January 16, 2005

自己観察と他者

わたくしが不意にミステリー小説の話などを急に書くものだから、メンヘラーまるやむ氏から次のようなご指摘がありました。

鬱→本を手にとる気も無い。
躁→パトリシア・コーンウェルを5分で読んだ気になってしまう。

・おそらくはわたくしの意味不明なメモからの推測だと・・・


◎ わたしのメモ

→躁: ミステリーを読みたくなる。
→鬱: 短歌を詠みたくなる。


このメモの正体は、正確には自分の精神状態を示したものではありません。何と説明したらよいのだろう・・・つまり、鬱や躁は移るものなのです。そうやって移った精神を観察しながら、相手の精神を観察するというワザを、臨床系のトレーニングによって獲得しているために、仮にネットといえども、こうやって不思議な気分をメモしておくわけです。

現実には、躁がトリガーとなって急にミステリーを読み出した、という出来事は現在のところありません。だけど、どういうわけか何の理由も脈絡もなしに不意にミステリーが読みたくなったというのは本当でして、ミステリー小説のブログを読んだとか、本屋さんに行ったとか、そういう背景文脈が何もないにもかかわらず、急に奇妙なことを考えてしまう。

そこで、ピンと来る。
つまり、何者かの電波が飛んできたのだ、と。

今回の場合、具体的には誰とは言えないんですけど、おそらくは躁の人たちのブログをサーフィンしているうちに急にそうなってしまったので、「→躁: ミステリーを読みたくなる。」というメモを書いておいただけ。

何度も繰り返すけど、ネットだと顔が見えないでしょ? 実際には相手がどういう状態なのかは、まったくわかりません。面談しないとわからないそう。
それでも、ちょっとしたことなんですよ・・・自分が振り回されているような気がしたとか、狐につままれた気分がしたとか、闇雲に腹が立ったとか、嫉妬を感じたとか。そういう場合には、大抵、メンヘラーの人たちを相手にしていることが多い。
最初からそうやって書いておいてくれたらいいのだけれど、中にはいろいろな人格を装いやってきたりすると、ますます混乱したり・・・
それが、ワザとではないらしい・・・
だから困る。
中には、複数の端末を使い、複数のプロバイダと契約し、メルアドなんてすぐにつくれるし、サイトだっていくつもつくっていたりすれば、ますます相手を特定することは困難になります。
でもね・・・・そういうことをする人間が案外世の中にはたくさんいそうでいない。それと、どうしてもクセってある。思考のバイアスとか。慣れてくると、いくつハンドル名を変えても何となくピンと来る。
気配というか、人格というか、物事の着想というか、必ず固有のクセがある。

そこで、実際にはそういう人たちが、どういうご病気で、現在どういう状態なのかわからないために、自分を観察するわけです。
急に寂しさを感じたら鬱かもしれないし、急にパトリシア・コーンウェルが読みたくなったら躁とか。
あくまでも、わたし個人のバイアスが入っているために、普遍性はないけど、何となくそのときの独特の気分やムードを記しておくと後で役立つこともあったりして・・・(ないほうがいいけどね)


でも、実際、わたしはミステリーやパズルがこよなく好き。ちょっとこの辺に関しても考えてみたい気もした。なんでっかなー、ってね・・・

投稿者 Blue Wind : January 16, 2005 11:29 PM | トラックバック
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