April 18, 2005

怠惰な忙しさ

やらなければならないこともそれなりにあるし、やりたいこともそれなりにあるし、何をやるにも時間が足りないという気がするのに、ヒマだ。要するに、怠惰な気分に浸っているからヒマがあるような気がするだけだし、気力に満ちあふれれば時間は足りない。

タスクというわけではないけれども、次から次へとやろうと思えばステップは続く。中学の頃、そういう怠惰なことを言い出したら、いきなりシュトルムの詩集を渡された。わたしはリルケのほうがよかったのに、なんでだろう・・・リルケは友達のほうに行き、わたしにはシュトルムだ。それ以来、わたしはシュトルムが嫌いになった。

シュトルムが嫌いになったのではなく、シュトルムを渡されたことが気に入らなかっただけ。だから、結局、読まないうちに紛失してしまった。

はたまたこういう怠惰な気分の時に、めがねをきらりん☆とさせて、いきなり彼女は黒板にラッセルの『西洋哲学史』を書き出した。「ふふん、これくらい高校生なら読んでいて当然よ」と言わんばかりの小憎たらしさにあのえこひいきの権化を考えると、わたしは読みたくもないのについ全4巻のラッセル卿の書籍を本屋で取り寄せた。読んだら結構面白かった。

大学へ行き、文学部だし、文学少女なら文学を専攻すればいいのに、わたしが一番面白かった教養課程の授業は人間生物学。生理心理学とかね・・・屈折したまま精神物理学。嫌いな統計。嫌いなパソコン。あれにこれに嫌いだ、苦手だと喚きながら次第にのめりこんでいった。

結婚したくない、子どもは要らない、医者は嫌い、あれにこれにと嫌いなもののオンパレードの中、嫌いな方向へ人生は進んで行った。

考えてみたら筑波もそうかもしれない。大学受験の頃、ドライブがてらつくばに来た時、こんな田舎で大学生活を過ごしたくないというだけの理由で、その後大学院の受験すらやめることにしたにもかかわらず、気がつけば住み着いている。

ちょっとした気まぐれなのよね・・・いつも。

短歌も単なるイメージの問題なのかもしれないけど、まるきり嫌いだった。いやだいやだと思っていると、どうも磁石のように反対の極へ惹きつけられるかのよう。これではいけない。でも、好きなことだけやっていると飽きてくるし、ネガティブな刺激はそれなりに活力にもなる。

バランス感覚なのかもしれない。

偏食というわけではないけれども、好きなものしか入れないおでんがまずいように、それなりに嫌いなものを入れるから味が出る。それでいて、姑さんはいつもわたしに言う、「好きなことをやれていいね」と。嫌味でもあるし、本音でもあるし、羨ましいのかもしれないし、憎たらしいのかもしれない。

ネットも好きで始めたわけでもなく、CGIなんて半ば強引に覚えさせられた。教え方が上手だったのかもしれないけど、あっという間に覚えてしまった。ただし、初歩的知識だけ。自分でプログラムは書けない。うっかり怠惰な気分でいると、次から次へとタスクを積みたがる人たちが多いので気をつけねば。

旧約聖書の続きもまだ読んでいないし、読もうと思っている歌集も多いし、それでいて怠惰に支配され、またCSSをいじって遊んでいる。最初は分らなくても、てきとーにいじっているうちに、何となく分るようになる。極めて少ない言語。ただし、それがどのように表示されるのかは慣れとしか思えない。線の太さや色は特にそう。

とりあえず、今やりたいことをやろう。覚えたいことはガーデニングだけど、近頃、雑草を抜くのも下手だということを自覚し、もっと手際よくやってみたいのにどうもうまく行かない。道具の使い方が下手なのかも。なんでも経験だよなぁ・・・庭のことはまるで分からない。失敗続き。育ちすぎた木や草花を去年はまとめて処分しなければならなくなったのはわたしの無知が原因。あんなに育つとは思わなかった。

人生は知らないことだらけ。分からないことだらけ。それでいて怠惰に負けそう。創作はつらい。活字は重い。ブログも重い。(のは、サーバのせいだ)

今日も一日が終わるのが早そう。定年退職者の気持ちが少し分かる怠惰な朝。それでいて、まだやらなければならないことは多いらしい。よかった。

投稿者 Blue Wind : April 18, 2005 10:48 AM | トラックバック
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