February 23, 2005

のーてんきな日にて

ようやくトロデーン城の図書室へたどりつき、気が付けば、わけのわからないうちにもぐらを倒し、船をゲット〜♪ 娘は微熱と軽い咳があるため学校を休み、二人でうだうだ昼寝。夜、さっさと夕飯を済ませ、せっせとドラクエ。

J.D.サウザーを聴きながら、70年代気分に浸っていると、すべてがどうでもよくなってしまう。60年代に生まれ、思春期を70年代に過ごし、サウザーは高校時代によく聴いていたと思う。当時、2時間目の授業が終わると急いで学校の電話ボックスに駆け込み、そのままウドー音楽事務所にコール。初代ウォークマンは4時間で電池切れするために、駅の売店で電池を買っていた。

とりあえず、女子校で付属に大学がついていたけど、何となく外へ出てみたかった。無試験でそのまま上がれるので、誰も勉強していない、そういう環境。懐かしい。クラス会やっても一番盛り上がる。(しつこく4年に一度いまだにやっている。)

留学したかったけど、わたしの成績ではあまり多くを望めないため、結局、日本の大学を受験。UCLAに知り合いがいて、彼女は日本人とのハーフ。しばらくわが家に滞在していたため、わたしはすっかりカリフォルニアに憧れるようになっていた。

高校時代、彼女からもらったUCLAのTシャツを着て、シドニーを歩いていた時、アメリカ人に声をかけられた。どうやらUCLAの学生と間違えられたらしい。それに、当時のシドニーといえば、一緒の飛行機に乗っていたスチュワーデスのお姉さんたちに街で声をかけられるほどローカル。日本人なんてバスの中にいるだけ。わたしは従妹と二人でのんびり歩いていた。ヘンな日本人。その後、シドニーでツアーガイドをしていたお姉さんが留学していたという大学に進学することになる。人生って不思議。

大学に入ってからかな・・・何かが変わり始めたのは。バリバリのアメリカ訛りの英語をクイーンズに直され、卒業後、院浪人していた時代、英語を学ぶならUKとばかりにケンブリッジへ。ケンブリッジの素晴らしいところはほとんどアメリカ人がいないということだった。

敗戦国から、『Japan as No.1』だもの。そのどちらからも解放され、ヨーロピアンにちやほやされていると、ネガティブに傾いていた日本人としてのわたしがポジティブに変容するから不思議。フジヤマ、ゲイシャでもない日本。それ以来、すっかりアメリカ嫌いになってしまった勝手なわたし。

投稿者 Blue Wind : February 23, 2005 01:32 AM | トラックバック
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