April 18, 2005

短歌は写実なんですよ・・

皆さんが(って誰に言っているのだろう・・)、どのように思われているかわたしには分りませんが、短歌の基本は写実だと言われています。そして、”私”の世界。我の世界と言うべきか、このことがほとほと嫌になるほどのしかかってくるとは思いませんでした。

あの?枡野浩一さんですら、厳しく書いています。「顔に似合わない歌を詠むな」って。つまり、歌にしたほうがかっこいいってことなのかもしれないし、自分の顔、つまり自分の生き様と相談してから歌を詠め、ってことで、そこが小説などとは違う点です。

昨日から中城ふみ子さんを読み始め、わたしの読み方は気まぐれなので、その時折々の気分でページを送っています。

どこが違うかと言うとね、作家は自分が不倫もしていないのに不倫の話を書くこともできるでしょう。ですが、そんなアホなことをするやつは少なくても歌人じゃない。(と、わたしは思います)

俳句が出る前は違ったのかな・・・やけに写実にこだわる姿勢というのは禅の影響なのかもしれないし、そこのところ国文学に明るくないわたしには詳しいことは分りません。小説にはプロットがあり、登場人物がいます。そして、それがそれぞれに3Dとして存在している。つまりはフィクション。作家がそれぞれの人物の気持ちになり勝手に書いたり行動させたりしているのかもしれません。

が、しかし・・・・

短歌は違います。あくまでも私の世界であり、私の世界を写実に詠む。これが近代における短歌の基本です。

「源氏物語」は小説なので、作中の人物が詠んだことになっている歌も紫式部の創作です。そういう点において、和歌もフィクションであり、そういう歌のあり様ももしかするとありいなのかもしれませんが、現実問題として、わたしが自分を歌人であると称している以上、フィクションを短歌と称してよいか責任は持てません。

わたしの今日や昨日の生活において、娘の給食係用のマスクを買いに行ったついでに、深夜のコンビニの立ち読み族に対してどのように感じたかを詠んでしまった、というのもそれなりに写実。今の世相。たぶん。

どうせだったら美しい世の中に住みたい。

投稿者 Blue Wind : April 18, 2005 01:34 AM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?