December 29, 2005

期待はずれ

あーだるだる。本当に寒い。

今、読みたい本が3冊ある。そして、読まなければならない、あるいは読んだ方がよいと思われる本が思いつくだけで3冊ある。近頃、視力の変化のせいで運転していてもパソコンの画面を眺めていても、当然本を読んでいても疲れやすい。こういうときには、どういうわけか思考が停止しがち。

それでも土地探しと称して、市内や市外をあちこち放浪してまわるのはそれなりにストレス発散となり、娘が冬休みだというのに塾へ行きたがるので、毎朝、逆に起こされてしまっている。だって、受かったのになんで?って思いませんか・・?

ほんと、いやなのよ・・・・せっかくの休みだというのに、朝から弁当をつくったり、送って行ったり。寒いし・・・

***

今日が仕事納めだというので、お昼に戻ってきたダンナと一緒にドライブ。途中でラーメン屋に寄ることにして、その先まで土地を探しに。いや・・・土地はたくさんあるのだけど、雰囲気というか、なんというか、やはり気に入ったところでないと。ただドライブして、土地を見に行くことに意義がある。ここなら・・と思っても、ナビを眺めながら自宅までの距離を測ると、とてもとても毎日通勤するのはつらいだろうと思ってしまう。そして、今すぐ何かをしなければならないわけでもないので、開業自体をもっと先にしようかとか、のらくら考え始めてしまう。特に今の生活に不満があるわけでもなく、案外、今の生活を気に入っているために、これを無理にねじまげるにはパワーが足りないような気もする。

そして、並んで待ってラーメンを食べたのだけど、なんとなく期待はずれだった。そこで、その辺の土地はやめようということになる。因果関係は何もないにもかかわらず、こういうのは気分の問題としか語れない。

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December 28, 2005

小野小町の里

小野小町の里へ行って来た。特に行こうと思っていたわけではなく、例の如く、土地を探しにクルマを走らせているうちに、不意にたどりついたと言ったほうが近い。おそらくはあの辺にあるのだろうと脳の中の地図には記してあったけれど、自分が走っているのがそれだとは不思議な感じ。

つくばから筑波山へ行くというと、筑波山神社や温泉街を思い浮かべてしまうけど、新治村から筑波山へというと、筑波山そのものが存在するだけなのでどこからどこまでが筑波山なのか皆目わからないうちに壁のような山がそこに立ちはだかり、いつの間にか山の中に入っているといった印象。

駐車場には4台のクルマが停まっていたが、おそらくは従業員の人たちのものではないかと・・・一応は観光ルートなので、道路は広く、景観も素晴らしい。途中ですれちがったのは降りてきたバイクが1台。あとから来たのはNTTの会社の人たち。仕事の途中で昼食を食べるところを探していたようだけど、あいにく小町の里の蕎麦屋は休み。いつオープンしているのか・・・謎。

それでも低い山壁から厚い雲が立ち昇る姿は圧倒される。山へ行けば大抵は下界を眺めたくなるけれども、小町の里は突然山が始まっているため、つまり崖が壁のように続いているため、遠くから見れば山であり、近くから眺めれば崖であり、山に寄り添うように家が並んでいるせいか、山を越えて雲が空へ昇って行くように見える。

そのうちの1件の家のベランダに干された洗濯物が旗のように風になびいている。それにつられて風の方向を見ると黄金色の大地。ずいぶん遠くへ来てしまった気もするが、それでいてクルマで5分も走れば下界。観光マップに沿ってあちこち観光しようかと思ったけどやめた。

***

そこから300mほど行ったら小野小町の墓がある。よせばいいのに知らないでクルマのまま細い私道を登って行ったら停める場所がなく、そのままバックで降りた。私道だと気がついたのは停める場所がなく、その先が民家の門だったからで、もう一度歩いて登って行ったらまるで小さな神社のようだった。でも、お墓。そのお墓が山の中腹に存在しているため、最初お墓であることに気がつかなかった。静かだけど、昼間でも薄暗く、小野家の敷地内にある。

そこで不意に思ったんだけど、もしかすると、ここの小野小町は六歌仙の中の小野小町とは違う人だったのではないかと。小野家に保護されて、69歳で亡くなった小野小町は六歌仙の中の小野小町ではなく、小野家に身を寄せていた、あるいは小野家の人だったから小野小町と呼ばれていたのではないかと。まあ、小野小町には違いないだろうけど・・・だとしても。

いや・・・仮に本物だったとしても、巷で伝えられている小野小町とはイメージが異なる。新治村自体がのどかで牧歌的なせいか、悲恋などまるで似合わないし、逆に晩年をそういうのどかなところですごしたとすれば案外幸せだったのではないかと。

死んでからも歌を詠んでいたとか、悲恋とか、そっちのほうが後世になってからおもしろおかしく誰かが語り始めたと思ったほうが説得力があるくらい平和な景色。

なんか、こう、昔ながらの農村、万葉の時代から続いているようななだらかな景色、バリ島のウブドを連想してしまうほど古の今。

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December 25, 2005

農道を抜けたら、クリスマス

今年のクリスマスは、少しもこころがはずまない。子どもの頃から、この季節には何かしら明るいムードがあふれ、寒さと明るさが混在した不思議な世界が訪れる。ところが、今年はこころがはずまないどころか、ライトアップされた街の装いすらどこか虚しく感じられる。

美しくライトアップされた街並みやショッピング・センター。ショップもクリスマス・ギフトが並び、キャロルスやケーキ?

予約してあったケーキを受け取りに行った。なんと警備員がいる。最初、交通事故かと思った。ウィンカーを出すと、道へ出るクルマと入れ違いに駐車場に誘導される。あとになって気がついたけど、たしかにひっきりなしにクルマがやってくるため、係りの誘導がなければクルマが出入りできないためにパニックになっていただろう。

クリスマスらしさといえばそれくらいのもので、あとはいたって普通の日常が続く。

***

クリスマス・イブだというのに不動産屋へドライブ。イブであるという前に土曜日であり、夫婦で揃って出かけられる日というのは限られてしまうため仕方がない。わが家の近所の不動産屋はすでに合格の決まった学生たちが部屋を探しにきているため今の時期は忙しい。このため、センターまで。

おそらくは、家を建てる土地を探しにきた人たちが数組。あるいはファミリー向けの賃貸か。

わたしたちは不動産屋が手馴れた手つきで条件に合う物件を探すのを眺め、いくつかピックアップしてくれた資料を眺め、コピーを貰って店を出た。そういえば、賃貸だったらいちいち不動産屋さんが現地まで案内してくれたなぁ・・などと思いながら、土地には鍵がないため自分たちで周る。

わたしは、この2ヶ月くらいあちこち土地を眺め、資料を探しているために、近頃では少し飽きてしまってきている。

ダンナが知り合いの大工さんが建てたという医院を見に行きたいというので延々と渋滞の道をドライブ。電柱の案内を便りにようやく現地にたどりつく。いつもなら30分くらいで行けるはずなのに渋滞と複雑な道に翻弄されため1時間半かかってしまった。印象としてはごく普通の住宅という感じ。

で、それからだもの・・・土地を見に行ったのは。

***

なんか、こう、次第に無関心になっていく。ダンナの職場が変わるというだけのことで、次第に興味が消えていく。ある意味、例の如く家計簿を買ってきたため、とりあえず家計を維持するに必要な額を説明し、それを圧迫しない程度であればどうでもいい、というのが無関心の理由。

もともとが都会の人であるため、彼が農村の感覚にどの程度適応できるのか懐疑的であるというのもその理由の一つ。引っ越すつもりはない。

ただ、家に近い道でありながら、何年もその分岐点にある道の前を通りながら、一度も通ったことのない道を通りわが家のほうに戻ってきたとき、何かどこか不思議な見知らぬ世界を感じた。戻ってくる途中、カーナビを眺めながら聞きなれた地名でありながら見知らぬ隣地を通り抜け、途中で昔ながらの商店街や江戸時代からありそうな旅館が建っているのを眺め、今でも近所にこういう世界があることを初めて知る。

農村から農道を通り、見慣れた世界へ戻ってきた、というだけのことなんだけど、タイムスリップしたような光景を抜けてきたせいか、あるいはケーキ屋の前に3人の警備員がいたせいか、どこからともなく集まってくるクルマや人が一体どこから来ているのかとても不思議な気がした。

***

昭和初期から続いているような街並みの一画に、平凡な医院。
ひたすら駅前のマンションが並ぶような光景にも飽き飽きだけど、どこかひなびた商店街のわびしさにもいささか寂しいものを感じ、そこから農村を抜けて、賑やかな通りに出ると、そこさえもどこか寂しい街並みに見えてしまう。

そこで、訪問診療とか?

なんて言ったらよいのかわからない。ただ、なんと言うか、近くて遠い世界を潜り抜けて家に戻ってきたという寡黙さはあり、家の中には友達の家から戻ってきた娘が1人でゲームをしており、オトとマリはお腹をすかせてはしゃぎまくるし、果たしてそういう生活がこの先待っているのかと思うと、どこか無関心にもなるのも仕方がない。

でも、まあ、年を取るというのはそういうことで、こういう平凡さのために、あの激務があったのかと思うと、医者というのは不思議な人種という気がしてしまう。

***

まあ、なんでもいいや。

メリー・クリスマス!

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December 24, 2005

我の強さ

ボウリング。
今年はプロ・ショップ杯に出なかったので、理由を訊かれたそう。ジュニアで参加する子は少ないので残念がられる。入試の日と重なっていては仕方がない。夏休みの大会にも参加できなかった。

が、しかし・・・
受かったとなると、次にはプロボウラーを目指すとちびが言う。
すると、コーチは喜び、「女の子はスポンサーがつきやすいですからね」と語る。
男の子はスポンサーがつかないので、途中で辞めてしまうことが多い。

その話をダンナから聞き、一瞬ひく。

スポンサー?
まるで運動選手のようだ。
・・・・・・・・・・・・あー、プロ、ってことは?
プロ、か。

プロになると遠征やら大会やら何かと費用がかさむ。だから、スポンサーがついて、例の如く会社のロゴ入りシャツを着て、とか?
いや〜、まいった、まいった。
自分がそういう世界に縁がないものだからピンと来ない。

学校は?
絵は?
いろんなことが走馬灯のように脳裡をよぎる。

***

新年の旗持ち当番はわたしかららしい。
近所の人が犬の散歩のついでにやってくる。そういえば、運動会のときに話して以来だ。あのときには学校の様子を訊いてもあまり詳しくは教えてくれなかった。それでいて、娘の学校が決まったらいろいろ本音で話してくれる。今さら聞いてもあまり意味がないと思ったけど、意味がないからこそ話しやすいのかもしれない。

我が強い、か。
そういう印象はなかったけれども、そうなのかもしれない。で、女の子同士で年中すったもんだしているそう。しかも、習熟度にかなりの差があるため、学校だけでは不安、とか。
娘の学校ではない。
でも、わたしにはよくわからなかったけど、気配とか雰囲気のようなものを子どもは察知する。
そういう中で鍛えられるのもわるくないかも。

そうなんだよなぁ・・・自然と鍛えられる。
まずは他人の意見などどうでもいい、という性格に育つ。

まあ、長い人生を考えると、それは悪い習癖であり、できれば子どもの頃に退治してしまったほうがいい。周囲との折り合いが悪くなる。それでいて、我の強い子たちといるほうがある意味鍛えられることも多い。

きれる、ってどういうことかというと、自分の我をおさえきれなくなること。

***

晩、戻ってくるなり姑さんから電話。
我の強さっていうのはもしかすると死ぬまでなおらないのかも、とちらっと思う。いつものことなので、さらりとかわす。一度吐き出すとおちつく。そろそろまた鬱の出る季節。

気がつけば、クリスマス・イブ。

投稿者 Blue Wind : 03:18 AM | コメント (0) | トラックバック

December 23, 2005

表現と子ども

それが素晴らしいかどうかは別として、そこには現実的な選択肢があり、それを追求することはあっけないほどマニュアルに書かれているとおりにやるようなもの。

***

去年の今頃は子犬のマリアが瀕死の状態。そして、死んだ。
今年は再び子犬のマリアがやってきて、あっという間に成長。そして、オトとマリ、2匹の犬を同時に抱っこ。
重い日常。

オトはマリの死を覚えているようで、彼にとっては最初のマリと2匹めのマリとは別の犬として明確に存在している。マリの死はオトにも悲しい出来事として存在し、子どもの頃の脚の怪我と同様に彼の記憶の中では生き続けている。

どうしてそういうことがわかるのかといえば、オトには表情という表現能力があり、語りかければ時に笑い、時に悲しそうな顔になり、お腹がすけば舌を出し、マリが庭から脱走すればうれしそうな笑みを浮かべてわたしのほうを見る。

2匹目のマリアはおとなしそうな顔をしているけれども、これが大変なやんちゃな子犬で、すぐに庭から脱走するし、家の中のものを齧ってしまう。脚の悪かったオトとは違い、3ヶ月にもなればさっさと階段を駆け上がり、カンガルーのように2本足で立ってジャンプをするのも得意。このため、昼寝の時間にはさっさと2階で寝ている。

犬の成長を眺めていると、1年があまりにも長く感じられる。

ちなみに、マリはサティが好きらしい。これをかけると、すやすやと気持ち良さそうな表情を浮かべて寝てしまう。

***

今年の冬休みは・・・・冬期講習。クリスマスから始まる。毎日お弁当。

学校はなにやら仕事のようなもので、お休みになりほっとしている。その反面、塾は楽しいとばかりにお弁当を持って通う。通常のコースだけではなく、皆と一緒にお弁当を食べたいからと単科まで申し込まされた。一体、受験って何なのかと思ってしまう。彼らにとっては一つのイベントらしい。

***

美術教室のほうは、このところ工作教室になっている。この前はケーキ、その前はリース。来年は隔週で凧を作るそう。自分でデザインし、設計。

一つには現実があり、おとなの目から見れば、過酷な現実。それでいて子どもたちは案外それを楽しんでいる。

そうだなぁ・・・まだ娘には早すぎるとは思うけれども、「職業に生きる」と言い出した娘に対し、「絵の先生なら子どもを育てながらできるわね」と話す。あえて早すぎる今、何かを言っても先のことなどわからない。それでいて、もし職業を持ちたいのであれば、自由な時間を持てるものでなければ続けられないと娘に話す。

わたしは孫の世話をするつもりはない。
子どもの世話を他人に押し付けるような娘に育てた覚えはない。

それだけだな・・・
あとは娘の自由。

子どもの頃から絵が好きで、絵の勉強をするのならそれはそれでかまわない。むしろ親の楽しみでもある。芸大に行きたいのなら勉強はこんな感じ、実技はデッサン科で。でも、その先のことはまるでわからない。途中で進路が変わる可能性も高い。

それでも自分のアトリエを持ち、子どもに絵を教えてもいい。
が、しかし、不意に気がついたのだけど、子どもの相手が苦手な人たちのほうが多い。理由はわがままだから。それと、子ども特有のプライドの高さにとまどうからだろう。描いた絵を批判されると、おとなが想像する以上に傷つく。これは不思議。ほかのことではよくあることなのに、表現するものに対し、朱が入るということが子どもにとっては何よりも苦痛の種となる。

大変。

投稿者 Blue Wind : 04:39 AM | コメント (0) | トラックバック

December 22, 2005

サティ

強い西風。
嵐のよう。
窓やドアが音を立てる。



島田璃里, サティ, アントルモン(フィリップ)
きみが欲しい〜サティ名曲集


大昔の無声映画やフィギュア・スケートを彷彿するサティ。

投稿者 Blue Wind : 05:29 PM | コメント (0) | トラックバック

December 20, 2005

頭痛

今日は朝から酷い頭痛がする。
肩こりからきているのだろうか。
それとも、目?
今の眼鏡が合わなくなってきているため、近頃運転していてもつらい。老眼というのは不思議な世界。それでいて装着型の老眼鏡を姑さんがわざわざ送ってくれたけど、それをつけて文字を読むと逆に吐き気がしてしまうので、老眼鏡を使うほど進行しているわけでもなさそう。そういう中途半端な年頃というのが一番しんどいという話をきいたことがあるけど、わたしもそういう年頃になったわけだ。

入試のときにわたしのお古を着せたせいか、近頃わたしの服を勝手に娘が着ている。よく見たら20年くらい前のジャケットだったりして、どこから探してきたのかと思ってしまう。結局、わたしは昔から好みがはっきりしているため、買い換えても似たような服ばかりになってしまうせいか、新しいものと古いものとの区分がつきにくい。実際、本や服は腐るものでもないし、そのまま放置しておいたら時間だけが経過していたというのに近い。10年なんてあっという間だ。

***

それにしても、受かったら娘が急に勉強するようになった。だったら受かる前にもっと勉強しておいたらいいのに、あほかと思ってしまう。

うちのおちびなんてどこにも受からないと言っていたクラスメートが約1名。今頃壮絶なプレッシャー。こうさ・・・最初から勉強ができるというスタンスと、うちのおちびみたいに今年の夏頃から急速に伸びてきたタイプとでは、追い込み型のほうがはるかに精神的に楽。娘曰く、見返してやって気分がよいそう。

というわけで、気分がよいため、ウキウキしながら勉強している。で、中学に入ったらバレーボールをやるそう。(なんでもやってくれ・・・)

で、高校受験がない分、今度は美術のほうもデッサン科に入れて、冗談抜きにこのところずっと芸大が東大に吸収されて東京大学芸術学部になるという噂も流れる昨今、そうなってもあわてない程度には勉強をがんばる、と。将来は画家とか美術の先生になりたいそうだから、・・・・・・・とは言うものの、最初から「先生」になりたいというのはどうなんでしょう。わたし的にはよろしくないと思うのですが。

投稿者 Blue Wind : 03:21 PM | コメント (0) | トラックバック

December 16, 2005

季節はずれな蚊帳の外

ほっとしたのもつかのま、入学手続きに行ったらさっそく入学までの課題を渡されてしまいました。算数のプリントと生活の記録。推薦で受かった子は試験が終わると何もしないことが多いので、2月までがんばった子と差がついてしまう。それを防止するために入学前に事前授業というのがあるそうです。(さすが・・)

算数のプリントはともかく生活の記録というのは困った。読書の記録と新聞の感想。うち、小学生新聞は取っているけど、普通の新聞は断っているし、うちの娘ときた日には活字が好きではない。つまり、あまり本を読まない。家の中は本だらけなんだけど・・・

とりあえず、教育委員会のほうに就学届けというのを出しに行き、そのとたんうれしさよりも疲れのほうがどっと出る。

それとね・・・なんというか、いちはやく決まってしまったので間が抜けていて、周囲と歩調がずれてしまったがゆえにピンとこない。受験というのは落ちたり受かったりするから値打ちがあるような気がする。話題になるから。

そろそろ受験だから大変なんだろうな・・・という周囲の空気をよそに、季節外れ、蚊帳の外、みたいな雰囲気はそれなりに居心地が悪いです。

投稿者 Blue Wind : 11:47 PM | コメント (0) | トラックバック

December 15, 2005

とりあえず、受かったようで・・・

案の定、TXが開通したせいか例年よりも20人くらい志願者が増えている。一般入試の難易度も今年は少し難しく設定しているという噂があるのだけど、本当だろうか。受かるだろうと思っていても、こればかりはわからない。

が、しかし、受かった。
めでたし、めでたし。

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December 14, 2005

受験の話ばかり・・・だ。

新しいマウスとマウスパッドにもようやく慣れ始め、今日は何年かぶりに家計簿を買い、ついでに小説を1冊。(読んだら感想を書こう。読み終わらないかも・・)

娘の試験の発表日を控え、結果が郵送で送られてくるため、うっかり留守にしていたり、寝ていて気がつかない(こらっ)ということがあれば翌日になるまでわからなくなる。結果がわからないというのはすっきりしないだろうと思いつつ、あさってには結果がわかるのだからあせる必要性もない。でも、落ち着かない。ある意味、試験の前日はなんとなくピンボケしていたけど、いざ結果となると落ち着かない。

こういう落ち着かないときにかぎって、友達から電話がかかってくる。大抵は独身、子なし、逆に中高生になってヒマにしている人が多いせいか、はたまたTXが開通したために東京まで簡単に行けると思われてしまったせいか、このところ連日そういう感じ。いまだにOLや学生ならともかく、いきなり週末に赤坂に誘われても行けないって。まあ、それでも娘が中学生になれば少しは変わるかもしれない。

ダンナはダンナでこの年末は忙しい。今日も突然の誘いがあって出かけた。案の定、大学へ戻らないかという話。ちょうど結核になって3年。すっかり体調も戻り、・・・・となるとまたあの激務?

内心、開業の話は消えるかと思ったけど、あっさり戻る話は断ったと言われ、少しがっかり。しかも、子どもの受験の話題。プレッシャー。

あっちでもこっちでも受験の話題。
そういう年頃なのかも。(誰が?)

投稿者 Blue Wind : 01:47 AM | コメント (0) | トラックバック

December 13, 2005

小分け

娘はすこぶる機嫌がよく、入試の日ですら楽しかったらしい。会場を案内してもらった生徒と話しながら、その人がとてもやさしかったのでますますその学校へ入学したいと思うようになったらしい。試験の面接でもそのように答えたと言っていた。落ちてもまた一般入試で受けるそう。

というわけで、受かっていたらよいのだけど。

開業の話もふりだしに戻り、特に慌てて何かをする必要性もないことを思い出したせいか、ダンナもとてもリラックスしている。わたしは医療事務のインターネット講座を申し込み、スタンバイしている。

土地を買って、建物を建てて、人を雇って、借金だらけ。

そういうストレスの高い生活はイヤ。

こういうとき、父ならどうするか想い描く。おそらくはポイっと捨てて布団を被って寝ているだろう。一日中誰にも会わず布団を被って寝ているかと思えば散歩に出かけたりスポーツ紙を読んだり。それで不意に思い立ったようにどこかに電話していた。

それで、父ならこういう場合どうするかを考える。おそらくはチャラにして、二束三文の土地にユニットハウス。そんなところで商売になるとは思えないところで何かを始めるような気がする。試用期間というか、ダメだとなればあっさり撤退。そして、違う方法を考える。

茨城県は医師の少なさでは全国ワースト2位。

わが家の周辺を眺めると、決して不足しているような気はしないのだけど。

そこでユニットハウスとかエアロハウスなどをあちこちに建て、毎週診療日を決めてまわるとかね・・・お天気がよければオト・マリを連れてドライブがてら仕事。最新式のポータブルのエコーを載せて訪問診療。まあ、わたしは何もできないけれども、悪名高いレセプトの計算くらいできれば何とかなるだろう。

レントゲン?
要らないよ・・・そんなもの。わたしはずっとそうやってダンナに言っている。ほとんど使わないし、肺がんが見つかる確率も低い。いざ見つかったとしても入院の摘要となれば病院に送らなければならないし、結核にしても呼吸器の専門医でなければ診れない。そんなことより、自分の領域をきちんとしていたほうがいい。

最初の計画の費用をこじんまりと振り分ければ、7つの小さなクリニックを建て、毎日ラウンドしてもまだ余る。

それにしても、世の中は介護施設ブーム。産科が倒産しやすいのはわかる気がする。少子高齢化の影響だけではなく、産科となると24時間体制の上に、施設に莫大な費用がかかる。今はとても贅沢になったせいか、どうせ出産するなら設備が整い、食事の美味しいところ、とかね。ちょっと考えただけでやっていけそうにない。小児科も保険の点数が低い。そういう世相を反映してか、産科や小児科を希望する医師が減り、それでは困るとなると今度は点数が引き上げられる。

医療費が増大したため介護施設が増える。介護施設というのは医療を行わない。高齢者の医療費は定額となりつつあり、医療を行うほどに損な仕組み。えぐい。

年金がどうたらこうたらとか、医療費がどうたらこうたらとか、一歩外へ出てしまえば意味のない世間話の一つにすぎなくなってしまう。雇用がどうたらこうたら、税金がどうたらこうたら。なんか、こう、勝手にやってくれ、という気分。

文明に汚染されすぎているのかも。上下水道が整っていないところで開業できない、とかね。調剤をどうするか、とかね。だるだる。何もないところでも何とかするのが医者ってもんだろう。次々と開発される新薬や医療機器。錠剤をわざわざ昼・夜など袋に入れて小分けする時代らしい。そうしないと自分が薬を飲んだかどうか思いだせない年寄りが多いからというが・・・自分が何の薬を飲んでいるかも知らないのかもしれないという危惧が走る。

投稿者 Blue Wind : 01:33 AM | コメント (0) | トラックバック

December 11, 2005

それでもやりたいのだから・・・仕方がない。

明日でアメブロガーになってまる1年が経つ。単なる発作でつくり、わたしくらいあちこちジャンルを移動しているブロガーもめずらしいような気がしている。ジャンルの決定もそのときの気の向くまま。

アントレプレナーは起業家のためのカテゴリーらしい。もしかすると自分のブログの趣旨とはまるで方向性が違うようでありながら、わりにマイペースなところらしく、案外、居心地はよい。要するに、近隣をまるで気にせず暮らしていける場所のようなもので、そういうのが苦手な人もいれば、そういうところのほうが気楽でいいという人もいる、というだけのことで、わたし自身は周囲をまるで気にしない性格だから、放っておいてくれるようなこのダラダラとした自由な空気がこのジャンルの良さでもある。

開業に関してはまたふりだしに戻り、土地探しから始めている。
家を建てるのとは違う。

不動産屋さんが、「独立したい人は収入が半分になってもやりたいんですからね」と言う。投資というのはそういうもの。大抵は40代にもなると生活もできあがっているし、悪くないサラリーを貰うようになっているせいか、逆に冒険をしなくなる。

念のため、その話をダンナにしてみる。年収が半分になってもやりたいのかどうか。
愚かな質問だとは思ったけど、それでもやりたいのだから仕方がない。
逆に、わたしのほうがどうなのか問われたが、わたしとしてはそうやって言われるとますます開業するしかないような気がしてしまう。理由は、おもしろいから。

そうだな・・・
いろいろ父が言っていた意味が次第に理解できるようになる。父の場合は、半分どころか最初は雀の涙。赤字のところの経営を引き継ぐというのはそういうことで、それでもやってみたい仕事だったのだろう。わたしはまだ今の娘くらいの年頃で詳しいことはまるで知らない。

神戸の震災で家が焼けた後、家が建つまでの間、自分で仮設住宅を買って(供給されたものではない)、おじいさん(義父)が開業し始めたとき、何もそんなに無理してまで働くこともないのにと思った。それこそもったいないというか、何も働く必要などないのではないか、というか。すでに充分に高齢だし、しかもその後すぐに癌が見つかっている。むしろ何もしないでいてくれたほうが家族にはありがたかったかもしれない。

が、しかし・・・・
昔の人は強いというか、それでも自分がやりたかったのだから仕方がない。

そんなことをいろいろ考えながら、明日は娘の試験でもある。
木曜日くらいから風邪が酷くなり、入試まで学校を休ませようと思ったけど、娘が家庭科の宿題があるから学校へ行かなければならないと言う。愚かだと思ったけど、送って行く。案の定、今日の朝は微熱。やばいと思ったけど、本人が明日は面接があるのでお風呂に入りたいというので、昼過ぎに風呂。これも愚かだと思ったけど、本人が言うのだから仕方がない。そこを無理にこきたないまま送り出せば、気分がすっきりしないので試験のノリも悪くなると思ったから。それならば、落ちても風邪のせいにできるので、あっさり風呂を沸かした。

その後、不思議なことに娘の熱が下がる。
やっぱ、気分の問題なんだろうか。

それからおもむろに娘に何を着て行くのか問う。
おばあちゃんが送ってきてくれた服、と言うから油断していたら、どうもスカートの丈が短すぎる気がする。あっという間に成長しているせいか、いつの間にか足のサイズもわたしより大きくなっているし、ちょっと試験の面接には向かない気がした。3ヶ月前ならちょうどよかったのだけど・・・

そこで仕方がないので、わたしの古い服を取り出し、娘に着せた。娘には大きいのではないかと思ったら逆にスカートがきついというので、少しホックの位置をずらした。わたしより細いように思っていたら・・・いつの間に。

まあ、ありあわせのものでカバー。

投稿者 Blue Wind : 12:02 AM | コメント (0) | トラックバック

December 08, 2005

聴診器一つ

ボチェッリ(アンドレア), サンタ・チェチーリア国立アカデミー合唱団, サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団, メルクリオ, カッチーニ, チョン・ミュンフン, マスカーニ, バッハ, グノー, シューベルト
セイクリッド・アリアズ〜アヴェ・マリア

*******

ボチェッリを聴きながら、なんで税金のことを調べているのだろう・・・

税金のことだけではなく、このところの開業ブームに加え、医療制度改革についても苦情タラタラ。わたしは別に慢性疾患の患者ではないため医療費というのは母のためにあると思っている。が、しかし、母に支払った保険料の明細が送付されてくるのを眺めると、医療費というのがあまりにも高くて驚く。それでいて、病院はどこも赤字。国も赤字。

わけわからん。

わけわからん。

一つわかったのは、慢性疾患の患者さんが言うには、病院が外来患者を診なくなることにより医療費の支払いが倍になったということ。病院だと医院より安い。特に一つの病院であちこちの科を回っても診察料は加算されない。ところが、医院を別々に回るとその都度初診料が加算されてしまう。

医療費の値上げは難しい。国は赤字。個人負担を増額するとなったら国会が大荒れ。病院は赤字。

なんでこんなに高いのだろう。
医業収入のうち、3割は薬、3割は人件費や医療機器などの経費。残りが儲け。そこから税金。そのくせ、医療用となると机まで倍の値段。信じられない。

癒着とは違うんだろうけど、世の中の暗黙のコンセというのがあり、どうも医療関係となるとぼられる仕組み。何でも高い。ふっかけられる。最後には税金でまかなってもらうしかないのだろうか。

医者は忙しいし、いざ開業するとなったら業者にぼられて、しかもこんな時代だから経営も大変。普通の企業だったら社長は社長、金のことはわからん、では通用しないと思うんだけど・・・

院長が、聴診器一つでやれ、と言っていた意味を理解。医者が1人で、聴診器一つでやっているのが一番楽なんだろうな。

投稿者 Blue Wind : 12:46 PM | コメント (0) | トラックバック

December 04, 2005

「1円でも金を賭けろ」

父の言っていたことを思い出す。

「1円でもいいから金を賭けろ」

つまり、「1円でも金を賭けろ」というのは、千円のチョコを賭けても人は本気にはならないくせに、1円でもお金がかかってくるとぐっとまじめになってしまうかららしい。千円のチョコを損しても気にならないけど、1円でも損するとなるとものすごく損した気分になる。

ギャンブルは法律で禁止されているはずだけど、家庭内でやる分には関係ないらしく、お正月はお年玉の争奪戦が恒例の行事だった。大抵は勝っても負けても最後には親がペイしてくれるので金額の問題ではない。でも、子どもといえどもタダ差し上げていてはつまらないとばかりに、わたしはカードを子どもの頃から鍛えられた。

なんで急にそういうことを思い出したかというと、「仕事だと思っていますから」というのが一つの殺し文句になることに気がついたからである。

大抵ね・・・正直に語れば、主婦が何か言ってもまじめに相手にされない。そのくせ、それで食べている人たちがいかにも感心するような仕事をしてくれるかといえば、職人はすごいと思うけれども、それ以外はなんと言ったらよいのだろう・・・あまり学ぶ点はないと感じてしまう。

でね、「わたしもこれが仕事だと思っていますから」と言うと、案外、まじめに受け取ってくれることに気がついたから。つまり、単なる客として存在しているのではなく、ビジネスとして考えているのですよ、ということを伝えると、引いてくれるんだよね・・・うまく説明できないけど。相手と対等になる。そちらもそれがお仕事かもしれませんが、こちらもこれが仕事なのであしからず、というか。

仕事、というのは便利な言葉。

投稿者 Blue Wind : 01:10 AM | コメント (0) | トラックバック

三味線男

近頃、わたしは次第にあらゆることがどうでもいいような気分に陥っている。その理由の一つは三味線男。

三味線男というネーミングはわたしが勝手につけたもの。実際には見たことはない。近所の公園で三味線の練習をしているらしい。まあ、貯水池を背景に公園でまじめに三味線の練習をしているのを見て、勝手におちびが憧れている。

なんか、次第に夢も希望も消えて行った。

S君の場合はまだましだった。おちびの初恋。で、数年の月日が流れ、今度は三味線男。ぐわっ。

娘の親友の好きな人はカメラマンのあひるさん。本名は知らない。

わたしのため息をよそに、ダンナはけらけら喜んでいる。

「案外、いいやつかもしれないよ?」(うひゃひゃ←という具合)

なんて言ったらいいのかわからない。そこでその話を姑さんにしたら、彼女もけらけら喜んでいる。なんて言ったらいいのだろう。次第に姑さんの気持ちがわかりつつある今日この頃。一生懸命に子どもを育て、子どものためにと働き、・・・・・・・いざ結婚というか、蓋をあけると?

何が気に入らないというわけではない。ただなんというか、わたしの苦労が三味線男とその子孫へ、と思うとなんか悔しくなる。ましてや大事な一人娘・・・そういうことを想い描くと次第にあらゆることが虚しい気分になる。

そこで、わたしは三味線男と同居するくらいなら老後はひとりでオト・マリと暮らしているほうがましだという気分に陥る。ところがどうだろう。マリが生理になり、犬の生理なんてまるで知らないから慌てたら、今度はオトが発情し、マリの後をつけまわしている。いくら本能とはいえ、あまりにも露骨。そうなると、わたしの傍には来ない。

なんか、犬にも裏切られた気分。

オトがうるさいから、マリをケージに入れた。・・・・・・完璧箱入り娘。語源を知る。

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December 01, 2005

ふふ。

耐震設計上、ひじょうに危険な建築物に住む住人に対して避難勧告に近いものがあることに驚く。おまけに家賃補助とか自己破産とか? 地震が来たわけでもないのに、地震が来た時と同じ扱いになっている? 家屋は倒壊するだけじゃなく、燃えるんだよなぁ・・・と考えつつ、それなら木造住宅に住んでいる人たちすべてに家賃補助や避難勧告を出してほしいと思っちまう。

それはそれとして、このところずっと忙しかった。ブログを更新する意欲が欠如する。それどころじゃない、というか・・・

でも、よく考えたら、ヒマだからブログを書いているわけでもなさそうな人たちもたくさんいるし、忙しくても書いている人たちも多い。

独立開業する上で一番めんどーなのが雇用の問題なんだろうな。今日、とらばーゆを買ってきた。別に自分がそれを眺めて就職しようというわけじゃない。そうではなく、サラリーの相場を知りたかったし、自分が仕事を探すのならどういう感じで探すのかな、とかいろいろ考えて。サラリーが高いということはどうせ忙しい職場なのだろうし、安いということはヒマな職場ということなのだろうし、サラリーだけではなく勤務時間や勤務地などを眺めて決めたり?

こうさ・・・自分がヒマになり、子育てがひと段落して働くとしたら忙しい職場は嫌だし、ヒマな時間帯だけ働きたいとなるほうが普通。それでいて、世の中はそんなに甘くない。これが独身だったらそれなりに忙しくてもサラリーもよく、社会保険も充実しているところでないと困る。どうせ雇うならやる気のある人のほうがいいけど、そういう人でも結婚や出産などで辞めてしまう。中高年になると病気や体調が原因で仕事を辞めてしまう。あるいは子どもにお金がかからなくなったら辞めてしまったり。

それとは別に、お金の匂いがするところにお金が集まるようになっていることを知る。銀行の紹介の人たちと会って話しているうちに、次第に事業計画や資金援助だのといううたい文句にはウンザリし始める。あっさり語れば、要らん。(いや、援助はしてほしい・・・が)

多額に借金して、その借金を返済するために運転資金を借りる。・・・・・・・バカみたい。(政府や役人ほどじゃないか・・・)

次第にいろいろなことがだるだるになり始め、「そんなに借金したらやっていけないです」ととんちんかんなことを言い始めたわたし。だって、感性が違うのだもの。いやになっちまう。損益分岐点がどうたらこうたら。あっさり語れば、わたしは気が短いから赤字が累積しているのを黙って待っていられない。業績が悪いとなると銀行が後からではお金を出してくれないことくらいわたしにだってわかるさ。が、しかし、業績の問題より多額な借金のほうが遥かに頭痛の種。借金して、あんたたちに儲けさせるつもりはない、とわたしの顔に書いてあったのだろう。

ふふ。

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November 17, 2005

やっぱ、これは”仕事”らしい・・・

よくわからないけど、一応、開業形態によって何がどういう風に違うのかダンナに説明する。

たとえば、テナント開業なら、診察室と待合室だけあればよく、ショッピングセンターとかね・・・そういうところで買い物や銀行へ行くような感覚でクリニックを利用する人たちのために施設を提供する。これに対して、訪問診療までするような地域医療を主体とするならそれこそ無医村に近いところで、ある程度内科も外科も小児科もなんでもできるような医者が求められるため、医療機器も必要となってくる。場合によっては簡単に入院できるような施設も必要。

うちのダンナがやりたいのは後者の無医村型。だから何かどこかがヘン。それをやりたいのならこんなタウンでやるべきではない。最初からそうだったわけではなく、どういうわけか土地を買ったときにはコンビニくらいしかなかったのに家が完成する頃には一斉に開けてしまっただけなんだけど・・・

そういうのをやりたいのなら、今は自分の診療所まで通勤している医者のほうが多い。つまり、地域医療を手がけたいのなら医者が不足している地域でやるべきだ。それでいてね・・・そういう地域に住むということは主婦が大変。

つくばが計画されたばかりの頃にはスーパーすらなく、農家の朝市で野菜を買っていたという。つまりは、そういう地域に住むということはスーパーまで毎日何キロも車を走らせないとならないとか。幼稚園も学校も遠いし、親が子どもたちの送迎に明け暮れる。昔はそういうのも平気だったけど、次第にわたしもだるだるになり、便利な生活のほうがよくなってきてしまう。若くて体力がある頃でないとできないことが山ほどあることに今頃になって気づく。

あっさり語れば、今さら近所にスーパーもないような生活には耐えられそうにない。それでいてダンナにしてみれば、ショッピングセンターの中で診察しているだけの開業というのもおそろしく退屈らしい。ひとくちで開業といってもいろいろあって、自分のやりたいことと生活スタイルが合致していれば何も問題がないのに、なかなかそういうわけにはいかない。ましてや老人病院や介護施設というのは少なくても50歳を過ぎてからでないと嫌なのだそう。それこそ60歳を過ぎてやればいい、という発想しかない。つまりは若い人たちがそんなのをやる気になるはずもなく、年寄りのことなんてわからないし・・・興味もないのが普通。

なんか中途半端な気持ちのままいろいろ経営試算というのを打ち出してみる。そんなことをやっていたら、それは立派な仕事だと言われた。税務署もそう思ってくれるだろうか。よーわからんね・・・世の中ってやつは。

・・・・・・・・・なんとなくわかった。都会なら人材も多いし、店も多いし、ある程度自分でやらなくても何も困らない。でも、田舎の主婦はそういうわけにはいかないのです。なんでもできないと困るようになっているのかも。

でもさ・・・でもさ・・・・でもさ・・・・・感性が違う。何もやらないのではなく、なんでやらないとダメなのか、そこのところがわたしにはよく理解できないために、なんか感性が違う。なんか田舎と都会の微妙なニュアンスの違いってそういうささやかなところにあるような気がする。

投稿者 Blue Wind : 12:50 PM | コメント (0) | トラックバック

November 16, 2005

さまざまな推薦

わたし個人としては、学校とか組織とか、その手の類が嫌いなんだろう。そういうことを昨日小学校へ面談に行って感じた。娘はどうにか推薦をもらえることになり、わたしが考えているよりおおげさなために学校推薦なんて受けない方が気楽だという娘の気持ちがわかる。塾推薦のほうが遥かに気楽。

塾の成績の良い子でも学校の成績が悪く、学校推薦が受けられないという話はよくあるし、逆にうちの娘みたいに算数1からのリカバリーで成績がパッとしなくても真面目なタイプは推薦の対象となる。世の中はややこしい。両方受けられるというのは、本人のがんばり。赤ちゃんの頃から、スプーンの持ち方一つ教えたことがないのに、よくがんばっていると感心してしまう。(こらっ)

親からみても、宿題一つ忘れたことがないし、学校から帰ってきたらさっさと終わらせる。それでも低学年の頃は忘れ物が多く、先生にも叱られていた。(・・・・・・・・・・それはわたしの責任なんだけど。)

つまり、親がぐーたらなほうが子どもはしっかりする、といった典型かもしれない。

が、しかし、わたしは母が仕事をしていたので、自分のことは自分でやる、というのが一つのルールだったために、娘なんて手間ひまかけられて育っているほうだと思ってしまうけど、世の中の母親はもっと大変なのが普通らしい。

家庭内のルールと社会のルールが違うとややこしい。

どちらを優先させるかと言えば、家庭内のルール。だって生活が違うから仕方ない。そうやって育ってきてしまったから、それが当たり前だと思ってしまう。学校の先生なんてサラリーマンだから、それ以外の生活なんて知らないし、ましてや公務員だとなおさらかも、とうがった見方をしてしまう。

とりあえず、わたしが特に何もしなくても娘はしっかり育ったらしく、あの性格なら厳しい校風にも耐えられるだろうというのが推薦の理由らしい。ただし、お休みの連絡などが午後になったり遅れがちなので、親が叱られる可能性は高い。が、しかし、親が原因で娘が退学になったり、先生に叱られるのはヘンだ。親が学校へ通っているわけではない。とにかく、子どもと年寄りは本人の意思より保護者の意思のほうが重要という世の中。だから、日本の子どもと年寄りは頼りないのかもしれない。

いずれにせよ、わたしだったらあんな学校には行かないけど、娘が自分で行きたいというのだから仕方がない。親子でも性格が違うのは当たり前だし、兄弟でも違う。まあ、わたしが通うわけじゃないですからね・・・どうでもいいというのが本音。中学受験は親8割と言われているのに、こんなんで本当に受かるのだろうか?

普通は逆だと思うんだけどね・・・親は面倒だから厳しい学校に通わせるのは気がすすまない。なのに、娘が自分でそういう学校へ行きたいというのだから仕方がない。

先生に、落ちたらあちこち受けさせて・・・と言ったら、中には調査書の必要な学校もあり、そうなると今から準備しないと間に合わなくなる言われた。いまどき調査書が必要な学校なんて・・・時代遅れもいいところ。

あまりにも面倒なので、娘に訊いたら、そこは受験しないことにした、で終わった。まあ、推薦で落ちたら、の話だし、落ちることもあるだろうけど、そうなったらまた一般入試で受けなおしたらいいだけのことだし、いざとなっても中学は公立の学校があるから何も困らない。

いろんな推薦があるけれど、学校推薦が一番手続きがかったるい。しかも、あまり値打ちがないらしい。・・・・・・・世の中どーなっているんだろう。

投稿者 Blue Wind : 12:10 PM | コメント (0) | トラックバック

November 11, 2005

さてさて・・・

毎年、確定申告はわたしがやる。基本が給与所得者の申告だから至って簡単。が、しかし、事業収入となると、税金の支払いが大きくなる上に、勝手に天引きしてくれるわけでもないため、収入に対する利益の低さに圧倒されている。会社じゃないからなおさらかな。かといって個人経営の診療所を法人にすると、役員が5人必要なことになり、完全に個人商店でもないがゆえに難しいことも。

ダンナがもらってきた知り合いのクリニックの開業時の参考資料を眺めながら、このところわたし的経営試算をパチパチ打っている。当然、家計のやりくりもふまえて。単なる個人ショップなのにこの借入額の大きさ。それでいて、基本が非営利の世界だからきつい。人件費も普通の企業よりも高い。優遇税制といっても話にならない。だって、最初から高額な医療機器に資金を投下すると、あっさり必要経費だけで優遇されるべき控除の額を軽く上回る。

結局、収入が増えれば人件費が増え、医療機器が増え、経常利益自体はあまり増えない。病院ならば人間ドックなどの健診などの自由診療が多ければ、とかく赤字になりがちな病床に予算が使える。たくさんの職員がいて、充分なケアをしようと思ったら病院は赤字。その赤字をどこで補うか?結局、自由診療で稼ぐしかない。医療機器はおそろしいほど高額だし、診療に力を入れているところが経営難になることは容易に理解できる。それでいて、買いたいんだろうな・・・その手の代物を。

さてさて・・・
本気でさてさて・・・

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November 04, 2005

つくば雑感 その1

昨日、初めてひたちのうしく駅へ行った。できたことは知っていたけど、駅前まで行ったことがない。

一体、いくつの駅ができたのだろう。利用圏内として考えられる駅は、とりあえず常磐線で3つ、つくばエキスプレスで3つ。合計6つの駅がある。どこの駅が近いかというより、どこの駅へのアクセスがよいかのほうが大事。それでいて、わが家は筑波大に近いので、どこも似たようなもののような気がする。

10年前までは、せいぜい土浦駅か荒川沖駅へバスが出ている程度で、そのうちひたちのうしく駅ができ、今は常磐線ならそこが一番アクセスがよいのかもしれない。娘を乗せて、友達と待ち合わせをしているため、送って行ったら早く着きすぎてしまった。駅前のバス停を見たら、つくばセンター行きのバスが停まっていた。帰りは気がつけば筑波大学中央行きのバスが目の前を走っていたし・・・

つくばエキスプレスは残念ながら駅前は相変わらずガランドウのところが多く、つくば駅を除いて利用者は少ないような気がする。

研究学園駅は一体開発が進められているため、駅前はちらほら分譲住宅や土地の販売が始まっている。3年くらいしたら賑やかになるかも。つくば駅はあっという間にマンションが建ち並び、いささか街の景観が悪化したような気がする。が、しかし、万博記念公園駅のように駅前が駐車場だらけというのに比べればマシかも。

万博記念公園駅は一体開発に乗らない地主が多い。かつて一体開発に乗り土地を手放したとたんに地価が高騰してしまったときのトラウマがあり、今回は駅前の地主が一斉に駐車場にしてしまったらしい。でも、そのほうが実はありがたい。結局、利用するなら駐車場のある駅でないと困る。

それにしても、約束の時間の30分前に着いてしまい、最初は娘だけ降ろしたのだけど心配になり駅前の待機場にクルマを入れて迎えに行った。小学生が駅にひとりでいるなんて気持ち悪い。頃合を見計らい娘が大丈夫だと言うので送り出す。相手の子の親が同伴してくれるものと思っていたから・・・

ところが、小学生同士で電車に乗り、・・・まあ、そこまではいいんですけどね・・・、次は模試会場までのバスがわからなかったのでふたりでタクシーに乗ったらしい。前日、「帰りにデニーズに行ってもいい?」と娘が訊くので「いいよ」と答えた。これも相手の家の親の気遣いだと思ったから。よくあることだし・・・ が、しかし、小学生ふたりでデニーズでランチを食べてきたらしい。よく追い出されなかったと思う。正直、ぶったまげたけどね。

そういう年頃なんだろうと思いつつ、先が思いやられる。娘にバスや電車で通学したいかどうか尋ねたら、飽きるからいいというお答え。毎日となるとつらい。やはりスクールバスのほうがいいと言うので、少し安心した。

投稿者 Blue Wind : 06:11 AM | コメント (0) | トラックバック

November 03, 2005

潜伏したい

あーーー、つかれた。
別に何をしているわけでもなく、要するに疲れる。他愛もなくやることも多いし・・・このところ電話も多い。娘の受験日も近づくし、不動産屋からは電話がかかってくるし、学校の先生からも電話があるし、なんか疲れる。

ビタミンが不足しているのだろうか。なんか、疲れる。

まずは学校からの電話。これは先日娘にいわゆる「推薦書の依頼」を書いてもたせたので、先生からの確認の電話。「受かったらそこへ行かなければならないんですよ」というダメ押しのセリフ。塾の先生からも何度も言われてきたし、わたしですら娘に何度も訊いたし、それでいて娘の意思が固いので、今さら親が言っても始まらない。

まあ、夏前までは大学までエスカレーター式に行ってくれたらいいや的学校を志望していたため、この180度にも近い方向転換に誰しも疑問を抱いても無理はない。それでも親バカだから娘が行きたいとなれば推薦書を依頼するという・・・本当のところ、間際まで確定しないと塾の先生にも言われているため、そろそろ出願日も迫っているし、遅くても来週中には返事が来るかもしれない。

娘に言ったら、推薦を受けるほうが、「プレッシャー」と一言。(落ちてもいいのよん♪)

それでいて、そこの中学の教科書ガイドをすでに買ってある。12月に入学が決まったら、さっそく始めよう、と。ダンナに言わせると、「受験が終わったら思いっきり遊んでいいんだよ、だからあと1ヶ月がんばれ」となる。あほなおやじ。受験なんてものは単なる通過地点なんだから、スタート地点であってゴールではない。受かったら受かったあとのことを考えるくらいでちょうどいい。イメージ効果もアップするし・・・ 自分がそこの学校に受かったことをイメージするのは非常に効果的だ。本人も中3の英語のテキストを読んで、まるでわからないとのほほんと言っていた。当たり前だろう・・・英会話ですら小2でリタイアしているというのに。でも、あまりややこしいことは考えないというのは素晴らしい。ああいうタイプが一番つよいのかも・・・

だいたい、算数1からのリカバリーだからね・・・一時は計算も満足にできないし、もうダメだと諦めのよいわたしは諦めていた。そこからぼちぼちやりながらいきなり塾。それが推薦もらえるようなラインまでもってきたのだから、本人の努力を褒めてやらねば。

が、しかし・・・大抵は、「それ、どこの塾?」と訊かれる。世の中ってそういうものなのね。

というわけで、わたしが受験するわけでもないのに、それにまだ受かったわけでもないのに問い合わせがある。特に、娘より下の学年の保護者から。受験まで持ってきただけでも値打ちがあるらしい。別に難関校を受験するわけでもないのに・・・やっぱ、それが本音なんだろう。どうやったら子どもをやる気にさせるか?とか。

不動産屋さんからは例の如く押さえている土地をどうするのか、という問い合わせ。ダンナはそこで開業するつもりになっているのに、たとえば、銀行やメーカーは「土地探しからお手伝いします」の世界だから、余計に話がややこしくなる。不動産屋さんは土地が売れればいいだけだけど、銀行はそこでやって成功するかどうかを気にするし、正直、値段が高い。つくばなんてちょっと離れただけで土地の値段が3分の1以下になるため、メーカーは広い土地を安く買い、大きな建物を建てたほうが儲かるし、真っ向から意見が食い違う。

あっちにいい顔、こっちにいい顔するわけではないけれども、次第にあっちからもこっちからもいろいろ言われ、近頃ではストレスだけがたまっていく。他人は関係ないとばかりに自分のことだけを考えているほうが最終的にはうまく行くような気がするほど。

が、しかし・・・・・わたしが働くわけじゃないよ?

結局、仕事の話から次第に子どもの受験の話に流れていくと、大抵は奥さんは子育てに専念してほしい、となるらしい。正直、受付とか経理とかさ・・・そういうのは人を雇えばいいじゃん。ところが、子どものこととなるとそういうわけにはいかない。本当に手のかかるうちは保育園でも平気なくせに、受験の頃となると真面目になる。それって逆だと思うんだけど、あえて何も言わない。言っても無理だもの。そういう手のかかるうちにケアするかしないかで、のちのちが違う。言葉が通じるようになってから正論を言っても通じないのだわ・・・たぶん。

投稿者 Blue Wind : 02:11 AM | コメント (0) | トラックバック

November 01, 2005

なるほど・・・

ものごとは本音で考えないと。
そうやって言われてみると・・・・

学校説明会へ行き、一番印象に残っている言葉が、「校長も教頭も全部わが子はうちの学校に入れています。自分の子を入れたいような学校にしようということでやってきました」という何気ないセリフ。

改めて考えると、教師の本音なんだろうな。世の中で一番学歴やら教育にうるさいのが教師であり、教師の子どもがアホだと医者の子どころの騒ぎではない。自分の子どもの教育もできない人間が他人の子を教育できるのだろうか、というシビアな目は絶えない。

が、しかし・・・・そうやって考えると、自分は私立の学校の教師をしているくせに子どもは国立に入れて、とかね。そういう感性もわからなくはない。というか、親子で同じ学校にいるのは大変とばかりに子どもは違う学校へ入れることも多い。

うちの親を移すときにも姑さんに言うときにも、「院長でも自分の親を入れているから」ということを盛んにダンナが繰り返す。それにどんな意味があるのかいまいちピンとこなかったけど、おそらくはそういうことなのかもしれない。そうなんだよね・・・本音だから。

なるほど・・・

投稿者 Blue Wind : 03:32 PM | コメント (0) | トラックバック

本音の学校

先日、親子で学校説明会に参加した。わたしなどは先生の話を聞いているだけで窒息しそうになり、厳しい校則やひたすら勉強だけやらせるビシッとした校風に今からうんざりしている。娘がなんであんなところに入りたいのか理解に苦しんだ。いまどき授業の妨げとなるという理由でケイタイまで禁止している学校なんてあるのだろうか?

わたしたちが夫婦で4人の先生の話を聞いている間、娘は体験授業で英語と理科を受けていたらしい。授業が終わり、「もう3人友達できたよ」とうれしそうに語る娘を見ていると、学校なんだから授業が楽しくて、気の合う友達が多いほうがよいに決まっていると思う。少なくても授業のレベルでは今の小学校よりも上なんだろう。・・・・・・まるで予備校みたい。

娘がどうしてそこの学校へ行きたいかと言えば、嘘がないかららしい。塾へ行くより楽だとか、スクールバスで通学できるからとか、非常にわかりやすい。ほかの学校との比較によれば、今流行の海外での授業や国際化といった風潮にはほど遠い。アートに力を入れているわけでもなく、要するに学校とは勉強する場所であるという割りきりの下、勉強に集中できる雰囲気をつくることが大事とまで言い切っている。

で、やりたい子は自分でやる。

海外へ行きたいと思えば自分で行けばいいし、絵の勉強をやりたいのなら専門の場所でやればいい。そういう子がいないかと言えば決してそういうわけではなく、要するに学校とは勉強をする場所であり、勉強は学校でやり、それ以外のことをやりたいときには各人が自分の時間でやる、といったほうが確かに合理的なのかもしれない。

ゆとり教育なんて嘘だもの。実際には親がせっせとやらせている子は昔ながらに学校での成績も先生からの受けもよく、えこひいきとは違うのでしょうけど、先生の独裁体制は続いている。専門とはほど遠いところで何から何まで担任が受け持つ小学校ではなおさら逃げ場がない。そういう独裁体制が嫌な子は、塾へ通ったり習い事をしたり、個々のプライドをキープするだけで必死。そのため、勉強ができすぎる子はどういうわけか都内の塾まで通学していたり、保健室で授業を受けていたり、非常にややこしい。テストが100点ばかりでも授業態度が悪いということで成績も落とされる。

いたちごっこ。

昔からあるんだよね・・・点数だけの評価なら数字がはっきりするから納得もいく。ところが、その子の性格や性質、才能といったことになると極めて独裁や教師の価値観、社会の既成概念により規定されてしまいやすい。もともとが客観的な評価など無理だろう。

というわけで、なるべくならわかりやすい校風のほうが嘘がないから気楽なのだそう。それに、嫌なら中退して公立へ行けばいい。どうしても合う・合わないがあるから、我慢してまで通う必要性もない。公立へ行って、結局受験のために塾へ通うのなら、最初から学校が塾としての役割を果たしているほうが確かに公平かもしれない。

学校って何のために通うのかわからなくなるけど、あっさり勉強するところですと言われたほうがさっぱりするのも事実。うちのダンナに言わせると、勉強は学校でやり、それ以外の時間は遊んだり、絵の勉強をしたり、そっちのほうが当たり前らしい。そうやって言われるとそうなんだけど、そうなると今までの小学校生活って何だったのだろう?

投稿者 Blue Wind : 01:27 AM | コメント (0) | トラックバック

October 31, 2005

震度3 またまた震源地付近

震度3で揺れ具合は大したことはないけど、なんせ震源地から近いと音がものすごいです。
活断層はないという話なんですが、それにしても近頃地震が多い。

投稿者 Blue Wind : 03:09 AM | コメント (0) | トラックバック

楽しまなくっちゃ

最初はジェットコースターに乗っているような気分だったけど、次第にわたしは成り行きに慣れ始め、脱サラというのは気持ちの上で大変なことなんだなぁ・・と何となく感じている。親が商売をしていたのだから、そりゃ業績の良いときもあれば不作の時もあることはうすうす・・・特にわたしの父のように若い頃に3回も失敗しているとなおさら・・・まあ、失敗しても若い頃なら親や兄弟がいるため食べるだけなら困らないのかもしれない。

銀行からの借り入れなしで虎の子を使い果たし、親からの借金でしのいできた先生も今は元を取り戻しつつあるし、奥さんがサインしていないからね・・・本当に困れば店(クリニック)を閉鎖して勤務医に戻れば食べるには困らないし、それを考えると気楽なのかもしれない。考えようによっては借金がないというのは強い。

うちのダンナみたいな性格は、親がとりあえず店を残しておいてくれたらいつでも開業できるし、それを考えたら非常に楽だったはずなのに、開業するのが嫌でつくばで暮らしている。なのに、今度は開業すると言う。非常にわがままなんだけど、誰に迷惑をかけているわけでもないし、今さら神戸へ戻るつもりもない。

どうせやるなら楽しまなくちゃと思ってあれこれ検索。

神戸で開業している歯科医院の写真を眺めながら、お洒落だなぁ・・と感心する。それとか、建築の賞を取った作品とか。内装だけを比較するだけでも何かどこかが違う。美容院などの設計はどこもお洒落だし、わたしが建築家ならそういう仕事だけやりたいほど。

知り合いの美容師さんが鏡一枚に100万円使いたい気持ちが少し理解できた。おそろしいほどバカらしい気もするけど、どうせやるならそういう店をつくりたいと思うほうが自然な発想なのだと思った。若いし・・・

ただし、銀行に、「どうして茨城でそういう店を開くのですか?」と質問されたそう。

ぐわっ。
都会と田舎の違いってそういう風。

それと、診療科目によるのかもしれない。今はどこも歯医者はお洒落だけど、医者は単に目立つような建物が多いだけでお洒落とはほど遠い。単にわたしの主観によるものかもしれないけど・・・(汗

果たしてそういう医院をつくったとして、田舎の人たちにそれが受け入れられるかどうか?・・・・というわけで、土地柄というのも考慮しなければならない。

でも、今後20年くらいはそこが職場になるわけで、そうなるとかなりの長い時間を過ごすことになる。

趣味の良さって何なのかよくわからないけど、センスの問題も大きいような気がする。たとえば個人の診療所でも予算があれば大理石を敷きたい、というのはわがままなのだろうか。それがホテルなどだと高級感を出すためにごく普通の仕様なのかもしれないけど、病院や医院となるとどうもイメージが違う。そこで諦めたけど、せめて床は白にするとかね・・・淡いピンクのマーブル模様とかね・・・

カウンター一つ取っても医院と美容院は違う。それでいて今は病院もホテルも似たような受付になっているところが多い。昔は薬局が受付を兼ねていたために用心のために小窓があるだけの受付も多かった。今はそういう閉鎖的な受付は少ない。医薬分業の時代になったせいかもしれないけど、劇薬を置いてあるところは大変。処方箋を書いているだけのほうが安全には違いない。金を盗られるならどうせつり銭くらいのものだろうけど、薬となるとにっちもさっちも。管理が大変なものは扱わないに限る・・・・(せこい)

最初は1台でも多く駐車場を確保しようと思ったけど、次第に発想が変わり、待合室の前にサービスヤードをつくって喫煙所にしようとか。まあ、そういうのは今は入り口の前に灰皿を置いてあるだけのところが多いけど。建物を敷地一杯に建ててしまった場合、正直な話、医院というのは119の9の部分が玄関前のアプローチみたいなもので、入りやすければよいというものでもないため、入り口に困る。

基本的な設備はどこも同じなんだけど、次第にわたしの気分はそういう標準仕様から離れていき、大抵はその手の部分は設計の人に任せてしまうのかもしれないけど、かなり細部に至るまで指示できそうな気がしている。ダメなら内装は美容院の設計を手がけているところに頼むとかね・・・そっちのほうが医療として頼むよりも安くやってもらえそうな気がする。どういうわけか、医療とつくだけで何でも高い。業者にぼられるのはイヤ。

・・・・・・・・・・・と、ここまで打ったら地震。おおお・・・こわっ。

投稿者 Blue Wind : 02:37 AM | コメント (0) | トラックバック

October 29, 2005

将来の夢

娘に言わせると、うちのダンナは平凡の代名詞らしい。まあ、そうやって言われてみると、そうかもしれない。可もなく不可もなくどこにでもいるような医者であり、どこにでもいるような父親であり、娘には甘い。大金持ちにもなれそうにないかわりにお金に困る生活でもなく、そうやって言われると言い返せないことに気づく。

問題は、父親のようになりたくないし、父親と比較されるのが嫌ということ。

なんかね・・・・・・娘の夢はお絵かきさんになること。将来は有名な画家になるのが夢らしい。

そのくせ思うんだけど、世の中に少しくらい絵の上手な子はたくさん存在し、うちの娘程度には勉強のできる子もあまた存在し、器量もまあまあ・・・という子もたくさん存在する。そのように考えると、うちの娘は実に平凡な子であり、それでいて父親と比較されるのが嫌だと言う。似ていると言われても嫌なんだから・・・

で、世間の常識から言って、そういう平凡な人だからこそ試験の面接にもお父さんに行ってもらうほうがいいし、彼なら何とかしてくれるのではないかと。ところが、お父さんは何を言うかわからないから、わたしに行ってほしいと言う。そりゃ逆だと思うのね・・・なんか、感性が違う。そりゃ娘の世界の出来事にいちいち学校へ行くというのならわたしのほうが説明しやすいような気がすることもあるけれど、試験の面接というのはオフィーシャルな部分があるのだから、お父さんのほうがよいような気がする。

うちのダンナはとても平凡な人なので、将来は娘を東大に入れようと思っている。その理由は、昔と違って可愛い子でも東大へ行っているから。(あのなぁ・・・)そこで、「器量が悪いから東大へ入ったと思われるわよ」と言い返してやったら、「そりゃ最悪のパターンだ」と言ってがっかりしていた。

こう、なんと言うか、そういうところが至って平凡と言うか・・・

ひとり娘だし、才色兼備でピカピカに成長することしか思い描いていないところがすごすぎる。が、しかし・・・獣医にでもなって平凡にたくましく生きていくほうが想像しやすい。

ぷわ〜っと派手な世界ではないなぁ・・・やっぱ、理系では華やかな学生生活は望めない?せっかく一度しかない人生なのになんで勉強していないとダメなんだろう・・・番茶も出花の年頃に。

なんか、夢も希望もなくなる娘の気持ちが少し理解できた。

投稿者 Blue Wind : 03:01 AM | コメント (0) | トラックバック

October 28, 2005

震度1 真下

午後8時、ドンという音。
揺れるかと思ったけど、ほとんど揺れなかった。このため、テレビではわからないので、地震速報を検索する。

Hi-net 高感度地震観測網

茨城県南西部
マグニチュード 3.7
深さ 72km

音だけするというのもなぁ・・・ローカルすぎて気持ち悪い。

投稿者 Blue Wind : 08:32 PM | コメント (0) | トラックバック

October 27, 2005

不透明な透明

それにしても見事だ。
どうやって考えても、家と学校と教会しか出没スポットがない。それ以外に思いつくところと言えば、教会以外唯一彼女の勤め先だった日赤くらいのもので、それすら学校の隣。お子さんに母親のことを尋ねられてもわたしが知っている以上のことを誰かが言うとは思えない。

離婚して実家に戻り、教会の事務をしているだけではとても子どもを引き取って育てるということも無理だろう。で、子どもは姑さんが世話している、と。

あー、おそろしい。とても他人事とは思えない。

が、しかし・・・・考えてみれば、孫は孫だからそれなりに可愛がってくれているのだろうし、父親は医者だし娘が生活に困ることはない。自分ひとりが生きていくだけなら、細々と。

なんかなぁ・・・・そうやってさばさばと割り切ってしまえば、他人が考えるほど彼女が不幸だったとは思えない。

----お母さん、どんな人?

そうやって尋ねられても、教会へ行きなさい、で終わり。ほかに何を言っていいのかわからない。とても真面目な人、としか答えられない。少なくてもほかの面をわたしは知らない。

なんか、不思議。入学式の電車の中から一緒で、その後気がつけば、クラブも学科も同じ。それでいて細かくはまるで正反対。

彼女が幸せだったかどうかはわからないけど、とりあえず不幸でもなさそう。ある意味、幸せな人生かも。

投稿者 Blue Wind : 01:37 PM | コメント (0) | トラックバック

楽天家

いまいちさえない娘の成績。本人もそれなりに自覚しているのか、塾の面談の前に牽制されてしまった。それでも無事に追い出されることもなく続いているほうが見事!さすがわが子!!小指1本引っ掛けて、なんとかクリアしてほしい。

・・・・・・・・で、なんで第一志望が進学校なんだろう?

茨城の伝統から言って、あいかわらず県立が強い。が、しかし、全員が合格するわけではなく、すべりどめと言われている私立へ入る子も多い。それならば中学から、というわけで、地元だから入れてくれるだろう的甘さの中、娘の受験に突入することになった。

塾の先生と面談し、かなり勉強でも生活指導でも厳しい学校なので、せっかく受かっても中退してしまう子も多いという話を聞きながら、そこへ行きたいのは親ではなく娘なのだと念を押す。親のほうはちゃらんぽらんなので、中退して県立へ行ってもいいし・・と暢気。それどころか敗者復活戦的に全部の試験を受けたら最終的に無試験で入れてくれそうな学校もあるゆえ、そちらを受けさせようかとも思っている。それでいて、娘の第一志望は変わらない。ある意味、謙虚。おのれを知っているせいかもしれない。

大体、わたしはアバウトなので、同じ学校の中で東大へ行く子がいたり、医学部へ行く子がいたり、それでいていてそういう中でわが子の成績が最下位に近いものであったとしても嘆かないことにした。そういう学校でも美大へ行ったり、女子大へ行ったり、すみっこのほうに何となく座っているだけでもいいではないか。

よく考えたら、わたしにはそういうタイプの友達が多い。彼女たちが不幸にしているかと言えば、決してそんなこともない。

問題は、受かるのだろうか・・・ということ。小指1本引っ掛けて、何とか合格最低点すれすれでも、受かってしまえば合格には違いない。特待生を狙えと言っているわけではないのだから、何とかなるだろう。甘いかな。

投稿者 Blue Wind : 02:27 AM | コメント (0) | トラックバック

October 26, 2005

頃合

学生時代のネットワークって何かと思えば、結局、教会つながりなのだと。もう長年会うこともなく、話す機会もめずらしくなりつつあるのに、おそらくはこのダラダラとした関係が死後にまで続いていくのかもしれない。というのは、死後半年が経過し、すでに音信も途絶え、最後に会ったのはおそらくはわたしの結婚式で、御聖堂だった、という希薄で濃厚なつながりが死後にまで続いていく。

たまに会って話すことと言えば、大抵は子どもに洗礼を受けさせるか、とか。わたし自身は洗礼も受けていないくせに、そういう愚痴がダラダラ続く。子どもの頃、あるいは学生時代に洗礼を受けた人たちはともかく、わたしのように、そのうち勉強会に参加して、と思いながらもダラダラしている人間にとっては、近頃少しずつ老眼が始まったような気がするゆえか、そろそろ真面目に、と考える年頃でもあり、今後ますます年寄りに近づくにつれ、この手の話が濃厚にわが身にふりかかることは想像に難くない。

おそらくは賀状一つとっても、カトリックやプロテスタントという枠をこえて、この狭い日本の土壌で細々とつながる糸によりつながれている。

ダンナがそろそろ開業すると言い出すのと同じくらいわたしがそろそろ受洗すると言い出すのはごく自然の成り行きであり、彼も昔は開業医になることなど希望していなかったにもかかわらず、ある程度の年齢に達するとごく自然の成り行きでそうなるように、わたしも昔は自分が洗礼を受けるということを希望していなかったにもかかわらずごく自然の成り行きでそういう気分になっている。

誰かの一生を振り返るとそれはとても儚く短い。

おそらくは、よくある出来事なんだろう。せっかく結婚して、子どもも生まれて、それでいてうまくいかなかった。おそらくはあまりにもよくある出来事なんでしょうけど、学生時代から信仰どっぷりの人にとって、それが二重の苦しみとして存在していることを考えると、複雑な気分に陥る。

わからないけどね・・・おそらくは彼女がカトリックの信者でなければ、もっとあっさり離婚していたような気がするけど、どうなんだろう。わが子とも会えず、母親のことを知らない娘。おそらくは淡々と実家に戻って、毎日教会へ通っていた彼女を想像するのは簡単すぎて複雑な気分に陥る。

おそらくは、ほとんど自分の感情を表すことなく、複雑な状況で生きているにもかかわらず、彼女は淡々と教会へ通う日々を過ごしていた。教会には教会の行事があり、たまに教会のコンサートがある日には友達を誘ったり、そういう静かな生活を過ごしていたことは想像に難くない。

大抵の友達は子育てに忙しく、月並みな生活。他愛もなく続くおしゃべり。その向こうにはほとんど表情を変えず微笑む彼女が座っていたことは想像に難くない。そして、彼女は毎日教会へ通っていた。

大して真面目な信者でもなく、いまだに洗礼も受けていないくせに、月並みな生活をしているくせに、わたしは少しも自分が不幸であるとは感じない。そのくせ、そういういい加減な人間に限って、そのうち受洗して・・・とあいかわらず。それでいて、わたしは少しも自分が不幸であるとは思っていない。そのうち、そのうち、と思いながらも神さまは近づくだけで、遠ざかることはない。それはいつかは誰でも死ぬわけだから、ごく自然の成り行きであり、おそらくは生まれたときから決まっていたことのような気がするくらい当たり前の出来事のよう。

若い頃は、気がつかない。ある意味、生きることに一生懸命で、そのために努力しているからかもしれない。でも、ある程度年をとってしまうと、やがては誰でも死ぬという事実を思い出すようになる。おそらくは、それからでも充分な気がするほどだ。おそらくは、それからでも充分なのかもしれない。

投稿者 Blue Wind : 02:42 AM | コメント (0) | トラックバック

短い日

大学時代の友人が亡くなったという話を電話で知る。詳しいことはわからない。誰も知らない。ただ、風の便りに、彼女が結婚後間もなく別居し、お嬢さんを残してご実家へ戻られたこと、そして最近になって離婚したことなどを知る。そして、教会の事務の仕事に就いていた。密葬で亡くなったことも伏せられていたけど、たまたま同じ教会の友人が葬儀を知り、参列。来月は追悼ミサ。こうやって書いてしまうと、一生はあっけない。

投稿者 Blue Wind : 01:15 AM | コメント (0) | トラックバック

October 19, 2005

震度4 (長い揺れ)

先日の地震より、大きく感じた。同じ震度4とは思えない。
ただし、音はあまりなく、まだ揺れているのか・・という印象。
1分は長い。
海底。

投稿者 Blue Wind : 09:10 PM | コメント (0) | トラックバック

コンセプト

開業するタイプの先生にもいろいろあって、コンセプトが違うから悩む。

たとえば、ある先生は教授と喧嘩して、要するに自分の研究室をそのままつくりたかっただけ、とか。そうなると私財を投げ打ってでもいいわけ。採算を度外してやりたいことをやっている。広いスペース、最新の設備、そこに大学病院から自分の患者さんを連れてきて、学会発表やら講演やら独立独歩でやっていきたかった。

別の先生は臨床的側面を大切にしている。そこの診療所の図面を設計士さんに見せたら、この動線では相当従業員数がいないと大変になるだろうと言われてしまった。要するに、トイレも奥だし、診察室と検査室が別れているから初診の患者さんやお年寄りは看護師さんがいないとどこへ行っていいのかわからない。

で、その理由を先生に訊いたら、そうしないと看護師さんが飽きてしまうからだそう。

そりゃそうだよね・・・医者の手伝いをしているだけというのでは退屈してしまう。患者さんの世話をしていたり、世間話をしたり、移動が困難なお年寄りを誘導したり、そういう意味でのコミュニケーションがないと看護師はつまらない。

というわけで、そこの診療所はいつも患者さんと看護師さんが賑やかにおしゃべりしている。それが医院の活気なのかもしれないし、おそらくは動線として考えたら実に効率が悪い設計だけど、コンセプトとしてはそのほうが楽しい職場なのかもしれない。

それとか、なんで医者が1人しかいないのに1診、2診という具合に診察室が余分にあるのだろうか・・とか。これは実に不経済なんだけど、先輩が後輩の面倒をみるという伝統により、使わなくてもそういうスペースを確保している先生が多い。別にどこかの住宅メーカーの図面のように親子でやっているからという意味ではない。ささやかなことなんだけど、院長室を医局と呼んでみたり、最初から心構えが違う。

今の職場、働きやすそうだし、サラリーも悪くないし、特に何に不満がある生活でもない。それでいて言葉にはならない退屈さがあるらしい。要するに、自分の持ち場があり、勤務時間帯があり、決まったことを決まったようにやっていればクレームは発生しない。わりに良い先生が多いから、人間関係にトラブルがあるというわけでもない。

それでいてなんで?

おそらくは、人生観というか医師像というか、医療に対するイメージとか、自分が何をやりたいかとか、おそらくは言葉にはしにくい部分のデリケートな問題なのかも。

そこのところを理解してもらわないと、数字の話をしていてもさっぱり先に進まない・・・

投稿者 Blue Wind : 01:51 PM | コメント (0) | トラックバック

October 18, 2005

透明人間化

ちょっと土地でも買っておこうかなぁ・・といういつも甘さから始まり、3週間が経過したような気がする。ちょっと思っただけ。何に使うかわからないけど、将来的に姑さんが住むかもしれないし、家から近ければ娘が住むかもしれないし、はたまたダンナが開業するかもしれないし、あるいは老後にアパートの管理人でもしようかとか、その程度の発想しかない。

そういうちょっとした思いつきがいつもわたしの人生を変えてしまう。(おおげさ!)

それをダンナに言ったら、あそこだったら開業してもいいかなと言う。そこで不動産屋へ行く。すると住宅ローンではありませんと言われてしまい、いくつか銀行を回ることになる。その翌日には院長から隣の土地も買っておけと言われ、その翌日には電話帳を眺めながらプレハブみたいなものなら・・と建設屋に電話する。

ここまでになると、何かが自動的に動き始め、土地が決まっていないのなら、と老健施設やらグループホームやら銀行からのプッシュが入る。銀行、メーカー、コンサルタント。

そこであちこち相談し始める。するとめちゃくちゃだからね・・・この同窓会のネットワークは。週に2日ずつ休診日にバイトすれば通常の銀行ローンなら支払えるだろう。私大のネットワークは体育会のようなもの。困った時には上に相談すれば、どうにかなってしまう。何気なく使う言葉だけど、それが医局なのだそう。

何かの本に国立大出身の医者は親からの借り入れが多いけど、私大出身の医者は銀行からの借り入れが多いと書いてあった。その理由までは書いていないけど、実は医局があるかどうかの問題なのかもしれない。

イメージとしては逆でしょ?親に頼るのが国立で、親に頼らないのが私立なんて・・・

つまり、伝統的に先輩が後輩の面倒をみる。研修医の時代から始まり、そういうたて構造がずっと続いていく。そして、自分が何とか生きていけるようになったらまた後輩の面倒をみていく。

というわけで、わたしがのんびり本でも読みながら事業計画書を書こうと思っていたら、苛々して業者さんから電話が入ってしまう。これからあちこち診療所を見学させてもらってから、と思ったのに。

のろのろ、もたもたしながら自動的に進んでいってしまう。

こうさ・・・1人で考えているだけなら、1人で勝手に落ち込み、1人で勝手にウキウキしているだけど、一度何かが動き出してしまったら大工さんが家を建てていくのを黙って眺めているしかない。銀行が判を押してしまったら自動的に電子文字が動き出す。

なんか、こうね・・・ぼぉ〜っとしているうちに世の中が動き出す。ささやかな日々。

投稿者 Blue Wind : 12:11 AM | コメント (0) | トラックバック

October 16, 2005

むちゃくちゃ

開業マニュアルなどを眺め、統計データを参考にしながら数字を計算しているあたし・・・
その目の前で、ダンナがかつての上司だった先生に電話している。
途中で電話を代わり、数字のことを訊こうと思ったら、そういうことはまるでわからないと言われてしまった。

だってね・・・何も考えていないってすごいとしか思えない。100坪借りて、最初から従業員を10人置いて、患者さんが一日2,3人の状態が2,3年続いていたのだから、いかに何も考えていないのかわかる。しかも、テナント開業だから借入金なし。足りないところは親からの借金。おそらくは今までのたくわえなど一気に消えてしまったに違いない。まあ、今は糖尿病以外の患者さんはほかへ行ってほしいという調子。忙しいのだろう。

ほかにも3億円を借りて、1年で返済してしまったという伝説のある先生もいる。その先生の場合、家がないから行方不明になったと皆に言われていた。が、しかし、独身なので医局のソファで寝ていたそう。医局というか、院長室というかわからないけど、伝統的に医局と呼ぶことが多い。お風呂もない。トイレだけは医院だからたくさんあるらしいが、それにしても・・・

むちゃくちゃ。

投稿者 Blue Wind : 11:16 PM | コメント (0) | トラックバック

震度4 (強烈な轟音)

また地震。
4時頃、強烈な音がして、地面が揺れる前の地響きの煩さに震源地が近いことを知る。ダンナが立ち上がり、テレビのスイッチを入れると、地震の速報。

近頃思うのだけど、あまりにも慣れすぎると、テレビを観なくても震度と震源地が予測できるような気がしてしまう。少なくても轟音のする時はね・・・

その後わたしがテレビを観ながらやることと言えば、X印の位置を眺めて、霞ヶ浦から見てどの辺が震源地なのかを確認するだけ。

こんなんでいいのだろうか・・・

投稿者 Blue Wind : 10:43 PM | コメント (0) | トラックバック

未来があるのなら

まあ、いいや。
学校や病院のほとんどが赤字で、それでも非営利団体として存在しているし、それでもダメならコンサルタントがいて経営を立て直す。それでいて開業コンサルタントのブログを読んでひっくりかえってしまう。「経営がそろそろ順調になり院長室に美術品を飾りたくなるでしょうが、これは経費として認められません」だって。世の中どーなっているんだか・・・・

なんでもお金に換算しないと気がすまないのかも。何かどこか感性が違うと思いながらも、娘の受験は近づき、そろそろ推薦がどうたらこうたらと担任からも塾の先生からもアプローチがある。いつの間にかそういう時期。肝心の娘はだるだるのまま受験に突入しそうだが、正直、受かればどこでもいい、というのも本音。彼女が落ちても食べていけないわけでもないし、そうなったらそうなったで高校で美術科へ進学してもいいし、将来のことなどわからない。

宗教、アート、学問。和歌。わからんちんだらけの世の中。何でもやりようだし、何でも考えようだし、一気に一発逆転とか?お仕事しちゃうぞ〜っとか?なんか怒る人たちが多そうな気が・・・

そんなことよりもわたしは茨城空港が開港したら、沖縄に保養所を建てることを想い描いている。沖縄には行ったことがない。それでもそれが別荘なのか、老健施設なのか、今風のケアハウスなのか、リゾートなのかわからない。ダイニングで落陽が見えなければ建てる意味はないとか、あれにこれにとわがままを言いながら、好き勝手。1週間や1ヶ月単位で入居できるようにする。一生そこに住むのは悩むけど、短期間なら行ってみたい、でも医者がいないと不安とかね・・・世の中の年寄りはみんなそんな風だもの。

まあ、いいや。
要するに、そうやって自分のやりたいことを事業計画書に書けばいいということは学んだので、それはそれで将来の楽しみにとっておこう。何がなんでも沖縄でないとダメということではないし、海外でもいい。単に話がややこしくなるだけのことだけど、バリ島なんて観察していたらかなりアバウトだし、老後の楽しみとして考えれば特に誰に迷惑をかけるわけでもない。

投稿者 Blue Wind : 01:49 AM | コメント (0) | トラックバック

October 15, 2005

夫人

だんだんうちのダンナの気持ちが理解できるようになってくる。要するに、生涯白衣を着て診察室に座っているためには自分の診察室をつくらなければならない。それはリストラとかポストというニュアンスとは違う。

例えばね・・・老健施設の院長とか、保健センターの所長とかさ。誰もやりたがらないような仕事はある、爺さんになっても。

なんでやりたくないかって?

だって誰でもできるような仕事だから・・・デスクワークのほうが多いし、若くて、技術を磨きたい、最先端の医療をやりたい、という医師がそういう仕事を好まないのは当たり前。

が、しかし・・・・だんだん年を取ると、体力も衰えるし、新しい技術を習得するのも困難になってくるし、とても若い医師にはかなわなくなる。そうなると病院経営とか福祉とかさ、人を雇って借金してマネージメントをして、となると何のために医者になったのかわからないでしょ?

個人でやっていれば個人事業主、法人にすれば役員報酬、の世界。例えば、専従者ということで考えると、白色なら86万円の控除があるだけ、青色ならクリニックで30万円くらいまでの給料、それを法人にすると理事、という具合にわたしは出世する。ダンナのサラリーだけを考えたらさほど差がない。だって儲かっても税金だもの。

だからさ・・・・「奥さんはどのようにお考えですか」という具合に、何の資格もないわたくしに問い合わせがくる。

ここで、上品に育てられたわたしは、「主人が働いてくれたら充分です」と答えればよいことを知っている。

ところが、世の中の風潮を考えたら逆だもの。家で遊んでいると何もしないとか能無し扱いをされてしまう。なんせ「くたばれ専業主婦」の世界ですからね。

で、ダンナがどういう風に考えているかというと、デスクワークにまわるより、診察室に座って患者さんを診察していたいと言う。

そこで、誘惑が入る。

院長夫人とか、所長夫人とかさ。小さな診療所の受付に座って青色で働くか、病院建てて役員報酬の世界を選択するか、とか。

・・・・・・・・・・マネージメントは好きだけど、借金を背負わされて借金返済のために働かされるのはお断り。内科の診療報酬リストを眺め、その範囲内で計算すればどの程度の規模でやったほうがよいのかわかる。町医者で顔の見える診療のほうが人間的。

ラテーノは働かない。

投稿者 Blue Wind : 12:15 PM | コメント (0) | トラックバック

October 14, 2005

自由業

世の中はいたちごっこということを知る。

少子化をどうするかって?
そりゃ農家みたいに相続税を取られると困るとなったら今でも子沢山だし、サラリーマンだったら子どもの数が多くなると教育費がおっそろしいほどかかるから子どもの数は減る一方なんだろうし、ライフスタイルによって、あるいは税法によって何かどこかが変わってくるのは仕方がないのかもしれない。

それにしても開業なんてしても儲からんね・・・医療というのは非営利活動の一つらしい。点数で収入が決められているし、法律もややこしいし、節税しようと思ったら機械を借りるか、人を雇うしかない。しかも風邪ひいたくらいで大病院へ行っちゃうような世相だから、開業医なんて寝たきりの年寄りを回らないと儲からない仕組みになっている。

勤務医よりマシになることと言えば、お昼休みが長くなることかも。その時間に訪問診療を入れるとなったら、逆に貧乏ひまなしになる。高いテナント料を払うような仕事じゃないなぁ・・・バカらしい。大家のために働いているようなものになる。

2,3年働いて、海外で遊んでいる人の気持ちがわかる・・・

投稿者 Blue Wind : 08:53 AM | コメント (0) | トラックバック

October 13, 2005

シビアに、クールに

おおよそ自分の人生を振り返ると、ほとんどの時間を本を読んで過ごしてきたような気がする。のこりの時間に友達と遊んだり、恋愛があったり、結婚があったり。それ以外のことはわたしにはどこか無縁の出来事としてややこしいことは考えない。

政府が緊急援助に2千万ドルを放出しようがどうしようが、自分の懐が痛むわけでもない。税金の計算も誰かがやってくれるし、足りない分をわたしが計算するため、うちのダンナに至っては自分の収入がどうなっているのかも知らないのかもしれないとたまに思う。

興味がないってすごいなぁ・・・というか。

だいたい、うちの近所に至っては公務員社会だから、教育や環境のことには非常にナーバスだけど、それ以外のことにはあまり興味がないような気がすることもある。政府管轄の役人というのは宇宙プロジェクトやその他諸々スケールが違うため、地元の商工会がどういう具合になっているのかも知らない人たちが多いかもしれない。

開業医か。

今までだったらややこしいことは他人任せで、医療だけやっていればよかったけれど、自分でやるとなるとそれは一つの経営だから、人を雇ったり、給料を払ったり、銀行と相談したり、事業計画書を書いたり、まったくもってして不必要なことに時間を割かれてしまう。だから、銀行にも言われてしまうわけだ・・・これから先ずっとそれをやっていかなければならないんですよ、と。

たまに思うんだけど、医者としての能力と経営者としての能力は別かもしれない、と。

だったら、わたしはそういう付き合いが嫌いかどうかを考えると、好きなんだよね・・・実は、あーでもない、こーでもない、と政府や役人の悪口を言っているのは楽しい。正直に語れば医者の悪口はもっと好きだ。うちのダンナよりも地元の医者のことについては詳しいことにも気づく。本音を語れば、あの先生の研究領域がどうたらこうたらより、子どもの具合が悪くなったときにはあっち、年寄りだったらこっち、という具合に、そういうのはたいていの場合口コミで伝わるため、一番詳しいのは看護婦さんとばかりに情報網がはりめぐらされる。

というわけで、うちのダンナが開業した場合、何を言われるかわかっているため、あなたはこれをやりなさい、これはやめておきなさい、こういう患者さんが来たときにはこうするああするどこの病院へ送る、という話を言ったら強烈に怒っていた。

が、しかし・・・・女房に何か言われて今から怒っているくらいなら開業なんてやめたほうがよいのでは?

プライド高いからね・・・・むずかしい。だからコンサルタントを頼んで、ややこしいところは業者に頼んだほうが、ってなるのかも。医者の世界の付き合いと、いざ開業してからのクールさは別問題のような気がするけど、どうなんでしょう・・・

投稿者 Blue Wind : 10:57 AM | コメント (0) | トラックバック

October 12, 2005

カット

25歳で銀行に1億円を借金しに行くパワーってすごいと思う。今日、久しぶりに美容院へ行き、髪の毛を切ってもらいながら予定時間をオーバーして話し込んでしまった。店の客が一杯にならなかったら娘のお迎えを忘れてしまっていたところだ。

美容業界で3ヶ月でデビューとか、賞を取るとか、それにどういう意味があるのかわからない。そういう点では銀行もわたしと同じレベルらしい。

で、何を聞いたかというと、事業計画書について。あれこれ具体的な数字が必要なのかと思ったらそうではないらしい。鏡一つが100万円すると聞き、正直驚いてしまった。つまり、自分のやりたいことをするためにはお金が要る。どうして要るのかを説明しなければならない。その前に何がやりたいかを説明する。・・・・・というわけで、わたしが話しているようなことをそのまま書けばいいらしいことを知る。

ついでに付け加えれば、一枚100万円の鏡も70万円の椅子もすべてリースで、そうしないと固定資産税を取られるとか、国税局が5年おきに調査に来るとか、あれにこれにと具体的な話まで。わたしの髪に一つ鋏を入れ、説明が始まり、また鋏が入り、説明が入る。手早くやれば5分で終わるだろうな・・・というところを1時間かけてわたしの髪は次第に短くなっていった。

投稿者 Blue Wind : 11:55 PM | コメント (0) | トラックバック

October 10, 2005

自己中

むずかしい。
ひじょうにむずかしい。

訪問診療に関してはニーズが多い。おそらくは訪問看護についてもそうなのだろう。でも、あちこちでそういうサービスが始まっては結局やめてしまうところが多い。理由はトラブルの原因になりやすいからかもしれない。

仮に1人で開業していたとして、あるいは大学病院などに勤めていたとして、患者さんが亡くなった、あるいは亡くなるという連絡を受けても医師がほかの患者さんを放っておいてそちらへ行くということはめったにないだろう。非番でなければ不可能に近い。

これがね・・・とてもトラブルの原因になる。

看護師さんが訪問看護に出かけると1日4500円。大抵の場合、人件費を考えると赤字だろう。院内のように忙しくて1人でたくさん受け持ちの患者さんがいて、というのなら別かもしれないけど、臨終に立ち会うとなったら大赤字。でも、長い間お世話していると情が移る。せめて死亡確認くらい・・と思って病院に連絡しても、大抵は死んだら同じとばかりに断られることが多い。

つまり、あなたにとって大切な誰かがほかの人にとっても大切な誰かであるとは限らない。

まだ息があるのなら病院へ。それなら治療をして、亡くなったら死亡診断書を書いて、とスムーズに進行。ところが、死亡確認だけとなると嫌がる医者が多い。特に夜中は。本人が畳の上で死にたい、家で死にたい、過度な治療を望まない、という場合、なんで死ぬために病院へ行かないといけないのか理解に苦しむ。

昔はかかりつけの医者というのがいて、大抵は何かあると往診に来てくれたものだった。特に寝たきりになり、通院ができなくなったときには、医者が行くのが当たり前だった。今は何かあるとすぐに病院だし、寝たきりになっても病院だし、自宅で亡くなることが減ったせいかもしれない。

在宅療法をやるのなら、訪問診療や往診は1人で行くとダンナが言う。システムとしての訪問看護というのはかなり面倒なのかもしれない。長年主治医をしていたり、ずっと診て来た患者さんは彼にとっては特別で、それはあくまでも個人的なつながりらしい。ほかの人にはほかの人たちの個人的なつながりがあるけれども、それは彼には関係がない。それが原因でヒステリックにせっつかれたあげく悪口を言われるくらいなら自分1人の方が遥かに気楽なんだろう。

そうなんだよね・・・良識の範囲内で行動規範のように行動するのと、自分の個人的な気持ちで行動するのとでは何かどこかが違う。

とりあえず午前中は内科一般と専門外来、午後は休診にして訪問診療をやる日を決めるとかね・・・儲かったら自分のためのケアハウスを建てよう。ここなら老後住みついてもいいかな・・と思うようなハウスを。カタログを眺めて文句を言うなら、つくっちまおう。がんばろう。

投稿者 Blue Wind : 12:08 AM | コメント (0) | トラックバック

October 07, 2005

訪問医療でやってけるのに・・

医師会のページにいきなり「医療を金儲けの道具にするハイエナ」という表現を見つけてひっくり返ってしまった。わたしはわたしで、ダンナが開業しようかなと言い出したとたんに世の中が一斉に動き出すかのように流れが変わることに驚く。

ほんでおっそろしいほど借金を背負わされて、患者さんが来るか来ないか怯えているような日々が始まる。

あーやだやだ。あーやだやだ。

急に何もかもバカらしくなり、クリニックは訪問医療だけしていても充分やっていけるのに・・と何となく考える。それでは儲からない人たちが世の中には多いということに気づく。

なんか、疲れたよ。

投稿者 Blue Wind : 10:08 AM | コメント (0) | トラックバック

October 06, 2005

手堅く行こう

たまに誰かに騙されているのではないかと思うことがある。今回もどうもそういう雰囲気。なんであんなに医療モールができるのだろうとか、開業コンサルタントがたくさんいるのだろうとか、銀行がすぐに家に来ると言い出すのだろうかとか。

わたしが、「診療所を建てたいのですが・・」と問い合わせをすると、パッとどこからともなく電話が入る。銀行、設計事務所など。単に電話帳を見て電話しているだけなのに、疑いもしないのだろうかと不思議な気分になる。まあ、考えてみれば、わたしは1人で家の中でぼぉ〜っとしていることが多いけど、うちのダンナは働いているわけで、そのほとんどが地元の人たちを相手にしている。ということは、どこへ行っても知り合いだらけ、という恐ろしさに今頃気づいてしまった。

というわけで、税理士も決まらないうちから銀行へ行くことになり、とりあえずは手ぶらでもかまわないらしい。事業計画書は後日でもよいという・・・

あまりにも不安に陥ったわたしは、院長に相談した。そこで開業したい場所を説明したら、隣の土地もついで買っておけと言われてしまった。駐車場10台でも足りないらしい。つくばはクルマ社会なので、例えば職員の駐車場を別の場所を借りて、という方法ではいまどき看護師さんも来てくれないそう。よく考えてみれば、雨の中を歩かなければならないような職場なんていやだ。ただでさえ忙しい仕事だと言うのに。そうやって考えてみれば、何となく何をすればよいか見えてくるから不思議。

が、しかし・・・・次第に借金の額が増える。(まだ銀行にも行ってないけど・・)
が、しかし・・・最初は機械など何も入れず、聴診器一つでやれと院長からアドバイスされては仕方がない。要するに、危ないところは速やかに病院へまかせ、開業医はかかりつけの医者としての仕事に専念する、というのが開業の基本。だから、機械は後でもかまわないそう。だから、土地を先に買うことのほうが大切。それくらい駐車場がないとどうにもならない土地柄だからなのかもしれない。

しかも、もっと失敗するのが嫌いなわたしは、開院の前に勤務医を続けながら長年主治医をしている患者さんなどを優先的に夜間や土曜日の午後などに診察をする、というアイデアを思いついてしまった。本格的な開院ではないので、予約だけ。だから、わたしだけが受付に座っていればいい。病院からお給料は入るし、今、ほかの医院で診察している患者さんなどは案外近くなって喜ぶかもしれない。誰も来なくてももともとだし、夜間や休日に診察してくれるとなると開院前だというのに患者さんが来るような気がする。

で、機械を入れたり、人を雇ったりするのはフルタイム診察を行うようになってから。結局はそういう支払いが大きいわけで、最初のうちなんて多いところで一日8人とかね・・・店を開けている時間が長いほど赤字になってしまう。で、2年をすぎ、3年目になると急に患者さんが増えるそう。大抵はどういうわけかそういうパターンがあるらしく、そこをどうやってうまく切り抜けるか。

わたしなんて気が短いから気をつけないと。「こんなんだったら開業なんてしなかったらよかった!」とか、絶対言いそう。もう、自分のことがわかってるもの。

手堅く行こう・・・

投稿者 Blue Wind : 12:57 PM | コメント (0) | トラックバック

October 02, 2005

1週間が1000日のよう

わたしは相当気が短い。この1週間がまるで1000日のよう。

投稿者 Blue Wind : 01:11 PM | コメント (0) | トラックバック

今から悩む

朝からわたしはダンナに酷いことを言っている。が、喧嘩しているわけではない。というか、

----開業医の先生の専門が何科か知ってる患者さんなんてどのくらいいると思う? 機械なんて入れても、使わないんじゃない? それより患者さんが来ないと(院内で)待っているならキャンピングカーを買ってこちらから往診に行く方が儲かるかもよ? 病院じゃないのよ? 開業医よ? 本当に開業するの? せっかくドッグランにしてもわたしがいなかったら誰がオトやマリを庭で遊ばせるの?

という具合に、痛いところを突いているのである。全部、タラ、レバの話なので、悪いほうへと気分を導いている。つまり、自分が不安なのでやつあたりしているだけなのかもしれない。そりゃ最初から患者さんがどんどん来て儲かるのならわたしは店など近寄らない。

が、しかし・・・
儲からなかったら人件費を節約するしかないではないか。それでいてわたしは自分が素人だということを熟知しているため、結局はできることしかできない。でも、姑さんでも40年以上やっていたのだから何とかなるだろう、と思ってしまう。

----おふくろがいると、若い子なんて嫌がって逃げるんじゃない?

アンタは若くないけど逃げるじゃないか、と内心思ってしまう。とにかく姑さんは昔の開業医の奥さんだから店や家のことを何から何まで仕切っていたため、息子の診察にまで口出しする。実はそれが嫌で開業したくなかったのだということも知っている。

無責任に考えれば、いまどき開業医の奥さんが受付に座っているところなんてないよなぁ・・と思う。知り合いの先生のところも奥さんは一切何も店のことはタッチしていない。本人はやりたいし、親からもやれと叱咤されたそう。ところがご主人のほうが徹底的にそれが嫌で、自分の思う通りにやっている。奥さんのほうは店が心配で5分おきに覗きに来ていたそう。

今までそういうことは他人事だった。だけど、いきなり娘の受験のことなんて吹っ飛ぶくらいテンションが高くなる。娘は中学受験を失敗しても行く中学がなくなるわけではない。が、しかし、昔は姑さんに店を手伝うように言われても嫌でたまらなかったのに、家計が絡むと黙ってはいられなくなる。

医師会のホームページを眺めながら次第に腹が立ってくる。地域医療、ホームドクター、校医、予防接種、訪問介護の問題、その他諸々。いや・・・それが仕事なんだし、正直、医者なんてものはビジネスマンではなく公務員のようなもので、経済観念の薄い人が多い。それでいてプライドが高い。わたしが怒っても意味はないのはわかってはいるが、なんか言わずにはいられない。

世の中で一番うるさい患者が姑さんだとすると、彼女のニーズに応えることは即ビジネスになる。わがままだもの。大抵はビジネスだと思えば何を言われても腹が立たなくなる。

まあ、いいか。わたしの仕事ではない。

が、しかし、次第に苛々してくる。患者が来ないのならこちらから行け、とかね・・・そのほうが喜ばれるもの。うちのダンナのことは知らなくても娘のことは知っている人が多い。それがご近所ってものでしょう。まあ、それでいて店と自宅は離れているのでいざとなったらわたしは布団を被って寝ていよう。

おちびの受験のこともあるし、なんか近頃それどころではない。こんなんでいいのだろうか・・・ためいき。

何もしていないのに今からこうだもの。先が思いやられる。

投稿者 Blue Wind : 11:08 AM | コメント (0) | トラックバック

不安

何かをするのなら若いうちがいい。

次第に親の苦労が理解できるようになる。どうしてあんなにがむしゃらだったのか・・・要するに、借金があったからだ。一度借金をして商売を始めてしまったら、儲かろうが儲かるまいが途中で放り出すわけにはいかない。結局、放り出されたのはわたしだったが。

そうだな・・・母に商売を教えたのは父だ。理由は簡単。母に収入があれば勝負ができる。やっぱ、現実を考えないと。生きていくにはそれなりに生活費というものがかかり、商売のことだけを考えるわけにはいかない。が、しかし、父はいつも前へ行くタイプだった。

父はサラリーマンを嫌っていたけど、考えようによってはこんな気楽な生活はない。悪くないサラリーを貰って、安定した生活しているせいか、なおさらそんなことを考えてしまう。ややこしいことは他人に任せ、医者は医療に専念していられる。わたしだって、育児に専念できる。

不安で一杯になりながら、それでも動いているのはわたしだ。

娘が、イメージキャラを描いてくれた。うさぎの看護婦さん。可愛い。

医療モールは断った。結局は自分の資産にはならないかららしい。それと場所から言って、おそらくは大通りに面したところかもしれない。確認していないけど。あの辺りはすでに開業医も多い。うちの近所にもすでに医療モールが一つオープンしたけど、あまり流行っていないよう。まだ始まったばかりだからそれが普通なのかもしれない。それでいて都会と違って、この辺は大通りに面しているとクルマが入りにくいため立地としてはよさそうで悪い。おそらくは計画したのはあまり地元のことに詳しくない人なのだろう。

院内薬局はやりたくないというので、知り合いの薬剤師さんに声をかける。隣の土地で調剤薬局をやってほしいから。このため土地を押さえるために不動産屋さんに声をかける。どれか一つがうまく行かなければ辞めればいい。銀行へは不動産屋さんのほうから話してくれるそう。ということは一度窓口へ行って相談してしまったらすべてが動き出してしまう。

あまりにも不安になり、姑さんにも相談した。とりあえず、土地だけは買っておけという。・・・・・・土地だけ買ってアパートでも建てようかな、という誘惑が心をよぎる。大して儲からないまでも自動的に資産にはなる。このままの生活を続けながら、アパートの管理人さんをするのも悪くない。たぶん。

いかんいかん。そういうつもりではないのだ。

軽く言うな。そろそろ開業しようかな、などと。これから娘に金がかかるという時に。それでも動いているのはわたしだ。この自己矛盾に満ちた気分をうまく説明できない。

一番楽な方法は家を売って開業予定地に併用住宅を建ててしまうこと。そうすれば資金面でずいぶん楽になる。でも、せっかくオトくんやマリのためにドッグランをつくったのに、庭も駐車場になってしまう。それではあまりにもせつない。われながらおバカだと思うのだけど、本末転倒になってはいけない。

事業計画書?

・・・・・・書いてますよ。そんなものは書いたことはない。でも、何となく作成している自分が怖い。要するにこうすればいくら儲かるかを計算し、赤字から黒字に転じるまでの道筋を銀行に説明するために必要らしい。ありがたいことにこの辺で倒産した開業医はいない。病院ですら赤字経営の噂は飛び交うものの潰れたという話はない。要するに、茨城県はあまりにも医者が少ないために潰すわけにはいかないのだろう。完全黒字で経常利益をあげるようなところはほとんどない。事業を拡大するつもりがないのなら、トントンでいいのよね。がっちり給料をせしめてしまうとか。(こらっ)

あっさり語れば、税金を払うのが嫌いな人たちが世の中には多すぎるだけなのかも。官か民か・・・う〜む・・・どっちが親身になってくれるんでしょうか。どっちもどっちのような・・・気のせいかな。

それにしてもいやな話ばかり。今は儲かって仕方がないようなところでもオープン当初は一日2,3人くらいしか患者さんが来なかったとか、多いところで8人だったとか。「へ?」って思ってしまったけど、それが普通なのかもしれない。それでもみんな生きている。

胃が痛い。銀行の人が融資を渋ってくれたらありがたい。今なら何も失わない。

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September 30, 2005

熟慮

マルチビタミンくらい酸っぱいマンゴージュース。近頃、ビタミンが欠乏している気がするのは気のせいだろうか。

開業するなら近所におあつらえ向きの土地があるし、そこなら家からも近いと思いながら、第一種低層。つくば市、緑が多くて、敷地もゆったりしているし、それなりに素晴らしい住環境の地域はたくさんあるのですが、そういう地域で開業するといわゆる医院併用住宅というのを建てなければならない。しかも、50屬靴店の大きさが取れない。わたし的にはそれでかまわないだろうと思いながら、ダンナを睨むのだが、あっさり狭いと言われてしまっては仕方がない。

というわけで、駅ができて、駅周辺の開発が先とばかりに土地は出るのだけど、ほとんどが住宅用で、しかも高い。駅ができたと言ってもいきなりクルマ社会が消えるわけではなく、最低でも10台のパーキングスペースが必要になる。それでも従業員の駐車スペースを考えるとぜんぜん足りない。しかも、医院併用となると家のクルマを停めなければならない。それでいてその手の土地が確保できたとしても、第1種低層となると結局店のスペースは法律により制限されてしまうから同じこと。

そこでネットで検索したり、近所の不動産屋へ行ってみたけど、なかなか思うような場所が見つからない。50屬任茲い里覆蕕いらでもあるのに、あれにこれにと機械を入れるとなるとまるで足りない。それならもっと爺さんになってから機械が要らないような開業をすればいいのに、とか、これが都会ならどうする気だろう、などとうすらぼんやり考えながら一日が過ぎていく。

近頃流行の医療モール・・・
これってどうなんだろう。3年後に独立開業するらしいのだけど、ネットで検索した程度ではよくわからない。ある程度収入や資金を保証してくれるから申し込めばいいだけなんだけど、あっさり語ればその3年間は減収。最初は赤字になるのはどこも一緒なので、そういうことを考えれば悪くない条件なのかもしれないけど、どうもすっきりしない。バイトに行ってしまいそうだ・・・まあ、自己資金がかかるわけでもないから、いいんだけどね。ただ、この条件ではやる気がでない可能性が高いけど、そのほうがうちのダンナには向いているかもしれない。が、しかし、他人が絡むとややこしい。

まあ、なんでもいいや・・・

投稿者 Blue Wind : 05:09 AM | コメント (0) | トラックバック

September 29, 2005

青か白か

ざまあみろと言いますか、なんとおっしゃるうさぎさんと言いますか、あっさり語れば、確定申告の青だの白だのを眺め、そう言えば日本の専業主婦がヒマの代名詞みたいに言われるようになったのは最近のことだということを思い出す。

そうだよねぇ・・・例えば、今でも農家は子沢山でお母さんは忙しい。農作業をしていたらさらなる重労働。それでいて所得は夫のもの。嫁は相続権もない。だから未亡人になったら大変なことになる。すべてはそういう事情から派生していったのかも。

自宅と職場が離れていれば、そりゃ何となくヒマになっても仕方がない。が、しかし、自営業や農家は堂々と専従者控除が認められるほど奥さんは忙しい。奥さんが仕事を手伝えるか手伝えないかは子どもに手がかかるかどうかで決まるらしい。家事や育児は立派な労働だ。

サラリーをいただいて働く方が楽かもしれない。家の仕事を手伝っても給料も貰えないことが多い。理由は財布が一つだかららしい。だからといって青色で申告しようとすると手続きが大変。大雑把な経理ではダメになる。

簿記のテキストを買ってきた。今頃になってなんでこんなものを勉強しないとダメなんだろう・・・(泣)

投稿者 Blue Wind : 12:52 AM | コメント (0) | トラックバック

September 26, 2005

あれにこれに忙しい

神戸の震災が来て、親の家が焼けたとき、意地でも開業したくないと言っていたダンナがついに開業を決意したのかもしれない。まあ、別に悪くないサラリーを貰って、親子3人で食べていくだけなら何も困らないです、はい、その点、医者はありがたいと思います。

が、しかし・・・なんか、こう、40歳を過ぎると何かが変わるのでしょうか。のんびりしたいというか・・・昔に比べれば相当今でものんびりはしてると思うのだけれど、この先子どもにお金がかかるということなどを考えると、現実を考える余裕が出てきただけ、互いに年を取ったのかもしれないと、相方の顔を見ているとたまに感じるようになる。

10年前の生活を振り返ると、あちらは真夜中でも平気で呼び出されるし、当直は多いし、あれは若くないと無理だと思う。わたしはわたしで、生まれたとたん2時間おきに授乳に起こされ、外出すら儘ならない生活を余儀なくされ、真夜中のお出かけと言えば、寝ている赤ん坊を連れて酔っ払いを乗せて病院まで。

赤ん坊と缶詰の生活はそれなりに大変。ストレスも貯まる。それでいて、おちびが可愛いからやってこれたのだと。幼稚園へ行くようになりほっとしたのも束の間、母が倒れるし、その母を引き取り、娘をどうにか中学へ押し込めばようやく少しは楽になるかなぁ・・と思っていたら、開業すると言い出しやがる!

仕事するとかしないとかね、復学するとかしないとかね、たま〜にそういうことを考える余裕はあるのだけれど、そういうことは大抵すぐに諸事情により掻き消される。専業主婦はヒマ。それでいて働くほどヒマがあるわけでもなく、そういうのは人それぞれなのかもしれない。

いや・・・いろいろ考えることは多い。

開業するとして、とりあえず自宅はあるのでテナントを借りて・・・ということもできる。が、しかし、家族の都合というのがありまして、開業ついでに自宅を移してしまい、神戸から姑さんを呼ぶとかね・・・そうなると、あちらにもあちらの都合と意思があるから、勝手に決めるわけにはいかない。娘の通学の問題もある。別にわたしが店番するわけではないけれども、それでいていざ開業するとなると忙しい時期には知らん顔するわけにはいかないだろうし、一応は銭を管理しているのはわたくしなので、あれにこれにとやらなければならないことも多い。

まあ、最低3年はきりきり舞い。その間の娘の年齢を考え、ちょうど反抗期を迎えるなぁ・・などと思ってみたり、そうなると母親はまた忙しい。とりあえず、商売に励んでいるうちに娘を放置しておくとろくなことにはならん。高校で受験しなければならないとなるとますます大変。それならさっさと今年のうちに娘に決めてほしい。

で、進路とか?

もう、だんだんだるだるになってきてしまう。勉強ができないならできないでさっぱりしている。少なくてもできない子を無理に医者にするほど裕福でもヒマでも無謀ではない。それならどこかてきとーに進学してさっさと結婚してくれたらいい、というのが親として希望。それが一番楽。

美大に関しては、今の娘の将来の希望が美術の先生になることらしいので、それなら英語、フランス語、イタリア語、美術史、哲学、数学くらいは押さえておきたい。今、嫌味のように美術関係の本を娘の目に付くところで読んでいるので、建築を含めて、どうして勉強しなければならないのか、といった類の愚問が飛んでこないように努めています。

それでいて、開業するなら少しは医療事務などの知識があったほうがいいなぁ・・などと思いながら検索すると、専門学校のカリキュラムなどが目に飛び込んでくる。取得できる資格の量が違う。就職率も99%以上。たしかに雇う側にしてみたら、大学卒より即戦力になる専門学校卒のほうが理にかなっている。職種によるのかもしれないけど。

専門学校の最高峰が私立の医学部かも。そんなことを考えながら、娘を医者にしようとした場合、おっそろしいほど予算が割かれる。そうなると今の余裕のある生活がこっぱみじんこになりそう。・・・・・となると、父さんはいやでも開業する、と。

儲かったら、沖縄と森の中に別荘を建てて、ひきこもろう・・・
疲れる・・・

投稿者 Blue Wind : 01:34 AM | コメント (0) | トラックバック

September 20, 2005

覚悟の旅路

初めてバリ島へ行った時、トイレットペーパーを持って行ったことを告白しよう。東南アジアに限らず、途上国を旅行する時は、まずトイレに紙が置いてあることを期待してはいけない、トイレがあることを期待してはいけない、とかね・・・そんな話ばかり聞いていたものだから、当然用心のために持って行く。まあ、空港のトイレにしてもバリニーズですからね・・・いちいちそんなことに驚いてはいられない。

案の定、乗り換えで使ったインドネシア空港でもそんな感じで、娘が怖がるので行けない。「あのトイレは怖いからいやだ」と言う。嫌いと言うのならまだしも、幼稚園の子に怖いと言われてしまっては諦めるしかない。そうやって思っていたら、DFSの裏手に西洋式トイレがあったので助かった。

うちの姑さんときたら、近頃ではウォシュレットでないとあかんという理由でハワイすらダメ。この前、グアムでは完璧に日本人スタイルだったので、あれなら大丈夫だろうとは思ったけど、日系ホテル以外はどうなっているのかまでは知らない。

裏の奥さんがまだ元気だった頃、ご主人の仕事で中国へ行ってきたというので、その辺の事情を訊く。やっぱ、ホテルを出たらトイレはないと思え、くらいの覚悟がなければ中国には行けないと言われた。そのくせ、東南アジアのホームステイというのもあり、そうなるとトイレットペーパーを1ダースくらい持参するらしい。

「えっ、そんなに?」と思ってはいけない。大抵は原因不明の下痢に1週間くらい苦しむことを覚悟しなければならないかららしい。あまりにもおおげさではないかと思ったけど、全員がそういう状態になるというのだから諦めるしかない。日本から持参した薬は効かないそう。その代わり、どういうわけか現地で薬を貰うと治るという・・・

・・・・・・・・そういう悲惨な覚悟をして行ったせいか、バリ島があまりにも素晴らしいところですっかり好きになってしまった。

投稿者 Blue Wind : 03:12 PM | コメント (0) | トラックバック

先が思いやられる話

アメリカ人って、実は頭が悪いんじゃないかと思うことがあり、そういう頭の悪さは知能指数などでは測ることができないかもしれない。アメリカ的おバカ尺度を考案する必要性がある?

この記事は何だ?
⇒ 『救援活動に官僚主義の壁 ハリケーン直後の被災地』(CNN.co.jp)

パタパタ目の前で被災者が死んでいくというのに、治療が許可されず、床のモップをやらされていた医師。給水車と支援物資を7日分積んで救出に駆けつけたら管轄が違うから中へ入れず呼び戻された警官。全米から救援活動に駆けつけた消防士に研修。内容は「コミュニティとの付き合い方やセクハラについて」だそう。つまらない研修を受けながら、被災地の人たちが苦しむ様子をテレビで眺めていた消防士の気持ちを考えると、鬱になりそう。

おまけに、どちらが現場の指揮を取るかで喧嘩してたって?
・・・・・・・・全部まとめてクビにしろ!!

*******

要するに、教育が悪い。教育が悪いというより、何と言うか、親が手塩にかけて育ったわけではない愚かさがある。

この辺り、つくばでは、うっかり家を建てるとホームステイを頼まれてしまうことがある。大抵は、技術研修で来ているおじさんを一日だけとか、その家族とかね。わたしはダンナに露骨にいやな顔をされてしまったのでお断りした。なんか、ルーマニアや南米のおじさんたちが家の中にいるというのはなんかむさくるしいような。

が、しかし、みんながど〜っしてもいやがるのが、アメリカの高校生とか。研修で来日しているおじさんたちは大抵の食事をおいしそうに食べてくれますからね、案外、楽なのだそう。ところが、アメリカの子どもたちは普段何を食べているのかと思うくらいレパートリーが狭い。あれもいや、これもいや、と言われて、とうとう夕飯はみんなでマックへ行ったそう。

マクドナルドしか受け付けないというのは何と言うか・・・

この手の不愉快さはハワイでもある。子どもから少しでも離れると怖い形相で叱られる。日本だったら考えられないようなシチュエーションでもそんな風。あまりにもおおげさな気がするのだけど、法律で罰せられてしまうとなれば従わざるを得ない。心の中では、そっちのほうがおバカなのよ、と毒づきながらも。

グアム空港の目玉おやじ(指紋押捺用の機械)はさすがに使われていなかったけど、あんなんで本当にテロが撲滅できるのか、いささか他人事のように不安になってしまった。

機転が利かないというか、気働きがしないというか、愚直な大型獣のような鈍さがある。

こんなんで、本当にニューオーリンズは復興できるのだろうか?
亡くなった人たちのご冥福をお祈りいたします。

考えるのやめよう・・・

投稿者 Blue Wind : 02:59 AM | コメント (0) | トラックバック

September 18, 2005

寺子屋と鉛筆削り

中秋の名月。
耳をつんざくほどの虫の音。
日本の秋・・・

寺子屋、か。

塾と言うとおおげさだけど、寺子屋と言うと日本の文化という気がする。もしかすると、日本の教育の基盤は寺子屋にあるのかもしれないと。

小学校へまだ入学したばかりの頃、かなり偏屈だったわたしはどうも学校という世界に馴染めず、その理由がとてもつまらないことだったような気がする。自分ではよく覚えていないけど、ヘンなところが神経質で、鉛筆は長いものから順番に並んでいないといやだったし、教科書も自分で決めた順番でランドセルに入れないといやだったし、書写の時間でも自分が気に入るように字が書けないと次へ進まない。

このため、当然、学校の成績は悪い。

そこで、最初の頃は母が教えていたのだと思うけど、親子では喧嘩になると言うので、近所の塾へ行かされた。塾と言っても、おじいさんが1人でコツコツ教えているだけ。もともと学校の先生をしていたそう。生徒もわたしが行く時間には2人しかいない。

ガラガラ〜っとドアを開けて、「こんにちは」とお邪魔する。和室に座って待っていると、ナイフで削った鉛筆が置かれており、その鉛筆で書かれたらしいわら半紙の問題用紙が配られる。さらさらと鉛筆で書かれた問題を解くだけ。できると丸を付けてくれる。そして、終わると先生がわたしたちが使った鉛筆を手際よく削る。

わたしは問題を解くことより、その鉛筆の書き味にすっかりはまってしまった。

わたしの頃は電動鉛筆削りの出始めで、面白がって削っているとすぐに鉛筆が無くなってしまう。そのくせ、削っているうちにすぐに芯の先が折れて削れなくなり、それを取るために手が真っ黒になる。手動式のほうがまだマシ。

気のせいかもしれないけど、鉛筆削りで削った鉛筆はすぐに芯が折れる。というわけで、勉強をしているのか鉛筆を削っているのかわからない。

ところが、その塾の鉛筆は折れない。手で削っているせいか、先は決してとんがっていないのだけど、芯の部分が細くならず折れにくい。

つまらないことなんだけど、わたしはそれだけですっかり問題を解くのが面白くなってしまったようだ。それで、当時流行っていたボンドナイフでわたしも鉛筆を自分で削るようになった。勉強が終わると鉛筆を削る。鉛筆を削りたいという単純な理由だけで、わたしは勉強が好きになってしまったらしい。

投稿者 Blue Wind : 11:33 PM | コメント (0) | トラックバック

秋の運動会

秋晴れの運動会。
親子の二人三脚にわたしに走ってほしいというので、娘と走る。毎年親子競技はダンナの仕事なんだけど、父さんでは歩幅が合わないから走りにくいと言われては仕方がない。案外速かった。即席に合わせただけなのに、いつの間にか息もピッタリ。つまり、歩幅が同じくらいなんだろう。

運動会の片づけを手伝いながら、今年で最後なんだなぁ・・と不思議な気分。よく見ると、見慣れた顔ぶれでも、気がつけば道ですれ違ってもわからないほど成長している。来年の今頃は、誰もがすっかり中学生らしくなっているのだろう。

知り合いに私立中学の様子を訊いてみる。でも、まあ、あっさり、「子どもの入りたいところへ行かせるのが一番」というお返事。

そのように周囲を見回してみると、ちまちまひそひそその手の話題。実にタイムリーに昨日塾の先生から電話があり、推薦を2本ゲットしてしまったので、わが家は余裕がある。推薦を2本使ってもよいのだろうか? そのため先生に確認すると、塾推薦というのがあるそう。

うちの近所の私立は、半数くらいが推薦で決まることが多い。学校推薦ももちろんあるけど、どうも学校によってかなりレベルに差があり、推薦のもらいやすい学校ともらいにくい学校がある。このため学校推薦を鵜呑みにする学校はないというのに、塾推薦なら通りやすいという・・・一体何なんだ・・・

それにより、受かってしまったらそこへ行くしかないけれども、一般入試の前に入学が決まっているほうが楽しいお正月には違いない。それよりも推薦落ちても翌週また推薦枠で別の学校を受ける。塾は商売なので、今までの学力や成績などで進路指導があり、私立中学の先生が塾に来た際に資料を見ながら、ほぼ内定してしまうそう。あーなんなんだ。そして、万が一、推薦で落ちたら、一般入試。娘に試験問題をやらせたら、一般入試のほうが簡単。しかも、今年は試験日がバッティングする可能性があり、あくまでも自分の学校を第一志望にする生徒を優先的に入学させる、という当たり前の図式が成立。学校の数が少ないし、どこもどんぐりのせいくらべみたいな感じだから、スクールカラーで決めるしかないのかもしれない。

で、子どもに選ばせろ、と言うのかと。

そうやって言われると、学費がどうたらこうたらとか、親の好みとか、この期に及んでまだ子どもの受験を迷っている親が多いことに気づく。こういうのは多数決みたいなもので、小学校の時の友達がまとめて公立へ行くならそのまま便乗しようとか、私立が多ければ不安だから私立を受けさせようとか、極めて曖昧。どうして不安かといえば、3つの小学校が一緒になるかららしい・・・中学校で。どうしても小学校によって学力やその他諸々違うから、なんだろうな。

それを尻目に、夕方買い物から戻る道すがら、母子でバドミントンをしている家があった。お兄ちゃん、やっぱ、今年東大。近頃見かけないと思ったら、いつの間にか県立高校を卒業していたらしい。年が離れていると、あまり顔を合わさないし、この前別件で電話がかかってきたときについでに訊くべきだったかも。いや・・・受験生のいるところとはあまり話さないに限る。長く近所付き合いをして行こうと思ったら、そのほうがいい。

他人の子はあっという間に育っているが、わが子は遅い。

投稿者 Blue Wind : 01:10 AM | コメント (0) | トラックバック

September 15, 2005

子どもの病気

それにしても子どもの病気はいやだ。娘のクラスの子が夏休みから入院しているそう。病名は知らない。でも、入院期間3ヶ月とダンナに言ったら、いやなことを言っていた。娘に訊いたら、とてもめずらしい病気と担任の先生が言っていたらしい。早く元気になって退院してほしい。

娘が入院していたのはちょうどしし座流星群の夜で、派手な流れ星がたくさん見えた。家にいたら真夜中でも起こしていたと思うけど、残念ながら入院中で娘は見られなかった。その時思ったのが、次にしし座流星群が見られるのは70年後。娘には77歳で見られるチャンスがあるということ。もっと正直に語れば、悪性を疑っていたので、神さまにお願いしたのは70年後に娘が元気でしし座流星群を見ることができますように、ということだった。

それにしても、今にして思えば、姑さんが生まれる前にいやなことばかり言うので腹が立った。子どもは事故が多いとか、死ぬよ、とか。ましてや他人に預けるなんてとんでもないというか・・・

当時・・・というか、今でももしかすると多いのかもしれないけど、赤ちゃんの突然死というのが多くて、うちのダンナが昔バイトに行っていた病院でも保育所が院内にあり、1人看護婦さんの赤ちゃんが亡くなったそう。診察したら、誰が悪いというわけではなく、突然死だった。

ハワイからの帰りの飛行機、成田への到着の際に機長の明るい声のアナウンス。夏休みのジャンボの中には赤ちゃんを含めて小さな子どもが21人も乗っているそう。そういう時にはいつにも増して緊張するらしい。乗っているほうは子どもに振り回されてへとへとの帰路なんだけど、無事に到着してみて、そうやって言われると大変だなぁ・・と感じる。

娘が77歳まで無事に生きてくれたらよしとしませう。その頃、わたしは死んでるだろうけど。

投稿者 Blue Wind : 01:00 AM | コメント (0) | トラックバック

September 14, 2005

たまには恋愛小説

まだ読んでないんだけどね・・・本多孝好さんの『Fine days』を買ってきた。 どうして北野大さんの対談集と同時にこういう本が買えるのか自分でも不思議なんだけど、本当なんだから仕方がない。

書評は読み終わったら書く。

ただ、何となく、ベストセラーの積まれた中で一番はじっこにあり、しかも残り2冊しかなく、残り1冊だったら買わなかったかもしれないけれど、残り2冊だったから一番下の本を手に取る。カバーがトレッシングペーパーみたいで綺麗だったのと、ただ何となくタイトルと表紙に惹かれて買ってしまった。

恋愛小説。

投稿者 Blue Wind : 02:50 AM | コメント (0) | トラックバック

September 12, 2005

時代のベクトル

わたしは静岡のことはよくわからないけれども、国の重要な産業を担っている土地柄だということを片山さつきさんのインタビューから知る。

そうやって言われれば、バイクやピアノなど? 娘が理科の時間にうなぎがどこにいるかと訊かれ浜名湖と答えて笑われたそう。実は、うなぎは回遊魚?で、世界中の海を泳いでいる。たしか、子どもの頃の課題図書の中にそういうストーリーの小説があった気がするけど、もう忘れてしまった。そのうちマグロはインド洋にだけ泳いでいると勘違いするかもしれない?

「えっ、井戸水って飲めるの?」と娘に言われてしまった。いや・・・母の実家には井戸があり、東京大空襲の時、せっせとポンプ式の井戸から水を汲み火を消していたのは母が娘の年頃のこと。おそらくは今も井戸はあるだろうけど、どうせ使っていない。ダンナの神戸の実家にも井戸があった。六甲の水。あちらの井戸は震災で焼けるまで使っていた。

姑さんが結婚したばかりの頃は高速道路がなかったので、神戸の浜によく泳ぎに行っていたそう。砂浜があったのかと思ったら不思議な気がする。

おもしろい記事を発見してしまった。ハルさんの『りんかい線の芸術家』。電車の中で見事にお化粧をする女性の話。

実は、「りんかい線」という言葉を見たのは初めて。隣の県なのに、わたしは知らなかった。それにも増して、電車の中で見事にお化粧してしまう人や、エスカレーターに乗りながら、あるいは停車時間の1分の間に食事を済ませる人の話にはひたすら感嘆してしまう。

実際に見たら、ぎょえっとしてしまうのかもしれない。でも、家の中にいても化粧自体に慣れていないせいか、毎日やっている人たちの手際の良さは想像がつかない。母は外出する時には必ず化粧をする人だったのでかなり速かった記憶はあるけれど、わたしは学生が長かったせいか、せいぜいルージュと頬紅しか昔から使わない。近頃、ババアになったのでこれではいけないとは思うんだけど、だるだるのまま生きてしまっている。

つくばに来て、何がおもしろいかと言うと、公務員には公務員の価値観と生活があり、農家には農家の価値観と生活がある。いつもドンパチしている。それでいて、ぼぉ〜っと眺めていると、いろいろ参考になることが多い。

どうやって金を使わず子どもを東大に入れるか?
あっさり語れば、単なる価値観なのだと思う。勉強ができるのは当たり前なので、実際には遊んでばかりいる。それよりサッカーだのピアノだのバレエだの勉強以外のことにやたらと熱心。できて当たり前だから、ベーシックみたいなものなのかも、勉強とは。

農家はいつも大家族。コミュニティや地域のつながりが深い。このためいざという時にボランティアで頼りになるのは農家の人たち。子どもを大事にするということは年寄りを大事にするということなのかもしれないし、それでいて今は同居していないところも多いし、姑さんを呼ぶなら、土地を300坪くらい買ってこうやってああやってと教えてくれる。が、しかし、わが家は農家ではないので・・・土地の値段が違う。なんか、のんきで羨ましい。(農家が農地を買うとタダみたい・・・トケイソウがタダではないと伝えるのも大変・・・)

個人の価値観の違いだと思っていたことがこのように集団化して存在し、それが生活という形で現れているのを観察するだけではなく共に生活しているうちに、無意識のうちにいろいろ影響を受けているような気がする。

それでいて、田舎の因習的で閉鎖的な空間を知ると、それが嫌で都会へ行くのだろうか、とも思ったり・・・

たまに思うんだけど、そういうのが嫌で都会へ行った人たち、あるいはその子孫に何を語っても無意味だと。一生懸命に都会でネットワークやコミュニティを訴える難しさがここにある。それに比べると、田舎は最初からそういう価値観が存在するため、わたしのようなわがままな人間でものほのほ暮らしている。

投稿者 Blue Wind : 04:47 PM | コメント (0) | トラックバック

September 11, 2005

選挙〜♪

お昼頃、娘を連れて選挙へ行って来た。わたし、茨城に来て以来、混んでいるからという理由で受付で待ちがかけられたのはこれが初めて・・・

まあ、大して混んでいるわけではないけど、お昼だというのに名簿の受付チェック欄のハンコの並び具合を見たら、すでに半数以上に押されていたので驚いた。よく見たら、うちのダンナはすでに投票を終わらせている。出勤の前に投票を済ませたのだろう。母の欄は空欄。そりゃそうだよね・・・ほとんど意識のないまま病院で生きているわけだから。

周囲を見渡すと、高齢者や車椅子の人のための投票机があり、90歳くらいで家族に付き添われてやってきている人もいた。棄権しないというのは立派だ・・・

それにしてもわかりにくい選挙制度。最初に3枚渡され、その次に知事選と県議の補欠選挙のための投票用紙が渡される。

今回は選挙カーもほとんど走っていなかったし、そのくせクルマに乗るとカーラジオから政見放送が流れる。テレビCMも多いし、どちらがマシかと問われれば、もちろんあのうるさいスピーカーが走らないほうがマシ。

それにしてもわかりにくい。小選挙区と比例代表と、両方にダブって同じ候補者名が並んでいるし、どちらかにしたらいいのにと思うんだけど。
そこでどうやって当選者が決まるのかネットで検索した。

『小選挙区比例代表並立制に反対する』

ますますわかりにくい。
要するに、小選挙区で立候補した人が勝てば比例代表の名簿から抜け、順位が変わるらしい。要するに300議席が小選挙区で確保され、比例代表で180議席が決まる。ただそれだけのことなんだけど、なんかすっきりしないなぁ・・・新人や無所属が明らかに不利なのがわかる。まあ、個人的に知名度があり、それなりに得票できる人が無所属で立候補し、それで落選してしまった議員の敗者復活的にこの制度が活用されているだけのような気がするんだけど、それもやはり世相なのでしょうか。

広島6区を例に挙げると、いきなり無所属でホリエモンが登場し、そうなるとそれにより落選する議員がいるとする。そういう議員の救済のために党の名簿がある。が、しかし、党の公認を受けられないとなると敗者復活法が使えない。そのため自分で新党を結成し、小選挙区で負けてもそちらで議席を獲得しようという・・・

よくもまあこんな選挙法を決議したものだわ!

ちなみにこのやり方は1回で取りやめになった国が多いというのに、日本ではずっと続いて行くのだろうか・・・

選挙の後、娘と一緒にお茶しながら、選挙公報をおちびに読ませた。一応、受験生の母なので、憲法や議会のことは試験によく出るし・・・が、しかし・・・小選挙区比例代表並立制ってどういう仕組みなの〜? よく考えたら母もよく知らないことに気づいてしまった。ドント方式がどうたらこうたらと説明されても数字に弱い母であった。が、しかし・・・そういう数字に惑わされてはいけない何かを察知したことだけでも喜ぼう。

それにしても試験だと、「小選挙区で300議席、比例代表で180議席、同じ人が両方の候補者になってもよい」と覚えればいいんだよね〜♪ 簡単だわ〜♪♪ (う〜む・・・)

投稿者 Blue Wind : 06:26 PM | コメント (0) | トラックバック

なるようにしかならない・・

平成15年度の日本の私立学校へ通う子どもの割合は、幼稚園79.1%、小学校0.9%、中学校6.2%、高校29.3%、短大91%、大学73.5%(平成15年度学校基本調査報告書より)。

この数字を眺めると、少なくても小・中・高だと、「どうして私立へ行かせるの?」と問われる意味が何となくわかる。世の中全体では少数派なので。

娘のクラスでは約2割の子たちが受験するそう。全国平均からするとやや高め。今まで茨城県内で私立中学へ進学するというのは、単に進学校へ入れるという意味しかないことを今頃になりようやく知る。

娘のやる気に反比例して、私立へ入っても途中でやめてもいいんだな・・ということを学ぶにつれ、複雑な心境。

大学の付属校や女子校になると、入るとだるだるで勉強しなくなる子が多い。やる気がある子はせっせと受験勉強するけど、学校の勉強だけやってそのまま推薦で進学しようと思えば、試験の前に一夜漬けをするだけで、その後まったく忘れてしまっていても何も困らない。だって、日本の大学は卒業に対して苦労するわけではないし、大抵は単位を取って必要な資格があればそれを取り、そのまま何がしかの仕事に就く。

そういうものなんだよね・・・実家が保育園や幼稚園を経営しているという子は、そちらの免許が取れる大学ならどこでもいいらしく、親が付属で通わせるのもその程度の意味しかない。製薬会社の人は実家が薬屋をしているからという理由で薬学部へ入ったという人たちが多いし、なんてわかりやすいのだろう。

わたしの場合は、さっさと結婚しろとばかりに育てられたのは親が年寄りだったからだし、どこでもいいから蝶よ花よと女子大でも卒業して・・というくらいの発想しかなかった。「どこでもいいから大学という名前のついてるところへ行け」としか言われたことがない。単なる嫁入り道具の一つだろうか・・・

「お母さん、なんで4年生から塾へ入れてくれなかったの?」と娘が言う。
なんでと言われても、うちのダンナが娘にはがつがつ勉強させたくないと言うから・・・
姑さんが、あんまり早くからやらせても途中で嫌になるからと言うから・・・

まあ、あの親子は勉強や塾のことでは非常に苦労しているため、それをさすがにおちびにやらせたくないというのも理解できる。それでいて、下の義姉が、「なんで女子校なんかに入れたの?」と間際の大学受験で苦労させられ、今でも医者にならなかったのを後悔しているところがあり、なんせわたしよりさらに年上なのであの時代で娘を浪人させてまで医者にしようという親なんて考えられないし・・・

一つ気がついたのは、公立へ行く子のほうが蝶よ花よが多いということ。

土地柄というか、時代というか、親がひたすら勉強させようとしている男の子などが無理やり私立へ行かされて、途中で公立へ変わるというケースが多いと聞く。女の子は・・・逆に男の子に交じって受験して行こうというタイプが私立へ行く。

あちこちで話を聞いているうちに、どうも話が噛み合わないので、茨城県の高校受験ガイドを本屋で立ち読みした。ポイントは、どこの県立高校のすべりどめになっているかという点かもしれない。それで高校名とコースを聞くだけでどこの高校を落ちてそこの私立へ行ったのかがわかる。パターンが決まっているらしい。

それなら・・・、ということで、私学のメリットを活かして大学受験へ向けての中高一貫制に移行していこうというのがこのところの私立の狙いだとようやく気づく。

純粋な興味もあるんでしょうけど、「なんですべりどめの学校に最初から入れるんだろう?」というのは案外ナチュラルな発想なのかもしれない。何か特別なメリットがあるのだろうか、とか。

なんで、こういう風になるのだろう・・・
次第にだるだるになり、中学で私立に受かっても落ちてもやめても要するに子どもにどうやって勉強させるか、ということが親の狙いだということに気づく。

あっさり語れば親が何もしなくても勉強する子は勝手にするし、しない子を無理にとなると子どもに足下を見られてしまう。競争に放り込む方が簡単。途中で嫌になってもかまわない。女の子だから・・・
というのでは甘いのだろうか。

まあ、本人が行きたいところへ行けば・・・
夢は儚い。

投稿者 Blue Wind : 03:00 AM | コメント (0) | トラックバック

September 10, 2005

シンプルなバランス

人生はシンプルなほうが楽しい気がする。何のために働くのかと言えば、生活のため。何のために勉強するのかと言えば、天井を高くするため。何のために民間病院で働くのかと言えば、生活のため。このため、大抵の国立系の医者は、半年を民間病院で働き、半年を大学で過ごす。中には、2,3年開業したと思ったら、店を畳んでアメリカへ留学。なんてわかりやすい世界だろう。

営業のことだけ考えるのなら、昔の開業医は店を休むわけにはいかない、というのが常識。開業医でなくても、旅先でも呼び戻されることも当たり前だった。ところが、今はそういう時代ではない。「私は風邪の患者は診ません」という医者も案外多い。

高齢化社会の現実というのは、単なる風邪でも家族が家では看れないから入院させてくださいと年寄りを連れてくる。体力がないから肺炎にでもなったら命取りだし、寝たきりの人を毎日通院させるのはあまりにも家族の負担が大きい。だから、入院させてくれ、という。民間だったらベッドに空きがあればとりあえず入院させてくれるだろうけど、このため国立の大学病院では紹介状がなくては診察もしてくれない。

官と民の違いってそんな風。うちのダンナは感性が民だから、案外、患者さんから好かれる。面倒見のよい医者のほうがいいでしょ? それでいていつも最先端を求められる土地柄でもあり、両方に良い顔をするのは非常に負担が重い。医者にも好みがあって、天井高く研究をやりたいタイプもいれば、民に徹して金儲けしたいタイプもいる。バランスか、あるいは時系列的変化により、補い合うしかない。

根底に生活があり、子どもの世話や地域のことやら目配り気配りがないとね・・・昔の人たちはそういうことは奥さんに任せきりみたいな人も多かったけど、今はそういう時代ではない。

投稿者 Blue Wind : 04:48 PM | コメント (0) | トラックバック

September 08, 2005

ため息の先の未来

厳しい冬を越えて春を迎える。そういう季節に入学式があるというのも日本の文化なのかもしれないなぁ、と。正直、うちは大したことはないのですが、いわゆる難関校を狙っている子はこれからひたすら落ちないために勉強を続けなければならない。そういう厳しさが終わり、やがて春が来る。

2年後には大学全入の時代を迎え、東大卒の2割がニート(ほんと?)と言われているし、それでいてなんで漢字もろくすぽ読めないヤツがこの就職難に採用されるんだよーと思いつつ、ゆとり教育の効果が出てきているせいか、「えっ」と思うことの多い昨今。なんかね・・・もしかすると、うちの娘が働く頃になると、「えっ」と思うような人たちが上司になっているわけ?おそろしい・・・それを考えると、そうやって言われないように育てなければと一層厳しく思うのでした。

子育てって未来予測みたいなところがある。

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近頃、外貨預金の電話の勧誘が多いのですが・・・こんなに円が下がっているのに。キャッチセールスって一種のバロメーターだからいいんだけどね。あっ、今、外貨預金がダメになってきたんだなってすぐわかるし・・・田舎にまで電話がかかってくるってことはそういうことなんです。

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北朝鮮の女の子たち、清々しいですよね。ああいうの、いいわ、何となく。茶髪とつけまつげには飽きてしまった。

投稿者 Blue Wind : 01:15 PM | コメント (0) | トラックバック

幻の主婦的無党派層

先日の続き。
台風と娘からの電話を待っていると、Y新聞社の方からまたお電話が。今度は別の人です。不思議だ・・・ランダムな調査のはずがなんで特定して電話がかかってくるのか不思議だ・・・ブログのネタにしているのがバレてしまったのだろうか。でも、社名で検索しても出てこないです。だって、書いてないもの。不思議だ。

まあ、それはともかく、今度はストレートに「ご主人に協力をお願いしたいのですが」と言う。職場にいる時間にお電話をいただいても家にいるはずもない。それならいつ頃戻るかと尋ねられても、そうなるとどこがランダムな調査なのかわからない。

あまりにも不気味なので、「一票は一票ですよね。どうして主婦ではいけないのですか?」と問う。「昼間電話をすると電話に出るのが主婦なので、偏りが出てしまうから」というのがその理由。

が、しかし・・・・組織なのよね。組織。細胞の話ではない。組織。うちのダンナは完璧に組織票なので、質問するだけ愚かだと思う。あんなにシンプルな人はいないと思っていたら、保守派とか農家というのは元来がそういうものらしい。だから、農家は民主党と誰かが言えば、じいちゃんもばあちゃんも父さんも母さんも誰に訊いても民主党。子どもは知らないが。医師会は自民党って決まっているらしい。

うちは選挙は基本的に別々に行くことにしているんだけど、わたしの知る限り、夫婦で大きく政治や宗教に隔たりがあるようなところってめったにないね。うちのダンナに訊いてもそう。

政治って遊びではないので、一応は郵便局の関係者だったら民営化には反対なのかもしれないし、関係者というのはその家族まで含むような気がするんだけど、どうなんでしょう。ましてや昼間家にいる主婦の財源を考えると・・・ワイドショーと家計とどっちが大事かよく考えてほしい。

主婦というと無党派層の代名詞と勘違いしているのかと訊きたかったけど、やめた。

それでも言いたいことがあれば、自分のブログに書く。アクションを起こす。それ、今の時代の常識。
・・・・・・・・いきなり電話というほうが時代遅れだ。

投稿者 Blue Wind : 12:03 AM | コメント (0) | トラックバック

September 07, 2005

母親なんてつまらない

うちの近所の奥さんたち、子どもが中学に行くようになったとたんにクルマを外車に買い換えた。働いているからとかいないとかではなく、私立へ行った行かないではなく、急に。それでご主人たちのほうはそのまま。(1人1台の土地柄なんで)

わたしね、去年の今頃、そういう現象を見て、不思議だなぁ・・とか、子どもにお金がかかるようになったのによくお金があるなぁ・・とか思っていたわけ。

でも、今年・・・
回覧板を持って近所の高齢者宅へ行った時、奥さんに、「そのクルマ、素敵ねぇ〜」と言われてハッとしてしまった。いや、正直に告白すると、その時回覧板を置いた後についでにショールームに行って新車のカタログを貰おうと思っていたから驚いた。顔に書いてあったのだろうか・・・そうやって。

今、わたしが乗っているのはスズキのケイで、おちびが幼稚園の頃に買ったクルマ。当時は幼稚園の送迎をするだけだったし、ショールームに飾ってあるのを見て、おちびが「ケイちゃん、ケイちゃん」とやたらとうるさいので青ケイを買った。でもさ・・・今年、車検だし、もう7年も乗っていることになる。子どももすでに中学生になるし、背丈もわたしとほとんど変わらなくなってきているし、いい加減に買い換えたい。飽きた。でも、まだ36000キロくらいしか乗っていない。せいぜい、塾や学校の送迎や買い物くらいにしか使わないから・・・

やっぱ、顔に書いてあったんだろうな・・・

このところ娘にばかりお金がかかるようになり、母としては非常につまらない。いきなりクルマのことを言われ、しかも、「そのクルマ、似合ってるわよ〜、素敵。あと2年乗りなさい」とにっこり笑ってたしなめられてしまった。(これが姑さんや母に言われたのだったらぷんぷん怒っていただろう・・・他人はありがたい)

冷静になって考えてみれば、これから娘にお金がかかるという時に無駄金を使っている場合ではない。あー、でも悔しい。

お絵かき教室へ行って、娘の中学の相談をしようとしたら、先生がヘンなことを言う。娘の志望校が勝手に変更されている。ヘンだ・・・わたしは何も知らない。

そこで娘に訊く、「なんで急に志望校を変えたの?」と。
「だって、お母さん、あそこの中学の先生、銀行員みたいって言っていたじゃない」と、ちび。

ぐわっ、もうダメ、そんなことをなんでお絵かき教室の先生にまで言うんだよーーーー!!(泣)
いや・・・たしかに言いましたけどね、パリッとかっこよくスーツを着て、とか。(言ってないだろ!)

てきとーに話をごまかし、家に帰ってからもう一度娘に訊く。
すると、「○○中学のほうが学費が安いから」だって・・・(滝汗)

本音の本音はどうなんだろう?>わたし

たしかに子どもにお金をかけるのは楽しい。年中、海外研修やらスキー合宿があり、校内も最新設備、送迎バス付き。どうせ行くなら楽しいほうがいいに決まっている。でもタダじゃないからね・・・そうなると学費も普通の私立中学の2倍くらいかかる計算になる、卒業までを考えると。

うちの近所、基本的に公務員が多い土地柄でして、そうなると出来が良いとそのまま親が何もしなくても自転車で県立高校へ通っていたり・・・公務員でなくても、ほとんど塾にも行かず私立中学に合格したり・・・

逆に、小3くらいから毎日塾に通っていたような子がそういう学費の高い中学へ行く傾向が高い。

あっちふらふらこっちふらふら悩む。

なんかね・・・ダンナのほうがさっぱりしているから嫌だ。○○中学へ行けば、「公立+塾」の組み合わせよりも子どもの負担も軽いし、経済的にも軽やか。それだけ。ほんで、相変わらず東大へ行けとか獣医になれと言っている。あーやだやだ。

なんで、獣医学部はよくて、医学部や歯学部はダメなんだろう?
・・・・学費が高いからだろうな。

女の子だし、卒業までに結婚が決まっていたりすることが多い。
・・・・だったら美大でも女子大でもいいじゃない?

わたしは娘を育てているのであって息子を育てているわけではない。が、しかし・・・変わらんわ、なんか。学費の高いところへ進学するためには娘がどうしても行きたいという強い意思表示が必要らしい。「お父さん、お願い」とかね。あーやだやだ、考えていることがわかりやすくて。東大、獣医がスタンダードで、それ以外はお願いしないとダメらしい。

落ちたらクルマを買い換えよう。
ふん!

(コヘレトの言葉 2. 15-26)

投稿者 Blue Wind : 01:58 AM | コメント (0) | トラックバック

September 06, 2005

同い年ですけど、なにか?

Y新聞社から電話。選挙に関するランダムな世論調査。
料理の下ごしらえをしながら話す。

「・・・・ご協力ありがとうございます。ところで有権者の方は何人いらっしゃいますでしょうか?」
「2人ですが・・・」
「失礼ですが、そのうち年長の方にアンケートをお願いしたいのですが」
「・・・・・・・・・同い年なんですけど」
「・・・・・失礼ですが、どちらが先に生まれになっておりますでしょうか。決まりですので、先に生まれた方にお願いしたいのですが・・・」
「は? 同い年なんですけど、わたくしではダメなんでしょうか?」
「いえ・・・決まりなんです。ランダムな調査のために」

バッカみたい。
ランダムな調査なら、電話に出た人が有権者ならその人に回答してもらうほうがはるかにランダムな抽出に近くなる。そのために夜間に電話しているのかもしれないけど、大抵電話に出るのは子どもが多いからかもしれないけど、それにしても同い年だと言ってるだろうに・・・うちは。

「おとうさ〜ん」と声を掛けたら、酔っ払いはトイレだった。
だ〜めだこりゃ。
と思っていたら、「どうも失礼しました」という声が聴こえ、慌てて電話が切られた。

正確に言えば、寝たきりの母にも選挙権があるので、彼女が最年長・・・でも家にはいない。

それにしても、なんでわたしじゃダメなわけ? 学生だって20歳以上なら1票は1票のはずなんだけど、なんかヘンだ。テレビ局とか新聞社とか新手の詐欺じゃないかと疑ったりして・・・にしても、あまりにもささやかに気分が悪くなったので、Y新聞社の新聞はとらないことにした。(もともと紙新聞とってないけど・・小学生新聞以外には・・)

投稿者 Blue Wind : 11:32 PM | コメント (0) | トラックバック

娘の日常

今日、娘を迎えに学校へ行ったついでに、友達も一緒に乗せて帰ってきた。するとその子がおちびに、「どこの中学へ行くの〜?」と質問している。背中で聴きながら、黙っているわが子をフォロー。「それがわかったら誰も苦労しないよ〜」とわたしが笑ってごまかす。

友達同士でも、そういうことはあまり話さないということを知る。先生に訊いてもほかの子のことは「企業秘密」らしい。どこの中学を受験するとかしないとかなんて大した話題でもないような気がするんだけど、そういうことに対してオープンな人とそうでない人がいる・・・親でも。

だいたい、中学は落ちても行く学校が無くなるわけでもないし、落ちたらそのまま小学校の友達と同じ中学へ行くだけのこと。娘にもおおげさに考えるな、と言っている。それにまだどこの中学を受験するかも決めたわけではない。要するに、今後の成績如何なのかもしれないし、それでいて地元へ行かせようと思ったらさほど選択肢があるわけでもない。

「○○中学へ行ってたけど勉強についていけないからxx中学に転校した人もいるよ」と娘の友達が言う。一瞬、「えっ」と思ったけど動揺を隠す。正直、そこの中学でさえも勉強についていけない子がいるのかと思ったらすごくショックで。

いや・・・・私立はカリキュラムがハードなので、途中で辞める子も多い、という話は案外よく聞く。でも、入学する前から、というより試験も受けていないのに今からそんなことを心配していても始まらないような気がするんだけど、どうなんだろう。

それに、はっきり言って、これからなんですよ・・・本格的に勉強するのは。小学校や中学校程度で躓いていては・・・ ますます受験させようと思ってしまったのでした。

それにしても、学校ではそういう話題はタブーなのかもしれない。先生も絶対に言わないもの。落ちたことを内緒にするためなのか、それとも公立へ進学する子たちを刺激しないためなのか、いまいち理由はわからん。

バッカみたい。
世の中がおおげさでおおげさで・・・
幼稚園から始まって、ず〜っと落ちまくっている子もいるし、いまだに浪人しちゃってる子も多いし、周囲にそういう子がいすぎるのかも、うちは。まるで気にしない。

投稿者 Blue Wind : 01:42 AM | コメント (0) | トラックバック

September 04, 2005

やっぱ、田舎はのんき

田舎暮らしの難しさは、教育観の違いにあるような気がすることがある。娘の友達のお母さんで、わたしが親しくしている人は、都内の女子校出身で、最初から田舎の小学校に腹を立てている。

一番の理由は、教師や生徒にやる気がない、ということらしい。やる気がないというより、価値観の相違のような気がするんだけど・・・つまり、女子校にもいろいろあって、女子校でも東大への現役合格者数をほかの学校と競い合っているようなところで教育を受けると、大学への進学率だけでも100%に近いわけで、茨城県内の県立でも最初からバカにしている。

こうさ・・・・田舎の農家の多い地方の伝統として、大学なんかに進学しないわけ、ほとんどの人たちが。進学者のほとんどが教師、役人、医者になる。このため勉強する子はするし、しない子はしないし、学校で1番という子が県立へ進学し、そこから大学へ。そういう平和でのどかな世界で、東大の現役合格率上昇を目指せと言っても通じるはずもない。

なんか、のんきでさ。
地元の私立中学の先生、すこぶる機嫌がいい。

今までだったらどうしても県立志向が強いから、私立はすべりどめという感じでバカにされていたのが、少しずつ茨城県自体が変わりつつあり、結構、遠くのほうから子どもたちが通学しに来る。県内だけではなく、他県からも来る。志願者数はうなぎのぼり。

高校だけだと、中学で受験勉強してきた子たちが学校に慣れるまでに1年くらいかかり、2年、3年となるともう大学受験の体制になるから、教師としてはつまらないらしい。高校の1年間はひたすら生活指導に明け暮れるとか? う〜む・・・

それが、中学からだと、子どもが素直なまま入学するから一生懸命に生活指導する必要性がない上に、カリキュラムの自由度も高い。しかも、最初から進学希望者だけが集まる傾向が高く、あまりややこしいことを考える必要性がないからなのかも。

公立のゆとり教育に嫌気の差した人たちが、私立へ子どもを入れるということは、昔だったらそこの学校へは行かなかったであろうお子さんたちが自然と集まるわけで、なんかウハウハなんだろうな・・・そういうウキウキした気分が何となく理解できるほど、わたしも実は屈折した人間なのかも。

のんきだーーー!!
こんなんでいいのか?

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あー、教師いいな・・・なんか、いいな。今まであまりよくない印象しかなかったけど、なんかいいな教師って。

「卒業生のA君は医者、Bちゃんは弁護士、CはJリーガー、Dは研究チームに入って南極へ、Eはドイツのフィル・ハーモニー、Fはプロ野球選手、・・・・・」という具合に、親が子どもの自慢するみたいに次から次へ。うち、ひとりっこだから、なんか悔しい。

投稿者 Blue Wind : 02:17 PM | コメント (0) | トラックバック

昔ながらの学校

今日もまたオープンスクールへ。ずいぶんあっさりしていたのが印象的。正直な感想としては、私立の中学を見学に行ったというより、予備校の説明会に参加したような感じだった。わたし的には物足りないような気がしたけど、逆にシンプルだし、先生も、うまく説明できないけど生徒の中に融け込んでいて先生というよりサークルの顧問や先輩かと勘違いするほどフレンドリーだった。

そういう校風のせいか、見学に来ている人たちも常連が多いらしく、のんびりしている。顔見知りも多い。わたしは初めて学校の中に入ったのだけど、娘の塾の友達のお父さんがあれこれ校内を説明してくれた。でも、その友達の第一志望はほかの中学。その子のお兄さんが中学から入ったのに途中で校則が厳しいのにネをあげて公立へ。それでも中2までに中3までのカリキュラムを終わらせているから、公立へ転校しても勉強自体は楽らしい。

そうなんだよね・・・茨城は中学は私立、高校は県立、という子も結構いるそう。県知事でさえそんな風。田舎ってそういうものなのかもしれない。途中で公立へ移って、また県立を落ちたら戻って来るのだろうか・・・まるで、塾や予備校のように中学や高校を出入りするというのも今風なのかもしれない。親も先生も非常にそういう点に関しては淡白で驚いた。

まあ、それだけ生徒の数が多いということなのかもしれないし、それでいて先生と生徒の仲がよいのでそういうことも可能なような気もする。世の中にはいろんな子がいる。学校自体は予備校みたいなのに、先生の面倒見がよいせいか、昔ながらの先生という気がするから不思議。卒業生が気楽にやってきてはサークルの後輩の指導をしていたり、保護者参加のレクチャーがあったり、レトロで田舎風で固定ファンがいるというのも納得。

派手さはないけど、昔ながらの学校という感じで、安心感があった。

投稿者 Blue Wind : 12:32 AM | コメント (0) | トラックバック