December 25, 2006

メリークリスマス

家族で、クリスマス・ミサへ行った。
最初は、娘の友達の学校のおミサへ行く予定だったが、お母さんがノロウィルスにやられてしまい、中止になった。そこで、家族で連休を過ごすのにちょうどよい距離?ということで、市内の教会へ。
偶然、娘は友達と出くわしたようで、後になって知ったのだけど、わたしも知っている子だった。思いがけない出会い。

教会の中の雰囲気は、とても地味だった。
もしかするとそれが普通なのかもしれないが、わたしは他校を含め大学の聖堂か、異国の教会くらいしかおミサに参加したことはないため、外国人の神父さまが司式なさっているにもかかわらず、どこか和風のおミサのような気がした。

ちなみに、わたしは、おミサと呼ぶのだが、そこの教会ではごミサと言っていた。
細かいことだけど、何となく印象に残った。

****

先日、従業員を1人クビにした。
それはそれで実に気の重い出来事。

看護師は、別の事務を雇えと言うけれど、それについては保留にすることにした。
何らかの組織を形成するために独立したのではなく、要するに、そういうものがかったるかったから開業したかったのだと、今頃になってダンナの本音を知る。
まさしくそのとおりで、先週は事務は旅行、看護師はノロウィルスにやられ、もう1人の看護師は子どもの塾の送迎があり、残りの時間を夫婦で過ごさなければならなかったが、そういうときに限って患者が次から次へとやって来る。
それで困ったかといえば、何も困らなかった。
開業医は気楽だ。

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December 11, 2006

せかせか

いつのまにか、寒い季節になった。
今年は、まるで時間と競走するように、せかせかせかせかしているうちに終わろうとしている。
気がつけば、新年なのだろう。

仕事をしていると、一日が終わるのが早い。
正確には、仕事をさぼっていると、一日が終わるのが早いと言うべきか。
さぼっているわけではなく、要するに、何かの説明会へ行ったり、レセプトの提出に水戸へ行ったり、何かのトピックごとにすべてが初めての出来事であるために、ある日は調べごとをしているうちに終わってしまったりしているだけだ。

開業したばかりで、たいへん。
が、しかし、たいへんなのは間違いなさそうだけど、何がたいへんなのか、今のところ実感が湧かない。おそらくは、来年になったほうがたいへんになるかもしれない。たいへんなのは、今ではなく、開院するまでの準備のほうがはるかにたいへんだった。それに比べると、今は自分の時間も取れるようになったし、いくぶんヒマができたと思う。ヒマなのは、わたしのせいではない。それでも、インフルエンザの予防接種の時期なので、開院したての割には、来院患者数が多い。が、ヒマだ。

今回、初めての提出ということで、役所へ行くと係の人が出てきて、その場でレセプトチェックをしてくれた。直すところは直し、その手際のよさに驚かされる。そして、何をチェックしているのか説明してくれた。

最初に見るのが病名もれ。その次に見るのが、右側の点数とと左の摘要との比較。その次に見るのが検査項目の多いレセプトの内容チェック。そのほか、書き方の問題など、いろいろ説明してくれた。国保はそういうことよりも、レセプトが順番に並んでいるかとか、各市町村へ回す前に表紙がきちんとついているかどうかのほうが重要らしい。社保はまとめて提出するが、国保はそれぞれの市町村にレセプトがまわるため、全部に表紙をつけなければならない。

このほかにも、決算だの年末調整だの。

こういった作業を、昔は全部手書きで、手計算でやっていたわけだから、もっと忙しかったに違いない。そういう点で、電子カルテにしたのは正解。面倒な作業はほとんど機械がやってくれる。人間はそれをチェックするだけだ。

とりあえず、半年もすれば、受付の子がこの手のレセプト提出までの仕事も出来るようになるはずなので、わたしは来年のバカンスのことを考えることにした。それが素晴らしいかどうかはわからないけど、マイペース。

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November 20, 2006

微妙な気分

受付で雇った女の子が、ひとり暮らしをしたいと言う。
わたしはひどく驚いたが、考えてみれば、彼女は毎日山の向こうから通勤しており、距離にして、埼玉県から都内まで車で通勤しているのと変わらない。交通手段が車しかないために、あるいはバスがあるのかもしれないが通勤には適さないだろうし、高校を卒業したら車で通学していたため、あるいは通学・通勤には車というのが当たり前の土地柄のせいか、わざわざ通勤のためにひとり暮らしをするなんて愚かだと、わたしは彼女に言った。

その前に、うちで出すサラリーで、果たしてひとりで暮らしていけるのかどうか疑問だ。せいぜい学生の仕送りと同じようなものだし、学生ですらそれで足りないからバイトするわけで、家賃を払ってまでバカみたいだと思ってしまう。

いや、そうではなく、学生ならばかまわない。とりあえず、親が仕送りするだろうし・・・
が、しかし、若い女の子が働いて自活するって、どうなんだろう。仕事をしているからこそ、親元にいたほうが楽な気がするのだけど。ご飯のしたくもする必要がないし、家賃や生活費もかからないし、その分、何か別のことに使ったらよいとすら思うのだけど。
まあ、親御さんが成人したら好きにしなさいと言っているそうなので、他人のわたしが心配することではないかもしれない。

その前に、就職したらなかなか旅行にも行けないし、休みもないし、それでかまわないのだろうか。
そのことが不思議で尋ねたが、医療機関に就職しようと思った以上それは当たり前だと19歳の女の子に言われ、看護師と一緒に雪が降った日のことを心配している。

看護師は大きな病院での勤務しか知らない。雪の日は逆に忙しく、前日から職員は寮に泊り込んだり、いろいろ工夫して、病院に待機する。

が、しかし・・・
わたしは、あっさり言った。
雪の日は、休んでいいよ、と。

看護師は違う。
雪が降ったら、自分の家に泊まりなさい、と。

診療所は病院ではないので、果たして患者さんが来るだろうか?
おそらくは、雪の日は、問い合わせの電話は多いと思うけど、実際に来院できるのは近所の人くらいのもので、医者が家を出られないほどの積雪ならば当然休みだろうし、職員が不足していても雪だから仕方がないというのが普通じゃないだろうか?
医者が通勤できれば、わたしも通勤できるので、受付の女の子が休んでいても何も困らない、と思う。

今年は医療氷河期で、病院の新卒採用が無いそう。それどころか、リストラが進んでいるそう。
わたし的には、これ以上採用する予定もないし、逆に人手が余っている気がするほど。
忙しい時には不思議と忙しいし、暇な時には看護師たちは掃除ばかりしている。
ナースの賃金は高いんだよなぁ・・と思いながら、こればかりはどうにもならない。

診療所に、聖母像と聖書を持ち込んだ。
すると、看護師から苦情。
マリア像はかまわないけど、聖書はダメなのだそう。
どこがどのように違うのかわからないが、仕方がないので、聖書と気づかないように置き直した。
すると、入り口付近の一番目立つところに、最新式の内視鏡システムの宣伝パネルを看護師が置き、それが現実だとわたしが思っていると、今度はわたしが持ち込んだリースの材料で休憩時間に看護師がリースを作っている。
そういうところが、ナースなんだなぁ・・と思いつつ、自宅にリースを飾ったら何となくさっぱりした気分になった。

別の看護師がオーダーしたワゴンを、わたしは怒って返品した。業者は困ったような顔をしていたが、そういう点ではどういうわけか院長よりもわたしの権限のほうが強い。わたしが払わないわよと一言言うと、実際問題、誰も支払いに行く人がいないのである。そのうち勝手に引き落とされるようになるのかもしれないが、医療材料の仕入れの範疇を超えたものには厳しい。

われながら暴君のような気がしたが、発注の記録にないオーダーは却下することにした。毎日、業者が顔を出し、その都度、口約束で頼んでいるせいか、間違えが多発。それも我慢の限界。

お給料の計算を、受付の子にやってもらった。
「どうして私がやったほうがいいんですか?」と訊かれた。
「そりゃ、こればかりは利害関係の対立がありますから」とわたしは答えた。
彼女はすっきりしない顔をしていたが、絶対間違いはないと言うので、皆が安心していた。
が、しかし、ちゃんと計算ミスをしていた・・・
ので、やはり、ダブル・チェックで会計をすることにした。

病院なら、いやでも救急車でも病人やけが人が運ばれて来る。このため、常に職員は待機していなければならない。そして忙しい。
でも、診療所となるとそういうわけには行かない。一般論として、患者さんに来てもらわなくては立ち行かない。予防接種や健診のほうがニーズが高い。土曜日ともなれば、デパートの開く時間を見計らったように一気に混み始める。それが現実。

あれにこれにと考えていると憂鬱になるので、本屋へ行き、売れ筋の本を仕入れた。
読みたい本を仕入れて、それに診療所のスタンプを押し、経費で落とすくらい、どうということもない気がする。
それくらいの楽しみでもなければ、やってらんない。

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November 05, 2006

しごと、やめたい=やめられない

のんびりネットをしている日々が懐かしい。
朝から夜中までしごとしごと。
それがふつうなんだろうか。
開院したて。インフルエンザの問い合わせ。怒涛。
何もインパクトがないより、あったほうがましか。
受付は忙しい。ある意味、診察室より忙しい。けたたましい。やることが多すぎる。
休日もしごと。
しごと、やめたい。
やめた、と、やめたい、では、かなりちがう・・・
しごと、やめたい。(=やめられない)、という意味だということを知る。

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October 22, 2006

スタッフ

診療所というのはおもしろい。スタッフを募集すれば、娘の小学校で見かけたお母さんだったり、近所の専門学校へ通う学生さんだったり、面接をしてもローカルな話題ばかりが先立つ。向こうは何も知らずに応募してくる。そして、来てみて、わたしの顔を見ると安堵するらしい。ローカルっていいなーと何となく思ったりする。

TXが開通したため、つくばのセンターの界隈はすっかり雰囲気が変わった。デパートで働く人たちも、いつの間にかTXに乗って通勤してくる人たちが増え、銀行もオフィスもいつの間にか転勤族が増え、開院前から企業健診の予約が入る。医療関係の業者はそれこそ東京、千葉、埼玉、群馬、県内でも水戸など遠くから集まってくる。そのくせ、院内のスタッフはほとんど地元の人たちで、同じフロアで働く女の子たちががやがや集まってくれば、大抵はうちのスタッフと知り合いだったりする。

得意先まわりという感じで足しげく通ってくる業者さんたちは若い。荷物の搬入のときでも一番早く来ている。こちらからみると、ぺーぺーと言うと叱られてしまいそうだが、そんな感じ。それでいて、うちの受付のスタッフは新卒を採用することにしたので、まだ学生。10代。単位を取ってしまったので、あとは実習として就労が認められているそう。素直でかわいい。

採用前に、研修のことなどで業者さんに相談してみる。

----これから面接なんですよね。どういう人を採用したらいいのかしら?

----若い人はすぐに辞めてしまうし、きゃぴきゃぴは男性の患者さんにはいいかもしれないけど、女性の患者さんを怒らせたりするんですよ。

----う〜ん・・・・たしかにそうかもしれないですね。

----30代のバツイチがいいですよ。

----バツイチ・・・

----そうそう、バツイチ。そういう人は一生懸命に働いてくれますからね。

何となくすっきりしなかったが、言われてみればそうかもしれない。それでいて、そういう人は雇いにくいと思ってしまう。

うちのナースたちはベテランで、それでいて子育ての間は仕事をお休みしていたという感じ。仕事が終われば普通のお母さんという雰囲気で、キャリアよりも家庭という感じ。

すごく悩んだけれども、受付もキャリア志向の強い人よりも、結局、結婚が決まったらすぐに辞めてしまいそうなタイプを採用してしまった・・・

あれは嘘だと思った。
キャリア志向の人でずっと仕事をしてきたという人と、育児中はお仕事をしていなかったという人を比較し、いろいろ検討したけれども、実際に仕事をすると差がないどころか逆に後者のほうが仕事ができる人たちが多い。それでいて、ずっと家庭にいたという引け目からか謙虚。こちらの家庭の事情についても考えてくださるし・・・ありがたい。

一番最初の面談のとき、すごく構えたところがあった。
何をそんなに構えていたかというと、結局は、仕事は続けたいが、子どもの受験のことや習い事のことを仕事よりも優先させたいから。

ある意味、仕事をする上ではバカらしいことなのかもしれない。
が、しかし、裏を返せばわたしの本音でもある。わたしの本音は誰かの本音で、互いに多くを語る必要性はないし、意見が一致したために構えが取れた。ダンナはいささか不満がありそうだったが、裏を返せばみんな家庭があるし、職場の都合だけで生きているわけではない。

というわけで、わたし的価値観により、スタッフにはキャリア志向はいない。

バツイチを採用しろと言っていた若い業者さんに履歴書の写真を見せてやった。まるで見合いの写真を眺めるように一生懸命に見ているのがおかしかった。
彼は大して用事もないのにやってきそうだ。
やれやれ・・・

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October 07, 2006

不慣れな生活

連日して寝不足。
暴力的に忙しい。
しばらくはこういう状態が続くのだろうか。
昼間、役所関係を回り、戻ってきて連絡事項を確認し、書類を作成、見積もり・カタログチェック、スケジュールを確認。さらに歯医者と家事。とうとう携帯を持たされた。
台風だからよいけれども、オト・マリ・テンを外で遊ばせている余裕もない。娘もこのところ忙しく、来週はまた試験。
まあ、仕事をしている人にしてみれば、これが普通の生活なのかもしれないし、それでいて、こんな生活が続くようではわたしには耐えられそうにない。でも、そのうち慣れるのだろうか。
やることが多すぎて頭が働かない。
というより、やることが多すぎて、しかも自宅がオフィス状態になっているため、いつが終わりなのか生活に区切りがない。
神戸からいくつもの箱が届いたが、箱を開けている時間がない。

自分の仕事だけやっているというほうが楽なんだろうな・・・
今までやったことのないことを一度にやらなければならないため、二重苦に責められているようだ。

大したことをやっているわけではないが、やたらとストレス。

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September 19, 2006

大阪・神戸

主人の姪の結婚式があり、大阪と神戸へ行って来た。

その前1週間くらい、わたしはひたすらめまいに苦しみ、起きようとして頭を動かすと激しい吐き気に襲われていた。最初は単なる疲れかと思っていたが、3日以上経過しても直らないので、しばし薬を飲む。頭位変換性の眩暈らしい。

いったい、どういう病気なんだとダンナに尋ねたら、ストレスと疲労が原因で、稀にそういうことが起こるらしい。一日中船酔いしているようなもので、頭を動かすだけで眩暈がする。とりあえず、内装の工事が始まったら直ってきたので、それが原因だったのだろうか。原因の種である設計士に会ったとたん、あちらも風邪で声が出ない状態だった。・・・・・・ストレスってそういうものなんだろうか。

それでもあわただしく新幹線に乗り込み、そのとたん病気のことなど忘れてしまっていた。大阪へ到着する頃には、元気になり、何年かぶりの大阪駅からホテルのシャトルバスに乗り込み、芦屋で上っている花火を遠めで眺めていると、娘が、日本にもこんなに綺麗なところがあったのかとひどく感動しているので、何となく不思議な気がした。たしかにかつての大阪のイメージではなく、美しい夜景を堪能していると、これが本当に大阪なのだろうかと思ってしまう。

翌日、大阪から神戸へ向かうタクシーで、「ここがオリンピックを誘致しようとしていたところですよ」と説明され、運転手が3000億円の赤字の話をし始めると、娘が喜んで、「ちょうど今、社会の授業で大阪の赤字についてやっているところです」と答えていた。運転手とわたしはひたすら「へーーーっ」と感心し、娘に同じ質問をした。まあ、学校の社会の授業がどういうものかなんて、すでに覚えていないし・・・そんなことを習うのかと不思議な気がした。

もっと不思議だったのは、姪の結婚式で、いわゆる人前結婚式で、教会のようなあつらえの席に座り、花婿の次に父親と一緒にウエディングドレスを着た花嫁が登場し、まるでキリスト教の結婚式でありながら、神父さんも牧師さんも登場せず、台風の近づいた空の下で、結婚式が行われた。

出席している人たちはみんな上機嫌で、誰もが浮かれていた。わたしもそれなりに楽しく、仲が悪かったはずの主人の姉夫婦のところとも旧知の友と話すように話が弾み、その前に花嫁の控え室へ行き、お祝いを言ったら、「私は結婚式に行きましたよ」といきなり言われ、意味がわからなかったので、「そうそう、それであのときはディズニーランドへ行ったのよね(それほど小さかったのに)」という意味で答えたが、やりとりになっていなかった気がする。そこで、『昨日、かんじんかなめの案内状を出掛けに忘れ、うっかりおばあちゃんのところに電話してしまい、大騒ぎになったことが悪かったのだろうか』と勝手に解釈した。

・・・・・・・・が、大いに違った。

何が違ったのかよくわからないが、とにかく、この数週間、おばあちゃんの欝が悪化し、ひたすらそれにみんなが振り回されていたらしい。一番の犠牲者は姪で、婿さんと二人で振り回され、まるで嫁いびりをされた嫁のようにひたすら傷つき、それがわたしとどういう関係があるのかよくわからないが、なんか、こう、深いいたわりと同情を持って、皆に迎えられたところをみると、花嫁がヘルペスに苦しみ、式の日に笑顔が引きつっていた理由が、というか気持ちが少し理解できた。嫁に対する仕打ちではなく、孫に対する仕打ちなので、あれは姑さんの欝が原因だった、と、過去の確執がさっぱりしてしまったのかもしれない。

そこでちらっと思ったのだが、このところ忙しく、しかも母親の容態が例のごとくだったため、「葬式と重なったらわたしは出られない」、という当たり前の意味が、おばあちゃんを経由して彼女に伝わった場合、どういう風に伝わったのか・・・

考えて謝ろうと思ったが、今は何を言ってもやぶへびになりそうなので、やめた。何も言わないに限る。弁解しても無意味だし、わたしは何も弁解するようなことはしていない。かえって、怪しまれるではないか・・・

いつもこの調子だ。

どうでもいいと思いつつ、もっとシュールだったのは、婿さんとはインターネットのオフ会を通じて知り合った仲間らしい。オフ仲間が全国から集まっていた。とは言うものの少数だが・・・
でも、リアルな友達より多い。

その集まったメンバーがどこか不思議な人たちで、花嫁が、その人たちに接するときが一番うれしそうな顔をしているのが印象的だった。

本当に不思議な人たちなのである。どこが不思議なのかはうまく説明できないが、今、自分の目の前にいる人たちが、それぞれネットというフィルターごしに出会い、それを形にしていくまでの様子が、何となく想像できた。1人、泣き出してしまった女の子がいて、わたしの邪推によると、彼女はどこかリスカ系の人だったのではないかと思ったが、口には出さなかった。ただ、皆が陽気に集い、再会と結婚を祝し、皆が出会うきっかけとなった女の子がスピーチをし、その子も別の男の子も本当にやさしそうで、いわゆる『こころのつながり』を求め、大事にする人たち系だと思ったが、何よりも不思議だったのは、いつもサイバー上で出くわすその手の人たちがそのとき自分の目の前にいて、その中に小さかったあのときの女の子が混じっていて、しかもそれがダンナの姪だったことが、いたく不思議な気がしたのである。

意味もなく、わたしにいじわるな質問をしてきたり、きついカキコをしていた中に、姪が混じっていたとしたら、あるいは混じっていたとしても、わたしはすでに驚かないだろう。

まあ、インターネットは匿名の世界だし・・・自由な世界でもある。

だとすれば、2重の意味で、何かわたしに文句を言いたかったとしても、何となくそれもまた理解できる。ジャンキーネタもずいぶん書いてきたし、まあ、その手のネタも多い。実際、それを形にして、結婚式というところまでこぎつけたわけで、その点ではすごいような気もするが、その辺のところを理解できるのもジャンキーかもしれない。しかも、もっと恐ろしいことに、その手のネタで講演してくれないかと、娘の学校の先生から電話がかかってきた。わたしはとてもではないが、純朴な子どもたちを相手にその手の話をする勇気はなかったので、当然、お断りした。

式は楽しく、お祝いの気持ちでいっぱいだったが、家に戻ってきて、サイバー上の画面に向かうと、そんなことを考えてしまう。
考えすぎかも。
なんか、このところ忙しすぎて、ぼぉ〜っとしすぎている。
台風の中、お墓参りに行き、そのちぐはぐさに振り回されたのが原因かもしれないし、朝食へ行っている間に、何度もおばあちゃんから電話が入っていたのが原因かもしれないし、果たして彼女をこちらで面倒をみるとして、わたしにその耐性があるかどうか、自信が持てないのも原因かもしれない。

まあ、深く考えるのはやめよう。
あまつさえ、忙しい。

投稿者 Blue Wind : 02:56 AM | コメント (0) | トラックバック

September 05, 2006

自由業

昨日から、朝起きると眩暈がする。眩暈が原因で起き上がれない。
起きて、血圧を測ったら、150以上あり、もともと低血圧だったのだから、いかに体調が悪いか・・・
午後になると下がるので、一過性のものかもしれない。

外は暑いし、昨日はテンが虫に刺されたらしく、ボクサーのようなはれ上がった顔をしているし、一瞬誰かに殴られたのかと思ったが、ほかは無事なので蜂にでも刺されたのだろうか。マリはまた妊娠しているようで、来月には子犬が生まれるだろうか。2度目となると落ち着いたもので、テンがあっという間に育ってしまったせいか、今度は生まれたら里親を探そうかと思っている。テンを里子に出そうと思ったけど、生まれてからずっと一緒にいるため、テンがいなくなるとさびしい。

娘は学校が始まり、体育祭の練習で筋肉痛らしい。大して気にしないでいたら、犬の餌を出すためにキッチンの棚の扉を開ける際、台に手を置くように扉につまったら扉が割れた。扉が木で出来てるため、真っ二つに近い。仕方がないので、木工用のボンドで付けてみたら、直った。組み木の要領で作られているため、そこにボンドを塗ってパーツを差し込む。

家も10年経つと、あちこち傷んでくるのだろうか。今年は開業するので、リフォームしている余裕はない。内装の打合せをしに四谷へ行き、案外近いので驚いた。つくばエキスプレスが開通したせいか、秋葉原で乗り換えたらすぐだった。でも、帰りは東京駅からバス。つくばまでなら下り路線なので、バスも定刻に到着する。

友達がデパートに勤めている。このところ前を通りかかると、つまらない話をして帰ってくる。ちなみに駐車場のことを尋ねたら、歩いて10分くらいのところに従業員用の駐車場があるらしく、それが普通なのか、と不思議な気がする。つくばだと、どこでも駐車場があるのが当たり前で、駅の周辺も駐車場だらけだし、そこを借りて、と思っていたら、コンサルタントが、「こういう便利なところは駐車場がないほうが普通だ」と言う。・・・・・・・・う〜む。まあ、通勤や通学となると、電車やバスを利用するのが当たり前なので、よほど辺鄙なところでないかぎり駐車場なんてないのが当たり前なのかも。

そうやって、わさわさと働いているほうが普通なんだろうか。
わたしは自分が働いたことがないので、そういう意味での普通さがわからない。一つわかっているのは、うちのような労働条件のところならいくらでも職員が集まる、ということらしい。まあ、従業員なのかお客様なのかわからないから・・・

自分にとっての当たり前が、社会にとっての当たり前ではないらしい。
ただ、他人の愚痴に付き合わされるのは、面倒だ。ご不満があるのなら辞めてください、で終わるほうがさっぱりするではないか。で、また職員を募集したらいくらでも集まる、というほうが気楽だ。

他人を雇うより、やれることは自分でやろうというのは、一つには経費の節約もあるけど、そのほうが人を雇うより遥かに気楽だから。患者さんが増えても、職員を雇っていたら採算に合わん。逆に、健診センターでもやって、他人に勝手に働いてもらっていたほうが遥かに経営的には楽なのはわかってはいるが、それもかったるい。万が一、父さんに何かあったとき、みんなが路頭に迷うことになる。そうなったら法人にして、ほかの先生を連れてきて、となるのが普通だろう。それだったら病院に勤めていたほうが遥かに楽。

考えすぎなのかも。それでいて、他人に振り回されるのはいやだ。自由にしていたいから、開業するのかもしれないな・・・

投稿者 Blue Wind : 03:45 PM | コメント (0) | トラックバック

September 01, 2006

外面(そとづら)と内面(うちづら)

気のせいかもしれないけど、またアメブロの編集画面が変わっていて、どうやって記事を投稿してよいのかわからなかった。
その前に、仕事のメールをチェックするだけで精一杯で、自分のブログへたどりつく頃には目がしょぼしょぼしていて、レスを書くのが遅くてすみません。疲労がたまっているのかも・・・

近頃、自分でも変わったなーと思うのは、以前だったら営業の電話などがかかってきても、やたらと腹が立つだけだったのに、このところ、「みんな、たいへんなんだなー」と思うようになったことかも。営業の電話なんて、好きでかけている人なんていないかもしれない。仕事だから、仕方がない。

娘が言うには、わたしの電話の声はすごく明るくて愛想がよいが、娘の友達から電話があって娘に代わるとき、声のトーンが変わることが筒抜けで、娘の友達ががっかりするくらい違うそう。

そんなに違うかな・・・
と思ったが、そうやって言われると、営業用の声と家族に出す声とは高さからトーンから違うような気がしなくもない。なんか、自分でも自覚しているもの・・・その違いを。要するに、外面(そとづら)と内面(うちづら)というわけではないが、仕事がらみでよく知らない人たちと話す声は愛想がよいし、家族や友達と話すときには愛想が悪い、というか、普通の声だし、娘に言わせると、普通の声を出すわたしが裏の顔で、外へ向けて発する顔は単なる表の顔らしい。

うんうん、世の中そういうものなのだろう。
基本的に仕事の場合、初対面だったり、顔しか知らなかったり、その人自身についてはまるで知らない。まあ、それが世の中なんだと思いつつ、まるで知らない人であっても仕事を通したやりとりがスムーズに行くというのは、仕事、という言葉には何やらセットパック的な安心感がいつもあるからなのだろう。

だから、その人のことはまるで知らないが、要するに会社の信用などから類推して取引をするわけで、そういうことがスムーズに行くのは、それが誰かの紹介だからだったりするのかもしれないし、いわゆる社会的信用の問題なのかもしれないし、そんなことはどうでもいいが、一つわかっているのは、知らない人たちばかりを相手にしていると、自然と愛想のよい声になるのが不思議さ。
そりゃ誰でも、いきなり不機嫌な声を出されたら、「なんだろ・・」という気持ちになるだろうし、結果的に営業モードになったところで仕方ないではないか。

問題は、その落差にあるのだろうか・・・
内心、「なんだ、娘への電話か」ということが、ありあり出ることにあるのだろうか。
そうだよね・・・
わたし的にはどうでもいいようなことなんだけど、彼女たちにしてみたら、友達の家に電話するとか家族の人からどう思われているのだろうとか、案外、気にするような年頃。ましてや中学生くらいになると、親が友達のことで何か言いたがることが多いだろうし、そもそも、わたしはそういうことに大して関心を持っていない、ということが娘の友達に理解してもらおうと思っても無意味だ。

いや・・・
そういうことを気にしなければならないような年頃なんだろうか。
この前も、娘の小学校時代の友達が来て、娘が一緒に出かけて行きすぐ戻って来たからどうしたんだろうと思ったら、レンタルショップで借りるのに学生証を忘れたから、娘が代わりに借りてあげたそう。後になって訊いたら、実際に代わりになってあげた子は友達の友達というだけでまるで知らない子たちだそう。
娘の友達は昔から知っているが、そのまた友達となるとまるで知らない子たちなわけで、一瞬信用してよいものかどうか悩んだが、逆にその話をその子が親にしたとき、すごく叱られたと言って、電話がかかってきた。
そりゃそうだ。

世の中って、お金が絡むとそうなんだよね・・・
さわさわさわ〜となるが、そういうことを考えると、ひどく面倒でもあるし、ひどくわずらわしくもある。
娘に、「お母さんは叱らないの?」と訊かれたが、立場が違うし、「何か問題が発生してから怒る」と答えた。何も問題が発生していないうちから大騒ぎするほどのことでもないし、そうなったら向こうの親に文句の電話をかければよいだけのことで、そうなる前に向こうの親が子どもを叱っているのだから、何もわたしが言うべきことはない、と思う。

まあ、何でもいいや・・・
子育ての第2段階に突入したみたい。
みんな、ポカをやって成長するんだ。
子どもは子ども。

投稿者 Blue Wind : 02:27 AM | コメント (0) | トラックバック

August 26, 2006

時間がない

また、おばあちゃんの欝が始まった、ようだ。
ダンナの姪が結婚することになり、おそらくはその辺が原因だろう。せっかくの結婚式だというのに、眼の手術を理由に出ない。先生は大丈夫だと言っているのに、本人が出たくないのだから仕方がない。わたしも母の容態が旅行から戻るなり急に悪化して、もしかすると出れなくなるかもしれない、と伝えたときには元気だったのに。

その辺のところがむずかしい。母は個室に移ったままだが、今のところ息をしているらしく、その昔、わたしは老人病院のわるぐちを言っていたが、看護師さんの話を聞いているうちに、それはもはや仕方がないのだと思えるようになる。

人間は、呼吸が止まり、その後しばらくして心臓が停止するそう。母の場合、このところ無呼吸が断続的に出るようになり、最初のうちは10秒間隔だったのが、近頃では20秒くらい停止するようになり、個室に移ったばかりの頃は血圧が70にまで落ち込み、心停止に至っても不思議はない状態だったが、このところ落ち着いている。

看護師さんの話によると、自然死というのはそういうもので、静かに無呼吸の状態が続くようになり、やがて息が止まり、そして、心臓がゆっくり停止する。何かの疾病が原因で、延命治療をしていると、そういうことがわからない。そういう状態になるから、酸素マスクをしたり、心臓に注射をしたりするのだということが、何となく理解できた。

老人病院の場合、すでに延命治療はしないから、ある朝気がついたら患者さんが亡くなっていた、ということが起こり得る。家族も了解しており、その理由も、母の入院生活が長くなるに従い、理解できるようになった。

すでに、数回、心臓が停止しているにもかかわらず、母はこの世に舞い戻り、今回も呼吸が停止したにもかかわらず、再び戻ってきたようで、母がいるのは老人病院ではないが、すでに延命治療をする意思が家族の誰にもないほど長生きしているため、母の死がいつ訪れるのかは、医師も看護師も、誰にもわからない。そのくせ、いつも慢性的に危篤が続いているため、実は、今回もあちこちに連絡したのがだ、どうやらまた狼少年になってしまったようだ。

そういうことの繰り返し。

最初の頃はともかく、おばあちゃん、つまり、姑さんにしてみれば、皆が寝たきりの母のことで大騒ぎしている状態になると元気になり、また今度のように状態が落ち着いてしまい、めいめいの生活に埋没していくと元気がなくなる。

そういうことの繰り返し。

わたしだって、いつも母の心配をしていたいが、正直、今はそれどころではない。よく、ちまたで、仕事が忙しくて、という言い方をするが、まさしくそういう感じ。事業計画書を書いたり、業者と打合せをしたり、役所への手続きのことやら法律のことやら、人を雇用しようとすれば、それに対しても責任があり、ここで躓いたら、ほかの人たちにも迷惑をかけてしまう。いろいろな意味で、そうやって社会はもちつもたれつ存在しあっているのだろう。

その輪から外れた生活に慣れているせいか、自分でもそういう状態がいつまで続くのか自信がない。今までの遅れを取り戻すように、毎日コツコツいろいろなことを勉強している。いや、ここまでくると、コツコツではなく、それこそ試験前の一夜漬けのような状態の日々が続いている。だから、これ以上それ以外のことを考えている時間的余裕が欠如しているのも事実だろう。

ここまでぼぉ〜っとしていると、知り合いの大工さんに業者の見積もりが高いとこぼしたら、今、資材が値上がりして、大手が買い占めているから部材が仕入れられないという話に驚く。その大工さんの場合、自分の家も建てている途中なのに、部材が手に入らないから、お客さんの分を優先し、自分の家がいつ完成するのかわからないとこぼしていた。本来だったら、とっくの昔に完成していると思っていたのに、仕事が優先。しかも、1週間ごとに見積もりを書き換えている状態が続いているらしい。今年の12月まではそういう状態が続くと言っていた。

次にガソリンスタンド。
あまりにもこのところのガソリンの値上がりが激しいので文句を言ったら、12月までは仕方がないと店員さんが言っていた。そのくせ、文句を言った数日後には2円ほど安くなっている。こらこら・・・
便乗値上げではないかと疑ったが、「戦争やっているから仕方がないわね」と捨てゼリフを残したのが効いたのだろうか。いかにも、「12月までは家計を引き締めなければ」という風に響いたのだろうか。いずれにせよ、今月中にガソリンを入れる予定はない。ちょっと悔しい。

そういえば、一昨年、11日に出発するから少し不安になったのを思い出した。まさかね・・と思っていたら、本当に11日にテロ騒ぎ。自分がすでに旅行を終えているせいか、それすら空しい。

おばあちゃんの話は、もっと空しい。
よく知らないけど、一人で孫の結婚に反対している。でも、誰も気にしないところが、さらに空しいではないか。まあ、娘の結婚なら親が反対したらそれなりに大変なことになるだろうけど、孫の結婚となると蚊帳の外。
わたしは詳しいことは知らないが、相手の人がどこかの企業にお勤めするサラリーマンで、結婚してもしばらくは共稼ぎになるらしい。彼女もまだ若いし、今はそれが普通ではないかと思うのだけど、おばあちゃんの世代からしてみたら、高い学費払って美大まで出して、あげくまったく関係ない仕事をして、結婚しても共稼ぎしないとやっていけない、というのが許せない。

他人にとってはどうでもいいこと。いや、今はわが子だとしても、それが普通のような気もするし、年寄りが集まったら、それはいつまでも普通ではないのかもしれないし、わたしは話についていけそうにない。

いや・・・わかってるのよね。要するに、皆、仕事があって忙しいし、しかも、娘が結婚するとなったら親は忙しいし、ウキウキしている。そのくせ、おばあちゃんが手術をするとか、眼がわるいと言っても、仕事が忙しいからついて行ってくれない。そのくせ、娘のこととなると一生懸命。
それが、一番鬱々するのだろう。
わかっていはいるが、皆、忙しい。
年寄りのことなんて、ほうったらかし。
それも、今は普通なのかもしれない。
わたしなんて、まるで親の世話などしていないが、それでもしていると言われる。へんだ。何かがおかしい。

まあ、なんでもいいや。
目先のことを片付けなければ・・・時間がない。

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August 24, 2006

事業にはほど遠い・・・

近頃、思うのだけれど、・・・・・・・よのなかは忙しい。
内装工事が遅れそうで、それでは困るのだけど、1,2週間開業が遅れることはよくあることで、大して気にしないでいた。
帰りしな銀行の人に、「パチンコ屋なんかは大変ですよ。1日遅れただけで日銭が入らなくなるから、損害賠償まで契約にあるから工事は大変で。」と言われた。

おおお・・・・・

そりゃ、パチンコ屋さんだったら、そうやって計算できるのだろう。開店と同時に人が並ぶらしいから、台1台につき売り上げなども予測できる。それにひきかえ、うちの事業計画書のほうは、結局は最終的にわたしが手書きし、家計を考えながらのんびりしている。もともとはリース屋さんが作成してくれたものを土台にシビアに計算し、シビアなものがさらにシビアに書き換えられて、最終的な数字を出した。最低限度、この程度の患者さんが来て、この程度の売り上げがでれば、これくらい借金を返済し、5年後に娘の受験があるから、その頃までにいくら貯蓄して、の世界。

こんなんでいいのだろうか?
正直、世の中の景気なんてまるで関係ないし、ほとんどが1年目はこれくらい、2年目はこれくらい、3年目で飽和して、その後は横ばい。というのは、医者1人で1日に診られる患者さんの数には限度があり、あまりにも増えると、休みの日を増やしたり、受付時間を短縮したり、予約制にしたり、とことんマイペース。生活費が足りなければ、バイトへ行ったり・・・

今度、銀行の人が悩んでいるのが金利のことらしい。
あまりにも高く設定すれば、公庫とかね・・・少なくてもわたしの性格だから、そそくさと繰り上げ返済してしまうだろう。そうなると、銀行は儲からない。それでいて、このところ銀行の金利が値上げになったらしく、去年からわが家を担当している人は悩んでいる。前回の話は借入額が高かったので、それこそ支店長と相談して、となるが、今回のプランはビル診療なので借入額は低い。普通は、借入が大きくなるほど金利は低くなるらしいが、わが家の場合は、リスクの低い貸し先ということで、低金利の設定ができるかどうかを相談するそう。

事業計画というより、住宅ローンの借入のような雰囲気だった。

投稿者 Blue Wind : 12:54 AM | コメント (0) | トラックバック

August 07, 2006

変化というマニュアル

それにしても、ちぐはぐな旅行だった。

ANAの国際線は初めてだったので、少し期待していたけど、共同運航で結局往きの飛行機はユナイテッドだった。帰りはたしかにANAだったけど、深夜の飛行機だったし、真後ろがトイレで臭かった。

ビンタン島はそれなりによかったが、なんせシンガポールのフェリー乗り場に到着する寸前に大雨になり、それでいて午後は晴れて喜んでいたら、翌日は朝から晩まで雨。フェリーの予約が取れたかどうかわからないまま出発し、結局、取れていなかったので行き当たりばったりで島へ渡る。そのためビンタン島を出発する時刻が遅くなり、幸いその日は晴れたので朝からクラゲとうつぼのいるビーチでシュノーケリングを楽しみ、シンガポールへ再び到着したら、すっかり夜だった。

めずらしく殊勝なこころがけで、姑さんに頼まれたプラダのリュックとロレックスを買いにオーチャードまで出かけたら、リュックは日本で買うより遥かに高いし、ロレックスの店はどういうわけかブラインドまで下ろされ閉まっていた。ほかで探したが売っていない。にせものが出回りすぎて、追いやられてしまったのだろうか・・・わけがわからないまま帰国した。

そして、姑さんに電話しながら、インターネットの画面を開き、ショッピング。
とりあえず、時計は要らないと言うので、プラダのリュックだけを検索し、注文の白だけをやっと見つけてオーダーしたら土日は休み。お盆休みの前に、果たして神戸に届くだろうか・・・

帰国しても見積書は届いていないし、そのうち1社に電話をしたら、担当の人が休暇中。わが家も旅行に行っていたわけだから、そのせいで怒るわけにもいかない。

***

そうなんだよな・・・
何がそうなんだかよくわからないけど、他人と同じことをしていてはいけないわけで、ある意味、時代が飽和しているのかもしれない。

そうなんだよね・・・
何か、頭の片隅で、何かを思い出しつつあり、それでいて、その感覚が何なのか思い出せない。
そう・・・
どこか、マニュアル化しており、どこかパターンがあり、消化器だったら消化器の道具を業者がピックアップして、「この程度は当たり前」を押し付けてくるのは当たり前で、どこか綺麗な内装も、サンプルがたくさんあるくらいマニュアル化しているということなのかも。

それに対して、わたしはどのように思うのか?

他人の目で眺めれば、どこも新しいものは何もなく、タウンページに申し込めば、厚生労働省の書式でないと掲載できないと言われるし、それならいっそのこと切ってしまおうかとも思ったが、世の中には定番というものがあり、わたしのように新聞広告を読みもしないでそのまま捨ててしまう人間は少数派だと言われてしまった。ということは、大多数の人たちはネットで検索なんかしないし、おそらくはタウンページなのかもしれないと漠然と思いつつ、サイトも今は定番化しており、業者に頼めば、似たようなものをつくるだけなのだろう。

世の中、とことんマニュアル化。
年寄りに、シンガポールと言えばロレックスで、プラダと言えばいまだにリュックで、そのくせ、「今は日本で買ったほうが安い」ということに気が付かないのと似たようなもので、時代はどんどん進行しているにもかかわらず、なかなか実感が湧かない。

アメブロも、このところどんどん変化し、ログインするたびに何かどこかが変わっている気がするくらい、近頃何もチェックしていない。忙しくて、とことんマイペースに徹すれば、そうなることは当たり前のような気もするし、そういうこともまるで気にならなくなっている。

メダイも、どうなんだろう・・・
今度はイヤリングまで売られている。

娘が行くと言うので、再びシロソへ行ったが、日本語の案内まで完備され、あの明るいムード。彼女が幼稚園の頃に行った時とはまるで雰囲気が違う。あの頃は、微かだけど、それなりの緊張感があったが、今はやたらとフレンドリーで明るいスタッフがいて、トラムで送迎してくれる。シンガポールの平和と繁栄をお祝いしているムードが漂っていた。

国民の9割が、政府供給の高級コンドミニアムに住んでいるわけだから、どうやって考えてもシンガポールで買ったほうが高いのは当たり前なのかもしれない。少なくても異国情緒を感じないほど、どこか日本に似ている。

すべてが定番化し、飽和し、それでいて変化しており、それでいて余力がありすぎる。
変化を求めているくせに、変化自体がすでにマニュアル化しているような気がするくらい、何かが飽和しているのを感じる。
世紀末が終わったせいだろうか・・・

投稿者 Blue Wind : 04:25 AM | コメント (0) | トラックバック

July 28, 2006

さあ、しっかり遊んでこよう

さあ、今日から旅行に行きます。
これからたいへんになるというのに、われながらのんきだと思う。
来年は行けないかもしれないと思いつつ、それでもどこかへ行く。ほかに楽しみないし・・・それを楽しみに、勤労に励もう。

おばあちゃんのほしいもの。
プラダのリュックとロレックスの時計。
プラダのリュックはすでに流行遅れのような気がするけど、もう何年も前から言っている。関西だったらどこでも売っていそうなので、毎回みやげを頼まれては、そういう旅ではないからと断っていたが、いまだに自分で買うと言いながら買わないので、やはり”みやげ”がほしいのだろう。年寄り同士の付き合いで、おそらくは誰かに自慢されたのかも・・・(深く考えるのはやめよう)

ロレックスの時計は、震災のときに焼けた。買ったばかりだったから酷く心残りがあるようで、これを買ったら震災が終わるのかもしれないと、漠然と感じるものがある。安かったら買うと約束し、旅立つことにする。近頃、わたしも自棄になっているかも。なんというか、家を建てるとか、開業するとか、大きな単位のお金が動くときって、そうやって何かどこか感覚が麻痺しやすい。まあ、どこかで節約しよう。(果たして可能か?)

まあ、ずいぶんと長い間、親不孝をしてきたわけだし、それくらいは仕方がないだろう。なんか、今年はおされぎみ。

つまらん機械を買うよりも、親孝行したほうが実がある。
会計士に支払う額があるのなら、娘の学費が出てしまう。
なんかね・・・
わたしは主婦だから、一緒にするなと言われても無理だ。
バカらしいと思いつつ、そうやって動く中で税金が集められ、それがテポドンに変わっても、公費という名目の無駄遣いに変わっても、あのレセプトの細かさを要求されているという事実には変わりなく、細かい文字で修正が繰り返されるかったるい文章にも慣れ始め、そういうものをポンと捨てて旅行へ行くことに、今年は少し罪悪感を感じてしまう。
休暇の間、誰かに迷惑をかけているわけで、留守中でも働いている人もいるわけで、今までは自分には関係ないことだったけど、今年からはそういう連鎖の中に入ってしまった自分を感じる。
定年のない仕事なだけに、3年後を定年にしたい。
いや、半年後か?
夏休みでもあるし、娘の送迎もしてやらないとならないし、近頃しっかりしてきたとはいえ、まだまだこの前まで小学生だったわけで、過信は禁物。

さあ、しっかり遊んでこよう。

投稿者 Blue Wind : 04:49 AM | コメント (0) | トラックバック

July 27, 2006

オーダーメイドのつらさ

昨日、叔母に電話した。
特に用事があったわけではない。
特に用事があるわけでもないのに、しつこく電話を鳴らすのは、叔母がリウマチなのを知っているからだ。電話が鳴っても、すぐには反応できない。

特に用事があるわけではないが、開業する話を伝え、世間話をしているうちに悩みが一つ解決した。

大学病院にいる頃から診ている患者さんは、もう付き合いが長いので、開業する前からダンナの開業先を心配しているくらいだ。遠くなったら通院できない。あるいは、多少遠くなっても我慢して通院するのだろうか。少なくても、そういう患者さんの場合、処方箋を書き写さなければならないし、書き写したとしても必ず来院することがわかっているから、ダンナも労を惜しむ気持ちはない。

ところが、民間病院へ移り、外来は週に1回しかやらないにもかかわらず、勤めが長くなってくれば1日に100人以上は診察しているわけで、それでいて、その中で開業先まで通院する人たちがどの程度いるのかわからないという。外来だから、医者が変わることに慣れているのかもしれないし、それでいて同じ内科でもそれぞれに専門が違うから、いざ自分が辞めるとなったとき、自分の患者さんをどの先生に任せようか、それが悩みどころらしい。それでいて、開業先が近いからといって大した病気ではないと本人が考えている場合、家から遠くへ行く気にはなれないだろう。

・・・・・・というわけで、来るか来ないかわからない患者さんの場合、いちいち処方箋を移すのはつらい。

「だったら、来てくれたときに、また新しく処方すればいいじゃない?」
とダンナに言ったら、叱られた。

正直、わたしには、開業医と言えば、昔の開業医のイメージしかなく、その昔は院内薬局が当たり前だったので、どうせ似たような薬を出すのだろうと考えてしまう。が、しかし、今はもう時代が違う。薬はオーダーメイドの時代だし、開業医といえども処方箋を書き、いちいちその患者さんに合った薬を処方する。

「いくつ薬の数があると思ってるんだ」
と叱られたが、日頃薬を飲む習慣がないために、わたしにわかるわけもない。

要するに、細かく患者さんごとに処方された薬を再び処方するのは非常に困難であり、それこそ慢性疾患の患者さんの場合、検査をしたり、薬の副作用やアレルギーを調べたり、同じ病気でも一人ひとり薬が全部違ったりする。

その話を叔母にしたら、「おくすり手帳を持ってきてもらったら?」と言われた。
目からウロコ。
わたしはその手の類は、大昔、娘の分を作ってもらったことがあるだけで、それすら大昔の話だからすでに手帳がどこにあるのか記憶にない。あったとしても役に立つとは思えないし・・・

が、しかし、叔母のような慢性疾患だと、自分のおくすり手帳はどこへ行くときにも携帯しており、くすりが切れたら大変なことになるし、近所の医者へ行って風邪薬を処方してもらうときですら、今自分が飲んでいる薬を伝えないと大変なことになる、という危機意識が常にあるのだそう。

その話をダンナに言ったら、そんなものは見たことがないという。そりゃそうだろう・・・大抵は、大きな病院へ行く場合には最初から検査するし、処方もそのときに応じてするだけのことだ。その人が日頃どんな薬を飲んでいたとしても、きちんと検査して最初から処方しなおす。しかも、おくすり手帳は調剤薬局が作るために、自分が処方した後のことはまるで知らないのである。

そこなんだよなぁ・・・
まさしく、その辺の意識の違い。
子どもの頃、開業したての医者へ行き、いきなり胃が痛むと言っただけでバリウムを飲まされたことがある。わざわざ検査のために学校を休み、食事を抜き、どろどろとした変なものを飲まされ、レントゲンを撮影した後には下剤まで飲まされる。そこで本当に病気が見つかれば違うのかもしれないが、残念ながらわたしはいたって元気で、そこの医者には2度と行かなかったどころか、大のレントゲン嫌いになってしまった。

それ以来、わたしは胃が痛くても市販の薬しか飲まないことにしている。
本当に具合が悪かったら、病院へ行くさ、と思いつつ、後々その話をダンナにしたら、放射線科の医師だったのだろうと言われた。そのように言われると、いくつか並んだ診療科目のはじっこに放射線科と書かれていたのを思い出す。

つまり、開業医で今やっているようなことをした場合、患者さんからは酷く不評だろうなぁ・・・というのがわかるじゃないですか。意識が違うのだから。病院へ行くからこそ、検査をしてもらいたいという意識が根底にある人が多いだけのことであって、ちょっと胃が痛いからといって近所の医者へ行ったくらいでいちいち検査までされていたら怒るよね。

で、広告の人と打合せでお会いした際、「おくすり手帳をお持ちの方は、ご持参ください」とリーフや名刺の裏に書いてもらうことを伝えたが、ダンナとしては、「自分で移すから、いい、いい」とたじたじしている。
先が思いやられる・・・
開業したら、そんなことは特に言わなくても患者さんのほうが見せるようになるのかも。が、しかし、自分がずっと診ていた患者さんならともかく、他人の処方を見てうれしいはずもなく、ましてやその疾患が自分が専門だったとしたら、どういう気分なのかわからない。

なんか、こう、つまならないことだけど、少なくてもわたしにとっては大した問題ではないことだけど、困ったなーと思うことが多々ある昨今。最初から慢性疾患しか診ないという姿勢ではおそらくは3年以上は赤字続きだと覚悟したほうが・・・

あっさり語るけど、そこまでわたしは我慢できそうにない。

投稿者 Blue Wind : 11:22 AM | コメント (0) | トラックバック

July 23, 2006

なんか、もう、うんざりだと思いつつ、夏。

まあ、いいや。
何がいいのかわからないけれども、先日、ダンナの先輩の医師のクリニックへ行き、いろいろ見せてもらった。そこで、懇々とどうして糖尿病が専門ならそれだけの施設の広さと設備が必要なのか説明された。

経営のことだけ考えたら、家賃だけでも100万円だもの。それでいて、一日の収入が2,3万円の日が続いていたわけだから、天国から地獄に近い。人件費もかかるし、医療機器も高いし・・・
今は軌道に乗り、のんびりしているのだろうと思ったら大違い。今でも不安に戦いている。毎月、奥さんとふたりで、コンサルタントと会計士とミーティングをしている。その費用だけでももったいないような気がしたけど、実際にはカウンセリングのようなもので、安心を買っているのかもしれないと、ちらっと思った。

というわけで、初期の頃の会計士とは喧嘩して契約を解除してしまったそう。今の会計士になってから順調なので、すっかり信頼している。

あれこれ見せてもらい、説明されると、仕方がないような気になってしまう。糖尿病の患者さんの場合、検査だけでも大変だ。尿検査の設備、血液検査も糖尿病の場合は変化しやすいため、その場で結果がわかるような設備が必要。その結果を看護師さんたちが電子カルテに入力し、さらに管理栄養士とのミーティングがあり、1人の患者さんの診察が終わるまで、そのすべてがカルテに書き込まれる。医師が1人で書いているわけではない。

「糖尿病のカルテは文学だから」
と言われたが・・・
なんと答えてよいのかわからなかった。
それを言うなら精神科のカルテではないかと思ったけど、おそらくはそれくらい書き込む量が多いと言いたかったのかも。「近頃、職場でストレスがたまり、・・・」という話から始まる世界。わたしは他人のカルテなど見たことはないが、カルテというのは医師によりまるで違うものらしいことが少し理解できた。

ちなみにいくつ電子カルテの端末があるのか尋ねたが、すぐに訊いてもわからないほどあちこちにある。検査室と指導室と診察室が2つあり、受付と院長室。それに加えてサーバがある。自然と増えていったらしいが、どぉ〜っと疲れが出た。それ以上に受話器の数も多い。職員同士の連絡網がどうしても必要だかららしい。

そのほかに、すい臓の検査をしなければならない。
なんか、こう、やりだしたらきりがない。
病院だったらたくさんの職員がいるから、個人ですべてを抱え込む必要性はないが、この程度は必要という気持ちになるとそれこそきりがない。

内装には大してお金をかけているわけではないが、そこに来院している患者はそういう医師の苦労なんてまるで関係ないのだろうと漠然として感じた。

近頃、いやになるのである。
なんで内装なんかにそんなにお金をかけなければならないのか・・・
コンサルタントが言う、あまりにも貧相だと患者ががっかりする、と。
そりゃそうかもしれないが、いや、わたしだって汚いところよりも綺麗なほうがいいような気がするが、それでいて歯医者じゃないんだから、とも思う。少なくてもうちの近所の人たちは正直だから、綺麗なクリニックよりも医療水準の高い汚い施設へ行ってしまう。たまたまそういう土地柄なのかもしれないけど、それが正直な気持ちではないかと。

それでいて、アットホームなところは流行っている。

どの人の言うこともあながち嘘ではないのでしょうけど、近頃、いやになる。
なんか、もう、うんざりだと思いつつ、夏。

投稿者 Blue Wind : 04:13 AM | コメント (0) | トラックバック

July 17, 2006

水族館と甘味処・・・

また、夢をみた。

今度は、父が無愛想な顔で出てきて、どうやらわたしたちは水族館へ行く途中の、非常に混雑した店に立ち寄ったというシチュエーションらしい。

どう見ても古い水族館にしか見えないのだが、リニューアルしたのか、新しくできたのか、オープンしたばかりでとても混んでいる。その手前にある店は居酒屋のようなしつらえで、右手にカウンターがあり、左手に座敷のようなものがあり、わたしはカウンター越しのメニューからおしるこでも食べようかと思いながら、席が空くのを待っている。父は、空いたカウンターにさっさと座り、注文の品が出てきたとたんに立ち上がり、カウンターに座っていた人たちを誘って、みんなで座敷のほうに移動してしまった。

その人たちをよく見ると、どの人たちも年寄りばかりで、もともと父の知り合いだったのか、それとも旅は道連れ風に盛り上がっているのか知らないけれども、年寄りが集まって盛り上がっているので放っておくことにした。カウンターに誰もいなくなったので娘と一緒に座り、店の人と会話する。世間話風に、整形外科の引越しが終わりすでに水族館のほうでやっているという話を、店員がしてくれた。

その辺で目が覚めたのだけど・・・
目が覚めたとたんに考えたのは、父と一緒にいた一団のことである。

なんか、こう、リアルで、どの人も元気なお年寄りで暇をもてあましている風で、気がつけば座を囲んで盛り上がっている。わたしの意識の中では、父と娘と3人で水族館へ行く予定なのだが、父は途中で気が変わったのか、年寄りの中に混じっており、もしかすると彼らはその整形外科へ通院している人たちなのかもしれないし、そのほうが現実味がある。

なんか、こう、がっくりして、一生懸命に設備を整え、綺麗な待合をつくり、どうせ自分が働くのならおしゃれな空間を・・・・・イメージしていたのに、もしかすると、暇な年寄りばかりが集まってくるのだろうかと思ったら、急に疲れが・・・

しかも年寄りはカウンターよりも座敷のほうにがやがや集まりたがり、わたしなんかの感性だと、プライバシー重視というか、隣に知らない人が座っているのはどうも気が進まないのだけれども、あのがちゃがちゃした一団をイメージすると、急にやる気が失せてくる。

年寄り以外には、子どもとか?
そうなると、たいへんだ・・・小児科の待合室はたいへん。子どもばっかりわさわさとぐずって泣いて嫌がって、走り回って感染しまくって・・・母親はどこかヒステリックな不安顔。

なんか、こうね・・・夢を描くのは自由だけど、現実を考えろ、という父の警告なのだろうか。ブティックよりも居酒屋をイメージしたほうが現実味があるのかもしれない。

水族館と甘味処・・・
なんかね、リアルだ。
疾病率と罹患率を考えると、子どもと年寄りが圧倒的に高い。元気な人に医者は要らない。

投稿者 Blue Wind : 02:46 AM | コメント (0) | トラックバック

July 16, 2006

イメージの乖離

気がつけば、すっかり夏だ。

このところ打合せに出かけたり、医療事務の勉強を始めたり、脳の中が厚生労働省の書式に埋め尽くされ、内装も2社紹介され、そのうちの一つがティファニーやルイ・ヴィトンのテナント設計をしているところと聞かされ、そのくせあまのじゃくのわたしは公庫へ行き、公庫の人に借入額が大きいと言われて、何となく癒しすら感じてしまう暑さの今日この頃。

次第にだるだるになり、予算をきっちり決めて、「その予算でどこまでできますか?」
で、終わり。

大体、今年になって医療制度改革があり、保険点数が大きく引き下げられたという話。わたしがやっている医療事務のテキストの点数は去年のもので、昨日届いた今年の点数表を眺めたら、あらゆる数字が下げられており、全体的に10%の削減になると言われる理由を理解した。

理解したところで考えれば、医療はどこへ行っても同じ価格設定なのだから、わたしが、「その予算でどこまでできますか?」と問うたところで当たり前なのである。価格が決まっているところでの競争であり、高い医療機器を使おうが安い機器を使おうが、内装がどのようなものであろうが、定価は定価。点数が決まっている。

そこで、内装の業者にも、「その予算でどこまでできますか?」と問うたとて、何の不思議があろう・・・
見積額で比較するより、同じ予算で、その内容や技量、センスを比較したほうがリーズナブルではないか。
それでも差がつかなかったらどうしよう・・・
そこまでは考えていない。

***

レントゲン袋の値段をカタログを見ながら比較しているうちに、クリニック名を印刷すると1枚90円になり、印刷しないと19円になることに気がついた。

それだったら、娘にスタンプを押させようと思うのはわたしだけだろうか。

子どもの頃、母のオフィスへ行き、夏休みなどには手形の裏にスタンプを押したり、領収書ののりはりしたりして遊んでいたのを思い出す。ついでに映画を観たり、散歩をしたり、帰りは母と一緒に帰ってくるとすっかり遅くなる。母にしてみれば、学校があるときはともかく、長期休暇のときには子どもたちだけの生活になり、家に置いておくのは心配だったのだろう。

まあ、子どもが家業を手伝うのは当たり前である。

***

なんだか、いやな夢をみた。

夢のなかで、わたしは月・木・金の午前中だけ働いており、夢のなかで薬価を調べていた。そこで、「胃潰瘍」で検索したらいくつか薬がピックアップされ、この薬は腎臓の悪い人には使えないという項目をみたとたん不安にかられ、あの人の腎臓は大丈夫だろうか、検査しなくてもよいのだろうかと、不安におののいているという夢。

実際には、わたしは医者でも薬剤師でもないので、薬のことなど今まで興味もなかったのだが、恐ろしいことに恐ろしいことを考え始めると、薬がなおさら怖くなり、今までは自分に関係のなかった記号やカタカナの羅列を眺めることに慣れるに従い、どこかよこしまな不安が横切るのである。

それと白衣がどういう関係があるのかわからないけれども、ダンナに診察室で(ケーシーではなく)白衣を着るのならネクタイをしてくれと言ったら、案外すんなり了承したので驚いた。本来なら、検査のときには手術衣を着て、診察のときには白衣にネクタイ、あるいはネクタイだけで白衣は着ない、というのが一番楽らしい。が、しかし、検査室と診察室を行ったり来たりしなければならないとなったら、それどころではないかもしれない。

そだそだ・・・・手術衣の上に白衣を着る、という話からそういう話になったのだった。

病院とは違って、今度は1人で何でもやらなければならない。そこに家内業的アンバランスさが手伝い、ましてやわたしは素人なのだから、なおさら戸惑う。まだ医療機器はましかもしれない。医療に関与したことだから。が、しかし、内装の打合せになると、個人の場合、どこまでも自由だから酷く戸惑う。そこにオフィスのイメージが重なり、ダンナはダンナでおじいさんの診察室のイメージが重なり、その二つが似て非なるものなため、互いにイメージしていることが違うため、話がかみ合わない。

仕方がないので、娘に考えさせることにした。

投稿者 Blue Wind : 05:46 AM | コメント (0) | トラックバック

July 05, 2006

こんなんで大丈夫だろうか・・・悩む

そういえば、今が娘の期末テストで、まもなく夏休みだということを思い出す。その後に旅行に行く予定なのに、どうも忙しくてぴんと来ない。でも、毎年こんな風なような気もするし、今週は忙しい。こんなにうざい気持ちになったのは披露宴の準備をしている頃以来のことで、スケジュール管理とは言うけれど、時間にせかされるように気ぜわしい。

まあ、もしかすると、これが普通の生活なのかもしれない。

開業コンサルタント、か。
会計士に銀行。
で、集まって何を話すかと言えば、・・・・・
せんせー、せんせーとおだてられて、借金背負わされて、それでいて、自己資金0でも大丈夫ですとかね・・・
わたし、何度も、「自己資金って何のことを言うんですか?」と尋ねたが、明確な答えは得られない。そこで仕方なく会計士に尋ねたら、「現金のことですよ」と教えてくれた。まあ、会計士の言う現金とはすぐに現金になるものを意味するのだろうと、近頃、簿記の本を読んで覚えた。

おらおらおら・・・
銀行の営業の人も、ちらほらと本音が・・・
近頃、コンサルタントがいるせいか、本当に自己資金0で借金する医者が増えて困っているらしい。昔みたいに開業すればすぐに借金なんか返してしまってという時代ではないらしく、少なくても軌道に乗るまではかなりの借金地獄が待ち受けており、銀行も医者に投資をするということはまるでギャンブルをしているかのような感覚で、あたりはずれを考えているような風・・・

で、当の本人は・・・といえば、自分の医療をするためには、これが最低必要限度の道具であると、あの高額な医療機器をそろえることに意地になっている。「病院ではないのだから・・」などと言おうものなら、「だったら開業しない」と言う。それはそれでうれしいので、うれしそうな顔をしたら、「今の勤めもしない」と言う。あのなー、子どもじゃないんだから、と思いつつ、わたしでさえそうやって思うのだから、世間の人たちからすれば、医者なんて子どもなんだろうな、と漠然と思った。

ほんじゃ、わたしはひとのことを言えるのだろうか?

世の中って難しい。
ちょっとでもお金がありそうな顔をしたら、際限なく借金がかさみ、それでいてお金に困っている顔をしていたら、今度は本当に必要な資金が揃わなくなる危険性がある。

面倒だから、銀行の人に、直接本人と話したらと勧めたら、非常に困ったような声を出す。そりゃそうだろう。本人は、自分がいくら稼いでいて、どの程度家にお金があるのかまるで知らないのである。そういうのはうちのダンナに限ったことではなく、よくあるパターンらしい。すべて自分で管理しているか、まるで知らないかのどちらか。

それでいて、予算を考えて、ちょっとでもわたしが口を出そうものなら、相手はまるで子どもと同じ。
やってらんない。

バカらしくなって、印鑑証明を破いてやった。

そのくせわたしの脳裏には、どうせ200円だからな・・・と冷静な判断が。
その話を姑さんにしたら、「市役所に出してもらえなくなったらどうするの」と叱られた。何枚出したかカウントしているらしい。(本当か?)

そのときはそのときのことだ。
不動産屋に本当のことを話すしかない。
夫婦喧嘩をして破いてやった、と。

本人は自分でもらいに行くと言っていたが、どうせ、どうやったらもらえるのか知らないくせに、と内心バカにする。忙しくて、そんなことを自分で今までやったことなどないからだ。

こうやって自分で書いてみると、わたしもダンナをバカにするほど利口ではないらしいことがわかる。
あーやだやだ。

投稿者 Blue Wind : 03:15 AM | コメント (0) | トラックバック

June 24, 2006

感性について

それにしても、どうなんでしょうね。
世の中というのは、そういうものなんだろうか??

看護師さんたちと面談しているうちに、彼女たちは能力という点にすごい誇りを持っていることに気づく。資格や技能の世界なので、当たり前と言えば当たり前なんでしょうが、わたし的にはそういうことよりもピュアな感性を持っている看護師さんを雇いたいと感じてしまった。

それでは、お会いした看護師さんたちが気に入らなかったかと言えば、決してそんなことはなく、機転もきくし、頭もよいし、仕事もできるし、人当たりもよい。それと、経営感覚を持っているので、助かると言えば助かるのかも。うちのようなしょぼい店でなんで働きたいのか理解できん。逆に、将来的には病院を建てましょう、とか、そういう雰囲気だもの。

事務の仕事はシステムを導入すれば、ほとんどパソコンが働いてくれるようなもの。だから、資金繰りさえうまくいけば、将来的にはかなり経費が節約されるのではないかと期待してしまう。それと、レントゲンなどは産業廃棄物の世界なので、現像しないだけでも環境にはやさしい。もう、今は時代が違う。

感性の問題なんだよね・・・

まるきり素人では困るけど、ある程度知識があれば、事務や受付は人柄のほうが大切。それはいつも感じる。雰囲気の問題なのかも。病院のように与えられた仕事をしていればよいというわけにはいかない。だから、病院で有能であったとしても、小さな診療所に適しているかどうかは、わたしには判断できない。

検査の補助がきちんとできるスタッフが必要なのは当たり前だけど、ピュアな感性というのは判断のしようがないので困る。でも、雰囲気の問題なのだろう。

どうか、わたしが判断を誤りませんように。

投稿者 Blue Wind : 04:06 PM | コメント (0) | トラックバック

June 20, 2006

へんな感じ

近頃、すっかりブログのほうも管理人不在になってしまっている。
そりゃそうだ。
読む本と言えば、経理だの簿記だの、近頃は少し進んで、独立・起業、あるいは労務やその他諸々経営に必要な知識をにわか仕立てで勉強しているだけだし、さらに医療事務とかね・・・今までの人生において、まるで必要のなかった知識が急に必要となり、それをまるで一夜づけのようにやっているのだからたまらない。

そんな本を読んだ後に、何をブログにアップしてよいのか悩む。おまけにスパムの嵐だし、削除する時間もない。メールと言えば、「お世話になっております」から書き始めることが多くなり、多いどころか、ほとんどのメールがそんな感じ。電話にしても、それに近いものがある。たぶん、この前相談に行った公庫の人も、わたしがとんちんかんなことばかり言っているので驚いたかもしれない。
・・・・・・・う〜む・・・・・・・
まあ、それはそれで・・・3ヵ月後には少しはまともになっているかもしれないし、そうでないと困るような・・・

ワールドカップ、か。
なんか、気がつけば、ジーコや中田のインタビューを聞いていたっけ。試合そのものには、まるで興味が持てない。いつまでたってもゴールが決まらないので、いささか飽きてきてしまった。選手にしてみれば、それどころではないのかもしれないが、要するに、自分にはまるで関係のない出来事であり、ボールが左右に移動しているのを眺めているというのが酷くこっけいな気がしただけ。

いかんなー、電子文字を見るより悪い。ワールドカップの試合ですら、単なるオン・オフの世界の出来事。この電気信号のような気分はどうにもならない。暑いし・・・

電子文字での発注により次々に商品が届き、近頃ではその比重が食品に傾きつつあるものの、これから借金しようというのに、気まぐれにジュエリーを落札してしまい、届いたメールに原価以下の価格でお求めになったのでとてもお得ですと書かれたあったのをぼぉ〜っと眺めてしまった。
そりゃそうでしょう。わたしだってまさかその価格で落札できるとは思っていなかったから気分転換に冷やかしするだけのつもりが、気が付けば落札していたのだから。こんなことではいかん、と思いつつ、原価以下での仕入れだったらいいか、などと売る気もないくせにさらにぼぉ〜っと考える。脳内が簿記に汚染されているのが自分でもよぉ〜っくわかるようになってしまった。

楽天で買っていた食品が、オークションだと半値以下で買えることにも気がついてしまったし、世の中には広告費というものがあり、その見積もりにうんざりしながら数字を眺めているために、インターネットでメジャーになったり、アワードを取ったりすることにより、おそらくは店舗の売り上げも伸びているのだろうと勝手に想像し、あらゆることが数字に換算されるとバカらしささえ通り過ぎてしまう。

いかんなー。
でも、時間が止まってくれないかぎり、やらなければならないことは山ほどあり、他人を巻き込むということはそれなりに責任が発生することでもあり、それでいてのらくらとした主婦根性は改まらず、事業用につくった口座の通帳を受け取る際、銀行員から久しぶりにラップなどの詰め合わせをいただくと、懐かしいようなうれしいような、やはりわたしは主婦なのだと実感する。

なんなんだろう・・・この手の感覚。融資してくれるより、サランラップをもらったほうがうれしい、というあいまいな感覚・・・セレブの反対語は庶民なのかもしれないとチラッと感じつつ、彼らにとってはお金が商品なんだなーと、それはそれで変な気がした。

投稿者 Blue Wind : 03:23 AM | コメント (0) | トラックバック

June 11, 2006

中途半端な立場

先月以来、ずっと打ち合わせが続いており、大抵は週末か平日の夜間がそれで潰れる。娘も中学生になったので、家で一人でいたとしても昔ほどには心配しない。それどころか犬が3匹になってしまったので、ちゃんと餌をあげてくれたかな、とかそちらのほうが気になってしまう。

テンはまだ4ヶ月だというのにとうとう柵を乗り越えて脱走するようになり、日中はひっきりなしに家のチャイムが鳴る。宅配の人やら、犬の散歩中の人、あるいは隣のマンションの住人など、見知らぬ人たちが知らせてくれる。オトやマリとは違って呼べばしっぽを振って戻ってくるし、脱走したときのように再び柵を飛び越えて庭に戻るので、その点ではテンのほうがまし。今は、柵にビニールを張ってしまったので、マリは潜り抜けられなくなり、脚の悪いオトは柵を飛び越えることはできず、それでいてテンは軽々脱走する。

それにしても、打ち合わせでつくばにやって来る人たちは、いつが休みなのだろう。それが仕事だとはいえ、ほとんど家にいる時間がないことくらい、わたしにもわかる。

最初のうちは、わざわざ都内からつくばまで来てくださると思い、席を外すわけにはいかないと思っていたが、娘は娘なりに週末くらいしか時間が取れないし、お絵かき教室を土曜日にしたので送迎してあげないと行けなくなるし、眼医者も土曜日にしか行けないし、このところまた成長し、服も靴もすぐに小さくなるので買い物にも付き合ってあげないといけないし、明日は英検があると言うし、・・・・仕事どころではない?

そうなんだよね・・・
サラリーを貰って働いていたら、仕事を優先するのは当たり前。が、しかし、わたしは主婦なので家の都合のほうが重要。雇う側にしてみれば、わたしみたいなのは採用しないなーと思いつつ、家の仕事の延長上に仕事があるってどうなんだろうと、暗い気分で考える。

なんか、こう、ややこしいな。
あの人と一緒に仕事をするのは嫌だ、という感覚は、どうやって処理したらよいのだろう?
なんか、こう、ベテランの看護師さんがそんなことを考えながら働いているというのは、変だ。変だと思いつつ、職場の中でグループができると、それから外れた気がする人たちは非常に働きにくい。かったるいから、グループごと引き抜いてしまえば、自分たちで勝手に決めて働いてくれるから非常に楽な気がしていたが、実際、別の人に、「あの人が来るなら働きたくない」と言われてしまうと、面倒だから募集広告でも出したほうがましな気がしてしまう。

今は、採算が合うだろうかなどとお金の心配ばかりしているけど、実際に仕事が始まってしまうと、人間関係のトラブルのほうが多くなり、もっとそちらについて考慮しておくべきだったと思うことが多いと、何かの本に書いてあった。

う〜む・・・・

まあ、いいや。
自営業というのは、家と仕事のラインがあいまいになりやすい。感覚的にそうなんだから仕方がない。他人に払うのなら自分でやろう・・とかね。そんなもんさな。

わたしがサラリーを払うわけではなく、関係ないと言われてしまえばそれまでだ。それでいて、みんなこぞって他人任せにしてはいけないと言う。

ラインが難しい。
まあ、会社じゃないからね・・・そんなもんさな。
のらくら逃げるか・・・・
考えよう。

投稿者 Blue Wind : 03:57 AM | コメント (0) | トラックバック

May 28, 2006

現在進行形

まったく信じられないことに、今まであれにこれにと難航していた問題が一気に解決し、企業のバックアップもあってMビルで開業することになった。もともとその話は一度お断りし、のんびり地域医療・・・を目指していたはずが、結局は適材適所というか、胃がん検診などを中心に病院や診療所からのご紹介患者様を主に診察することになる。

同じビルのクリニックフロアには体外受精までする不妊治療専門の産婦人科が同居し、ホテルのロビーのような空間の片隅で、わが家の新しい生活がスタートする。

それまでは、わたしが診療所に関与することを内心快く思っていなかったダンナも、一歩ビルの中に入ってしまえばそこは職場であり、おそらくは受付やマネージメント、接客?といったややこしい側面に対してはわたしの独壇場であり、そういう人間が必要であることを認識したため、逆にスムーズに展開することになった。

なんて言ったらよいのだろう。医療に関してはエキスパートであったとしても、そういう人たちが必ずしもフロントに適しているとは限らない。オフィスビルのかもし出す独特の雰囲気は、クリニックにも浸透し、それでいて高度な医療を求める人たちの独特の空気が充満しているようで、それでいて開業している以上、風邪などのごく普通の患者様も多いし、その辺のギャップというか、ある人たちは生命の危機を感じて重苦しい雰囲気をかもし出し、ある人たちはやたらと元気というギャップ、に対して、おそらくはわたしは淡々と業務をこなすのだろう。

どんなことにも適材適所というか・・・

そうやって漠然と思い描いていたイメージが突然現実になりつつあり、不思議のメダイが届いて以来、わたしはそれをずっと身に着けているのだが、もちろんSt.リタのメダイも、それ以来、わたしは少しも迷うことなく、テキパキと業務をこなしている。娘に言わせると、生まれてこのかたそういうお母さんを見たことがないとまで言われてしまった。失敬な!

まあ、家で子育てしながらのらくらのらくら生きてきたので、そうやって娘に言われても仕方がないのかもしれない。が、しかし、自分的には今の自分のほうが自分らしくもあり、一歩家から離れたら、誰でもそういうものだと思う。仕事は仕事。

迎合することなく、やっていくしかないのかも。

家賃は高いし、駐車場代も高いし、患者様に駐車券も出さないとならないし、お金のことだけ考えたらバカらしくてやってられない。医療は誰がやってもどこでやっても定価が決まっているし、こんなんで大丈夫なのかとも思う。が、しかし、企業が考えて、採算が合うかどうか審査しているのだから、何とかなるのだろう。素人の企画ではない。考えるのはあちらに任せよう。

投稿者 Blue Wind : 07:30 AM | コメント (0) | トラックバック

May 15, 2006

ブラックコーヒー

近頃、アイスコーヒーまでブラックで飲んでいる。いつからそうなったのか記憶にない。ミルクもガムシロも冷蔵庫にないことをダンナに言われて気が付いた。もちろん、つい最近のことである。

面倒ならば、スーパーで加糖のアイスコーヒーを買ってきて、ミルクを入れればいい。それがいつの間にかブラックを買ってくるようになり、気が付けばミルクも入れないで飲んでいる。

ホットは逆で、ダンナはミルクだけを入れて飲む。それがアイスになると甘いほうがいいらしい。わたしは、ホットを飲んでいた頃にはしっかりミルクも砂糖も入れていたのに、今はどういうわけかブラックになってしまった。

毎日麦茶を飲むようにブラックコーヒー。慣れてしまえば、どちらも同じようなものだ。

***

なんかね・・・
不思議のメダイは、教会法では売買が禁止されているとどこかのサイトに書いてあった。

それでは、教会に申し込んで届くのを待ったほうがよかったか?
それとも、高価なロザリオを買って、おまけにもらったほうがよかったか?

正直に言えば、どちらもいやだ。
それよりもフランス製かイタリア製の中古のメダイを買ったほうがマシ。
アクセサリーなんだから・・・

おそらくは、何かにすがるように到着を待っている人たちもたくさんいるのかもしれない。今のわたしの気分としては、そうやって順番待ちをしている人たちの間に割り込む気持ちはない。

野に咲けば、自由気ままだ。
百合だって野生の百合がたくさん咲いている。あるいは、咲いていたと言うべきか。少なくても、戦前には野生の百合が筑波山にはたくさん咲いていたと庭師のおじさんが教えてくれた。

投稿者 Blue Wind : 01:27 PM | コメント (0) | トラックバック

May 13, 2006

ぱっぱらぱっぱらのりずむにて

とにかく・・・・・やるしかない。

娘を中学に押し込んだと思ったら、今度はダンナが開業。
だるだるのまま放置していたが、なかなか進まない。かと思えば、まとめて話が入ってくる。

さあ・・・・とにかく、やるしかない。

土地探しと称して、ドライブも結構楽しんだし、TXが開通し、法改正前のせいかこのところの開業ラッシュなどなど、少しの間にずいぶん状況が変化している。それが世の中なんだと思いつつ、そういう世の中のテンポに何とかついていかねば。

最初は不満だった専業主婦の生活にも慣れ、あっという間に10年以上が経過している。同窓会へ行っても、40歳を過ぎると余裕がある人が多い。経済的にも精神的にも子育てが終わった人も子どもがいない人もそれなりに落ち着いてしまったからかも。

なんか、ぷあ〜っとね、ゴールデンウィークとオークションはすごくよい気晴らしになった。
宅配の人が飽きれるくらい次から次へと品物が届いた。

もう、ぱっぱらぱっぱら買い物をして、その分くらいは働いてやろうという意欲。ネットといえどもマーケットだからね。スーパーではない。かごの中に商品を入れてお金を払うという生活に慣れていると、定価のない世界はかったるい。

が、しかし・・・・ネットといえどもまるで知らない人との駆け引き、取引、その他諸々押したり引いたり忙しい。
リズムというか、テンポというか、そういう、人とのやりとりの中に、本当にこれで儲かっているのだろうかとこちらが心配するくらい薄利多売の投売りの世界で、そういう、リズムを楽しむ。

そう・・・・・そういうものなんだろうな。ある程度軌道に乗ったら、もう仕事なんて辞めてぱっぱらぱっぱら遊ぶ。そう思いながら、だらだら働いている人が多い理由。大抵の人たちはそんな風だから、わたし的にもそういう感覚でいるほうが動きやすい。

もう、ややこしいことは考えないで、ぱっぱらぱっぱら・・・
20代は研究、30代は主婦、40代は働いて、その先のことは未定。
どれもこれもある日突然何かが変わる。

とにかくね・・・・・与えられたことをやるしかないのでは。やることがあることを喜ぼう。

投稿者 Blue Wind : 11:37 AM | コメント (0) | トラックバック

May 12, 2006

ロザリオ・・・・

今、若い人たちの間で、ロザリオやクロスのアクセサリーが流行っていることをオークションをやり始めて知った。ドルチェ&ガバナなのかもしれないし、女優さんがドラマの中で身に着けていたのかもしれないし、おおよそその手のことに疎いわたしが知るはずもない。

そこで、例のごとくオークションでロザリオで検索すると、ドル・ガバ(ドルチェ&ガバナ)のロザリオがダ〜っと並ぶ。それに混じってビーズ・アクセサリーのロザリオ。ドル・ガバはオークションで落札するより、楽天で買ったほうが安いことを知り、一つ買ってみた。

すると・・・
はあ?
と思った。
いわゆるオーソドックスで、教会で売られている一番ポピュラーな黒いロザリオが送られてきた。よく見ると、ネックレスになっていて、長さはイタリアのロザリオとフランスのロザリオの中間くらい。ドル・ガバはメンズ仕様なのか、わたしには少し長い気がした。

そこで調べると、南麻布のアンティークショップが1年くらい前から楽天に出店しており、ロザリオやメダイをリメイクして、あるいはそのままネットで販売している。アクセサリー用に作られたものではない、純正のロザリオをリメイクしてよいものかどうかの是非は置いておき、こちらはドル・ガバのものより遥かに美しかった。フランスのロザリオのほうが丈が短く、ネックレスには向いている。

サイトを眺めながら、St.リタのメダイと、不思議のメダイと呼ばれる1円玉を加工したようなアルミのメダイのペンダントを購入。どうやって考えても鎖やポーチのほうが高いだろうと思いつつ、ここまで美しく仕上げてあると下手なアクセサリーより遥かに美しい。もっと言ってしまえば、ダイヤのクロスにも負けない。

ドル・ガバ、か。
なんであんなに人気があるのか、ロザリオを見てわかった気がする。おじいさんのロザリオをそのままリメイクしてネックレスにしてしまった孫のノリ。どこか保守的な要素を残しながら、自由をアピールしている。でも、こちらは単なるアクセサリー。

ネットではないが、コープで注文しておいたマザー・テレサの本も届いた。(今や買い物といえば、ネットにカタログ、共同購入が当たり前。特に田舎暮らしの無精者には・・・)

そういえば昔、わたしがまだ子どもの頃、祖母が古い水晶のお数珠をリメイクしてネックレスにしてくれたのを思い出す。お数珠の代わりにロザリオを持って、仏事に臨む時代なのかも・・・よく似たようなものだ、どちらも・・・

投稿者 Blue Wind : 04:06 AM | コメント (0) | トラックバック

May 07, 2006

ホワイトゴールド?

いや〜、まいった、まいった。
わたしはしみじみオークションには向かないかもしれないと思う。何の疑いもなく今の今までプラチナ=ホワイトゴールドだと勘違いしており、ぱっと見た瞬間、おおお・・と思ったのは、細工の面白いペンダントを発見したからで、それがホワイトゴールドだと書かれていたからてっきりプラチナのことだと勘違いしていた。

しかも、おそろしいことに、入力する際、桁を間違えてしまい、誰かが入札してきたら大変なことになった可能性もある。でも、世の中の良識のほうがわたしの無知を超えており、良識的な取引が成立したのでは・・ないか、と反省中。

せめて、わたしが流行に敏感な人ならばすぐにその違いがわかったと思うけど、ぼぉ〜っと暮らしているため、相場というものがわからない。しかも、小売の相場とネットの相場とが違うため、翻弄されながら、なかなか落札できないまま、雰囲気だけは楽しんでいる。

そうなんだな・・・おそらくは、わたしの若かりし頃には、ティファニーのビーンズが流行っており、その少し上の世代になると、カルチェの3連リング。今はきっとブルガリのペンダントトップなんだろう。金にも種類があって、ホワイト、イエロー、ピンクなど、色に応じて価格が違う。

ホワイトゴールドは比較的安く、金がプラチナよりも値段が安いため、プラチナに代わるものとして、ホワイトゴールドの人気が高いと、どこかに書いてあった。

でも、わたし的には気に入ったものが発見できてそれなりにうれしい。サイトで見るより上品な細工で、銀のようにお手入れが要らないことを喜ぼう。

まあ、お店で買えば、店員さんが教えてくれることでも、ネットの場合は自己責任だから慎重にならねば・・・
でも、おもしろい。(←おバカ)

***

その次にショックを受けたのが、ブラウン・パールの人。

わたし、たしかパールをもう一つ持っていたはずなんだけど、どうしても思い出せない。結納の際にいただいたものは、姑さんに返した。返した・・・というか、姑さんのジュエリーは震災ですべて焼けてしまったので、嫁としては仕方がないですね。そのうち自分のために手頃なものを買おうと思っているうちに、特に必要ないから忘れていた。

で、ババアはやっぱブルガリよりこれからは真珠だろうと思って、いろいろ検索していたら、掘り出し物のめずらしい南洋パールを発見。

ところが、あっさり入札を覆されて、再入札したらどこまでも価格が値上がりしそうになり、例のごとくどういう人が入札しているのだろうと思って眺めたら、アガリクスや高麗人参ばかりを購入している。それで、たまに気に入ったものがあると落札しているらしい。その量の多いこと・・・

おそらくは、お金と暇をもてあました年配の人だと察知したため、その真珠はあきらめた。

う〜ん・・・
でも、どうしてもほしいかと問われれば、そうでもなく、ただ高価なものが安く手に入りそうだったから入札したにすぎない。そこで分相応に手頃なものを落札。

***

その次にショックを受けたのが、ブラウン・ダイヤモンドのことで、一昔前なら宝石にはならなかったようなダイヤが取引されているということ。

ダイヤモンドは、実はおそろしいほど余っているらしい。シンジケートにより価格と出荷量が調整されているため、比較的価格が安定してはいるものの、実際には過剰生産になりつつあり、しかもブラウンダイヤまで宝石として売られているとなると、もはや素人にはその値打ちがわからないです。

それでいて、着色系のダイヤでもめずらしいものはファンシー・ダイヤと呼ばれ、透明なものより高価。

正直、パールを含めて、石の値打ちなんてものは実物を眺めないとわからない。美しさという点で、大きければ美しいというわけでもなく、色があるから値打ちがないというものでもなく、パールにしてもいろいろな種類や色があり、すべて違った価値を持つはずなのに、少なくてもネットではわからない。

でも、そんなことを考えながら、まるで期待しないで待っているでしょ?
期待していないせいか、想像しているよりも良い商品が届く気がする。少なくても値ごろ感はある。

でも、いかんなー、なんか無駄な買い物をしすぎているような・・・

でも、プラチナとダイヤを使ったら大変なことになる商品でも、ホワイトゴールドとブラウンダイヤモンドの組み合わせで廉価なものができ、かろうじてジュエリーとしてのステイタスを保っているとなると、ホワイトゴールドにどうして人気が集まるのかわかる気がする。リーズナブルだもの。それでいて、シルバーとジルコンの組み合わせというのは、いかにもイミテーションという気がするし、そんなことを考えていると、どこか今の時代を感じてしまう。

***

失敗したかなと思ったのは、500円くらいで落札した石鍋裕プロデュースの包丁セットで、最初、粗悪品かもしれないと思ったほど使い勝手が違う。慣れるとそうではなくて、肉を切る包丁はわざと切れ味が悪く、小さなナイフでもじゃがいもを剥くときには専用のものを使わないとうまく切れない。専用のナイフだと驚くくらいきれいに切れる。

つまり、万能包丁一つで何でも片付けてしまうことに慣れていると、いちいちナイフを変えるというのはひどく日常的ではない。和食系の料理の鉄人プロデュースの寿司桶セットやまな板などはすごく使いやすいのに比較すると、料理は文化とばかりに戸惑うことしきり。

***

ギターは小ぶりなフォークギター。
これが一番おもしろかったかも。
娘と一緒に遊んでいる・・・

投稿者 Blue Wind : 05:00 AM | コメント (0) | トラックバック

May 02, 2006

ビギナー

オークションって過激。面白いからこの三日間すっかりはまっていた。

わたしはプレミアム会員(会費をYahoo!に毎月払っている人)ではないので、ストアでしか買い物ができない。でも、ストアのほうが安心感があり、初心者向きなのだろう。

ジュエリーの安さに驚き、その次にはダンナと娘が時計が欲しいというので落札した。正直、電池を入れ替えるのならオークションで買ったほうがリーズナブルな気がするほどだ。

彼は普段用にタグ・ホイヤーの時計を学生時代から愛用していたけど、電池を交換するとたしか1万円以上かかってしまう。分解掃除が必要なせいと言うが、あまりにもバカらしいので、このところおじいさんの形見の時計を使っていた。それでずっと日常的なタイプのものを欲しかったらしいが、案外買い物が好きでないのでそのままになっていた。ネットだとセイコーの時計が1000円程度で買える。

娘のミニ・ピンのイラストが入った時計は最初からおもちゃのようなもので、通学用に一つ買わなければならないと思っていたところ。実物を見て買っているわけではないので心配だが、あの値段なら許せる範囲。ついでに自分の分も一つ落札した。

・・・・・・・・ところが、この2,3日ネットの接続状態が悪いので、落札できないことを考えてほかにも入札していた時計を落札してしまい、送料のほうが高いのではないかと思いつつ、キャンセルすると評価が下がるのでそちらも買った。

そういうところがオークションだと思いつつ、同じ商品が毎日価格が違うし、検索すると同じ商品がまるで違う値段で取引されているし、運や不運や駆け引きなどで明日のことなどわからないところが面白い。

ミシンを娘に壊されたのでミシンで検索すると、まるでおもちゃのようなミシンがたくさん売られている。ブランドミシンは高いが、トイザラスで買い物をするようにおもちゃのような中国製のミシンを1000円くらいで落札してしまい、よく読んだらアダプターがない。そこで、アダプター付きのミシンをもう一つ1200円で落札し、なんて自分はおろかだろうと思いつつ、電池で動かすタイプのミシンに娘がひどく喜んでいるのであきらめた。それでまたテンのおもちゃなどを作って遊ぶつもりなのだろう。そういうちょこまかした手芸が、彼女は好きなので・・・同じ商品をわたしの倍の価格で落札した人もいるし・・・う〜む。

そこでやめておけばいいのに、ミシンを検索しているうちに激安ショップに突き当たり、ちょうどチーズカッターが欲しかったのを思い出し、ピザ・カッターやキッチンはさみなどがまとめて入ったセットを300円程度で落札してしまった。送料のほうが高いので、同じシリーズの包丁セット(定価は高いです・・)などを500円くらいで落とし、どういうわけかウクレレが売られていたのでついでに入札したら急に価格が高騰し出したのであきらめた。そこでやめておけばいいのに、送料を惜しむあまり、ギターを落札してしまった。

ギター??

もう何十年も触っていない気がする。わたしが10代の頃に使用していたものは従弟にあげた。それ以来だろう・・・あれから20年くらいは経ったはずだ。でも、あまりにも懐かしいので、つい買ってしまった。本当は青いギターがよかったけど、今日は赤いギターの日なのであきらめて落札。明日のことなんてわからない。

美術品のところで気になる絵を見つけた。それに吸引されるようにそこのショップを眺めたら、GWセールをやっている。同じ画家の作品があったのでとりあえず入札しておこうと思ったら、”即決”だった。うっそー、と思ったけど、落札してしまったので仕方がない。もう1枚落札し、本命はオークションなので入札したが忘れていた。

お風呂あがりに自分のオークションのページを何気なく眺めたら、その入札した絵があと1分。高値が付けられている。そこで価格を入れなおし、時間を稼ぐ。再入札を終えたとたんにまたさらに再入札。つまり、かなり競ってくる。

こんな値段で競ってくるなんてどんな人なのだろうと思い評価の欄を眺めたら、絵画ばかり落札している。しかも同じ絵もある。・・・・・・ということは業者である可能性が高い。

というわけであきらめた。
相手が画商やブローカーではかなわない。つまり、店舗売りの3分の1くらいの価格でネットだと売られているが、相手がプロだとその価格以上で売れるわけで、多少額が痛んでいるくらいなら新しいものにかえてしまえばいい。それでも利益が出るのだろう。

安く落札して、高値で売れたら、立派な商売だよなぁ・・・と思いつつ、そろそろオークションにも飽きてきてしまった。

投稿者 Blue Wind : 03:55 AM | コメント (0) | トラックバック

May 01, 2006

オトくん、新記録達成!

例のごとく、娘とダンナがわんわんランドへ出かけ、ちょうど犬の運動会をしていたのでオトだけ参加したらしい。マリは、ハードルの前で止まってしまいそうだからと娘が言うので見学だけ。

ミニチュアピンシャーは小型犬に分類されると思っていたが、体高の具合でオトは中型犬としてエントリー。(マリだったら小型だけど・・・) とにもかくにも自分より大きな犬に混じって、ジャンプ(ハードル)で50センチの新記録を達成。わんわんランドのブログに娘と一緒に写っている・・・

ジャンプだけならマリのほうがジャンプ力があるような気がしたんだけど、マリは見学。なんでだろう。テンはまだ3回目のワクチンが終わっていないので、家でわたしとお留守番。

それにしても、大型犬となるとシェパードやゴールデンリトリバー。重石を引っ張る競技で、彼らは10キロの重石。中型犬は5キロの重石。正直、オトの体重は4.7キロなので、自分の体重よりも重いものを引っ張るというのはひどすぎやしないか?

それでも、新記録達成の認定証をいただき、なぜか娘が得意満面の顔で戻ってきた。

投稿者 Blue Wind : 01:21 AM | コメント (0) | トラックバック

April 28, 2006

明日から休みか・・・ぼぉ〜

明日からゴールデンウィーク。予定はない。

すでに夏休みの旅行の予約を済まし、ビンタン島へのフェリーをサイトから予約したけれども、予約番号を忘れてしまい、しかもネットなのでかなり不安な部分がある。というのは、やり直しの指示があったのでやり直したのだけれども、どうもうまくいかない。そのくせ、再び予約しようとすると、わたしの名前はすでに予約者のリストに載っているらしく、確かめるにも予約番号がわからない。こんなんで本当に大丈夫なのだろうか・・・

まあ、何とかなるだろう。そう思わなければ旅行なんてできない。

***

テレビで、北朝鮮の拉致被害者の家族とブッシュ大統領との会談の日時が決まったと言っていた。イラクが終わったら次は北朝鮮。どうやって考えても、アメリカの次のターゲットは北朝鮮で、しかも今回は日本が当事者でもある。拉致被害者は日本人だけではなく、周辺諸国にまで及んでおり、彼らの救出こそが次の戦争の目的。あまりにもわかりやすくて、サミットや国連のゆくえが気になるところ。できれば外交により、無事に解決できることを祈るしかない。

***

なんか、こう、退廃的な気分。でも、憂鬱というわけではない。

いささかこれがノーマルなんだろうと思いつつ、まめに出歩いたり、たまに電車に乗ったりすると、楽しくもあるが疲れてしまい、それでいて鬱蒼とした生活臭というものから逃れるかのように華美に走りたくなってしまう気持ちが伝染する。

それが普通なんだろうと思いつつ、ずっと家の中にいると、毎日のルーティンが続くだけでぼ〜っとしているうちに一日が終わり、子どもの送迎などをしているうちに時間だけが過ぎて行く。でも、そういう何もしない時間というのが自分にとっては癒しであり、だからこそたまに人の多いところへ行ったりすると疲れるのだろう。

投稿者 Blue Wind : 06:18 PM | コメント (0) | トラックバック

オークション

パソコンを変えたら、Yahoo!のツールバーが付いている。機能を確かめるようにクリックしていたら、オークションのページが開いた。そこで美術品をクリックすると、なつかしのローランサンの版画が売られており、いくつか眺めているうちに、日本の画家の版画のお気に入りを見つけたので、ためしに入札してみた。

が、しかし・・・
オークションというものを知らないので、妙に安いと感心しているうちに忘れてしまい、気が付いたら終わっていた。案外気に入っていたので、少しがっかり。

そこで、今日はアクセサリーのセールに目が行く。ダイヤモンドがこんなに安くて大丈夫なのだろうかといささか不安になったが、落札者の評価を眺めていると大丈夫そうなので参加。本当にこの価格で、この商品が買えるのならば、正直、ショップで買うのはいささか馬鹿げている気がするほどだ。

前回、知らないうちに終わってしまっていたので、今回は用心深く、似たような商品をいくつピックアップした。終了時間をカウントしながら、家族で画面を眺める。

ダンナが横でわたしよりも熱くなっている。
なんでだろう・・・
お酒が入っているせいもあるが、市価の1割以下で買えるとなれば誰でも熱くなるのではないだろうか。横で、本当に欲しいのならば、倍の値段で入札しろとうるさい。
わたしは、これは女の戦いだから、せこくてかまわないのだと諭す。
いや・・・それよりも全部落札してしまったらどうしようかと、そちらのほうを心配している。
オークションというのは、勝ってもうれしいが、なぜか負けてもほっとする。
つまり、生きるに必要のない世界。

それでも似たような商品なので、どういうわけか娘とも相談し、価格の上がっていくものはあきらめた。それでも終了間際3分をきった商品をゲットしてしまい、ごめんなさい、という感じ。

本命の商品は同じ商品が出ているので明日にしようかと思ったが、どうせ間際になれば同じことだと思い、落札した。それよりも同じものを買わなければならなくなったらどうしようかと思ったが、そのときはそのときで考えよう・・・と、姑さんの顔が浮かんだ。

投稿者 Blue Wind : 02:23 AM | コメント (0) | トラックバック

April 25, 2006

同窓会

日曜日、同窓会へ行く、娘を連れて。子連れで来ていたのはわたしだけだ・・・(当たり前か・・) わたしだって子連れで出席したのは初めて。

はがきが着ても、ずっと忘れていて、間際になり電話がかかってきた。銀座で食事をするというので、娘が一緒に行きたいと言い出し、幹事に訊いたら大丈夫だというので連れて行った。TXにも乗ったことがなかったし・・・ 

それにしてもあの値段であの程度の粗食で、ショッピングをするにしても大して見所がない、というのも銀座という感じ。TXも常磐線の雰囲気をたたえ、パンフでは車内でパソコンまで打てる雰囲気だったが、実際に乗ってみると単なる通勤電車で、シートは地下鉄のほうがふかふかだったし、唯一の利点はターミナルからターミナルまで乗車するので、ずっと座っていけたことくらいかも。

それにしても、東京ってあんなにごみごみしたしょぼい街だったっけ?
昔はそんな風に感じたことはあまりなかったけれども、つくばの街並みに慣れてしまったせいか、狭い歩道を人を避けながら歩いていたりすると、どこかみすぼらしくもあり、どうやらその手の感覚はわたしだけではないようで、少し安心した。

それにしても公衆電話の数がめっきり減り、たまに外出したりするとケータイがないと不便だということを知る。日頃は必要性を感じないけれども、同窓会みたいにあちこちに集団で移動するときなどは不可欠かもしれない。

娘が一緒だったので、わたしは2次会で帰ることになったけれども、まだまだ3次会4次会、さらに5次会まで続いていくことを考えると、最後には独身・子なし組しか残らないだろうけど、案外その数も多く、子どもが大学へ行くような年頃になってしまった人たちはもっと暇そうなので、今まではオリンピック・イヤーだったのが、これからは毎年やるそう。

まいったな。それにしても、みんな昔とまるで変わっていない。一番変わっていないのは担任の先生で、先生を招待したのは今回が初めてだけど、あまりにも変わっていないので驚きの声がいっせいにあがったほどだった。

先生に旧姓で呼ばれたりすると、おとなげない。めずらしく記念写真を撮ることになり、先生を中心に並んだら、例のごとく、誰が何をするわけでもないのに、ほとんどの人たちが自分の定位置にいる。なんでだろう・・・いつも背の順だったせいか、気がつくと記念写真のメンバーはいつも同じ場所に写っているような気がする。しかも、あまりにもがやがやうるさいので、お店の人に注意されてしまった。

いかんなー、40歳をすぎてもまるで成長していない。近頃、娘が、「お母さんは昔どんな感じだったの?」と訊きたがるのだけど、どんな感じだったも何も「こんな感じ」としか答えられそうにない。娘が、おばさんたちは話が長いと怒っていたが、別におばさんになる以前からそうだったわけで、そこのところを誤解している。

その娘は・・・というと、スクールバスを待っている間、友達と一緒に食堂で話していたら、バスに乗り遅れたと電話があり、びびった。近くだからいいようなものの、遠かったら大変なことになる。それでいて、一緒に乗り遅れた子のお母さんに家まで乗せてきてもらった。ローカル。

それにしても、なんで喉が枯れるほど話すことがあるのだろう・・・不思議だ。

投稿者 Blue Wind : 02:26 PM | コメント (0) | トラックバック

April 19, 2006

娘が幼稚園の頃のよう

デスクトップに向かうのは何年ぶりだろう。インターネットを始めて以来ずっとノートを使用していたので、どうもキーボードの感覚が違うために、自分で打っていながらかちゃかちゃうるさく感じられる。家を建てたばかりの頃に買った小さな液晶テレビが寿命で壊れたため、パソコンをテレビとして使うという話は以前からあったのだが、無線LANにするのも面倒なのでインターネットの回線はわたしのパソコンが独占していた。

そういう時期だったのかもしれないな。自室にパソコンやテレビを置くことは学校で禁じられているため、居間にその手の代物をセッティングしなければならない。わたしはテレビは観ないけど、どうしてもダンナと娘のチャンネル権争いがあり、テレビが2台というのも避けられない。常に現実を考えなければ。

それにしても主婦はつおい。
結局、飾り棚のついた窓際を自分の趣味のスペースに改造してしまった。どうやって考えても、キッチンの近くから離れられない。もっと快適なスペースがあるはずなのに、われながらバカみたい。飾り棚に設置したためにキーボードを打つ場所がないため、小さなドレッサーもどきを買ってきて、それをキーボード置き場にしてしまった。机はどんなに小さいものでも案外大きいので、かさばりすぎる。

それにしても、サイトを一つ開くたびにダウンロードが必要な気がするほどソフトが違う。大抵のパスワードはパソコンに記憶させていたため、いちいち打ち込まなければならない上に、すでに忘れているパスワードも多い。秘密の質問の答えすら忘れていたし・・・セキュリティよりもぼけたことを考えて設定しないとそのうち何もできなくなりそう。

それにしても、何でも検索で調べるクセがついてしまっているため、ネットが使えないというのが相当ダメージ。電車やバスの時刻表やお店の検索、あるいは旅行の予約にしてもすべてネット。おりしも今は夏休みの航空券を確保するために競争の時期。今を逃すと間際で代理店が抑えているものを使うしかない。オフ・シーズンに旅行に行けた頃が懐かしい。

***

とにもかくにも、あわただしくしているうちに娘も学校に慣れ始め、最初の頃は鼻歌が止まらない。学校が楽しいそう。幼稚園の頃の同級生が後ろの席。わたしは覚えているけど、彼女たちは覚えていないそう。

そうやって言われると、わたしだって幼稚園の頃の先生の名前も友達の名前も覚えていない。同じクラスに誰がいたかなんて皆無に近い記憶。最低でも記憶に残っているのは、近所で一緒に遊んだ友達とか、小学校でも高学年になってからの友達で、札幌時代の記憶はそれこそそれ以外は皆無。

世間は狭く、大学時代に偶然同じ幼稚園へ通っていたという人に遭遇したことがある。苗字が変わっていたので、あちらのお母さんがわたしのことを覚えていたそう。単なるおさななじみに遭遇したこともあるし、小学校の同級生とかね・・・高学年になると面影があるため、どこかで見たことがあるなー、という程度の認識はできる。

が、しかし、幼稚園の頃では無理だ。

そんなこんなを思い巡らしながら、毎朝のバス停には同じ小学校だった子たちが集い、学校が違ってもバス停は同じというつくばの狭さを感じる。

というわけで、娘はうきうきしながら楽しく通学している。時間になればバスで帰ってくるなんて幼稚園の頃を思い出してしまう。わたしもようやく塾や学校への送迎から開放され、こうやってあまり時間を気にせずぱちぱち打っていられるなんて何年ぶりだろう。(夜中を別として・・・)

投稿者 Blue Wind : 05:24 PM | コメント (0) | トラックバック

April 11, 2006

老化の自覚

カレンダーを眺めて、なんだ勘違いかと、この前書いた記事を読む。
そそっかしいのは昔から。

日曜日に娘の入学式を終え、演台の横に飾ってあった立派な盆栽を眺め、それが軽トラの荷台に載せられて校門を出て行くところを目撃し、いまどきお祝いに盆栽を飾る学校に面食らう。

昨日は代休。市役所に行き、住民票を取る。中学へ提出するため。
一体何に使うのだろうと思いつつ、住民票への記載事項をどうしてよいのか迷い、担任に質問しても知らないと言われ、そういうアバウトさが中学なんだなーと意味不明な感慨を覚えた。

どこの中学でも同じらしいけど、今日は学力検査、明日は知能検査があり、その翌日から平常授業が始まる。

はあ〜、疲れる。
娘は無事にバスに乗れただろうか。
小学校のときより家を出るのが30分遅いため、朝、時間をもてあます。

ようやく古紙の日を迎え、近所に古本屋がオープンしたのを気にしながら、それでもどっさり捨てた。リサイクル用に紙紐を使ったら紐が切れた。ダンボールやら古雑誌やら新聞やら、ゴミを捨てるのも肉体労働だ。歩いては無理なので、クルマに積み、捨てに行く。

捨てたら買いたくなるのが人情で、このところ電気街を歩いている。物によっては学生時代から使っているものもあるし、壊れたままになっていたのもあるし、電気コンロやヘルスメーター、ドライヤーやひげそりまで新しくなった。

ソファのクッションがそろそろダメになってきているので、この前から買い替えを考えている。それでいて気に入っているので捨てられない。それでいて、マッサージ・チェア・・・とうとう買ってしまった。最新式。医療機器メーカーが出しているもので、今までイメージしていたものとはまったく違う。わたしは持病があるため、かなりリハビリで痛い思いをしてきたが、座ったとたん数十年前の記憶が甦るくらい、違う。

もう、ババアなんだよね・・・近頃、老眼が始まり、クルマを運転しているときに目がしょぼしょぼするので怖い。運転できないほどではないが、いわゆるかすみ目というやつなんだろうか。めったに薬は買わないが、ドラッグストアで目薬を買ってしまうほど、近頃目が気になる。老眼は病気ではないので仕方がない。

老眼とか代謝異常とか、どうも病気のようで病気でないような代物が一番困る気がする。まあ、対処療法で目薬を差したり、マッサージチェアで血行を促進したり、食事を考えたり、そうやって自分と付き合っていくしかない年頃になってしまったのだと自覚。

もう、世代交代。
少し前ならわたしのほうが重い荷物を持っていたが、近頃では娘が重いほうを持つ。夜中にダンボールの整理をしていたら娘が起きてきたので結局捨てに行くまで手伝ってもらった。彼女も緊張しているせいか、少し動いて疲れたほうが眠れるからと言う。

テンはついこの前200グラムだったのに、今は2.1キロくらいある。母犬のマリが3.3キロ。父犬は4.7キロ。すっかり犬3匹状態になり、2匹と3匹では違うなーと思いながら、彼らは自然と群れをなすようになり、まるで親離れをした子のように自立してきた。

それなりに節目の時期なんだろうな。
今までは何となく娘の赤ちゃんの頃のものでも捨てられなかったけれども、子どもはあっという間に育ってしまうし、靴ですらすぐに履けなくなる。いまだにベビーチェアが置いてあるというのも不自然。ダンナの荷物置き場になってしまっている・・・そうやって古くなって不自然なものが多くなっているのに住人は気づかない。

投稿者 Blue Wind : 03:48 PM | コメント (0) | トラックバック

April 08, 2006

小学校を卒業したばかりの女の子たち

偶然なんでしょうが、『パッション』を観た。
偶然、というより、無意識に、と言ったほうが正確かもしれない。

今ちょうど入学式のシーズンで、始業式は済ませた学校は多いものの卒業生たちはヒマにしている。そのため、このところ連日して娘の友達が遊びに来ている。それもひとりっこばかり・・・正確には一人娘ばかり・・・?

小さい頃とは違って、親がいると何となく気を使う年頃。DVDを何本か借りてきたので、それを皆で観ることにしたり、プリクラを撮りたいというので送って行ったり・・・どんな映画がよいのかわからないけど、結構子ども向けの映画も出ているので借りてみた。

娘が選んだのは『チャーリーとチョコレート工場』。わたしは、ついでに『王の帰還』を続編だとは気づかずに選び、『パッション』を同時に借りた。娘は『チャーリーとチョコレート工場』をすごく気に入り、その翌日に友達がやってくる、という具合。期間を長く借りたので、皆で観ないとソン。しかも、リビングを占領されてしまったので、その間、わたしは美容院に追い出された。

その翌日、皆でプリクラを撮影したいと言い出した子がいて、てっきりその子の親が連れて行ってくれるのかと思ったら、違った。あちらの親がわたしが連れて行くと思い、わたしはあちらの親が連れて行くと思い込んでいることに気づく。うっかり子どもだけでなんてとんでもないと思いつつ、今時の子どもたちはまるで平気。もっと小さければ案外無頓着かもしれないが、子どもだけでゲーセンに行かれたら、今度は補導されかねない。

そこでいろいろ打ち合わせをして、子どもたちがプリクラを撮っている間、わたしは銀行へ行き、もし誰かに何かを尋ねられたらケータイから親に連絡に取ること(わたしはケータイは持っていないが・・)、待ち合わせ時間と行ってもよい場所をあらかじめ決めて、ゲーセンには入らないこと、など、ずさんではあるが細かいチェックをして、とにかくお出かけすることにした。

でも、女の子ばかりでわいわいしていると、それなりに楽しい。ちょうど、友達といて一番楽しい年頃だもの。まだ素直な年頃だから、してはいけないと注意すればしないし・・・

おっそろしいほどプリクラを撮って、それを皆で分けたそう。撮影しては鋏で切って分けて、あっちのプリクラ、こっちのプリクラ、という具合にはしごしているうちにあっという間に1時間が経過し、わたしが到着すると、おそろしい勢いでファンシーショップでお菓子を買っていた。

一人、ピアノのレッスンがあるので、急がなければならない。ジュースを買って、クルマの中で飲みながら、家路を急ぐ。家に着いたら、約束どおり、家で『太鼓の達人』。ゲーセンでやったら1回200円取られるというので、家でやるというお約束。

まだ小学校を卒業したばかりの女の子たちは、映画館の代わりに居間でDVD、ゲーセンの代わりにプレステ。皆でやればどこでやっても楽しい。ショッピングも100均やファンシーショップ。

投稿者 Blue Wind : 02:24 AM | コメント (0) | トラックバック

April 03, 2006

春休みの日常

娘が春休みに入り、すっかりネットをしているヒマがなくなった。今日は、友達と一緒にお花見に出かけたので、久しぶりにひとりでのんびりしている。

ちょうど中学へ進級するというのは一つの節目で、いつまでもおもちゃと服と絵の道具と勉強道具で散乱している娘の部屋をそれなりに整頓しようということになり、そこから派生して家中を大掃除する破目になってしまった。

時間と体力があれば、いまだにおむつの果てまで残っている屋根裏部屋もやりたいけど、どうもそこまではできそうにない。ただ、気分の問題というか、何となく捨てられないものを別にしても、あっという間に成長してしまった娘の服がおそろしいほどたまっており、そのうち誰かに・・・なんてことを考えていたら、今の時代は少しも片付かないことに気づく。

それと、幼稚園時代からの絵本。これがバカにならないほどたまっている。開業するならわざわざ買いなおすのももったいないので、綺麗なものはとっておこうとは思うものの、それにしても想像していた以上に数が多い。

それと、気がつけば、犬用のグッズが無視できないほどたまっている。しかも彼らは見事に羽根布団を破いてくれたので細かい羽が部屋の至るところに散乱し、これが絨毯の上だからなかなか片付かない。うっかり洗濯したものにも飛んでしまうし、あれにこれにと洗濯をやり直しているうちに衣替えの季節。

いちいち書いていたらキリがない。片付けの合間に、家事がある。2日間は娘に食事をつくってもらった。肉を焼いたり、サラダをトッピングしたりするような家庭料理なら、すでに娘でも充分だということを知る。

中学の指導方針で、娘にも何か家事を分担することになっているのだけど、悩んでいたらトイレ掃除をしてくれた。ついでに二階のトイレも掃除してくれないかと思ったけど、ほとんど父親しか使わないので、父親が自分でやるべきだと譲らない・・・(汗

オトのマーキングには泣かされているので、それを何とかしてほしいと思ったが、それも嫌らしい。

まあ、いいや。こちらがやってほしいと思うことは誰でもやるのが嫌なことなのだろうし、無理にやらせるつもりはない。そこを無理にやらせようとするのが父親で、そうなるといちいち反抗している。どうせやるのなら素直にやったほうが・・・と思っても必ず悶着してからやる。

それもバランスなんだろうな。
「父親に言われる⇒やりたくない⇒母親がやる」
という流れがあるから、父親には反抗し、母親には素直に従う。

なんかね・・・
息子でもいたら違ったのかもしれないが、どうも娘が男の子みたいだと感じる所以はこういう家庭環境にあるのかもしれん。

投稿者 Blue Wind : 04:19 PM | コメント (0) | トラックバック

March 27, 2006

まだ水仙の季節なのに

まだ瘡蓋が残っているものの娘がようやく外出できるようになり、ホームセンターへ繰り出したりしながらせっせと庭仕事に明け暮れていた。

わたしから娘へのお祝いは画材。木炭や水彩色鉛筆や筆。スケッチブックは相変わらず一番廉価版。慣れているからそれが一番使いやすいそう。
・・・・・それに何をせっせと描いているのかと思ったら、マンガ・・・・・
普通のマンガではなく、スケッチブックに左から順にコマを並べて行く。しかも、色彩豊かなのにキャラの顔が黒い。もちろん普通のイラストもあるのだけど、小学生の間で流行っているのだろうか・・・彼女たちの描く絵は面白い。

庭はまだ水仙が咲くだけで寂しい。

茨城はまだ桜の季節ではない。予報によると4月の初めになるらしい。ほとんどの木が新芽を膨らませながら春を待っている。隣家のこぶしの花もまだ。

ガーデンセンターへ行くと、すでに花の苗がたくさん売られている。それでマリーゴールドや白いめずらしい花を買ってきて植えた。それと、垂れ梅。娘が梅を植えたいというので庭の真ん中にで〜んと植えた。ただし、まだ寂しい・・・花がついていなければ、単なる枯れ木にしか見えない。

いつの間にか新ジャガの季節になり、冷蔵庫の中で芽を出していた古いジャガイモがあったので、それも植えた。娘とふたりで、いつ収穫したらよいのかわからないと言いながら・・・

去年、百合が育ちすぎて風で倒れてしまったので、今年は半分に株分けして植え替えた。風のせいだけではなく、光を求めて茎が折れ曲がるほど花をつけたので、もう少しゆったり植えてあげないとダメなんだろう。

紫陽花も植え替えなければ・・・
去年、近所のドラッグストアで半値になった植木鉢を買って、そのまま庭に植えつけた。去年は小さかったので特に場所を選ばなくてもよかった。新芽が出てきたところを見ると、相当大きくなる可能性がある。そうなると花壇の中にはおさまらない。木を植えるような感覚で考えないと・・・

それではまだ足りず、ハーブや野菜の種を買ってきた。野菜といってもミニトマトや大葉。自生するくらいタフなものではないとわたしでは育てられない。

まだまだ花の種。
どこに蒔こう・・・
雑草と間違えないようにしなければ。
ひまわりとコスモスの種は蒔いた。それでもまだ10種類くらい残っている。
タンポポでさえまだ咲いていないというのに・・・アザレアもつつじもまだ。
なんか、今年はせっかち。

投稿者 Blue Wind : 04:39 PM | コメント (0) | トラックバック

March 25, 2006

庭がさっぱり

庭がさっぱりした。

今年は、おじさんが自宅の竹と焼いた木を持って来てくれて、薔薇のトレリスを作ってくれた。一昨年はわが家の庭の廃材などを利用して即席で作ってくれたのだけど、薔薇の背が伸びすぎて倒れてしまっていたから。

夕方、おじさんたちに混じり雑草を抜いていたら、担任の先生が教頭先生が造ってくれたブーケを持って来てくれた。

これから花の季節を迎える梨の木もさっぱりしてしまっていた。
少々残念だけど仕方がない。

隣の家の庭に入り、この前、切ってくれた枝がそのまま置いてあったので、勝手に片付けさせてもらった。どちらにしろ、木を切ったかすや木の葉が隣家に侵入しているため、お掃除しなければならない。

どつぼの鬱もそうやって一緒に庭仕事をして、つまらないおしゃべりをしていると忘れてしまう。
ありがたい春の陽。

投稿者 Blue Wind : 01:41 AM | コメント (0) | トラックバック

March 23, 2006

さいあくのきせつ

久しぶりにジョアン・ジルベルトを聴く。
『三月の水』。
南半球の秋。
桜ブルーの季節には効果覿面。

毎年恒例桜ブルー。
桜の季節はなんと悪意に満ちあふれているのだろう・・・

子どもの頃からだから仕方がない。
そう、桜のせいではない。
ただ、桜の咲く頃になると、憂鬱になるというだけのこと。
たいてい、桜の花が散る頃にはすっかり治っている。

それがイースターと重なる、ということに気が付いたのは最近のこと。
イースターがいつなのかもわからない頃から、わたしには桜ブルーの季節は存在し、本当に桜ブルーなら今年は早く終わりを告げるだろう。逆にパッション・ブルーなら今年のイースターは4月の半ばなので、それまで鬱々とした日々が続く?

気晴らしに出かけようか?
あぅ・・・娘が水疱瘡で外出できない。

たまには美味しいものでも食べて?
あぅ・・・このところ風邪のせいで何を食べても美味しくない。

美容院にでも行こうか?
あぅ・・・卒業式は終わってしまったではないか!

だったら、ショッピング?
いや・・・このところつまらないものを買いすぎている。
主にキッチン・グッズ。
あげく、まだ箱からも出していない。
さいあく。

花の苗でも植えようか?
・・・・・・なんで、晴れたり降ったり、強風だったり、庭師を待っていたりしなければならないの?
おまけに、トレリスは何度直しても倒れるし・・・
木は裂けるし、よりによって隣に行くとは!
もう、さいあく。

投稿者 Blue Wind : 11:38 PM | コメント (0) | トラックバック

悪夢と金縛り

先週、体調を落として以来、本当に疲れているみたい。夢を見た。それも酷い夢。夢だけではなく金縛り。

話のストーリーは忘れてしまったけど、次から次へと悪いヤツがやってきて、とうとう追い込んで目を覚ます。すると寝ているわたしの上に、真っ白い円い顔に真っ赤な長い舌を出して首を振っている化け物が乗っている。

自分の部屋で自分の寝ている上にそいつがいるわけで、追い返そうとするんだけど体が動かない。何かを言おうとしても声が出ない。それで、夢の中で、「あ、金縛りだ」と思う。そんなことを考えているのに、そいつは相変わらず首を振って長い舌を出している。まるでせせら笑っているようで、無性に腹が立つ。

このところわたしを苦しめていた犯人はこいつか、と思ったとたんに怒りがピークに達し、大声で「死ね」と叫んだ・・・はずが声が出ず、かろうじて自分の耳に自分の「シィ」という息のようなかすれ声が聞こえ、そのとたんそいつは消えて、わたしも目が覚めた。

目が覚めたというのは正確ではなく、体が動くようになったというほうが・・・

金縛りというのは目が覚めているにもかかわらず、身動きでない状態。
いや・・・変な化け物が見えていたのだから、わたしは半分寝ていたのだろう。現実の物音がしたとたんに覚醒する。

寝起きだというのに寝疲れして、ぐったり。

今度また現れたら、こてんぱんにしてやる。嫌な夢。

投稿者 Blue Wind : 12:30 PM | コメント (0) | トラックバック

March 22, 2006

吉日

今日は、卒業式。家にいていいのか?

昨日、担任の先生から電話があり、校長先生が特別に水疱瘡でも出席してもかまわないと許可してくれたので、慌てて連絡が来る。その際、パッと娘の顔を見て・・・・・・電話を娘と替わった。

顔だけではなく、全身に水疱瘡特有の赤い斑点が広がり、瘡蓋になってきているので感染力はすでにないだろうけど、そこにカチリという白い塗り薬を塗った娘の顔を見たら、とてもじゃないが、外は歩けない。案の定、娘は式には出ないと言う。式はともかく、記念写真があり、あの顔の写真が一生残るのはどうしてもいやだと言う。

そこで、病気が良くなったら学校へ行くことにした。

1ヶ月くらいかけて卒業の準備をしてきたのに、皆と一緒に卒業できないのは寂しいけれども、校長先生がやさしいので救われた。法定伝染病だからどうしても1週間は欠席しなければならない。どうやってカウントしても卒業式は無理。それでも出席してもかまわないと言われれば、ほっとする。

***

先週の嵐のような風で、庭の木に亀裂が入り、枝が折れた。わたしは折りしも風邪をひき、娘は水疱瘡、トレリスが倒れてマリは脱走するし、相変わらず木が折れるほどの風が続いていたので庭の様子にはまったく気が付かなかった。

すると隣の家から電話があり、隣家のほうに倒れている枝を切りましたという連絡をダンナが受けたらしい。そういう話をダンナに言ってもちんぷんかんぷんなんだよね・・・庭仕事なんてまるでしないのだから。それで忘れた頃になってから、そういう電話があったというので庭を見たら、たしかに枝が切り落とされていた。

しかも、枝分かれしたまま木が裂けている。

今日、ようやく庭師さんが来てくれて、庭の様子を見て行った。ミモザは成長が早い。しかも裂けてしまったし、隣家寄りに植えてあるので伐採しないとダメかもしれないと言ったら、何とか小さくなるように切ってくれることになった。

今の時期に剪定してもあっという間に育ってしまうだろう・・・
花の見頃に枝を切るのはもったいないが、今のままではいつ倒れても不思議はない。

わが家のほうの風はとてつもなく強い。特に今の季節は。ガレージの鉄の支柱が風で折れたほど。昨日、スーパーで会ったのでうちの木の話をしたら、逆にガレージの支柱が折れた話をされてしまった・・・

***

パタパタと慌しくしているうちに、王ジャパンが世界一。
ミラクル。嘘みたい。
WBC開催の前半の試合の様子、イチローの屈辱インタビュー、審判のいい加減さ・・・
このところの鬱々とした気分をますます憂鬱にしてくれる話題だった。

でも、ぷあ〜っとね。
スカッとした。
文字通り、お彼岸で、父が生きていたら狂喜乱舞。浮かれまくり。巨人の優勝どころじゃないのが目に浮ぶ。

なんか、信じられない。
一瞬タイムスリップして、子どもの頃に戻った気がした。

投稿者 Blue Wind : 10:27 AM | コメント (0) | トラックバック

March 19, 2006

水疱瘡

まいったな、娘が水疱瘡。
一昨日の晩あたりから熱っぽく、ずっと食欲がない。昨日は観たいテレビも観ないで寝てしまった。よほど具合が悪いのだろう。

最初はわたしの風邪が移ったのかもしれないと思った。ところが、今朝遅く起きてきた娘の顔を見たら、おでこがにきびだらけ。何か変だと思って観察したら、おでこだけではなく、手から足から首から、背中を見たら水痘があり、完璧に水疱瘡。

よりによって今の時期に感染していたら、卒業式には出られない。娘の話だと先週友達が感染して学校を休んでいたという。ということは、もしかするとほかにも感染して卒業式に出席できない子もいそう。

まいったな・・・

そんなことを言いながら、しっかり2夜続けて『女王の教室』の続編を観てしまった。かなり極端だけど、雰囲気が今の学校を上手に表現しているなーと感心してしまう。先生の態度によって子どもたちの授業中の様子が違うのもさりげなく表現されているし、親からみて好ましい教師と好ましくない教師の姿がそこにはある。

ああやって観察すると、学校という世界の出来事はまるで親の知らないことだらけで、母親たちもうざったく描かれてはいるが、もし学校でわが子が同じ立場だったら当然親ならするであろうということをしているだけ。

学校も慣れているから、学校で何かあれば子どもから親に知らされる前に担任から連絡が来る。あまりにも神経質すぎるのではないかと感じるくらいだ。それでいて親のほうから担任に言っても、てきとーに話を逸らされてしまう。

娘が入学したときの校長は全面対決型の先生だったので、初めてのPTA総会は面食らってしまった。水道の赤錆が気になって学校の水が飲めない子がいて、水道管の工事をするように市の予算まで決まっていたのに校長が潰したから大変だった。

わたし的には、どうしても飲めないと本人が言うものを無理やり飲ますのはよくないと思った。それならせめて水筒を持っていけるようにするとか、気配りがあっても然り。ところが、その手のことは甘やかしだとか、これまで学校の水で問題が発生したことはないことを理由に校長が突っぱねる。まあ、中には校長に味方する保護者もいたけど、ほとんどは怒っていたと思う。

このため、浄水器を取り付けたり、夏の間だけ水筒を持っていけるようにする等、間に入った先生たちが相談して決めたそう。で、校長は工事を撤回して、他校へ転勤してしまった。

それと、ゆとり教育で、教科書がますます薄ぺらになり、そのことを申し訳なさそうに説明する教師の姿もやけに印象に残っている。逆にわが家は小学生のうちは勉強のことを娘にうるさく言うつもりはなかったので、勉強に遅れがちになると先生から連絡が来る。が、しかし、わたしは何もさせなかった。そのことで40分も担任と話をしなければならなかったほど、教師にとっては全部の子が等しく理解するということが大切なこと。あまりのうざさに驚いた。

そんなことを考えながら、今の校長先生は保護者にも評判が良いことを思い出す。小さい小学校であるがゆえ、昔だったら用務員さんがするはずの雑務を校長がやっている。あまりにも腰が低いので、摩擦にもならない。その代わり、教頭先生が女性で、かなりきつい。このため、子どもたちからは評判が悪い。

さてさて・・・
学生が一番気楽かも。
やっと卒業・・・・と思ったら、水疱瘡、か。まあ、考えようによっては気楽かも。娘はかわいそうだけど、親は気楽。この前のことがあって以来、静かに瘡蓋が剥がれるのを待つ気分。

投稿者 Blue Wind : 03:12 PM | コメント (0) | トラックバック

March 11, 2006

男子校みたい

体育館の中は寒かった。昨日からどうも風邪気味で、身震いがするほど寒い。それでいて外は暖かく、しばらくこのギャップに苦しみそう。

それにしても、男子校の説明会のようだった。
体育の授業にラグビーを導入すると聞いた日にはますますそうやって思ってしまう。鞄や靴の受け取りの際、女子の列のほうが空いていたので、もしかすると本当に男子のほうが多いのかもしれない。

学校の教育方針はシンプル。将来、社会に貢献できる人、リーダーを育てたいと言う。リーダーとは自己犠牲の上に立脚するものであり、自己犠牲なくして真のリーダーは育たない。

厳しい学習ノルマ。ちなみに英単語と漢字にもノルマがあり、暗記していないと放校(退学)。
電気製品の持込禁止。当然、ケータイを持っていたら放校・・・(これはさすがにすごすぎる)
そのほか、服装、挨拶。
家庭でも、自室でのパソコンやテレビの使用禁止、友人同士の外出・外泊の規制等の指導。

寒い体育館の中で、1時間くらいそういう話を聞いていた。
おまけに、教科書、靴・鞄、体操着等の袋を持たされ、それが娘と2人で持つにはいささか重い。

***

不思議なことに・・・
この時代錯誤的な厳しい学校は、年々志望者が増加し、とうとう今年は例年よりも1クラス増えた。卒業するまでには1クラスくらい減っている可能性は高いが・・・しかも、特に親が入れようと思っているわけではなく、案外、子どものほうが入学を希望しているケースも多い。うちなんて、典型的にそのパターンだし・・・

茶髪でケータイ、ミニスカートの高校生なんて・・・
それで自室でパソコン、テレビ、ケータイ。
ついでに、外泊。
おまけに高校生くらいでコンビニでバイトして時給1000円を稼ぐ味を覚えると、着実にニートやフリーターへの道を歩くようになるらしい。
で、今度は経済至上主義に走り、勝ち組だの負け組だの、となる。

たしかにそんなふうになったら困るけど、荷物は重かったし、体育館は寒かった。
娘に文句を言うと、お母さんが通うわけじゃないでしょ、と言われた。

投稿者 Blue Wind : 03:08 PM | コメント (0) | トラックバック

March 09, 2006

ぼーっとして、ビシッとして、ぼーっとする

娘の中学の制服が届いた。まだ新しいせいか、想像していたより品物がよく見える。娘にもよく似合い、例のショートカットも顔が小さく見えてそれなりにスーツによく似合う。

まあ、入ってしまって毎日着用するようになると、それなりに、なってしまうのだろうと思いつつ、しつけのかかった制服はかっこいい。

あと2週間くらいで卒業式。わたしのほうが何を着て行こうか迷う。
まあ、どうせ刺身のつまみたいなものだから・・・なんでもいいか。

***

朝から土地を見に行く。
案外、場所もいい。
それでいて、大通りに面しているためにクルマの出入りが怖い。申請すれば信号機が設置できるかな。わからんが。

すっかり他力本願になってしまい、近頃わたしは何もしない。何もしないにもかかわらず、案外、あちこちから連絡が入る。要するに、情報社会だから、そういう情報が出回れば自然と連絡が入る仕組みなのかも。

職員も口コミで集まりそう・・・それでいて、そんなに給料を支払っていける目処は何もない。世の中、案外、転職を希望している人たちが多いことを知る。

***

昨日、娘と話しながら、もう大学受験の話。
娘の夢は相変わらず東京芸大を出て、美術教師になること。
私立の美大へ行くのなら、美大へ行っても意味がないのではないかと思ったけど、それは偏見なんだろうか。それなら国立の医学部が1倍を切っている時代なので、医者にでもなったほうが。(だんだん、ダンナに言うことが近くなってくる・・・いかんなー)

ぼーっとして、ビシッとして、聖書でも読んで、和歌。

***

それにしても親切だよね・・・
マリがどうしても脱走するのだけれど、この前、犬の散歩中だった人が教えてくれて、今日また想像よりも家から離れたところをウロチョロしているマリを家までその人が連れてきてくれた。

やっぱ、引っ越せない。
こうやってぼーっと過ごせるのも、そうやって親切な人たちがいるおかげだもの。
首輪もしていない犬を連れてきてくれる人がいるところ!
それにしても、まりっぺには泣かされる。

投稿者 Blue Wind : 01:45 PM | コメント (0) | トラックバック

March 06, 2006

あの髪型は似合わん・・・

娘が髪の毛を切ってきた。
ヘン。
本人はおそらくはウルフカットみたいなショートをイメージしていたようだが、実際には幼稚園の頃にしていたような今風ワカメちゃんカットというか・・・
正直に言って、親の目から見ても冴えない。
このため、さっきから髪の毛を濡らして外側にカールをつけようとしたり・・・
気の毒。

が、しかし、中学に行ったら今より校則が厳しくなるし、他人に危害?を加えるようなスタイルではないので、そういう意味ではかまわないのだけど、冴えない。
もともと派手な顔立ちではない上に地味な髪型。
正直、ババくさい。

仕方ないなー、と思う。
気持ちがわかるだけに・・・

***

テンは生後30日を過ぎ、歩けるようになったと思ったらあっという間にパタパタ走っている。
生まれたときは、犬というよりあざらしのような顔で口ばかりが大きかったけど、ようやく子犬らしい顔立ちになり、いつの間にか体重も1キロ近くある。初代マリアが3ヶ月近くても850グラムしかなかったのに、テンはデカイ。母犬が小柄なので、1年もしないうちに追い越しそう。そのくせまだ母乳・・・離乳食もようやく食べるようになったが、乳離れが遅い。

一番の難点は、わたしが抱っこするとオシッコすること。
すま〜した顔して・・・
いかんな・・・なんとかせねば。

***

それにしても、娘のあの髪型はヘンだ。
また伸ばして、再挑戦するかな・・・
ババアになっておのれを知ると、ショートカットが似合わないということに、そのうち娘も気が付くだろう。
それまでの辛抱。

投稿者 Blue Wind : 12:10 AM | コメント (0) | トラックバック

March 04, 2006

エンヤの菫草


Enya
Amarantine


知らなかった。
CMソングにまでなっているくらいだから、曲は知っていたがこの曲(『菫草』)が日本語だということに今気が付いた。
芭蕉の俳句にインスパイアされた曲。
もっともこのアルバムにはエルフ語まで混じっているから、彼女あるいは作詞者にとっては日本語も妖精語の一種と思われていたとしても・・・

幻想的なエンヤの作風に、もののあわれや悲しい海、喜びの海、山、風の声・・・
日本のアーティストだと鈴木重子の作風がエンヤと重なる。

美しい曲。

投稿者 Blue Wind : 03:33 PM | コメント (0) | トラックバック

March 03, 2006

母子逆転のひなまつりでした

今日はひなまつり。
そのことはわかっていたが、我が家では2,3年前から飾らなくなっている。理由は、オト・マリが人形に何をするかわからないので、ひたすらブロックあるのみ。犬に説教しても無駄なので、ここは諦める。
もともと娘に対する義理のようなもので飾っていただけだし・・・痛まなければ、孫へ。
しかも、今日は卒業を祝う会があり、ひなまつりどころではない。
しかも、わたしは朝から膀胱炎に苦しみ、おそろしいほどの水を飲んで、薬のせいかやたらと眠くなり、結局、娘が新ジャガの残りとソーセージで夕飯をつくってくれたので、それをつまんでまた薬。
おかげで病気のほうはよくなりました。

明日は子供会の卒業生を送る会があり、娘は朝からボウリング。
来週末は中学の学校説明会。
あっというまに卒業式になりそう。

投稿者 Blue Wind : 11:21 PM | コメント (0) | トラックバック

March 01, 2006

甘いクリームチーズとモカ・シダモ

いかんなー、このところ一日中眠い。時差ぼけみたい。
原因はオリンピックだろうか・・・
夜更かしと昼寝が日課になってしまうと、それはそれなりに規則正しい生活。ところが単なる夜更かしならいいけど、つい徹夜しちゃうんだよね・・・そうなると、あかん。朝も眠い、昼も眠い、夕方も眠い、そして夜になるとだるだるながらも目が覚める。

朝からトースターの電気コードに引っかかり、そのままコンセントを元に戻したらトーストが焦げてしまったため、フランスパンを齧る。スーパーでデンマーク産のクリームチーズを買ったら、チーズケーキみたいで、つい、はまってしまっている。フルーツの絵柄とチーズというのがどうも抵抗があり、今まで買ったことがなかったのだけど、食べてみたらクセになる。

ついでに今、『モカ シダモ』というエチオピアのコーヒー豆にはまっていて、ジューシーなコーヒー。コーヒーというのが実は果実だということを思い出す。スーパーがやっているフェア・トレード商品。産地指定のため品切れになったら別のものになってしまうのだろうか。

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February 26, 2006

久々のフォーラム

今日は友達に誘われて平和フォーラムへ。形式ばったものではなく、女性だけの集会。すごく楽しかった。

おおげさなものではないのがいいよね・・・ボランティアで活躍する人、JICAの人、普通の主婦の人もいれば、満州からの引揚者で当時のこととなると泣きながら話しているおばあさんもいたし、人権擁護委員。

そろそろ春だし、道で会ってご挨拶したり、そういえばあのときにお会いしましたねー、という関係が増えるのは楽しい。

つくばに来たばかりの頃ご近所に住んでいた人に何年かぶりで再会。どこかで見た顔だと思ったけど互いに思い出せない。当時は娘がまだ小さくて、どちらかといえば子どもを通したご近所付き合いで、子どもがいっしょだったら互いにピンときたと思うけど、ひとりで歩いているとわからない。わたしも引っ越してしまったし、彼女もすでに市内の別のところに引っ越していて、久しぶりにアドレスの交換をした。

そういえば、みんなどうしているのだろう。
当時一番お世話になった人はすでに千葉のほうに引越してしまい、今は韓国に転勤になってしまった。上のお子さんがもう高校生になっていて驚く。つくばは転勤族が多いので、1,2年もすると散り散りになってしまう。知り合って数ヶ月でエチオピアに転勤になってしまった人はどうしているだろう。いきなりベビーカーをくれたので驚いたが、かく言うわたしも洗濯機を買い換えたら、まだ使えるとばかりに中古の洗濯機は友達を経由して知らない人のところへ渡っていった。

もう顔も名前も思い出せない人たちも多いけど、おそらくはどこかで誰かがつながっているのだろう。何となく懐かしかった。

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February 25, 2006

イジメ過敏症候群

そろそろフィギュアのエキシビションが始まる。もう一日が終わってしまったのか・・・という気分。このところ、さすがに寝不足で、フィギュアを観るために夜中に起き出していたため、いつが一日の始まりなのかわからなくなっている。

それでも、荒川静香選手の演技が始まる頃はすでに朝で、娘と一緒に観ていた。なんか、観ながら緊張していたのが自分でもわかる。選手が緊張するのは当たり前なんだけど、荒川選手の金が決まったとき、一気にホッとしたというか、脱力感と眠気に襲われた。

***

その前日、めずらしく娘から迎えに来てほしいと電話があり、学校へ行ったら友達といっしょに校庭で教頭先生と話している。どうもイジメだか喧嘩があったので、教頭が子どもに事情を訊いて説教していたらしい。

わたしはまるで事情がわからないので、クルマの中で子どもたちに事情を訊く。そのまま発進しようかと思ったら、教頭先生が来て、ドアを開けて話の続きをするので、聞いていた。担任は、別件?でイジメがありどこかの公園へ行っているらしい。教頭に、あと2人いた子たちは親が迎えに来たので先に帰ったと言われ、ドキッとしてしまう。一体、何事かと・・・

子どもたちの話はまとまりがなくてわかりにくい。どうも担任の先生に言われたことがトリガーになっているらしいが、それも言うことがバラバラでわからない。被害者?は娘だけではなく、もう1人仲の良い子がその日たまたま欠席しており、その子ももしかするとイジメが原因で欠席しているのではないかと教頭先生が疑っているのがわかる。

・・・・・・・ようやく翌日改めて事情を訊く、ということで教頭先生が解放してくれたので、そのままクルマの中で子どもたちの話が聞けた。

***

話を整理すると、この6年間、娘のクラスではずっとイジメがあり、低学年のうちは悪さをする男の子はどこでもいるということで終わっていたのが、高学年になると逆転し、イジメっ子のほうが集団で無視されたり、女の子たちにきついことを言われたり、すっかり虐められる側になってしまっている。そこで、担任が2時間くらいかけて、「このままこの問題を中学まで持ち越していいのか?」と説教したのがそもそもの始まりらしい。

イジメというか・・・
ちょっと前までは、その男の子に何かされてもひたすら無視しろ、という伝令が先生から下っていたのはわたしも知っている。さらに、その男の子が、自分で自分の首を絞めようとしたり、被害妄想で暴れ出したり、ガラスを割って大怪我したり、そういう異常行動がエスカレートしているのもわたしは知っている。ところが、案外、先生というのはそういう事情を把握していない。「首を絞めたと言っても、本気ではないから」と先生が言うので、あっけに取られる。本気かどうかよりも、異常であるには違いない。

クラスの中には相当緊張感と嫌悪感が蔓延しており、そのはけぐちとしてイジメも生じる。それも面と向かったものではなく、ベランダに「死ね」といたずら書きがあったり・・・それで、さらにそういういたずら書きをした者を追求することになり、先生曰く、「そういう卑怯なことをするな、言いたいことがあるなら面と向かって言え」という説教につながったらしい。

ここで、先生の名誉のために言うと、そういうクラスの状態を放っているわけでもないし、世の中は不審者情報や交通事故など、もっと教師の仕事が増える状況にあり、登下校のときには交通事故のあった交差点に先生が立っていたり、不審者対策のための強化、クラスで何かあったときには速やかな対応など、傍から見ていても大変だなあ、と思う。

子どもたちの名誉のために言うと、むしろ真面目で、実際には虐めているというより、それに耐えている時間のほうが長いだろう。そこで、何か不満があったり、言いたいことがあったときには書いてその中に入れるという箱が設置された。すると、出るわ出るわ大変なクレームラッシュ。

わたしから見れば、要するにボーダー系の男の子がいて、そのテンションの高さに周囲が耐え切れない、というのが実情に近い。それは子どもの責任ではないと思う。適切な治療なりカウンセリングを受けて・・・と以前から思ってはいるが、そういうプライベートなことは公にはされないがゆえに、どうなっているのかまるでわからない。

でも、教育現場というのは、むしろ教師の責任とか、家庭の責任とか、さらに子どもたちの指導という立場で考えるために、「それはそうじゃないんだよ」と誰かが言ってあげないと治まらない。このままこの問題がエスカレートして中学まで持ち越されたらそれこそ学校の責任問題になりかねないため、新しく赴任してきた教頭先生が陣頭指揮を執って、この問題に取り組んでいるらしい。・・・・・・・・が、このため、生徒からは評判が悪い。教頭先生は何も知らないのに・・・ということになる。

その流れがあって、「私達は○○君と同じ中学へ行かなければならないのに」という不満が爆発し、たまたま同じグループ内の子の中で喧嘩みたいになった、というのが今回の事件の概要らしい。まあ、うちの娘は私立へ行くことになったので、そういう点で何かきついことを言われて泣いてしまい、そこに事情を知らない教頭が来て、大勢で1人の子をバッシングしている、という風に捉えてしまった。

***

今日はどうなるのか心配していたが、昨夜テレビを観ながらケラケラ娘が笑っているときに友達から電話があり、結局、○○君と教頭先生の無理解でおおげさなことになってしまった、ということで決着したそう。

こっちまで神経がピリピリしてしまう。世の中がおおげさすぎて、ついていけない。

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February 22, 2006

世代間ギャップ

違うんだよね・・・
そう、違う。
大体、宗教というか、道徳や倫理を含めて、その手の類が広まるというのは、自分の住んでいるところがそういう風になったら素晴らしいだろうなー、という思い込みがある。そこの国、あるいは社会が素晴らしいと思うからこそ学ぼうという気が起きる。

今は、なんというか、平和ボケしているせいか、あんな国になったらいやだなー、というものを他国に感じることが多い。ヴァカンスで海外に行くのは楽しい。そういうところにずっと住みたいと思う。それでいて、大抵の駐在員というか、そこで働く人たちはボロカスだったり・・・やけに愛国心のある人たちが多い。

そういうものなのかも。

テロ、か。
もともと日本には何の関係もない。
アラブ人とかユダヤ人とか、キリスト教とかイスラム教とか、そうやって言葉の中に閉じ込めてしまえばそれで終わることだと大多数の人たちは考えている(と思う)。
要するに、血なまぐささがある。だから、嫌い、とかね。

あっさり語ると、まず、カルトはうざいでしょ?
それでは伝統的にカトリックやプロテスタント?

わたしね・・・
娘にはっきりカトリックは嫌いと言われてしまって、それですごく考えているわけです。昔はお嬢さん学校が多くて、女の子ならミッション系、というノリがあったのに、今、皆してそんな学校へ行っても仕方がないと言う。

それも一つの世論なら仕方ないのでは・・・
こんな時代だし・・・
テロが悪いんだろうか?

国立の医学部でさえ、競争率が1倍を下回っているので、女の子でも医者にしたほうがいいんでしょうかね。そっちのほうが今風・・・

まあ、いいや。娘の勝手。
なんか、男の子が頼りないんだろうな。わからんが・・・それなら娘が働いたほうがマシかも。
母はヒマだから、ひとりで聖書。

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February 17, 2006

ポンポンうるさい

テンちゃんの胸に、ちょうど白い三日月のような部分がある。誰に似たのだろう・・・オトやマリには無い。そのうち成長すると消えてしまうのだろうか。

今日でまる2週間。体重も500グラム以上あり、というか、10日目で薄目を開き、体重も500グラムを超え、生まれたときが200グラムくらいだったので、順調に育っている。が、ちょっと大きいなぁ・・・ミニピンにしては大きい。それとも普通なんだろうか。わからない。

***

ブログのテーマを増やすと、大変。特に、「今日の」と入れると毎日更新することを目標としているため、やたらと更新頻度が高くなっていく。でも、そうでもなかったら聖書を通読するなんて不可能かも。(わたしの場合)

前回、オリンピックをほとんど観られなかったので、今回は・・・と思って観ているけど、毎晩になるとしんどい。昨日はショートトラックか何かの競技だったのかな・・・NHKのアナウンサーがやたらと「ニッポン」と叫びまくっているので、苦しくなって消した。

カウントしちゃうんだよね・・・
「ニッポン」というのが正しい日本語なんだろうと思いつつ、何度も繰り返されると、やたらとポンポン言ってるだけに聴こえてしまい、1つのレース中に何回アナウンサーがポンポン言うかをカウントしてしまいそうになり、そうなると競技どころではない。ひたすら耳障りな雑音にしか聴こえなくなる。困った。

こういう感覚はラジオにもあり、普通はカーラジオで音楽を聴いているだけだから気にもならないが、トークが中心のラジオで、笑い声などだけが静かな夜更けに響いているような時間帯、その瞬間、自分の集中が途切れるために腹が立ってくる。(だったら聴くな、って? そそ。だから聴かない)

テレビがうるさい、という感覚。まじにうるさい。食事をつくっているときに本を読んでいたら、ダンナが堰かす。これもうるさい。おもむろに娘にテレビを消させ、鍋の音を聴かせる。何が言いたいのかというと、「鍋が作ってるでしょ?」ということ。わたしが鍋の前に立っていようが離れていようが、ほとんど変わらない。静かなら、鍋の音を聴いていれば鍋の様子がわかる。鍋の音が聴こえない人たちに何を語っても無意味。

というわけで、わたしはサウンドを聴きながら何かをしていることが多い。気になっちゃうんだよね・・・そうしないと集中できない。

投稿者 Blue Wind : 03:43 PM | コメント (0) | トラックバック

February 12, 2006

ロボット教材?

PI-BO
ロボット?
週末の学校の宿題。
どこで買ったのだろうといぶかしがっていたら、学校で貰ったそう。

PI-GO(ピーゴ)という6年用の理科の教材らしい。
電流の働きPI-GO

校庭には風力発電機があるしね・・・
四葉のクローバーを集めながら、風力発電用のプロペラ?がまわっているというのもそれなりに風情があるやもしれませぬ。

投稿者 Blue Wind : 04:05 PM | コメント (0) | トラックバック

February 11, 2006

採寸

その昔、わたしが子どもの頃にも、「今の子は・・」と言われたものだが、近頃わたしが言う方になっている。

だってね・・・娘がしきりにもっと背が高くなりたいと言う。小学生で155センチくらいならさほど小さいとは思えない。ところがクラスでは真ん中くらい。塾では小さい方。

先日、娘と一緒にジーンズを買いに行った。すでにレディースの売り場で買うために、ジャケットなどもついでに買う。すると肩にあわせて買うと11号なのだもの。いえ、ぜんぜん太ってないです。(細くもないが・・)

今日は、制服の採寸。
最初に靴のサイズ。おそらくは、23.5cmでよいのではないかと思ってそのように記入していたら、実際に履いてみると24cmで大丈夫と言われてしまった。顔が小さいんだよね・・・だから、特に大柄な印象はないし、常に真ん中くらい。わたしの世代で24cmと言えば、サイズがないと泣いていたっけ。

知り合いのお嬢さんが、中3で、身長170cmくらいあり、靴のサイズが26cmと聞いたときにはぶったまげ、そんな大女だったらすぐにわかるのではないかと思って学校見学へ行ったときに探したけど、まるきりわからなかったことを思い出す。

その次にジャージ。
これは男女兼用なので、女子は大きめのものを買う。にしても、170cm用というのは大きすぎるのではないかと思ったけど、ズボンの丈も袖の丈も驚くほど大きいという印象はない。洗って縮むことを考えるとこれくらいの大きさでよいのではないかと売り場の人に言われた。

制服のジャケットやブラウスはMでちょうどいい。だから、Lを購入。今より小さくはならないから。

最後にスカート。親の感覚では、ジーンズが67cmくらいなのでスカートもそれくらいでよいのではないかと思っていた。ところが、75cmを最初に履かされた。というのは、72cmのものは両隣の子たちが試着しているため順番待ちをしていたからで、その両脇の子たちが太っているか、背が高いかと言われたら決してそんなこともない。ウエスト自体はホックが3cmくらい移動するためゆるくてもかまわないそう。

でも、試着させたら、微妙にスカートの丈やひだの具合が、サイズが大きくないと綺麗に出ない。ミニスカートが流行っているとはいえ、学校ですからね・・・

要するに何が言いたいかというと、全体的に手足が大きく長く、顔が小さく肩幅が広く寸胴の子たちが多いということかも。昔のイメージで制服がつくられているせいで、どうもサイズが数字とミスマッチ。今まで、子ども服で160cmというのを買っていたため、それをレディースサイズに直されるとひたすら戸惑ってしまう。

それにしても、偏差値が謎めいていてついていけない。偏差値28〜84のレンジにはついていけそうにない。平均が50なんだから大抵は40〜70の間におさまるのが普通ではないかと思うんだけど、ゆとり教育の影響で中間層が減っているため昔とはずいぶん違うらしい。

子どものサイズも大きい子から小さい子まであまりにも差があるため、というか、極端に存在しているのではなく、全体的にばらけているため、もはや大雑把なサイズ表では対応できないような気がする。娘が少なくても165cmくらいにはなりたいと言う気持ちが少し理解できた。

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February 07, 2006

ひねもすはゆく

知り合いの柔道一家。お父さんもお母さんも子ども3人で柔道をやっている。
女の子が1人いて、その子が一番強いらしい。で、どぉ〜っしても柔道の名門校へ入りたいというので、都内まで1時間半かけて通うそう。柔道というか、スポーツに力を入れている学校。
茨城の自宅から通うため、さすがに帰りが心配だから、母親が帰り一緒に帰って来られるように今の勤め先を辞めて、都内に探している。

毎日、駅や学校まで送迎するだけでも大変なのに、帰り一緒に帰って来るというところがすごい。

わたしには無理。
ヒマだから毎日送迎しろと言われてもさすがに・・・そこまではできない。

今、ようやく塾の送迎がなくなったので、夕飯もゆっくりしていられるようになった。昨日は昨日でいきなり母の息が止まったと病院から連絡があるし・・・驚いて行ったら、そのときにはもう普通に戻っており、要するに痰がこのところ硬くなり、それが喉につかえたらしい。軽い気管支炎だから2,3日でよくなるそう。

テンちゃんが生まれて、マリが母なのだからと思っても、マリはおっぱいをあげるのが下手で、誰かが抱っこしてあげないとミルクを飲ませられない。日中ひとりのときなど、マリとテンを抱っこしているとオトがひがむため、どういうわけか3匹まとめて抱っこしている。

他愛なくやることが多い。

***

国立大学の競争率が発表された。なんなんだ、あの低倍率は。あれなら誰でも入れそうな気がする。事実、少子化の影響で誰でも入れるのかも。

それにひきかえ、私立中学の受験生は増えている。わが家のほうだけだろうか。TXが開通したし・・・
私立ははっきりしているし・・・受験案内などを見ながら、スポーツの名門校というのが本当にあるのだということを知る。年齢制限はあるものの、オリンピックやインターハイという文字が並んでいるのを見ると、やる気のある子ならどんなに遠くても通いたくなる気持ちもわかるような気がする。

が、しかし・・・・スクールバスで通いたいという娘はそれなりに親孝行でもあり、かったるいから指定校推薦でどこか適当に大学まで行ってくれたらありがたい。そうやってだるだるな親子が多いから、国立は人気がないのだろうか?

***

今すごくほっとしていて、あれこれ本を買い込んでいる。少し古典を読んでみたくなったのと、聖書を買い足したのもヒマがなせるわざか?

家でぼぉ〜っとしていると、それなりにやりたいことが次々と発生してしまい、このところはまっているエチオピア産のコーヒーなどを飲みながら、どういうわけかイスラエルの歴史のところを読み始めてストップしてしまった。

文系の学生のくせに、古典も歴史も苦手意識が強い。だって受かったらまるで必要なかったし・・・もっと統計と物理を勉強しておけばよかったと思ったくらい何かどこかが違ったせい。

それでも、今まで興味のなかったことに没頭できるというのも長生きしているからで、40歳を過ぎたら、あとは余生だから好きなことをさせてもらおうというのは甘いかな。ひねもすはゆく。

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February 03, 2006

コオト

今日はさすがに頭が朦朧としている。夕方まで寝ていたせいかも。娘も学校から戻るなり熟睡していた。

昨日の夜、7時半頃にマリがいきなり2階に駆け上がって行った。ちょうど食事中だったので誰も動かない。わたしがもしかすると破水したかもしれないと言ったけど、それまでまるで気配がなかったため、ダンナが本気にしてくれない。

マリを下に連れてきたが、2階でないと落ち着かないようなので、ベッドの上を明け渡す。

もうどーとでもなれ、という気分で、タオルを何枚も用意して、マリと一緒に寝ているうちに、娘は本当に眠ってしまい、マリは陣痛が始まるとベッドの端のほうに移動して布団の中で悲鳴をあげる。そのたびにわたしは起き上がり眠れない。ダンナはどういうわけか、下のソファで寝ていた。

先日、獣医へ行ったら、オスは子どもを噛むから離しておいてくれと言われたため、オトを部屋の外へ追い出したらずっとドアをカリカリしながら吠えている。そのたびにマリの陣痛が弱くなるため、オトを下の部屋へ連れて行き閉じ込めたがドアをカリカリして吠えている。仕方がないので、マリが入るはずだったケージの中にオトを閉じ込める。が、しかし・・・・ずっと吠えている。

6時間くらいそうしていただろうか。最初のうちは破水したら1時間くらいで生まれると思っていた。いつまで経っても生まれないので慌て出す。慌てて獣医に電話したけど通じない。そのため電話帳を片っ端からかけてみたけど、どこも留守電。仕方がないので、ネットで検索してみたり、ペットショップに電話したがどうにもならない。しかも、破水後、お腹の軽くなったマリはやたらと元気に飛び回っているので、実はどこかに生まれているのではないかと不安になり、家中捜したが子犬はいない。(当たり前か・・)

破水から4時間も経過してしまうと、あとは次第に諦めて、明日の朝、獣医へ連れて行こうと思った。で、寝ようとするとマリが悲鳴をあげる。もしやと思い、マリのお尻を見たら、子犬が下がってきている。どうにか脚だと判別できたので、ダンナを起こし、いや勝手に起きてきたので、そのまま交代して、わたしは休憩することにした。

・・・・・あとは、ブログを書きながらタオルを絞り、記事をアップしたとたんに、「生まれたよ」と2階からダンナの声がしたので駆け上がる。あっという間に臍の緒の処理を済まし、古いタオルごと汚物を捨て、子犬を拭いてあげたら、ダンナはまた寝てしまった。娘も起き出して、そのまま明け方まで一緒に起きていた。興奮して眠れない。

子犬がオトの遠吠えに反応して、キューキュー鳴いている。そこでオトを閉じ込めたままだったのを思い出し、ケージから出したとたんに2階に駆け上る。マリは難産に疲れ果て、ぐったりしているだけ。ミルクも与えない。オトが代わりに子犬を舐めている。噛んだらどうしよう・・・と思って見ていたが、ぜんぜん平気だった。オトを疑って申しわけないと思った。他人の言うことを信用したわたしがバカだった。

名前を付けねば・・・
娘は、キューキュー鳴くからキューちゃんと呼んでいるし、ダンナはオトの子だからコオトと呼んでいるし、わたしはマリの子が女の子だったらコマリと呼ぶつもりだったのがオスだったのでコタロウと呼んでいる。オトはオットー、イタリア語の8。つまり日本名ハチと呼ぶべきか。じゃあ、ハチの子はキュー? いっそのことテンちゃんにしようか、など考慮中。

投稿者 Blue Wind : 11:44 PM | コメント (0) | トラックバック

生まれた

ひといきついているうちに、生まれた。
みるみるうちにピカピカになり、動きはじめる。
こねこのような声。

マリも元気。
よかった。

投稿者 Blue Wind : 03:28 AM | コメント (0) | トラックバック

ピンチ

ちょっと休憩。
午後7時半くらいに破水し、いつ生まれるだろうかと待っているのだが・・・なかなか生まれない。かれこれ6時間以上経った。電話帳を見ながらあちこちの獣医に電話しまくったが、全部、留守番電話。オトも落ち着かない。

今、ようやく少し脚が出てきたところ。で、ストップしている。最初はケージの中で産ませて、と思っていたけどそれどころじゃない。陣痛がきた時点で走り回ったり、布団の中にもぐりこんだり、落ち着いたかと思えば陣痛が来なくなり、再び陣痛がくるとすぐに休憩。

もう死んだのではないかと思うが、マリの悲鳴により生きていることがわかる。その繰り返し。疲れた。朝までには生まれるだろうか・・・獣医は9時にならないと開かない。

ピンチ。

投稿者 Blue Wind : 02:24 AM | コメント (0) | トラックバック

February 01, 2006

ゆとりのあった一日

久しぶりに娘とスーパーへ行く。
このところずっと学校から塾への直行便だったために、何となく学校帰りの娘を連れて買い物へ行くというのも懐かしい。それだけでどこか解放感が広がる。その後にのんびり100円ショップへ行き、毛糸や小物を仕入れた。

娘がマフラーをしている。文字通り、”手編み”。本当に手だけで編んだ・・・

その毛糸をどこで買ったのか訊いたら、100均(100円ショップの略)で買ったと言うので、ついでに生まれる子犬のためにおくるみでも編もうと思って買いに行った。

糸が太い。
驚く・・・
100均で売っている毛糸は驚くほど糸が太い。専用の編み棒まで売っている。

迷った末、娘が適当に選んだ毛糸で編み始めた。あっという間に1玉が消える。1玉でこれしかないのか・・・と思うくらい寂しい。気がつけば5玉を消費している。糸が太いので、おくるみというよりも玄関マットに近い雰囲気。しかも、かぎ針のほうを使ったため、さらに分厚い。いっそのことおざぶにしてしまおうかと思うくらいだ。

しかも、細いあみ針とは違い、やたらと太いので案外力が要る。たこができそう。それでもあっという間に完成しそう・・・にもかかわらず、問題は買い占めてきたのはいいが、全部で13玉しかないため、どの程度の大きさまで対応できるか今の時点ではわからないし、糸がなくなったら終わり。困った。編みながら考えるしかない。ハラハラドキドキ。中央パーツを完成し、今、側面に取り掛かったところ。

***

ゆとり教育。

何となく反対だったのだけど、徒競走などの競技が消え、運動会は面白味も薄くなり、その代わり、なわとびを一生懸命に練習している子たちのことを想うと、それはそれでよいことのような気がしてくる。

なわとびは競技ではないけれども、自己ベストの世界。ようやく2重飛びが6回続けてできた、とかね・・・娘のレベルはその程度なんだけど、個人差があるせいか、おおげさな言い方をすれば、自己記録更新の世界。みんなで競争するというより、励ましあって、たかがなわとび、されどなわとび。

***

教師。

6年になって知ったのだが、娘の担任の先生は元マラソン・ランナー。折りしも塾の先生はサッカー選手。

担任の先生は、それまで音楽の先生だとばかり思っていた。イメージが狂う。塾の先生は声だけ聞いているときには、おとなしい、なよなよした先生なのかと思っていた。ところが面談で出かけて行ったら、いきなり坊主頭なので「ぎょえっ」となった。イメージが違う。娘に訊いたら、昔、ブラジルにサッカー留学していたらしく、今でも趣味でサッカーをしているから、らしい。ダンナが言うには、ブラジル人の選手には坊主が多いそう。

年齢が前後しても、わたしと年の頃は同じくらいだろう。そういうバブリーな時代に教師になるというのは、そういう人たちなのかもしれないと何となく納得した。好きなことできたからねー、あの頃は。フリーターというのもその頃に出没した言葉だし、一生フリーターでも困らないと誰しも信じていた。

で、教師になったり、塾に勤めたり・・・
子ども相手の仕事のほうが夢があって楽しいのだろう。(と勝手に思った)

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January 31, 2006

「これからの世界は、自分で進む世界」

今日でようやく塾から解放された。娘にとっては最後の日なので、今日はさすがにさぼらずに行った。

クルマを停め、しばらく待っているとガヤガヤと集団で塾の子たちが出て来る。その中に混じり、娘も3人くらいで出て来た。一緒にいる子たちは仲の良い子たちなのだろう。

クルマを走らせながら娘に訊く。ほかの子たちがどこの中学へ行くのか。
すると、例の如く、みんな違う中学。

例の如く・・・
というのは、去年がそうだったからで、娘の小学校の子たちはそのまま市で決められた中学へ行く子たち以外は全部違う中学へ行った。この傾向は塾でも一緒らしい。

わたしは不思議で不思議であちこちに訊いたけど、明確な理由など何もなかった。

娘が言うには、「これからの世界は、自分で進む世界」だから、だそう。

今までにも、友達と同じ中学へ行きたくないのか?とか、いろいろ訊いてみたが、娘の第一志望は変わらない。というか・・・一応、推薦を貰ったので、ほかの中学へは行けない。それでも、推薦をやめて友達と一緒に受験するとかね・・・いろいろやり方があったのではないかと思ったが、そうやって考えるのはわたしだけで、逆にそういうことではダメだと娘に言われてしまう。

要するに、「これからの世界は、自分で進む世界」だから、友達に流されたり、周囲の人たちに振り回されてはいけないらしい。それより、自分でよく考えて決める。

おそらくは、塾や学校で言われていたのかもしれない。
まあ、そうやって考えてみると、塾が終わっても仲良しは仲良しなんだろうし、学校が違っても関係ない。それぞれの学校へ行けばそこでまた新しい友達ができる。

いや・・・・そういうことのために、学校以外へ連れて行ったりしたのではなかったか?
いや・・・・・・そうなんだけどね。学校へ行けば学校の友達がいて、塾へ行けば塾の、習い事をすれば習い事の友達がいる。そのほかにも幼稚園の頃からの友達などを含めると、学校だけがすべてではない。どうしても子どもの数が少ないから、と思ってあちこちへ連れて行ったのだけど、いざそれを娘の口から聞くと驚く。

そうやって娘には言ってきたのだが、いざそれを実行されると自分の頃とはずいぶん違う気がして戸惑ってしまう。この矛盾した感覚。不思議な気分。われながら情けない・・・

投稿者 Blue Wind : 12:04 AM | コメント (0) | トラックバック

January 30, 2006

犬は大変

ラブラドール10匹か・・・遠い目。
まだ生まれたばかりだというのに、保健所。月曜日には殺されてしまう。(さっき、記事で読みました・・)

義理の姉のところは2匹でもクレームが発生し、とうとうマンションから引っ越した。長年住んだところで、ほかに住みたくないような話をしていたというのに世の中は難しい。姑さんは犬のために引っ越すなんてあほやと言っていたが、人それぞれ。オスはエレベータにおしっこしてしまうし、家の中だけではストレスがたまるので散歩にも行かなければならないし、赤ちゃんの頃から育てているわけだから・・・

でも、ラブラドールはおとなしいけど大きいので、姑さんなんかは苦手で、行くと部屋から出られないとこぼしていた。まあ、姑さんより大きいから、あれがジャレてきて転んで骨折、ということも充分考えられる年齢だから、なおさらなのかも。

マリが妊娠し、2匹くらいまでなら育てられるかなぁ・・・と思って心配していたらひとりっこなのでホッとしたのも事実。あと1匹増えるくらい、どーとでもなる。まあ、それでも小型犬だから一度にたくさん(10匹とか?)生まれるほうがめずらしいし、たくさん生まれてもこのところ雑誌でミニチュア・ピンシャが紹介されたせいかペットショップでもすぐに売れているようなので、里親も探しやすいかも、と思う。(甘いかな)

でもね、わたしが子どもの頃は捨て犬や捨て猫が結構いて、大抵はダンボールの中に入っていたり、飼い主が里親が見つかるまで餌を運んでいたり、みんなで餌を持って行ったり、好きな人が家に連れて帰ったり、そんなに大騒ぎするようなことでもなかったと思う。

いつからだろう・・・狂犬病のことや保健所のことや、いつのまにか世の中から野良犬や野良猫の姿が減っていったのは。もう思い出せない。

子どもってすぐ拾って帰るからね・・・わたしにも何度か記憶にある。大抵は、母に叱られる。金魚や小鳥を飼っていたせいもあるだろうけど、拾って帰ると母に捨てて来なさいと叱られる。ムッとしてそのままもとの場所に返しに行くと、しばらくしてその猫が友達の家にいたり・・・

犬は大変。生まれたらワクチンを3回摂取して、保健所に行って許可証を貰い、犬監察の札を首輪にしていないと迷子になったとき大変なことになる。普段、そんなものをしていないから脱走したら大騒ぎ。マリは小さかったから少しの隙間でも柵を抜けてしまう。オトは通れないのに。

ある日マリを探していたら、通りがかった人が隣の家の庭に入って行ったと教えてくれたので見たら、ちゃっかり遊んでいる。呼んだら戻ってくるだけオトよりマシか。オトはおバカだからおしっこをかけている瞬間を狙い捕獲。近頃ではマリが脱走するとオトがうれしそうな顔をしてわたしのほうを眺めるので、すぐにわかる。マリを呼ぶと叱られると思ってまた走って庭に戻る。

う〜む・・・・彼らにとっては脱走は遊びなのかもしれないが、こちらとしては気が気でない。世間知らずの2匹の小犬。

初代マリアがすぐに亡くなってしまったので、そういうトラウマがあるのかも。が、しかし、3匹が限界だなぁ・・・さすがに。
ラブラドール10匹か。
保健所も少しは考えて里親を探す努力をするとかさ・・・あるいは飼い主が探しているかもしれないし・・・
そのために監察の札があるんだろうけど、それにしても冬の寒い中、捨て子をするとは。
が、しかし、昔だったら親切な人が必ずいたものだが、今はクレームのほうが心配な世の中。犬は大変。

投稿者 Blue Wind : 03:38 AM | コメント (0) | トラックバック

January 29, 2006

血統書

マリのお産が近くなる。今日、ダンナが獣医へ行った。

お腹の中の子は順調に育ち・・・ひとりっこであるがゆえに大きい。今なら産道を通れるが、逆子だし、果たして今より大きくなってしまったら獣医へ連れて行かなければならない。それでね、夜に産気づいた場合どうなるかと思って訊いたら、24時間診療のところへ行ってくれと言われたそう。自分はいつも言う側のくせに、そうやって言われたとたんがっくりしている。

それでも人間なら救急車を呼ぶとか、お産でも24時間受付してくれるが、電話帳で調べたら夜間診療までしている獣医は水戸のほうに一軒あるだけ。遠すぎて・・・連れていけない。それなら朝を待つしかない。

さらに、この前ペットショップへ行って、血統書の登録について訊いてきた。担当の人がいなかったので電話を貰う。

「写真ありますか? くっついているところの。」
「は?」
「写真が要るんですよ。」
「そんなものはありませんが・・・うちは2匹だけですから、飼っているのは。」
「それなら大丈夫かもしれませんが、念のため2匹で写っている写真と、オスのDNA鑑定をしなければならないので、そちらのキットが送られてくると思いますから、それで口の中の粘膜などを取って、写真と一緒にJKCに送らなければならないんです。」

このほかにも費用のことなどを訊き、電話を切る。子犬の頭数にもよるらしいが、大体3万円くらいかかるそう。

せっかく子犬が生まれるのだから、血統書もきちんとしようと思い問い合わせをしたけど、いささか面倒になり始めている。子犬が生まれるだけの話なのにおおげさ。しかも難産となると獣医で帝王切開をしなければならない。人間なみに費用がかかる。

次第に大家族になっていってしまいそうだ。3匹になるだけでも賑やか。で、今度はオトの孫とか?

獣医が言うには、生まれたらオスからは離しておかないとダメらしい。齧るから。
オスはあかん。
ウサギの時にも思ったけど、人間の匂いがするとダメというのはそういうことなのかも。ボス猿が替わると前のボスの子どもを殺してしまうという話を思い出した。世界残酷物語。
人間?
この前、里見八犬伝のドラマを観たが・・・仇討ちの世界だからね。

投稿者 Blue Wind : 02:41 AM | コメント (0) | トラックバック

January 26, 2006

準備せねば・・・

マリの出産グッズを見に行った。・・・が、しかし、これといったものはないらしい。

売り場の人にアドバイスされたのは、よく新聞紙をカットして、と書いてあることが多いけど、印刷が子どもに付いてしまうので綺麗な紙のほうがよいということくらい。あとは母犬によって産後のケアができる犬もいればしない犬もいるし、母乳の多い犬もいれば少ない犬もいるし、難産なら獣医と連携をとっていつでも連れていける状態にしておくこと。

それと寒い時期の出産なので、部屋を暖かくしなければならないし、それでいて普通の温度で、と言う。喉が渇きやすくなるから。大抵は生まれてしまえば母犬がケアするから何もしなくてもいいらしいけど、マリだからなぁ・・・何となく心配。

投稿者 Blue Wind : 01:16 AM | コメント (0) | トラックバック

January 24, 2006

燃費のよい日

気分の問題は大きい。
今日はよく晴れていた。にもかかわらず、雪の日のような安全運転のクルマが連なる。娘をお絵かき教室へ送りながら、やけに信号がスムーズだから変だと思ったら、ほとんどのクルマが法廷速度を守りながら運転している。
そういうのは気分の問題だろう。
茨城の道路で法廷速度が守られている、というほうがめずらしいというのはなんともはや。大抵はパトカーの後ろを走っているときか、あるいはバスの後ろを走っているときか・・・くらいしか思いつかない。前のクルマの速度が落ちたと思ったら、パトカーの絵の形の看板の横。
一体世の中どうなっているんだか・・・やはり、気分の問題なんだろう。

国会。
元気な民主党。
フジテレビもウキウキしている?
・・・・・・かなりの内部告発があった、というのは本当なんだろうか、ライブドア?

敵の敵は味方だからなぁ・・・などとうがった見方をしながら、慎重に運転するドライバーが増えたので走りやすい。信号待ちが減ったし、ブレーキもほとんど踏まないし、やけに燃費がよさそうな走り方。

* 法廷速度: 法定速度の間違えです。

投稿者 Blue Wind : 11:05 PM | コメント (0) | トラックバック

January 23, 2006

救急車だらけ

ダンナの機嫌が悪い。帰る間際になってもさらに4台救急車がほとんど同時にやってくるほど忙しかったから。雪が降っていたから外科が忙しいのは何となくわかるんだけど、内科まで忙しいというのはどういうことなんだろう。おかげで、インフルエンザの患者は2時間待ち。どこかのグループホームのお年寄りが座薬が原因で低血圧になっており、それを電話で指導した医師が家にいるのかと思ったら無性に腹が立ったそう。

夕べは夕べで姑さんがはあはあ言いながら電話してくるし・・・完璧、パニック発作。もうダメだからつくばに来ると言う。その前の日には、上の義姉の近所に引っ越すと言っていた。かと思えば翌日には入院するからつくばに来ると言う。連日親に振り回されて疲れ果てて何かあったのだろうか?(いや・・・何もないことが多い)

今日は娘の友達が遊びに来ていたので、ネットをしている時間が長い。彼女たちは元気なので庭でゆきだるま。雪の上にも座れる年頃なんだなぁ・・と思いながら、わたしは寒いから家の中。

道路の雪が融けたせいか、想像以上に道路とスーパーが混んでいた。そのくせ、品薄。雪の日は調子が狂う。

娘に、父さんと母さんとオトとマリが皆年寄りになるから全部面倒をみてねと言ったら、あっさり面倒だからイヤだと言われてしまった。(そりゃそうだよな・・)
頼らないでね、と言う。(あほ)
腹が立ったから、娘は中学で働かせて親の世話をしてくれるような養子を貰うと言ってやった。(なんか、次第に姑さんの気持ちが移る・・)

まあ、いいや。

投稿者 Blue Wind : 01:26 AM | コメント (0) | トラックバック

January 20, 2006

闊達な夢

このところ娘がぐったりしている理由がなんとなくわかった。卒業式の時に、将来の夢について発表しなければならないかららしい。それで、悩んでいる。

将来、何になりたいか?
という点についてまでは考えてある。
美術教師。くま先生みたいに絵の先生になりたいそう。

問題は、その理由まで述べなくてはならないこと。
しつこいなー、本人がなりたいって言ってるんだからいいじゃん、と内心思ったが、晴れの舞台?でそういう態度に出るわけにもいかず、娘と一緒に考える。娘にしてみれば医者にはなりたくないし、かといってわたしは専業主婦で頼りにならない。子ども同士あれにこれにと一生懸命話し合っているそう。

それでこのところお母さんは何もしないとか働かないとかぶちぶち言っていたのかと納得した。

ふっ。

「お母さんはね、大学を出た後、大使館にお勤めすることになっていたのよ。おじいちゃんが勝手に決めて」
「えっ、そーなの?」(娘の瞳がきらりんと光る)
「そそ。でも、どうしても研究をしたかったから大学院を受けて・・・落ちちゃった。それでね、1年くらいイギリスでも行ってこいと親に言われて、先生に相談したら道が変わるからやめろと言われたの。それで、1ヶ月だけイギリスへ行った」

そこで、ミセス・フォーズレーという日本人に出会ったことや、飛行機で隣に座っていた人がタンカーの乗組員だったということを話し出したら、目が生き返った。ミセス・フォーズレーは最初イタリアに留学して、1年でイタリア語がペラペラになってしまい、そのままアパレル関係の仕事をイタリアでしていたそう。で、イギリス人と結婚してロンドンに住んでいる。

「・・・・・・だから、今から何かを決める必要はないのよ。自分のやりたいことをやっているうちに、何とかなるわ」

わたしが娘に言いたかったのは、その時にミセス・フォーズレーに言われた言葉。「あなたみたいな人は40歳を過ぎたら文化的な仕事がいくらでもあるわよ」と、いきなり初対面の人に言われたわけで、わたしはその時ニートな気分だったので、すごく救われた。なんせ、帰国しても何のあてもないわけだから・・・

学校を出て、何になるのだろう・・・とかね。そういう言葉を娘に言われたとしても不思議はない。が、しかし、母はここで娘に負けるわけにはいかない。

「文化的な仕事をしたい、と言えばいいのよ。わかる? 具体的に決めるのではなく、将来は文化的な仕事をしたい。例えば絵を描く楽しさや素晴らしさを伝えていきたい、とかね。」
「あ、それ使える!」
「・・・・・・・」(だから学校って嫌いなのよ。何でも課題になってしまう)

娘と話していていつも感じるのは、今の子どもは酷く現実的だということ。
絵が好き→絵の先生→美大→そのための勉強、という発想しかない。しかも、娘の場合は、くま先生みたいに美術教室を経営するためには美術教師をしておいたほうがいい、教師になるのも今は大変とか、そういう生意気なことまで考えている。
そういう傾向は娘だけではない。そういう発想は親や教師に任せて、ある意味子どもには子どもらしさというか、闊達な夢の部分があってもらいたいが、どうもそういう具合にはいかないような世の中。

そうじゃなく、やりたいことをやっていたらいい、とだけ娘には語りたい。
わたしが娘に理解してほしかったのは、わたしの人生において娘と過ごす時間というのはほんの短い時間に過ぎないということ。娘が生まれる前にもわたしは生きていたし、おそらくはこの先、娘は親元を出て生活するようになる。

おそらくは、彼女にとっては12年というのはとても長い月日なんでしょうけど、わたしからすればそれはあっという間。ついこの間生まれたと思ったらもう12歳。

それがいいのかもしれないな・・・こちらはあっという間で、あちらは人生の大半。
いろいろ悩んでくれ。

投稿者 Blue Wind : 03:29 AM | コメント (0) | トラックバック

January 18, 2006

ゾッとする話

最初、冗談だと思っていたのね・・・わたしは。

マリが妊娠し、誰もいない時、あるいはいてもわたしだけで、しかもわたしが昼寝している時にマリが出産したらどうしようとダンナが心配しているのは、お産が大変だからだと思っていた。

すると、変な質問をする。

「犬は子どもを食べないよね?」
「はあ?なんで、マリが子犬を食べるわけ?バカバカしい。」
「オトは? あいつならやりかねん(笑)」
「・・・・・・・・」(少し不安が募る・・・)
「うさぎは自分の子どもを食べるから」
「・・・・・・」(絶句)
「そこが畜生なんだよ。野生というのはそういうものだし、少しでも人間の匂いが赤ん坊につくと親が食べてしまうから、うさぎは生まれたらすぐに親から取り上げなければならないんだよ」

おそろしい・・・
小学校の頃、うさぎの飼育係をしていた彼は、実際に生まれたばかりの赤ちゃんを親うさぎが食べてしまったのを見たそう。

だったら野生のうさぎは?
と思ったんだけど、要するに人間の匂いがするとそうなるらしい。

それにしても、いやな話だ。うさぎを飼うのはやめよう。

投稿者 Blue Wind : 05:42 AM | コメント (0) | トラックバック

January 17, 2006

今頃になって疲れが・・・

娘がめずらしく疲れて家に帰ってきた。戻るなり寝ている。塾も休み。明日の朝もダンナが学校まで送っていくらしい。

風邪をひいているわけではない。ただ何となく精神的にぐったりしている。今頃になって受験の疲れが出てきたのかも。

ちょっと前まではそういうモードになると、ダンナがささくさと無理にでも娘を塾へ送って行ったというのに、昨日は娘が寝ていても、「塾を休ませて」としか言わない。実際、受かったんだから特に一生懸命に行く必要性もないんだけど、どういうわけか親子で疲れている。

そうなんだよね・・・
茨城県は試験が早いので、ほとんどの子が学校が決まっている。が、しかし、世の中はこれからが本番とばかりに落ちた子もいるし、都内の試験に向けてラスト・スパートの子もいる。去年までは明るいムードに包まれていたが、今年に入ってやたらと暗い。

どうせだったら一気に一般入試で最後までやってもよかったのではないかとも思うし、それでいてTXが開通したため県内の学校の志願者数がどこも80名くらい増えている。そうなると若干番狂わせもあるのではないかと。

すべりどめで受験した子が受かって、そこを第一志望にした子が落ちているって何となくつらいよね。どうもそういうことがあったようで、いきなり娘のクラスは寡黙に支配されるようになってしまった。もっとわるいことに、やんわりではあるが、一般入試で難関校に玉砕してしまった子たちが暗い気持ちでまた同じ学校に入ってくる、ということを考えると一気に合格気分など吹っ飛んでしまう。

まあ、どうでもいいんだけどね・・・鬱々としながら、もっと早くから娘に勉強させていたらよかった、などと考え始めるとキリがない。娘にも言われてしまう、「お母さんが何もしてくれなかったから」と。だって、わたしが受験するわけじゃないし、まだ先が長いし、茨城の子はほとんど小学校のうちは遊んでいるし、それが一番いいような気がするし・・・

そこで仕方がないので、数学の問題を解かせる。
お、できるじゃないですかー!!

算数より数学のほうが簡単だ。(・・・・教えるのは?)

小学校の頃の成績なんて関係ないと思いつつ、一難去ってまた一難。受かったから終わりなのではなく、受かったから大変ってこともある。(でもないか・・)

投稿者 Blue Wind : 01:59 AM | コメント (0) | トラックバック

January 16, 2006

ひとりっこの子犬?

どうもマリちゃんが妊娠したようなので、ダンナが動物病院へ連れて行った。エコーで見たら、どうやらひとりっこらしい。

犬でひとりっこというのはめずらしいのではないかと思ったけど、正直ホッとした。だって、一度にたくさん生まれたらさすがに全部まとめては育てられないし、どこか引き取り先を探さなければならない。世話も大変だけど、ワクチンやら血統書の登録やら生まれてからが大変。・・・・・・旅行に行く時も大変だぞ?

マリは小さいので、もしかすると帝王切開になるかも。おそろしい。お腹の中の子犬は結構育っているらしい。つまり、でかい。でも、犬は安産だというから、大丈夫だと思うんだけど。

マリは妊婦だからガツガツ食べる。オトは・・・・・この頃食が細い。以前だったら自分が真っ先に餌をねだっていたのに、このところ遠慮がち。う〜む・・・・少しは父親としての自覚が出てきたのだろうか?

うちの人たちは勝手なので、わたしが昼寝している間に生まれたらどうしよう、と言っている。どうしようもこうしようも安産だったらいいじゃん、と思いつつ、お産は病気ではないし、それより子犬の3匹に1匹は死んでしまうという話のほうが怖い。

それにしても2ヶ月で生まれてしまう。早い。
もしかすると今月末か来月早々には誕生か?
早く生まれないかな。

投稿者 Blue Wind : 02:06 AM | コメント (0) | トラックバック

January 13, 2006

娘との会話

娘が面白いことを訊く。

「うちって平凡だよね?」
「平凡だからいいのよ」
「どうして?」
「あんまり貧乏すぎてもお金がありすぎても悪の誘惑に勝てなくなるから」
「じゃ、デヴィ夫人や叶姉妹は?たしかにお化粧が濃すぎるけど・・」
「さあ。でも、ビンラディンみたいな大富豪がテロリストになったりするでしょ?お金がありすぎると悪い人たちがやってきやすくなるのよ」

そこで納得したかどうかはわからないが、しばし考えている。

「あの中学は悪い子たちがいるから行きたくないって言ったでしょ?でもね、世の中にはもっと悪い人たちがたくさんいるの。わたしはね、犯罪に巻き込まれるような子になってほしくないだけ。お金がなくてもありすぎても犯罪に巻き込まれる可能性が高くなる。それだけ」

***

どうしてそういう話になったのだろう・・・
そだそだ。娘が本を読まないので、「何でもいいから読めば?」と言ったら、以前娘のために買った『レ・ミゼラブル』が面白いかどうか訊かれたのだった。ストーリーも。で、パンを一つ盗んだがゆえにとても長い間牢獄で過ごさなければならなかった悪い人がとても善い人になっていくストーリーだと言ったら、不意にそういう質問を。

***

あの子はとうとうそこまでに。
同じクラスの男の子。いつも問題を起こしていたが、自分で自分の首に縄をつけて、「死にたいからこれを引っ張れ」と自分で自分の首を絞める。
とうとうそこまで・・・

正常なコミュニケーションがとれない。

***

もうすぐ卒業か。
あっという間。
そして、中学生。

つづく。

という気分。

投稿者 Blue Wind : 03:28 AM | コメント (0) | トラックバック

January 11, 2006

安全圏

感性が違うんだな・・・
今日、お絵かき教室へ娘を迎えに行き、ついでに情報をゲットしようと先生と話す。つくばに来る前、わたしは1年くらい土浦にいたので、「あの辺りは子どもの遊び場がないので、つくばに越してきたんです」と言ったら、変な顔をされてしまった。

そこで考えてみる。
あちらは東京大空襲の戦火を避けるために土浦に。当時は霞ヶ浦でも泳げたし、寄生虫があるからと今では食べない貝を捕獲するのが子どもの頃の遊び。

う〜む・・・
感性が違う。わたしの感性では、川があるから危険とか、ましてや霞ヶ浦なんて今は危ないし汚いから遊泳も禁止されているのでは?とか、が普通だし、子どもというか、ましてや赤ちゃんが遊ぶとなると公園のお砂場とかね・・・そういうところを想い描く。親が子どもの遊び場を考えるという感覚は最近のことなのだろうか?

今日に至るまでそういうことを深く考えたことがなかった。娘が6ヶ月くらいになり一緒に外出できるようになると、わたしは小さなクルマを買い、つくばの英会話教室まで通っていた。知り合いもいない土地で、赤ちゃんと缶詰の生活に窒息していたため、誰かと話ができるだけでも気分が違うし、ましてや同い年くらいの子どもたちを連れた母親たちとの交流がわたしには必要だったから。

そうなんだよね・・・要するに、わたしにとって必要だったから、つくばに来たのかも。正直、土浦にいた時にはどこでどうやって友達をつくっていいのかまるでわからなかったし・・・それでいてつくばに来たとたん自分と似たような人たちがたくさんいるため、友達に不自由しなくなった。

友達・・・というか、道ですれ違って立ち話したり挨拶したり、そういうごく普通の関係が増えただけかもしれない。が、しかし、それだけでもずいぶん精神的に救われた気がする。

どこが似ているか?

う〜ん・・・・たぶん感性の問題なのかもしれない。そんなことをしたら危ないとかダメだとか、何かあったら連絡をくれるとか? 大抵は会話の内容は子どものことだし、幼児には幼児の悩みがあって、子どもに社会性が育つかとかね・・・友達ができるかとか虐められないかとか? 

昔は子どもの数が多かったし、兄弟の数も多かったから、子どもに友達ができるかどうかとか、社会性がどうたらこうたらなんて心配する親なんていなかったかも。公園デビューなんて言っても通じないかもしれないな。

だから、通じないのかも。
おばあちゃん子は損なんだよね・・・家に帰ると友達と遊ぶ習慣がないことが多い。昔みたいに兄弟がたくさんいたら違ったかもしれないけど、大抵は年寄りと一緒に過ごすか習い事へ行くことになる。まあ、母親が育てていても似たようなものかもしれないけど、それなりに外界とのコミュニケーションがあるからまだマシな気がする。

まあ・・・子どもを通してでないと、世界が広がらない。だから退屈して仕事をするとかね・・・そういう人たちも多い。おそらくはこの手の感性が老後になっても習い事に行って、となる所以なのかも。

投稿者 Blue Wind : 03:36 AM | コメント (0) | トラックバック

January 10, 2006

整理しないと・・

冬休みが終わり、受験がひと段落し、娘の部屋を片付ける。着られなくなった服やおもちゃ、マンガの切り抜き、おびただしいほどの塾のプリントなどのほとんどを捨て、机の中を整理した。

すっきりした。

ダンナに言わせるとごみの部屋なのだけど、いまだにぬいぐるみやらビーズやビー玉、スケッチブックなどが散乱している。わたしが初めて見るものもある。大抵は、鉛筆やらペンの類。コミック。マンガの付録のケースや文具など。

娘の本は・・・・
ほとんどがわたしが買ったもの。お古でいただいたものも多い。
が、しかし、娘は活字が好きではないので、ほとんど読んだことがない。捨てるのももったいない。今にして思うと、もっと読みきかせをしてやったらこんなに苦労することもなかったのかもしれないと思う。が、しかし、娘は寝つきのよい子だったので、寝る前に本を読んであげるという習慣がまったくなかった。

それにしても要らないものが増えている。娘の部屋だけではなく家中に。

投稿者 Blue Wind : 01:36 AM | コメント (0) | トラックバック

January 07, 2006

鳩って不思議な鳥だ。「浅草」で思い出すのだから、あの風景は浅草なのだろうか。

あの風景・・・
昔、夢の中で何度もみた風景。

灰色の屋根に鳩がたくさん止まっていて、わたしが見あげていると、鳩が一斉にぱあっと飛び立つ。

その視線を考えると、おそらくは赤ちゃんの頃か幼児の頃に見た景色。あまりにも何度も同じ夢をみるので、母に心あたりがないか訊いたことがある。灰色の屋根はお寺のようで、母が言うには、増上寺か浅草寺、あるいは祖父の寺か。

あまりにも気になるので、大学生の頃、自分で行ってみた記憶がある。でも、視線の位置が違うせいか、その夢の中でみる角度が発見できないままあきらめた。

***

あれも浅草だろうか。
独特の線香の匂いと鳩の餌。わたしは鳩の餌を撒くのが好きで、行くと1袋買ってもらい景気よくぷあ〜っと撒いてしまう。それを見ていた父が自分も1袋買い、手の中に餌を握りながら座っている。鳩はこちらを見ているけど、少し近づいてはまたクルッと向きを変えて行ったり来たり。それを見ながら、父が指の先から少しずつ餌を撒く。すると1羽の鳩がやってきて食べ始めたとたん、一斉に鳩たちがやってきた。

父が、「おまえもやってみろ」と言うので、父の手から餌を分けてもらい、父の真似をする。でも、今度は鳩がこちらをめがけてぷあ〜っとやってきたのが怖くて、餌を落としてわたしは逃げた。

父は笑いながら手の中の餌を落とし、手を払っている。餌袋を逆さにして残りの餌を撒くと鳩たちが一斉にやってきた。わたしが父と一緒に歩き出すと、餌があると思って鳩が追いかけてくる。追いかけてくる、というのは気のせいだったのかもしれない。それでいて、「もう、ないよー」と言いながらわたしは逃げ出した。

***

イタリア。鳩だらけの国。ミラノの地下鉄をあがると、ドゥオーモの広場に鳩おじさん。いきなり娘の手に餌を握らせて餌を撒く。

鳩は一斉にやってきて、頭の上にまで止まる。そこで鳩おじさんに記念写真を撮ってもらうと餌代を請求される。断るとほかのジプシーたちがやってくる。仕方がないのでチップを渡すとおもむろにずぼんのポケットから餌を出し、「もう一枚撮るか?」と訊く。

頭の上の鳩?
少し爪が痛かった。

鳩にも国民性があるのだろうか?

投稿者 Blue Wind : 03:08 PM | コメント (0) | トラックバック

さらばFMV1号

わたしのお古のパソコンを娘に壊されてしまったらしい。起動できないというので起動したら勝手にセーフ・モードになり、そうなるとマウスも使えないし、やっとの思いで原因を究明したらソフトウェアに異常があるそう。そこで2時間かけてシステムを復元しようとしたら失敗。修理を頼もうと思ってもそのパソコンを買った店はこの前本屋になっていた。

やっぱ、あきらめよう。

投稿者 Blue Wind : 02:02 AM | コメント (0) | トラックバック

January 06, 2006

思案

やっぱ、こうなる。
地域医療をやるなら僻地しかないんだろうな。で、結局そうなる。ああいうのって好きくない。と思っても、そうなりそう。それでまたひたすら2時間ぐらい現地?付近をドライブして回った。昔と比べればかなり家も建ち、便利になっている。で、さらにその奥。・・・・・・・・う〜む。

娘が嫌がるかな、と思ったら、わりにあっけらかんとしている。娘の部屋を削ってウォーク・イン・クロゼットをつくったために根に持っているからかもしれない。ウォーク・イン・クローゼットというと聞こえはよいが、壁の半分は本に占められている。ついでに客用の布団。うち、考えたら押入れがない。要らないというのに、母が昔2組持ち込んできた。和室もないというのに。

そのため、娘の部屋は狭い。狭いといってもマンションの部屋を考えれば充分な気がしたんだけど、さすが田舎・・・みんな広いお部屋に住んでいるらしい。で、広い部屋をつくってくれるなら引っ越すとまで言う。・・・・・ったくいまどきのガキは。(親の顔が見たいというセリフは言えない・・・)

まあね・・・これからだんだん年を取っていくわけだから、職場は近いほうがいい。が、しかし、自宅と職場が一緒というのは・・・家族が大変な気がする。でも、まあ、夜更かししながら仕事を片付けていいわけで、そういう点では自宅と一緒のほうが便利なのかもしれない。

やっぱ、なるようにしかならないのかも。最初、アミダくじに負けてこっちへ来た時、わたしはこの世の終わりだと思った。正直、わたしにとってはまさしく終わりを意味していたのかもしれない。が、しかし、子育てするなら田舎のほうがいい。それはしみじみ感じた。

もう、なるようになるしかないね。
いいもん。空港が近いから、気が向いたら高飛びしよう。それくらいの贅沢は許されるのではないだろうか?ほかに何もすることがないし・・・

が、しかし・・・・家、売れるだろうか?
売れなかったら貸してもいいか。和室のない家でも、転勤族なら借りてくれそうな気がする。マンションでも和室のない時代。いや、マンションだから和室がないのかもしれないけど。残しておけば娘のアトリエにはなるかも。

どっちにしろ、近頃、1年が終わるのが速い。考えているうちに3年くらいは経ちそう。あーあ。

投稿者 Blue Wind : 01:44 AM | コメント (0) | トラックバック

January 05, 2006

移住計画?

やっぱ、開業するなら大学の近くしかないのかも。
「先生、開業するならうちの近所は医者が少ないんですよ」と知り合いの看護師さんに言われたそう。しょせん、僻地だからこのところまた医者が減り、大学から戻れと言ってくる。教授から言われても知らん顔できるけど、看護師さんや患者さんから言われると弱い。

姑さんに、開業の話は断ったと言ったら、逆に心配になり神戸からやってくると言う。文字通り神戸を離れ、つくばで暮らすつもりになっている。

が、しかし・・・・
つくばじゃないんだよね。

神戸でもそうだけど、結局、子どもの学校のことがあるからと、学区のよいところで開業する医者が多い。そうなるとそういう地域は医者だらけ。それでいて不便なところはいつまでも医者の数が不足している。

わかってるんだよね・・・何を言われているのか。
この前、久しぶりに知り合いのクリニックへ行ったら、看護師さんたちがよそよそしい。で、「開業するなら・・」とダンナに世間話のついでに話す。

いや・・・わかっているのです。
わかっているんだけど、わたしはつくばが好きなんです。・・・・って言っても説得力がない。(言わないが・・)

ちなみにTXが開通したから、この先、一斉につくば市は開業ラッシュになるという話。医者不足の茨城にもかかわらず、つくばだけは医者が不足するということはないだろうと思う。

わかっているんだよね。あらゆることがわかっているにもかかわらず、果たして家を売って移住して開業して、わたしはハッピーになれるのだろうか? 今の生活、結構気に入っているし・・・

まあ、娘もまもなく中学生になるし、高校受験があるわけではないし、スクールバスに乗って学校へ通える範囲内ならどこでも似たようなものかとふと思う。

どうせ、わたしは家でネットをしてるだけだし? 
娘が大きくなれば、わたしだけ不意に旅に出ちゃったり? 
田舎ですることもないし? 

・・・・・・・それでもかまわないとダンナに言われた、ご機嫌で。

何にもしてないのに、タカピーでいやなやつだな、わたしって。ほほほ。

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January 04, 2006

聖と俗の併用かつ分離生活

お正月になると夏の休暇のことを思い出す。いささか先が長いような気もするけど、来年こそは温泉を予約しようとお正月に話すよりも現実的な心境。夏が過ぎると行事も増え、気がついたら年末を迎えているという・・・

娘に、「今年の夏はプーケットへ行こうか?」と訊いたら、「大変なことになってるわよ」と言い返された。近頃、彼女はマメに新聞を読むせいか、やり返されてしまう。「大変なことになっていたけど、それがどういう風になっているのか行ってみなくては」という暗黙の了解は彼女にはまだ通じない。それとも、彼女のほうが近頃では常識的で、わたしのほうが非常識ということが露呈してきているのかも。

たぶん受験の影響なんだと思うけど、「カトリックは嫌い」とまで言われた。彼女の言うカトリックとはおそらくはミッション系の学校のことだろう。どうして嫌いなのかまでは知らないけれども、たまたま受験する友達に偏差値で選んだら(カトリックの信者ではないけど)たまたまそうなった」と言われたからだと思う。近頃では、姑さんも義理の姉もその手の学校を勧めない。それよりも実際的に職業を持ったり、職業に直結するような学校や大学へ行くことをほのめかされる。

世相というか何というか、大学時代の友人のほとんどが専業主婦をしていることを考えると、あるいは近所の人たちの大多数が仕事をしていようがいまいが非常に教育熱心なことに影響を受けているせいか、あるいはダンナの友人や知り合いの子どもたちの出来が気になるせいか、いずれにせよ、娘も大学や大学院に進学するようになる。「なる」とまで断定的な言い方ができるほど、それ以外の環境因子が欠如している。

こう・・・接し方なんだろうな。
それで、母としては、あえて娘に何かを語るつもりはない。
学校がダメならどうするか?
やっぱ、人しかないのではないか?
というわけで、娘は絵を習わせている。
先生とは特にそういう会話をするわけではないけど、雰囲気、題材、生き様、教育についての発想・・・そういう何気ない気配からそうではないかと思ったことはあるけれど、やはり学生時代に洗礼を受けた口。

娘の実際的な選択を考えると、学校とは勉強するところ、絵はくま先生のところ?

う〜む・・・
世の中がややこしすぎるため、近頃、わたしはそれが一番よい選択だったのではないかと思い始めている。どうやって考えても世の中は矛盾だらけ。

投稿者 Blue Wind : 03:24 AM | コメント (0) | トラックバック