May 01, 2005

風通しのよい街

わたしはつくば市に住んで10年半くらいだろうか・・・その前に少し土浦市にもいたので茨城県に住んで12年くらい。

ある日突然、ダンナがあみだくじに負けてこちらに来ることになった。当時は僻地手当てというのがあるくらい誰も住みたがらなかった。1年の予定だったし、あみだくじに負けたとき、勝った人たちが餞別に5万円ずつカンパしてくれた。つまり金を払ってでも行きたくないというのが世論だった。わたしはその訃報、・・・じゃなかった、その報せをダンナから聞いたとき目の前が真っ暗になった。

でも、住めば都というわけじゃないけど、次第に東京に戻るのが嫌になり、妊娠6ヶ月で移転してきて、娘が生まれた頃にはすでに戻る意志が欠如。もしかすると娘がいなかったら違ったかもしれない。

どこが違うかというと、土浦に住んでいたとき、知らない人たちばかりなのに、会う人会う人が話しかけてくる。わたしにではなく、娘に・・・お腹の中にいても、赤ちゃんでも、不思議なくらい茨城の人たちは赤ちゃんが好き。

たまに用事があって都内へ行くと、渋滞待ちする高速バスの中では子どもが泣くと苛々して「うるさい」と怒鳴る人がいる。電車の中でも寝たふりする人たち。ぐずる娘をずっと抱っこしたままひたすら疲れ果てる。

それが不思議なことに常磐線に乗ると、必ず誰かが席を代わってくれる。自分が子どもの頃の東京はそういう感じだった・・・江戸の風情というか・・・ところがいざ自分が子どもを連れて歩いてみると、そこには知らない世界が広がるばかり。

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つくば市の歴史は浅い。

昭和38年、研究学園都市を建設することが閣議決定。
昭和60年、EXPO’85国際科学技術博覧会の開催。
昭和62年、「つくば市」が誕生。

このように眺めてみると、エキスポが開催された頃はまだつくば市ではなかった。エキスポを開催し、国際科学技術都市「サイエンスシティつくば」をキャッチフレーズに、当時はまだ幻の都市だったつくばを世界に向けてアピールした後に、どうにか6町村の合併に合意がなされたというのが実情なのかもしれない。

だから、物理的に街らしきものはあるんだけど、行政はバラバラで、ややもするとあちこちの庁舎をたらいまわしにされるということもざらである。総務は矢田部、ゴミのことは豊里、という具合にゴミの収集所を一つ開設するだけでも自治会をつくってからとか、許可が必要とか、ゴミの収集所はあるのにそれを使うだけのことがやたらと大変。

これをしなかったばかりに粗大ゴミの街と化した学生街のブロックもあり、そのように言われるとそうなのかもしれないけど、毎日ゴミの収集車はその前を走っているんだし、収集場所もあらかじめつくられている。なのに行政の対応はすこぶる悪い。管轄が違うかららしい。市役所がいくつも点在している感じ。

結局、国が先に動いて街が勝手につくられたために、物理的には街としての器は存在しているのに(例えば道路や学校、公園など)、いざ住んでみるとあれが足りない、これが足りないということになり、30年以上住んでいる人たちは最初はスーパーもなかったから農家の朝市などで物資を購入していたそう。
それでも初期の頃には一戸建ての官舎もあり、どこの家にも花が美しく咲いていたものだった。去年くらいからそれが取り壊されることになり、マンション群になるらしい。

今年の夏にはつくばエキスプレスが開通し、ますます人口が増える。今までだったら公立の学校も越境できたのに急にシビアになる。つまり、人口の増加を見越して、器が足りなくなるかららしい。そのせいか今までだったら高校からしかなかった私立が数年前から急に中等部を併設するようになった。

ちょっと前まで茨城というだけで僻地手当てが付いていたし、僻地扱いになるから防衛大出身者も多かった。それがね・・・この数年の間に、急に僻地ではないということになり、手当てがカットされてめちゃくちゃ怒っている人たちも多い。初年で4万円、勤続年数に応じて13万円くらいかな・・・それがいきなり一律カットだもの。都内のほうがもっと不景気の煽りで大変なことになっているらしく、そのしわ寄せが地方にやってくる。

いっそのこと都内を切り捨てたほうが儲かるかもしれん・・・

政治も変わるし、国が先に動いて出来てしまったこの街に住んでいると、上が勝手に決めてもトラブるだけで損な気がすることが多い。福祉だって都市ごとにまるで違う。教育もそうかもしれない。住民同士の価値観も違うし・・・

このところの自分を観察していると、どうも過密に堪えられなくなっているらしい。

投稿者 Blue Wind : May 1, 2005 02:27 PM | トラックバック
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