April 26, 2005

気まぐれな遭遇

⇒トラステへのトラバ: 「あの本の文庫化が待たれる!」

最初、このお題を見たとき、「はあ?」って思った。
本というか、小説の好きな人たちって、そういうものだということを初めて知る。

わたしは、文庫以外で小説などの類を買うという習慣がない。つまり、大抵は文庫でしか買わない。文庫化されるのを待つというより、そういうものだと思ってきた。しかも、読んだら捨ててしまうために、小説は僅かしか手元にない。

読んだら捨てるという習慣は母のせいである。文庫は虫が発生しやすいために、古くなる前に誰かにあげたり、捨ててしまう。つまり、文庫というのは雑誌みたいなものらしい。

それなのにどうしてハードカバーの小説がわが家にあるのかというと、コープで注文して買っていたから。

推理小説以外の小説を最後に買って読んだのはいつだろう・・・おそらくは、渡辺淳一の『失楽園』か、トールキンの『指輪物語』。思い出せない。それ以後、文庫で数冊とハリーポッターを買ったけれども未読のまま積んである気がする。大抵はコープか、成田空港で購入したもの。

どうしてコープを利用していたかというと、割引があるのと、話題の本が多いということと、現実問題、子どもを連れて本屋へ行くのは酷くためらわれ、狭い通路に立ち読みの人たちの背が並びすぐにぶつかるし、ベビーカーは邪魔だし、万が一子どもが触って本によだれがついたらどうしようとか、親が本を選んでいるうちに子どもが本を破いていたらどうしよう・・・とか、子連れにとっては本屋は鬼門である。

それと、夥しいほどの育児書を読み、生まれたら今度は絵本を買い、自分のために本を買ったり読んだりすることがめっきり減った。あっさり語れば、のんびり本を読む時間が出来たのは、娘が幼稚園へ行くようになってからである。いただく本もシュタイナー教育とか、教育関係の本が多くなる。でも、そういう時間の大半は、子どものための通販カタログなどを眺めているうちに終わってしまった。

やがて、仕事を始める人が増え、この辺りには庭のある家が多いので、ガーデニングの本がメインで並んでいる本屋も多い。生活の楽しみは読書から旅行や週末のガーデニングに変わり、旅行記や写真集を買うようになる。

旅行へ行くときには、哲学書か詩歌集を持って行く。強烈な太陽の下で本を読んでも頭の中に入らない。だから少しずつ含みのある文字を好むようになる。歩き回るような旅では夜は疲れてビールを2,3本飲んだら寝てしまう。

まるで異国の出来事のようだ・・・文庫化を待つ、というのは。

投稿者 Blue Wind : April 26, 2005 11:56 PM | トラックバック
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