January 11, 2006

安全圏

感性が違うんだな・・・
今日、お絵かき教室へ娘を迎えに行き、ついでに情報をゲットしようと先生と話す。つくばに来る前、わたしは1年くらい土浦にいたので、「あの辺りは子どもの遊び場がないので、つくばに越してきたんです」と言ったら、変な顔をされてしまった。

そこで考えてみる。
あちらは東京大空襲の戦火を避けるために土浦に。当時は霞ヶ浦でも泳げたし、寄生虫があるからと今では食べない貝を捕獲するのが子どもの頃の遊び。

う〜む・・・
感性が違う。わたしの感性では、川があるから危険とか、ましてや霞ヶ浦なんて今は危ないし汚いから遊泳も禁止されているのでは?とか、が普通だし、子どもというか、ましてや赤ちゃんが遊ぶとなると公園のお砂場とかね・・・そういうところを想い描く。親が子どもの遊び場を考えるという感覚は最近のことなのだろうか?

今日に至るまでそういうことを深く考えたことがなかった。娘が6ヶ月くらいになり一緒に外出できるようになると、わたしは小さなクルマを買い、つくばの英会話教室まで通っていた。知り合いもいない土地で、赤ちゃんと缶詰の生活に窒息していたため、誰かと話ができるだけでも気分が違うし、ましてや同い年くらいの子どもたちを連れた母親たちとの交流がわたしには必要だったから。

そうなんだよね・・・要するに、わたしにとって必要だったから、つくばに来たのかも。正直、土浦にいた時にはどこでどうやって友達をつくっていいのかまるでわからなかったし・・・それでいてつくばに来たとたん自分と似たような人たちがたくさんいるため、友達に不自由しなくなった。

友達・・・というか、道ですれ違って立ち話したり挨拶したり、そういうごく普通の関係が増えただけかもしれない。が、しかし、それだけでもずいぶん精神的に救われた気がする。

どこが似ているか?

う〜ん・・・・たぶん感性の問題なのかもしれない。そんなことをしたら危ないとかダメだとか、何かあったら連絡をくれるとか? 大抵は会話の内容は子どものことだし、幼児には幼児の悩みがあって、子どもに社会性が育つかとかね・・・友達ができるかとか虐められないかとか? 

昔は子どもの数が多かったし、兄弟の数も多かったから、子どもに友達ができるかどうかとか、社会性がどうたらこうたらなんて心配する親なんていなかったかも。公園デビューなんて言っても通じないかもしれないな。

だから、通じないのかも。
おばあちゃん子は損なんだよね・・・家に帰ると友達と遊ぶ習慣がないことが多い。昔みたいに兄弟がたくさんいたら違ったかもしれないけど、大抵は年寄りと一緒に過ごすか習い事へ行くことになる。まあ、母親が育てていても似たようなものかもしれないけど、それなりに外界とのコミュニケーションがあるからまだマシな気がする。

まあ・・・子どもを通してでないと、世界が広がらない。だから退屈して仕事をするとかね・・・そういう人たちも多い。おそらくはこの手の感性が老後になっても習い事に行って、となる所以なのかも。

投稿者 Blue Wind : January 11, 2006 03:36 AM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?