January 27, 2005

エッセンスと力量

時改めて自分の歌を眺めると、他人の眼になっている自分に気が付く。

わたしは歌を保存するために、一行BBSを使っている。投稿数と検索機能があるので、これは非常に便利。それと、同じ投稿ができないようにセットしてあるので、間違えて同じ歌を二重投稿するといったミスが防げる。

そこで、「ハーモニカ」で検索。「過去ログファイル5」に記録されているらしい。今、過去ログは「ファイル11」まであり、それ以外に現在のファイルがある。このところ詠んだ歌を記録していないためにもう少しあるかもしれない。それと、オフラインでメモに書いた歌は面倒なのでアップしていない。


(1) ちつぽけなハーモニカ鳴る朝はトゥーツ・シールマンスの透明なジャズ

(2) 吸つて吐く過酷な楽器ハーモニカ遊びで吹くにはちとつらすぎる


2首、ヒットした。

今読むと、(1)のほうが幾分マシだ。でも、自分が本当に詠みたかったのは(2)のほうなのである。そこで(2)をフォーラムに投稿。その時のコメントが、「だから何なのさ」的なもので、そのように言われてしまうとそのコメントは正しい。

実は、たまたまうちのダンナが結核だったので、過酷な楽器というのはいわば人間の病気に犯された心肺機能そのものをメタファーで語っている。どうしてそれがハーモニカになったかといえば、その朝たまたまトゥーツ・シールマンスのハーモニカを聴いたからとしか語れない。
それを歌会に出そうと思ったのは、一昨年の大晦日のK−1でスティービー・ワンダーのハーモニカの演奏を聴いたからでもある。

詞書を入れたらよかったのかな・・・
一言、「結核の肺」とでも。

でも、そういう説明が実はわたしは嫌いなのです。

そういう点、事情を知っている人というのは、すぐにピンと来るものらしい。でも、それをパブリッシャーしようとすると、わたしの知らない誰かのために詞書が必要となってしまう。そこがつらい。

そういう詞書が必要ないくらいの歌を詠めばいいのかもしれない。例えば、野口雨情さんの「しゃぼん玉」のように。しゃぼん玉の童謡としても楽しくもあり、それが生まれてすぐに亡くなったお子さんのことだと思うと酷く悲しい。

そういう詩の両義性は洋梨のシャーベットに熱いチョコレートをかけたようなもので、氷と熱とを同時に口に含んだ時の舌のまどろみを食べたことのない人に伝えるのは酷く困難な作業にもかかわらず、それをしろと命令されているようなものである。

一体わたしはどうしたらよいのだろう?

投稿者 Blue Wind : January 27, 2005 11:24 PM | トラックバック
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