September 12, 2005

時代のベクトル

わたしは静岡のことはよくわからないけれども、国の重要な産業を担っている土地柄だということを片山さつきさんのインタビューから知る。

そうやって言われれば、バイクやピアノなど? 娘が理科の時間にうなぎがどこにいるかと訊かれ浜名湖と答えて笑われたそう。実は、うなぎは回遊魚?で、世界中の海を泳いでいる。たしか、子どもの頃の課題図書の中にそういうストーリーの小説があった気がするけど、もう忘れてしまった。そのうちマグロはインド洋にだけ泳いでいると勘違いするかもしれない?

「えっ、井戸水って飲めるの?」と娘に言われてしまった。いや・・・母の実家には井戸があり、東京大空襲の時、せっせとポンプ式の井戸から水を汲み火を消していたのは母が娘の年頃のこと。おそらくは今も井戸はあるだろうけど、どうせ使っていない。ダンナの神戸の実家にも井戸があった。六甲の水。あちらの井戸は震災で焼けるまで使っていた。

姑さんが結婚したばかりの頃は高速道路がなかったので、神戸の浜によく泳ぎに行っていたそう。砂浜があったのかと思ったら不思議な気がする。

おもしろい記事を発見してしまった。ハルさんの『りんかい線の芸術家』。電車の中で見事にお化粧をする女性の話。

実は、「りんかい線」という言葉を見たのは初めて。隣の県なのに、わたしは知らなかった。それにも増して、電車の中で見事にお化粧してしまう人や、エスカレーターに乗りながら、あるいは停車時間の1分の間に食事を済ませる人の話にはひたすら感嘆してしまう。

実際に見たら、ぎょえっとしてしまうのかもしれない。でも、家の中にいても化粧自体に慣れていないせいか、毎日やっている人たちの手際の良さは想像がつかない。母は外出する時には必ず化粧をする人だったのでかなり速かった記憶はあるけれど、わたしは学生が長かったせいか、せいぜいルージュと頬紅しか昔から使わない。近頃、ババアになったのでこれではいけないとは思うんだけど、だるだるのまま生きてしまっている。

つくばに来て、何がおもしろいかと言うと、公務員には公務員の価値観と生活があり、農家には農家の価値観と生活がある。いつもドンパチしている。それでいて、ぼぉ〜っと眺めていると、いろいろ参考になることが多い。

どうやって金を使わず子どもを東大に入れるか?
あっさり語れば、単なる価値観なのだと思う。勉強ができるのは当たり前なので、実際には遊んでばかりいる。それよりサッカーだのピアノだのバレエだの勉強以外のことにやたらと熱心。できて当たり前だから、ベーシックみたいなものなのかも、勉強とは。

農家はいつも大家族。コミュニティや地域のつながりが深い。このためいざという時にボランティアで頼りになるのは農家の人たち。子どもを大事にするということは年寄りを大事にするということなのかもしれないし、それでいて今は同居していないところも多いし、姑さんを呼ぶなら、土地を300坪くらい買ってこうやってああやってと教えてくれる。が、しかし、わが家は農家ではないので・・・土地の値段が違う。なんか、のんきで羨ましい。(農家が農地を買うとタダみたい・・・トケイソウがタダではないと伝えるのも大変・・・)

個人の価値観の違いだと思っていたことがこのように集団化して存在し、それが生活という形で現れているのを観察するだけではなく共に生活しているうちに、無意識のうちにいろいろ影響を受けているような気がする。

それでいて、田舎の因習的で閉鎖的な空間を知ると、それが嫌で都会へ行くのだろうか、とも思ったり・・・

たまに思うんだけど、そういうのが嫌で都会へ行った人たち、あるいはその子孫に何を語っても無意味だと。一生懸命に都会でネットワークやコミュニティを訴える難しさがここにある。それに比べると、田舎は最初からそういう価値観が存在するため、わたしのようなわがままな人間でものほのほ暮らしている。

投稿者 Blue Wind : September 12, 2005 04:47 PM | トラックバック
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