January 08, 2005

王様の耳はロバの耳

去年、一番イヤだったこと・・・一番腹が立ったこと・・・かな。

夏。
弟の嫁さんに、うちの姑さんが鬱病になったのはうちが悪いくらいのことを言われたこと。親の世話をしないとか、親を一人にしておくからとか、世間の人たちは勝手に言う。

じゃあ、わたしたちは間違っているのだろうか?
例えば、これが一度でも鬱地獄を味わったことのある人なら、少なくてもそういうことは言わないだろうと思う。

姑さんは、今、一人で優雅に海の見える高層マンションで暮らしている。そこへ移るときも勝手に決めた。そこなら安心して暮らせそうだと本人が言うから。神戸は住み慣れたところだし、今さら遠くへ行きたくない。近所には娘(義姉)が住んでいる。身のまわりのことは数十年も働いているお手伝いさんがしている。
今さら知らない人に世話を頼むのは本人がイヤだろうし、ゆきえさんはうちのダンナが赤ちゃんの頃からいる人だから、話題にも困らない。神戸の震災で実家が焼けて、ダンナの子どもの頃の写真が残っているのは、ゆきえさんのアパートが単なる倒壊だけだったからだ。そういう中から、古い写真を送ってくれた。

ゆきえさん、か。
考えてみたら、こんなに強烈なキャラはいないかもしれない。実際にはわたしは数回会ったことがあるだけなんだけど、強烈な人だからすごく印象が強い。

どこか鳥取の農家の生まれらしい。詳しいことは知らない。例の如く、娘の頃、裕福な農家に嫁ぎ、姑との折り合いが悪く、飛び出して神戸。その後、年下のご主人と恋愛結婚。このゆきえさんのご主人というのも、もともと会社を経営していて裕福な人だったらしい。それが倒産し、なかなかプライドが捨てられず、仕事が続かない。そういう中で、ゆきえさんが女中をしながら生活を支えてきた。それが今日まで続いている。

ある意味、夫婦で壊れているから、貯金がいつも無い。倒壊する前は家賃が1万円くらいのアパートで、主のように暮らしていた。夫婦で働いてかなり生活が楽になったとしても、ぱっぱらぱっぱら使ってしまう。いつも要らない道具に溢れかえり、娘のためなら習い事でも何でもぱっぱらぱっぱら。年金にも入っていない。

姑さんは、逆に昔ながらの長男の嫁で、裕福は裕福なんだろうけど、いつも姑の苦労の愚痴まみれで、何度も実家に戻ったけれども結局一度も迎えに来てもらえず、親にも説得されて神戸へ。いつもしまつ(節約)して、よその人たちみたいにぱっぱらぱっぱらというわけにはいかない。嫁さんとしては完璧だと思う。

要するに、姑さんとゆきえさんは腐れ縁。姑さんにしてみれば、ゆきえさんみたいに苦労するのは怖い。貧乏はイヤ。それでいて、嫁ぎ先を飛び出して好き勝手しているゆきえさんには子育てから家の中のことやら寝たきりの親の世話までしてもらっている。
ゆきえさんにしてみれば、うちの姑さんとは若い頃から何度も喧嘩して辞めてはいるらしいんだけど、結局、ほかで続かず戻ってくる。

二人は正反対の生き方をしているけど、どこか互いに理解しあえるものがあるのだと思う。

わたしがそうやって勝手に思っているだけなのかもしれない。

でも、一生懸命につらい思いを我慢して生きてきて、ある日もう何も心配することもない老後の生活が震災によって狂ってしまった。姑さんが爆発するのも無理はない気がする。そして、義父の死。

もともとが鬱々した人だったような気がするけど、いざ70歳を過ぎて発症して、それがうちの責任のように言われても困る。実際、不幸なのは姑さんだけではない。わたしだってね、自分のやりたいことを辞めて一生懸命に家のことをしていて、いわば家族の犠牲。そうなると、どっちが不幸とばかりに鬱合戦。

まあ、そういう中で、一番怖かったのが、娘。誰だって家族がいがみ合っている中で子どもを育てたくないと思うよ。ダンナは怒っていたけど、わたしは姑さんを捨てた。本音は自分を救いたかったのかもしれない。

生活は遠く、娘は神戸を知らずに育つ。赤ちゃんの頃とおじいさんのお葬式の時に行っただけ。その間に姑さんが何度か来て、毎年おちびの服やらおもちゃやら送ってくる。平和。

むずかしいな・・・
わたしのすることを観察していると、たしかにメンヘル系の人たちとよく似ている。それでいてわたしは発症していないらしい。実際にはあっけらかんと明るい。

鬱捨て場、か。

短歌もネットも大嫌いだったけど、王様の耳はロバの耳。
箱は、わたしの話を何となく理解してくれるような気がする。

投稿者 Blue Wind : January 8, 2005 03:22 AM | トラックバック
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