January 18, 2005

教科書

こう、なんて言うのかしら・・・・発作でアメブロにブログをつくって以来、わたしは無意味に精神が疲弊しているのを感じている。その理由は例の如くわからない。いろんな意味で毒を浴びているのかもしれない。

昨日、神父さんのサイトを開いていたら、娘が急に、「イエスさまのビデオある?」と訊く。以前、観ていたから何となく覚えていたのだろう。そして、ビデオが見つからないので、聖書を一冊渡した。子ども用の聖書を買うべきか迷った。でも、娘もすでに本が読める年頃なのを不意に思い出す。

学校で使うらしい。
娘が見せてくれた国語の教科書に、マザーテレサの話が書いてあり、わたしも一気に読んでしまった。インドでのご様子、マザーのお言葉、写真。
「お母さんも毎日聖書開いているから、修道院に入りたいの?」と娘が訊く。
聖書を開いているのと、修道院へ入りたいというのとは別かもしれないとちらっと思ったけれども、娘は修道院へ入りたいと言う。理由は素朴で、マザーテレサの話に感動したかららしい。

わたしは、娘にイエスさまの話をしたことはない。日頃、教会にも行かない。娘は普通の公立の小学校へ通っているので、逆に、中学は寄宿舎にでも入れようかと考えたこともある。でも、一人娘だし、あまりにも寂しいのでやめた。

「マザーの親はどういう人だったの?」と娘が訊く。
わたしはよく知らないけれども、マザー自身のお言葉の中に、たしかごく普通の家庭で育ったと。そして、ごく普通に学校生活を過ごし、ごく普通の女の子だった。

わたしが修道院へ入りたいかどうかの問いに対しては、「世の中が全部まほちゃんになってしまったら大変だから」と答えた。世の中がすべてまほちゃん(うちの娘)になってしまったら、それこそ休む暇もない。マザーってそういう人、と娘に言ったら、やけに納得していた。

マザーはつおい。

マザーのたまわく、日本は物質的には恵まれているけれども、精神的にはとても貧困に喘いでいるらしい。愛に飢えている国。餓死寸前の人たちがどれくらいいるのでしょう。
かく言う自分も、癒しがほしいのは自分のほうであって、癒しを求められたくないとは常々思ってしまう。物質的に貧困に喘いでいるのなら、誰かが働きかけて世界中から援助が集まる時代。ところが、愛に飢えていても、もはや誰も救ってはくれない。

ぱらぱらぱら〜っとね、空から愛が降ってくればいいのに。
爆弾でもラジオでも塩でもなく・・・

投稿者 Blue Wind : January 18, 2005 03:33 AM | トラックバック
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