January 05, 2005

気の長い話

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新年早々、神父さんのサイトから画像をパクってくる。めったにないことだけど、『Holy Spirit』と、このシスターの画像は特別。どうして特別なのかはわからない。

おそらくは、わたしをわたしだけにしてくれるパワーがあるのかもしれない。世の中にはたくさんの人たちが生きている。旧約聖書の中に、言葉が分かれたのは人間が悪いことをしないためだと書いてある。言葉が一つだと、どうして人間が悪いことをするのかいまだに理解できないけれども、言の葉が分かれ、いろいろな人たちが互いに理解できなくなることにより、巨悪が育ちにくくなるのかもしれない。

そうだなぁ・・・例えば、一つの宗教が絶対的な権限を持っていたとしたらどうだろう? 歴史的にもそういうことは多々あるわけで、それを利用し、巨悪が発生する。人々は言いたいことも言えず、服従を求められ、神を畏れるあまり・・いや、実際にはある種の人間の絶対的権力を恐れるあまり、巨悪へ走る。

何が悪かと言えば、神を畏れるのではなくある種の人たちを恐れるということが、神にとっては壮大な悪らしい。常に神は人間を超越した存在として存在している。だから、世俗を離れ、神にたちかえる瞬間は人間を自由にする。

そうやって考えると、地球上にさまざまな宗教が存在していることはあながち悪いことでもないと勝手に思っているわたしとしては、実は姿かたちや目に見えて分類できるもの、つまり露出しているものはどうでもいいと思っている。

それでいて、逆に考えれば、自分が無条件に吸引されるものには素直でありたいとも思っている。


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今、わたしは歌集の出版について考えている。

どうせ出すなら、「いのちのことば」社がいい。昨日までそういう出版社があることすら知らなかった。

大手や自費出版を専門に手がけているような出版社ではなく、あるいは歌集を多く手がけている出版社でもなく、キリスト教の出版物を専門に扱っているところ。

まだ何も決まっていない。

それどころか、彼女はこれから大手の書店をまわり、歌集を扱っているコーナーを歩き、しばらくするうちにわたしなどより歌集については実に詳しくなるだろう。実際に歌集を手に取り、紙質、タラントなどを眺め、どこが良心的な出版社であるとか、こだわりのある出版社であるとか、プロの目で観察をする。

わたしね・・・そういう人が好きなんです。

正直、自社よりも他社のほうが良いものがつくれそうだとなったら、そちらを勧めてくるだろう。

ある意味、自費出版というのは商売ではないし、担当の人はともかく彼女にとっては自分の仕事ではない。こちらものんき。どうしても今日明日に出版しなければならないという代物ではなく、実際に完成するのは10年後かもしれない。それまで自分が生きているという保証は何もない。

わたしが死んだ後に、娘がぽつりぽつり選歌して、絵を描いて出版するかもしれない。あまりにも気の長い話で、とても現実的な話とは思えないけれども、言葉とは一度発してしまったら独り歩きするものであり、何となく、わたしも神父さんのサイトから一枚の画像をパクってきた。

誰が写した写真かもわからない。誰をどこで写した写真かもわからない。いろいろあって、わたしは今、「しらいし まさこ」であるけれども、これは実名であって実名とも言えず、元をただせば結婚して与えられた名前である。死んだらまた違う名前を与えられる可能性もあるし、筆名をつければそちらがわたしの名前になるのかもしれない。

そうやって考えたら、わたしはわたし、だ。
そうやって考えたら、出版物というのは墓場のような気がしてきてしまう。
どうせ墓なら、「いのちのことば」。

さてさて・・・
まだ1万首以上のノルマを抱えている。
わたしは歌人だから、自分の仕事をしなければならない。

投稿者 Blue Wind : January 5, 2005 12:39 PM | トラックバック
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