April 06, 2005

プラマイ0

雨風呂の改造に飽きてきても、いじって遊んでいるうちに娘の新学期が始まるらしい。いきなり、「お母さん、ぞうきん、ない?」って訊かれても夜だし困る。今はぞうきんはコンビにでも売っているらしいので買いに行こうかと思ったけど、これからちくちく縫おうか迷う。

なんか、ババ臭い話だ。

それでいて、ダンナの人間ドックの結果を眺めていてもうれしくない。どうしても治療の必要な病気はないけど、軽い緑内障とか、足の血栓とか、その他諸々お酒の飲みすぎによる疾患がちらほら。本人も飲酒の量を減らせばよいということが分かっていても、なかなか重大なことにならないと習慣というのは直らない。

それにしても、血栓というのはいやですねー。ある日突然、足を切断とか? 今は大丈夫でも将来的にそういう可能性がある、というだけでも、わたしなら憂鬱になる。憂鬱になるために人間ドックを受けるのだろうか?

こうやって次第に50代、60代と生きていればどこかに病気を抱え、毎日その日のことをやるだけで精一杯になっていくのかもしれない。わたしは意外と丈夫で、入院したのは娘を出産した時くらいだし、日頃から医者にも行かず薬も飲まない。よほどのことがない限り薬を飲まないせいか、なんでもよく効く。

ダンナに言わせると、ストレスは良くないという。それでいて何がストレスかは人によって違うから、ある人は仕事を辞めたらストレスになるらしいし、ある人は仕事がストレスだと言うし、結局、自分をストレスから守れるのは自分しかいないことになる。だって他人には分からないもの。

それにしても、ダンナの人間ドックの結果もストレスだし、いきなり夜中にぞうきんを縫わなければならないのもストレスかもしれないし、それでいてわたしはこの前手芸屋さんを覗いて、ちらほら春夏物のセーターの雑誌や毛糸などを眺めながらストレスを解消した記憶がある。

ある人はアメブロのリニュが非常にストレスだと語るし、それでいて改造でストレスを発散している人もいれば、逆にタグの羅列を眺めるだけでストレスになる人もいる。よく考えてみれば、最初から1クリックでブログが完成するようなスタンスは何も変わっていないにもかかわらず、選択肢が増え、それを楽しんでいる人たちもいれば、落ち着かない人たちもいる。

自分的には、落ち着かないからあれこれいじって遊んでいるうちに、それもまたわたしのストレス発散。これで、システムエラーが出なければもっとパチパチ変えるのだけれど、途中で出来なくなるから逆にストレスを感じる。何となく密集された世界という感じがして、疲れた。プラマイ0。

それでも無意識のうちにあれこれ改造しているうちに、わたしがつくると結局同じようなデザインになってしまう。HPでもブログでも似たような感じ。写真も素材屋さんで借りているのだから、それを考えると背景を借りるほうがノーマルという気がして・・・

それにしても、足を切断するというのは可哀想だ。しばらく治療に専念して、今は義足も良くなっているから普通に歩行は出来るようになる。ある意味、静かな人だから、そうなったらそうなったでごく自然にそれが生活になっていってしまうのかもしれないし、その頃にはおじいさんだから仕方がないという諦めも出て来るのかもしれないし、結核の時でもそうだったけどマイペースなんだろうな。

いや・・・それでわたしが何を考えたかというと、娘の送迎が終わったら、今度はダンナの送迎が始まるのかもしれないと。どちらの足か知らないけど、そうなった場合運転できるのかどうかとかね。特殊なクルマがあるから大丈夫なのかもしれないけど。(←自分が倒れるという発想がない)

まあ、40歳を過ぎたらいつ死んでもおかしくないような気がしてくるから不思議だ。死は姉妹。日本語にすると少しニュアンスが違う。

投稿者 Blue Wind : April 6, 2005 01:05 AM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?