January 31, 2005

騒々しい静けさ

昔どこかのサイトで、お客様苦情係のネタを読んだことがある。面白かったのは内容よりも数値。100人が同じ苦情や不満を感じたとして、それを実際に苦情係に持ち込むのはせいぜい4人くらいまでらしい。逆に考えると、自分が不満に思い口にすれば、その25倍以上同じことを感じている人たちがいることになる。

2月からランキングが復活するということで、あちこちで目にするアメブロへの不満。アンケートまでやっているところがあるのかぁ・・・と思い、一瞬便乗しようと思ったけど辞めた。アンケートってつまらない。それよりもブロガーとしては自分のブログに記事を書く。そして、それを関連記事にトラックバックしていく。かっこいい〜☆

それにしてもね・・・雨風呂ミステリーの記事は、保存版かもしれない。これだけは旧くなってもちまちまあちこちへ飛ばせる。なんでだろ?毎日1600くらい新規登録があり、昨年の12月11日に風マニアをつくって約7週間で5万ブログが増殖したことになる。ほとんどがスパム登録だと思うんだけど、それにしてもすごい。

そのせいか検索すると、あまりにも重いという苦情が一番多い。その次に、ランキングの謎とランキングのパンク状態への不満。その次が、自分でカスタマイズできないこと?

わたしもね・・・年中、デザインを変えて遊んでいました。とうとう今のシンプルスキンになってしまった。それでいて、せめてもう少しカラーバリエーションがあればいいのに、って思ってしまう。どうやっても気に入らないのだもの。常連ブログと同じデザインというのも抵抗あるでしょ?なんでかな・・・たまたま飛んだブログやアクセス数の多いブログと同じでも気にならないのに、よく行くブログだと真似したみたいでいやだなーって思ってしまう。

シンプルならシンプルなりに、どこかこれは自分のブログであるという雰囲気がないと自分が落ち着かない。ということはどのデザインもまるで借り着しているみたいで落ち着かない。

それでいてアメブロに定着しつつあるのは、コミュニティだからだと思う。もちろんアメブロ以外のサーバのブログからもTBが飛んできたり飛ばすこともある。でも、一番大きな理由は更新情報が届くことかも・・・巨大な連絡網のような気がする。それでいて、どこに網を仕掛けて置くかで自分のブログの雰囲気すら変化しそうで怖い・・・

アメブロの雰囲気が嫌いで移転するブログも多いのも事実だし、自分的にはこういうがちゃがちゃした雰囲気も嫌いではない。でも、** Blue Wind ** は続いていく。あれくらい隔絶しながら細々とした存在があるから、アメブロが面白い。逃げ場があるってなんかいい。

投稿者 Blue Wind : 11:42 PM | コメント (0) | トラックバック

同じ歌は詠めない

短歌が面白いのは、二度と同じ歌が詠めないというところかも。

詠み始めたばかりの頃、それが詠んでも詠んでも舞い散る言の葉のような気がした。同じようなネタで詠む。それこそわたしの単調な日常。静止した過去。海や空や風。定番の語句が並ぶ。それでいて、CGIを使うようになって気が付いたのは、同じ歌がないという不思議さ。

短歌は31音節。同じようなフレーズ。それでいて、1字違っても違う歌。そこまでせこくなくても、同じような歌ばかり詠んでいるくせに、同じ歌が詠めない。一首詠むのに、一ヶ月以上費やしている人なら別かもしれない。わたしの場合、機関銃なので、それこそ浮んだらすべて。時を過ぎれば忘れてしまう。

買い物の途中に歌が浮ぶ。でも、帰宅する頃には忘れてしまう。それくらい歌というのは気まぐれな想念であり、一度すれ違ってしまったら二度と出会えない。

歌人をしていて一番つらいのは、捻れと言われるところかもしれない。毎日生活の中で詠んでいるだけでは、歌としては弱いらしい。そこをまた作品として完成させろと言われる。

歌人には力量というものがあり、常に全力疾走を要求される。広辞苑が必需品なのかもしれないし、覚えた語句はそれだけ自分の財産なのかもしれない。うたことば一つにしてもそれを自分のものとして素直に使いこなすまでには時間が掛かるかもしれないし、文法も自分のものとしなければならない。古くはこういう歌でこういう使われ方をした語句を使って歌を詠めば、一つの語句の意味をより一層広く使える。言葉とは道具である。その道具を使いこなすには鍛錬が必要。

それでいて、言葉は時代と共に変化するものであり、どんどん新しい言葉や概念が日本語に入り込む。逆に考えると、そういう複雑な概念を表記する言語が存在しなかった時代のほうがシンプルな言葉の中にいろいろなメタファーがあり奥深かったりする。

あれにこれにとややこしいことを考えていると詠めない。詠んでいる時にはそういうことはまったく考えたことがない。

ただ、作歌を続けるうちに、続けるという行動がわたしにいろいろなことを教えてくれる。時に、虚しい気持ちに陥ることもある。これだけ詠んでも舞い散る言の葉。そうやって考えると酷く虚しい。それなら遺す歌、遺したい歌を詠みたいと思う方が普通なんだと思う。それでいて、そういう発想はダメだ。そんなことを考えていたら、せっかくの想念が消えてしまう。

そういう虚無を救ってくれるのが、CGIだ。数は正直だし、これだけ似たような歌を詠んでいるのに、同じ歌が詠めない。

投稿者 Blue Wind : 01:46 PM | コメント (0) | トラックバック

【短歌】 少しずつ氷のかたち崩れゆくそれが今さと夢みてみれば

朝焼けのまぶしい時間すぎゆかばまばゆいだけの昼下がりかな
寝息たて犬も眠るか朝の陽は昇りゆく空影の減る部屋
ささやかに聞き耳立ててオトくんは寝息の中へすべり落ちたり
明るくも暗くもなるか朝の陽は雲の気配をしのばせている
小さくもためいきのなかすこしずつ希望の光、平和な朝に
今のときゆるり流れるためいきは誰がためにぞと流しゆく風
とまりゆく時間のなかでわれの息死に絶えるまで今を重ねる
空の色何色ですか?コバルトか紺碧かなどたとえてみても
ちつぽけな時間のなかでオトくんは膝のうえ寝て番犬という
すごしゆく彼方のそらはまぶしけれそれでもいつかわれは消えゆく
砂粒のつながりゆくか砂浜は波くりかえす地球の会話
さざめきは波の音さえ風のなか吹き飛ばす今消えゆく時間
くりかえし陽の昇ること奇跡って言うのですから奇跡の今ほぐ
DNA遺して彼はいづこへといのちをつむぐキャンバスのうえ
消しゆかば静かなときはおとづれぬ泡立つ波もすぎゆかば春
くりかえし音の流れるこのときを忘れても今ときを打つ音
貝殻に尋ねてみても生き様は聴こえてこないくりかえす波

歴代誌下 21. 1

崩されてつながりゆくかDNA一人の先祖数万の子ら
生き延びて数えてみれば一人から砂粒の子ら育ちゆくなり
計算はまったき春の迷いごと時は流れり砂粒のゆめ
細胞のつながりゆくかわがみかな数えてむなし死して生く吾
息吹には誰の想いの重なるか妖精の息透きとおる可視
今日は晴れ、喜んでくれ、晴れたよと。あっぱれな晴れ、ほろほろと雲。
今だけが今なのかもとことほげば光の模様少しずつ減り
少しずつ氷のかたち崩れゆくそれが今さと夢みてみれば

詩編 119. 81-82

主の来たりて人ははろばろ移ろわば椿の花も見事に咲けり
少しずつ冬に向かってひねもすは過ぎ行くはずが陽のなかに春
何事もなかったようにひねもすは遠い過去を透明ガラス
少しずつどこに迷って行くのかとマラナタの声聴こえてますか
迷い路いづこへ行くかひねもすに導かれては透明なみち
始まりと終わりのときを知る耳はオートマチカルCDの音
こんな日にエヴァネッセンス聴く吾は熱帯の陽に抱かれし砂
退廃も悪くはないさ憐れみは孤独のなかに一筋の糸
無為という月日のなかにくりかえす陽だまりの日の情け深さよ

ダニエル書 12. 1-4

愛さえも封印されてふふむ息学ぶがかなし人というもの


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Natさんが選歌?してくださったので、タイトルを変えました・・・
自分で選ぶのとはま〜ったく違いますね。なんででしょう・・・
自分の歌のなのに、「へぇー」って思ってしまいます。
なんでなんでなんでその歌なのー?
まだまだ勉強。

それでいて、またコメント読んで戻しています。
もっとビシッとしたいのだけれど、自分の歌は自分ではわからない。

投稿者 Blue Wind : 10:32 AM | コメント (0) | トラックバック

マタイによる福音書 9. 18-26 指導者の娘とイエスの服に触れる女

  イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。「この方の服に触りさえすれば治してもらえる」と思ったからである。イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。群集を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった。このうわさはその地方一帯に広まった。

投稿者 Blue Wind : 09:55 AM | コメント (0) | トラックバック

エステル記 4. 1-3

  モルデカイは事の一部始終を知ると、衣服を裂き、粗布をまとって灰をかぶり、都の中に出て行き、苦悩に満ちた叫び声をあげた。更に彼は王宮の門の前まで来たが、粗布をまとって門に入ることは禁じられていた。勅書が届いた所では、どの州でもユダヤ人の間に大きな嘆きが起こった。多くの者が粗布をまとい、灰の中に座って断食し、涙を流し、悲嘆にくれた。

投稿者 Blue Wind : 09:49 AM | コメント (0) | トラックバック

一つの側面

ここにインターネット歌人としてのわたしがいる。最初は短歌などまるで興味がないし、単なるサイトのネタのつもりで詠んでいた。なお悪いことに、「それは短歌ではない」などと言われたり・・・

それが雑誌に入選すると、誰も何も言わなくなる。

その次に、ウェブの友達と一緒に詠んでいる。ネット短歌に対する偏見。ネットで主宰している新人賞に応募。それがきっかけで結社のほうに誘われる。そうするとウェブのほうが荒れる。

あまりにもややこしいので、神父さんのサイトで一人で詠む。

一方で、新人賞に応募するとか、歌稿・歌会、その他諸々積極的な歌人としての活動を示唆される。このほかにも院へ戻るとか戻らないとか、いまだにプレッシャーがかかる。

・・・・・・・・・たまに思うんだけど、何のためにそんなにがんばらないといけないの?

例に引用して申し訳ないのだけれど、ネット歌人ということで、田口ランディさんを引き合いに出す人がいる。ネットがきっかけで作家に、といったサクセス・ストーリーなんだろう。だから、りんさんもがんばれって応援してくれる人もいた。

パタッ。


・・・・・・・・・が、しかし・・・・ここまでになるとなぁ・・・・・わたしはふつうだ。まるやむは彼女なりのフツーの生活をなさっているらしく、しばらく復活は無理か?

投稿者 Blue Wind : 12:31 AM | コメント (0) | トラックバック

January 30, 2005

【返歌】 Natさん

Natさんというのは、不思議な歌人である。お父さまが未来短歌会の発起人だったということで、おそらくは結社だと大先輩なのだと思います。自分的には、いきなり世界三大料理のコメントが入り、フォアグラ・キャビア・フィレ肉・・・
本音で語ると、「ここはアメブロだぞ〜〜、きゃーーー!!!」って思った。(アメブロ・ユーザーの皆さま、ごめんなさい)

最初、** Blue Wind **のほうをリンクしてくださり、メールもくださったというのですが、メールにもCGIを使っているせいか、どうも届かないというケースが多々発生しており、悩んでおります。・・・・つまり、届かなかった。

すごくまともなんです。

例えば、出版業界や音楽業界の不況をネタにしたとき、.Nat Zoneでは、たしかフルートの記事。つまり、CDが売れないなら楽器を売る。上質のフルートが安価で提供されれば子どものうちから慣れ親しむ子どもの数が一層増え、そういう意味では聴くより自分で演奏する時代に突入したことを示唆。

いわば、短歌も読むより自分で詠む時代。プロ作家の作品を読むより、自分で書く。そしてそれをネットというメディアで発表する、とかね・・・世の中はどんどん変化しています。

たぶん、これは推測ですが、ネット短歌に対しても実はすごく抵抗があるのではないかと思うのです。うちのブログをリンクしてくださった時のコメントも、「いたずらにネットで文字を並べて短歌と言っているサイトが多い中では、** Blue Wind ** の短歌はまともだ」、というご紹介のいただき方だったと思います。

自分的には喜んでよいのか、悲しんでよいのか・・・

歌壇や結社という体質を考えると、もともとから歌を熟知なさっている歌人に褒められるというのはものすごく光栄なことなんだと思います。ただ、そのありがたみがネット歌人である自分にはあまりよくわかっていない。

近頃、人気blogランキングのランクが急激に下がったので、おそらくはすごく光栄なことだということを実感いたしました。ネットってそういう世界だから・・・結社だとすったもんだすると主宰の一声で終わってしまう。それも痛感いたしました、以前。その反動がまだ残っているような気がしています。

それでは慎んでご返歌を・・・


黄昏に夕やみせまる森の中クルマを停めてゆく人らみし

夕暮れはいそぐこみちかゆくみちか森と通りは空間わかつ

深深と大きな月はいづこでもたたずみもがな敷島の空


*文法、おかしかったらまた教えてください。

投稿者 Blue Wind : 09:11 AM | コメント (0) | トラックバック

サイゼリアの三大料理

みほ☆こたさまへのトラバ。

うちの近所、学生街だから、当然あります、サイゼリア・・・うちの娘なんて、イタリア行って、「サイゼリアのほうが美味しいわ〜」って泣いていました。
イタリア人って、外食でもピザやパスタを食べる人たちなんですね・・・知らなかった。
マックでサラダを頼んだら、モッツァレラ・トマトが出てきた。ケースの中に、たしか普通のサラダも並んでいたはずなんですけどね。しかも、ソフトクリームを頼んだら、食後にするか先にするか、マックなのに訊くんです。意味がわからなくて、後ろに並んでいたイタリア人が英語で通訳してくれました。

◎サイゼリアの三大料理?

1位 小エビのカクテルサラダ
2位 青豆とベーコンの温サラダ
3位 ピザ・マルガリータ

このほかに、ぺペロンチーノやフォッカチオが娘の定番です。(なんで小さくなったのさ・・・フォッカチオ)

投稿者 Blue Wind : 07:37 AM | コメント (0) | トラックバック

右翼対左翼的翼のない旅

茶道の家元と杉山明を比較するほうがどうかしているような気がするのだけれど、どうしても比較してしまうわたしという人。

ネタ元は、NINABLOGさん

「氷の微笑」で寄付1億円 10分足らず、賛同相次ぐ

せっせとODAの増額について討論していたんだろうな・・・そこに女優のシャロン・ストーンが立ち上がる。「うだうだ言ってないで、自分で出したらいいじゃないの」的ジェスチャー。皆の金だから話し合う必要があるわけで、個人で出すなら関係ない。

NINABLOGさんみたいに学者としてタンザニアに関わる人たちに、いきなりシャロン・ストーンになれって言っても無理だよなぁ・・・全然お仕事違うもの。しかも学生だったらなおさら。政府に意見書を提出したり、世論を取りまとめていくのも大変だろう。

わたしだったらどうするかというと、それを日記のネタにしたり、神父さんのサイトで歌を詠んでいたりする。

かつて、学生時代。わたしには何の力も無い。社会は遠いところに存在し、わたしとは無縁だった。院に入ったばかりの頃、1年間ほとんど大学へ行かなかった。原因は嫌な教授がいて、何かが原因で、聖心をクビになったらしい。それを恨んでいるのか、わたしにも嫌がらせ。もちろんわたしだけにではない。ほかの学生に対しても、荒れ方がすごかった。

我慢していたんだけど、ある日、臨床系の合宿へ行き、わたしは切れた。あったまにきて、その教授にワインをぶっかけた。その結果、わたしは殴られ、登校拒否状態。その時には、院を辞めようかと思った。

ところが・・・・・ある日、登校してみると、今度はその教授が人間ドックへ入るという理由で、半年くらい休職していたという事実を知る。まだ、セクハラという言葉すら無い時代の話。これがわが母校聖心だったら彼はクビだ。学生を殴るなんてとんでもない。院生は彼の奴隷ではない。

世の中、多いわけさ・・・この手の類の人。今はすでに時効となり、わたしの修士論文の副査がその教授であり、一瞬嫌がらせされたらどうしようかと思ったけど、その後博士後期過程に無事に進学できたことを考えると、話は終わっていたのだろう。

わたしが男だったら院をクビになっていたと思う。悲しいけど、それも現実だ。男とはそうやって鍛えられていくものらしい。よく知らんけど。サルがサルを育て、ボスになろうと頑張る。サル社会。

そういう中で、シャロン・ストーンはさっぱりしてるよなぁ・・・たしかに。

が、しかし・・・・

国際学会へ行きたいのなら、自分でせっせと論文を書くより、ダンナに連れて行ってもらった方が楽。もっとはっきり言えば、海外旅行したいだけなら自分の金で行く方がもっと楽らしい。

香港。

ダンナの仕事にくっついて娘も一緒。バーゲンシーズン。買い物。わたしは買い物が好きではないので、めったにふらふらしない。でも安かったから。

ダンナが研究がメインだった頃は、わたしもどちらかと言えば、パーティでもラフな格好。セーターとジーパンとかね・・・ほかの人たちが着飾っていても知らん顔。

ところが、ある日、気まぐれに香港で仕入れた服を着て出かけた。ダンナの友達の開業医の忘年会だったかな・・・忘れた。そこの先生の奥さんたちと話している分にはかまわない。でも、正直な話、医者の奥さんでも看護士さんをしていた人は、職員のグループに座っている。その直後、奥さんが職場復帰したい(看護士に戻りたい)ということでご主人と喧嘩になり、間もなく離婚。

で、ある日、今の職場の看護士さんにダンナが言われたらしい・・・

「白石先生、本当は叶姉妹のようなタイプが好きなんじゃないですか〜?」って・・・

あのなぁ・・・・わたくしは、とても地味でおとなしい人間なのである。たぶん。あの世界、どこで誰がつながっているかわからん。「あなた、わたしに会ったことがあるんですか?」って言おうかと思ったけど、よく考えたらわたしの知らない人。

歌人をしていてもね・・・歌壇というのは茶道の家元的イメージのような気がする。それでね、例に引用して申し訳ないんですけど、実際にお会いしたことないし、枡野浩一さんというと杉山明をイメージしてしまう。なんなんだ・・・

要するに、単なるイメージなのだと思う。

わたしはね・・・おとなしい人なの。たぶん。なんか抵抗があるのです。ネット歌人ということで、すぐに比較される田口ランディ。まったく違うタイプの人間だと思うよ。ブログ・テキストしか拝見したことないし、それもごく一部なのでわからないけれども、性格が違う。(と思う)

平和活動にしても、わたしの場合、静かだもの。せいぜい、平和への祈りとか、近頃ではシスターたちも平和運動のデモに参加しているというので、せいぜい機会があれば娘の手を引いて、後ろに混じって歩いているだけだと思う。

なんか愚痴っぽいな・・・近頃。
『氷の微笑』も友達にタダ券もらったから行ったし・・・新宿。大昔だろう。あーあ。

投稿者 Blue Wind : 01:22 AM | コメント (0) | トラックバック

January 29, 2005

サイバー上の社会

想像もつかない。去年、一体わたしは何首の歌を詠んだのだろう。自分でもわからない。CGIに記録されているだけでも4475首。これ以外にイタリアで詠んだ歌や原稿用紙やメモをあわせると、どれくらいになるのか自分でもわからない。時間があれば、CGIに打ち込めばよいのかもしれない。

さっき、CGIの投稿番号を眺めたら、8000首を超えていた。あと一週間くらいで歌歴4年になる。平均すれば年に2000首。実際には、半数以上が去年詠んだ歌。

正直なところ、インターネット歌人というとバカにされる。大昔、その理由の一つに匿名で誰が詠んだかわからないということが挙げられていた。でも、詠み人知らずの伝統があるのだから、それはそれでかまわないような気がしたんだけど、詠み始めて雑誌に投稿したらそれが通った。そうなるとバレバレ。

そうなると、Rindo=白石優子。これね、歌人はよいわけ。それが当たり前なんだから。ハンドル名を使っていても、実際にはどこかの結社で長くやっている人だったり、まったくの素人というわけでもない人たちも多い。

ところが、これがジャンキーに与えた衝撃を考えると、逆にネットの闇を打ち崩すくらいのパワーが歌壇にはある。ネットは基本的に匿名の世界だから、サイトに詳しいプロフィールを書いている人なんて稀だ。実にアクセスが簡単だし、実は相手が男か女かもわからないのに友達意識ができあがったりする。そういう匿名のつながりを破壊するくらいのパワーが、”作品”を持つ人たちには多い。そうなると逆にネットは一つのメディアであり、作品発表の場となる。

が、しかし・・・・

ガイアックスでやっていた頃、モデルさんたちのサイトがあり、わたしはそこのサイトの来訪者ではなかったけど、コミュニティというのは狭く、どういうわけかそこのサイトの来訪者がわたしのサイトにも来る。ジャンキーからすると、オンラインとオフラインを分けているから、相手が誰でも関係ないという。そりゃそうだ。
が、しかし・・・・彼女たちは仕事だからさ。オフ会といってもイベントみたいなものらしいし、サイトの来訪者というのは”ファン”なんだよね。そこから舞台をやったりラジオに出たり、そういうものの話題つくりにインターネットを利用しているだけ。サイトに自分たちのセミ・ヌードくらいなら平気で公開してしまう。
それだけならともかく、風俗嬢で詩人している人がいて、今は寿退社し、介護士の仕事をしている。現役時代、「アダルトなコンテンツは含んでいません」って、サイトの入り口に書いてあった。オフラインなら出会うこともなかったかもしれない。でも、面白いからBBSでやりとりをする。たまに、風俗関係の知り合いの来訪があり、そうなると無視するらしい。ある意味、邪魔されたくなかったのかもしれないし、結婚のことすら内緒だったらしい。
ある日、BBSに、「Rinさん、結婚することになりました〜♪」ってカキコ。そうすると、わたしは、「おめでとう〜♪」って普通に運びレス。・・・・・慌てたらしい。そんなこと言われてもなぁ・・・それがどうしてダメなのか、わたしにはいまだにわからない。

何が言いたいのかというと、ある日、ネットで知り合った友達に言われた。楽天のサイトにアダルトっぽい広告が見え、それをたまたま見ていた上司に、ほかのサーバにしろと言われたらしい。そういう広告が出るのは、サーバの責任であってサイトの管理者の問題ではない。でも、ダメなんだって。一応はお仕事サイトだから。

なんで、そんなに分けるわけ?

だからね・・・世の中というのはややこしい。

以前、ネットラジオのチャット部屋にいて、そこにお仕事している人が入ってきた。みえチャットと言うの? アルバイトで有料でラジオかビデオか知らないけど、アダルト系の番組を流している人が、よその番組へ行って自分の番組を宣伝するわけ。そうなるとね・・・そこのチャット部屋へ集まっている人たちが壊れ始める。
わたしは普通の主婦なんだから、そういう人たちの相手したくないでしょ?で、怒る。

風俗嬢も詩人です。モデルさんも詩人です。わたしも詩を書いていました。ネットは匿名。・・・・・弁解するわけではないけれども、どうしてわたしが結社へ行こうと思ったかには、そういう実際的な理由が含まれていたような気がする。

自分的には普通に詩や歌の話をしているだけなら、相手が誰でも関係ないというクールさはネットで学んだのかも。来訪者が来て、テキストを読んでいるだけなら相手が誰でも関係ない。
が、しかし・・・・・みえチャットで嫌な思いをしたのは事実だし、それでいて相手も傷つけたかもしれないよ?いや、それくらい平気な人でないとああいうスケベの相手はしていられないのかもしれないけど。コミュニケーションがなければ関係ないのよね・・・あなたはそれが平気でも、わたしは我慢できない、というのはわたしの驕りではなく、一般社会における常識なんだと思う。

詩、か。
短歌でもそうだけど、いろんなことを考えると、作品、つまりテキストとして眺めるだけなら気楽。でも、来訪者のトーンにもよるのかもしれないけど、インターネットは難しい。匿名にこだわる人たちは、そういうことを気にしているケースが多い。

いろいろなことを鬱々と考えながら、気が付いたら4000首以上を詠んでいた。

投稿者 Blue Wind : 11:52 AM | コメント (0) | トラックバック

【短歌】 呼吸せし人の流れの沈黙を雑踏のなか吹きゆきし風

体制に揺さぶられては満月はおぼろな影にかすんでおりし
東雲におぼろに隠れ満月は動かないのか東の空を
あまりにも大きすぎるよ満月は森のうえにぞ浮んでおりし
東の空の向こうに満月は黄色い笑みを浮かべておりし
のんびりと冬空の下たたずめば明日の夜のこと計り知れぬと
東を動かないのか満月は静止した過去ふうわりと浮く
捨て鉢にぽんと放って逃げ出せば月影おぼろ氷はる水
破壊せしそのすぐ後につづく路歩んでみては連なりの雪
おもおもと大地の匂いたちこめる冬の夜空は澄み渡りゆく

エステル記 4. 1-3

和歌死すかわれには何も聴こえないさざめきの音ふるわせる森
少しずつうすまりゆくか空のいろ少し灰色ブルーの空は
闇の中静かにおりし東雲は満月の夜を動かしもせず
和歌死すか和歌を殺すかわたくしはいま深き陽をのみこむ海に
隔絶に切り離されて存在はまたたく空に星の輝き
告げゆかばみそらの花はばら色に輝いている春を待つらん
少しずつ倦みを落として砂のなか埋もれてゆくかまどろみの海
呼吸する茜の雲の消えゆかばはるかな月は東雲の中
呼吸せし人の流れの沈黙を雑踏のなか吹きゆきし風

マタイによる福音書 9. 18-26 指導者の娘とイエスの服に触れる女

現実は激流の音つたえてはしづしづとした冬空の月

◇ご返歌

ネオ・アジアンいつのまにやら吾のことデュティ・フリーでパスポート見せ

投稿者 Blue Wind : 12:39 AM | コメント (0) | トラックバック

ヨブ記 19. 2-5

  どこまであなたたちはわたしの魂を苦しめ
  言葉をもってわたしを打ち砕くのか。
  侮辱はもうこれで十分だ。
  わたしを虐げて恥ずかしくないのか。
  わたしが過ちを犯したのが事実だとしても
  その過ちはわたし個人にとどまるのみだ。
  ところが、あなたたちは
      わたしの受けている辱めを誇張して
  論難しようとする。

投稿者 Blue Wind : 12:20 AM | コメント (0) | トラックバック

エステル記 2. 22-23

それを知ったモルデカイは王妃エステルに知らせたので、彼女はモルデカイの名でこれを王に告げた。早速この件は捜査されて明らかにされ、二人は木につるされて処刑された。この事件は王の前で宮廷日誌に記入された。

投稿者 Blue Wind : 12:14 AM | コメント (0) | トラックバック

エレミヤ書 50. 6-7

  わが民は迷える羊の群れ。
  羊飼いたちが彼らを迷わせ
      山の中を行き巡らせた。
  彼らは山から丘へ歩き回り
  自分の憩う場所を忘れた。
  彼らを見つける者は、彼らを食らった。
  敵は言った。「我々に罪はない。」
  彼らが、まことの牧場である主に
  先祖の希望であった主に罪を犯したからだ」と。

投稿者 Blue Wind : 12:09 AM | コメント (0) | トラックバック

January 28, 2005

カフェ歌人

娘のお絵かき教室の待ち時間、家に戻ってきてもすぐにまた迎えに行かなければならないので、カフェで時間つぶしをする。座るとメニューやお水と一緒に雑誌を持って来てくれる。大抵は、『フローリスト』、『花時間』、『家庭画報』、『VERY』といった系統。

この前は、『家庭画報』を持って来てくれた。自分で選ぶことも可能なんだけど、そこまでの気力はないので雑誌もお任せ。パラパラめくると、茶道の家元の記事が載っていた。

率直な感想として、歌人と言えば、こういう雰囲気が正統派なのだと思った。家を継ぐためには、書・画・歌を習得する必要があるとばかりに、すべてが茶道と禅の世界に一体化して存在している。そういう記事を眺めていると、わたしも歌でも始めようかなと思ってしまう。(オイ・・)

そこで雑誌を閉じ、うたことばやオーソドックスな系統の歌集などを眺める。大抵は最低1冊はバッグの中に入っている。そのうち不意に思いつくと、メモを取り出し書き込む。メモがない場合には、詩集の余白に書き込んだこともある。多くて5首くらいのもので、手書きだと何故か言葉を選びたくなってしまう。

それがどうしてそのままメモや本に埋もれたままかというと、その雰囲気を保ったままCGIに向かって歌を詠み込むほうが遥かに集中できるからだと思う。1首の歌が10倍に増える。

ただ、自分の場合、少し違っているのは、呼吸の合間に聖書を読み、そこから再び詠み出す。そうすると、心の中から毒が沸沸と湧いてくる。どうしてそういうことになるのか、わたしにはよくわからない。ただ、聖書を読むとなおさらに心の底からの毒が表出してしまう。憐れみを求める気持ちと、心を澄ませる感覚はまったくベクトルが逆。

選歌していただくと、オーソドックスな歌を選んでくださるような気がする。和歌の歴史や成り立ちを考えるとそれは当たり前のような気もするし、それでいてわたしにはそれがどこか本当の自分を切り捨てられたような痛みに感じられる。それが禅というものなのかもしれないし、そのために人は歌を詠むようになっていったのかもしれない。

急に話が飛んで、作家のブログは面白いよ。また仕事かよ・・って思いながら読んでいる。仕事・仕事・また仕事。印税入ってまた仕事。その間、雑誌やら取材やら小遣い稼ぎ。それでいてまだ付き合いがあるのかよ・・って思いながら読んでいる。
小説を書いて、それがミリオンセラーになる時代ではないらしい。それどころか、自分で書店を回ってるの〜?って思ってしまう。この前、こひつじ日記で編集者の苦労が書いてあったけど、先生自ら歩いているのか・・って思ってしまう。
歌人は大抵の場合、生業は生業として存在しているために、わたしが知らないだけなのかもしれないけど、あまりガツガツとした雰囲気はない。いや・・・本当はわたしが知りたくないと思っているだけなのかもしれない。

優雅にカフェで、茶道の家元の和歌を眺めていると平和でいいよ・・・救われる。カルチャーセンターと一緒にするなと言われた意味が何となく理解できる。

投稿者 Blue Wind : 11:22 PM | コメント (0) | トラックバック

「題詠マラソン2005」が始まります

今年は発表が遅いなぁ・・と思っていたら、1月21日付けの給水所(BBS)に五十嵐きよみさんから次のような発表がありました。

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「題詠マラソン2005」の日程

2月1日(火)〜2月28日(月)正午:参加受付
2月11日(金)〜2月20日(日):給水所でお題の募集
2月28日(月)夜:参加者リスト(最終版)、お題の発表
3月1日(火)〜10月31日(月)24時:100首の投稿
11月1日(火)〜11月30日(火):感想・反省会

********************

会場はまだ発表されていませんが、「題詠マラソン2004」から飛べるようになるのではないでしょうか。たぶん。

去年の感想としては、わたしは題詠自体がほとんど初めてみたいなものだったので、休み休み投歌しようと思っていたらいつのまにか締切日が近づき、慌てて徹夜投稿してしまいました。もう雑だからね・・・CGIにそのまま投稿。
そんなわたしでも一応は完走者として、100首のうち30首を単行本に載せてくださるそうです。ほっ。

ただし、2003年の初回の単行本の売り上げが期待した以上に伸びなかったので、2004年から参加者(単行本に歌を掲載する人)が一人3冊8掛けで買い上げることになり、具体的には6000円掛かります。イベントとしてはかなり良心的な催しのような・・・もちろん、「私は単行本への掲載なんていいわ〜」ってお断りすればタダで参加できます。

というわけで、100のお題を8ヶ月かけて詠もうという試みで、それこそ短歌を始めたばかりのビギナーからメジャーな人まで参加者もいろいろ。結社に入っている人もいれば、ネットだけでやっている人もいるし、親子で?参加していたり、なかなか楽しめます。

この際ですから、皆さまも是非・・・・沿道だけよりも参加するほうが楽しい。ただ、あのCGIへの莫大な投歌をどの程度の人たちがチェックしているのか、わたくしにはわかりません・・・

投稿者 Blue Wind : 12:44 PM | コメント (0) | トラックバック

【返歌】 さあ、気分転換

素樹文生さまへ

こうやつて普通のわたし生きている。ふと思い出す悪夢の時間。
本当になりたかつたの医者だつた夫の怒涛なる青い歳月
時間って長くなつたり短くもなるものなんだアインシュタイン
せっかちにあわててみてもゆがんでも歳月だけは行ってしまった
くねくねと曲がりくねった風のみち屈折してる虹の架け橋
月の虹”暈”と呼ぶのかきんきらきん歌人になって新語学びき


金子まるやむさまへ

こうやつて毒の世界をつむぎゆくほのぼのとした笑みのふかしぎ
必然をなぞらえてみて曽根崎は大阪にあり西は遠のき
眠薬を昼寝のために飲み干せば惚れちゃいやよと曽根崎心中
(飲むなよ〜)


王李月@大哥さまへ

お題「飛行機雲」

ユーミンを思い出しちゃうわたしってババアなんだと反省してる
夜空には点滅ライト光るだけちょっと寂しい成田の空か
堕ちゆく日空には空の雲ありき落書きしてるセスナ思いき


お題「夕焼け」

七つの子泣いても朝はカラスいる電柱のうえ睨み返して
夕焼けに今日の終わりを感じてはすぐに始まるユダヤの明日は
蝋燭を今日の合図に燈しいづ炎も今は茜の雲に
雪の中とけてしまった太陽は枯れた芝生を浮き上がらせる


王さん、名前読めないんだ、ふりがなほしいです。わたしもふりがなないと読んでくれない・・・

ゆうことは誰のことかとおもっても返事をしてるわたしというひと

投稿者 Blue Wind : 02:16 AM | コメント (0) | トラックバック

杉山明の魅力〜名前まちがってたらごめんよ〜〜

ごめんなさい、杉山さん、わたしはあなたの名前も書籍もアメブロにブログつくるまでまったく知りませんでした。ラーメンズと言われてもまったく知りません。単なるブログ読者ですぅ。

でね、すぐにネタにしてしまう。

一読者であるわたくしは、杉山氏のことをこうやって説明するときに使ったりします。

「・・・・例えば、杉山明さん。彼はお金も無さそうなのに世界中を回ったのよ〜、すごいわ〜。え・・・麻薬の売人? ・・・・・こわい。そーね・・・そこまではできないわ。でも、人間、誰でもやろうと思えばできるのではないかしら?」

何のために例えに引用するかというと、欺瞞に対してである。だって、いやでしょ? 「りんどさん、自慢しないでください」といって、嫌がらせされたことがあるから・・・知らない人に、ネットで。何が自慢なのかは知らない。だけど、比較すれば、「この不景気な時代にあちこち旅行へ行きやがって」と怒る人もいるかもしれないし、逆にわたしは普通の人なのでそんなにマニアックに旅にだけ人生を費やしているわけでもなく、要するに言い訳の一つに杉山明の存在がある。

ほんでね、もう一つ言い訳させて。

わたし、友達のコンサートって行ったことないんです。本当は心の底から応援しているんです。でも行かない。

でも、ある日、彼女に言われた。

「幕が上がる瞬間、今でも誰もいない夢を見る。でも、しらいしさんだけはいるの」って・・・

一度も行ったことないのよ?

応援、か。

投稿者 Blue Wind : 12:26 AM | コメント (0) | トラックバック

January 27, 2005

エッセンスと力量

時改めて自分の歌を眺めると、他人の眼になっている自分に気が付く。

わたしは歌を保存するために、一行BBSを使っている。投稿数と検索機能があるので、これは非常に便利。それと、同じ投稿ができないようにセットしてあるので、間違えて同じ歌を二重投稿するといったミスが防げる。

そこで、「ハーモニカ」で検索。「過去ログファイル5」に記録されているらしい。今、過去ログは「ファイル11」まであり、それ以外に現在のファイルがある。このところ詠んだ歌を記録していないためにもう少しあるかもしれない。それと、オフラインでメモに書いた歌は面倒なのでアップしていない。


(1) ちつぽけなハーモニカ鳴る朝はトゥーツ・シールマンスの透明なジャズ

(2) 吸つて吐く過酷な楽器ハーモニカ遊びで吹くにはちとつらすぎる


2首、ヒットした。

今読むと、(1)のほうが幾分マシだ。でも、自分が本当に詠みたかったのは(2)のほうなのである。そこで(2)をフォーラムに投稿。その時のコメントが、「だから何なのさ」的なもので、そのように言われてしまうとそのコメントは正しい。

実は、たまたまうちのダンナが結核だったので、過酷な楽器というのはいわば人間の病気に犯された心肺機能そのものをメタファーで語っている。どうしてそれがハーモニカになったかといえば、その朝たまたまトゥーツ・シールマンスのハーモニカを聴いたからとしか語れない。
それを歌会に出そうと思ったのは、一昨年の大晦日のK−1でスティービー・ワンダーのハーモニカの演奏を聴いたからでもある。

詞書を入れたらよかったのかな・・・
一言、「結核の肺」とでも。

でも、そういう説明が実はわたしは嫌いなのです。

そういう点、事情を知っている人というのは、すぐにピンと来るものらしい。でも、それをパブリッシャーしようとすると、わたしの知らない誰かのために詞書が必要となってしまう。そこがつらい。

そういう詞書が必要ないくらいの歌を詠めばいいのかもしれない。例えば、野口雨情さんの「しゃぼん玉」のように。しゃぼん玉の童謡としても楽しくもあり、それが生まれてすぐに亡くなったお子さんのことだと思うと酷く悲しい。

そういう詩の両義性は洋梨のシャーベットに熱いチョコレートをかけたようなもので、氷と熱とを同時に口に含んだ時の舌のまどろみを食べたことのない人に伝えるのは酷く困難な作業にもかかわらず、それをしろと命令されているようなものである。

一体わたしはどうしたらよいのだろう?

投稿者 Blue Wind : 11:24 PM | コメント (0) | トラックバック

ごみ箱

子どもの頃に、ご飯を残すと、「これはお百姓さんが一生懸命につくったんだから残しちゃダメ」というセリフを言っていたのは誰だろう。母だろうか、祖母だろうか、それとも学校の先生だろうか、もはやわたしには記憶がない。

今だったらなんて言うのだろう・・・飢餓に苦しんでいる子どもたちのことを考えて語ったりするのだろうか?

大昔、姑さんが、飛行機の中でインド人と一緒になり、機内食をまるで残さず食べているのを見て呆れたという話をしていた。彼女の場合は、しゃぶ肉3枚でお腹一杯になってしまうというくらい少食の人だから、とてもじゃないけど旅行の際にそんなには食べられない。

で、その時に、「インドだといまだに餓死者がいますから・・・」って言ったら、露骨にいやな顔をされてしまった。一緒にいた義父ですら、ギクッとした顔をしていたのが印象的だ。
ちょうど時代はバブルで、日本は飽食の時代。忘れているようでいて、あの世代は本当に、つまり机上の空論ではなく、戦後の食糧難を知っている。

今は・・・・どうやってダイエットしようかと考えているのが普通なのかもしれないと、ハワイのメイン通りを歩き、ますます体格のよくなったアメリカ人を眺めているとしみじみ感じたりする。ヨーロッパはともかく、アメリカやカナダへ行くと、まるで自分がこびとになってしまったような気がする。残すなと言われても、無理・・・・

説得力がないんだよなぁ・・・
例えば、どこかのブログに新聞販売店の話が書いてあった。そういえば朝日奨学金とか、あったような記憶がある。岐阜の大学に通っている人が、1年間だけ東京で過ごすためにそれを使って専門学校へ通っていたような・・・

そういう話と、わたしが新聞を毎月捨てに行くのが大変だから取らないという話とどういう関係があるのか理解できないでしょ? その程度のことなら、新聞販売のシステムそのものを変えてしまえばよいだけのことだし、タウン情報誌などは当然どこも無料。だってほとんど広告しか載っていないもの・・・掲載する側が支払うのは当たり前だろう。こちらとしては、要らないからどんどん捨てて行くしかない。いざ新聞を取っても、本紙よりも多い広告の山。しかも、そのほとんどが要らない情報。引っ越してきたばかりで、地元の情報に疎いというのならともかく、バーゲンチラシを眺めるよりもほかにすることがあるのではないかなって思うのはわたしの勝手だろう。

だから、働く人がどうたらこうたらというのは関係ないのではない? だって、働いているのは新聞販売店の人たちだけではないのだもの・・・

売る側には売る側の論理というものがあるらしく、一生懸命につくったものを捨てるとは何事だと言われても、大抵の人たちは困るだろう。大抵の物品は捨てることを前提としてつくりだされる。

小波ハロさんのブログに、面白い記事。面白いかどうかはわたくしの主観によるものなんだけど、一つの作品をつくるまでにはとことん捨象し続けなければならない。

自分の場合、書いて書いて理屈が飽和した瞬間にポロって言葉が出る。気が付いたらそれが詩や短歌になっていった。

・・・・・・・ということは、わたしは自分を捨てるために書いている。

あっさり語ると、わたしの屁理屈はわたし自身のためのごみ箱。こういうモードで駄文を書いても、歌を詠んでもすっきりするはずものなく、よく考えたら人様に晒す必要性など何もないのである。

が、しかし・・・・正直に語ると、そういうごみ箱ほど人は漁りに来るものらしい。これはわたしがサイトを運営するようになってからの率直な感想。

実際に歌集を出版するとなると、9割は捨てろと言われる。わたしの場合、数が多いからもっとかもしれない。毎日毎日捨てるために書いている。

投稿者 Blue Wind : 04:45 PM | コメント (0) | トラックバック

January 26, 2005

【返歌】 たまさかに

金子まるやむさまへ

気にするなそういうものさ世の中はうつろいゆかば外は白雪
朝の雪融けてしまうか夕暮れは深き眠りに誘うしらべ
うつうつと茨城なまりの標準語あらたな業のオレオレ詐欺師
電話さえそういうものさネットにも鬼の住まえる地域のありき
闘いは人の心の奥深く彷徨っている茫洋の底


いのまたまさたかさまへ

インド洋沈む夕陽は熱き海君が来た日にゃこちらは雪さ
あわただしく過ぎゆく日々は今日もまた雪の重みに耐えかねる水
あしもとに激流あるか砂のうえ浅瀬の津波サーフィンを思う
短歌にもリハビリ期間置きたれば今なお津波くりかえすやうに
たまさかに同じ時代に生まれては電子文字書きつながりし縁

投稿者 Blue Wind : 10:08 PM | コメント (0) | トラックバック

メタファー

というわけで、わたしはわずらわしい。名刺を配って歩くような世界には興味がない。それでは何のために家でのんびりしているのかわからない。かといってジャンキーは嫌いです。友達も、気を使わないような人だけいてくだされば十分なのです。特に関西的な軋轢にはうんざりしています。

わたしは自分を救わなければならない。悪意なのか好意なのかわたしにはいまだに理解できないことが多々ありまして、そういう時には気心の知れた人というのがとても大切になったりします。

好きにさせてくれよ。それだけ。

「あなたはあなた、わたしはわたし、理解がなければ終わるだけ。」(ジャズ親父)

これは名セリフだと思います。
こういう時には猫になり、神父さんのところで遊んでいたりします。以心伝心、少し書けば通じる。世の中がそういう人たちばかりだったらいいのに。それはネットだからではないのです。いつでも自分がウェルカムで迎えられる世界。わたしの愛する人たち。

このところ、作歌さぼっています。なんか本気になれない。お仕事モードというわけではなく、いろんな意味で、聖書と短歌というのがわたしにとっての人生課題の一つなのだと思っています。わかりやすい歌ではなく、メタファー。そういうのをぶつけることのできる人たちって貴重です。神さま、ありがとう。

ヨブ記 19. 2-5

投稿者 Blue Wind : 12:56 PM | コメント (0) | トラックバック

新手の詐欺?

電話。
ダンナの後輩の名前を名乗る。病院からの連絡だと言う。
「・・・ご家族にも関係のある話だと思うので奥さまにも話させていただきますが、今、警察が来て、白石先生が患者さんに対して業務上過失があり・・・」
がちゃっ。

医療のことをまるで知らないらしい。あほじゃ。

それにしても気持ち悪い。固有名詞を使っている。「今、そちらの病院には勤めておりません!」って言ってやったらよかったかな。辞めさせてくれないのは、単に退職金を払いたくないからか? あんな電話がかかってくるわけないの!!

オレオレ詐欺って怖い・・・・

前は、高校生みたいな雰囲気だった。すぐ傍に本人がいるのに、「俺だけどー」って言っていた。あほ。

今回は、さすがにもっと気持ち悪い。
いやな時代。次から次へと、知らない声。わたしは顔と名前をすぐに忘れる。でも声は忘れない。

島流しにしてやりたい。電話のかけられないところ。

投稿者 Blue Wind : 11:14 AM | コメント (0) | トラックバック

January 25, 2005

「あなたにとっての世界三大料理は?」

1.バンクーバーの寿司
2.ケープパンワの屋台の手羽
3.カルチェラタンのカフェの洋梨のシャーベット・ホットチョコレートがけ

* トラ・ステのお題「あなたにとっての世界三大料理は?」へのトラバ。


【解説】

1.バンクーバーと言えば、サーモン。この頃ではスーパーでも見かけるようになったけど、まるで味が違う。バンクーバーのお寿司は日本で食べるより安くて美味しかった。特に、サーモンは絶品。

2.ケープパンワはプーケット島の南海岸。モンスーンの時期でも遊泳できるほど波の穏やかなところ。今回の津波でもあまり被害が無かったらしく、ホテルも通常通り営業しているそうです。
夕暮れ時になると岬にバイクに乗った若者が集まり、地元のサウンドが流れ出す。屋台がたくさん並んでいて、3時を過ぎると車で買いに来る地元の人たちやホテルのゲストが集まり出す。手羽だけ売っている屋台があり、ジューシーで甘いチキン。想像以上に美味しかった。潮風の中で食べるから、なおさらなのかな・・・

3.洋梨のシャーベットに目の前でホットチョコレートをかけてくれる。ゾッとするほど美味しかった。店内は学生で一杯で、友達に連れて行ってもらった。座るなり勝手に4人分オーダーされて驚いたけど、通じないフレンチで説明されるより食べたほうが早い。


実は、サーモンの刺身も、チキンの手羽も、洋梨のシャーベットも好きではないけれども、好きではないにもかかわらずここまで美味しいと深く脳に記憶が刻まれているようです。

それにしても、日本人ほど雑食はいないような気がする。うちの近所でもインターナショナルにレストランが並ぶ。それってもしかすると世界規模で考えると稀な出来事なのかも。

投稿者 Blue Wind : 11:50 PM | コメント (0) | トラックバック

【返歌】 アバウト

まるやむさまへ

澪つくし小鳥の声に誘われて空の彼方に虹を眺むる
ポチッとな押して気がつく削除かなあっけないほど跡形も無く
アメブロよテーマ変えたら記事消えたわたしの時間無に帰する夜


王李月@大哥さまへ

お題「冬の空」
朧月朦朧として東雲を見遣り信号・外灯・薄暮


お題「夜景」
なんでだろラインの外のまどろみにふと浮びたる影の残り香
点滅す赤いライトを眺むれど飛行機さえも雲に消えゆく
並木路フロントガラスの向こうには反射鏡つづく永遠の雨


お題「虹」
ホノルルの小さな虹に送られてぼんやり座り飛行機眺む
禁煙のビーチに座り焼ける砂もう来ないぞとナポレオン顔
ちっぽけに管理されては地球儀はアバウトな海描いておりし

投稿者 Blue Wind : 01:16 PM | コメント (0) | トラックバック

猪俣正宇さん

ジャンキーいやだし、まったく反応ないのもつまんないし、だったらアメブロおいで、どーせタダだし、1クリックでつくって消せると誘惑したわけではないけれども誘惑したらやってきた。

お待たせしました、短歌ブロガーの皆さま、歌人を紹介いたします。パース在住masapingさんこと猪俣正宇さんがアメブロにやってきました。って、今、ブログ見たら、詩をアップしとる(笑)。

長いよなぁ・・・・長い。それこそ短歌を詠み始めたばかり、しかもタグも知らない頃からお世話になっております。そのくせ1年くらいサイトを放置してあっても、「あ、そーだったの?」みたいな感じ。とことんマイペースに徹している人なので、存在感が薄いわりには存在感があるような不思議な人です。
おじいさんが北原白秋のお弟子さんだったそうです。そーやって言われたらそういう系統の歌を詠まれるような気がしなくもなく、それでいて、「短歌は儲からんからなー」で終わり。
パースを紹介するのでも、白ゴキブリ、黒鳥、ブッシュのめずらしい花(学名付き)、「パースってふつーの花咲いてないのー?」と訊いたら、奥さんのサイトを紹介してくださいました・・・

のんきなんだわ・・・とにかく。オージー訛りの日本語使うし・・・

のんびり海や夕陽の短歌の連作で遊んでいると、ぼぉおお〜っとしてしまいます。

わたしの場合、自分が機関銃タイプの歌人なので、なんで一首詠むのにそんなに時間かけるの?と訊きたくなる。が、しかし・・・・歌人っちゅーのはそもそもがそんなものらしい。

ぼぉおおお・・・

投稿者 Blue Wind : 11:30 AM | コメント (0) | トラックバック

連れ

わたしの友達は、独身だったり子どもがいない人が多い。類は友を呼ぶというか、気が付けばそういう感じ。だから、いまだにお仕事をしている人も多い。同窓会へ行くと、自然と2つのグループに分かれてしまう。

無意識に使ってしまった・・・「いまだに」という言葉。

仕事をしている人たちも2つのグループに分かれるらしい。つまりは、能動的に仕事を選択しているグループと、受動的に仕事をしているグループ。
能動的に仕事をしている人たちは、それこそ結婚していても仕事が生活のメインだし目標でもある。
受動的に仕事をしているタイプは、永久によりよい男と人生をゲットしようとするタイプと、働かざるを得ない立場にあるから働いているタイプに分かれる。

それとは別に、最初から、「しなくてもすむ苦労はしない主義」者も多い。最初からという表現はヘンかもしれないけど、最初からそうだとしか言いようがない。
「さっさとお見合いでもすれば〜?」などとこちらが思うような人に限って、「結婚ではなく、恋愛をしてみたい」と言う。中には、「見合いまで残っているような男なんて」と言いながら、自分だって残っていたりする。
「なんでお見合いなんてする必要があるの?」などとこちらが思うような人は、「見合いも恋愛も変わらない。それに恋愛結婚だって他人が驚くような結婚をする人は稀でしょ?」とまで言われたことがある。

なんで突然こんなことを思い出したかというと、娘が、「お母さん、負け犬って知ってる?」などと訊くから。てっきり普通の負け犬の話だと思ったら、生意気にも違う。30歳になってもまだ独身の女性のことだと言われた。

腹が見せられない、つまり、ウィークポイントを見せられない、という意味では当たっているのかも。素直になれない、負けず嫌い、その他諸々、たしかに主婦というとバカにされることが多いからね・・・それと、恋愛ごっこ。

が、しかし・・・・
あまりにも楽なので辞められない。
くたばれと言われても辞められない。

それでいて、男は連れの女で価値を測られる生き物らしい。

人生観とか価値観とか、男とは本音を言わない生き物である。でも、連れの女はそういう情報の垂れ流し。窓の外をぼっけーっと眺めていても退屈しない。

パソコンの画面を眺めているのと、カフェに座っているのとどっちが退屈しないだろう・・・大声で話し出す男の二人連れがいないだけパソコンのほうがマシかも。

投稿者 Blue Wind : 03:13 AM | コメント (0) | トラックバック

January 24, 2005

誰かが何とかしてくれるのではないか。
ありふれた人生。
そういうひねもす。

天使も羽を一枚一枚配っているよ。そして飛べなくなった。

それでもわたしは神を愛す。

投稿者 Blue Wind : 11:55 PM | コメント (0) | トラックバック

蒼い月

ご常連の皆さま、朝から憂鬱な話を書いてすみません。ですが、わたくしにとってブログと短歌は鬱捨て場なのでございます。あしからず。

朝、母の病室へ行き、とてもよい歌が詠めそうな気がしたのですが、あまりの眠さにそのまま5時間も寝てしまいました。こうなると昼寝と言えるかどうか・・・

午後4時: 娘と一緒に母の病室へ。物資を届ける。状態安定。

おばあちゃんの具合が悪いということで、いつもより早く帰って来るところが、いやし系なんでしょう・・・娘は。その点がわたくしとは違うと思います。あの母からはわたくしのような娘が育ち、わたしからは娘のような娘が育ち、生育環境の違いをしみじみ感じたりします。

午後4時30分: 娘を塾へ。いつもと違う道。途中、自転車に乗った男の子。同じ塾の子らしい。かっこいい〜♪(って小学生だろ・・)

他人の息子はいいなぁってしみじみ思います。おちびは可愛いので、かっこいい彼氏を連れてきて、その次は孫に期待したいと思っています。
わたしは、オトくんがいるからいいや。平和。

ほかの人たちがお見舞いにいらしてくださっても大丈夫なんです。だけど、嫁さんが来るとたちまち状態が悪化してしまうのです。地雷。こういう話がとても鬱々する話だということはわかっているのですが、わたしもまたわたしを救わなければならない。

今さら、どーにもならないよね・・・

とりあえず、CT写真の影は、以前のくも膜下出血のものだそうです。ほっ。
ということは、やはり原因はアレで、いきなり血圧が上がってしまった、と。
さすがに朝から検査してくださった先生には言えない・・・実はアレが原因なんです・・とは。

今日は、ダンナが新春ボウリング大会にウキウキ出かけて行ったので、わたしと娘は軽く外食で済ませようと思っています。らっき〜♪

まあ、なんと言いますか、母の容態が悪化するのはいつものことなので、いつ死んでもおかしくない状態が5年以上続いています。お気遣いなく。
ありがとうございました。

なんか、誰かに似てきたな・・・この書き方。ほほほ。
それでいて、どこかぎこちない。

投稿者 Blue Wind : 06:56 PM | コメント (0) | トラックバック

母の血圧

朝5時: 看護士が母の血圧を測る。160にまで上昇。眼が充血。医師に連絡。すぐにCT検査。

朝6時: 病院から連絡。

朝6時30分: 主治医と面談。ついでに洗濯物を運ぶ。

CTの写真を見ながら、くも膜下出血が再発している可能性があると説明された。この一週間で呼吸停止等の可能性が高い。オペは不可能。高血圧の治療。原因不明。
一週間前に高熱を出し慢性病床から急性病床に移ったばかりで、そちらのほうは状態がよくなっているとの説明。再び慢性病床に移そうかと考えていたところ突然の高血圧、眼の充血。原因不明。詳しい話は脳外科の医師によるCTの写真の所見待ち。

朝7時20分: 小学校の旗持ち当番。交差点へ向かう。

朝8時: 帰宅。弟からのメールの返信を読む。

え・・・・
昨日、さっちゃん連れて来たの?母の病室に??

わたくし的に、母の血圧が上がった原因を知る。
くも膜下出血が再発してしまうほどのストレスなんだろうか・・・・

頼むよ・・・・いまだに息子を取られたと思って憎んでいるんだから・・・・嫁さんを連れて来るな。かといって、弟が一人で母の見舞いに行くなんてなったら怒るだろうな、あの人。

わたしはあなたが憎くて言っているわけじゃないんです。あなたが来ると本当に母が死にそうになるんです。だから来ないでと言っているだけ。あなたたちは、どうせ母に意識がないと思って、母には結婚のことは内緒にしていましたね? そりゃ母はあなたたちを別れさせたこともあります。ですが、一応は親なんだし、まだ生きているわけですから、母の了承を得てから結婚してほしかったと思っています、せめて。母が何もできないことをいいことに彼女の意思を無視しましたね? わたしは娘だから何となく母の気持ちがわかってしまうんです。ごめんなさい。

まいったな・・・・
もしかするとそうかもしれないと思っていたら、本当にそうだった。かといって、弟がいつまでも独り者で母の世話だけしているというのもなぁ・・・かといって、やっとこっちに来て、母の気持ちが落ち着いたというのに、なんで一人で来ないんだよ・・・・君の辛い立場もわかるけど、親を殺す気か?

ああ、なんておおげさなんだろう・・・

午後には紙おむつとティッシュを補給せねば。

投稿者 Blue Wind : 09:26 AM | コメント (0) | トラックバック

ネットで遊ぶ

今、ガイアックスのほうで、オルフェさんが相聞歌で遊んでくださっているんだけど、何となく相聞歌になっていないような気がしなくもなく、その点で申し訳なく思うのであります。それでも、オーディエンスという点で、相聞歌ほど気楽なものはないとも思います。自分の場合、何となくこれだけで短歌を詠んできた気がするくらいかつては返歌のやりとりだけで終わっていた。

こういうのも相性というのがあって、相聞歌といえどもしょせんネット。何となく一人の世界に揺られながら、それでいていわばオーディエンスとして互いが存在しているのかもしれないと、不意に思った。

競作といえば、同じお題やテーマに沿って歌を出すわけで、集団化してしまうとわいわいといった雰囲気でしょうか。あの歌がよいとか、あの歌人がよいとか、それで歌を出したり読んだり忙しい。わたしみたいなビギナーは、とてもではないけれども選歌なんてする気にはなれない。それでいて、好みというのがあり、それがほかの人たちと大きく外れているとは思えない。

相聞歌に対して、以前はとても丁寧だった気がする。一人で詠むという習慣が欠如していたせいかもしれないし、流れというものがあり、返歌のラリーが次第に連作として完成されていくのを眺めているのも好きだった。そして、それをコンテンツにしていただいたり・・・たくさんの人たちの感性が集まり、自分の世界が大きく変貌していくのを結構楽しんでいたと思う。

その時のイラストが、MOON&BACKなどの海外のアーティストの絵を素材にしているところからお借りしたり、いくつか日本の素材屋さんを回ったり、わたしはマメなほうではないので、そうやって誰かが発掘したサイトへ行き、素材を仕入れてくる。

アメブロ・・・
昨日、朝からパチパチとデザインを変更して遊んでいた。その時に来訪してくださった方はページを変わるたびにデザインが変わっていたから驚かれたかも。ごめんなさい。
飽きるんですよ・・・アメブロのデザイン。自分の好みで決めているというより、どちらかといえば消去法の世界だから。とりあえず全部見てみて、嫌いなものから落としていく。せっかく選んでも文字が小さかったりするとやめてみたり・・・
今回は、AZUSAさんのサイトの素材を使うことにしたので、できれば黒背景のデザインスキンを探したんだけど、なんと一つしかない。それを使うか、シンプルなスキンにするか、それとも今のまま当たり障りのなさそうなデザインで無理やり画像を入れるか悩みながら、結局、そのうち飽きてほかのデザインにする可能性を考えると、しばらくこれで我慢することにした。

自分のところが飽きるのではなく、どこのブログへ行っても同じようなデザインだから10倍の速さで飽きてくるような気がする。

このところアメブロで遊んでいて、久しぶりに題詠マラソンのサイトへ行ったら、ネット歌人やネット短歌についてのアンケートを実施しているのを発見。それでお正月明けにうちのブログにもアクセス数があったのだと気づく。今さら・・・
わたしはネット歌人だけど、ネット短歌というのは知らない。

集団化した世界があり、その流れの中にいるより、何となくやりたいことをやっているうちに道ができるほうが自分が楽なような気がする。

素材屋さんというのは素晴らしい。わたしのように自分で絵を描いたり写真を撮ったりするのが苦手な人間からすると、それを無償で提供してくださるわけですからありがたい。検索エンジンに詩で登録して、アート系のサイトをサーフィンするのも楽しい。自分の感性にない部分を補ってくれるところはさらに楽しい。何となく共鳴共感のあるサイトも素晴らしい。

でも、ネットの場合、すぐにサイトが消えてしまう。ローカルに保存してあるので画像そのものはあるのだけれど、すでにそこの素材屋さんは閉鎖したり、お休みしたり・・・そうなると、ハイパーリンクを貼れない。大抵は、二次配布や直リンや素材屋さん同士のトラブルなどが原因なのかもしれない。著作権のことを考えると、よほど精神的にタフな人か、明らかに作者が一目瞭然なくらいメジャーなところしか残らない。

でも、いろいろなことを考えると、コミュニティにいるというのは気楽かも。季節の話題、時節の話題、世の中がスマトラ沖の地震のことで大騒ぎしている時には、いくら短歌のブログとはいえ、ネット短歌やネット歌人の話よりそちらを考えるほうがナチュラルな気がするのです。そういう世辞とは無縁だからよいと言われればそうかもしれないとも思うし、それでいてどちらかといえば、普段からぼぉ〜っとしているから、ある程度コミュニティにいるくらいでないと、ますます社会との接点が欠如していきそうな気がする。

が、しかし・・・

作歌に社会との接点なんて必要なんだろうか・・・?
よーわからん。

投稿者 Blue Wind : 04:51 AM | コメント (0) | トラックバック

【返歌】 三段跳び

ぐたさまへ

しゃぼん玉そっと吹いては消えてゆく儚い命詠みいづる歌

初詠み、おめでとうございます。


オルフェさまへ

川の上三段跳びをする鯉の飛距離を眺む土浦の橋
跳ねる鯉いるよいるよと驚けば霞ヶ浦の泥水の中
潮風の吹かないボート渡りては広き浦辺を湖畔と呼びし
人生きるそのためにある泥湖水元気な鯉は三段跳びす

足のない鳥→白鷺の舞い→霞ヶ浦の鯉・・・・ゆるしてください。
なんでこうなんでしょう・・・・あたしって。


まるやむさまへ

夜毎さえ歌詠みいづるひねもすに休む間もなくトレーシー・ソーン
いちごって素直に書いてある箱に銘柄さがすもどかしき吾
浦の中元気な鯉の飛び跳ねりゃ住めば都か澄めば帆船

霞ヶ浦の中にも鯉が泳いでいるからね・・・
そりゃ誰でも元気になれるような気がしますです。

投稿者 Blue Wind : 03:03 AM | コメント (0) | トラックバック

January 23, 2005

【トラバ返歌】 青い景色

Natさまへ

海岸線バスに揺られて鴨川のサーフィン眺む紺碧の磯
荒れ狂う波に逆らいサーファーはイルカ色して大波を待つ
いつひさしシュガートレイン指ちゅぱの吾子を乗せゆく膝のうえかな

津波の映像を見て、歌を読んで、何となく・・・鴨川(房総半島)のサーファーと指ちゅぱしている娘を思い出しました。

気まぐれに風の舞う日の月夜には浮ぶ雲さえなかりしものを


まるやむさまへ

溶け出せば絵の具のような青空は海に溶けずに弧の水平線
しゃぼん玉虹色のまるふふませてぱちんと割れる運命の音
冬いちごかたちととのえ小さき実へたを咥えてキーボード打つ

投稿者 Blue Wind : 07:34 AM | コメント (0) | トラックバック

その頃のわたし・・

9.11の日記?

CGIの記録によると、at 2001 09/11 18:55、次のような投稿。

**********************

『銅版色の空』

気が付けば、台風も通過したみたい・・・
銅版の反射のように空一面が少しオレンジがかった黄金色。
大きな夕陽。
大きな虹。
やっぱり、台風の去った空は輝いて見える。

などと詩人モードに浸りながら、今日は台風で小学校がお休み。
娘は退屈していたし、結局、お絵かき教室へ・・・
こんな日は来てる子も少ないかと思ったら、やっぱり皆考えることは一緒なのね・・・
ほとんどの子が出席していたみたい。
まだ火曜日だというのに、娘がずっといると、週末のよう・・・

それにしても、あんなに大きな虹を見たのは何年ぶりだろう・・・

***************************

この後にダンナが帰ってきて、テロのことを知る。
世の中がテロが発生して大騒ぎしているというのに、わたしは何も知らなかった。そして、お絵かき教室の帰りに、東の空に地面から立ち昇るような巨大な虹。信号待ちをしている時間に皆が窓を開けて眺めていた。娘が、「お父さんにも見せてあげたい」と言ったほど、美しい虹だった。

その直後くらいからかな・・・サイトに嫌がらせが発生し始めたのは。今ではめずらしくなくなったクリック募金のサイトのバナーを貼っていたら、それだけでサイトが消えたこともある。サーバ側の言い分としては、「広告バナーに相当する」とか、「戦争を思い出すようで嫌だという苦情があった」とか。

当時は、虹が見えても神父さんのところ、サイトが見えなくなっても神父さんのところ、という具合に報告に行っていた気がする。

わたしは、9.11テロというと、娘と眺めていた巨大な虹を思い出す。後になってから、それがとても幸せなことだと思った。何となく神さまから、「みこころのうちにとどまっていなさい」と言われた気がした。

それと同時に、わたしはごく普通の人なので、戦争というと、ジョン・レノンの『イマジン』を思い出してしまう。世の中から宗教なんてものがなくなればいいのに、って思ったりもする。ジハードと敷島(日本)がどういう関係があるんだと思ったら気分が悪くなる。実際には何の関係もないらしい。なのに、アメリカ・・・猿ブッシュ。一番悪いのは、ビンラディンかもしれないと思って、どういうわけか、テロのことはテロリストに訊け、というわけではないけど、オウム(アレフ)の上祐さんのサイトを見つけたので、9.11テロの3日後にはそれもサイトのネタにしていた。

でも、実際にはどうなんだろう・・・・アメリカはビンラディンを逮捕する機会はいくらでもあるのに逮捕しないという噂だし、彼を裁判するのが嫌らしい、サウジアラビアもアメリカも。ゲリラが怖いのか、利権が絡むから嫌なのか、それとも次の選挙が怖いからか、そこのところはわたしにはわからない。今回、ブッシュが再選できたのも数日前にビンラディンのメッセが公開されたからだと思うのは、わたしの考えすぎだろうか?

あっさり語るけど、政治と宗教はまるで違う。

かつて、宗教戦争の時代を考えると、神父さんによれば、それは暗黒の時代なのだそうだけど、いかにもという気がする。逆にそれを終結させたのが、アシジの聖フランシスコと教えられ、去年の夏にはとうとうアシジまで行ってきてしまった。

冷静に考えれば、自衛隊がイラクへ行っているのは、宗教とは何の関係もない話なのである。憲法9条が改正されようとしているのも宗教とは何の関係もない話なのである。昨日、こひつじさんのサイトへ行ったら、アメリカ人の宣教師のダブルスタンダードに怒っていた。つまり、一方で反戦を唱えながら、イラク戦争やブッシュを支持しているというスタンスが気に入らないらしい。それでいて、反戦デモにシスターたちが歩いているというお話。
わたしね、大学時代、一つも赤缶が並ばなかった大学ということで、自慢している教授がいらして、そうやって考えると、そういう校風だったと思う。微笑みながら軽やかに、の世界。

基本的に、ノン・バイオレンス。暴力で報復しても始まらない。悪には善をもって戦えというのが、今年の回勅らしい。パパ様の年頭のご挨拶? どうも、こう、わたしは現人神というのを連想してしまうので、カトリックのそういうところも苦手の一つなんだけど、せっせと反抗しながらも、このように素直に従ってしまう。なんでだろう・・・

いずれにせよ、一つわかっているのは、アメリカが戦争をやめれば少しは世の中が平和になるということをアメリカ人が自覚するべきということかも。元アメリカ兵が、「どうしてアメリカがこんなに嫌われるのかわからない」と奥さんに語っていたそう。

今までアメリカがどこに爆弾を落としてきたか、地図にしるしをつければ少しは理解してくれるような気がするのだけれど、残念ながら、彼らは正義のために行っているという意識しかないのかも。だから罪の意識がない。ヒーローが悪者を退治するのは当たり前という感覚しかない。

よくもわるくも、幼稚、だ。それがアメリカのよいところでもあり、わるいところでもあり、知能が高く知性の欠如した社会のような気がする。

こんな記事、書きたくないな。

投稿者 Blue Wind : 03:05 AM | コメント (0) | トラックバック

January 22, 2005

femme: 2

大人になれよ>わたし
気にするな。
ただ、カタルシスが終わっていないだけだ。それでもわたしは神を愛している。わたしはこの話になると過剰反応してしまう。わたしは娘を愛している。わたしはわたしの罪のゆえに、神を愛し、娘を愛している。そして、ダンナに感謝している。もしかすると、かつては違っていたかもしれない。わたしは普通だ。罪を意識すれば、それから逃げ出したくなる。

あまりにもよくある話。親にも相談した。学生時代に子どもが出来てしまう。医者は癌細胞でも取り除くように胎芽をわたしの胎内から除去した。医者はご機嫌で母に言った。母体は安全、オペは成功。母がうれしそうに礼を言っていたのを思い出す。わたしは麻酔から醒めると胎内の異物が消え、体が軽くなったのを感じた。家に戻り、母がめったにないことだけど、わたしを抱きしめてくれようとした。わたしはそれを振りほどいた。わたしのためではなくわたしの子どものために泣いてほしかった。わたしは悲しすぎて泣けなかった。

わたしたちは子どもだった。誰かと誰かの子どもだった。そしてわたしたちの親はそれぞれの子どものために心配した。その子どもというのがわたしと彼だ。彼の親は言った。結婚はかまわない。だけど、子どもはダメだとヒステリックに言われた。彼女が心配しているのはわが子のことだけだった。わたしの親が心配しているのもわたしのことだけだった。そのくせ父は何も知らなかった。わたしも父には知られたくなかった。それだけ。どういうわけか、何を言われても説得力が欠如していたくせに、母に言われた「父が悲しむ」という一言でわたしはすべてを受け入れてしまった。歪んだ骨盤のことも、金が無いことも、将来のことも、子どもに対する責任のことも、道徳も倫理も何もかもがどうでもよかった。彼は大学を辞めて働こうかと言っていた。ははん。弱いくせに。最初から無理だということはわかっていた。常識、良識、くそったれ。そしてわたしは再び実家を飛び出し、彼のところへ。幽霊だ。互いに幽霊でも見ているようにそこに存在していた。彼は衰弱し、泥酔し、泣いていた。弱い自分に泣いていたのかもしれないし、子どものために罪のためにわたしのために泣いていたのかもしれないし、彼は弱っていた。わたしは体が傷つき、彼は心が傷ついていた。

ある日、姑さんがボソッと言った。彼の姉二人と彼との間に年の差があるのは流産したかららしい。そして結婚してすぐに4回の腸の手術をし、子どもができないという理由で虐められた話。叔母は中学生の頃に眼を患い出産すれば失明すると医者に言われていた。結婚と堕胎と離婚。そして再婚。失明してもかまわない、妻の世話は自分がすると、新しい叔父が言った。そして二人の子ども。

いろいろあら〜な。

そして、それでも神はわたしを愛してくれる。罪の無い人などいない。アダムの頃から、人間なんてそんなものらしい。そして、わたしたちの罪を贖ってくれたのがイエス・キリスト。彼はすべての人の罪を赦すために生きている。彼はわたしたちを裁くためにきたのではなく、わたしたちを救うためにやってきた。わたしが罪のうちに責められるとき、皮肉なことにわたしを救ってくれるのがジーザス・・・福音があるから罪も悪も知ることになり、福音があるからわたしたちは救われる。皮肉だ。地球が反転するような奇妙な感覚と静かな愛。罪を背負うために生まれてきている。誰もかれもが。罪を知るために生きている。だから、わたしは罪の中にあり、罪の中で神を愛す。

わたしと彼は互いに罪の中に生きることにより、今でも一緒に生きている。恋愛なら冷めてしまったかもしれない。皮肉だ。誰もかれもが一緒に罪を背負うことにより家族になった。わたしの傷は誰よりも彼を傷つけた。弱さ、か。弱いよ。わたしが責められれば、彼が泣く。そういう人生は今でも続いているらしい。

春になれば、子犬がやってくる。何事もなかったかのように連れられてくるのだろう。そしてひねもすはゆく。わたしはいつも要らないと言う。それでいて娘もオトもマリも新しい子犬もわたしの子。愛することでしか自分を救えない。

投稿者 Blue Wind : 06:47 AM | コメント (0) | トラックバック

【短歌】 せっかちに幸せばかり集めても泡の消えゆくしゃぼん玉飛ぶ

罪人よ、我のことかと呼ばれれば素直にこたえ進む道かな。
悲しみよ、罪を背負って生きるともイエス・キリスト愛してやまぬ。
つらきみち我の罪をぞ背負いては十字架のみち愛は輝き。
罪の色、深深として闇の中沈む光に愛を求めん。
生きる意味光は遠くまぶしけれ苦しみのなか愛はおわせり
おしよする波にのまれし大地かなそれでもわれは地球を愛す
苦しみを生きる狭間に背負いては苦しむために生まれ来し息
苦しみを背負いつ生きるそのために罪のなかにぞいのちは浮ぶ

エレミヤ書 50. 6-7

ひとりひとり罪を背負いて生まれては罪はないさと言ってみたくも
ひとりひとり苦しむために生まれては微笑んでいる、泣いてもいるが。
ひとりひとり考えるため夕闇を与えられては陽の昇るみち
せっかちに幸せばかり集めても泡の消えゆくしゃぼん玉飛ぶ
暮れゆけば日はまた昇り暮れる街点滅してる青い信号
このみちは行ってもよいの?迷うほど点滅してる、どうぞどうぞと。
セイフティ、行ってもよいと信号は微笑んでいる。でも渡れない。

エステル記 2. 22-23

投稿者 Blue Wind : 04:59 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 71. 17-18

  神よ、わたしの若いときから
      あなた御自身が常に教えてくださるので
  今に至るまでわたしは
      驚くべき御業を語り伝えて来ました。

  わたしが老いて白髪になっても
  神よ、どうか捨て去らないでください。
  御腕の業を
      来るべき世代に語り伝えてください。

投稿者 Blue Wind : 04:39 AM | コメント (0) | トラックバック

マタイによる福音書 10. 1-4

  イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。

投稿者 Blue Wind : 04:36 AM | コメント (0) | トラックバック

歴代誌下 20. 16-17

明日敵に向かって攻め下れ。見よ、彼らはツィツの坂を上って来る。あなたたちはエルエルの荒れ野の前、谷の出口で彼らに会う。そのときあなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ。ユダとエルサレムの人々よ、恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。主が共にいる。

投稿者 Blue Wind : 04:32 AM | コメント (0) | トラックバック

『彼女が夢みたアフガニスタン』 山本 敏晴

もっと軽いネタがよろしいのではありません?>あたし

なんか、また発作で娘が100%わたしの一部だった頃の話をアップしてしまった。駄文であんなにエネルギーを浪費してもよいのだろうか? おまけに、途中でアメブロナンバーズの記事が入るし・・・ここは、短歌のブログなのに。
賞金が当たるとは思ってないけど、数字を見たら何となくいじくりまわしたくなってしまうという・・・当たったら、PDA買います。あきらめて。家の外でまで短歌をいじくりまわしたくないと思いつつ、今日も出掛けに2首浮んでいたのに忘れてしまった。そんなものなのね・・・作歌というのは。残りは聖書協会のほうへ。

どこかのブログで、「私たちの寄付したお金はどうなってしまうのだろう?」という記事があった。「どうなるのか」は、どこに寄付したかによっても違うのではない?

かつてアフガニスタンでは、恐ろしいほどの巨額の寄付や援助は、内戦によって消えてしまったというし、皮肉なことに金が無くなったら難民が自力で戻り始めた。250円の薬が買えないでパタパタ死んでいくのに、弾丸が一発8円で買える。しかも、どうして薬が買えないような人たちがロケット弾を持っているわけ?

インドネシア。軍が食糧を独占してしまうのではないかという不安が広がっている? 日本はそこまで悪質な関係ではないでしょうけど、行政への不満はどこにでもあるし、上から下への流れは変わらない。
でも、寄付する側は下から上へのほうがよいと考えているはず。教会や施設みたいに最初から困っている人たちが集まっているところに直接送るほうが安心なんだろうな。
国によって貧富の差を考える人たちは多いけど、アメリカのチャリティ・サイトではホームレスの人への寄付とかね、つまり、あれだけ国は裕福なのに、ホームレスがいる。その点、日本でも同じかも。

こんなに裕福な日本でも、病院に行き倒れの人が担ぎ込まれたりする。元気になると退院してほしいのだけど、住所がない。そうなると行政は冷たい。中には遠く離れたところに住所があったりすると、そちらの扱いになるとか。大昔、あったな・・・そーいえば。よく知らないけど、うちのダンナ、市役所と喧嘩して、退院した患者さん、そのままタクシーに乗せて市役所へ送ったらしい。

家族は? 親戚は? 本籍は?

病気だったら病気の扱いでそのまま生活保護の手続きを取るとかいろいろあるんでしょうけど、単に空腹でダウンしていたというのでは・・・食べたり点滴したら帰ってもらわないと。ほんで、市役所行って、手続きの方法を教えてもらって・・・
役所の人も嫌がっていたけど、本人が行けばイヤとは言えまい。

あー、もっと軽いネタをアップしようと思うのに、手が・・・手が勝手に。




著者: 山本 敏晴
タイトル: 彼女の夢みたアフガニスタン


いつかはのんびり行ってみたい。
明るく、おしゃれな、アフガン、か。

投稿者 Blue Wind : 03:10 AM | コメント (0) | トラックバック

January 21, 2005

femme

女が母になるというのは、弱く生まれた者がさらに弱くなるということ。弱さゆえに強くなる。

妊娠すると、妊娠中はどういうわけか風邪も引かずに丈夫になった。体温が高かったせいかもしれない。吐き気と食欲。いわゆるつわり。やたらと増進する食欲と吐き気。やたらと高い感受性。いつも子どもといる。

外の世界からは、わたしはまだ一人。
中の世界からは、いのちが倍になって、わたしにささやきかける。
いつも誰かがわたしと共にいる。

悦びと不安。交互に訪れる。

次第にお腹が重くなり、足のむくみ。歩くのもつらい。靴も履けなくなる。

6ヶ月くらいまでは、東京と土浦を往復し、買い物するくらいどうということはなかった。急な転勤で、わたしが引越しの準備と後始末。土浦の不動産屋へ行き、その日に契約してきた。

逆に、動いていないとお産が重くなるのではないかと思って、不安だった。だから、ひたすら動いていた。歩いていた。お腹の中を子どもが蹴飛ばす。

毎日毎日床の掃除・・・
ベビー用品を買いに行く。

ある日、電車に乗ってデパートへ行った。とても大きなピーターラビットのぬいぐるみが売っていた。衝動買い。大きなお腹を抱え、電車に乗り、大きなぬいぐるみを抱えて帰ってきた。
出血。

子どもは順調に育ち、わたしは髪が抜け、歯が弱くなった。派手な妊娠線。西瓜のようなお腹。

子どもを愛すれば愛するほど、不安は増した。無事に生まれてくるだろうか・・・わたしに子どもを育てられるのだろうか・・・あまりにも悲しくて、歩きながら泣いていた。

娘が生まれて、数時間後からわたしは再び歩いていた。母乳というのはすぐに出るものではなく、死にそうに苦しんだ後に、お腹の中にまだ子どもがいるような不思議な気分が押し寄せ、あちらはわたしの声を知っており、わたしはまだ娘の声を知らないという不思議な関係の母子を、つまり、わたしのお腹にまだわが子がいるような気がしているのに、いないのだと気づき、その喪失感を埋めるように悦びが押し寄せ、気がつけばわたしがこの世にはいないかのような不思議な気持ちの中で子どもがわたしの腕の中にいる。そして、乳首を思いっきり抓られたような痛み・・・お産の痛みより、痛い。

つまらないことを書くようだけど・・・
わたし、母になってから、ビキニが着られるようになった。妊娠線、格好悪いなって思いながらも、へいちゃらになった。合理的だから・・・トイレに行く時など。赤ちゃん連れて海遊び。

どこまでも弱くて醜い自分を終結してしまうと、あっけらかん。そういう意味で、母は強いと言われてしまうのだろうか?

子どもは、見事にわたしを破壊してくれた。わたしという人間のエゴも醜さも。どこまでも醜悪さの中で、わたしはうれしかった。

夥しいほどの出血。1ヶ月くらい出血が止まらない。それでもわたしは生きていた。そうやって肉体的には弱いのに、さらに弱い者を育てる。わたしがいなければ死んでしまう子と二人。

娘が8ヶ月くらいになり、この世の食べ物に適応し出すと、わたしもいつものわたしに戻っていった。彼女はわたしであり、わたしの中におり、それでいてわたしとは違ういのちを持ち、それでいてわたしの肉体が彼女の中に取り込まれていった。そして、それが終了すると、わたしたちは、わたしと娘になった。

投稿者 Blue Wind : 10:52 PM | コメント (0) | トラックバック

【トラバ返歌】 車窓

Natさまへ

ご返歌、ありがとうございました。


大霜の氷の粒につつまれて真白き窓の隙間から空

投稿者 Blue Wind : 05:56 PM | コメント (0) | トラックバック

「神さまが見ているよ」

秘密、か。

精神の垂れ流しと言われたことがある。
以前、日記を書いていた頃、自分的には書くとすっきりしてしまう。読んで気分が悪いのなら読むな、の世界。それこそ、うちのサイトに来ないで、とかね・・・
考えてみたら、アクセス制限でもしないとそれは不可能であり、実際にしていたこともある。BBSにパスワードをつけろと言われたり・・・
気楽に日常のことを書いていると、誰が読んでいるのかわからないとか、個人情報を盗まれるとかストーカーとか・・・

最初の頃はビビッた。

でも、次第に慣れる。
通りすがりの人とかなら平気なんだろうな・・・でも、どういうわけか、あの人にだけは読まれたくない、が始まる。だったらローカルに置いておけとか、サイトを引っ越して友達にだけ教えろとか、いろいろ。

自分を含めて、どうしてそうやってナーバスになるのかわからなかった。

でも、秘密、なんだろう・・・
まったくもってしてくだらないよ?
例えば、最初は匿名でハンドル名だけで親しくなる。それが次第に群れになり、ネットの場合、相手が特定できないのにグループが出来上がったりする。よく考えたらまったく親しくないのに、知らない人がわたしのことを知っている。

写真を一枚誰かに送れば、それがほかの誰かに転送されることくらいは覚悟しなければならない。こういうメールが着たと、メッセで話しながら転送してもらったり・・・

そういう闇を支えているのが、秘密。

わたしがどこに住んでいて、どういう名前で、家族がどうたらこうたらとか。

わたしは普通に生活している。普通の主婦であり、どこにでもあるような生活をしている。だから、ある日突然、バカらしくなってしまった。そだそだ・・・サイトに公開しようと思った。秘密だから気持ち悪い。「わたしが秘密にしているはずなのに、どうしてあの人がわたしのことを知っているの?まるで親しいみたいじゃないの!」って怒っても無駄だ。

他人のBBSなどのやりとりを眺めて、個人情報を集めている暇な人もいるらしい。
どうしてそういうことをするのかというと、例えば、初めてBBSにカキコしたりする時、相手がどういう人なのかわからない。少しでも手がかりがほしい、と思うほうが普通。一応、ネットといえどもコミュニケーションの場なのですから。
しかも、相手が小学生から高齢者まで・・・中にはネット人格多数。

そういう世界を支えているのが、秘密なのかもしれない。

秘密というのは大抵の場合、他人に知られたくないことである。大きな秘密を匿名で書いている人に比べたら、わたしのような人間の秘密など、ちっぽけでつまらない。

それでいて短歌というのも、ある意味、秘密の垂れ流しなのかも。

自分の苦しみなどはとても歌にはできない、と言う人もいる。
弱点だから、かな。
中学生や高校生の恋歌などは、親には知られたくないとかね・・・

それでいて、そういう弱点がさらされ、苦悩が描かれていたりするとよい歌になったりするらしい。

が、しかし・・・
「お月さまが見ているよ」ならいいらしい。
それが、「神さまが見ているよ」になると、急に荒れたりする?

人間って不思議な生き物。

投稿者 Blue Wind : 12:18 AM | コメント (0) | トラックバック

January 20, 2005

スパム登録

アメブロナンバーズ。

何なんだ・・・
17日の朝までが、55599で、20日の朝までが60483。
3日間で4884も新規登録があったことになる。
1日平均1628、1時間に約68。
今、見てみたら、もっとすごいスピードで増殖している。
下手をすると、スパム登録が増加し続け、数10秒に1つはつくられてしまう可能性もある。

今の時点の予測だと、単純計算で、2月1日の朝までは8万ちょっと。
ところが、スパムが増加している・・・ってことは、中途半端じゃない。

こんなものをどーやって予測しろというのだろう・・・

以前、** Blue Wind ** のほうでは、ラテンアメリカ系サーバ3つで、スパムコメントが・・・
その時の増殖を考えると、アメブロ・・・

アホの数を計算してから考えたほうが早いかも。

投稿者 Blue Wind : 11:08 PM | コメント (0) | トラックバック

叫んでも風の声など聴こえるか地球のうたのとおりゆく道

死の恐怖ないさと言えば嘘になる駆け巡りゆく波は大きく
ぽっかりとお空に孔が開くよりも傷跡ふかき海底の道
叫んでも風の声など聴こえるか地球のうたのとおりゆく道
もうここはどこまで来たと訊きたいが訊くのが怖いみことば書かれ
ふわふわと光の中に飛んでゆく綿毛の季節 今はまだ冬
くゆりゆく宇宙のような人生を小さな花にたとえてみても
破壊され逃げゆくか人宇宙には住まえる星のなかりしものを
われはあり、小さな星にわれはあり。小さな砂の積もりゆく浜。
ひとつずつ数えてみても砂粒はさらさらとしてこぼれるばかり
しあわせに流れる日々は砂の粒不幸の海は月を呑みこみ

歴代誌下 20. 16-17

ふわふわととけゆくような旧と新ひろがりゆくを光に負うて
ひとときも休むことなく輝きは水平線を昇りゆくかな
光射し闇おとづれて光射すわれは地球に止まっている
ふわふわと飛んでしまうか人間も見放されては地球のコアに
亀裂走る地球に生きる生まれこしみしみし唸るゆがんだ大地
その日には何をしたとて無意味だと見放されては地球の涙
土地の名を呼ぶのはやめてジーザスに頼んでみても地の上に生る
土の中消えゆく骨の亡骸をいのちというか、せつなきマリア
この土は誰の骨かもわからぬと息吹く春には黄花は咲けり

マタイによる福音書 10. 1-4

少しでも多くのいのち救いたい少しずつ数いのちと呼ぶか
みひかりよ、大地のうえに人を置き、氷のとける季節を待ちぬ。
肉救う大地のうえに肉を置くわななきはまたくりかえされる。
土のうえ重なるように土のなか人の消えゆく道もあるかな
ふわふわと光のなかを飛ぶように綿毛舞う日は透明な色

少しずつ神の涙のとけゆけば沈みゆく島、いくつ残りぬ。
そうやって沈んでゆくか地平線奥へ奥へと誘うように
少しずつ減りゆく地上溢れるは魂という裸足のいのち
すいすいと生きる魚だに泳ぐ海いづこに消える海の魂
地のうえはゆっくりとして地に消える砂落つる音うねりゆく島

詩編 71. 17-18

少しずつ光の糸のほつれゆく冬の落ち日はまどろみの中
どうだっていいじゃないかと投げ出せば冬はひらひらダウンの中で


◇BBS詠

地雷踏み地雷の種類尋ねてはたらちね地雷いづこに眠る
アクセルを踏んで哀しき夕べかな過ぎ去る日々をタイヤは滑る

今日の鳥明日はいづこで啼いている足のない鳥飛びつづく空

投稿者 Blue Wind : 03:06 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 88. 9-19

  あなたはわたしから
      親しい者を遠ざけられました。
  わたしは閉じ込められて、出られません。
  苦悩に目は衰え
  来る日も来る日も、主よ、あなたを呼び
  あなたに向かって手を広げています。
  あなたが死者に対して驚くべき御業をなさったり
  死霊が起き上がって
  あなたに
      感謝したりすることがあるでしょうか。
  墓の中であなたの慈しみが
  滅びの国であなたのまことが
      語られたりするでしょうか。
  闇の中で驚くべき御業が
  忘却の地で恵みの御業が
      告げ知らされたりするでしょうか。

  主よ、わたしはあなたに叫びます。
  朝ごとに祈りは御前に向かいます。
  主よ、なぜわたしの魂を突き放し
  なぜ御顔をわたしに隠しておられるのですか。
  わたしは若い時から苦しんで来ました。
  今は、死を待ちます。
  あなたの怒りを身に負い、絶えようとしています。
  あなたの憤りがわたしを圧倒し
  あなたを恐れてわたしは滅びます。
  それは大水のように
      絶え間なくわたしの周りに渦巻き
  いっせいに襲いかかります。
  愛する者も友も
      あなたはわたしから遠ざけてしまわれました。
  今、わたしに親しいのは暗闇だけです。

投稿者 Blue Wind : 02:03 AM | コメント (0) | トラックバック

マタイによる福音書 10. 34-39

  「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。
  人をその父に、
  娘を母に、
  嫁をしゅうとめに。
  こうして、自分の家族の者が敵となる。
  わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者の、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

投稿者 Blue Wind : 01:57 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 39. 14

  あなたの目をわたしからそらせ
  立ち直らせてください
  わたしが去り、失われる前に。

投稿者 Blue Wind : 01:53 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 1. 4-5

  神に逆らう者はそうではない。
  彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
  神に逆らう者は裁きに堪えず
  罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。

投稿者 Blue Wind : 01:52 AM | コメント (0) | トラックバック

今日も元気です・・・なんで?

なんか疲れると思う理由・・・
右翼と左翼に挟まれて苦労している気分。
それでも、ブログをお散歩しながら、すっかり作歌な気分を阻害され、またまたパチパチ駄文を打つ。わたしはいつになったら復帰できるのだろう・・・それでいて、3首くらいは詠んでいるんだなぁ・・・と、うすらぼんやり思う。

江口洋介さんのドラマ、昨日、わたしも観ました。正確にはテレビがやっていた、映っていた、としか語れない。

災害時の病院。
うちのダンナ、あっさり言ってましたね・・・家族が被災したからといって帰っているような医者はクビだって。たしかに、親の死に目に間に合った医者の話はめったに聞かない。あの世界は、何となく感性が違う。
それでも、今の時代はまだマシになったらしい。旅行に行けるもの。かつては旅先からでも呼び戻されるのが当たり前だったようで、成田のゲートを潜った瞬間の何とも言えない開放感・・・クセになります。

ということは、あんな災害がきても、わたしはまた子どもとオトの世話なんだろう。自分がダウンするとは思っていないところが、われながらすごい。慣れた。

それでいて、誰かが病院の床の上で赤ちゃんをハイハイさせているのを見たときには、それなりにショックを受けた。が、黙っているわたし・・・だって、誰も何も言わないし・・・わたしは医療関係者ではない。

うちのダンナが結核になった時、排菌はしていないけど、影があった。それで、わたしと娘も写真を撮って、検査。陰性。さすが。
でも、説明してくれた医者も、そのまた別の医者も、検査をするとぷわ〜っと陽性。そりゃそうでしょ。毎日そういう人たちと接しているのですもの、感染してるわよ。要するに発症しているかしていないかの違いだけらしい。
それでいて、看護士さんたちには秘密なんだってさ。生半可に知識があるほうが怖がるかららしい。

ダンナより、わたしのほうが代わりに感染していたかった。だって、2,3ヶ月寝ているだけなら、そのほうが楽。実際、ダンナが結核だとわかってわたしは2,3日寝込んでいた。その間、あちらは1ヶ月仕事をお休みすることになったので、暇。家事やら娘の送迎までやってくれる。
結核も悪くないと思った。

それとは裏腹に、精神的にはテンションが高かったかもしれない。排菌してないってことは感染しない。それでも、娘に移ったらとか、娘の友達に移ったら、などといささか不安になるのが人情ってものだろう。
理屈で考えれば、マメに検査して、排菌していないことは確かめている。従って感染はしない。
そこで開き直った。
一緒に暮らしている家族が感染しないのに他人に移るわけがない。それこそ病院やスーパーみたいにいろいろな人たちが集まるところのほうが遥かに危険。

針刺し: 患者さんに注射した後、間違えて針の先が自分に刺さってしまうこと。

これにより、肝炎に感染した医者も多い。そうなると、患者が患者を診察し、研究しているようなものだから、命がけだ。発症し、肝硬変から肝癌。そういうこと考えたくないでしょ?なのに、苦しんで死んでいく人の姿を毎日見ている。
でも、仕事を辞めるわけにもいかない。

ヘンな患者さんからの脅迫もあるらしいよ。一度だけ職員の人が心配して、うちに連絡をくれたことがある。
ピンと来なかった。

ジャンキーネタを書いて、ヘンに誤解されるのは、不安になってしまうんだろうな・・・もし知らない誰かに襲撃されたら、とか、ストーカーとか。
はいはい、無言電話がかかってきたこともあるし、メルマガを勝手に登録されたこともあるし、考えてみたら危ないよね、ネットも。うちのダンナの友達はカードを勝手に使われたらしいし・・・

でも、気持ち悪い電話はネットでなくてもあるでしょ? オレオレ詐欺も2,3回かかってきたし、どうやっても変質者からの電話としか思えない電話もある。でも、それがネットが原因だとは思えない。

名簿?
わたしの名前にバリューはありません。セールスの電話は大抵うちのダンナのほうの名簿からかかってくるようです。それと教材のセールスは娘の名簿でしょう。ダイレクトメールもわたしの場合は、出版社からの図書目録や葉書くらいのものです。

社会派のカウンセラーだったらもっと危険かもしれない。脱カルトとかね。エレベーターに誰か一緒に乗っていたら、背中を向けられないらしい、怖いから。知らない人が見たら、どっちが狂っているのかわからんぜよ・・・大抵の人たちは、電車もエレベーターも普通に乗っていますから。

その昔、オレンジの輸入自由化の時には、毎日研究室に脅迫電話とファックスが。そういう研究者の話も、ここではめずらしくない。

まじめに考えたら、生きていられそうにない。
なのに、今日も元気。

投稿者 Blue Wind : 01:02 AM | コメント (0) | トラックバック

January 19, 2005

本能かも・・・

こういう気分の時には、クレモンティーヌくらいがちょうどいい。

臨床系のさっぱりしているところは、大抵のことは、「何らかの理由で子どもの頃に親の愛が足りなかったんだよ」で終わるところ。これは素晴らしい。

何が・・・?

世の中、多すぎ。おおげさなヤツ。

自分が何のために生きているのかわからない、自分が何のために生まれてきたのかわからない、どうせ自分なんて・・・
とか。

そういう人に限って、こう言う。

「僕の奥さんは普通だから、ほっとする。」

ほえ?
何をもって普通と語っているのか、たまによくわからないこともあるけれど、大抵はそうやって感じるらしい。

そうやって言われたら、自分が普通でないと思っている女は、たちまち怒り出す。

どういう意味で普通と思っていないかはまちまちなんでしょうけど。仕事に生きているとか、ちょっとご病気とか、深い悩みがあるとか、ダンナがかなり年下だとか、子どもがいないとか、あれにこれにと理由はまちまち。

ネットをやって一番多かった質問が、仕事を棒に振って後悔しなかったかとか、ダンナに食わせてもらっていて不満はないかとか、かな。大抵は、中途半端に若い女医さんとか、大学に勤め始めたばかりとか、高学歴の女性に多い。
皆、恋人はいるんでしょうけど、なかなか結婚に踏み切れない。特に遠距離恋愛とかね・・・仕事を優先させようとすると、困るのはそれ。

そういう時には、見栄を張って言うわけではないけれども、「亭主の顔を見たら腹の立つことでも、子どもの顔を見たら許せる」とか、「この子さえいなければ・・ってマタニティ・ブルーの時にはおんおん泣いて、それでまた罪悪感に苛まれておんおん泣いて、今にして思ったら自分でもバカみたいだった」とか。

ダンナには仕事がある。
なんであたしが家で子どもと二人きり・・・
世の中に取り残されたみたいで悲しかった。
そのくせ、子どもを誰かに奪われたくない・・・
総理大臣の代わりでさえ世の中にはいくらでもいるだろうけど、この子の母親はわたししかいない・・・

全知全能感に満ちあふれ、愛という名の暴力。

なんて言うんだろう・・・・
それこそ命がけで産んだのよ?
その間、・・・つまり、わたしが死にそうに苦しんでいる時、ダンナは助産婦さんと世間話をしていたのよ?
あー、あれは一生忘れない。

そんなことを思いながら、頭にきてお皿を投げようとした時、わたしは気が付いた。
「あ、これは叔母ちゃまが買ってくれたやつだからやめよう。こっちはスーパーで買ったグラスだからいいわ」って瞬時に判断している自分に・・・
なんか、ヒステリーの絶頂にありながら、すごく冷静な自分が悲しかった。

投稿者 Blue Wind : 10:02 AM | コメント (0) | トラックバック

サマセット・モーム

アメブロへの不適応感の理由がわかった。ノベルだから・・・人はいかに生きるべきかとか、人生などについて、あるいは非日常を求めてそういうものを読むわけで、それが平和なブログの世界に浮いているのですもの・・・そりゃ疲れるわけです。

人間の数だけいろんなドラマや日常があり、それでいて、古今東西人間なんていつの時代も変わらない。同じようなことを考えて、同じようなことで悩み、結局、堂々巡り。

飽きるよ、大抵・・・

すべてが虚しい。

結局、すべてが聖書の中にはあり、人間がそこから抜け出せないことが何となくよくわかる。特に旧約聖書なんてテンションが高いもの・・・しかも、あれがノンフィクション。戦争も飢餓も、孤独も絶望も、恋愛も陰謀も、ありとあらゆるものが聖書には書かれている。人間の醜さや美しさ。

小説だったら、モーリヤックが好きだった。でも、一番好きな小説を挙げろと言われれば、モームの『人間の絆』。あれだけ長い小説をダラダラと読み、最後には幸福の青い鳥的結末。

結論: 人生はペルシャ絨毯のようなもの

さっぱりすっきりその一言が言いたいために、あれだけ書いたのだろうか?モームは・・・
結局、高村光太郎の『道』。好きに生きているうちに後ろに道ができる。勝手に好きな模様を描いて絨毯が織り上がる。

モームなら、本当は『赤毛』が好きなのかも。嵐の日に海に消えてしまった恋人を待ち続けた女。その女を妻にした男。そして、運命の再会。夫はドキドキするわけですよ・・・悲劇の二人が運命の再会をし、それが妻への真実の愛だと思って覚悟する。
が、結局、運命の二人はすでに中年、互いに互いがわからなかった。

そういうモームのシニカルさが好きだし、ヨン様に会うために空港へ行く気にはなれないわたしでも、モームを感じたくてラッフルズホテルへ行ったことがある。
が、しかし・・・
ラッフルズホテルの真っ白な長い廊下で、ピースサインをしながらお遊戯のポーズを取る娘。何だかあまりにもそのシュールな感覚が今となっては懐かしい。
それがモームからのプレゼントだったのかもしれない。

生きていてよかったと思うような瞬間って、大抵は、そういうつまらないことにある。


■ 関連書籍

著者: モーム, W.Somerset Maugham, 行方 昭夫
タイトル: 人間の絆〈上〉
著者: サマセット・モーム, 中野 好夫, William Somerset Maugham
タイトル: 雨・赤毛

投稿者 Blue Wind : 12:04 AM | コメント (0) | トラックバック

January 18, 2005

【トラバ短歌】 ヘンか?

ゲジマユさまへ

ムーディにころころかわるゆでたまごカッターで切る白い裸体か
カルカッタいつか行きたい吾子となら行ける気がする老いた牝ロバ
ジーザスは彼氏なのよとささやけば友と答える愛はさみしい
あの人もこの人もみなイエスさまと死の臥す通り生まれ来し人
アッシジに行ってむなしきあきめくらどうしてゆくか通り眺めし
少しずつ奇跡の道をたまゆらに幽かな光まばゆくも愛

幽かにぞ娘の眉がうすくなり笑いすぎだと言われたってねぇ・・・
オトの髭誰が抜いたか犯人を名推理する虚しき朝よ
プチプチとはじけるようなストレスに白髪抜かれてぬばたまの黒

投稿者 Blue Wind : 08:39 AM | コメント (0) | トラックバック

教科書

こう、なんて言うのかしら・・・・発作でアメブロにブログをつくって以来、わたしは無意味に精神が疲弊しているのを感じている。その理由は例の如くわからない。いろんな意味で毒を浴びているのかもしれない。

昨日、神父さんのサイトを開いていたら、娘が急に、「イエスさまのビデオある?」と訊く。以前、観ていたから何となく覚えていたのだろう。そして、ビデオが見つからないので、聖書を一冊渡した。子ども用の聖書を買うべきか迷った。でも、娘もすでに本が読める年頃なのを不意に思い出す。

学校で使うらしい。
娘が見せてくれた国語の教科書に、マザーテレサの話が書いてあり、わたしも一気に読んでしまった。インドでのご様子、マザーのお言葉、写真。
「お母さんも毎日聖書開いているから、修道院に入りたいの?」と娘が訊く。
聖書を開いているのと、修道院へ入りたいというのとは別かもしれないとちらっと思ったけれども、娘は修道院へ入りたいと言う。理由は素朴で、マザーテレサの話に感動したかららしい。

わたしは、娘にイエスさまの話をしたことはない。日頃、教会にも行かない。娘は普通の公立の小学校へ通っているので、逆に、中学は寄宿舎にでも入れようかと考えたこともある。でも、一人娘だし、あまりにも寂しいのでやめた。

「マザーの親はどういう人だったの?」と娘が訊く。
わたしはよく知らないけれども、マザー自身のお言葉の中に、たしかごく普通の家庭で育ったと。そして、ごく普通に学校生活を過ごし、ごく普通の女の子だった。

わたしが修道院へ入りたいかどうかの問いに対しては、「世の中が全部まほちゃんになってしまったら大変だから」と答えた。世の中がすべてまほちゃん(うちの娘)になってしまったら、それこそ休む暇もない。マザーってそういう人、と娘に言ったら、やけに納得していた。

マザーはつおい。

マザーのたまわく、日本は物質的には恵まれているけれども、精神的にはとても貧困に喘いでいるらしい。愛に飢えている国。餓死寸前の人たちがどれくらいいるのでしょう。
かく言う自分も、癒しがほしいのは自分のほうであって、癒しを求められたくないとは常々思ってしまう。物質的に貧困に喘いでいるのなら、誰かが働きかけて世界中から援助が集まる時代。ところが、愛に飢えていても、もはや誰も救ってはくれない。

ぱらぱらぱら〜っとね、空から愛が降ってくればいいのに。
爆弾でもラジオでも塩でもなく・・・

投稿者 Blue Wind : 03:33 AM | コメント (0) | トラックバック

【トラバ返歌】 そしてご返歌

オルフェさまへ

風、メヒコおとづれることあるならばわがこころあれシェリート・リンド
雨垂れの途切れ途切れに聴こえれば本当は糸透明に生(あ)れ
黄金の光の弦の誰がためにな泣きそ虹のおとづれるまで
啼く鳥のわがためならず朝の庭姿なきままミモザは揺れる


シカマルさまへ

中指に異物のような鉛筆はもはや不要かけだるくも剣
今という時はないかと刻々と時計の針は同じ方向
とまるような青空青く広がれば白い浮雲お話してる


被災

照らされて光さすなか闇のいろ浮き上がりしては沈む夕陽に

投稿者 Blue Wind : 01:26 AM | コメント (0) | トラックバック

January 17, 2005

インスタント・コミュニケーション

震災から、10年・・・なんか疲れたな・・・このネタは。
などと思っていたら、アメブロのランキングの表示が変わっていることに不意に気が付く。今朝までの登録者数が55599だって・・・おそろしい。
たしか、わたしが去年の12月11日に登録した時点では、29000くらいだったような気がする。少なくても3万には達していなかったような・・・
単純計算でも2万5000くらい増えているのだもの、これではパンクしても無理はないような。一日に600〜700くらいの新規登録があった計算になる。でも、それくらい普通だよね・・・ネットだもの。

1時間に28人、約2分に1人?
こうやって駄文を書いている間にも新規登録が・・・

それでいて、アメブロからのアクセス数は意外に少ないような気がする。アクセス解析がほとんど使えない状態だからよくわからないけど。そうなると、ランキングから来てくれる人が大半なのかもしれないし、gooがパンクしているから、そのうちまたサイトが消える可能性が・・・
アメブロにつくったから、** Blue Wind ** へのアクセス数が減るかと思ったら、想像していたほどでもなく、相変わらずあちらは寡黙な世界。今、この記事はアメブロで書いています。

一人で詠むときは、** Blue Wind ** を使い、コミュニケーション用にアメブロとgooがある。

結局、ネットってそういう世界なんだよね・・・
インスタントのほうが、コミュニケーションが活発になる。そうやってジャンキー社会は構成されて行く。

投稿者 Blue Wind : 05:56 PM | コメント (0) | トラックバック

まだ霧の中・・・すっきりしない作歌というもの

アメブロのデザインを変えた。理由はシンプル。gooコミュニティの調子がすこぶる悪いので、そこの日記を捨てて、代わりに『風マニア』をフレームに収めるため。左フレームがダブルになると見苦しい。
それと、猫には飽きたし・・・
文字が小さいという不満はあるものの、インスタントだから仕方がない。
完璧にはいかない。

どうして不満があるのに、インスタントを使うかといえば、コミュニティだから。
どうしてコミュニティにこだわるのかといえば、神父さんにコミュニティにいることに意義があると諭されたから。

コミュニティにはコミュニティならではのトラブルがある。
セルフ・コントロールを失ったインターネット中毒の人がいて、それをあらしと呼ぶからややこしい。
でも、そういうことに巻き込まれ、気が付けば、「神さまとだけお話せよ」の世界。

神父さんのサイトで、歌を詠んでいるだけなら、ジャンキーも荒れない。誰がリアルだとかバーチャルだとかということではなく、要するに関係性の問題だから。
神さまを隊長にしていれば、大抵のことは治まるようになっているらしい。特に人間関係などのトラブルは。

わたしの連作の間に、聖書の章が書かれているのは、一人で詠んでいると一息つくような瞬間がある。そういう時に、聖書を開く。そしてまた詠み始める。
それを日課として続けていた。
それを繰り返しているうちに、それが神さまからのメッセだと気が付いたのは、それをやり始めて数日後のことだったと思う。
不思議な符合・・・・

短歌には、そういうパワーがある?

わたしにはよくわからない。ただ、音楽や詩、舞踏や絵画を含めて、アートは元々は神事から始まったことは想像に難くない。神事というか・・・ラスコーの壁画などから推測すると、そのままずばり祈りの世界だったのかもしれない。

バリ島は今でもそういう世界。島民のすべてがアーティスト。子どもの頃から、ガムランやダンス、絵画が教えられる。そして、寺院。ケチャは観たことがないけれども、ああなると一種の交霊術のような・・・

それでいて、そういうこととも違うような気がするし、要するに単なる日課。歌を詠んで、聖書を開く。
そうやって一人で過ごす時間が大切らしい・・・
一日一時間とか、一分とか・・・

それがあまりにも長くなりすぎても、日常生活に支障があるのかもしれないけど、今のところ家族からはクレームは発生しない。

これをする前に何をしていたかというと、通販カタログを眺めたり、家の模様替えをしたり、せっせと庭仕事したり、それはそれでごく普通の日常。退屈すれば、習い事でも行ったり、どこかへ電話したり、巨大なジグソーパズルをやり始めたり、ミステリーを読んだり、テレビを観たり・・・
それでも時間が余るので、何か仕事でもしようかとか、院へ戻ろうかとか・・・

わたしはヒマだけど退屈しているわけではない。

子育ての話ばかり、公園でしていても無意味だということにも気が付いた。小学校へ娘が通うようになれば、ますます時間が余る。

↑こういう話、案外、気楽にオフラインでもする人なんです、わたしは。でも、それを世間話の一つとして気軽に話に付き合ってくれるような人は、大抵の場合、忙しい。

ネットは、勝手に記事にしておくと、反応があることもあるし、ないこともあるし、相手があるようでないような世界だから、気楽。

分けているんだろうな・・・自然と。
例えば、家族は家族。友達は友達。災害が発生したり、互いに協力して子どもの安全を確保したり、そういう地域の付き合いは付き合い。ダンナには仕事があり、子どもには学校がある。いざという時になれば、仕事先の付き合いは大切なんでしょうけど、それはわたしの仕事ではない。
それでいて一人の時間。
ネットの人間関係は生きるに必要のない関係。例えば、何かあって子どもを預かってくれるわけではない。でも、そういうほうが気楽じゃないか?

歌人も世の中にはたくさんいるんでしょうけど、上下関係あるし、ややこしいかもしれない。その点、ネットは気楽だ。そのほうが自分が詠んでいて楽しい。あえて、一人で詠む以外なら。

隊長は神さまだけで十分なのです・・・

投稿者 Blue Wind : 03:52 AM | コメント (0) | トラックバック

【トラバ短歌】 明日のこと

明日のこと考えるから人なんだ。少し停まってそろそろ走る。
すこしだけお休みください。災害に頼んでみても地球は回る。
明日のこと考えるから朝の色いくつ変わって遊泳する雲
そうやって考えるんだ人の息。天高くあり今願うても。
新潟でつかれはてては人の息神戸の街は大きな都会

インド洋ティルスの涙で覆いたる一滴の海ひろがるばかり

憐れみを悲しみ色に染めゆけば子ら走りゆく海岸線を
エメラルド輝く海は美しく悲しくもあり怖くも光る
黄金のゆらるる波をくりかえす白い浜辺にゆうぐれる空

投稿者 Blue Wind : 02:38 AM | コメント (0) | トラックバック

January 16, 2005

自己観察と他者

わたくしが不意にミステリー小説の話などを急に書くものだから、メンヘラーまるやむ氏から次のようなご指摘がありました。

鬱→本を手にとる気も無い。
躁→パトリシア・コーンウェルを5分で読んだ気になってしまう。

・おそらくはわたくしの意味不明なメモからの推測だと・・・


◎ わたしのメモ

→躁: ミステリーを読みたくなる。
→鬱: 短歌を詠みたくなる。


このメモの正体は、正確には自分の精神状態を示したものではありません。何と説明したらよいのだろう・・・つまり、鬱や躁は移るものなのです。そうやって移った精神を観察しながら、相手の精神を観察するというワザを、臨床系のトレーニングによって獲得しているために、仮にネットといえども、こうやって不思議な気分をメモしておくわけです。

現実には、躁がトリガーとなって急にミステリーを読み出した、という出来事は現在のところありません。だけど、どういうわけか何の理由も脈絡もなしに不意にミステリーが読みたくなったというのは本当でして、ミステリー小説のブログを読んだとか、本屋さんに行ったとか、そういう背景文脈が何もないにもかかわらず、急に奇妙なことを考えてしまう。

そこで、ピンと来る。
つまり、何者かの電波が飛んできたのだ、と。

今回の場合、具体的には誰とは言えないんですけど、おそらくは躁の人たちのブログをサーフィンしているうちに急にそうなってしまったので、「→躁: ミステリーを読みたくなる。」というメモを書いておいただけ。

何度も繰り返すけど、ネットだと顔が見えないでしょ? 実際には相手がどういう状態なのかは、まったくわかりません。面談しないとわからないそう。
それでも、ちょっとしたことなんですよ・・・自分が振り回されているような気がしたとか、狐につままれた気分がしたとか、闇雲に腹が立ったとか、嫉妬を感じたとか。そういう場合には、大抵、メンヘラーの人たちを相手にしていることが多い。
最初からそうやって書いておいてくれたらいいのだけれど、中にはいろいろな人格を装いやってきたりすると、ますます混乱したり・・・
それが、ワザとではないらしい・・・
だから困る。
中には、複数の端末を使い、複数のプロバイダと契約し、メルアドなんてすぐにつくれるし、サイトだっていくつもつくっていたりすれば、ますます相手を特定することは困難になります。
でもね・・・・そういうことをする人間が案外世の中にはたくさんいそうでいない。それと、どうしてもクセってある。思考のバイアスとか。慣れてくると、いくつハンドル名を変えても何となくピンと来る。
気配というか、人格というか、物事の着想というか、必ず固有のクセがある。

そこで、実際にはそういう人たちが、どういうご病気で、現在どういう状態なのかわからないために、自分を観察するわけです。
急に寂しさを感じたら鬱かもしれないし、急にパトリシア・コーンウェルが読みたくなったら躁とか。
あくまでも、わたし個人のバイアスが入っているために、普遍性はないけど、何となくそのときの独特の気分やムードを記しておくと後で役立つこともあったりして・・・(ないほうがいいけどね)


でも、実際、わたしはミステリーやパズルがこよなく好き。ちょっとこの辺に関しても考えてみたい気もした。なんでっかなー、ってね・・・

投稿者 Blue Wind : 11:29 PM | コメント (0) | トラックバック

ひかりひかれ舞う剣色永き陽のくりかえす陽をひかりひかれと

十年を迎えて今はしづしづと雨降る音と夫の高鼾
過不足に悩める息は小休止ほとほと降れば冬は深まる
房総に空白の息ありたるかほとばしりては海底沈み
五十年数えた月日大地震関西揺らし房総沈む
ながいながい沈黙する沖ひそめたる闇のいぶきにさざめく屏風

新しき年だと謂うか新年を昨日までとは違うと謂うか
ほのほのとゆらぐまたたきすまえては予期せぬことのなにがしと謂う
十年は苦きかたまり新年は迎えるよりもカウントダウン
ひそめてる息のかたまり明日の朝雨はあがるか激しく降るか
倒れては新たな家の建ち並び新たな刃深深と胸

祈りうた詠んでみたいが雨の音重なるような冬の暗がり
めいっぱいくりかえすより気まぐれな弱まる雨が無機質な朝
怒るより感謝すること多かった震災と謂い睨まれている
ちっぽけに感謝してるよ雨音は生きてる空をつたえておりし
ガレージを打ち付けている雨音は隣の家の子守歌なり
ボサノバは声とギターで始まって半世紀経ち「声とギター」に
つながってブルーノートと呼ばれても声とギターに小声のジョアン

詩編 1. 4-5

みことばよ吹けよ吹け吹け風のみち吹き飛ばす音あまりに静か
ゆらぎゆく静かな炎大息で吹き消したとて微かな吐息
リズミカル偶然の雨なりだせばジョアンのサンバあまりに静か
これなんだ、そうこれなんだよとおもうけど、淡淡としてかたき炎を。
潮風に慣れた耳には散らす風ふりまくような音のない音
躁聴けばミステリアスな小説を思い浮かべる必然の文字
鬱聴けば生きるの死ぬの月の裏眺めるような必然の文字
それは来るわざわいの日は突然に。そうなってみて気づく孤独か。
偶然に支配されては無気力にえがくみちすら必然に消ゆ

詩編 39. 14

沈黙は茜のそらに似ていると啼くカラスには時間を尋ね
生まれてはくりかえすこと空の色明日もあるかと問う先もない
カラスなら知っているかと茜いろさす時間には告げまわる声
雨音がどういうふうに鳴るかまで知っているかと問う先もない
沈黙はしずかな腕をひろげてはちらちらと雲吹き流すよう
水底にしずんだ青は光る海みあぐるように空をみあぐる
こちらから見えないのです光るそらむこうの空は何色ですか
水のなかすいすい泳ぐさかなさまわたしのすがたゆがんでますか

マタイによる福音書 10. 34-39

そらからの剣の舞うかみことばを地上の平和祈るひとあり
ひかりひかれ舞う剣色永き陽のくりかえす陽をひかりひかれと
贖いのしずかな光ほのぐらき虹の空にはにあわぬ剣
憐れみを、七色の虹広がれば大地のつるぎ弧をえがき射す

みそらにぞ晴れてうたいし音のごと奏でるようにひびけひびけと

御手ゆだね今生きるひとのしあわせを砂さらさらと落つ波のうへ
雲のうえ静かに昇っていくような大きな虹はきぞの台風

詩編 88. 9-19

暗闇に降りくるような落雷は音なくば青復活す夜

投稿者 Blue Wind : 06:35 AM | コメント (0) | トラックバック

ヨブ記 40. 25-32

  お前はレビヤタンを鉤にかけて引き上げ
  その下を縄で捕らえて
      屈服させることができるか。
  お前はその鼻に綱をつけ
  顎を貫いてくつわをかけることができるか。
  彼がお前に繰り返し憐れみを乞い
  丁重に話したりするだろうか。
  彼がお前と契約を結び
  永久にお前の僕となったりするだろうか。
  お前は彼を小鳥のようにもてあそび
  娘たちのためにつないでおくことができるか。
  お前の仲間は彼を取り引きにかけ
  商人たちに切り売りすることができるか。
  お前はもりで彼の皮を
  やすで頭を傷だらけにすることができるか。
  彼の上に手を置いてみよ。
  戦うなどとは二度と言わぬがよい。

投稿者 Blue Wind : 05:13 AM | コメント (0) | トラックバック

テトスへの手紙 2. 1-5

  しかし、あなたは、健全な教えに適うことを語りなさい。分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように勧めなさい。同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。そうすれば、彼女たちは若い女を諭して、夫を愛し、子どもを愛し、分別があり、貞潔で、家事にいそしみ、善良で、夫に従うようにさせることができます。これは、神の言葉が汚されないためです。

投稿者 Blue Wind : 05:09 AM | コメント (0) | トラックバック

マタイによる福音書 11. 20-24 悔い改めない町を叱る

  それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始めた。「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。また、カファルナウム、お前は、
  天にまで上げられると思っているのか。
  陰府にまで落とされるのだ。
お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

投稿者 Blue Wind : 05:05 AM | コメント (0) | トラックバック

【トラバ返歌】 撃つ

白い線切れることなく冬の陽は透きとおるほど撃ちつけてくる
クラコット チーズを載せて食む吾子は陽だまりのなか母寝る傍も
サスペンスそうやって読む人ありき絵空事にも銃弾の痕

やっと神戸ネタをアップし終わりました。
書いても書いても愚痴ばかりではないぞよ。

投稿者 Blue Wind : 04:03 AM | コメント (0) | トラックバック

せめて、わたしくらい姑さんの味方しないと・・・(って何が?)

神戸の震災が来て、ほかの年取った医者仲間は落ち着くまで大阪とか有馬でのんびりしていたそうです。だってお金あるから・・・
ところが、おじいさん、その時、教育委員長してたんです。
そうなると、いくら自分の家が焼けたからといって、神戸中の学校が避難所になっているわけですから、毎日毎日ファックスが届く。しばらくは義姉のところにいたけど、忙しい。水がないから水汲み、エレベーターも動かない。毎日毎日手続きでおっそろしいほど歩いたり・・・そのうち、癌。
そしたら、お払い箱。(←このセリフは姑さんです)

うちのダンナは、毎日毎日奴隷のようにこきつかわれ、ぼろぼろ。まだ医者になって3年目くらいだった。あれだけ救命救急の果てまでやっていたら、そりゃ悪口言われないです。いや・・・これが東京や神戸みたいに医者の多いところだったらまた事情が違ったと思うんです。ところが、当時は僻地手当てが出ていたし、防衛大からも結構来ていたし・・・茨城ってそういうところ。
サッカーで有名な鹿島でも、自分が死んだら無医村になるからと80歳の女医さんがまだ勉強会へ参加してがんばっている。
うちのダンナは数年前に、運良く結核になったのでいのち救われました。それでも排菌していなかったので、感染はしない。となると、結核でもまだ使おうとする・・・信じられない世界。とりあえず、勤めて初めて大学を出て、家から一番近い病院で仕事しています、今。近頃ようやく体の具合も落ち着いてきたばかり。

人間らしい生活したい。

10年は長い。
でも、あっという間だった。

震災後、家族で一番最初に神戸へ行った時、ポートアイランドからバスに乗り、神戸の街並みを眺めた。高速道路は倒れていたし、皆マスクして歩いていた。芦屋の駅で、いきなり十本の指に高価な指輪をしているおばさんを眺めた時には驚いた。まあ・・・身に着けていれば・・・
電車の景色は、新しい家並み。それでも山は変わらない。
帰り、六甲アイランドから最後の貨物フェリーが空港まで行くというので、それに乗った。
中はがらんどう。階段を上り、乗組員のための休憩室みたいなところへ行く。
そこからデッキ。鉄棒みたいな柵があるだけだった。おそろしい・・・
でも、貨物船は揺れない。
静かに六甲の山並みを眺めていると、震災があったことが嘘のような静けさだった。
海の上から神戸を眺めると、とても綺麗。
海はきらきら光っているし・・・
実際には、埃まみれ、建設ラッシュ。

うちのダンナ、神戸で就職決まっていたのに、6年生で留年して、しばらく神戸へ戻ってくるなと言われていた。それがなかったら、わたしも娘も被災して死んでいたかもしれない。

現実喪失というか、震災の時、テレビの画面で燃えている神戸を眺めていたとき、娘はまだ1歳3ヶ月だった。おおげさではなく、娘を抱っこしながら震えが来た。
テレビを消して、娘を連れてつくばを歩くと、街中に神戸の募金箱。うちにも神戸へ送ってくれといって送金がきていたので郵便局へ。なんか、悲しかった。あまりにも外が平和すぎて。うちは貰う側なんだなって少し思った。
そのうち、見慣れた駅がテレビに映し出され、まるで風景が変わっていた。虚しかった。

結局、古今東西いつの時代も、人も変わるし、街並みも変わるけど、山や海は変わらない。

変わらずに在るものさがし尊べばきらきら光る海と六甲

それでもまだ神戸は山を削るのだろうか・・・
復興か・・・・・
茨城だったら、ありえない、と思う。筑波山を削って霞ヶ浦を埋め立てる、なんて。
そういうささやかなことに癒されている、今。

投稿者 Blue Wind : 03:05 AM | コメント (0) | トラックバック

January 15, 2005

地域と時代と環境と世代

どうして話が急に詩の世界からミステリーに飛んでしまったかと言えば、鬱々と生きるの死ぬの自然災害だのボランティアだの憂鬱になりそうな話を考えるより、一気にミステリーを読んでしまうほうがさっぱりすることもある。

子どもの頃に読んだ小説は、科学的捜査などない時代の話が多いから、大抵、名探偵や名警部が登場し、鮮やかな推理により難事件を解決する。
そこから少し時代が上がると、社会派の作家とかね・・・
コーンウェルにまでなると、犯罪につきものの動機とか心理などというものも科学的な捜査の一部に過ぎない。しかも、未解決事件の多いこと多いこと、ドラマは終わらない。

トリックや推理という要素に加えて、殺人事件が発生すれば、大抵の場合、犯人には動機があるはず。
その昔、松本清張や森村誠一などは、捜査官の地道な捜査が犯人を追い詰め、追い詰められていく犯人の心理やリアクションが次の犯罪につながったり・・・犯人の内面性なども描いていたような気がいたします。

ところが、世の中に猟奇的事件が数多発生するようになると、どうも犯人の動機の追及よりも、どうやって犯人を探し当てるか?みたいな感じ。
この前、森博嗣の小説を読んだんですけど、あそこまでになるとまるで動機が理解できない。自分的にはそれなりに楽しめたんだけど、それをたまたま遊びに来た友人に貸したら、ほとんど読まずに戻って来た。仕事と家事と子育てで、少しでも休みがあれば寝ていたい・・・そうなると、忙しすぎて小説は退屈なのかも。

それにしても、犯罪に動機のある時代はまだマシだった。推理小説でも、何となく読者が納得できる程度の動機は与えられていた。怨恨、金、恋愛のもつれ、欲望。
今は、なんて言うか、児童を狙った犯罪でも動機がイマイチわからないような事件もめずらしくない。そうなると、子どもの送迎にしても神経を尖らす。

さっきテレビでやっていた数値によると、阪神淡路大震災で、レスキュー隊に助けられた人730人程度に対して、近所の人に助けられた人は2万人。しかも、レスキューの人が語るには、そういう救助の情報にしても、近所付き合いがある人ならその家の中に誰がいて、誰が助けられていないかということもわかるけど、隣近所の付き合いのない界隈では、隣に誰がいるのかもわからないからどうにもならない。

そういえば、都会で一人暮らしなどをしていた頃は、それこそ挨拶する程度で隣の人とも顔を合わさない、階が違えば誰が住んでいるのかもわからない。それが普通だった。わたしはまだマシだったかも。
つくばはどうなんだろう。子どもがいるから、近所付き合いもしているし、自治会にも入っている。だから、災害の際の物資の援助などは自治会ごとになされるために、数には入っているのだと思う。だけど、近所の学生用のマンションやアパートとなると、まるきり誰が住んでいるのかもわからない。学生には学生同士のコミュニケーションがあるから、さほど心配はないのかもしれないけど、考えてみれば不思議。
それでいて、つくば市でもちょっと入ると、生まれてから死ぬまでほとんど同じ人たちが暮らす地域が広範囲に広がる。そこが本当に素晴らしいのかどうかまでは実のところわからない。

同じ日本でも、南国は放り出しても死なないらしい。ところが北国は放り出せば死ぬ。

何が言いたいのかというと、仮に5年以内に自分の住む地域に大規模な自然災害が発生したとして、その時に必要なのは数の少ないボランティアやレスキューではなく、隣近所の助け合いなのだと思うのです。でもなぁ・・・裏が一人暮らしの教授の家で隣に学生マンション・・・ってなったらどーなんでしょう。家で静かにネットやっていたり、子どもの相手していたり、たまには本など読んでいるほうが平和ではないでしょうか・・・

投稿者 Blue Wind : 10:51 PM | コメント (0) | トラックバック

船酔いメモ

八木重吉詩集を読みながら、なぜか急に推理小説を思い出す。


■ 好きなミステリー作家


 .▲サ・クリスティ

天才的ストーリーテラー。最後まで飽きさせずそのまま読みきってしまう。特に、ミス・マープルシリーズを初めて読んだときには感動。洞察力という言葉を学ぶ。


◆‥臈珍饂

御手洗潔シリーズが好き。本格ミステリーという言葉を知る。『切リ裂きジャック・百年の孤独』など。大掛かりなトリック。奇抜な発想。猟奇性もありますね。


 パトリシア・コーンウェル

推理小説ともミステリーとも違う。検死官の日常生活をそのままリアルに書いていると思わせるところがすごい。謎解き的要素はないけれども、未解決事件をいくつも抱えながら、科学的捜査、最先端の技術の駆使。


ぁ,修梁

メモ

→躁: ミステリーを読みたくなる。
→鬱: 短歌を詠みたくなる。

船酔い。

コヘレトの言葉まで快復したい。

正月ボケ。

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【今日の短歌】 ゆっくりと地球殺しているような夜更かしという悪しき習慣

・なぜかサイパン、マイクロ・ビーチ

激しくも怒涛の波にあうようなエメラルド色浮ぶ沖合い
紺碧をマイクロビーチにもとめれば熱帯の島たいふうの霧
パラパラと気まぐれな雨落ちてくる生まれたばかり幼き台風
雲の上飛んでしまえば台風もいづこにめぐる地の夢の跡

いろは歌数えるように流れれば逆さにうたう声も混じりぬ
太陽のゆらゆらゆれる波のうえうらうらひかる透かしゆく浜
サンダルをのんびり履いて飛び立てばバンザイ岬寄らずバス降り
悲しみを透かし模様の雲みあぐふわふわとして時間はすすむ

一点に見つむる瞳追いつづく子ら散らすのち店員の笑み
ゆるがない射的のような夜の店鳥撃つ音の鳴り響く棚

マタイによる福音書 11. 20-24 悔い改めない町を叱る

・自転の速まった地球

自転すら速まるような地震とは地球が割れて別れてゆくか
少しずつ地球の霧かわたくしは危ないうえを知らずにあるく
そらのうえ未知なる世界もとむれば遥かな光もはや幾億
そらからは海かがやくか広がるか沈める闇の広がるばかり
ゆっくりと地球殺しているような夜更かしという悪しき習慣
光降る昼間の闇は棚のなか闇訪るる夜は輝き
うらがわの亀裂のうらはいづこかと地球儀をみしメキシコ湾か
うらうらと沸き立つように地球には土のしたにぞパトスの息吹
涙して地球の傷をなぐさむり癒されず海沈みゆく孔

テトスへの手紙 2. 1-5

憎しみの燃え立つ人のありてなお輝きの増す十字架の色
言われてもいいじゃないかと細波は手のなるほうへ呼んで逃げ出す
白砂のあつまりきたる海岸に明日は散るかと堤防築く
荒海の消えゆく奇跡眺めてもモンサンミシェル過去がお好きか

・震災後すぐ

テレビ消し郵便局へゆきたれば何事もなく募金箱あり

ヨブ記 40. 25-32

くりかえし崩されてゆく陸のうえ戦の槍も天にとどかず
人類が破壊せしとも災害の規模深まりし破壊くらべか
海のうえきらきら光る波の色一瞬の傷きらきらと消ゆ

投稿者 Blue Wind : 04:01 AM | コメント (0) | トラックバック

使徒言行録 7. 54-60 ステファノの殉教

  人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりをした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右の座に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

投稿者 Blue Wind : 02:25 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 32. 8-11

  わたしはあなたを目覚めさせ
  行くべき道を教えよう。
  あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
  分別のない馬やらばのようにふるまうな。
  それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。
  そのようなものをあなたに近づけるな。

  神に逆らう者は悩みが多く
  主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
  神に従う人よ、主によって喜び踊れ。
  すべての心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。

投稿者 Blue Wind : 02:19 AM | コメント (0) | トラックバック

ヨエル書 3. 1-5 神の霊の降臨

  その後
  わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
  あなたたちの息子や娘は預言し
  老人は夢を見、若者は幻を見る。
  その日、わたしは
  奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。
  天と地に、しるしを示す。
  それは、血と火と煙の柱である。
  主の日、大いなる恐るべき日が来る前に
  太陽は闇に、月は血に変わる。
  しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。
  主が言われたように
  シオンの山、エルサレムには逃れ場があり
  主が呼ばれる残りの者はそこにいる。

投稿者 Blue Wind : 02:15 AM | コメント (0) | トラックバック

January 14, 2005

ぐるぐるまきの想念

生きる意味おもわぬことを健やかな心と呼びし空とぶ鳥よ

これって大昔に詠んだ歌なんだけど、何となく不意に思い出した。いつかは死ぬことを考えて生きるのは、人間だけらしい。大抵は、生まれたら死んでいくだけ。ところが、他の動物と人間との違いは、言語や歩行といったことだけではなく、死を考えることにあるらしい。

にもかかわらず、島野隆さんのサイトを眺めていたとき、「普通の人は生きる意味とか、死とか、その手のことを考えないで生きている」ということに気が付いたとき、病気から立ち直ったと書いてあった。

この歌を神父さんのコミュニティで詠んだとき、「わたしは神父なんです」というコメントがあったような気がする。十字架への栄光の世界だから仕方がない。

誰かの死に直面したときなどに、そういうことを考えることは健康的かもしれない。つまりは、日頃そういうことを考えないで生きているからだろう。


学生結婚して、学生時代はよかった。ところが、ダンナが働き出し、毎日のように夜中に呼び出されることやひっきりなしにポケベルが鳴ることには驚かなかったけど、働き出して2,3日目に重症で呼び出されて、患者さんが初めて亡くなったとき、わたしは普通の人だったので、案外、驚き、何となく玄関の前に塩を置いておいた。
ところが、それが日課なんだなーと悟ったとたんに、そういうこともしなくなった。なお酷いことに、旅行の計画を立てるときに、わたしには言わないけれども、ダンナがある計算をすることを知っている。つまり、その頃なら大丈夫だろうとか、終わってるだろう、とか。臨終の際に、さすがに主治医がいないことには・・・
大抵は、下のほうに役割が回ってくる。死亡確認。

家に帰ってくると、酒飲んでダウン。それでいてまた呼び出し。都内にいた頃は勝手にタクシーで行ってくれるから楽だった。ところが、茨城は田舎なので、夜中のタクシーは予約制。仕方がないから、生まれたばかりの娘を起こして、わたしが病院まで酔っ払いを乗せて行く。
当直の医者がいるのに、呼び出されるのは臨終か、緊急内視鏡。当時は緊急内視鏡が出来る医者がほかにいなくて、どういうわけか医者になったばかりのうちのダンナが呼び出された。

なんて言うか、娘が赤ちゃんでも家計が赤字でも親が死にそうでも神戸の家が焼けて大変な騒ぎになっていても、仕事は待ってくれない。家に帰ってくると酒。姑さんから電話があっても寝てる・・・しまいにはわたしが電話を取り次がないという邪推があったことを後に知り、とんだ濡れ衣。
うちのダンナいわく、後1時間手当てが遅れていたら死んでいた人が、よく朝ひょこひょこ歩いているのを見ると医者になってよかったと感じるらしい。この話だけなら美談なんだけど、その裏側に、わたしが毎日姑さんからの鬱攻撃にさらされていたことを考えると、わたしは被害者である。
大変なのは神戸だけではない、わが家も大変なんだと説明すればするほど鬱地獄が始まる。義姉に、ダンナはタクシーでも乗ったらいいって言われたときには、むかついた。ここは神戸ではない。しかも、片道6千円の出費。泣く。夜中にタクシーなんて走ってないの、田舎は!
よぉ〜っく考えたら、要するに、親が大変なのに、どうして息子が電話一本かけて来れないの、というお話がややこしくなっただけらしい。
いや・・・震災後、電車が走ったらダンナだけは行った。無理やりお休み取って。でも、戻って来たら仕事。わたしは娘が1歳。

それが延々と続いていた・・・

うちの母がくも膜下出血で倒れるまで、かな。壮絶。

愛に飢えたる者の世界だから、要するに、やさしい電話一本とかそういうことだったんだと思う。が、しかし、親子だからこそややこしいということもあるみたいだから、わたしは逃げる。夫婦って他人だから素晴らしいって思うこともある。


話を元に戻すと、普通は、死に直面して誰かが生きるとか死ぬとかってなったら大変なことだと感じたりすると思うの。ところが、それが日常的に与えられていると、何も感じなくなってしまう。
それでいて娘が病気になったり、マリが死んだりすると、もうダメ・・・
この世の終わりのような気分になってしまう。それくらい違う。

わたしは死にたいと思ったことはないけれども、修道院へ入ろうと思ったことが二度ある。なんだかすべてがどうでもよくなって、すべてを放り出したいような・・・
よくわからないけれども、死にたいとか自殺したとか自己破壊衝動の人たちの記述を眺めると、わたしが修道院へ逃げ込もうと思う気持ちによく似ている気がする。安らかな眠り・・・神のみもとへ。パラダイス。

でも、娘とはお別れできないとか、今の生活を捨てられないとか、わたしにはまだこの世への未練が多々あるらしいので、あきらめる。


それにしても、下手な歌だよね・・・
下手は下手なりに、言いたいことがたくさんありすぎて詠いきれない一首。
屁理屈系の歌。

震災から10年。10年一昔。

投稿者 Blue Wind : 11:33 PM | コメント (0) | トラックバック

【トラバ返歌】 ウォーミング・アップ

たなびけばいつぞ消ゆるか冬の陽につきすすみゆく黄金のみち

一首でも返しておきます。


借金を抜け出すように返歌する週末の夜はまぬけなテレビ
吾を救う悲鳴ゆかしき毒の息ブロガーの交う交差点かな
このみちをゆっくり行けば信号機。点滅してる青が気になり。

夜じゃないとゆっくり歌なんて詠めない。
昼寝してるし・・・昼は。

投稿者 Blue Wind : 09:34 PM | コメント (0) | トラックバック

メンヘル語の解読は難しい

えっ、・・・・って何が「えっ、」なのか読む人にはわからない。でも、「えっ、」って思ってしまう。

メンヘル系のブログをサーフィンしているうちに、「その先生二人の共通点は、目を見て話してくれるということなんです」という記述を発見。ぐわっ、・・・・何が「ぐわっ、」なのか、きっと読んでいる人たちにはわからないと思う。

ネットにメンヘラー・・・つまり、うちのダンナなどがプシコと呼ぶ人たちが多いことは、ネットをやって1年半くらい過ぎたあたりからイヤというほど学んだ。最初からそうやって明記していあるサイトやブログは案外安全だということも学んだ。特にネットは顔が見えないし・・・

ちなみにうちのダンナは内科の医者なので、基本的にプシコに好かれ、プシコが嫌いな人です。どういうわけか好かれやすい医者とまったく寄り付かない医者といるらしく、「この人なら話を聞いてくれる」、「この人ならわかってくれそうだ」と思われるタイプは大変かもしれません。
大抵は、看護婦さんはとてもサバサバしていますから、何とかしてくれるらしいのですが、うちのダンナなんて酷いですからね・・・内科に来る患者の8割はプシコだと思っているらしい。風邪という病名はない、風邪に効く薬はない、など言いながら風邪の季節には風邪の患者は多く、薬は処方されるし・・・わけわからん、彼の言うことも病院というところも。

アメブロではありませんが、某サイトの日記ははちゃめちゃだった。大抵は、どこまでが事実で、どこまでが妄想なのかわからない。それでね、某大学病院の精神科医の悪口が書かれていて、内容ははちゃめちゃだし、どこまで事実かわからないし、でもこれ、ここまで書いていいのかなーって思った。
大したことじゃないんですよ・・・診察中にいきなり医者にカルテを投げつけられたとか。
でもそれをうちのダンナに言ったら、「それくらいやりかねないなー」で終わり。
いや・・・・それ、ほかの科でやったらまずいだろうけど、精神科ならいいわけ?ってちょっと思ったけど、言うのやめた。

こーねー、なんて言ったらよいのでしょう・・・
たまに思うんだけど、医者、ヘンな人多いです。カウンセラー、自分を何とかしてから働け、って思うことが多いです。
要するに、職業的バイアスというのがあって、どこか当たり前の基準が違う。
でも、10年以上の月日が経過して、ダンナの友達なんですけど、彼はやはり病気ではなかったんだな、って思うこともあります。つまらないことなんですよ・・・大事な試験の日の前、どーっしても眠れないからとどこから手に入れたのか知らないけどハルシオンを飲み、お昼まで寝てしまって1年を棒に振ったとか。大体、試験の前に眠れないからといってそんなものを飲むだろうか?それだけで、わたしからすればちょっと狂ってるって思ったんですけど、「えっ、ハルシオン飲んでも眠れないのー?」などという話を聞くと、なんかどこまでがまともなのかわからなくなります。
もっとヘンな人がいて、せっかくお見合いで理想の奥さんに巡り合って結婚。そこまでは幸せな話なんですけど、ちょっと違っていたのは新婚旅行にバイアグラを持っていったらしいんです。その結果、奥さんに野獣と呼ばれて、その奥さんは別れた元彼のところに逃げ込んでしまったそうです。
これも、なんと語っていいのかわからない。日頃、自分が処方する側だとして、実際には飲んだことはないのかもしれないお薬・・・薬のことなら薬学の人たちのほうがずっと詳しいのでしょうけど、それにしてもなんなんだろう・・・この宇宙が反転してしまうような世界の基準は。

大学の頃からを含めると、いささかそういうヘンな世界に10年以上いて、結婚してからもなんか不思議な人たちとの関わりが多い。いささかでも自分のほうがヘンかもしれないと思ったら、環境を変えてしまう。
例えば、学生街。一晩中の明かり。
例えば、つくば。やたらと高学歴社会。そうなると、わたしが普通です。

何が普通か、実はよくわかっていない?

でも、あなたのほうが実はヘンかも。

あれこれ考えると、世の中全般、グレーゾーンで生きている人が普通なのかもしれないと思いつつ、なんかまだ自分のほうがまともだよなーと思いながら、メンヘル系のブログを読んでいるわたしってヘンかも。
ヘンでもね、一つにはダンナにもしものことがあったら働かなくてはならないという実際的な理由もあるから、わたしは救われる。
臨床、昔から嫌い。まるきりシモネタの世界。下品。うざい。
ちょっと普通の神経ではつらいような・・・
でも、世の中にそういう病の人たちがいるからこそ、食べていける可能性が高い。でも、この人ならタダ、あいつは5万と思いながら読んでいたりして・・・
誰かが言っていたけれども、カウンセリングは心の風俗・・・友達はタダとかね。そういうことがわかりたくないけれども、わかってしまうネット。
ノーギャラ、か。

でもさ・・・顔も見たことないのに、いきなり、「アンタの目を見て話せって?」って思ってしまうあたしは、カウンセラーには向かない。
どーやって考えても、今の生活は幸せとしか思えない。よね?

* この記事の意味、どれくらい通じる人がいるのだろう・・・

投稿者 Blue Wind : 12:39 AM | コメント (0) | トラックバック

January 13, 2005

道ゆかば小さな風のひらひらと冬将軍を避けて通りぬ

気が付けば、祝い箸の紙に書いていた3首

ひろいひろい世の果て浮ぶ小島には世のわくらばのふわりただよひ
ひとひとりそれにむかつてすすむならふたり3人ゆくすえ知らず
道ゆかば小さな風のひらひらと冬将軍を避けて通りぬ


Pacem in Terris

わきいづる言の葉の海茫洋と霧間の舟のゆらるるごとく

愚直にぞすすめるみちのあるのなら釈超空のながながき旅
鎮魂歌しにたへて今ボランティアゆくかみそらは茜に染まる

投稿者 Blue Wind : 04:28 PM | コメント (0) | トラックバック

人生まるごとモラトリアム

近頃、モラトリアム人間の本領発揮というか、今度は作歌をさぼってアメブロで遊んでいる。エリクソンの提唱した「モラトリアム」という言葉が今でも生きているのかどうかは知らないけれども、一時期は話題になった。つまりは、「自分は○○である」という社会的自我がきちんと確立される前の猶予期間のこと。

日本人の場合、「私は○○です」という○○の中に言葉を入れてください、と言うと、大抵の人はこうやって考えるらしい。「私はやさしいです」とか、「私は娘です」とか。そして、3つ目くらいまで書き、それから先を悩む人たちが多い。
これに対して、アメリカではすごくはっきりしている。「私は、A教会に所属しています」、「私はバスケットのチームのメンバーです」とか。

自分の場合は、典型的な日本人のパターンで、社会的自我がきちんと確立されていないままに年を取ってしまった。とりあえず、学生時代は学生証があればどこでも通用したために、学生には甘い日本の社会を考えると無責任な年の取り方である。しかも、学生という言葉の響きの中には、モラトリアムそのものが含まれている。

大抵の人たちは、卒業し、就職し、職業が社会的自我に直結するらしい。そして、「らしさ」の中で生きていく。

わたしは、働いたことがないのである・・・そういう意味において。アルバイトならしたことあるよ? が、しかし、アルバイトはアルバイトであり、今でこそフリーターみたいな不思議な用語がまかり通るけれども、学生証がある限りフリーターでもない。

あまりにも長い間学生をやっていると、一番つらかったのが身分証明である。20代の前半のうちは平気。大学生は世の中にたくさんいる。わたしの世代は過渡期で、4年制の大学を卒業すると就職が不利とか縁談に響くという世論が残っていた。そういう時代で何となく大学へ進学し、女子大生ブーム。

時代はバブル、就職先はいくらでもあるし、それでいてわたしは就職したくなかった。卒業期になると今度は縁談とかね・・・結婚しないならと親が見つけてきたのは大使館の仕事。外交官ならいいよ?ところが、その時、父が言ったのは、「語学の勉強のつもりで行って来なさい」。

はあ?

↑この、「はあ?」には、わたしの人生のすべてが含まれている。愚かさも傲慢さも世間知らずも。

こう・・・何と言うか、自分ではまだ何もしたことがないうちに、自分の見積もりが作成されている。自分では何もしていないうちに、勝手に自分の人生が決められるということに対しての反発は相当なものだった。就職しないなら結婚しろとか、結婚しないなら就職しろとか。よく考えたら当たり前のことなんだけど、そのどちらもしたくない・・・

憲法違反すれすれのところで、どうやってこの二者択一をかわすか?

やっぱ、大学院にでも行くしかないでしょ?留学するとか・・・

今は、就職できないから大学院への進学率が増加していると、どこかの新聞に書いてあった。それもどこかおかしな話だと思うんだけど・・・それともまた違う。

いろいろな人たちに誤解されるのは、わたしはとても不幸な出来事に遭遇し、復学への時間が引き延ばされてしまっただけなので、実は世論は同情的なのです。本気で戻ろうと思えば、チャンスはいくらでも・・・なのに、本気になれない。
どうしても働かなければならないとなれば、カウンセラーとかね・・・なっても就職先を探すのが大変らしいのだけど、そういう点ではもしかすると恵まれているかもしれない。でも、働かない。

歌人、か。

あらゆる点において、わたしは中途半端である。でも、自分ではその中途半端さが心地よい。

プロフィール、か。単行本に歌を載せてくれるといってプロフィールを書くでしょ?その時、見知らぬ誰かが、わたしのプロフィールを眺めながらわたしの歌を解析しようとするわけですよ・・・文学ってそういう世界だから。でも、そこからわたしの何がわかるというのだろう?

投稿者 Blue Wind : 01:44 AM | コメント (0) | トラックバック

January 12, 2005

鎮魂歌と釈超空

最後の論文を学会に出し終えたという気の弱いセリフにおののいて、久しぶりに恩師にお手紙を書く。昨年、癌で入院し体調は良いらしいのだけれど、さすがに大学を退官して長いし、その後も趣味で実験しては学会にだけは毎年発表していた。趣味と言っても・・・なんと言うか・・・なんなんでしょう。学会そのものが、何と言うか庭ですからね・・・池の鯉に餌をあげているような感覚なのかもしれませぬ。それが餌をあげられないほど弱っているのか?

人生そのものだからなぁ・・・いわば戦後の日本の混迷の中で、何かを築いてきた人たちにすれば、日本という国そのものが作品なんでしょうし、そういう道具を与えられて育ってきた自分の世代とはパワーが違う、などとたまに思います。

わたしの世代は、逆にどうやって与えられたものを破壊し、その中からさらに自分の世界を構築するか?ということに力点があった気がします。

ひらったく言えば、先生のところに、「こんな論文見つけたよ〜、こんな本を見つけたよ〜♪」って行くわけですよ、何となく。時代はくるくる変わるし、どんどん新しいものが入ってくるし、それこそ学際的な領域にまでなるときりないから。

博物館入りしそうな初代の計算機。あれで半日かかって簡単な統計演算をしていた時代がそう遠い昔でもなく、今はそれこそ手軽に誰でも1タッチ。プログラムですらわざわざ研究室の誰かがコツコツつくっていた時代もさほど昔でもなく、考えてみればそういう時代があったから機械音痴のわたしでもパソコンを触れるような・・・

そんなことを思い出しながら、わたしは当時の延長線上に今を生きているだけのような気がした。


*************

何となく、釈超空を思い出す。

たしか去年、釈超空の没後50年ということで著作権が切れたはず。そこでネットで検索してみたんだけど、歌がない。もっとよく探せばあるのかもしれないけど、ない。

そこで一つ見つけたのが、牧師さんの説教集の中にあった歌。

基督の 真はだかにして血の肌 見つつわらへり。  雪の中より (釈超空)

釈超空こと折口信夫さんと言えば、民俗学や国学で有名だし、彼が晩年キリスト教に傾倒していったという話はまったく知らない。ならば何を知っているのかと言われても、何も知らないことに気が付く。現代歌人のアンソロジーの中にいくつか含まれていたはずだけれど、それすらも今はほかの本に紛れて見当たらない。

手元に資料がないために、牧師・橋爪忠夫さんの説教集から短歌に関する部分を少し引用させていただきます。


『大量の非業の死を遂げた人々の、その死に何の意味があるかを問うていた時に、 私は短歌の研究者・岡野弘彦の言葉を思い出しました。それは、第二次世界大戦の以 前と以後では短歌の世界は一変した。というのは大戦により非業の死を遂げた幾百万 の人々の浮かばれぬ霊が問題となり、彼らの荒ぶる霊をどうしたら鎮めることができ るかという問題を、人々の魂の底にあるものを歌う短歌は、どうしてもテーマにせざ るを得ないからだと述べていました。何のために彼らは死んで行ったのか、これを解 決しなければ、人は安易に復讐に燃えることになるでしょう。その時に何よりも、多 くの人のために自分の命を献げたキリストの十字架が顧みられなくなります。岡野氏 は、その例として歌人・釈超空(民俗学者・折口信夫の別名)をあげ、こう述べてい ます。「戦後の超空が最も心を苦しめて追求したのは、戦による巨万の死者達の魂の 鎮めをどうするかということにあった。戦火に逢って不遇の死をとげた者の霊を、日本の民俗信仰の上では未完成霊として、その鎮めのためにそれぞれの時代の生き残っ た者は苦しんできたのだと考察していた、民俗学者、国学者折口信夫の最大の課題 は、その一点にあった」と。』(牧師・橋爪忠夫さんの説教集より引用)


これもひらったく語れば、鎮魂歌の問題。
今の風潮は、亡くなった多くの人たちの霊を慰めるということよりも、どちらかといえば、募金とか援助とか、生き残った人たちへのこれからが最優先。テレビの画面を眺めていると、家族を失った人たちの悲壮の映像が映し出される。そして、その後、「募金にご協力ください」というテロップ。

もっと酷いと、9.11テロの時には、戦争。
鎮魂歌よりも戦争。

魂の底にあるものを詠うのが短歌?
戦争で失われた巨万の死者達の魂のために、釈超空は詠じていたわけだ・・・

自分の育った時代があまりにも明るくて、もはや短歌が廃れていった理由が何となく理解できた気がする。

いや・・・そうではなくて、例えば、母は沖縄やグアムを怖がっていた。戦争の傷跡を見るのがつらかったのかもしれない。「今はもうそういう時代じゃないよ」と言いながら、わたしは育ってきたような気がする。

シンガポール、タイ、マレーシア、サイパン。
明るくて美しい海。

そして、韓流ブームか。

概念歌が終わったのではなく、今の時代に釈超空を詠える歌人がいないってことなのかも。

いや・・・いるのだろうか? わたしにはわからない。

投稿者 Blue Wind : 03:05 AM | コメント (0) | トラックバック

January 11, 2005

うつそみ

人生における孤独と絶望、か。
鬱。
大抵は、その人個人の問題であって、他人にはどうでもいいような話ばかり。世の中の大多数の人たちはそういうハードルをあっさりクリアし、生活に埋没していく。ある意味、欝は贅沢病とも言われている。

大抵は、生きている実感がわかない、自殺、リスカ、その他諸々。あまりにも幸せすぎて、幸福の絶頂で死んでしまう人たちもいるし・・・そこが不思議でしょ?
これが仮に他人にわかりやすい理由なら、わかりやすい。例えば、中高年の自殺に多いのが、リストラや生活苦が原因での自殺。そういう目に見えてわかりやすい理由なら、不安も理解できる。
ところがそれに混じって、たまに変な自殺がある。家族もいて友達もいて、仕事も順調、他人からみれば実にうらやましい限りの人が突然自殺したりする。これって本人でないからわからないけれども、あまりにも幸せすぎて、不安に勝てなくなってしまったのかもしれない。

↑こういう話、カウンセラーに言うでしょ?そうするとあっさり、「死んでもいいんだよ」となる。

↑こういう話、医者に言うでしょ?すると、「夜中はやめてほしいよ。人手が少ないから」で終わる。

つまり、農薬を飲んだと連れてこられて、胃洗浄やなにやら救命救急でやるわけですよ。そうすると、世の中には死にたくもないのに苦しんでいる人たちがたくさんいるというのに、どうして自ら死にたいと言う人たちのために無意味な時間を割かなければならないのかわからない。大抵は、狂言とも違うんでしょうけど、胃を洗浄したら終わり。中には発見が遅れて間に合わない人もいるけど。

↑こういう話、神父さんに言うでしょ?すると、「神の愛を知る人たちに鬱はない」となる。

要するに、人間にすがりつくからダメなわけで、神さまは見捨てないから。ヨブ記でも読んで、何となく最後の望みを神に託す。そういう人たちは案外明るい。

わたし?

案外、普通の人だから、「あ、まただ」って思うだけ。
大抵は、今日もまた普通の生活が続いていくだけ。毎日夥しい人たちが生まれて死んで、気が付けば地球上には60億人以上の人たちが浮かんでいるらしい。世界のあちこちで不幸な出来事が発生し、この間まで新潟と書かれていたと思ったら今はそれがスマトラに変わっている。

胃洗浄するみたいに精神にも洗浄液があったらいいのに、ってたまに思う。トラウマ?ほいほい、それならこれで・・みたいに。

「死は姉妹」か。
ポルチウンクラはいいぞ。座っただけで、死がある。
無の世界というか、無我の世界というか、不思議な眠り、瞑想が訪れる。それが「死」らしい。そうやって考えると、恐ろしいはずの死が恐怖とは無縁なできごとだということが不思議だ。
ってことは、恐怖や不安を含めて、いろいろな思考や感情も実は肉体が出没スポットということが納得できる。
自分ではそれが精神だと思っているけど、そういう精神は実は肉体の一部であり、本当の精神というか自分はまた別に存在している。だから、本当の自分である精神が破壊されない限り、陽はまた昇る。

今は、月。うつそみ。

投稿者 Blue Wind : 02:26 PM | コメント (0) | トラックバック

広辞苑とPDAの組み合わせ・・・・悩む

こういうことをネタにするからダメなのかもしれないけど、ぼっけーっとしながら勝手に手が動く。スタンゲッツの甘いサウンドがさらなる甘い誘惑。

やっぱ、そーでしょ?
知らないよね??
わたしもネットの友達に教えてもらうまで名前も知らなかった。
いや、正確には、ほとんど同時に『短歌ヴァーサス』の創刊号を買ったから存在を知ったわけで、枡野さんと言われても知らない。
それは単にわたしが短歌にはまったく興味のなかった人間だからそうなのかもしれないと思っていたけれど、ザ・結社の歌人でもそうなのだから、と何となく安心する。

ビジネス系のブログを眺め、出版業界や音楽業界の不況を伝えるニュース。そんなことは大昔からそうなるであろうということはわかっていたはず。わたしの場合は、逆にアンチ・ネット派だったから、それがいきなりどうしてインターネットにはまってしまったのか、いまだに不思議。

大体、昔から知らない人はみんな嫌い。人見知りするわけではないけれども、日頃、家族や友達に甘やかされているために、社交辞令や気を使ったり使われたりすると精神が無駄に消耗する気がして、家で好きなサウンドを聴きながら昼寝したり本を読んでいるほうが好き。

それが何となく右クリックの仕方もソースの見方も知らないうちから、あれにこれにといろいろな人たちにいろいろ教えてもらいながら自然と覚えてきた。短歌もそういうことの一つに位置する。

それでいて、わたしは自分のことをインターネット歌人と思っているけど、携帯歌人だとは思っていない。PDAなら広辞苑を内臓しているのかと何となく思った。つまりは携帯に接続して、簡単に投稿できる。
ところが、ずっと家にいることが多いのに、携帯なんて使わない。いまだにダンナの携帯の番号も覚えていない。もっともうちのダンナの場合は、自分で自分の携帯の番号を覚えていないけど・・・

以前、いきなりネット短歌について教えてくださいとメールが着て驚いた。たぶん彼が知りたかったのは、短歌のブログや携帯電話を使ってラジオ番組への投稿の仕方のことだったのかも。
あっさり語れば、そういうのをわたしに訊いても無意味だと思う。PCはともかく携帯を使ったことないもの、ほとんど・・・ラジオはカーラジオ、テレビもほとんど観ない。雑誌は、カフェか美容院で眺める程度。

携帯があれば、パチパチ写真を写して、それをそのままアップすることもできるのだなぁ・・・などと思いながら、自分のその手のセンスのなさを考えるととてもじゃないけど、無理。いや・・・悪くはないかもしれない、その場で写して詠む。いかにもネット歌人という感じ。しかもPDAを使って広辞苑・・・

そこまでやるか?>あたし・・・

いや・・・・無理だろう。だって、写真嫌いだし・・・観るのは好きだけど、自分で撮るとなるとあまりにも下手でイヤになる。

クレームね、クレーム。商業出版系の人たちがインターネットに進出しても、インターネット歌人ではないわけ。それでいて、わたしよりも前から自分でサイトをコツコツつくって歌人をしてきた人たちも、どういうわけかインターネット歌人ではないらしい。

でも、「しらいし まさこ」は基本的にインターネット歌人。不思議。なんででしょう?

実は、自分でもよくわかっていない。とりあえず結社にも入っているし、そういうことを考えると、ほかの人たちとやっていることは同じなんだけどね。作歌の場が、ずばりそのままネットだからなのかもしれないし、ネットをしていなかったら自分が歌人になるなんてことは永遠になかった気もするし、もしかするとメモを片手に歌を詠むより、PDAの画面を眺めながらのほうがいつでもどこでも歌が出るのかもしれないし、以前、しもだかげき(←漢字忘れた)さんがカセットに録音しながら小説を書いて?いるシーンを観たことがあるけど、どうも自分の場合もそれに近いものがある。
なんか、こう、リアルタイムで、しかもCGIでないと作歌に気が乗らない。

いざ、PDAに進出する?
いや・・・・そうなると主婦根性が。何となく無駄な出費のような・・・
それによく考えたら、題詠マラソンは安いと思っていたけど、今年、年賀状にちょろっと歌を添えたら、案外、好評だった。そうなるとね、自分で選歌して、編集して、イメージ画像を添えて印刷すれば立派な活字。知り合いに送るのならその程度で十分のような・・・(せこい)

要するに、箱をどうやって使うか?ということの一つに作歌がある。歌が先で、それをどうやって発表するか?ということより、道具があってそれをどうやって活用するか?の延長線上にたまたま短歌があった。だからいつまで経っても成長しないのかも・・・

いや・・・・でも、今の時代、わたしのほうが普通じゃない?
って思うのはわたしだけだろうか・・・

投稿者 Blue Wind : 02:42 AM | コメント (0) | トラックバック

January 10, 2005

かんたん☆カウンター&アクセス解析☆設置情報のまとめ

テンポラリーに、風マニア(わたしのブログだろう・・)に『カウンター設置』というテーマを置いておきます。

もしかするとすでに必要ない気がするけど、新規でアメブロにブログをつくって、「どうしてわたしにはカウンターがないのだろう?」とスタッフに問い合わせのメールを書く人もいるかもしれないし・・・

うちのブログの場合、きっちんさんの『Cook New'S@就職活動ホップ編』で情報を拾い、『麻・雀・生・活』を読み、タグに「?dummy=.gif」を挿入すれば、アメブロにもカウンターおよびアクセス解析が表示されるということを知りました。

その後、Natさんから文法的には「&dummy=.gif」が正しいという指摘があり、ちぃさんの『プチ大家族の日常。プロフに6人載せました(謎』はとてもわかりやすく完成度が高い記事。

これでようやく誰でもかんたんにカウンターとアクセス解析を設置できるかもしれません。おためしあれ。

投稿者 Blue Wind : 05:09 PM | コメント (0) | トラックバック

他愛のなさ

これは以前わたしがほかの人たちによくしていた質問。

「どうしてガイアックスにサイトをつくっているの?」

大抵は、アクセスアップのためだとか、コミュニケーションがあったほうがいいから、という答えが戻ってくる。

「なんでアンタがこんなところにいるの?」

つまり、サーバは自前、自分でプログラム書いたりサイトをつくることくらい朝飯前にもかかわらず、どこにでもいるアングラ系の住人。

アメブロユーザー以外の人たちにしてみれば、アクセス解析やカウンターがつけられないというアメブロならではの奇妙な現象に気が付かない。この狭い世界で、ユーザーが何を怒り、何を不満に思い、何に達成感を持っているか、ということはユーザーでなければ理解できない。

----そんなところで何しているの?

遊んでいる。


***************

神父さんの足跡を見つけて、サイトへ。
パクったシスターの写真は、『Pacem in Terris』。おそらくは地上の平和とか地上の平安という意味かもしれない。『Pax in Terra』という言葉と混同している可能性があるけど、イタリアで御ミサに参加して以来、すこぶるアバウト。

もしかすると、神父さんご自身が撮影なさったのかもしれないし、わたしが鬱々するのはそういうことではなく、例えば、友人からの年賀状。正確には喪中の葉書。内容は喪中の葉書なんだけど、画像が新年のご挨拶。そこに英語と日本語で、詩編の56;16が添えられている。でも、わたしの聖書では、詩編の56;17。

訳語を比較しながら、喪中葉書の訳のほうが美しいと思ってしまう。聖書に著作権があるのが気に入らないのなら、英語の聖書を買い、必要なところを自分で訳せばいい。古今和歌集の口語訳みたいに、それを無償でウェブに提供するほうがつまらない歌を詠んでいるよりよほど世のため人のためのような気がしてしまう。

自分にたくさんの時間が残されているのならば、むしろそういうことをやるべきである。ヒマなんだから・・・どうせ。

が、しかし・・・・
問題は、どうしてわたしがそういうことをしなければならないのだろう?ということにある。


年賀状、か。
そりゃ大昔に比べたら数は減ったかもしれないけど、今のほうが実がある。いつまで経っても大昔のニックネームがその世界では生きていて、マイペースな癒し系の人たちばかりが残っている。


****************

----いや・・・だから、どーしてアメブロみたいなところで遊んでいるの?

マリが死んだから。

投稿者 Blue Wind : 02:03 AM | コメント (0) | トラックバック

January 09, 2005

【トラバ返歌】 細胞についての論議

存在はいつも見えないつむぎ糸体内細胞数えてむなし


・ご返歌

死滅する組織細胞増える朝新生細胞揺らぎ出す音(まるやむ氏)


・さらにご返歌

生まれては増えることなき脳内の神経細胞われと死すべし
シナプスをどこへ伸ばすかわがままな樹状突起はしなりゆく枝
細胞が生まれいづると信じてるローションよりも角質減らす


朝からこれくらいのパワーがないと歌詠みは続かないような気がいたします。


赤道は鈴木その子に似合わない夕まぐれまでのあかあかき空
細胞の死す音響く熱帯夜焼かれて皮膚は傷跡のこす
こんがりとトースト色に焼かれてもわれと砂浜対話する皮膚


毒がないとね、解毒剤って要らないのよ。毒は薬。薬は毒。毒薬は要らない。


アンニュイは人の欠片のまぶしさを日影に落とす隠れ貝殻


・またまたご返歌

毒にさえならないものは薬にもなりえないとぞ毒薬飲む我(まるやむ氏)


・そしてご返歌

にんじんがアレルギーなる君のためにんじんくわえたうさぎ描きし

投稿者 Blue Wind : 03:41 PM | コメント (0) | トラックバック

存在はいつも見えないつむぎ糸体内細胞数えてむなし

のんびりと年賀葉書を眺めれば文字の中にぞおなじ顔みし
いつまでも今日までも友変わらぬはノート写した記憶の文字か
細々とつなぐ文字あり年賀状あの人のことわたしの話
一つだけニックネームの生きている昔のわたし友はその中

りんさんは誰のことかと思っても記憶の中に文字は残りぬ
空白に流るる時間いつの日か忘れた頃に甦るかな

にゃおにゃおとお話してる年賀状彼女は知るか風は遥かに
うっすらと霧のむこうにあるような友の話も去った昔か
突然に何があるのかわからないもうわたしにはわからないよと
消息は細々としてつなぎゆき微かななかに生きてる時間
ちっぽけな生簀のなかにいるような外海知らぬさざえのようだ

年賀状のほほんとしてカトリックみことば書いてプロテスタント
年賀状中途半端に歌詠めばどっちつかずののらくらと吾
ちっぽけな生簀のなかにいるような歌詠みいづるつくばねの春

ヨエル書 3. 1-5 神の霊の降臨

アスファルト固めたような道路にも揺れるあらくさ光浴び立つ
ひっそりと大きな愛とちっぽけなひねもすのなか小さな理解
窓抜けて大きくなったマリちゃんが戻ってきたよな不思議な予感
消えいりてしずかに光る億年の微かに細い星の瞬き
あの星は今はないかもしれないと幻のとき届く光に
星からの光は届く地のうえにながむる吾はおびただし時差
あの星の光の年を数えればあの光など幻と思う
存在はいつも見えないつむぎ糸体内細胞数えてむなし

詩編 32. 8-11

そだな・・・・神に逆らう人は悩みが多い。

生きるとは悩み多かり沸沸と泡立つソーダ眺めるようだ
憤りクリームソーダの泡だらけ融けたアイスのベタつくグラス
浮かべれば溢れいづると知っていてアイスを乗せるクリームソーダ
あの人はクリームソーダを飲むように苛立つ鬱を飲み干している

グラスにも水滴のない季節にはかさつくような乾いたグラス
ゆっくりと飲みたくもない珈琲を冷たいままに過ごしゆく冬

苦しみの相乗効果溢れても吸引の数反比例する
泡立ちは喉の孔から溢れ出づ痰の絡んだクリームソーダ
愛うすきからくり箱は吸引のうすっぺらい手の描かれた袋

使徒言行録 7. 54-60 ステファノの殉教

投稿者 Blue Wind : 04:52 AM | コメント (0) | トラックバック

ルカによる福音書 11. 27-28 真の幸い

  イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群集の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」

投稿者 Blue Wind : 03:48 AM | コメント (0) | トラックバック

歴代誌上 29. 10-17

  ダビデは全会衆の前で主をたたえて言った。「わたしたちの父祖イスラエルの神、主よ、あなたは世々とこしえにほめたたえられますように。偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの。まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。主よ、国もあなたのもの。あなたはすべてのものの上に頭として高く立っておられる。富と栄光は御前にあり、あなたは万物を支配しておられる。勢いと力は御力の中にあり、またその御手をもっていかなるものでも大いなる者、力ある者となさることができる。わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します。このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。わたしたちは、わたしたちの先祖が皆そうであったように、あなたの御前では寄留民にすぎず、移住者にすぎません。この地上におけるわたしたちの神、主よ、わたしたちがあなたの聖なる御名のために神殿を築こうとして準備したこの大量のものは、すべて御手によるもの、すべてはあなたのものです。わたしの神よ、わたしはあなたが人の心を調べ、正しいものを喜ばれることを知っています。わたしは正しい心をもってこのすべてのものを寄進いたしました。また今、ここにいるあなたの民が寄進するのを、わたしは喜びながら見ました。

投稿者 Blue Wind : 03:44 AM | コメント (0) | トラックバック

January 08, 2005

アンニュイ

アクセス解析というのは、サイトの管理者にとっては案外重要な代物である。ホスト名、IPアドレス、リンク元URL、検索のキーワードは基本かもしれない。ブラウザやOSの情報については、プロではないから気にしない。
昨日はロボット検索がやって来ており、これによりうちのブログもページ検索に引っかかりやすくなるかも。

が、実際にはその日の気分で書きたいことを書いているだけなので、アメブロ・ユーザーには関係のない話題という気がしなくもない。それに、javascriptが使えないために、肝心のリンク元URLやアクセスページがわからない。検索から飛んできてくれても、検索キーワードがわからなければ意味はない。

どうしてそういうことを気にするのかというと、世の中の一般的なサイトというのは、ほとんどの来訪者が幽霊が当たり前。その中でごく僅かな人たちだけがコメントやBBSなどに足跡を残していってくれるだけ。これでカウンターもなかったら、せっかく一生懸命に記事を書いても、もしかすると誰も読んでくれていないかも・・というアンニュイな気分に陥る。

ああ、まただ。この辺で画像でも貼ろうと思って「画像の追加/削除」をクリックすると勝手にログアウトされていることを知る。すでに慣れたので、その画面から再びログインし、元の画面を消さず、かつコピペしておく。
「決定」をクリックする前にも、必ず記事をコピペしておく。
CGIはつらい。

でも、アメブロ・ユーザーのすごいところは、必ず記事を読んでいるというところかも。それが同じコミュニティであってもガイアックスとは違う。ガイアックスはアクセス数ばかり高くても、実際には素通りしていく来訪者のほうが多い。そうやってログジャンプしながらカキコ友達というか、BBSを通してのコミュニケーションが中心だから、わたしのようにプロフも載せていないと、今では昔からの来訪者がほとんど。

そうやって”常連さん”がいるということにより、ウェブの心理的過疎から救われることも知っている。アクセス解析派にとっては、お気に入りから来訪してくれる”IPアドレス”が常連さんなんだろうし、アクセス解析などに興味のない人は、BBSにカキコがあるとかないとかそういうことが重要になるだけの違いだ。

コミュニティ内にいる良さは、自分でアクセスアップの苦労をしなくてもよいことかも。案外、記事をアップしたりトラバを飛ばすだけで来訪者がある。だから、昨日こわごわカウンターをつけて、もしかするとほとんど来訪者なんてないのかもしれないなーと思っていたら、想像していたよりもページビューが多いので安心した。
この手のサイトなんて、基本的に一日3人くらい常連さんが来訪し、20人くらい通りすがりの来訪者がいれば御の字。だって、短歌のブログですもの、ほほほ。

逆にコミュニティの悪さは、トラブルが多いことかも。もちろんサーバ自体がダウンすることもあるでしょうし、ユーザー同士のトラブルもあるかもしれない。しかも、ブログの管理者の上に、サーバの管理者がいて、そちらから提供されるデータ、例えばランキングやアクセス数を眺めながらブログを管理しなければならない。

なおかつ、以前は使えたという情報もあるスクリプトもいつの間にか使えなくなっている? つまりは、誰かにそうやって行動を制限されているのであり、ある意味、慣れた人たちにとっては不満も多い。

このところ人気blogランキングのほうも、pingの送信が表示されないことが多いし、アメブロのランキングも壊れているし、せめてカウンターくらいないとね・・・どこか風穴がないと鬱憤は溜まる。


■追記

アクセス解析とカウンターとを別々に設置すれば解決するのか?
誰かおしえて。


*アメブロ用の記事。

投稿者 Blue Wind : 09:57 PM | コメント (0) | トラックバック

王様の耳はロバの耳

去年、一番イヤだったこと・・・一番腹が立ったこと・・・かな。

夏。
弟の嫁さんに、うちの姑さんが鬱病になったのはうちが悪いくらいのことを言われたこと。親の世話をしないとか、親を一人にしておくからとか、世間の人たちは勝手に言う。

じゃあ、わたしたちは間違っているのだろうか?
例えば、これが一度でも鬱地獄を味わったことのある人なら、少なくてもそういうことは言わないだろうと思う。

姑さんは、今、一人で優雅に海の見える高層マンションで暮らしている。そこへ移るときも勝手に決めた。そこなら安心して暮らせそうだと本人が言うから。神戸は住み慣れたところだし、今さら遠くへ行きたくない。近所には娘(義姉)が住んでいる。身のまわりのことは数十年も働いているお手伝いさんがしている。
今さら知らない人に世話を頼むのは本人がイヤだろうし、ゆきえさんはうちのダンナが赤ちゃんの頃からいる人だから、話題にも困らない。神戸の震災で実家が焼けて、ダンナの子どもの頃の写真が残っているのは、ゆきえさんのアパートが単なる倒壊だけだったからだ。そういう中から、古い写真を送ってくれた。

ゆきえさん、か。
考えてみたら、こんなに強烈なキャラはいないかもしれない。実際にはわたしは数回会ったことがあるだけなんだけど、強烈な人だからすごく印象が強い。

どこか鳥取の農家の生まれらしい。詳しいことは知らない。例の如く、娘の頃、裕福な農家に嫁ぎ、姑との折り合いが悪く、飛び出して神戸。その後、年下のご主人と恋愛結婚。このゆきえさんのご主人というのも、もともと会社を経営していて裕福な人だったらしい。それが倒産し、なかなかプライドが捨てられず、仕事が続かない。そういう中で、ゆきえさんが女中をしながら生活を支えてきた。それが今日まで続いている。

ある意味、夫婦で壊れているから、貯金がいつも無い。倒壊する前は家賃が1万円くらいのアパートで、主のように暮らしていた。夫婦で働いてかなり生活が楽になったとしても、ぱっぱらぱっぱら使ってしまう。いつも要らない道具に溢れかえり、娘のためなら習い事でも何でもぱっぱらぱっぱら。年金にも入っていない。

姑さんは、逆に昔ながらの長男の嫁で、裕福は裕福なんだろうけど、いつも姑の苦労の愚痴まみれで、何度も実家に戻ったけれども結局一度も迎えに来てもらえず、親にも説得されて神戸へ。いつもしまつ(節約)して、よその人たちみたいにぱっぱらぱっぱらというわけにはいかない。嫁さんとしては完璧だと思う。

要するに、姑さんとゆきえさんは腐れ縁。姑さんにしてみれば、ゆきえさんみたいに苦労するのは怖い。貧乏はイヤ。それでいて、嫁ぎ先を飛び出して好き勝手しているゆきえさんには子育てから家の中のことやら寝たきりの親の世話までしてもらっている。
ゆきえさんにしてみれば、うちの姑さんとは若い頃から何度も喧嘩して辞めてはいるらしいんだけど、結局、ほかで続かず戻ってくる。

二人は正反対の生き方をしているけど、どこか互いに理解しあえるものがあるのだと思う。

わたしがそうやって勝手に思っているだけなのかもしれない。

でも、一生懸命につらい思いを我慢して生きてきて、ある日もう何も心配することもない老後の生活が震災によって狂ってしまった。姑さんが爆発するのも無理はない気がする。そして、義父の死。

もともとが鬱々した人だったような気がするけど、いざ70歳を過ぎて発症して、それがうちの責任のように言われても困る。実際、不幸なのは姑さんだけではない。わたしだってね、自分のやりたいことを辞めて一生懸命に家のことをしていて、いわば家族の犠牲。そうなると、どっちが不幸とばかりに鬱合戦。

まあ、そういう中で、一番怖かったのが、娘。誰だって家族がいがみ合っている中で子どもを育てたくないと思うよ。ダンナは怒っていたけど、わたしは姑さんを捨てた。本音は自分を救いたかったのかもしれない。

生活は遠く、娘は神戸を知らずに育つ。赤ちゃんの頃とおじいさんのお葬式の時に行っただけ。その間に姑さんが何度か来て、毎年おちびの服やらおもちゃやら送ってくる。平和。

むずかしいな・・・
わたしのすることを観察していると、たしかにメンヘル系の人たちとよく似ている。それでいてわたしは発症していないらしい。実際にはあっけらかんと明るい。

鬱捨て場、か。

短歌もネットも大嫌いだったけど、王様の耳はロバの耳。
箱は、わたしの話を何となく理解してくれるような気がする。

投稿者 Blue Wind : 03:22 AM | コメント (0) | トラックバック

狭きわが世界

アメブロで、デザインスキンが追加されたというので、またパチパチとブログを模様替えして遊ぶ。自分でデザインを決めたブログは全然いじらないくせに、1クリックで替えられるとなると気楽。

すると、サーバが混み合っているというので、途中でストップ。
怖かった〜。
『ニュースの天才』のスキンでストップしてしまった。

日頃、ニュースなんて信じないわ、などと思っている自分でも、あえてニュースを捏造していくジャーナリストがいるなんて想像するだけで怖い。テキストが書き手が期待した通りに伝わるなんてことはありえないし、断定を避けた書き方、言い方をしなければ議論は負けてしまうとばかりに、婉曲な表現を用いるようにしている自分としても、メディアは怖いと思ってしまう。

報道というのは基本的に一方通行だし、それが事実であるかどうか確認できないようなニュースほど好奇心が煽られる。しかも、それが伝達されていくうちに自然に歪む。それが人間。情報伝達。

個人間なら、それが嘘とか誤解で許されることでも、ジャーナリズムとなったら許されるわけもなく、それでいて文字に躍らされる。

その中間にあるのが、インターネット・ジャーナリズムかも。つまり、メディアとしてのネット。以前、ニュース・サイトの管理人がぼやいていたけれども、勝手に記事を引っ張ってきてよいのかどうかとかね・・・そういう時代もあったわけで、ハイパーリンクというのは実に簡単にネタをパクれるわけで、新聞社のサイトの記事をハイパーリンクで自分のサイトのネタにしてしまえる。

一生懸命にどこかの記者が記事を書く。それを簡単に自分のサイトのネタにする。しかも、あっちからもこっちからも引っ張ってこれる。

一番怖かったのは、当の本人から過去ログの削除依頼がBBSに書き込まれているのを見たとき。最初、冗談だと思った。でも、そうではなく、ニュースは実名が書かれるため、ニュースの記事は一定期間が過ぎるとサイバーから削除される。ところが、そのネタをアップしている個人のニュース・サイトの場合、それが過去ログとして保存されているために、いつまでも検索するとそのニュースが引っかかるらしい。
他人からすればすぐに忘れてしまうようなことでも、当の本人にしてみれば、上司がたまたま検索をしてその記事を発見してしまい、それが理由でせっかく見つけた仕事を解雇されてしまったので、すぐにログをサイバーから削除してほしいという内容だった。インターネットにおけるわいせつがらみの事件で、実際には書類送検で終わったらしい。だから、前科とも違うんでしょうけど・・・

そんなことを考えると、短歌は気楽だ。

投稿者 Blue Wind : 01:02 AM | コメント (0) | トラックバック

January 07, 2005

ますますアメブロ化

う〜れし〜な、う〜れし〜なー。
アクセス解析つきのカウンターの設置に成功。

情報元は、『Cook New'S@就職活動ホップ編』です。

この記事を読んで、素直に技林/アクセス解析CGIへ飛び、dopvSTAR*を落としました。

ところが、dopvSTAR*の場合、ECUコードに対応したエディタが必要だというので悩みました。実際には必要なかったのですが、必要なソフトを落とすためにdopvFAQへ。

今回は、MKEditorをダウンロード。

わたしの使っているサーバ(ロリポップ)とバーミッションの数字が違うじゃないかと思いながら、てきとーにやってみたら、案外、素直に動いてくれました。(ちなみにロリポップの場合は、705→755、606→666、604→644にそれぞれ置き換えたら成功。)

ところが、それをアメブロに置こうとしたら、やはりそのままHTMLが表示されてしまいます。そこで初めて、『麻・雀・生・活』に書いてある意味が理解できました。

これも素直にタグに「?dummy=.gif」を挿入したら、一気にアメブロにカウンターの設置ができました。裏ワザか? すごいです。どうしてそうなるのかを理解するより、そのまま実行する、これに限ります。

今回の反省点は、もしかするとこのやり方ならわざわざ新しいCGIを落とさなくても旧いやつをそのまま使えたのではないかと。いや、きっとダメだろう。javascriptを使っていないことが条件みたいだから。

とにかくやってみないとわからないことだらけなのです・・・
でも、成功したらうれしい。こうやってちんぷんかんぷんのままわたしのネット・ライフは続いていく。

投稿者 Blue Wind : 02:43 PM | コメント (0) | トラックバック

【トラバ返歌】 ちょっとホラーかな・・・

胃に管の注がれている液体の奈落の底へ落ちてゆく、今。

膝を曲げ脚の形がダンシング寝ている母のSKDみし

*SKD: 松竹歌劇団だったかな・・・大昔、浅草にあったそうです。


インド系かバングラディシュ系かわからないけれども、何となく影響されていますね。どの歌に返歌しているの知られたくない。

こういう時には、チャリティ・バナーをクリックか?

投稿者 Blue Wind : 11:48 AM | コメント (0) | トラックバック

文字が小さすぎるの

世の中が・・というか、おそらくはアメブロ・ユーザーだけだろうけど、ランキングの不表示についての不満の嵐の中、とりあえず1ヶ月更新をさぼってもランキングは据え置きなんだな〜などと思っているわたしは、マイペース。

最初から、オートマティックとは思ってなかったし・・・
ほかのジャンルならともかく、「本・書評」の場合、どーしてもまじめに書評を書いているブログの順位が優先されることにも気が付いていたし、そもそも商売なんてそんなもの。

「20375」ミステリーについては、どこかのブログに、最初の2ヶ月は下駄を履かせてくれるという記事があったので、おそらくは3ヶ月を過ぎてまったく更新の意志のないブログなどを下位に捨てて新規を優先させるために、一番最初に表示されるランキングの数字なんだと勝手に推測している。
だって、ブログをつくった翌日には少なくとも最下位ではなかったし、そちらのほうが不思議だった。アクセス数もいい加減で、ランキングにはあまり関係ないという噂も飛び交っていたし、これなら自分でアクセス解析をつけられるようにしてくれたほうが親切。

もしかすると、ランキングそのものも廃止されるかもしれないし・・・

わたしは、すでにサーバというものを信じていないので、アメブロにブログをつくっても自分で借りている有料サーバでアップしているブログをやめるつもりはない。ローカルへ落としておかないと・・・

それくらいタダ・サーバには苦労させられた。ある日突然サイトが見えなくなったり、URLが変更になったり、酷いとサーバごと全廃とかね。自分でつくっているサイトですら、リンクの張替えほどかったるいものはないし、リンク先へいちいちURLの変更のお知らせをするのもめんどーだし、CGIを利用しているところは、それこそページ保存しておいてもそれをさらに自分で編集するとなると大変な苦労。

それと、年末年始とゴールデンウィークはどうしてもヒマな人間に攻撃されやすいし、うちのサイトなんてタグもろくすぽ知らないうちから、ジャンキーには襲撃されていた。パスワード盗まれたり・・・そのうちアメブロでもやられるかもしれない。

なんでっかなーと思ったら、要するに、単なる愉快犯。

皆で大騒ぎするのが楽しいのかもしれないし、そういうのを眺めているだけで楽しいらしい。


もっと面白いのが、スタッフブログ。

トラバをずっと読んでいき、不満たらたらを眺め終わったとたん、「あなたもアメーバブログでブログをつくりませんか?」

ひとりで結構ウケテしまった。


そだそだ・・・・本題だ。

新しいデザインにしようと思ったけど、やめた。なんであんなに文字が小さいわけ?

いや・・・以前、ガイアックスで文字が大きすぎると思っていたら、今はバリア・フリーだから文字は大きい方がいいって、ある主婦のユーザーに言われた。自分的にはスクロールが長くなると、どうしても重くなるし、そういう意味では文字は小さい方がよいのだけれど、たとえば短歌の来訪者って若い人たちよりそれなりの方たちのほうが多い可能性が高い。

ということは、今でもきっと小さすぎると思う。
だからといって、いちいちタグを使うというのもめんどー。

1クリックで文字を拡大できるようなタグつくってよ、せめて・・・

ちなみに、今、パソコンで文字の大きさを最大にしているのだけれど、記事の文字の大きさは変化しないような気がする。


*アメブロのスタッフ・ブログへのトラバ。

投稿者 Blue Wind : 03:30 AM | コメント (0) | トラックバック

January 06, 2005

【トラバ返歌】 金子まるやむへ

土手あるきゆるり散歩の遠景色角度ちがえてすれちがう窓
止まらずにうつうつといづ淡き血のわれの涙はまたぐらにあり
すききらいわけわからずにいづるとき独りのわたしくりかえす波
不可思議に夢の中でも覚えてる顔なき人の話し声かな
母のためゆくことわすれ年を越すドキリと和歌は罪悪を呼ぶ
こんなことしている場合?みあげれば時計の針はやさしげにあり

ゴトゴトとくぐもる音のくりかえし軋む音さえさらばララバイ
散乱を秩序と言われ不可思議に整理されたる脳裏のメニュー
「変な人」と思われるから病には嫌われて今ボサノバを聴く
柵の外ひらひら布の並びたるウブドの崖のレストラン居る
陽炎はむかしのわたし映してはスカートの丈微妙にかわる
ドクダミと知らずながむる白い花愛でてうれしき抜いて哀しき


まるやむさまのどの歌にご返歌したか・・・は、金子まるやむのゲストブック参照といったところでしょうか。


◇追加
うつくしき波の色さえながむれば太陽を呑む水平線あり
ぽっかりと陽の透かしゆく水の色まばゆいほどに輝きぬ魚
珊瑚礁越えてしまえば月さえも沈む水底深き地球よ

投稿者 Blue Wind : 11:02 AM | コメント (0) | トラックバック

落ち葉さえいづこへ去るか冬の樹のふたつ凍える紅ざくろ落つ

透かしゆく文字ほど遠くみことばは落としゆく葉を吹き飛ばす風
山よりも大きな雲が並んでは前ゆくクルマ急に近づく
山よりも小さな雲をながめては大きさというまぼろしを知る
冬休み塾の入り口ふたり連れ私服姿の高校生みし
高校生背景にして吾子走るこうして吾の知らない世界
少しずつおとなになって知らぬ吾子育ちゆくかと7℃下がりし
昨日まで小春日和は雪化粧落として今日はすみわたる空
落ち葉さえいづこへ去るか冬の樹のふたつ凍える紅ざくろ落つ

冷蔵庫膝で蹴飛ばし滑りゆく音は軽やか手には珈琲
ボサノバは季節外れと悩んでも地球の裏は今が夏色
『三月の雨』ってどこかまとはずれ秋風の吹く季節をえがく
おゝ地球、今はどうでも裏表青青と空白白と雲

歴代誌上 29. 10-17

与えられ打ち砕かれて浮ぶ舟いづこへゆくかわくらばに海
雲の影ゆっくりすすむ砂浜の熱き陽射しも今はなき冬
ボサノバを冬のつくばで聴いてるとジョアンは知るか、知るはずもなく。
裏側はどっちのことと考える。もしかして今、逆さのわたし。
クリスマス終わって新葉いづる窓ポインセチアが光求めて
青臭い尾崎豊は17歳。変わらないまま男の声だ。
七色の虹だと思え子育てはくるくる変わり朝を迎える。
オトくんを誰が言ったか青年とあいつは今も1歳の犬

ルカによる福音書 11. 27-28 真の幸い

うつろわばいつかは枯れ木めぐりゆく季節は落ち葉すがた消えゆく

◇ご返歌

あけゆけば
真白き雪の
テオーリア
愛でて忘るる
通りゆく風

(新年のご挨拶)

投稿者 Blue Wind : 02:24 AM | コメント (0) | トラックバック

ダニエル書 5. 17

  ダニエルは王に答えた。「贈り物など不要でございます。報酬はだれか他の者にお与えください。しかし、王様のために文字を読み、解釈をいたしましょう。

投稿者 Blue Wind : 01:42 AM | コメント (0) | トラックバック

箴言 17. 14

  いさかいの始めは水の漏り始め。
  裁判沙汰にならないうちにやめておくがよい。

投稿者 Blue Wind : 01:39 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 51. 12-14

  神よ、わたしの内に清い心を創造し
  新しく確かな霊を授けてください。
  御前からわたしを退けず
  あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
  御救いの喜びを再びわたしに味わわせ
  自由の霊によって支えてください。

投稿者 Blue Wind : 01:38 AM | コメント (0) | トラックバック

January 05, 2005

気の長い話

image162.jpg

新年早々、神父さんのサイトから画像をパクってくる。めったにないことだけど、『Holy Spirit』と、このシスターの画像は特別。どうして特別なのかはわからない。

おそらくは、わたしをわたしだけにしてくれるパワーがあるのかもしれない。世の中にはたくさんの人たちが生きている。旧約聖書の中に、言葉が分かれたのは人間が悪いことをしないためだと書いてある。言葉が一つだと、どうして人間が悪いことをするのかいまだに理解できないけれども、言の葉が分かれ、いろいろな人たちが互いに理解できなくなることにより、巨悪が育ちにくくなるのかもしれない。

そうだなぁ・・・例えば、一つの宗教が絶対的な権限を持っていたとしたらどうだろう? 歴史的にもそういうことは多々あるわけで、それを利用し、巨悪が発生する。人々は言いたいことも言えず、服従を求められ、神を畏れるあまり・・いや、実際にはある種の人間の絶対的権力を恐れるあまり、巨悪へ走る。

何が悪かと言えば、神を畏れるのではなくある種の人たちを恐れるということが、神にとっては壮大な悪らしい。常に神は人間を超越した存在として存在している。だから、世俗を離れ、神にたちかえる瞬間は人間を自由にする。

そうやって考えると、地球上にさまざまな宗教が存在していることはあながち悪いことでもないと勝手に思っているわたしとしては、実は姿かたちや目に見えて分類できるもの、つまり露出しているものはどうでもいいと思っている。

それでいて、逆に考えれば、自分が無条件に吸引されるものには素直でありたいとも思っている。


******************

今、わたしは歌集の出版について考えている。

どうせ出すなら、「いのちのことば」社がいい。昨日までそういう出版社があることすら知らなかった。

大手や自費出版を専門に手がけているような出版社ではなく、あるいは歌集を多く手がけている出版社でもなく、キリスト教の出版物を専門に扱っているところ。

まだ何も決まっていない。

それどころか、彼女はこれから大手の書店をまわり、歌集を扱っているコーナーを歩き、しばらくするうちにわたしなどより歌集については実に詳しくなるだろう。実際に歌集を手に取り、紙質、タラントなどを眺め、どこが良心的な出版社であるとか、こだわりのある出版社であるとか、プロの目で観察をする。

わたしね・・・そういう人が好きなんです。

正直、自社よりも他社のほうが良いものがつくれそうだとなったら、そちらを勧めてくるだろう。

ある意味、自費出版というのは商売ではないし、担当の人はともかく彼女にとっては自分の仕事ではない。こちらものんき。どうしても今日明日に出版しなければならないという代物ではなく、実際に完成するのは10年後かもしれない。それまで自分が生きているという保証は何もない。

わたしが死んだ後に、娘がぽつりぽつり選歌して、絵を描いて出版するかもしれない。あまりにも気の長い話で、とても現実的な話とは思えないけれども、言葉とは一度発してしまったら独り歩きするものであり、何となく、わたしも神父さんのサイトから一枚の画像をパクってきた。

誰が写した写真かもわからない。誰をどこで写した写真かもわからない。いろいろあって、わたしは今、「しらいし まさこ」であるけれども、これは実名であって実名とも言えず、元をただせば結婚して与えられた名前である。死んだらまた違う名前を与えられる可能性もあるし、筆名をつければそちらがわたしの名前になるのかもしれない。

そうやって考えたら、わたしはわたし、だ。
そうやって考えたら、出版物というのは墓場のような気がしてきてしまう。
どうせ墓なら、「いのちのことば」。

さてさて・・・
まだ1万首以上のノルマを抱えている。
わたしは歌人だから、自分の仕事をしなければならない。

投稿者 Blue Wind : 12:39 PM | コメント (0) | トラックバック

危険な電話

頼むよ、郵便局・・・
近頃、気のせいかもしれないけど、年賀状の配達が遅い。神戸から電話があり、姑さんがウルウルしている。一体どうしたのかと思ったら、年賀状が届かないから、わが家がスマトラ島沖の地震の被害に遭い、今ごろプーケットにでも遺体で転がっていると思ってしまったらしい。

これね・・・普通の人に言うと、「はあ?」って思うと思う。「年末年始に電話していないの?」とかね・・・

姑さんは鬱病だから、なるべくこちらからは電話しない。いきなり夜中に電話するとパニック発作が起こったりするらしい。そうなると、電話口で息が苦しくなり、ハアハア、ゼイゼイが始まる。これで死にはしないだろうけど、死にそうに苦しいというので、普段でも電話ではなくファックスを使うようにしている。そうすると、状態がよければ向こうから電話がある。

鬱病って言うと大変だと思うかもしれないけど、われわれは彼女が鬱病と診断されてホッとした。一番ホッとしたのは姑さんらしいけど。それまでが大変だった。それこそ胃が痛い、骨粗しょう症かもしれない、歯の手術、毎日どこか悪いと言っては入退院を繰り返す。あげく、医者と喧嘩したらしく、病院を替わったり・・・だって、どこも悪くないのに悪くないって言うと怒り出すわけだから、これでは医者もたまったもんじゃない。それで仕方なく数年前にこちらの病院へ入院し、軽い鬱病の診断。
病名がついたら安心したらしく、そそくさと神戸へ戻って行った。

その後、本当にパニック発作が始まったらしく、ますます安心した。診断がしっかりしていると、本人が自覚する。すると、あちこち痛い痛いが始まっても、騒ぐ前に、本人が、「待てよ? これは単なる鬱のせいかもしれない」という具合に冷静になるから、放っておく。そこまでになると、あらゆる用事や誘いを、「わたしは病気だから・・」と断り、外出するにしてもこの辺で発作が出るかもしれないとばかりに薬を持ち歩く。

近頃は、かなり快調だから、以前から仲良くしていた人と暖かくなったら一緒にエステへ通ったり、水泳へ通ったりしようかな・・と言い出している。

姑さんから電話がかかってきて、ダンナを起こそうと思ったけど、娘に代わったらさっさと電話を切ったらしい。眠いところを起こされて、「プーケットで遺体になっている」と大真面目に心配されたら、それだけで息子の機嫌がどつぼに悪くなることを知っているからだ。

その次に、お酒をやめろ、たばこをやめろ、が始まる。もう何十年も同じ話の繰り返しだから、これは病気とは関係ないんだと思うけど、言っているほうは案外本気で大真面目でクソマジメに心配するために、次第に不安のツボを刺激し、ダンナの機嫌がどつぼに悪くなる。
鬱病になったおかげで、逆にそういう説教めいたことは減った気がする。でも、一度始まると止まらない。

わたし?

もう慣れた・・・

その昔、姑さんが鬱病になる前のほうがつらかった。それこそ義父が亡くなってからは毎日嫌がらせの電話がかかってきて、それだけでストレスでわたしのほうが代謝異常などの病気に倒れてしまった。

そうなると病気になった者勝ちで、逆に心配してくれるから不思議だ。これは背骨に良いとか、足ツボマッサージとか、婦人科の病気だけは他人にはわからないつらさだとか、親身になって心配してくれる。自分がいろいろ言うと嫁が倒れるから、などと反省している。でもその次に、自分の嫁さん時代の苦労話が続くために、なるべくなら避けたい話題。

やがて、わたしが病気になったせいか、毎日かかってきた電話がパタッとかかって来なくなった。

冷たいようだけど、わたしにはわたしの親がいるとばかりに、本当にうちの母親が倒れたら、なおのこと静かになった。

ダンナが結核になった時には、ヘンに元気だった。栄養つけて、神戸から肉送って、とばかりにはりきっていた。

ダンナの従兄がまだ若いのに癌で死んだ。そうすると、そこの嫁さんの愚痴を毎日電話で聞いて、あーでもないこーでもないとますますはりきっていた。

今・・・・・どうしているだろう・・・・・・?

たぶん・・・・・・ウルウルしながらセロトニンが増加して、安らかに眠っているかもしれない。なんで、うちがスマトラで遺体になっていないとダメなのかわからないけど、本人にしてみれば、本気で心配していたのだろう。

ウルウルウルウル・・・・安堵の寝息。鼾かいて口開けて寝ている。賭けてもいいね。

一番危険なのは、こういう時に電話すること。

投稿者 Blue Wind : 12:41 AM | コメント (0) | トラックバック

January 04, 2005

浜千鳥

浜千鳥きゅうきゅう鳴いてくれるかと愛もとむれど渇望の喉
せつなさは忘れた頃に浮ぶ月冴え冴えとしてうつろえば冬
無邪気なら無邪気な声で呼んでくれ素直なわれにこころありなば

まるやむさまへのご返歌です。

本当は予感していた「浜千鳥」汝(なれ)こそは吾(あ)の愛し鳥の子(まるやむさま)

古い童謡、「浜千鳥」を検索し、深いな〜と思いました。

☆浜千鳥(歌詞)
http://www.page.sannet.ne.jp/mmoriwa/P1-a1.htm

生き別れになった子が自分を求めていると思うと、つらい。
うちの隣の奥さんは、生後2ヶ月から保育所に子どもを預けていたんですけど、それでも生き別れのようなつらさだったそうです。
何とかならないのか、日本。

投稿者 Blue Wind : 07:04 PM | コメント (0) | トラックバック

January 03, 2005

ノン・フィクション

短歌の基本は写実。論文は記述。エッセイというのも実は評論のことであり、短歌のエッセイはどこか堅苦しい。書き方としてはいろいろあるのかもしれないけれども、わたしは基本的にはこのベースを崩していない。

歌人の加藤治郎さんの『歌人日記』を初めて読んだ時、事実の羅列だけということに驚く。今日は誰某さんと会い、何を食べたとか、子どもの運動会へ行ったとか、余分な内容がほとんど含まれない。その時に何を感じ、どんな感想を抱いたということも補足的に存在しているだけ。しかも、しっかり固有名詞を書いている。

おそらくはそういうデータベースが短歌として作品に仕上げられていくだけなのだろう。

小説とはまさにそこが違う。
どこかの記事に、大嘘つきなら小説を書けというフレーズがあった。単なる空想や妄想の世界の住人なら、それも楽しいかもしれない。ところが、わたしは意外にリアリストであり、歌人である。だから、わたしの日記も基本が写実。実際にあった出来事を書いているだけ。ただし、固有名詞は極力書かないようにしている。理由は実話だから。

これが小説なら、事細かく描写するために架空の固有名詞をつくり、実際の人たちに迷惑をかけないために脚色が入る。でも、わたしは歌人なので、そういう発想が欠如している。

例えば、片岡義男さんのブログを眺めて歌を詠む。

ひとつひとつぽつりぽつり声がする。片岡義男眺めてる朝。

これは短歌としてはつまらないかもしれないけど、要するに写実。朝起きて、家族の声がぽつりぽつり聴こえてくる。わたしはパソコンの画面で、片岡義男の朝をテーマにした詩を眺めている。そこで、わたしの朝を詠む。

遠まわり記憶の声は朝のうた告げゆく小鳥名もなき君等

群青はいづこにあると空見ればまばゆさだけが悲しい朝陽

すべて写実。
小鳥の声が聴こえてきたよ、朝陽がまぶしいよ、と詠っている。
これが短歌。
その後に、マリの歌・・・
すべて写実。

『ギャップ』という記事を書いたけど、わたしは基本が歌人なので嘘は書いていない。「トラックバックをしてくれたら読みます」と書いてあったので、トラックバックの練習に送った。その後、どうもリアクションがあるようだというのは、わたしの観察に基づくものであり、いわば考察に近い。それが事実だとは書いていない。

ネットを始めて、どうしても話の合わない人たちがいる。何となくちぐはぐしてしまう。プロフを書いても嘘だと大騒ぎしたり・・・

こういう瞬間、短歌はいいなぁ・・・と、しみじみ感じてしまう。つまり、嘘がないから。作歌の基本は写実。つまりはノン・フィクション。フィクションは値打ちがないらしい。

詩はどうなのかな・・・
詩と短歌の違い、か。
わたしには難しすぎてよくわからない。

投稿者 Blue Wind : 01:34 PM | コメント (0) | トラックバック

ギャップ

もー、ダメ。この前から素樹文生のブログが気になってしまう。
作家のブログだから、いわば冷やかし的にネタにしている。アメブロに新しいブログをつくって、1クリックでつくれるし削除できるし、最初に来訪したら「トラバを飛ばせば読む」と書いてあったから、飛ばした。もちろん、素樹さんのところだけではなく、あちこちに飛ばしているし、片岡さんはなかなか更新しないなーと気楽なノリ。

ところがね・・・あの人、リアクションがある人なのです。たぶん。

そうなると、こちらもあー言えばこー言う世界が長かったから反論しないではいられない。

その中でグサっと来たのが、ヤクザという台詞。これね、一般社会の人からは言われたことないです。でも、飲み屋さんとか自由業とか、その手の人たちからは大抵からかわれた。こんな上品な人をつかまえて、よくも、まあ、って思うのだけれども、父親がレジャー産業などと言うと裏社会を知る人たちはそのように発想するらしい。

そうやって言われると、父はヤクザではなかったけれども、年中、利権がらみでヤクザには脅迫されていたような記憶がある。そういう魔の手が伸びて、父はいつもわたしのことを心配していた。
母も仕事をしていたので、わたしは叔母の家の近所の片田舎でお手伝いさんのつくった食事を食べて棲息していた。ローカルというのは平和。
そのうち大学へ通学するようになるとさすがに遠いので一人暮らしをする。バブルの時代で3つくらいマンションを変わったかもしれない。しかも、住所は名簿にも記載せず、せいぜい親しい友人にしか教えない。
一度なんて、本当に目だし帽の男にマンションの入り口まで追いかけられたことがあり、あの時は心の底から怖かった。以前、ネタにしたことがあるかもしれないけど、不意に「走れ」という声が聞こえた気がして、信号を渡って走り出したから誘拐を免れた。

そういう人間不信の自分を支えてくれたのが、シスターだったのかもしれないし、一度学内へ入ってしまえば、わたしは普通の学生だった。その世界ではわたしのように人間不信に喘ぐ人たちが微笑みながら棲息していた。それでいて精神的にはタイト。ある種の重圧の中、自分を押し殺しながら生きていたような気もする。

貧乏でもいいから学者とかね・・・そういうほうが気楽だと思った。父の職業柄、それこそ政治家、財界、タレント、普通の人たちまでとにかく派手な世界に生きていたような気もする。これって親だけではなく、学内でも世間は狭いから気が付けば親同士が知り合いということもめずらしくなく、そうなるとなかなか友達にも本音で話せないこともある。

当時のことを考えると、今はとても自由。

・・・・・・・ところが、ネット。

これには参った。精神系の患者がウヨウヨしている。そして、何故か偽のわたしが出没。

まさか、って最初は信じられなかった。
しかも、わたしも同類に思われるらしい・・・
いや・・・わたしは本当にわたしなんですと言っても信じないらしい・・・
そこがリアルとは違う。

でも、リアル・モードというのかな・・・まともな人たちは、わたしが嘘をついているとは思わないことにも気が付いた。つまりは、そういう発想がないから。

たしかに、わたしのプロフィールをまともに書いたら、ヘンな人と思われても仕方がないけど、嘘ではない。友人の間では話題になった村上春樹の話。わたしはまだ彼がメジャーになる前、ダンナと一緒に遊びに行っている店でビールくらいごちそうになったかもしれない。その程度の関係。
ところが・・・・・ネタにされている。
うちのダンナは神戸の人で、親が医師会の仕事をしていた関係で、大森一樹さんとは親同士が仲が良かった。それがたまたま渋谷で売れる前の春樹さんと出くわし、同じ関西村落の出身で共通の知り合いがいるということで盛り上がり、あの人たちは互いによく知らないうちに飲み仲間になっていた。

わたしは、村上龍は好きだったけど、村上春樹は嫌いだったので読んだことがなかった。でも、ある日、メル友になった編集者の人が、「あなたの話を読んでいるとどうしても村上春樹のことを連想してしまう」と言われ、『太陽の南、国境の西』だったかな・・・そういうタイトルの小説を読めと言われた。

すると・・・・
はじめくんというのは、イッケがモデル?
小説の中での主人公たちの出会いの場所は、かつてテレビ朝日の近くにあったCTダイヤモンズというジェイルのマスターの三つ目の店?
そういえば、オープニング・パーティに呼ばれて、カウンターの隣の隣くらいに座っていた人が、わたしを見て、急に立ち上がった記憶がある。
・・・・・・・・あまりにも変わり果てた姿だったので、彼があの時の快活なお兄さんだとは思わなかった。

こういう話ね・・・ネットでしてはいけないらしい。精神病と間違えられるから。

それでも、近頃、自棄になっているかもしれない。
パスワードを盗まれない限り、トラバなら安全な気がする。コメントはダメ。なりすましの温床になるから。わたしの失敗は、精神系の話をネタにしたサイトをつくっていたことかも。あえて言うなら、心理系ではないです。

いつになったら、わたしはジャンキーから救われるのだろう。

わたしが一番訴えたいことは・・・・・・わたしは普通の主婦なんです、ということかも。

投稿者 Blue Wind : 01:34 AM | コメント (0) | トラックバック

January 02, 2005

パラダイスは遠い

新年早々、枡野さんのブログのぼやきを眺める・・・
あー、あれなんだよなー、もー、どーっしてもあたしが我慢できなかったのは・・・
商業出版系はどーっしても、これは売れるとか売れないとか出版社がうるさい。それで主催者側はプレッシャーに喘ぐ。そのツケがシモジモにまわってくる。

もう新年を迎えて時効だからいいだろう。
ちまたではどういう風にささやかれているかわからないけれども、わたしは加藤治郎の短歌は好きだし、最初、未来に入会した時に、加藤さんから彗星集で一緒にやりましょうと声を掛けられて、うれしかった。

実際には、加藤さんの短歌のことはよく知らなかったし、どうしてわたしの短歌を有名な歌人が覚えていてくれているのか、そこのところが不思議だった。
一度だけなんだよね・・・冗談で歌葉新人賞に応募して、今見ると短歌にも誤植があり、コピペしてメールに貼り付けて送っただけだから案外てきとー。しかも650以上の応募があって、そういう中で、白石優子というだけで通じるということ自体がうれしかった。

ところが、次第にわたしは作歌そのものに熱意が失われていく自分を感じた。

インターネット歌人ということで、ほかのお弟子さん等からサイトにアップしたものはダメだとか、BBSにパスワードをつけろとか、ある種のアタックがあったのは事実だけど、その程度のことは実はどうでもいいと思っている。加藤先生いわく、顔が見えないからダメらしい。でも、それは嘘だと思っている。

要するに、金なんだよな・・・
本音を語れば、歌集を出版できないほど貧乏でもないし、ほかの歌人の歌集を買うことくらいはできる。

でもさ・・・
そこにこだわるのなら、ネットなら金はかからないでしょ?
ポンポン気ままにキーボードを打つ。すると、歌人であるとかないとかにかかわらず、いろいろな来訪者があり、わたしが誰でも関係ない。こちらも商売ではないし、気楽にしている。要するに生きるに必要な関係ではないから、のほほんとしているのよね。

毎月毎月締め切りが近づくと、原稿の催促とばかりにメールが来る。そりゃ毎月数百首を詠っているわたしとしては、その中から10首を選んで送れば何の問題もない。でも、サイトで詠んだものはダメと言われ、わざわざ原稿用紙を買って来て、それに向かって詠み、歌稿をポストに投函する。何となくいつものノリではないために、作歌がめんどーになる。
今度は何の賞の募集があり、締め切りがいつで、という世界。

そうなると、一体自分が何のために作歌を続けているのかわからなくなった。

いや・・・それはわたしが働いたことがないから、甘えているのだろうか? あれにこれにと反省してみても、そこまでになると、単なる鬱捨て場であるはずの作歌が次第に鬱の温床となっていってしまう。

ダンナに言ったら、「短歌やめても困らないでしょ?」と言われた。

たしかに・・・
詠んでも儲からないし、有名な歌人になっても短歌だけで食べてはいけないみたいだし、第一、本屋へ行ってみればわかるじゃない? あの短歌や俳句に対する扱いの冷たさ。歌集を買うつもりがつい詩集を買ってしまうあたしって・・・正直な人なんだと思う。

それと、自由にしていたかったということもある。

商業出版のことを考えて、ニューウェーブだの枡野流だの、あくまでもそれは和歌の潮流の中の一コマにすぎない。ネット歌人ということで、そこへ吸収されてというのは、筋が違う。わたしの場合、たまたまネットをしているうちに短歌を詠み始めたというだけのことであって、本流である和歌の世界から飛び出そうと企てているわけでもない。

実際問題、和歌の世界が保守的だということは覚悟している。岡井隆さんが宮中歌会始の選者になったというだけで、大騒ぎになったという。自分的には岡井さんの短歌は好きだし、素晴らしいと思っている。

でも、現実にはどうなのかな・・・シモジモにしてみたら、和歌そのものよりも、ムードというか雰囲気というか作風というか、保守であるとか革新であるとか、政治のようにそういうことが大切になるらしい。

なんか、こう・・・・そういうことに巻き込まれること自体が、そもそもの和歌の良さを損なっているような気さえする。

こういう本音をダラダラ書いて、加藤先生が怒ったとするでしょ? でも怒ること自体がヘン。そもそもが短歌とは何の関係もない話なのである。それでまた世論の風当たりがきつくなった頃には、暴風壁が現れる。でも、一人でこうやってパチパチ書きたいことを並べているわたしには、どこに風があり、暴風壁が作用しているのかまるでわからない。

題詠マラソンは楽しいよ。本当はそういう歌人のしがらみからは無縁ではないのかもしれない。それでいて、アンソロジーだからね・・・歌人の世界のオリンピックのように平和の祭典であってほしい。

神さまとだけお話せよ、か。

バチカンに亡命して和歌でも詠っていたら平和なのかもしれない。

パラダイスは遠い。

投稿者 Blue Wind : 01:50 PM | コメント (0) | トラックバック

静かすぎる年明け

年末年始だというのに、ネットユーザーの多いことに驚かなくなったのはいつからだろう。普通だったら帰省したり、家族や来客という具合にネットどころではないような気がする。

父はレジャー産業の人だったので、お正月は元日がお休みなだけで仕事。世の中の人たちが休みの時期はやたらと忙しかった。その代わり、平日に学校を休んでふら〜っと家族で旅行に行ったり、そういう意味では自由。
このように、社会の動きと連動しない家庭環境で育つと、ぼっけーっとしているうちに年を取る。

いきなり、年賀状を出したかとネットのヘビー・ユーザーに心配された。一緒にするなよ・・・わたしは普通の主婦なので、個人的に年賀状を出すところなんて毎年決まっている。だから、ダンナが年賀状のデザインを決めて、わたしの分もついでに住所も印刷してくれる。そうなると、ちょっと一言書けばいいだけなんだけど、なんかそれすらもめんどっちー。

しかも毎年決まった日に決まった人たちから届く。元日に届く人もいれば、元旦が終わった頃に届く人もいるし、それすら決まっている。わたしの場合、今年は早いほうで、元日のお昼に出すなんて何年ぶりだろう・・・去年は出しそびれてしまったけど、何も困らなかった。

つまりは、あまりにも付き合いが長いと年賀状すら意味がないような気がしてしまう。まあ、仕事でもしていたらそういうわけにもいかないのかもしれないけど、主婦は気楽だ。

その中で、不審な年賀状が・・・・

いや、不審というのは言葉の使い方が間違っている。去年とは名前が違うじゃないかー、というヤツ。結婚して変わるならいいけど、いきなり離婚か? 実家の住所とも違うし、連名の男の名は息子らしい。ヤレヤレ・・・えみこ叔母ちゃん、怒ってるんだろうなぁ・・などと思いながら、従妹からの年賀状を眺める。

そういう世論を配慮してか、ちびちゃんの元気な写真2枚に添えて、「・・・働くお母さんとしては嬉しい限りです」と書いて締め括っている。まあ、ちびちゃんが明るく楽しく元気で育ち、離婚しても誰にも迷惑かけてないならいいよね・・・って言うしかない。う〜ん・・・・いつの間に。あまりにも用意周到な年賀状の一つ。お見事。

うちは父親二人すでに他界しているし、母親二人は病気だし、ダンナはこのところお正月に呼び出されることがなくなったけど仕事あるし、弟もどうせ仕事だろうし、上の義姉のところは昔から年末年始はスキー場で松明を持って年越し。わたしはまた明日には母の病院へ洗濯物を運ばなければならない。

学生街のよいところは、静かな年越しかな・・・それでいて、スーパーもコンビニもレンタルショップもレストランも開いているし、何も困らない。難を言えば、お正月ムードがないところか? クリスマスを過ぎると、とたんに学生が姿を消す。うれしい。

いや・・・・クルマ飛ばして伯母さんの家にでも行って、どんちゃかお酒飲んで盛り上がるのも楽しいような気がするけど、ダンナが・・・娘は同じ年頃の子たちがたくさんいるから楽しいだろうけど、ダンナが・・・楽しそうにしてるからいいのっかなーなどと油断すると戻ってから機嫌が悪くなる。

それを考えると、娘と二人で桃鉄をやらせておいたほうが平和。わんわんらんど行ったり、ボウリングへ行ったり・・・

このようにして、つくば理系社会は静かに新年を迎える。気楽というか静かすぎるというか・・・つまらない記事を書いているうちに夜は更ける。

ちなみにわが家は、毎年除夜の鐘の代わりに、祝砲というか花火というか、どちらかよくわからない音により年明けを知る。

投稿者 Blue Wind : 03:37 AM | コメント (0) | トラックバック

January 01, 2005

謹賀新年


あけましておめでとうございます。
今年もよろしく〜☆


初日の出ゆるりのぼりて新年はとけゆく雪をなごりとぞ思う
白い陽を浴びて小鳥のさえずりもしづけさのなか一声の饗
ゆきのみち筑波の山もとおれぬとなおしづけさはまちをつつみぬ


画像: NOION

投稿者 Blue Wind : 01:42 PM | コメント (0) | トラックバック