March 20, 2005

均衡と協調性のなさ

他愛もないことなんだろうな・・・ただ、わたしにはそれが耐えられないことのように感じてしまうだけで、それが当たり前だと思って育てばそれが価値観となるだけのことなんだろう。

よそさまのことだから、あからさまに面と向かって言うことはない。

例えば、どうして習い事だの何だのとせっせと通っているのに、子どもが漫画一冊自由に買えないのだろう、とか。経済的に余裕がないのであればともかく、必ずしもそうとも言えないことも多々あるし、価値観というのはわからない。動機も違うし・・・

子どもに甘いとか厳しいとか、いろいろな親がいる。ささやかなことなんだよね・・・今の時代は、大きくは違わない。同じような教育を受け、同じような雰囲気の子どもたちがいるだけのことであり、ほんのちょっとしたことに異質物のごつごつを感じてしまうことがあるということだ。だから、通り過ぎてしまえばどうということもなく日常は続いて行く。喧嘩したとか、仲が悪くなったとか、いささかそういうトラブルもなく、どちらかと言えば空気のように存在する違和感を何かでつなぎとめながら人間関係が構築されて行く。

今日、ダンナは仕事なので、おちびは朝から友達の家に行き、午後からも一緒に公園へ行くといって電話が掛かってきたら出かけてしまった。そうやって育ててしまったのだから仕方がない。それはそれでほっとする。

学校には学校の価値観があるし、公園には公園の価値観があるし、塾には塾の価値観があるし、お絵かき教室にもお絵かき教室の価値観がある。日本人なのにインターナショナル・スクールに通っている子もいれば、外国人なのに日本の小学校へ通う子もいる。

それにしてもうちのブロック、どうなっているんだろう。蓋を開けたら、5人が5人とも違う中学へ行く。都会なら驚かないんだけどね・・・この選択肢の限られた世界で一体何が発生しているのか、わたしにはわからない。ひとつ分かっているのは、おとなの世界とこどもの世界は違うらしいということで、それを見て、うちの娘の志望校が微妙に変化してしまったということくらいだろうか。

どーなっているんだよ〜!! はっきり言えよ、はっきり!! どーしてそーいうことになったのか、誰も知らないらしい。誰も何も言わない。もしかするとわかりやすい理由はないのかもしれない。

こういうときに、情報ツウとか、芸能雑誌とかあればね・・・わたしでも買って読むさ。芸能人が何してるかより、うちの近所で一体何が起こっているかのほうが遥かに興味深い。それでいて不思議なくらい情報がない。なんでなんだろう。

まあ、親の職場が同じで、近所に住んでいたら、学校くらい違うところに行きたかっただけなのかも。うちのダンナに言わせると、国立的付き合いというのはそういうものらしい。普通は逆じゃないか? うちなんてシンプルだから、「ゆかちゃんが行ってるならうちのちびも行かせるか・・」みたいなノリしかない。いや・・・それは少数派だからそうやって考えるだけなのかも。

----それじゃあんたは協調性があるわけ?

いいえ、ありません。桜の季節、ミモザを眺めています。だって、隣の家が木蓮植えて、うちも植えたら真似してるみたいじゃない?並木に行けば同じ木が並んでいるし・・・公園は桜だらけだし・・・

ここは、つくば。変なところだよね・・・それでいて住みやすい。なんでだろう。マイ・ペース・タウン。公務員の街なんてこんな感じなのかも。共産圏、か。国家公務員と資本主義社会。なんか変な組み合わせ。

花でも眺めていたほうがいい・・・

投稿者 Blue Wind : March 20, 2005 02:42 PM | トラックバック
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