま加齢している。

やっぱ、研究室で切り貼りしていたり、家でおとなしくうたを詠んでいるくらいしか生きる道はないのかもしれない。もうババアだからなんでもいいけど。

投稿者 Blue Wind : April 21, 2005 10:51 AM | トラックバック
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