January 14, 2005

ぐるぐるまきの想念

生きる意味おもわぬことを健やかな心と呼びし空とぶ鳥よ

これって大昔に詠んだ歌なんだけど、何となく不意に思い出した。いつかは死ぬことを考えて生きるのは、人間だけらしい。大抵は、生まれたら死んでいくだけ。ところが、他の動物と人間との違いは、言語や歩行といったことだけではなく、死を考えることにあるらしい。

にもかかわらず、島野隆さんのサイトを眺めていたとき、「普通の人は生きる意味とか、死とか、その手のことを考えないで生きている」ということに気が付いたとき、病気から立ち直ったと書いてあった。

この歌を神父さんのコミュニティで詠んだとき、「わたしは神父なんです」というコメントがあったような気がする。十字架への栄光の世界だから仕方がない。

誰かの死に直面したときなどに、そういうことを考えることは健康的かもしれない。つまりは、日頃そういうことを考えないで生きているからだろう。


学生結婚して、学生時代はよかった。ところが、ダンナが働き出し、毎日のように夜中に呼び出されることやひっきりなしにポケベルが鳴ることには驚かなかったけど、働き出して2,3日目に重症で呼び出されて、患者さんが初めて亡くなったとき、わたしは普通の人だったので、案外、驚き、何となく玄関の前に塩を置いておいた。
ところが、それが日課なんだなーと悟ったとたんに、そういうこともしなくなった。なお酷いことに、旅行の計画を立てるときに、わたしには言わないけれども、ダンナがある計算をすることを知っている。つまり、その頃なら大丈夫だろうとか、終わってるだろう、とか。臨終の際に、さすがに主治医がいないことには・・・
大抵は、下のほうに役割が回ってくる。死亡確認。

家に帰ってくると、酒飲んでダウン。それでいてまた呼び出し。都内にいた頃は勝手にタクシーで行ってくれるから楽だった。ところが、茨城は田舎なので、夜中のタクシーは予約制。仕方がないから、生まれたばかりの娘を起こして、わたしが病院まで酔っ払いを乗せて行く。
当直の医者がいるのに、呼び出されるのは臨終か、緊急内視鏡。当時は緊急内視鏡が出来る医者がほかにいなくて、どういうわけか医者になったばかりのうちのダンナが呼び出された。

なんて言うか、娘が赤ちゃんでも家計が赤字でも親が死にそうでも神戸の家が焼けて大変な騒ぎになっていても、仕事は待ってくれない。家に帰ってくると酒。姑さんから電話があっても寝てる・・・しまいにはわたしが電話を取り次がないという邪推があったことを後に知り、とんだ濡れ衣。
うちのダンナいわく、後1時間手当てが遅れていたら死んでいた人が、よく朝ひょこひょこ歩いているのを見ると医者になってよかったと感じるらしい。この話だけなら美談なんだけど、その裏側に、わたしが毎日姑さんからの鬱攻撃にさらされていたことを考えると、わたしは被害者である。
大変なのは神戸だけではない、わが家も大変なんだと説明すればするほど鬱地獄が始まる。義姉に、ダンナはタクシーでも乗ったらいいって言われたときには、むかついた。ここは神戸ではない。しかも、片道6千円の出費。泣く。夜中にタクシーなんて走ってないの、田舎は!
よぉ〜っく考えたら、要するに、親が大変なのに、どうして息子が電話一本かけて来れないの、というお話がややこしくなっただけらしい。
いや・・・震災後、電車が走ったらダンナだけは行った。無理やりお休み取って。でも、戻って来たら仕事。わたしは娘が1歳。

それが延々と続いていた・・・

うちの母がくも膜下出血で倒れるまで、かな。壮絶。

愛に飢えたる者の世界だから、要するに、やさしい電話一本とかそういうことだったんだと思う。が、しかし、親子だからこそややこしいということもあるみたいだから、わたしは逃げる。夫婦って他人だから素晴らしいって思うこともある。


話を元に戻すと、普通は、死に直面して誰かが生きるとか死ぬとかってなったら大変なことだと感じたりすると思うの。ところが、それが日常的に与えられていると、何も感じなくなってしまう。
それでいて娘が病気になったり、マリが死んだりすると、もうダメ・・・
この世の終わりのような気分になってしまう。それくらい違う。

わたしは死にたいと思ったことはないけれども、修道院へ入ろうと思ったことが二度ある。なんだかすべてがどうでもよくなって、すべてを放り出したいような・・・
よくわからないけれども、死にたいとか自殺したとか自己破壊衝動の人たちの記述を眺めると、わたしが修道院へ逃げ込もうと思う気持ちによく似ている気がする。安らかな眠り・・・神のみもとへ。パラダイス。

でも、娘とはお別れできないとか、今の生活を捨てられないとか、わたしにはまだこの世への未練が多々あるらしいので、あきらめる。


それにしても、下手な歌だよね・・・
下手は下手なりに、言いたいことがたくさんありすぎて詠いきれない一首。
屁理屈系の歌。

震災から10年。10年一昔。

投稿者 Blue Wind : January 14, 2005 11:33 PM | トラックバック
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