January 13, 2005

人生まるごとモラトリアム

近頃、モラトリアム人間の本領発揮というか、今度は作歌をさぼってアメブロで遊んでいる。エリクソンの提唱した「モラトリアム」という言葉が今でも生きているのかどうかは知らないけれども、一時期は話題になった。つまりは、「自分は○○である」という社会的自我がきちんと確立される前の猶予期間のこと。

日本人の場合、「私は○○です」という○○の中に言葉を入れてください、と言うと、大抵の人はこうやって考えるらしい。「私はやさしいです」とか、「私は娘です」とか。そして、3つ目くらいまで書き、それから先を悩む人たちが多い。
これに対して、アメリカではすごくはっきりしている。「私は、A教会に所属しています」、「私はバスケットのチームのメンバーです」とか。

自分の場合は、典型的な日本人のパターンで、社会的自我がきちんと確立されていないままに年を取ってしまった。とりあえず、学生時代は学生証があればどこでも通用したために、学生には甘い日本の社会を考えると無責任な年の取り方である。しかも、学生という言葉の響きの中には、モラトリアムそのものが含まれている。

大抵の人たちは、卒業し、就職し、職業が社会的自我に直結するらしい。そして、「らしさ」の中で生きていく。

わたしは、働いたことがないのである・・・そういう意味において。アルバイトならしたことあるよ? が、しかし、アルバイトはアルバイトであり、今でこそフリーターみたいな不思議な用語がまかり通るけれども、学生証がある限りフリーターでもない。

あまりにも長い間学生をやっていると、一番つらかったのが身分証明である。20代の前半のうちは平気。大学生は世の中にたくさんいる。わたしの世代は過渡期で、4年制の大学を卒業すると就職が不利とか縁談に響くという世論が残っていた。そういう時代で何となく大学へ進学し、女子大生ブーム。

時代はバブル、就職先はいくらでもあるし、それでいてわたしは就職したくなかった。卒業期になると今度は縁談とかね・・・結婚しないならと親が見つけてきたのは大使館の仕事。外交官ならいいよ?ところが、その時、父が言ったのは、「語学の勉強のつもりで行って来なさい」。

はあ?

↑この、「はあ?」には、わたしの人生のすべてが含まれている。愚かさも傲慢さも世間知らずも。

こう・・・何と言うか、自分ではまだ何もしたことがないうちに、自分の見積もりが作成されている。自分では何もしていないうちに、勝手に自分の人生が決められるということに対しての反発は相当なものだった。就職しないなら結婚しろとか、結婚しないなら就職しろとか。よく考えたら当たり前のことなんだけど、そのどちらもしたくない・・・

憲法違反すれすれのところで、どうやってこの二者択一をかわすか?

やっぱ、大学院にでも行くしかないでしょ?留学するとか・・・

今は、就職できないから大学院への進学率が増加していると、どこかの新聞に書いてあった。それもどこかおかしな話だと思うんだけど・・・それともまた違う。

いろいろな人たちに誤解されるのは、わたしはとても不幸な出来事に遭遇し、復学への時間が引き延ばされてしまっただけなので、実は世論は同情的なのです。本気で戻ろうと思えば、チャンスはいくらでも・・・なのに、本気になれない。
どうしても働かなければならないとなれば、カウンセラーとかね・・・なっても就職先を探すのが大変らしいのだけど、そういう点ではもしかすると恵まれているかもしれない。でも、働かない。

歌人、か。

あらゆる点において、わたしは中途半端である。でも、自分ではその中途半端さが心地よい。

プロフィール、か。単行本に歌を載せてくれるといってプロフィールを書くでしょ?その時、見知らぬ誰かが、わたしのプロフィールを眺めながらわたしの歌を解析しようとするわけですよ・・・文学ってそういう世界だから。でも、そこからわたしの何がわかるというのだろう?

投稿者 Blue Wind : January 13, 2005 01:44 AM | トラックバック
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