July 16, 2006

イメージの乖離

気がつけば、すっかり夏だ。

このところ打合せに出かけたり、医療事務の勉強を始めたり、脳の中が厚生労働省の書式に埋め尽くされ、内装も2社紹介され、そのうちの一つがティファニーやルイ・ヴィトンのテナント設計をしているところと聞かされ、そのくせあまのじゃくのわたしは公庫へ行き、公庫の人に借入額が大きいと言われて、何となく癒しすら感じてしまう暑さの今日この頃。

次第にだるだるになり、予算をきっちり決めて、「その予算でどこまでできますか?」
で、終わり。

大体、今年になって医療制度改革があり、保険点数が大きく引き下げられたという話。わたしがやっている医療事務のテキストの点数は去年のもので、昨日届いた今年の点数表を眺めたら、あらゆる数字が下げられており、全体的に10%の削減になると言われる理由を理解した。

理解したところで考えれば、医療はどこへ行っても同じ価格設定なのだから、わたしが、「その予算でどこまでできますか?」と問うたところで当たり前なのである。価格が決まっているところでの競争であり、高い医療機器を使おうが安い機器を使おうが、内装がどのようなものであろうが、定価は定価。点数が決まっている。

そこで、内装の業者にも、「その予算でどこまでできますか?」と問うたとて、何の不思議があろう・・・
見積額で比較するより、同じ予算で、その内容や技量、センスを比較したほうがリーズナブルではないか。
それでも差がつかなかったらどうしよう・・・
そこまでは考えていない。

***

レントゲン袋の値段をカタログを見ながら比較しているうちに、クリニック名を印刷すると1枚90円になり、印刷しないと19円になることに気がついた。

それだったら、娘にスタンプを押させようと思うのはわたしだけだろうか。

子どもの頃、母のオフィスへ行き、夏休みなどには手形の裏にスタンプを押したり、領収書ののりはりしたりして遊んでいたのを思い出す。ついでに映画を観たり、散歩をしたり、帰りは母と一緒に帰ってくるとすっかり遅くなる。母にしてみれば、学校があるときはともかく、長期休暇のときには子どもたちだけの生活になり、家に置いておくのは心配だったのだろう。

まあ、子どもが家業を手伝うのは当たり前である。

***

なんだか、いやな夢をみた。

夢のなかで、わたしは月・木・金の午前中だけ働いており、夢のなかで薬価を調べていた。そこで、「胃潰瘍」で検索したらいくつか薬がピックアップされ、この薬は腎臓の悪い人には使えないという項目をみたとたん不安にかられ、あの人の腎臓は大丈夫だろうか、検査しなくてもよいのだろうかと、不安におののいているという夢。

実際には、わたしは医者でも薬剤師でもないので、薬のことなど今まで興味もなかったのだが、恐ろしいことに恐ろしいことを考え始めると、薬がなおさら怖くなり、今までは自分に関係のなかった記号やカタカナの羅列を眺めることに慣れるに従い、どこかよこしまな不安が横切るのである。

それと白衣がどういう関係があるのかわからないけれども、ダンナに診察室で(ケーシーではなく)白衣を着るのならネクタイをしてくれと言ったら、案外すんなり了承したので驚いた。本来なら、検査のときには手術衣を着て、診察のときには白衣にネクタイ、あるいはネクタイだけで白衣は着ない、というのが一番楽らしい。が、しかし、検査室と診察室を行ったり来たりしなければならないとなったら、それどころではないかもしれない。

そだそだ・・・・手術衣の上に白衣を着る、という話からそういう話になったのだった。

病院とは違って、今度は1人で何でもやらなければならない。そこに家内業的アンバランスさが手伝い、ましてやわたしは素人なのだから、なおさら戸惑う。まだ医療機器はましかもしれない。医療に関与したことだから。が、しかし、内装の打合せになると、個人の場合、どこまでも自由だから酷く戸惑う。そこにオフィスのイメージが重なり、ダンナはダンナでおじいさんの診察室のイメージが重なり、その二つが似て非なるものなため、互いにイメージしていることが違うため、話がかみ合わない。

仕方がないので、娘に考えさせることにした。

投稿者 Blue Wind : July 16, 2006 05:46 AM | トラックバック
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