August 07, 2006

変化というマニュアル

それにしても、ちぐはぐな旅行だった。

ANAの国際線は初めてだったので、少し期待していたけど、共同運航で結局往きの飛行機はユナイテッドだった。帰りはたしかにANAだったけど、深夜の飛行機だったし、真後ろがトイレで臭かった。

ビンタン島はそれなりによかったが、なんせシンガポールのフェリー乗り場に到着する寸前に大雨になり、それでいて午後は晴れて喜んでいたら、翌日は朝から晩まで雨。フェリーの予約が取れたかどうかわからないまま出発し、結局、取れていなかったので行き当たりばったりで島へ渡る。そのためビンタン島を出発する時刻が遅くなり、幸いその日は晴れたので朝からクラゲとうつぼのいるビーチでシュノーケリングを楽しみ、シンガポールへ再び到着したら、すっかり夜だった。

めずらしく殊勝なこころがけで、姑さんに頼まれたプラダのリュックとロレックスを買いにオーチャードまで出かけたら、リュックは日本で買うより遥かに高いし、ロレックスの店はどういうわけかブラインドまで下ろされ閉まっていた。ほかで探したが売っていない。にせものが出回りすぎて、追いやられてしまったのだろうか・・・わけがわからないまま帰国した。

そして、姑さんに電話しながら、インターネットの画面を開き、ショッピング。
とりあえず、時計は要らないと言うので、プラダのリュックだけを検索し、注文の白だけをやっと見つけてオーダーしたら土日は休み。お盆休みの前に、果たして神戸に届くだろうか・・・

帰国しても見積書は届いていないし、そのうち1社に電話をしたら、担当の人が休暇中。わが家も旅行に行っていたわけだから、そのせいで怒るわけにもいかない。

***

そうなんだよな・・・
何がそうなんだかよくわからないけど、他人と同じことをしていてはいけないわけで、ある意味、時代が飽和しているのかもしれない。

そうなんだよね・・・
何か、頭の片隅で、何かを思い出しつつあり、それでいて、その感覚が何なのか思い出せない。
そう・・・
どこか、マニュアル化しており、どこかパターンがあり、消化器だったら消化器の道具を業者がピックアップして、「この程度は当たり前」を押し付けてくるのは当たり前で、どこか綺麗な内装も、サンプルがたくさんあるくらいマニュアル化しているということなのかも。

それに対して、わたしはどのように思うのか?

他人の目で眺めれば、どこも新しいものは何もなく、タウンページに申し込めば、厚生労働省の書式でないと掲載できないと言われるし、それならいっそのこと切ってしまおうかとも思ったが、世の中には定番というものがあり、わたしのように新聞広告を読みもしないでそのまま捨ててしまう人間は少数派だと言われてしまった。ということは、大多数の人たちはネットで検索なんかしないし、おそらくはタウンページなのかもしれないと漠然と思いつつ、サイトも今は定番化しており、業者に頼めば、似たようなものをつくるだけなのだろう。

世の中、とことんマニュアル化。
年寄りに、シンガポールと言えばロレックスで、プラダと言えばいまだにリュックで、そのくせ、「今は日本で買ったほうが安い」ということに気が付かないのと似たようなもので、時代はどんどん進行しているにもかかわらず、なかなか実感が湧かない。

アメブロも、このところどんどん変化し、ログインするたびに何かどこかが変わっている気がするくらい、近頃何もチェックしていない。忙しくて、とことんマイペースに徹すれば、そうなることは当たり前のような気もするし、そういうこともまるで気にならなくなっている。

メダイも、どうなんだろう・・・
今度はイヤリングまで売られている。

娘が行くと言うので、再びシロソへ行ったが、日本語の案内まで完備され、あの明るいムード。彼女が幼稚園の頃に行った時とはまるで雰囲気が違う。あの頃は、微かだけど、それなりの緊張感があったが、今はやたらとフレンドリーで明るいスタッフがいて、トラムで送迎してくれる。シンガポールの平和と繁栄をお祝いしているムードが漂っていた。

国民の9割が、政府供給の高級コンドミニアムに住んでいるわけだから、どうやって考えてもシンガポールで買ったほうが高いのは当たり前なのかもしれない。少なくても異国情緒を感じないほど、どこか日本に似ている。

すべてが定番化し、飽和し、それでいて変化しており、それでいて余力がありすぎる。
変化を求めているくせに、変化自体がすでにマニュアル化しているような気がするくらい、何かが飽和しているのを感じる。
世紀末が終わったせいだろうか・・・

投稿者 Blue Wind : August 7, 2006 04:25 AM | トラックバック
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