March 21, 2005

水原紫苑『あかるたへ』から一首

近頃、短歌の話はあまり書かない。とりあえず作歌は続けているから、それはそれでよしと考えて。あっさり語ればどうでもよくなってしまったのである。自分にとって水原紫苑さんの2冊目の歌集、『あかるたへ』を読み、少しは書評のブログらしく何かを書こうとか、少しは歌人らしく選歌してみようとか、いささかそういうパワーが自分には欠如していることにも気がつき、どこまでも自然体というものを追求するのであれば、それはわたしが書きたくなったときに自然に書くこともあるのではないかと、近頃ロングスタンス。

ただし、追記のように書き足せば、前回の『世阿弥の墓』はわたくしには難解すぎ、言葉を選ぶこと、能の世界を描くこと、そしてそれを理解することがわたしにとっては酷く苦痛であったとしか語れない。

幽玄の世界というのは、どこか刹那的であり、命を燃えつくせと言わんばかりの消えゆく命というものに対する切迫したものがなければとても語れない。以前、いけばなの世界にインスパイアされて少し詠んだことがあるけれども、あの残酷なまでに切られてしまった花の姿と美の追求という点で、アートとは残酷であり、美のために切られ刈られてしまった悲哀さすら美の一部という悲しき厳しさを目の当たりにしたとき、それを詠みたいという欲望と、それを詠んではいけないという節度とが葛藤し、結局、そのときは神父さんのサイトで詠んでいたために、幽玄を乗り越えるために、「愛に悲しみはない」という意味がそこに含まれていることに気づき、再び聖書の世界へ戻って行った。

何もなければそれにこしたことはない。誰かを恨んだり、憎んだり、戦争やその他諸々の悪というものに対して、善を行うほうが遥かにエネルギーが必要であり、そうやって生きられる人が強い人なのだということにも気がつく。

『あかるたへ』から一首。

死は恒星、生は遊星なりけらしひかりを反(かえ)す思ひぞ深き(水原紫苑)



著者: 水原 紫苑
タイトル: あかるたへ




著者: 水原 紫苑
タイトル: 世阿弥の墓

投稿者 Blue Wind : March 21, 2005 01:35 AM | トラックバック
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