October 10, 2005

自己中

むずかしい。
ひじょうにむずかしい。

訪問診療に関してはニーズが多い。おそらくは訪問看護についてもそうなのだろう。でも、あちこちでそういうサービスが始まっては結局やめてしまうところが多い。理由はトラブルの原因になりやすいからかもしれない。

仮に1人で開業していたとして、あるいは大学病院などに勤めていたとして、患者さんが亡くなった、あるいは亡くなるという連絡を受けても医師がほかの患者さんを放っておいてそちらへ行くということはめったにないだろう。非番でなければ不可能に近い。

これがね・・・とてもトラブルの原因になる。

看護師さんが訪問看護に出かけると1日4500円。大抵の場合、人件費を考えると赤字だろう。院内のように忙しくて1人でたくさん受け持ちの患者さんがいて、というのなら別かもしれないけど、臨終に立ち会うとなったら大赤字。でも、長い間お世話していると情が移る。せめて死亡確認くらい・・と思って病院に連絡しても、大抵は死んだら同じとばかりに断られることが多い。

つまり、あなたにとって大切な誰かがほかの人にとっても大切な誰かであるとは限らない。

まだ息があるのなら病院へ。それなら治療をして、亡くなったら死亡診断書を書いて、とスムーズに進行。ところが、死亡確認だけとなると嫌がる医者が多い。特に夜中は。本人が畳の上で死にたい、家で死にたい、過度な治療を望まない、という場合、なんで死ぬために病院へ行かないといけないのか理解に苦しむ。

昔はかかりつけの医者というのがいて、大抵は何かあると往診に来てくれたものだった。特に寝たきりになり、通院ができなくなったときには、医者が行くのが当たり前だった。今は何かあるとすぐに病院だし、寝たきりになっても病院だし、自宅で亡くなることが減ったせいかもしれない。

在宅療法をやるのなら、訪問診療や往診は1人で行くとダンナが言う。システムとしての訪問看護というのはかなり面倒なのかもしれない。長年主治医をしていたり、ずっと診て来た患者さんは彼にとっては特別で、それはあくまでも個人的なつながりらしい。ほかの人にはほかの人たちの個人的なつながりがあるけれども、それは彼には関係がない。それが原因でヒステリックにせっつかれたあげく悪口を言われるくらいなら自分1人の方が遥かに気楽なんだろう。

そうなんだよね・・・良識の範囲内で行動規範のように行動するのと、自分の個人的な気持ちで行動するのとでは何かどこかが違う。

とりあえず午前中は内科一般と専門外来、午後は休診にして訪問診療をやる日を決めるとかね・・・儲かったら自分のためのケアハウスを建てよう。ここなら老後住みついてもいいかな・・と思うようなハウスを。カタログを眺めて文句を言うなら、つくっちまおう。がんばろう。

投稿者 Blue Wind : October 10, 2005 12:08 AM | トラックバック
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