January 11, 2005

うつそみ

人生における孤独と絶望、か。
鬱。
大抵は、その人個人の問題であって、他人にはどうでもいいような話ばかり。世の中の大多数の人たちはそういうハードルをあっさりクリアし、生活に埋没していく。ある意味、欝は贅沢病とも言われている。

大抵は、生きている実感がわかない、自殺、リスカ、その他諸々。あまりにも幸せすぎて、幸福の絶頂で死んでしまう人たちもいるし・・・そこが不思議でしょ?
これが仮に他人にわかりやすい理由なら、わかりやすい。例えば、中高年の自殺に多いのが、リストラや生活苦が原因での自殺。そういう目に見えてわかりやすい理由なら、不安も理解できる。
ところがそれに混じって、たまに変な自殺がある。家族もいて友達もいて、仕事も順調、他人からみれば実にうらやましい限りの人が突然自殺したりする。これって本人でないからわからないけれども、あまりにも幸せすぎて、不安に勝てなくなってしまったのかもしれない。

↑こういう話、カウンセラーに言うでしょ?そうするとあっさり、「死んでもいいんだよ」となる。

↑こういう話、医者に言うでしょ?すると、「夜中はやめてほしいよ。人手が少ないから」で終わる。

つまり、農薬を飲んだと連れてこられて、胃洗浄やなにやら救命救急でやるわけですよ。そうすると、世の中には死にたくもないのに苦しんでいる人たちがたくさんいるというのに、どうして自ら死にたいと言う人たちのために無意味な時間を割かなければならないのかわからない。大抵は、狂言とも違うんでしょうけど、胃を洗浄したら終わり。中には発見が遅れて間に合わない人もいるけど。

↑こういう話、神父さんに言うでしょ?すると、「神の愛を知る人たちに鬱はない」となる。

要するに、人間にすがりつくからダメなわけで、神さまは見捨てないから。ヨブ記でも読んで、何となく最後の望みを神に託す。そういう人たちは案外明るい。

わたし?

案外、普通の人だから、「あ、まただ」って思うだけ。
大抵は、今日もまた普通の生活が続いていくだけ。毎日夥しい人たちが生まれて死んで、気が付けば地球上には60億人以上の人たちが浮かんでいるらしい。世界のあちこちで不幸な出来事が発生し、この間まで新潟と書かれていたと思ったら今はそれがスマトラに変わっている。

胃洗浄するみたいに精神にも洗浄液があったらいいのに、ってたまに思う。トラウマ?ほいほい、それならこれで・・みたいに。

「死は姉妹」か。
ポルチウンクラはいいぞ。座っただけで、死がある。
無の世界というか、無我の世界というか、不思議な眠り、瞑想が訪れる。それが「死」らしい。そうやって考えると、恐ろしいはずの死が恐怖とは無縁なできごとだということが不思議だ。
ってことは、恐怖や不安を含めて、いろいろな思考や感情も実は肉体が出没スポットということが納得できる。
自分ではそれが精神だと思っているけど、そういう精神は実は肉体の一部であり、本当の精神というか自分はまた別に存在している。だから、本当の自分である精神が破壊されない限り、陽はまた昇る。

今は、月。うつそみ。

投稿者 Blue Wind : January 11, 2005 02:26 PM | トラックバック
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