November 01, 2005

本音の学校

先日、親子で学校説明会に参加した。わたしなどは先生の話を聞いているだけで窒息しそうになり、厳しい校則やひたすら勉強だけやらせるビシッとした校風に今からうんざりしている。娘がなんであんなところに入りたいのか理解に苦しんだ。いまどき授業の妨げとなるという理由でケイタイまで禁止している学校なんてあるのだろうか?

わたしたちが夫婦で4人の先生の話を聞いている間、娘は体験授業で英語と理科を受けていたらしい。授業が終わり、「もう3人友達できたよ」とうれしそうに語る娘を見ていると、学校なんだから授業が楽しくて、気の合う友達が多いほうがよいに決まっていると思う。少なくても授業のレベルでは今の小学校よりも上なんだろう。・・・・・・まるで予備校みたい。

娘がどうしてそこの学校へ行きたいかと言えば、嘘がないかららしい。塾へ行くより楽だとか、スクールバスで通学できるからとか、非常にわかりやすい。ほかの学校との比較によれば、今流行の海外での授業や国際化といった風潮にはほど遠い。アートに力を入れているわけでもなく、要するに学校とは勉強する場所であるという割りきりの下、勉強に集中できる雰囲気をつくることが大事とまで言い切っている。

で、やりたい子は自分でやる。

海外へ行きたいと思えば自分で行けばいいし、絵の勉強をやりたいのなら専門の場所でやればいい。そういう子がいないかと言えば決してそういうわけではなく、要するに学校とは勉強をする場所であり、勉強は学校でやり、それ以外のことをやりたいときには各人が自分の時間でやる、といったほうが確かに合理的なのかもしれない。

ゆとり教育なんて嘘だもの。実際には親がせっせとやらせている子は昔ながらに学校での成績も先生からの受けもよく、えこひいきとは違うのでしょうけど、先生の独裁体制は続いている。専門とはほど遠いところで何から何まで担任が受け持つ小学校ではなおさら逃げ場がない。そういう独裁体制が嫌な子は、塾へ通ったり習い事をしたり、個々のプライドをキープするだけで必死。そのため、勉強ができすぎる子はどういうわけか都内の塾まで通学していたり、保健室で授業を受けていたり、非常にややこしい。テストが100点ばかりでも授業態度が悪いということで成績も落とされる。

いたちごっこ。

昔からあるんだよね・・・点数だけの評価なら数字がはっきりするから納得もいく。ところが、その子の性格や性質、才能といったことになると極めて独裁や教師の価値観、社会の既成概念により規定されてしまいやすい。もともとが客観的な評価など無理だろう。

というわけで、なるべくならわかりやすい校風のほうが嘘がないから気楽なのだそう。それに、嫌なら中退して公立へ行けばいい。どうしても合う・合わないがあるから、我慢してまで通う必要性もない。公立へ行って、結局受験のために塾へ通うのなら、最初から学校が塾としての役割を果たしているほうが確かに公平かもしれない。

学校って何のために通うのかわからなくなるけど、あっさり勉強するところですと言われたほうがさっぱりするのも事実。うちのダンナに言わせると、勉強は学校でやり、それ以外の時間は遊んだり、絵の勉強をしたり、そっちのほうが当たり前らしい。そうやって言われるとそうなんだけど、そうなると今までの小学校生活って何だったのだろう?

投稿者 Blue Wind : November 1, 2005 01:27 AM | トラックバック
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