April 14, 2005

感無量

平成17年4月13日、母が70歳になる。感無量。

忘れもしない平成11年11月11日、母の発作。即日入院、脳のオペ。一時期は死ぬかと思っていた。いや、一時期どころか、その後数年は危篤を繰り返し、それが落ち着いたのは去年くらいから。

平成11年12月、娘がインフルエンザ。続いてわたしに感染。(これでどうにか家庭を思い出す)
平成12年1月2日、ネットを始める。(意識が朦朧とし無気力・パニックの中、何となく)

感無量だよなぁ・・・・あの時点で、母がこんなに長生きするなんて誰が想像していただろう。しかも、植物に近い状態。つまり脳が半分死んでいる。だから、動けない。自分では何もできないに等しい。

平成16年10月13日、母がつくば市に転院。つまり、わが家の近所にやって来る。春に転院の予定が肺炎などを併発し、移動できる状態ではなくなったため、秋になった。それ以来不思議なことに母の容態は変わらない。一度だけ、弟の嫁さんが見舞いにやって来た翌日、目が充血し、いきなり高血圧で再発の疑い。でも、その後落ち着いている。笑っちゃいけないけど、あんなに意識が欠如した状態でもそうなんだなーって思った。生きているってそういうことかも。

平成17年4月13日、母のお誕生日だというのにネットで夜更かし、見舞いに行き損なった。少々罪悪感に苛まれながらも娘は帰って来るなり泣いて話し出すし、その話を速攻でブログのネタにしている母なのである・・・わたくしは。

夜、塾へ行っている娘からの電話を待っていると、ペットショップから電話があり、ミエルがようやく来たとのこと。ミエルというのは娘が付けた名前。意味は知らない。ミニチュア・ピンシャのメスの赤ちゃん。去年の12月に感染症で死んだマリちゃんの代わり。マリちゃんの死は、どういうわけかわたしがアメブロにブログをつくるきっかけとなった事件。

そして、雨上がりのポストの中には、馬場あき子の歌集が入っていた。

母の誕生日だというのに、おちびにはミエル、わたしには歌集。さっき弟からメールが届き、無事を確認する。少し花粉症が出ているけど、仕事も家庭もそこそこ順調。この、「そこそこ順調」になるまでが大変だったことを考えると、健康って大切。

塾へ迎えに行くと、娘はすっかり元気になり、ミエルに会いにそのままペットショップへ。結局、夕飯の買い物をし損ねたため、そのまま外食をゲットし、3人でウキウキ帰ってきた。ミエルが家にやって来るのは、2回目の予防接種が済んでからで、今はまだ接種前だから1ヶ月以上先のことになる。

祖母は64歳で亡くなり、母もほぼ同じ年の同じ時期に似たような発作。それを考えると、わたしも64歳の同じような時期に発作に倒れる可能性が高い。母の姉妹は母よりも元気だから、それを考えるとおかしな話なんだけど、直系というのは何となく気になるものである。まあ、そこまで無事で元気で生きられるという保証なんてどこにもないんですけどね・・・わたしが。

それでも、母があのような状態でも、何となく70歳まで生きてくれるとわたしもその年までは生きられるのではないかという気がしてくるから不思議だ。世の中の平均寿命はどんどん延びているというのに、なんたる低次元の話。それでいて短命の家系というのは辛い。

父なんてもっと酷かった。代々長男が40代で亡くなっている家系の長男で、実際には生まれてすぐに亡くなった子がいたらしいので、順番で言えば次男なのかもしれないけど、大昔のことで父は長男として育てられ、時代背景が戦争と被っていたから、父のどこか破瓜的な傾向は色濃くわたしにも影響を及ぼしている気がすることがある。

呪縛・・・・・

そういうことは弟のほうがもっといやかもしれない。だって彼は長男だから・・・・が、しかし・・・・何とか無事に生き抜くしかないような・・・・子どもの頃から体が弱かったのは弟のほうで、体力はわたしなどより遥かにありそうなのに病気がち。

とりあえず、うちの母でも70歳まで生きられたので、よしとしますか・・・

投稿者 Blue Wind : April 14, 2005 02:17 AM | トラックバック
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