January 12, 2005

鎮魂歌と釈超空

最後の論文を学会に出し終えたという気の弱いセリフにおののいて、久しぶりに恩師にお手紙を書く。昨年、癌で入院し体調は良いらしいのだけれど、さすがに大学を退官して長いし、その後も趣味で実験しては学会にだけは毎年発表していた。趣味と言っても・・・なんと言うか・・・なんなんでしょう。学会そのものが、何と言うか庭ですからね・・・池の鯉に餌をあげているような感覚なのかもしれませぬ。それが餌をあげられないほど弱っているのか?

人生そのものだからなぁ・・・いわば戦後の日本の混迷の中で、何かを築いてきた人たちにすれば、日本という国そのものが作品なんでしょうし、そういう道具を与えられて育ってきた自分の世代とはパワーが違う、などとたまに思います。

わたしの世代は、逆にどうやって与えられたものを破壊し、その中からさらに自分の世界を構築するか?ということに力点があった気がします。

ひらったく言えば、先生のところに、「こんな論文見つけたよ〜、こんな本を見つけたよ〜♪」って行くわけですよ、何となく。時代はくるくる変わるし、どんどん新しいものが入ってくるし、それこそ学際的な領域にまでなるときりないから。

博物館入りしそうな初代の計算機。あれで半日かかって簡単な統計演算をしていた時代がそう遠い昔でもなく、今はそれこそ手軽に誰でも1タッチ。プログラムですらわざわざ研究室の誰かがコツコツつくっていた時代もさほど昔でもなく、考えてみればそういう時代があったから機械音痴のわたしでもパソコンを触れるような・・・

そんなことを思い出しながら、わたしは当時の延長線上に今を生きているだけのような気がした。


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何となく、釈超空を思い出す。

たしか去年、釈超空の没後50年ということで著作権が切れたはず。そこでネットで検索してみたんだけど、歌がない。もっとよく探せばあるのかもしれないけど、ない。

そこで一つ見つけたのが、牧師さんの説教集の中にあった歌。

基督の 真はだかにして血の肌 見つつわらへり。  雪の中より (釈超空)

釈超空こと折口信夫さんと言えば、民俗学や国学で有名だし、彼が晩年キリスト教に傾倒していったという話はまったく知らない。ならば何を知っているのかと言われても、何も知らないことに気が付く。現代歌人のアンソロジーの中にいくつか含まれていたはずだけれど、それすらも今はほかの本に紛れて見当たらない。

手元に資料がないために、牧師・橋爪忠夫さんの説教集から短歌に関する部分を少し引用させていただきます。


『大量の非業の死を遂げた人々の、その死に何の意味があるかを問うていた時に、 私は短歌の研究者・岡野弘彦の言葉を思い出しました。それは、第二次世界大戦の以 前と以後では短歌の世界は一変した。というのは大戦により非業の死を遂げた幾百万 の人々の浮かばれぬ霊が問題となり、彼らの荒ぶる霊をどうしたら鎮めることができ るかという問題を、人々の魂の底にあるものを歌う短歌は、どうしてもテーマにせざ るを得ないからだと述べていました。何のために彼らは死んで行ったのか、これを解 決しなければ、人は安易に復讐に燃えることになるでしょう。その時に何よりも、多 くの人のために自分の命を献げたキリストの十字架が顧みられなくなります。岡野氏 は、その例として歌人・釈超空(民俗学者・折口信夫の別名)をあげ、こう述べてい ます。「戦後の超空が最も心を苦しめて追求したのは、戦による巨万の死者達の魂の 鎮めをどうするかということにあった。戦火に逢って不遇の死をとげた者の霊を、日本の民俗信仰の上では未完成霊として、その鎮めのためにそれぞれの時代の生き残っ た者は苦しんできたのだと考察していた、民俗学者、国学者折口信夫の最大の課題 は、その一点にあった」と。』(牧師・橋爪忠夫さんの説教集より引用)


これもひらったく語れば、鎮魂歌の問題。
今の風潮は、亡くなった多くの人たちの霊を慰めるということよりも、どちらかといえば、募金とか援助とか、生き残った人たちへのこれからが最優先。テレビの画面を眺めていると、家族を失った人たちの悲壮の映像が映し出される。そして、その後、「募金にご協力ください」というテロップ。

もっと酷いと、9.11テロの時には、戦争。
鎮魂歌よりも戦争。

魂の底にあるものを詠うのが短歌?
戦争で失われた巨万の死者達の魂のために、釈超空は詠じていたわけだ・・・

自分の育った時代があまりにも明るくて、もはや短歌が廃れていった理由が何となく理解できた気がする。

いや・・・そうではなくて、例えば、母は沖縄やグアムを怖がっていた。戦争の傷跡を見るのがつらかったのかもしれない。「今はもうそういう時代じゃないよ」と言いながら、わたしは育ってきたような気がする。

シンガポール、タイ、マレーシア、サイパン。
明るくて美しい海。

そして、韓流ブームか。

概念歌が終わったのではなく、今の時代に釈超空を詠える歌人がいないってことなのかも。

いや・・・いるのだろうか? わたしにはわからない。

投稿者 Blue Wind : January 12, 2005 03:05 AM | トラックバック
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