カトリックもどうなってしまうのでしょうか。わたしには詳しいことは分からないけれども、コンクラーベは保守と革新の一騎打ちみたいな形で、保守が勝ったとしか思えない。一つ分かっているのは、ヨハネ・パウロ2世よりも遥かに保守的な教皇が誕生したということ。欧州へのトルコの加盟を許さないとか、アメリカの政治にも干渉する教皇というのはすごい。
わたしはね・・・教皇というのは、教えを説くのがお仕事だから、革新的であるよりも保守的であるほうが、こんな時代だからこそ望ましいような気がしている。ほかのキリスト教ですら否定するという姿勢はさらにすごすぎる。
でも、勝手に聖書に書かれてあることを改ざんされるよりも、正統派なら正統派として正統派の神学者が教皇になるのは良いことなのかもしれない。
女性に対しても厳しい。まあ、聖書に書かれていると言われてしまえばその通りなのかもしれないし、軽やかに微笑んでいるだけのほうが世の中は通りやすく、知らん顔しているのが一番だと思うことが多々あり、要するに、説教してほしいわけ、教皇には。
例えば、イラク戦争の時だってそうだった。アメリカ世論ですら、ブッシュは神学を学ぶべきだと言う。ビシッとね、大統領に言えるのは教皇くらいだもの、がんがん言ってほしい。従軍牧師の姿を見たら、わたしなんかは背筋がゾッとするので、一緒にされたらいやだった。カトリックの国は反戦の姿勢を貫いているというのに・・・
同じキリスト教でもそれだけ違うのだもの・・・せめて、カトリックだけでも正統な道を歩んでほしいという期待はあり、それがブーイングの対象だとしても、そういうものなんだから諦めるしかない。それでも懲りずに説教するのが教皇であり、今の時代は教師ですらどこかそういう権威も権限もないことを考えると、ますます保守へ走るのも無理はない。
それでいて、考えてしまう。こんなにも保守的でよいものかどうか・・・
結局は、保守と革新の対立は続いていくのかもしれないし、それもまた時代なのかもしれない。
カトリックもいくつも宗派があるし、わたしは敷島の人だから、何となくピンと来ない。何かあれば聖書を開く。神さまとだけお話する。いろいろな人たちがいろいろ言うのは当たり前のことだし、意見が対立し、喧嘩しないことだけが平和というわけでもないらしいし、結局、調和のある社会というのが望ましい。一方がバリバリの保守ならば、革新派はさらに革新の方向を極めていくのかもしれないし、分離しそうでしないところがカトリックなのかもしれないし、本当に分離するなんてことがあるとは思えない。
そういう時代なのかもしれない・・・今は、21世紀。そして、新しい千年紀の始まりでもある。もう始まってしまったのだから引き返せない。
投稿者 Blue Wind : April 21, 2005 01:04 PM | トラックバック