September 01, 2006

外面(そとづら)と内面(うちづら)

気のせいかもしれないけど、またアメブロの編集画面が変わっていて、どうやって記事を投稿してよいのかわからなかった。
その前に、仕事のメールをチェックするだけで精一杯で、自分のブログへたどりつく頃には目がしょぼしょぼしていて、レスを書くのが遅くてすみません。疲労がたまっているのかも・・・

近頃、自分でも変わったなーと思うのは、以前だったら営業の電話などがかかってきても、やたらと腹が立つだけだったのに、このところ、「みんな、たいへんなんだなー」と思うようになったことかも。営業の電話なんて、好きでかけている人なんていないかもしれない。仕事だから、仕方がない。

娘が言うには、わたしの電話の声はすごく明るくて愛想がよいが、娘の友達から電話があって娘に代わるとき、声のトーンが変わることが筒抜けで、娘の友達ががっかりするくらい違うそう。

そんなに違うかな・・・
と思ったが、そうやって言われると、営業用の声と家族に出す声とは高さからトーンから違うような気がしなくもない。なんか、自分でも自覚しているもの・・・その違いを。要するに、外面(そとづら)と内面(うちづら)というわけではないが、仕事がらみでよく知らない人たちと話す声は愛想がよいし、家族や友達と話すときには愛想が悪い、というか、普通の声だし、娘に言わせると、普通の声を出すわたしが裏の顔で、外へ向けて発する顔は単なる表の顔らしい。

うんうん、世の中そういうものなのだろう。
基本的に仕事の場合、初対面だったり、顔しか知らなかったり、その人自身についてはまるで知らない。まあ、それが世の中なんだと思いつつ、まるで知らない人であっても仕事を通したやりとりがスムーズに行くというのは、仕事、という言葉には何やらセットパック的な安心感がいつもあるからなのだろう。

だから、その人のことはまるで知らないが、要するに会社の信用などから類推して取引をするわけで、そういうことがスムーズに行くのは、それが誰かの紹介だからだったりするのかもしれないし、いわゆる社会的信用の問題なのかもしれないし、そんなことはどうでもいいが、一つわかっているのは、知らない人たちばかりを相手にしていると、自然と愛想のよい声になるのが不思議さ。
そりゃ誰でも、いきなり不機嫌な声を出されたら、「なんだろ・・」という気持ちになるだろうし、結果的に営業モードになったところで仕方ないではないか。

問題は、その落差にあるのだろうか・・・
内心、「なんだ、娘への電話か」ということが、ありあり出ることにあるのだろうか。
そうだよね・・・
わたし的にはどうでもいいようなことなんだけど、彼女たちにしてみたら、友達の家に電話するとか家族の人からどう思われているのだろうとか、案外、気にするような年頃。ましてや中学生くらいになると、親が友達のことで何か言いたがることが多いだろうし、そもそも、わたしはそういうことに大して関心を持っていない、ということが娘の友達に理解してもらおうと思っても無意味だ。

いや・・・
そういうことを気にしなければならないような年頃なんだろうか。
この前も、娘の小学校時代の友達が来て、娘が一緒に出かけて行きすぐ戻って来たからどうしたんだろうと思ったら、レンタルショップで借りるのに学生証を忘れたから、娘が代わりに借りてあげたそう。後になって訊いたら、実際に代わりになってあげた子は友達の友達というだけでまるで知らない子たちだそう。
娘の友達は昔から知っているが、そのまた友達となるとまるで知らない子たちなわけで、一瞬信用してよいものかどうか悩んだが、逆にその話をその子が親にしたとき、すごく叱られたと言って、電話がかかってきた。
そりゃそうだ。

世の中って、お金が絡むとそうなんだよね・・・
さわさわさわ〜となるが、そういうことを考えると、ひどく面倒でもあるし、ひどくわずらわしくもある。
娘に、「お母さんは叱らないの?」と訊かれたが、立場が違うし、「何か問題が発生してから怒る」と答えた。何も問題が発生していないうちから大騒ぎするほどのことでもないし、そうなったら向こうの親に文句の電話をかければよいだけのことで、そうなる前に向こうの親が子どもを叱っているのだから、何もわたしが言うべきことはない、と思う。

まあ、何でもいいや・・・
子育ての第2段階に突入したみたい。
みんな、ポカをやって成長するんだ。
子どもは子ども。

投稿者 Blue Wind : September 1, 2006 02:27 AM | トラックバック
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