January 04, 2006

聖と俗の併用かつ分離生活

お正月になると夏の休暇のことを思い出す。いささか先が長いような気もするけど、来年こそは温泉を予約しようとお正月に話すよりも現実的な心境。夏が過ぎると行事も増え、気がついたら年末を迎えているという・・・

娘に、「今年の夏はプーケットへ行こうか?」と訊いたら、「大変なことになってるわよ」と言い返された。近頃、彼女はマメに新聞を読むせいか、やり返されてしまう。「大変なことになっていたけど、それがどういう風になっているのか行ってみなくては」という暗黙の了解は彼女にはまだ通じない。それとも、彼女のほうが近頃では常識的で、わたしのほうが非常識ということが露呈してきているのかも。

たぶん受験の影響なんだと思うけど、「カトリックは嫌い」とまで言われた。彼女の言うカトリックとはおそらくはミッション系の学校のことだろう。どうして嫌いなのかまでは知らないけれども、たまたま受験する友達に偏差値で選んだら(カトリックの信者ではないけど)たまたまそうなった」と言われたからだと思う。近頃では、姑さんも義理の姉もその手の学校を勧めない。それよりも実際的に職業を持ったり、職業に直結するような学校や大学へ行くことをほのめかされる。

世相というか何というか、大学時代の友人のほとんどが専業主婦をしていることを考えると、あるいは近所の人たちの大多数が仕事をしていようがいまいが非常に教育熱心なことに影響を受けているせいか、あるいはダンナの友人や知り合いの子どもたちの出来が気になるせいか、いずれにせよ、娘も大学や大学院に進学するようになる。「なる」とまで断定的な言い方ができるほど、それ以外の環境因子が欠如している。

こう・・・接し方なんだろうな。
それで、母としては、あえて娘に何かを語るつもりはない。
学校がダメならどうするか?
やっぱ、人しかないのではないか?
というわけで、娘は絵を習わせている。
先生とは特にそういう会話をするわけではないけど、雰囲気、題材、生き様、教育についての発想・・・そういう何気ない気配からそうではないかと思ったことはあるけれど、やはり学生時代に洗礼を受けた口。

娘の実際的な選択を考えると、学校とは勉強するところ、絵はくま先生のところ?

う〜む・・・
世の中がややこしすぎるため、近頃、わたしはそれが一番よい選択だったのではないかと思い始めている。どうやって考えても世の中は矛盾だらけ。

投稿者 Blue Wind : January 4, 2006 03:24 AM | トラックバック
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