どこの世界も一緒だなーと、しみじみ。
昨日初めて知ったのだけど、今月からうちのダンナの給料が上がったらしい。本人も知らなくて、いきなり事務の人に言われて気づく。うちは年間契約だから、たしかに契約更新の時期なんだけど、ダンナも忙しいから忘れている。
結局どっちかなんだよね・・・儲かっているところからサラリーを得るか、自分で開業するか。
それで、どういうところが儲かっているかというと、結局、患者さまのニーズに的確にお応えしているところが流行る。従業員からすれば院長には不満たらたらで早く辞めてくれないかなという声も多い。それでいてこの不景気な時代、病院といえどもどこも赤字経営が多い中で勝ち組を決めるにはマネージメントも才能なんだそう。院長自らそうやって語っている。国も赤字だし、医者も昔のような感覚ではやっていけない。
え・・・・・・・・・しらいしさん、遠藤周作を読んでそんなこと考えてるの?
なーんてね・・・あははのはです。
高齢化社会、療養型の病院の実体。とてもじゃないけど自分の親を預ける気にはなれないようなところがどこも待ちがかかるほど流行る時代。それでいてそんなところには誰も勤めたくない。医者なら誰だってアクティブに最先端で仕事をしていたいのが普通。
だったら、どんなところだったら親を預けられるか?とか、自分が入院するか?ということは何も患者さまの声を聞かなくてもわかるだろう、だって皆同じですから。どうせ働くならアクティブな治療をしているところがいいし、リハビリにも取り組んでいるところがいいし、スタッフの感じのよいところがいいし、食事だって美味しい方がいいし、欲を言えばキリがない。
しかも、院長=教授。でも、大学じゃない。うちのダンナも大学を辞めたわけではないらしい。辞めたはずなのに。そこがますますわからん、あの世界。
でも、いろんなしがらみを考えると、外へ逃げるわけにはいかないでしょ?万が一、自分や家族が病気になった時。何のしがらみもなければ、あっちが素晴らしいとなればそこへ行けばいい。でも、しがらみがあるということはそういうわけにはいかない。出るにも必然性と手続きが必要になる。
わたしは出産以外で入院したことがないし、至って健康らしい。ただ、だるだる。若干の代謝異常は仕方がない。小学生の頃の交通事故の後遺症で骨盤が歪んでいるため、もしかするとそのあたりからも睡眠中のリラクゼーションが足りないのかもしれない?それとも単にババアになってきたからかもしれないし、検査しても癌ではなさそうだし、精神系の疾患でもなさそう。ってことは病院へ行ってもムダ。
いずれにせよ今は元気でも年を取れば誰でも病気の一つや二つあるのが普通だし、その時になってから心配しても手遅れ。単なるわがまま婆さんになってしまいそうだ。
読みたくないなーって思いながら医者の悪口を読んでいる。うちのダンナはドラマまで観ている。
・・・・・・・・うちのダンナはね、怒るポイントがせこい。細かい。実習生がマニキュアを塗っているのを見てカンカンに怒っていたし、白衣を着て廊下の真ん中を歩いているのを見てぶちぶち怒っていたし、医局にポルノ写真が貼ってあるのを見てこれまた怒っていたし、しまいには吹き出してしまう。平和。
でも、なんで医者がそんなことをしちゃいけないのか、誰か口下手のダンナの代わりにマニュアルをつくってほしい。モラルとか倫理とか、その他諸々礼儀とか?
*****
追記: これはこの前姑さんが言っていたのだけど、おじいさんはパチンコするためにわざわざ神戸から電車に乗って梅田まで行っていたらしい。・・・・・・・患者さまに見られたくなかったからだそうです。(それもなぁ・・・)
遠藤周作強化月間に先立ち、ジャンルを再び変更。
今度はどこかって?
住まい・暮らし・・・
だって、「学び・教育」でほかのブログを見たら、まさしく学び・教育の世界なんだもの。これから自分が受験しようとか英語を勉強しようとか。なんか場違いなものを感じてしまい、変更を決意。
かといって、「本・書評・文学」のビジネスライクな雰囲気もつらいものがあるし、第一わたしは不景気なところに身を置きたくないのである。わたしが鬱地獄へ突入したら誰が責任を取ってくれるのだろう?
「日記・ブログ」にしようかと思ったんだけど、上位ブログのエロチックな雰囲気についていけそうにない。かといって、「出産・育児」だとあまりにもストレートすぎて、逆に育児ストレスがアップしてしまいそうになる。これではいかん。
それで無理やりこじつけのように、「住まい・暮らし」にする。livingってなんかいいよね・・・響きが。
考えてみれば、ひねもすを詠うだけならそれも一つの暮らしだし、あれこれ本を読むのも暮らしだし、何かを学ぶのも家族のことを考えるのもすべて暮らし・・・これから人生の下り坂をひたすら歩こうというわたしにはこの手のジャンルがちょうどよいのではないかと。怠惰に暮らすもよし、まじめに暮らすもよし、何をしていてもひねもすは過ぐ。
人間は誰でも自分のドラマを生きている。
遠藤周作の 『生き上手 死に上手』 を読んでいるうちに浮んだ言葉。実際には、「私はあなたの人生の傍役(わきやく)」という節を読んでいる時に感じたこと。
当たり前のことなんだけど、誰でも自分が主人公なんだなーって思って。わたしの母のようにエキセントリックなタイプに限らず、どんな人でもそう。例えば、娘から見ればダンナとわたしは彼女のお父さんとお母さん。当たり前のことなんだけど、不思議だ。
わたしの母から見れば、わたしは彼女の子であり、彼女を中心に家族関係も存在している。そうやって考えると、父も彼女の亭主なんだろうし、弟も彼女の息子なんだろうし、わたしの娘も彼女の孫なんだろうし、わたしの叔母も彼女の妹なんだし、どうやっても彼女中心に世の中が回っている。
このことは非常に重要で、たまに母に対して感じたことがある・・・「あなたがいなくてもあなたの夫はわたしの父だし、あなたの息子はわたしの弟なのよ」って。あの自己中には何を語っても無意味だったが。
冗談ではなく、例えば祖母のお葬式。
わたしは祖母の初孫だったのでとても可愛がられた。その祖母が亡くなったのだからわたしにとっても大事件なのである。ところがあまりの悲しみに何を血迷ったか、「私の親なのよっ」と彼女は言い放った。それが父に言うのならわかるのよね・・・父にとっては祖母は他人なのだから。でも、わたしはれっきしとした孫である。要するに「世界で一番悲しいのは娘である自分であり、あんたには関係ない」と、故人の初孫であるわたしに言い放ったのである。
そのおかげで、祖母のお葬式はあまり悲しくなかった。うまく説明できないけど、祖母のお葬式では、主役は母とその姉妹だけであり、それ以外はその付帯物として存在していたらしい。その傾向はわたしの母だけではなく、伯母たちにも顕著に見え隠れしており、しょせんわたしを含めて孫一同というのは親の付帯物として扱われていることを知る。
つまり・・・・・母、というのが絶対的権力者として存在しており、子、というのはその付帯物らしい。子が付帯物なら夫は他人に相当するという概念は、わたしの場合、母やその家族に教え込まれたものである。女系家族ってそんなふう。
もう、何と言うか・・・・伯父さんたちは慣れているから、「それ」が始まるとニヤニヤしながら傍役に徹することを知っている。従弟たちもそれなりに親を見ているせいか「それ」を理解している。
わたしも、もう少し自分が若い頃にはチクチクと腹が立ったことでも今はどうでもよくなっている。
例えば、この前姑さんが来て、「孫を育ててもらっているのですから」と言う。「はあ?」って思ったんだけどね・・・正直、彼女の孫はわたしの娘である。わたしがもう少し若い頃にはチクンと逆に針を刺していたかもしれない。
が、しかし・・・・どうでもいいのである。彼女にとっては、うちのダンナはいつまでも彼女の息子なんだし、わたしの娘は彼女の孫なんだし、しょせんわたしは傍役のそのまた傍役なのである。
おそらくは寝たきりの母にしても、いつまでも苦しみながら自分の人生と格闘しているのだろう。果たしてわたしという娘がいることに少しは感謝しているだろうか。案外、自分は運が強いと勝手に思っているかもしれない。しょせん息子も娘も彼女の人生の傍役。
自己中にいちいち腹を立てても仕方がない。そうやって何かに対して寛容になるということは、自分もまたそれを理解しながら生きているということで、ただその発露が実際の生活にではなく、このように駄文を書くことにあるような気がする。
しょせん、自分はワトソン。
名探偵はほかにいる。
またひとつ蕾をみつけ灰のそら散りゆく薔薇のなごり風吹く
紫陽花を土掘り植えよ鉢みては弱りて花の甦りたる
水の中歩いているか雨の日はアスファルト濡れ無彩のみち咲く
曇り空つゆを迎える薔薇の花いろどりのみち隣家のフェンス
垣根なら薔薇にしたれとおもはゆくみじかき薔薇の復活を待つ
一年が一夜のごとくくりかえす朱色の柘榴花もちて梅雨
今日、美空ひばりのドラマがやっていた。娘が観ていて、わたしは背中で聴いていた。明日学校なんだから・・・って思ったけど、何となくそのまま。
観終わった後、娘が自分でアイロンを掛けている。陸上競技会で使ったハチマキ。皺が伸びない。そこでようやく娘に呼ばれる。一言、「お母さん、これアイロン掛けておいて」と言えば済むのに、自分でやりたかったのだろうか。
わが家は洗濯機に放り込むだけなので、乾燥まで一気に終わってしまうがゆえに、そういうことは多々ある。それでいてもう何年も霧吹きを使ったことがない。とりあえず、アイロンにスチームが付いているし・・・それでいてスチームが必要なほどの皺伸ばしって実はめったにない。
当然、スチームをどうして使うのか娘にわかるはずもなく、やり方自体は簡単なので、アイロンの実演講習を始めた。それにしても頑固な皺だった。何回も、何年にも渡って使い込んでいるせいか、原因は洗濯のせいだけではなさそう。かといってわたしが業務用のアイロンなんて使ったら大変なことになるのは実証済みだ。
ワイシャツのアイロン掛け?
うちのダンナ、めったにワイシャツなんて着ない。病院へ行く時もいつもの汚い格好。ズボンも家で洗濯できるものに限る。血がドバ〜って飛んでくる仕事。上等なものは要らない。今は記憶形状シャツというのがあるらしいけど、実際のところビジネスの人たちがどのように暮らしているのか、わたしにはわからない。
*****
エディット・ピアフと美空ひばりは天才だと思う。
もはや好きとか嫌いという次元を超えて、彼女たちは存在している。歌を聴いて、さわさわさわ〜っとチキン肌が立ったことがある。
エディット・ピアフがエディット・ピアフになる前、彼女はモーム・ピアフだったらしい。すずめさん。今日、ドラマを聴いていたら、美空かずえと言っていたので、美空ひばりは美空ひばりになる前は美空かずえだったのかと不思議な気分。いずれにせよ、すずめとひばり。天才には鳥の名前が似合うのかもしれない。
自分的には、「柔」とか、「悲しい酒」くらいしかベストのタイトルを見てもわからない。それと、「川の流れのように」は、昔、母が聴いていたような・・・テレビで初めて聴いた時から、美空ひばりの復活を喜んでいた母はすぐにカセット・テープを購入。彼女の部屋は和室ですからね、大きなデッキなどあるはずはありません。夜寝る前に、枕元にラジカセを置いて聴いていたような記憶がある。
アイロンと美空ひばり・・・
わたしの母は、アイロン掛けは天才的に上手かった。
和室に座って、業務用のアイロンをいともたやすくあて布をしながら掛けていく。当たり前のことかもしれないけど、洋服に皺があるのが嫌いで、着物でもいつも皺一つなくたたみ方の折り目の通りにたたんでいく。
わたしなんて一人で着物が着られないどころか、たためない・・・
姑さんといると、良くも悪くもどうでもよくなってしまうという・・・何がどうでもよくなってしまうのかうまく説明できないけど、どうでもいいんだから仕方がない。(もう戻られましたが・・その後遺症が)
そういう無意識の怠惰さって何かなーと思っていたら、このところの浪費かもしれん。家電を買い換えるのはいいのよね、わたしが結婚する前から使っていたオーブンレンジだもの、それなりにガタがきているから。
その後すぐに学校説明会があり、そうなると服でも買おうかなーっと思ってしまう。まあ、気分転換でしょうか。これもデパートの積み立てが4年間分使わずに貯まっていたので、特に家計を襲撃しているわけでもない。
その次に、服を買ったらペイバックというわけではないけど、商品券との引き換えポイントが貯まったので今度はそれを使って本を買う。だからこれもめちゃくちゃ家計を襲撃しているわけではない。
その次にヴァカンスの季節なので、例年ダンナの予定を考えているうちに予約競争に負けてしまうため、今年は早めに予約する。
娘の塾の夏期講習の日程が決まったので、今年は正直ダンナの休みもそれに合わせて取った。事情が事情だから(?)、どぞどぞという感じで休みが決まったのはいいけどバッカみたい!夏休みは7月から10月までの間に取ればいいのに・・・
娘の学校がなければ、と毎年思う。
ネットで予約したので、パンフ予算より安く済んだ。
画面を開くと飛行機のチケットが翌日には満席になっているのだもの・・・今が競争。間に合ってよかった。旅行者同士というより、業者が押さえてしまっているから個人旅行者はかなりきつい。
・・・・・・・・と、ここでやめておけばいいのに、つい安く済んだと思い、本を買ってしまった。
浪費ってすればするほど、怠惰な気分に陥ってしまう。
どうやって浪費から自分を救うか?
やっぱ、1円の重みを知らなければ・・・わたしなんて特に自分で稼いでいるわけではないし、働いている人よりも怠惰に走ろうと思えば走ってしまう。
50円でワクチン2本。
50クリックを毎日するより、クリーンセンター節約で1200円浮かせたほうが賢い気がする。すべてのワクチンが効果的かどうかややこしいことは置いておき、素直に考えて1200円だと48本のワクチン。それが無いためにパタパタ死んでいく子どもたち。
わたしだってすべての消費を捨てたら生きていけない。浪費もするな・・・やはり。それでいて、50円でワクチン2本だと思ったら気が引き締まるでしょ?
50円で誰かの命が救えるということ・・・その中にはわたしの永遠の命も含まれているらしい。
ボロなのかアフィリエイトは悲しくてボロをまといてブログことほぐ
広告がちかちか並ぶブログには一円玉の落ちない木霊
正直に語っちまえばちかちかと広告かなし乞いてクリック
あわれあわれさうやつて思うわれあほか知っているなら黙っておくれ
大通り役者立ちたる夏の石ひんやりとしてフランチェスコ出づ
ぼろぼろに寄付乞いたるかぼんぼんは何が悲しき物乞いになり
あわれあわれ石畳にぞ無き石の粒飛んできました 冬も夏にも
整然と冷たき石のつづくみち心のみちの厚き壁みち
一円のクリックを乞うここちする神父のサイトぐっさりと初夏
まあいいか、さうやつて今ことほげばジャズさえ軽く聴こえまほしき
あなたよりわたしのほうがあははのはかろきみちさえおもおもあるく
神父さんのサイトへ行ったら・・・・・・アフィリエイトのバナーとコーナーが。(パタッ)
あれをやれって言うの〜?
だから、・・・・・・ぶちぶちぶちぶち(←文句)
よのなか1円の金でも稼ぐのはたいへんなのら・・・・・・・(パタッ)
短歌というのは、一つの沈黙の方法である。
理屈が飽和した時、あるいは、理屈で語るのがかったるくなった時、何となく自然とうたを詠むようになっていた。詩ではなく短歌というのも言葉を増やさないための手段だと思っていたのだけれども、結局、連作として詠み込んでいけば同じことのような・・・
宗教や哲学の話は疲れる。わたしは心理学の人だからなおさら。しかも巷では心理学というとわたしの知らない意味を持ちながらこの言葉が徘徊しているため、なおさら語るのがかったるくなる。
そのすべてがかったるくなれば、薔薇の花が咲いていたことをボソッと語りたくなる。
ヴェイユの詩集の冒頭、「ポール・ヴァレリーの手紙」を読み、わたしはしばし作歌を止めている。通常ならば、わたしは大変素直な歌人でもあるために、作品からインスパイアされればされたなりにそのままを詠むようにこころがけているつもり。ところが、「構成への意志」の重要性を書くヴァレリーの言葉にしばし立ち止まる。
はてはて・・・・
わたしの作歌に足りない要素があればまさしくこれである。つまり、構成への意志・・・
一つの作品、あるいは作品群に仕上げようという構成への意志が欠如しているのは以前から感じていた。つまりは、やみくもに2万首と決めているため、それ以外の要素はそれから考えればよろしいのではないかという先急ぎ感。
それは一つにはわたしが作歌歴が浅いからだと勝手に勘違いしていたけれども、実はわたしの怠惰さから来るものではないかと感じている次第。
エネルギーを集約させるのがつらい。
ある種の構成への意志を持ち、それを作品群としてまとめるための不毛な努力を考えると、ひねもすをのんびり作歌に明け暮れているほうが楽しい。それと構成への意志を持つことは主題を持つということであり、果たして短歌とはそういう世界なのだろうかと考えてみる。
わからない。
とりあえず、それが詩であることは感じてはいるものの、一つの歌の中に構成への強い意志のある作品をひねり出すためには、それ相応の忍耐と努力とインスピレーションが必要。それを考えると、勝手に手の動くままに、ある時は自由筆記のように言葉を選ばず、その日その時を詠み込んでいくほうがはるかに楽しい。
楽しいだけでよいのか?
ならば、人生を楽しみましょう、という構成への意志を持ち、作歌を続ければよろしい?
まあ、いいか。
いずれにせよ、いつかは取り組まなければ課題には違いない。構成への意志を持つためには激しい動機が必要である。激しい動機が欠如したまま歌人になってしまったためにのらくらのらくらしている。むしろストレスを排除しながらのらくら詠んでいるだけのほうがはるかに楽しい。
そういう意味では、帰着しなければならない着地ポイントが必要という点で、詩のほうが構成への意志を持ちやすい。その着地ポイントへ向かいながら詩は踊る。つまりは、57577の中にもどこかに着地ポイントを入れなければならないということで、それがどこに来るのか・・・どこに置くかで微妙に生きたり死んだりする。
まあ、いいや。
そうやってややこしいことを考えるからうたが詠めなくなる。
それでいて、わたしは何かを学ぼうとしているらしく、その何かをキャッチするためにこのように駄文に励む。
本屋で4冊、アマゾンで7冊(モーリヤックを含む)、遠藤周作の著書合計11冊を購入。
購入の次第はこうである。
ぐたという活字中毒者が、これだけはわたしに読ませたいとのたまう記述を発見。しかもその記事には書評のくせに書評が書かれていない。それでは遠藤周作を読んだことのないわたしにはちんぷんかんぷんではないか!
そのため、スーパーへ行くついでに本屋へ寄りその本を探す。あいにく見つからない。そこでほかの本を立ち読みをするうちに、彼女が何を言いたいのか少し理解できたため、遠藤周作を4冊選んで買っていた。(手が・・手が勝手に、こら!でも料金支払いました)
そこでついでに本屋で見つからなかったために、その本をアマゾンで検索することになる。以前から高いから迷っていたモーリヤックも発作で買った。ネットで検索しヴァカンスの予約を済ませたために、パンフレット予約との差額を考えるとわたしがそれくらいの贅沢をしても赦されるというものである(たぶん)。
*****
正直に語れば、わたしはある種の宗教問答には飽き飽きしている。誰が仏教徒でクリスチャンでモスリムでもそれがわたしに何の関係があるというのだろう?神道も仏教も神仏思想もアニミズムもその他諸々宗教心理学でもそれがわたしに何の関係があるというのだろう?
例えば、仏教。わたしはお釈迦様が好きである。なんか文句ある?
空・・・・すべてのものが空。
やがて、心以外が空。(ややこしい)
四苦。悟り。菩提樹。美しい。
般若心経も昔は諳んじていたし、写経までやらされた。
それでいてどうしてわたしがイエス・キリストを愛するのか、あえてここでは書かない。
日本の仏教が形骸化したと言われるのは江戸時代らしい。幕府の政策の一つに寺檀家制度というものがあり、先祖の供養をしない人たちは皆クリスチャンと断定された。明治に至っては、皇室から一切の仏具が排除され、その伝統は今でも続いているらしい。
つまり、政府が宗教に関与するとろくでもないことになるという見本のような有様で、それが今日まで続いているような気がするくらいだ。
どうして江戸時代の人たちがクリスチャンと思われたくなかったのか・・・そして、そのことが仏教そのものにまで影響を及ぼしていくこととなったのか・・・さらに時代背景もあるのでしょうけど、科学の進歩により、さらに精神よりも物質に幸福を求める社会思想の流行により、宗教そのものが形骸化していくこととなる。日本だけが例外ではないだろう。
人間が素朴な信仰を失った瞬間、どんな宗教に属していようとも無意味である。それは仏教だから、キリスト教だから、という問題以前の問題であり、わたしにつまらない宗教問答を仕掛けてくる人たちはむしろ形骸化したものに癒しを求めているのではないかと思うことが多い。生活であり、文化であり、スピリチュアルな部分よりも慣習やしきたりの中から異臭を嗅ぎ分けるかのように議論に持ち込みたがる。
だから、そういう時には一切の問答をやめるべきだということをこれまでの経験から学んだ。つまりは、本当に宗教について話し合いたいのなら沈黙しましょう、と言いたい。互いに沈黙した中でお話し合いができた時、その時には本当の意味で何かを察知し、互いに互いの心の中を理解することができるような気がする。
イマジネーションとして、静かなイエスさまと静かなお釈迦さまが対話している瞬間を想い描けばそのことが少しは理解いただけるのではないかと。静かな沈黙と瞑想の中で、彼らの出会いにおいて、言葉など必要かどうか・・・気持ちが通じる、心が通じる、沈黙こそが議論であり、そこには愛と慈しみと悟りの静けさだけが存在している。
それは書きすぎかもしれないけれども、あえてつまらない議論が必要なのはそのような静けさを持たないからだとわが身を振り返り反省することしきり。
話を江戸時代に戻せば、結局は、宗教を制度のようにしてしまうことにより、聖職者よりも権力者の都合が優先されていったということなのではないかと。そして、その傾向はますます明治時代には強まり、日本は戦争へ突き進むこととなる。本当の意味での信仰や宗教を求めるより、人間を神と祭るようになる。王を神と同一視する姿勢がいかに危険なものであるか、実は背徳の匂いすら感じてしまうのはわたしだけだろうか。
つまり、何が悪であったのか・・・・神の目から見て悪ということがどういうことなのか、聖書にもはっきり書かれている。そのことに対して誰かが何かを語る必要性すら感じていない。つまり、今や天皇制そのものが形骸化したものになりつつあり、形骸化したものに宗教性を求めても無意味である。
*****
おそらくは、天皇制を持ち出したことですでにバカバカしいと思った人たちも多いのではないだろうか?
宗教が形骸化するということは、この「バカバカしい」という感覚そのものかもしれない。それでいて占いとかね・・・自分の先祖だけは大切にしようという姿勢とかね・・・もしかするとそういう姿勢もある種の権力構造の中で発生した出来事の一つなのかも。
というわけで、カトリック作家だからという理由でわたしはその作家の作品を読もうと思ったことはない。ただ、読むのであれば何を言わんとするのか、何のために書かれたものなのか、その作品を書こうとした原動力はどこにあるのか、せめてその程度まで把握できる程度までは読んでみたいものである。
今、本当に読みたいのはシモーヌ・ヴェイユのほかの著作物なんだけど、ちょっと寄り道する意味もあり、ちょっとの寄り道にどのくらいの時間が掛るのか・・・・今年のヴァカンスのゆくえ次第。果たしてわたしはビーチで何を読んでいるのでしょうか。それにより、その年を振りかえるのもわたしの楽しみの一つである。
わたしはこの手のネタが大好き。
どんなネタかって?
⇒「ブロガーの燃え尽き症候群」 / New 天邪鬼日記
ブログが巷で流行する一方で、人気ブログがパタパタ消失しているというお話。
これはネットの宿命である。
ブログが流行する前からウェブ日記は存在し、わたしも日記という形態で付け始めたのが2001年1月3日から。それより以前にはレンタルBBSを借りて、日記とBBSを兼用しながら今で言うブログっぽいことをしていたような気がする。
それが、ヴァカンス中を除き、ほとんど毎日以上更新しているのだもの。「毎日以上」というのは、実際には一日に複数の記事をアップしているからで、ある日、「りんちゃん、日記書きすぎ」と言われ、やめた。
「りんちゃん」というのもわたしのことである。ハンドル名から来ているし、初期の頃は、チャットのノリも手伝って、自分のことを自分で「りん」と呼んでいた。「私は」と書く代わりに、「りんは」と書く。あっさり語ればチャットからネットを始めたから、それがいかに変かに気が付いたのはずっと後になってからである。
あっさり語れば、かったるくなれば消しちゃえばいい。URLを変更しちゃう。
上述のネタ元を拝読するに、AKIRAさんは文筆業を営むせいか真面目である。どうやったら燃え尽きないか?ってことについて書かれているから、そうやって感じるのかもしれない。
文筆業でなかったら、燃え尽きてもいいのである。
書きたいことを書き、書き逃げても誰も怒らない。ある日更新がパタッと止まりどうしたのかなーって思っていたら違うサイトを始めていたり、オフラインがやたら忙しくなり更新できなくなったとか。理由はそれぞれだけどネットはそういうものだと思っているから今まで気にしたことはなかった。
すんごいジャンキーあらし騒動に巻き込まれた際、周囲の、今で言うところのブロガーが一斉にお引越ししたことがある。わたしも移転した。でも、すぐにバレてしまう。サイト名やハンドル名を変えても何となくわかるし、そういうのを探し出すのがやたらと上手な人がいて、どこをどういうふうに探すのかわからないけど見つけてしまう。
そのうち、かったるかったら移転するというのが暗黙のコンセのようになり、わたしもアメブロにブログをつくってからいくつかサーフィンしたけど、どうやってもこのブログは「あの人」がやっているに違いないと思うようなブログも多い。大抵は知らん顔して来訪しているだけなら問題ない。
が、しかし・・・・・
燃え尽き症候群と呼ぶほうがかっこよくないか?
お引越ししているだけのほうがずっと多いんだけど、たぶん。
読者が増えたり、ネタがマンネリ化したり、期待に応えるのが大変とか?
そこまで生真面目にブロガーをしている人は稀かもしれないけど、ちょっとでもストレスを感じたら引っ越しちゃう。それが常識。だって、仕事じゃないから・・・・
だから、ネットはいい加減と言われてもなぁ・・・困る。
しましまに流れるもようながむればうつろうばかり時間の流れ
あの星をめざせと言って流れ星星の命の散りゆくばかり
パラダイス地上に浮べシャンパンは泡立つ時間包括しせり
苦しきは神頼みするいにしえは細木数子と祇園の遊び
めでたきは浮世の義理と浮き立てば絵師という名の稼業もありて
リビングにソファを置いてふと思う。わたしの家に畳がないぞ?
芳しき畳の匂いわきたてば草踏み歩く生活のあり
コンクリの家に置かれた畳など黴臭くては風のなき部屋
畳には広き窓辺が必要と爪先までの窓を思いぬ
木の床はもはや風さえ呼ばないと石の床までつきすすむべし
やんわりと時の流れのゆくみちを薔薇咲きたれば五月雨を待つ
残光のながき五月の森のうえ近頃月はおぼろな影に
もう忘れてしまっているよね・・・ブルーカラーとかホワイトカラーという言葉。忘れているどころか若い人たちなどは知らないかもしれない。ブルーカラーというのは主に肉体労働者のことで、ホワイトカラーというのは知的労働者のこと?
シモーヌ・ヴェイユを読んでいるうちに思い出す旧い言葉。ブルジョアジーとか労働者階級とか。それに変わって台頭してきたのが知識人という言葉。何もかもが今の時代には嘘っぽい。生産性とか労働力という言葉はロボット産業を生み出し、そのうち人間が必要なくなるかもしれないと言われていたのはいつの頃だろう。ブルジョアの代わりに今はセレブって言うの?知らんわ・・
実家が裕福で、広告代理店勤務⇒カウンセラー⇒花屋の親父と転職して、一番儲かっているのが花屋らしい。
さてさて・・・あなたならどーする?
家業を継ぐ?
⇒親父が元気でかったるい。
広告代理店に勤める?
⇒やっぱ、都会のサラリーマンはつまらない。親も戻って来いとうるさい?
カウンセラーになる?
⇒毎日、病気の人を相手にしている苦労。想像を絶する苦労があります。
花屋になる?
⇒毎日かわるがわる美人の主婦が外車で1万円くらいの花を買って行く。フラワーアレンジメント教室。一人で気ままな稼業。
なんかね・・・
著者: シモーヌ・ヴェイユ, 富原 真弓
タイトル: 自由と社会的抑圧
シモーヌ・ヴェイユの『自由と社会的抑圧』と詩集を交互に読んでいると、熱い時代の息吹を感じてしまう。冒頭、彼女が描き出す社会は現在の日本社会のことではないかと勘違いしてしまうほど。それでいて、『自由と社会的抑圧』は痛烈なマルクス主義批判から始まる。
この本が書かれた時代は、1922年。1917年がロシア革命だったような記憶があるので、この本はいわばタブーのような存在かもしれないし、彼女の家族のアパルトマンに実際にトロツキーの息子が逗留し、彼女自身が激しくトロツキーと喧嘩したことなどを考えると、若い頃から彼女がいかに痛烈な人だったかわかる。若い頃・・とは言っても決して長生きした人ではない。
わたしがシモーヌ・ヴェイユという名前を見つけたのは、他愛もないネットの検索。ポルチウンクラを検索している時、「シモーヌ・ヴェイユが唯一跪いて祈りを捧げた教会」と書かれていたため、逆にポルチウンクラからシモーヌ・ヴェイユに突き当たることになった。
ちなみにポルチウンクラというのは、中部イタリア、下アシジのサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の中にあり、聖フランシスコが昇天した場所である。若い頃は豪遊・豪快な騎士であったフランシスコは無一物でアシジの町を飛び出す。古い朽ちた教会の再建。そして、十字軍の時代、教皇への謁見。カトリックといえば、ヴァチカンのイメージが強いけど、聖フランシスコの質素な身なりはカトリックの異質空間のような気がするほどだ。小鳥とお話する聖人。
今でこそ立派な聖堂が建てられているけれども、本当の意味で聖フランシスコをしのぶにはポルチウンクラ。その小さな教会を包むように大きなサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会が建てられている。なんとも言えず不思議な場所だ。
そして、カトリックに惹かれながらも改宗することのなかったユダヤ人シモーヌ・ヴェイユ。その彼女が唯一跪き祈りを捧げた場所ポルチウンクラ。そこへ行ってみたいというのがわたしの去年のアシジ行きのトリガーとなった。
少々回りくどくなったけれども、彼女の生涯をかいつまんで知るうちに当時の社会的背景とそれに対する彼女の真摯さが伝わってくる。兄は天才的数学者、彼女自身も哲学教師の資格を持つ。それでいて工場で女工。労働組合運動に身を投じていたため。その後、キリスト教神秘主義への傾倒ということでさらに批判される。
革命と戦争。そういう時代。
地上の楽園。
そのイメージはわたしにはわからない。
でも、マルクスにしろヴェイユにしろユダヤ人にとっては地上の楽園こそが究極の使命。神の国を地上に構築するために思想家が存在している。共産主義の達成が地上の楽園へつながったか否かはわたしには興味のないところ。でも、人間を観察し、悪を考え、その中で地上の楽園を構築しようという努力は凄まじい。
わたしにとっての地上の楽園?
パラダイス・・・
ややこしいことは何もなく、在るものが在るがままに存在し、かつ美しい世界。人間の醜悪さについて考えることもかったるい。革命や戦争で流された血。どうして血や汗が求められるのか・・・どうして金を送っても日本人は何もしないと言われてしまうのか・・・その理由について少し考察中。
まだ上述2冊に関してはどちらも読破していないため、この話題についてはまた書くかも。
『SANYO : 四季彩館 ブログ・コンテスト』への参加TB
#02 リビングにおける、あなたの理想のソファは?
*****
理想のソファ?
思わず昼寝したくなること・・・
ころりんと寝転びながら本を読んだり、テレビを観たり、子どもを昼寝させたり・・・今は、人間のほかに犬が寝ていることもある・・・
*****
〈現在使用中のソファについて〉
◎素材: ラタン。マットには布製のカバー。
◎カラー: ラタン部分はグレー、カバーリングの色は淡いトルコブルー。
◎サイズ: 240X240(奥行80)。ただし、5つのパーツに分かれる。コーナーソファ。
* コーナー部分のパーツが3つ、肘掛のないタイプをその間に置く。だから、コーナー部分を2つ組み合わせるとラブチェアにもなるし、その間に肘掛のない部分を配置するとソファに。肘掛のない部分を増やせばもっと大きなソファにもなる。
◎ブランド: 村田製作所だったような気がする。名前に弱いのでよく覚えていない。
◎デザイナー: 特になし。ただし、オーダー家具なのでラタンの色やデザイン、カバーリングのカラーは自由に選べる。カバーリングには厚手のカーテン生地を使っているのではないかという記憶もある。このため、カバーとカーテンを同じ生地にして揃えることもできるが、さすがにそうなると重くなるのでやめたような・・・注文して届くまで1ヶ月くらい掛かる。
◎購入方法: その昔に渋谷の丸井インテリア館を徘徊中に発見。突然、ダンナがあみだくじに負け、都内から茨城に転勤が決定し、慌てて日帰りで土浦の不動産屋でマンションを契約した帰りに、土浦の丸井で強引に家具をオーダーしたような・・・
* 後日、カフェなどで村田製作所のカタログにあった椅子が使われているのを発見し、当時はラタンの出始めで密かに流行っていたのかもしれないです。今はめずらしくなくなったけど、ラタンは。
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理想のソファということで、逆にNGを書くと次のようになる。
・ いかにも来客用という雰囲気。
・ ソファの奥行きが狭い。
・ 高さがあり、置くと圧迫感がある。
・ レイアウトの変更や融通が利かない。
・ 革の匂いがする。
・ 肌にまとわりつく感じ。
ソファに高さがあると、子どもや子犬が落ちたときに心配。それと圧迫感があり部屋を狭く見せる。昼寝に適さない。実際、3ヶ月の子犬のマリがこの前ソファから落ち、全身打撲でしばらく動きがぎこちなかった。思わず医者に連れて行こうと思ったほどだった。(今は快復してるけど・・)
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理想のソファの難点は、居心地が良すぎるせいか、いつも誰かに占領されていること。犬まで寝ている。おしっこを掛けられ、カバーを何度洗濯したことだろう・・・(泣) 子どもは飛び跳ねるし、このためとうとう痛んでしまった・・・(号泣)
汚れない家具、壊れないほど頑丈な家具もよいけど、華奢で破壊されつつ存在しているというのも時の流れを感じて楽しい。
『SANYO : 四季彩館 ブログ・コンテスト』への参加TB
#01 リビングをデザインする中で、あなたが最初にこだわったことは?
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最初にこだわったこと?
最初にこだわったのは、リビングは南側で明るい陽射しがよく似合うこと。
玄関を入り、パッと目に入るのが明るい陽射し。そこにリビングをつくりたいというのは自然な発想で、しかも共有空間なのだから、おもいっきり広いほうがいい。このため、家具はロータイプ。実際、わが家は一階部分は一つの部屋しかない。キッチンもセミオープン。だから、お客さまがあってもリビングが応接間になる。
家具はラタン。ソファの色は淡いトルコブルー。それに合わせてラタンの色もグレー。
玄関から入ると真正面にパティオドアがあり、庭が見える。リビング空間はその右側に位置する。ソファはコーナーソファなのでちょっとした独立性もアレンジ。その背もたれの後ろに地球儀。同系色。さらに右手には暖炉をつくり、西側にかけて部屋の雰囲気が微妙に変化する。
朝は東側のキッチンから始まり、昼は明るいリビング、そして夕暮れ時の落陽の時間には西側から長い夕陽が射し込む。光を追いかけているうちに一日が終わるような部屋づくり。
今の悩みは、お気に入りのソファが壊れてしまったこと・・・
これだけイメージがはっきりくっきり部屋をデザインしていると、そんなに簡単に買いかえられない。
困った・・・
著者: 村上 龍
タイトル: 13歳のハローワーク
この本は、めちゃくちゃ面白いです。最初、娘のために買ったのですが、すっかりわたしがはまって読んでしまいました。
ポイントは、世の中から「サラリーマン」と「OL」という言葉がなくなるだろうという予測の下に書かれていること。今までみたいに大学を卒業して会社や官庁に勤めたら終わり(?)という社会ではなくなってきたし、親のわたしが読んでいても、こうやってあれこれ娘の将来を考えられたら楽しいだろうな、というのが率直な感想。
最初に好きなことがあり、そこから派生して職業を考え、それから学問の面白さとかね。虫が好きなら、空が好きなら、算数が好きなら、こんな仕事という具合。趣味が次第に仕事になっていく。
それにしても世の中にはいろいろな職種があるものだと感心する。中にはわたしの知らない職業もあり、自分の適職などを振り返りながらあっという間に読んでしまった。
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「プロボウラー」をネットで検索し、プロテストを発見。娘が好きなことと言えば、今はボウリングとお絵かき。プロボウラーになるためには、とりあえずアベレージが185以上ということなので、受験が終わったらしばしレッスンに励み、プロテストを受けるのも楽しいかもしれないですね、娘にとっては。本人はプロボウラーをしながら絵の勉強をすると言っているのですが、案外本当になったりして・・・
子どもが何人もいたらそれこそこの子はこんなふう、とか、あの子はこんなふう、みたいにそれぞれ思うことも違うかもしれないけど、なんせ一人しかいないし、わたしは美術方面の才能はないみたいだけど、姑さんのほうの遺伝なのかもしれない。そうやって考えると、才能って不思議。
それがどういう方向に進むのか、さらにわからない。ボウリングも遊びでやっているのに、いつの間にか上達している。この前間違えてダンナがプロのレッスンだと勘違いして申し込んだら実は”プロも参加している大会”で、どういうわけか娘も参加。ダンナが言うには、娘のほうが全然へいちゃらで、ストライクを取ったらガッツポーズをしていたという・・・おまけに入賞してちゃんと賞品を貰って帰ってきた。
それならそれで、きちんとレッスンを受けて、プロテストも受けて、バイトでレッスンプロをしても立派な職業になる。要するに何かで食べていってくれたらよいのだもの。わかりやすい。
『13歳のハローワーク』をパラパラめくりながら、俳人やいのちの電話の相談員も職業なのか・・・と思いながらも、どちらもそれだけで食べていけないように書いてあって笑ってしまった。いのちの電話の相談員なんて2年も研修を受けなければならないのに完全にボランティア。わたしも院生時代に研修合宿に参加したことがあるけど、なかなか子どもが小さいと家を空けられないから難しい。当時は単位の取得のために参加しただけだけど、学生以外は年配の人が多かった。職業もバラバラ。月1で泊まりの日もある。慢性的に人手不足。
歌人?
歌集を出してもそれだけでは食べていけないでしょう・・・たぶん。(それどころか赤字か?)
研究も10年以上ブランクがあるし、そうなると現役への復帰は難しい。
それよりも娘のお弁当をつくりながらブログを更新するのも才能かもしれないと・・・(汗) 陸上競技会というのがあり、2日間に渡ってお弁当をつくらなければならないらしい。仕方がないから中途半端に寝ると寝坊する可能性があるので、パラパラ本を読みながらお弁当をつくりこれを書いている。
アメリカのテロ対策にはうんざり。
うんざりと語りながらも、今年の夏はグアムへ行くことにした。せっかくだから、「米国政府による外国人渡航者からの生体情報読み取り措置」がどんなものなのか知りたいでしょ?入国審査の際、顔写真と指紋が撮られるという実に評判の悪いテロ対策。ハワイだとその間にウクレレ演奏までしているというし、たかがグアムと思っていてもやっているらしい・・・(笑)
なんか、こうね・・・・数年の前のハワイ。
プールサイド。
娘は子ども用のプール、ほかの子たちと一緒。
親は暑いのでプールの裏の木陰に座っていたところ、監視員のおばさんにきつく叱られたことを思い出す。
親が子どもの傍から離れるのは児童虐待に相当するらしく、おおげさでおおげさで、わたしの感覚からすれば腹が立つ。あー、ここは日本じゃないんだなーってしみじみ感じた。
これが日本ならね・・・子どもが群れており、その傍に数人おとなが一緒に座っており、そうなると少しくらい親が離れていてもまずは叱られるということはないですからね。大抵は子どもは子ども同士で遊んでいるし、これが本当の幼児で子どもから目を離すと何をするかわからない年齢ならともかく、そろそろ小学校の高学年になろうという子どもをずっとつきっきりで見張っているというのは考えられない。
そういう状態が中学になっても続くらしい。アメリカでは15歳未満の子どもの傍から保護者が離れるとそれだけで児童虐待で罰せられる。学校のすぐ傍に住んでいても、親が毎日送迎しなくてはならないという噂は聞くけれども、なかなか実感が湧かない。
大昔、初めてハワイへ行き、ほとんど同じ場所に座っている時、小学生くらいのアメリカ人の男の子がやって来て、とても礼儀正しいのに驚いた。要するにボディボードをどこで借りたのか知りたいらしく、それを質問しにやって来た。親なんていなかったけどな・・・その時には。おそらくはビーチのどこかに座っていたのだろう。今だったら罰せられてしまうのだろうか・・・その子の親は。
それに比べるとアジアンビーチは平和。少なくても法律で罰せられることはない。子どもにもやさしい。リゾートなんだからそれが当たり前だろう。なのに、このところのアメリカ領のヒステリックさを考えると、リゾートへ行ってまで育児のストレスを感じるというのはなんなんだ。
子どもが子どもだけで学校へ行けるだけでも喜ばないといけないのだろうか。それでいて、アフガニスタンの子どもたちが遠くまで歩いて子どもたちだけで水を汲みに行っている写真を眺めると、どっちが平和でないのかわからない気分に陥る。
いずれにせよ、中学生になっても娘のことをわたしはプールサイドで見張っていないとダメなんだろうか・・・ただでさえ日影の椅子はゲットが難しいというのに、せっかくキープしても燦々と暑い中で6倍の紫外線を浴びながら子どもを見張らないとならないとは・・・(泣)
ヨーロッパではEU加盟国の人たちなら国際線でも国内線のよう。ペルージャ空港でも税関でトランクまで開けさせられたのはわたしくらいのもので、見渡せばあんな田舎に夜遅くに飛行機で到着するのは地元の人たちばかり。それがアメリカの空港だったら、顔写真と指紋の採取まで?
インターナショナルな感覚って一体何なのだろう?
結局は、日本にいたらせいぜい大阪とか東京とかそういうローカルな感覚の違いについて感じる不満が、せめて言葉が通じるだけでもありがたいと思えるようになることだろうか。いや・・・その手の違いについて鷹揚になることかもしれない。
空は空だし、太陽が太陽ならかまわない。それ以外は、それなりに何かが存在しているとしか思えない。花は花だし、海が海なら喜ばなければ。オージーに「あれは海ではない」と海を見て言われたのには参ったが・・・(正解は、bayだそうです。おおまじな話)
高校生にパワーをもらって情けない主婦モードのわたし・・・
単なる高1から高2にかけての個人課題研究なんだけど、実際に新聞記者・弁護士へのインタビュー、裁判の傍聴、さらに中国残留孤児への取材、膨大な資料の読み込み、いわゆる高校生の調査研究のレポートを読んで、いろいろ考えてしまったわけです。
その中で、日本に帰国した中国残留孤児の人たちの実際の生活、置かれた状況、そして何より印象的な言葉。「中国にいる時は、日本人だというだけですべての戦争責任を背負うが如く虐められ、いざ帰国してもお前は中国人だと言われる。」
そのほとんどが日本語がわからないために職に就けず、年金もなく、生活保護を受けており、しかも毎月2万円で生活しているらしい。2万円もらって中国で暮らせば・・・って思うのは、わたしがバカだからかもしれない。
歴史に翻弄された人たちとは言うけれども、結局、国家に対して損害賠償を請求するより仕方がないのかも。当時満州にいて引き揚げてきた人たちはたくさんいるだろうし、戦争孤児もたくさんいるだろうし、それでいて今はもうそういう話を聞くこともめずらしくなった。でも、中国に置き去りにされた孤児たちの日本での生活は麗しいとは思えない。
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僅かでも正義感というものがあるのなら、子どもの頃から問題意識を持ちながら自分の進路を考えるのは素晴らしい。
それでいて、子どもの頃の正義感というものは次第に社会に対する無力感に変わり、わたしには考えているだけで終わっていることがたくさんある。
大抵の場合、「それが大変なことなのよ」と叔母に言われる。母に言われると腹が立つことでも、どういうわけか叔母に言われると腹が立たないのは、おそらくは叔母が子どもの頃から体が弱く、病気がちでそれこそ今でも普通の生活をしていることが不思議だからかもしれない。
「それが大変なことなのよ」と叔母が言う「それ」とは普通の生活のこと。つまり、普通に結婚して、普通に子どもを育て・・・というごく平凡な人生。それが大変だと言われてしまうと、たしかにそう。それが大変だということを、子どもを育てながら学ぶ。
神父さんにも同じことを言われた。ネットだと「言われた」という表現は適切ではないかもしれないけど、平和で戦争もなく、のんびり公園で子どもを遊ばせているような生活、それが素晴らしいのだと。
それでいて、日本の母親の感じる育児ストレスは高い。
正直、今はわたしはほとんどストレスを感じることはない。でも、出産からしばらく娘が小学校に上がるまではとてもきつかった。なんでだろう・・・過敏なんだろうか? 生まれて無事に育てるだけでも大変なのは当たり前だけど、その次には公園デビュー。子どもの社会性とかね・・・とにかく次から次へとタスクをこなすような気持ちで情報過多に悩まされる。
ある日、そのすべてがどうでもよくなった。
結局、娘とわたしの問題なんだなーって思って。他人は関係ない。娘のことを心配すると、今の時代はいろいろ先回りしてあれこれ言う人もいるけど、よく考えてみたらそのように語る人たちには責任がないことが多い。担任の先生だってどこかへ転勤になるし、娘のその後までは責任はない。
ママ友?
はあ、まあ、たくさんいるけど・・・はあ、まあ、子どもは一人一人違いますから・・・としか語れない。男の子と女の子でもいろいろ違うみたいだし、立場も違うし、親の教育に対する考え方も違うし、環境も違うし、個々に違うことがたくさんありすぎて、結局、わが子は自分で育てるしかない、というのが結論。
まあ、道で立ち話するくらいが平和でよいのではないかと。
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一つ気がついたのは、結局はわたし自身。
幸せなことに家庭に恵まれ、子どもがすくすく育ってくれたらそれが何よりわたしにとっての幸せ。休みの日にはのんびり庭に座って子犬を遊ばせているダンナの後姿を眺めているうちに、わたし自身は特に何もしていないけど、社会に対する責任ということでは父さんが働いているわけで、仕事と家庭という言葉はその後姿にあるのかと気づく。
あんまりややこしいことを考えないからね・・・家にいると。
で、まあ、何となく娘がすくすく明るく快活に楽しげにしていると、わたしも楽しい。要するにそれだけのことだと気づく。ちびと一緒にあーでもない、こーでもないと話しているのが楽しい。
というわけで、今年もまたヴァカンスの検索をしているうちに夜が明けた。怠惰な生活。
知的欲求はどうにもならない。しばし思索に耽り、観念的世界に溺れるのも素晴らしいのではないかと。小鳥の声を聴きながらのんびり観念的世界に溺れ、庭仕事。そうやってひねもすはゆく。平和。
昨日、再びアマゾンで4冊購入。アマゾンの良いところは時間を気にせず買えること、すでに廃刊になっている本でも買えること。なんか、クセになりそうで怖い。
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著者: 何 恭上, 町田 俊之
タイトル: アートバイブル
『アートバイブル』は以前から買おうかどうか迷っていた本で、今回オープンスクールで行った学校の図書室で現物を発見し、のんびり絵画を眺めながら聖書を考えるのも楽しいかもしれないと思って・・・
それと、聖書をモチーフにした作品の多さに圧倒されて去年イタリアから戻ってきたので、少しはイマジネーションとインスピレーションをそこから学ぶことも必要ではないかと。
いずれにせよ、ただ眺めているだけで楽しく、しかも安い。
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著者: 前島 誠
タイトル: 不在の神は〈風〉の中に
2冊目の本は、タイトルに惹かれて。
それと、レビュー。
「神はいない」と実感しているユダヤ教・聖書学者がヒトやモノとの出会いによって「不在の神」に出会うことができるということが書いてあるらしく(読者のレビューによると)、逆に考えれば、人がどういう時に神との出会いを感じるのか、そこに興味を持った。
わたし自身は、「神はいる」と実感しながら信仰心を持っている。それはささやかな日常かもしれないし、教会での不思議な出来事かもしれないし、それと不意にインスパイアされる感覚かもしれないし、聖書との対話からかもしれないし、いずれにせよわたしの場合には、「神がいなくても困らない」と思いながらも、あるいは、もしかすると神がいないほうが都合がよいと思いながらも、否定しつつ信仰心を持っているという奇妙な人生であるために、何となく同じことを違う側面で感じているだけのような気がして、是非読んでみたいと思った。
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ほかの2冊は、シモーヌ・ヴェイユ関連。特に詩集に関してはすでに手に入らないと諦めていたので、古本で見つけた時にはうれしかった。それと売れ筋を1冊。これは買うつもりはなかったのだけど、文庫は安いのでついでに購入。ほかの本を買う時ではないと送料が掛ってしまうので。
そろそろ私立中学のオープンスクールや説明会の季節を迎え、今日は娘と一緒に行ってきました。スクールカラーというか、共学だと何かどこかが違う。
なんかね・・・・
「良妻賢母」っていう言葉があるのを誰かご存知で?
学校を卒業したら結婚するのが当たり前、という教育をわたしは受けていたんだということを、すごく感じて帰って来ました。
校庭を歩きながら、ラグビー部の目つきの鋭い連中を眺め、受かったらうちのおちびさんはこういう子たちと同じ学校へ通うのかー、と、不思議な気がした。論文の発表は女の子でしたが、威風堂々、いつでも講演会ができるな・・というか。教室を眺めながら、図体のでかい連中が男女で机を並べているのを見ると、こりゃ隣に誰が座るかで天国と地獄かもしれないとか、何となくつまらないことを考えたりして。
でも、楽しかった。
すでに、図書室の古い匂いも懐かしいし、明らかに学校と社会とが連結し、すでに中学や高校で将来の進路を考え、職業を考え、それが普通なのかもしれないと、さわやかなカルチャーショックを感じて来ました。都内、あるいは関西に住んでいたら、たぶん女子校に進学させることしか思いつかなかったので、この狭く、制約があり、かつ自由な土地柄の影響のせいか、さっぱりとしていて清々しい。
わたし、バカですから・・・朝からお化粧して、服も学校訪問用に新調し、少しは受験生の母らしく振舞おうかと思ったんですけど、いざ行ってみるといつものつくばの顔ぶれが並んでいるという感じで、私立も公立も基本的に関係ないような気がして帰って来た。
まだまだこれからが本格的なシーズンなんですけど、それよりも娘を勉強させないと。この際だからあちこち見学に行きたいけど、その前にやることが・・・・公立だったら引っ越しちゃえばいいんですけどね、私立は受験が・・・・・・・でも、娘を遠くの学校へ通わせる気はなくなった。
要は、楽しかったらよいのではないかと。せっかくの学生時代なのだもの。
最初びっくりしちゃったんだけど、わたしが姑さんを心の底から偉いと思ったのは、義父が亡くなった時、いただいた香典を全部そのままお返ししちゃったこと。
「私一人になったら、主人が生きていた頃のようなお付き合いはとてもできませんから」と言い切り、袋ごと礼状添えて返してしまった。
あっさり語れば、記録でもあればいいけど、実際のところ代がわりしてしまえば親戚でもなかったら亡くなったという報せがわざわざつくばのわが家まで届くとは思えない。姑さんが生きていれば姑さんがするのかもしれないけど、姑さんが亡くなったらまったくわからなくなる。
わたしも真似しようと思っている。わたしよりダンナが先に死んだらお香典はそのまま返す。関東だと半返しが普通なんだけど、関西だと違うみたいだし、知らない人でも来るらしい。お茶をもらえるからだという話も聞いたことがある。それで何も用意していなかったらケチと言われるくらいなら来てくれないほうがありがたい。
つまり・・・・・土地の風習が違うために、理解不可能なこともたくさんあるし、いちいちそんなことで何か言われてもつまらない。それくらいなら家族だけで密葬のほうがマシ。
全部まとめて一律返してしまえば、どこに失礼だの何だの言われることもないし、自分も逃げやすい。近頃、お葬式が終わると家族が消えることが多いことを考えるとそのほうがいいかも。つまり、子どもの数が少ないとか、子どもがいないとか、さまざまな理由で一人になったら転居する人が多い。そのため、お香典をいただいてもお返しができないとかね。
日本にいるならまだしも、子どもが海外にいたらとてもじゃないけどわざわざ誰かのお葬式のために日本に戻ることも無くなるだろう。体も悪くなるし、旅行だってしんどい年頃になる。ましてや一人になり寝たきりで施設に入っているとか・・・
現役で亡くなるのならともかく、今はひたすら長生きの時代なので次第にお付き合いも狭くなるし、パタパタと次から次へと亡くなるそうなので、結局、奥さん一人だけ生き残っているご時世。叔母も姑さんの話をしたら自分もそうしようと言っていた。
娘の結婚式?
もういいよぉ・・・・・仲人も要らないし、うちは一人娘だからお式はしてあげたいけど、じいさんばあさんばかり集まるようなのは要らん。そんなんなら海外で挙式とかね・・・わたしだって行きたい。それを理由にしばらく遊んで来てもいいし、ダンナだって正々堂々と仕事を休めるし、ヴァカンスにお金を掛けるほうが楽しい。
婿さんの側からクレームが来たら?
勝手にやってもらう。(←きっぱり)
なんかいいな・・・
好きな時間にネットができるというのは。
他愛もなく幸せな気分に浸ってしまう。
昼寝とネット。
このふたつが消えたら、おそらくはおそろしい勢いで本でも読んでいるのかもしれない。
いや、このふたつがない時には、おそろしい勢いで庭に花や木を植えていた。
それと通販カタログ。
しょーもな。
おなじようにしょーもない生活なら、少しは役に立つ記事をアップしているほうがマシ。
それでいて何の役にも立たないことがむしょうにハッピー。
のっちなんだろ。
わからん・・・
うちのダンナもおじいさんが亡くなって以来、ピタッと接待以外で外で飲まなくなった。
こんな時代だから接待も減り、いつのまにかマイホーム・パパになっている。
ある日、バカじゃないかと思った。
トイザラスに娘と一緒に行き、あれも安い、これも安いと娘のおもちゃなどを買い込んで来た。
つまり・・・・
後輩を連れて飲みに行くことを考えたら、おっそろしいほど娘のおもちゃや服を買えることを知り、それ以来グッと付き合いが減った。
それまではそれが伝統だからという理由で、後輩などを連れて飲ませていた。
たまの休日には釣りや結婚式。
ある日突然、すべてのそういう付き合いを断っている。
最初、わたしは気が付かなかった。
でも、よく知らないけど、そういうふうに申し合わせたらしい。
あんなんは誰か代表で行けばいい、って。
まあ、ただでさえ人手不足だし、休みが少ない生活だから、それは案外すんなり通った。
今の時代って、すごくわがままだから・・・・上も下も。
互いに互いの生活を大事にするほうが平和らしい。
田舎だからだろうか?
よきひとは神さまだけと書きおれば十字架を背にスケープゴート
退廃に身を焦がしゆき光すら与われたもの真上の空は
のんびりとうた詠みいづる一時に舞い落つる蔓絡ませ小指
鬱蒼と夜は更けぬれば朝は来ぬ天は無情に日は繰り返す
ちっぽけに露光たる葉のうえは光の世界とどめし祈り
屍は綺麗な方がよかろうと頬のしみなど気にしてみては
骨のなかすかすかになる光なき生活を知る骨さえ消えて
意味なきとあらくさの息おとづるる光のなかで骨は生きたる
ゆっくりと庭草のうえ立ちたれば骨育てるか見えない時間
はっとして意味しるべしとことのはをふりかえりても時は戻らず
与われた時生きるべし無意味なる時の意味知る死の淵の声
結局、家でネットをしているとお金が掛らないというのは、交際費が掛らないということなのかも。今回、姑さんと話していてそんなことを感じた。
だって年寄りが生活するだけならほとんどお金要らん。胃と歯が衰えてきて食事の量も減るし、どちらかというと健康のために食べるという感じ。光熱費だって知れているし、大抵の人たちが年金で生活できるというのはそういうことなんだろう。
結局、医療費や交際費の占める割合が大きい。
姑さんの話によると、昔は入院したと聞けばお見舞いにも行っていたところでも、年中だしお互い様だから次第に行かなくなる。死んでもお互い様らしいし、うちみたいに神戸からつくばに来る予定だと結局年寄りがわざわざ神戸からお葬式に来てくれるとは思えないし、そうなるとよほどのことがなかったらうちの姑さんなんて病気を理由に近頃ではお葬式にも行かない。あまりにもわかりやすい。
それじゃ元気にしているからと始めた陶芸でも、先生と仲良くなると毎月東京と関西で3回くらい個展があるからと誘われる。次はアメリカでやるからと誘われる。それでは足りなくてもっと仲良くなると高い化粧品を買ってくるように頼まれ、なかなか支払ってくれない。「白石さん、これいいねー、私にも買ってくれへん?」と家に来てはやられる。仕舞いには腹が立って来て、「先生、これ支払ってくれへんかったら、私、生活できん」と言ってやったらしい。
わたしなんて、話を聞いているだけで鬱々してしまう。
そんなん考えたら付き合いなんてかったるいだけだ。近所の人と立ち話をしているだけなら金は掛らん。
芸能人の追っかけをしている年寄りの話。聞いているだけで鬱々してしまう。知らん顔してチケットぴあでチケットを購入しているほうが賢い。
結局、交際費なんだよなぁ・・・人生は。
教会へ行こう。
そこが素晴らしいかどうかはわからないけど、幾分マシな気がする。バザーやボランティアのお手伝いをしているほうがマシだ。年取って婆さん同士の付き合いに金を掛けるなら、もっとマシな生活があるかもしれない。
スカッとね・・・自分で運転して・・・さっぱりと。
金を払って収集してもらうより、ドライブ。
かっこいい。(そう思っているのはわたしだけかもしれないけど・・あははのは)
だるだるに怠惰な気分つらつらとひねもすはゆくおはなし生活
通り雨、あっという間に陽が射せばキッチン照らす日におどろきつ
白い肌、にしびのじかん、青闇のゆっくりしのぶ立ち話どき
夕顔をたんぽぽの茎に挿しこみし子らのさしだす一輪挿しか
ゆっくりと主婦には主婦のときありし染めし髪さえさしもどりたる
交差するゆるりと土地のつづきたる道を走りぬ猛スピードで
軽やかにうた詠む人は軽やかに話はせぬとすこし学びぬ
まったりと自分に沈む時間には夕陽のようなくりかえしあり
押し黙る機械のような受付をよっこらさっと荷を運びゆく
煙突のすっくと伸びたセンターは想い出さえも粉砕しゆく
リサイクル煙突のなか消えゆかば粉砕の影アルミは積まれ
ゆっくりとぶつ呑み込みし炉のなかへシャベルは埃巻上げ動く
無機質に誰がため書かれし看板に燃えるか否かの別れ道あり
家に話し相手がいるということは、朝から晩まで話しているということで、こんなに話していたのはいつぶりだろうかと悩む。
起きている間中、大抵は姑さんがいて、一人で過ごす時間というのは寝ているか娘を送迎する車の中くらいのもので、大抵は誰かと話している。それでも娘を乗せていれば娘と話し、お絵かき教室に新しい子が入り、そうするとその子のお母さんと30分くらい立ち話をし、買い物の時間を気にし、家路に着く。
もしかすると、それが普通の生活のような気もするけど、娘が生まれて以来、家の中にいる時間が長く、しかも娘が幼稚園へ行くようになると、家で一人で過ごす時間が長いため、姑さんが神戸へ帰った今、何故かわたしは自分が旅行帰りのような疲れを感じている。
どこが違うかというと、まず時計を見るようになった。
一人だとあまり時計を見ない。テレビはめったに観ないけど、テレビを点けていれば何となく時間がわかる。それと同じような感覚で、パソコンに時計が付いているため、わたしは時計を見ない。
一人だと一日が長いために、時計を気にするのは日が翳り、そろそろ娘の学校からの帰宅時間ではないかと思う頃と、塾の終わる頃。それに合わせて、お風呂も夕飯も買い物もするために、日中は時計を見ない。
それが姑さんがいると、どういうわけか時計を見る回数が増える。彼女は滞在中2日間くらい病院へ検査に行ったので、そろそろ戻る時間だろうかと時計を気にする。その後すぐに娘が戻る時間だし、そうなると慌しい。一日があっという間に終わってしまう。話しているうちに夕飯の支度をしなくちゃとか、娘を迎えに行かなくちゃとか、何かと気が急く。
その間に、クリーンセンターへ行ったり、家電ショップへ行ったり・・・
つくば市は粗大ゴミの日は予約制。いくつか捨てようと思い、市役所に電話したら持込だと安くなると言われたので、自分でクリーンセンターへ持って行くことにした。40ℓの袋に入るものは家電でも燃やせないゴミの日に捨てられるのだけど、空気清浄機や赤ちゃん用の歩行器やアイロン台などは捨てられない。かといって、市の収集車を頼むと1つ400円掛かるらしく、980円で買ったアイロン台を400円も払って捨てるのはあまりにもバカらしい。
クリーンセンターは思っていたよりも近かった。車で10分くらい走り、大通りを左折すると大きな煙突が見えて来る。
受付を済ませ、別の入り口から入り直す。ものものしい雰囲気。言われた通りゆっくり車を走らせると、シャベルカーがいくつか動いているのが見えてくる。そして、炉の前に車をバックで入れた。
娘の歩行器を荷台から降ろす。まるで埋葬のような雰囲気がして少し胸が痛んだ。粉砕するということがリアルに見えるせいか、アイロン台や空気清浄機に対しては何の衒いもなかった代わりに、娘のものを捨てるのはつらい。
いつまでもオムツをとっておいても仕方ないと思いながらも、捨てられないものがたくさんある。歩行器はさすがに壊れていたので、思い切って捨てようと思ったんだけど、自分の目で実際に炉を眺めると・・・
センターの中はゴミの収集車が入ってくるだけで一般の車両はほとんどない。まるで場違いのような雰囲気感じながら支払いを済ませるために出口へ向かう。結局、窓口で無料だと言われた。10kgまではタダらしい。いつの間に計量したんだろう。
電子レンジを捨てると20kgくらいあるので130円掛かる計算。(260円?) 家電ショップで買えば逆に下取りしてくれる。でも、今度の新しいレンジを眺めると、そのうちリサイクル品目になりそうな気がする。そうなると一気に高くなる。なんでリサイクルのほうがバカみたいに高いのか不思議。
それにしても、わたしは気が短いので、ゴミの収集日まで家の中にゴミをためておくより、というか、その日に合わせて捨てるより、燃やせないゴミなら自分でクリーンセンターへ持ち込んだほうがせいせいするかもしれない。分別ゴミの日と燃やせないゴミの日とその他諸々粗大ゴミやら古紙やらうっかり忘れると2週間くらい待たなければならない。それを考えるとゴミを捨てるのも憂鬱になる。
タッタカタッタカ自分で車の荷台に載せて捨てに行く。さすがに生ゴミは嫌だけど・・・
その他諸々、髪を染めてみたけど、まるで染まっていないわたしの髪。
なんで姑さんが来ただけで、普段やらないことをやってしまうのだろう?
というわけで・・・なんか、ずっと家にいたのにまるで旅行へ行った後のように疲れている。娘に話しかけられても答えるのが億劫なほど話すのがだるい。
怠惰になるって結構素晴らしいかもしれないです。
考えてみれば姑さんとの付き合いはダンナと結婚する前からだから、かれこれ20年くらいにはなるでしょうか。当時は待ち合わせ場所からして違います。帝国ホテルのロビーとか、新宿のセンチュリーハイアットとか、その後一緒にお芝居を観たり、お食事をしたり、一緒に青山を徘徊したり、あの頃は2人とも(って誰と誰だよ〜!)若かった。
わたしなどはしょせん文系の学生だからヒマはたくさんあるし、姑さんが神戸から出ていらっしゃると2人で遊びまくっていた。ダンナは留年ばかりしている学生で、親は心配だから最初の頃は月一で上京していたし、それでいてヒマだからあちこち徘徊して・・・
そんなこんなを考えると懐かしい。
結婚してからは、掃除が終わる頃には家電が1つ増えるというのがこれまた慣わしのようになり、姑さんはもともとメカが好きな人なのであれにこれにと新しいものが増える。たまに神戸から物品そのものが届くこともあった。電動モップ、空気清浄機、食器洗浄器、電動泡だて器、全然関係ないけどスパゲティ掴みやアイスクリームサーバー、お肉のミンチ用の機械・・・もう数えていたらキリがないくらい家電や小物が増えまくる。
前回はたしか炊飯器を買い替え、今回は電子レンジを最新式にしてしまいました。
なんでだろう・・・・もう、これは1つの儀式みたいなもので、来るたびに何か新しくなる。それと化粧品の類。これがいいとかあれがいいとか、あれにこれにと使ってみなさいとばかりに化粧品が増える。それとフェイス洗顔用の泡立てタオルが今回のお勧め品。化粧品を買うとついてくるらしいのだけれど、余分にあるから、と持って来てくれた。
なんか平和だなーという気がする。
結婚して子育てして、子どもが大きくなる頃にはエステとかね・・・わたしもいい加減にババアだからやらなければならないらしい。長生きの道は険しい。長生きも大変だけど、顔の手入れも大切になってくるらしく、いい加減にハワイ焼けの染みもババアになると気になるので、そのうち皮膚科を予約してオペしようかと思っています。
長生きしていると結局は健康が財産だし、とにかくマメな人だから何でも次から次へと始まる。家が焼けたり大変なことがあっても落ち着くと元に戻るんだな・・・というのが率直な感想。世の中が不景気だろうと何だろうと後何年生きるか分からないような年齢になると関係ないもんね。仲が良かった友だちもだんだんあちこちに病気が出始め、特に足が弱くなると外出も儘ならないし、そんなことを考えると姑さんが退屈しているのではないかと思ったけど、いまだに放送大学だのオペラだのと習い事をして、せっせと医者通いして、結構忙しそうにしているのを眺めると、元気が何よりだと思ってしまう。
姑さんの一人暮らしの日課は、主にヒマつぶしの読書。そのほかにはテレビを観ては衝動買いをしているらしい。だって一日中家にいたらすることないし・・・わたしもネットをする前は似たようなものだったような・・・それを考えると、ネットは安上がりだ。これをやり始めてから買い物が減った。
そうなのよね・・・・ネットを始めてからだ・・・・仕事がどうたらこうたらとか、子育てがどうたらこうたらとか・・・・リストラだの不景気だの世の中の情報がかすかにでも侵入し始め、何となくそういう気分に感染する。
姑さんと2人で家にいて話をしていると、かなり昔のノリに戻ってしまう。2人ともケチはケチなんだけど、家の中はどこかわが城だし、好きにしていることがストレスの発散。だから要らない道具が増える。その次には美容のこととか・・・わたしはあまりマメなほうではないけど、何となく姑さんと話しているとやろーかなーという気になってしまう。(ええこっちゃ)
こうやって何となく家族やウマの合う人たちに囲まれて、かったるいことはダンナに押し付け、さらにこれにおちびが加わり少しは変化や事件を与えてくれるというのがささやかなる人生の楽しみという気がする。
なんか怠惰っていいわ・・・・平和で。世の中がどーなろーが関係ないから。後何年生きられるか分からないのに、今さら、だよね、たしかに。
まるで買い物へ行かないで、冷蔵庫の中のありあわせのもので料理しているような記事になっていると思いつつ、それでもコメントやトラックバックがあることを感謝しておりまする・・・でも、もしかすると黙っていたらわからないかも・・・(わかるか・・)
ご想像の通り(?)、掃除と庭仕事と娘の送迎と姑さんの話し相手と夕飯の支度と昼寝(オイ!)以外、夜中にコソコソ起き出してお風呂入って掃除してブログを更新している夜更け。
あー、嫁さん、やってるなー、という気がします。
日頃、いかに怠惰な日常を過ごしているかもわかる・・・
ひとりだったら、朝起きたらオンして、家事しながらオンして、うつらうつらと気ままなネットライフ。
それがいかに怠惰なものであるか、この数日間のわたしの雑巾を持ちながら家の中を歩く生活を省みるとわかります。
だったら少しは反省するか?
いや・・・・人生は怠惰なほうが。
この数日間で、オト(ミニピンのオス、2歳)がいかに悪男かわかったし・・・
おばあちゃんのことを2回も噛んだ。ようやく2日目の夜、「餌くれワンワン!」状態になり、すっかり姑さんにも慣れ、ほっとしています。
マリちゃん(ミニピンのメス、3ヶ月半)はソファの上から落ちて一昨日は打撲状態だったのが、今日はすっかり元気になり、彼女は最初からおばあちゃんにも愛想がいい。(とは言ってもマリちゃんも来たばかりなんだけど)
それにしてもオスとメスとはこんなにも違うのだろうか?
悪男オトくんは相変わらずなんでこんなところにおしっこするんだよーっという感じだし、庭を歩けばオトのうんちは落ちているし、歩く人歩く人には吠え掛かるし、いつまで経っても悪いヤツ。マリちゃんは3ヶ月だというのに最初からトイレトレーニングの必要がない。
ペットショップの違いなんだろうか?
それとも、オスとメスの違いなんだろうか?
それとも、単にオトがアホなんだろうか?
わからん・・・
天然の性差だからね・・・
いろいろ考えてしまった。
こんな時間に起き出して、一体何をやっているのだと思いながら、やはり画面に向かって打っている。
姑さんは無事に到着し、おそらくは震災後に会った中では心身ともに一番元気な気がする。もちろん10年以上経過しているわけだから、年相応に弱っているのは仕方がない。
わが家はバリアフリーに対応した家ではないため、年を取ったらただ歩くだけでも手すりが必要になるとか、いろいろなことを言っている。今のところ実感は湧かないけれども、神戸では震災以後建てられた家やマンションには廊下にも手すり、ペット用の出入り口が標準されているという話や、介護付きマンションの話や、実際に介護保険を受けている人たちの話などをせっせとしている。
荷物を持って神戸から一人で来られる状態だから、実際には手すりも杖も必要はない。でも、不安になるらしい。お風呂にはすでに手すりを付けたらしいけど。こればかりは分からない。でも、階段やお風呂場だけでなく、廊下ですら手すりがないと不安になるというので、そういうものなのかもしれない。近頃では電球が切れても取り替えるのが苦痛らしく、トイレの電球が切れた時には朝誰か来るまで懐中電灯を使っていたとか。考えてみたら、今でも階段のところの電球などはわたしでも怖い。やっぱ、照明を含めて、そのうち考え直さないとダメなのかも、と不意に思った。
今は平気なんだけどね・・・いくらなんでも。
元気なうちにつくばに来て、とか、老人施設へ入る、というのはあまり親切なアイデアではなさそう。細かいところなのよね・・・そりゃいざとなれば四国に5万円くらいの老人施設があるとか、介護付きマンションとか、高齢者対策は介護保険を使えばどうにでもなる時代なのかもしれなけど、細かいことなんだと思う。
例えば、本当に意識もないような寝たきり状態になってしまえば下の世話も気にならないかもしれない。でも、少しでも意識がはっきりしていたら絶対に他人の世話になるのは嫌だと言う。そのほか食事のこととか、個室とか4人部屋とか、1日6千円を払って入院するならタクシーで4千円を払って通院しているほうがいいとか、細かい。
そうやって考えていても、わたしの母のように突然意識もなく重度の障害で食事や酸素の摂取すら自力で出来ない状態にまでなると一人で暮らすどころか生きる力もないから、バリアフリーの家など必要ない。体力はあってもボケていればそれこそ24時間介護が必要になるし、状況次第。
もう何年もそういう話をしてきたけれども、結局はその時々の体調次第なのでこればかりは分からない。
なんにせよ、元気が一番。かなり、そういうことを実感。普通に暮らしていても不安な年頃なのに、ちょっと体が悪くなっただけで不安状態が始まる。そうなるとダブルパンチ。体が快調になれば精神状態も良くなる。見事に連動している。長生きも楽じゃない・・・
■『人質女性主人公の「バッシング」カンヌで拍手』
■『外相、アルジャジーラ出演へ 救命訴え』
上の2つのニュースを読んで、何となく複雑な心境。
1つは、今開催されているカンヌ映画祭で、高遠菜穂子さんのイラク人質事件からインスパイアされたという小林政広監督の「バッシング」が上映されたという記事。もう1つは、現在進行中のイラク人質事件の記事。
比較してどうなるんだろうというわけでもないけど、高遠さんの場合はボランティアでイラクへ行き、しかも自衛隊のイラク派兵についての反発からか3万人のデモが集まったし、政府もそれこそ全力投球。無事に釈放された後の政府の対応も冷たかったし、バッシングまで発生する日本社会。亡くなった香田証生さんの時には、「どうしてそんなところに・・」という雰囲気が充満していた。
今回の斉藤昭彦さんの場合は、お仕事らしい。そうなると報道自体にも冷たい世論。
これが日本なんだよなーって何となく感じた。
******
鬱蒼と晴れ間もとむる霧雨の夜通し続くつくば根の春
バッシング独りが楽とうた詠みは子犬の声に呼ばれ俯く
地獄絵図知りたくもなし霧雨は梅雨寒のごと陽を隠したり
雨なくば今が春とは思えぬも13日は金曜日なり
イタリアの13日の金曜日陽は明るくて眠りゆくひと
みもとにはやわらかき陽のさしたればうつらうつらと無にねむりゆく
大波に揺らるる舟の戻りなば次ゆく舟のいづこに浮ぶ
時事詠に行こうと思ったけど、自己中は直らない。
社会って映画に映る人生の頑ななまで覆わるる布
知らぬなら知らないうちに過ぎゆかばめぐりゆく花散るもうるわし
知らぬなら今の世界がすべてだと海の果てには魔物の巣あり
ひっそりと島に暮らしぬ敷島の春は梅雨寒紫陽花を待つ
イラクよりマリのいたずら手を焼けば狭きわが家が彼女の世界
オトくんは玄関見張る番犬にマリは膝うえ隠れておりし
遠くへと旅立つよりも家の中公園散歩子犬のワルツ
土くれに変わり果て生れしあわせはぬくもりのなか死するものかと
犬に人生を学んでいる、わたし。
■藤田千鶴さんの日記を読んでいて
雲の数いくつあるかと見あげてもいくつあるかと風は吹きぬけ
*****
淡き人濃い人といふ境目は水平線の青の彼方に
青青と空と海との境目は地球の色の遮るばかり
海の上陸の上かと思っても地球の上はまあるい世界
ぽっかりと在るものは在り見えざらん季節の色がぽっかり光る
マリちゃんをひとまわりだけ大にしておてんばマリアつなぎしいのち
失って生れこしいのちめぐりくる季節のようにつながれし糸
谷底へ向かっていたが山風は吹きあぐるようふたたびマリア
ぽっかりと抜け落つる時つながれて何事もなくつむぎゆく日々
垂れ耳のマリアは死んで反り耳のマリアの来る今宵は更けぬ
ある日突然、アメブロの「本・書評・文学」のトップページで、『「山川塾」講座 第1回(仮) ブログは日本に固有な日記文学の復権だ』 という記事を見つけ、ジャンルを変更することにした。実際には、アメーバブックス編集部のブログなので、これもアメブロ企画の一つなんでしょうけど、「日記文学=ブログ」という発想がつらかった。
つまり、一つのブログ全体をまるごと日記文学として講評を山川氏が述べるという企画。何気ない日常の記述である日記を文学として講評するという姿勢がインターネット的ではない。
それでは一つの短編小説をそのまま一つのブログ記事にしてしまった幸田回生さんの小説『ペーパークラフト』 はどうなるのだろう?
幸田さんの場合は、小説だから少なくても幸田さんの日記ではない。
わたしの場合、短歌は文学であるとかないとか、ブログは日記であるとかないとか、ネットはメディアであるとかないとか、道具を使うのは人間のため、実際にはどのようにでも使おうと思えば使える電子の世界を不自由に泳いでいる。
今回、ほとほと悩んだのは、小説の場合、作者がいて登場人物がいる。幸田さんの『ペーパークラフト』も「さやか」という登場人物の日記である。実際には日記とは言えないでしょうけど、読みようによっては完璧な日記。書いているのは作者。だから、フィクション。
わたしの場合は、ブログの作者はわたしであり、小説ではないから、登場人物も実在の人たちであり(当たり前か・・)、わたしはわたしである。でも、もしかすると読む人たちにとっては実はどうでもよいことなのではないかというのが素直な感想。
これが幸田さんのブログがまるごと「さやか」という架空の存在を主人公にしてブログ記事を書き続ければ、フィクションであり小説であっても、日記文学というカテゴリーに含まれてしまうようにも思われる。
文学、ということで考えてしまえばおそらくはどうでもいいことなのかもしれないけど、ウェブを主な作歌の場としてうたを詠んできて、ついでにそれが発表だと言われ戸惑い、次にはそれが文学であると言われて急にジャンル変更したり、CSS編集記事を差し入れたりするわたしという人。
このほかにも実際的な問題はある。
例えば、わたしの場合、素材を借りているけれどもそれは前提に個人のサイトないしはブログであり、営利目的ではないという条件がある。だから、アフィリエイトについても本来なら控えるべきだと思っている。このため書評を書くのも憂鬱の種。なぜならアマゾンのアフィリエイトの画像を使うにはアマゾンのアフィリエイトに加入している必要があるから。そうでなければいちいち自分のサイトやブログに画像をアップしなければならない。
完全な書評のブログであれば、余分な画像を使う必要性がないのでおそらくはくだらない悩みなのかもしれないけど、例えばニュースの記事や写真にも著作権があり、いちいち莫大なブロガーたちがニュース・サイトに承諾を得てリンクを貼ったり画像を使ったりしているとは思えない。それでも問題にならないのは営利目的ではないからだろう。でも、アフィリエイトは営利目的である。
そこのデリケートな部分が、アメーバブックスの編集室(あるいは企画室か?)はもともとが営利目的で出版している人たちのせいか伝わらない。ブログまるごと日記文学として扱い出版を考えるというのは発想としては今の時代の風潮でもあり、ブログを書いてアフィリエイトするというのも一つの仕事だと思っている人たちもいる。それを推進する、というのは商売なら当たり前だろうし・・・
感覚の問題なんだろうな・・・
今回、ブログペットがとうとうアメブログでは使えなくなり、こういうのはむしろ企業間の問題であることが多い。わたしがほかのブログにブログペットを置くことは可能である。ところがアメブロだと使えない。新聞社の記事も個人ユーザならアメブログでも使えるでしょうけど、企業のブログでは許可なく使えない。翻弄される一人のユーザであるわたしという人。
ブログは一つの世論だからな・・・
果たして、それを文学と呼び、文学にしてしまってもよいのだろうか?
文学記事として記事をアップするのなら、別でしょうけど。
どうもややこしい。
日記文学とブログ文学。
★麗。さまへのトラバ返歌
夏日和 「終わったのね・・」 と、君が泣く 不倫オトコの 気持ちになれた(麗。)
冬靴と夏のサンダル・・・
履き替えるのは当たり前なんだけど、そんなこをと感じるあなたって。
冷たくもなれない人なんだ。
ゆるせるかゆるせないかとまどろんでめぐりゆく傷うめる間もなく(しらいし)
夏来れば冬はめぐりぬ春の陽に紫陽花めでる五月の風に(しらいし)
家のなか昼寝しおれば春風も流るる雲に陽をしのびおり(しらいし)
昨日、ペットショップから連絡があり、子犬を見に行ってきた。
去年の暮れ、原因不明の感染症で死んだマリちゃんの代わりの犬。
ミエルではない。
ミエルは先月母の誕生日に連絡がありペットショップへ見に行き、わが家に来ることに決まったのに、その数日後1回目のワクチンを接種した後、急に具合が悪くなり、結局、ペットショップからそのまま里親のところに戻ることになったらしい。
マリちゃんの時のことがあるので、ペットショップといろいろ話し合い、今度はワクチンが3回終わった犬を引き取ることにした。ミエルが元気になれば・・・と思っていたら、ダンナが怒るのでその話はボツ。元気でないと育てられないから、というのが怒りの理由。
そりゃそうかもしれない。
少なくともマリちゃんの時には、来て3日目から具合が悪くなり、朝から晩まで看病し、毎日のように医者へ連れて行き、それでも良くならないので、インターフェロンを投与するために入院。そして、死んだ。
もう、あの時のことを考えたら、ショックが大きくて・・・
生後2ヶ月。まだ赤ちゃん。体重も850グラム。それが食欲が落ちて、700グラムに衰弱。そして、動物病院での知らせを受けて自宅で最期を迎えることに。そして、わたしの誕生日の翌日、ダンナに抱っこされたまま心臓が停止した。
かわいそうで、かわいそうで。
まだ赤ちゃんだったのに。
家にいた時間は短かったけど、情が違う。
すっかりわが家の子になっていた。
マリちゃんは、骨になり、庭に散骨。
小さくてほとんど残っていなかった骨は、あっという間に土に戻る。
このため、ミエルの状態が悪化したという連絡が入った時、うちのダンナは冷たかった。話を伝えると急に怒り出し、自分でペットショップに電話。ミエルに対しては、どうも最初から気に入ってなかったらしく、今ちょうど別のペットショップにダンナのお気に入りのメスのミニチュア・ピンシャがいるので、そっちにしようかと迷っていた。
相性ってあるからね・・・
マリちゃんが可愛かったからマリちゃんはうちの子だったわけで、いきなりほかの犬というわけにもいかないのかもしれない。わたしは、娘がミエルにすると言っていたので、どちらでも。
というわけで、昨日の晩、案外おそるおそる見に行った。今回は断れないから・・・すでにワクチンを3回受けているし、ペットショップも半年かけて探してきた子犬だし、さすがに。ミニピンは可愛い子はすごく可愛いし、可愛くない子は極端に可愛くない(ような気がする)。
正直、新しい子犬の顔を見て、ホッとした。
可愛い。
ダンナも気に入ったらしい。(←ここが一番大事)
わたしはね、案外、どんな犬でもかまわない。相性も何もない。へちゃな犬でも飼っているうちに情が湧く。オトくんもダンナが気に入って連れてきたけど、わたしは犬を飼いたくなかったのでずっと反対していた。いざ飼い始めると、わたしに一番なついている。
そんなもんさな。
名前を考えないとダメなんだけど、悩んでいる。今度は丈夫に育つように強い名前にするべきだろうか。マリちゃんの時は、「マリア・アンジェラ」と付けたから、すぐに昇天してしまったとダンナが言う。それでいて、ミエルの時には、「熊」とか「龍」と付けろという具合。(ふざけとんのか、あのおやじ!)
で、結局、迷っている。
そしたら、「また、マリアって付けようか?」とダンナが言う。
・・・・・・・絶句。
返すことばもなかったね。
なんなんだ、この待遇の差は。
家に来てから考えるか・・・もしかすると、本当にまたマリアになるかもしれないし・・・ただし、マリア・アンジェラではない。
今週末、突然姑さんが神戸からやって来ることになり、こんなことをしている場合じゃないだろう・・・と、気ばかりあせる。わたしみたいな怠惰な主婦とは違って、なんせ歩きながらお掃除している人だったから、いまだに気ばかりあせる。
神経質なくらい綺麗好きで、トイレも使うたびに掃除してから出て来るし、モッパが発売されれば履いて歩いているし、窓のサンにはどこも歯ブラシが置いてあり、開けるたびに掃除している。それで足りなくてお手伝いさんがいて、毎日パジャマとシーツを洗濯し、アイロンかけて、食事も終わるそばから皿を片付けて洗い始めるような性格なので、食事の支度が終わる頃にはキッチンは片付けられ、食事が終わる頃には後は湯呑みやコップを洗うだけになり、どういうわけかほかの食器はすでに片付けられている、という生活。
冷蔵庫やテレビでも相当古くなっても新品みたいだし、クルマも毎日のように洗車。そうなると中古でくたびれた雰囲気というのは掃除や手入れしないだけだから、ということがよく分かる。冷蔵庫の中でも、毎日拭き掃除しているから物が溜まらないし、食器の類も使わないとなったら余分なものは物置などに片付けてしまい、いつもすっきりしている。
掃除も才能だよなぁ・・・と、姑さんを見ているといつもそう思う。
「気にせんでええよ」というのが口癖なんだけど、姑さんのお姉さんというのがまだ元気でいた頃には、一緒にやって来ては多数決に負けてしまう。姑さんよりすごい。姑さんがそこに泊まりに行くと、朝は寝ているそばからシーツを洗濯のために剥がされるらしい。食器が片付くどころかレンジを磨きながら食事している。世の中の人たちはそこまではやらないと思うんだけど、類は友を呼ぶのか性格なのか、多数決に負けそうになる。
どっちが普通なんだろう・・・
掃除や家事というのは、やる人はとことんやるし、やらない人はとことんやらない気がする。それでいて大抵の人たちはその中間くらいだと思うんだけど、その中間というのが分からない。
それにしても、昔は姑さんが来るとなると、来る前に大掃除して、来てからもなぜか大掃除になり、家中綺麗になったのを見届けてから神戸へ戻るというのが慣わしだったのだけど、今は体が動かないという愚痴ばかりだし、果たしてそれを信じてもよいのだろうか? ・・・・・悩む。
叱られるわけじゃないんだけどね・・・・もちろん。あれをやれと言われてもなかなかできない。
最初は荷解きをしながら、じっとしている。そのうち10分も経たないうちに、「まさこちゃん、雑巾ない?」と呼ばれる。嫌味じゃないのよ・・・嫌味じゃなく、じっとしていられないらしい。あっちもこっちも雑巾を持って歩き出す。そのうち、何が足りない、これを整理して、あれを捨てて・・・が始まる。性格だから・・・
そのうち、時間が余ると、娘を連れて散歩へ出かけたり・・・・とにかくじっとしているのが嫌い。何もすることがないと、「アイス、ないかな?」が始まる。カップまるごとは食べられないから、半分だけとかね。シャブ肉3枚でお腹一杯になるくらい少食。それでいて、少量のアイスやプリンを薬を飲む前に食べることが多い。家ではたまねぎをマリネにしたものやもずくなどを少しずつ食べるようにしているらしい。胃が弱いから。
ある朝、靴を磨いていたのを見た時には、さすがのわたしも驚いた。姑さんにそこまでは・・・本人はじっとしていられず、見た瞬間に手が動き出すみたいなところがあるからまるで意識していない。普通の姑さんだったら自分はやらず嫌味だけ言いそうな気がするんだけど、うちの姑さんはそうじゃなく、じっとしていられない、手を出さずにはいられない、だから何でもしてもらう、みたいになってしまう。
まるで病気のようだ・・・と思っていたら、本当に病気になってしまった。今は元気みたいだけど。綺麗好きだけど潔癖症ではないし・・・鬱があるだけで。
しばらくブログを更新できないかもしれない。いや・・・夜中にこっそり書いているかも。こうしている間にも週末は近づく。
水田の鏡のように輝けば紅の時間のうつそみの海
あかあかといつまでつづく落つる陽にすれちがふ車のたえることなく
おおあくびひとつ落としぬあかあかとまどろみのみちうねうねつづく
春の色茜射す日のおとづれにいくど通った筑波の山見
アスファルト ガードレールのつづくみち 筑波の山に浮ぶ雲みし
オレンジの輪郭の月くつきりとみかづきの刃に空は割られつ
低空に浮ぶ刃物かみかづきは落ちつ割られつ夜はちかづき
春の陽はいまいましくもみかづきに色残しつつまどろむなかれ
鉢植えはプライスダウン紫陽花の満開な春庭に落としぬ
はかなげに小さな葉つく紫陽花は花に埋もれて身の細き芯
浮き雲の紫陽花いろに染まりゆく夕は散る華浮べし円
紫陽花色の空を見たので、紫陽花の鉢を買ってきました。
さっき、Natさん からの紹介メールが届き、mixiに登録しました。
近頃、話題になることが多いし、以前ほかのお友だちから教えていただいた時には、まったく興味がなかったのでそのままに。さっき、彼女の名前を検索してみたんだけど、出て来ない。はてはて・・・
と思って、自分の名前で検索しても出てきませんでした。
どうなっているんだろう。
Luluさん は、タンザニアで検索したらヒットしました・・・(汗
アメブロの日記をそのままmixiでも使っていらっしゃるので間違いようがないと思っています。わたしも真似して『風マニア』をmixiの日記にしようと思ったのですが、案外、この日記は更新頻度が高く、ちょっとうるさいかなーと。お知らせ機能が付いているようなので。アクティブにしている人たちなら気にならないかもしれないけど、ご紹介がNatさんで、そのお知り合いとなると、ちょっと引いてしまいました。(男の人ばかりなんですよー、Natさんの友だちは。ババアがいたら場違いかも)
以前、神父さんのMSNコミュニティに参加した時、掲示板に投稿するのはせいぜいわたしくらいのもので、しかもメンバーにメール配信されるため、めったに書かないようにしています。ネットのノリでアクティブにしていると、ほかの信者さんからお叱りのメールが届くこともあり、寡黙なほうがよろしいということを学びました。
どこが違うかというと、気構えでしょうか・・・・真面目に洗礼を受けるためにお勉強をしようと思っているところに、わたしのノリで投稿していたら雰囲気が違いますから・・・・聖書の勉強会を思い出し、「雰囲気か・・」と反省しました。それ以後、ひとりでうたを詠んでいるくらいがちょうどいいかもしれない、と。
それとたまに思うんですけど、ネットでも親しくなると逆にブログやサイトのほうにはめったに来訪しなくなります。なんででしょうか・・・コメントどころか、メールやメッセンジャーも忘れた頃に届くという感じ。リアルな友だちという言い方は好きではないけど、正直、リアルな友だちがコメントなんて残すことはないですからね、めったに。だから、忘れた頃に、どっひゃーということも多々あり、逆に「来るな!」と思ってしまう。>特に、弟。(近頃は忙しいからめったに来ないだろうけど・・)
わたしのメルアドのアドレス欄で、一番変なメルアドは弟のプライベート用。嫁さんのメルアドが似たような感じなので、そういうことなのか・・という気がしなくもないんですけど、知らないでネットで鉢合わせしたくないとしみじみ感じる今日この頃。
せっかくmixiに登録したのはいいけど、コミュニティを検索しながら迷うことしきり。
でも、迷うほうが普通なんだと思う。ネットは匿名性が高いので、アクセスも簡単。だから個人情報を出さない風潮も高い。でも、人間関係などというのは迷うほうが普通じゃないか? どこのコミュニティに入ろうかとか、雰囲気はどんな感じなのだろうかとか、年齢や性別も違えばまるで知らない同士だとすればなおさら迷うほうが普通。
でも、まあ、のらくらのらくら・・・・
さてさて・・・
考えるのやめよう。
古きよき時代のインターネット、か。
----大学を出て後悔しているか?
ぜんぜん。
行ってよかったと思っている。
----大学院を出て後悔しているか?
ぜんぜん。
苦労してよかったと思っている。
----その後、それが役に立っていると思うか?
残念ながら、研究で飯を食っているわけではないので、大して役に立っているとは思えない。
******
⇒トラステへのトラバ: お題 「大学へ行こう。」
わたしが大学を決めたのではなく、大学がわたしを決めた。というのは、心理学科がある大学ならどこでもよかったんだけど、今ほど数がなく、どこも競争率が高かった。だから実際のところ受かればどこでも、というのがわたしの率直な感想。(一体、いつの時代の話だ・・)
しかも、当時は臨床心理士(カウンセラー)の資格もなく、心理学科を出ても専門を生かした仕事というのはなかった。卒業後は普通に就職するか、どこかの病院で心理士をする人が多かった。わたしは研究をしたかったので進学した。
大学というのは研究をするところ。だから、特に社会に出て役に立つところではない。でも、医学部を卒業しないと医師国家試験を受けられないなど制約があることも多く、理系は仕事に直結すると言うし、のらくらと女子大へ行って何になるんだという気がしなくもない。
それでいて、縁談となると女子大が有利になることもある。閨閥というのもあるくらいだから。それでいて、わが家の場合にはあまり関係がない。
******
----何のために大学へ行くの?
研究するため。
遊ぶため。
友達をつくるため。
恋人をつくるため。
自由な時間を確保するため。
資格を取るため。
----ふざけてる?
大真面目。
社会へ出るという表現は好きではないけれども、社会に出るということは制約が多くなるということだし、わずかにでも自由な時間が確保できるのは学生くらいのものではないかというのがわたしの時代の世論だったんだけど、今はどうなのだろう。しかも結婚して子どもができるとさらに制約が多くなる。このため学生時代くらいは自由に青春を謳歌したい、というのも世論だった。
----学問のすすめ。
食べていくことだけ考えるような人生より、わずかでもそういう苦労から解放されている時間は大切。人生、どうにかなるだろうというマイペースさもあの時代に培った。就職するのなら専門学校へ行く方が有利なのではない?少なくても即戦力にはなる。
それにもかかわらず大学へ行くのは、曲がり道に強くなるためである。順風満帆なんてことはめったにないのだから・・・
やっぱ、卒業後の生活が価値観を分けているのかもしれない。学んだ学問により人生観まで変わってしまうと言うし・・・
----今からまた大学へ行きたい?
ぐわっ、もういいです。わが家はもう世代交代。ただし、娘が大学へ行く頃になったら院に復学するかも。オーバードクターを含めるとまだ3年遊べるし・・・いきなり娘の先輩になったりして。おちびに言わせると、
「お母さん、それだけはやめてぇーーー!」
母はつおい・・・
ブログ読者が何を考えているかということを自分に置き換えて考えてみる。
今日、わたしはブログペットが消えているのを発見し、これが今の方法では10日に一度更新しなければならないことを思い出す。そこで、のぶさんのブログ を来訪する。どうやったら普通にメニュー欄に設置できるかを相談するため。
そこで、不思議な記事 を発見する。どうやら日常生活で叱らなければならないことがあり、それについて書いているようだ。
正直言って、具体的に書いてあるわけじゃないから、何が言いたいのかよくわからない。それでも叱るという行為について考えたことが書いてあるらしい。そこでわたしはこれをネタにしようと思う。
・・・・・・・・・・・わたしにとってはそれがすべてだなあ・・・ブロガーとは。
わたしが、「のぶさん」について知っていることは、CSSについて詳しいということと、関西人であるということと、20代後半ということがどこかに書いてあったので実際にはそれくらいの知識しかない。それでも何も困らない。
わたしがのぶさんに要求しているのは、ブログペットのメニュー欄への設置方法である。どうしてそういうことが要求できるのかわからないけれども、「誰か知っているなら教えてほしい」というのがネットだと勝手に思っているので質問を書き込む。もしかするとそのうち記事がアップされるかもしれない。(義務ではない)
次に、わたしは自分が要求されたわけではないけれども、どうして近頃叱るのが流行らなくなったのかネタにしようと思う。それは記事を読んだからである。
*****
どうして叱るのが流行らなくなったかというと、学習理論の研究によるところが大きい。例えば、サルに、褒める(+)、叱る(−)といった刺激を与え、どちらが学習成績がよいかを比較する。あるいは、これに報酬(+)を組み合わせ、餌を与えたり、褒めたりすることにより、学習結果を比較する。その結果、褒めたほうが学習成績が良いということ、さらに理論的にはプラマイ0になったとしても褒めたほうが結果が良いらしく、これにより叱らない学習というのが推進されるようになった。
それではどうして叱るのだろうか?
叱るというのは負の刺激であり、学習効果には関係ないらしい。いわば賞罰で考えれば罰に相当する。罰を与えることは直接学習成績にはよい結果を残さない。それでいてアグレッシブな刺激は攻撃反応を喚起させ、どうも感情面を刺激するようである。怒ったり怒られたり、といった攻撃場面における抑制力や行動ということを学習しているのかも? 当たり前のようでいて、やってよいことわるいことを学習するということと、技能などのスキルを学習することはまったく違う。明らかに危険であるとか、攻撃場面であるとか、そういうシグナルは叱るという行為に含まれている。でも、スキルを学んだりすることには含まれない。
そうやって考えると、ストレッサーを与えるというのは、場で期待される学習とは違った行動を学習しているのかも。単に実験で期待される学習効果と、おおよそそれ以外の学習効果とは別個に考えられるため、もしかすると一つ与えて一つ失っている可能性すら考えられる。
少人数制教育と関係あるかどうかは知らないけど、グループのまとまりが一番よいのは15〜16人とされ、これはコホートと呼ばれる。軍隊がこの数の編成をするのはそのせいらしい。(実際のところは知りませんが、軍隊のことは・・・)
その次に、厳しい乳母のいる孤児院とやさしい乳母のいる孤児院の子どもたちの発育の比較研究とか?
叱咤激励とは言うけれども、これが鬱には致命傷になりかねないとか?
あれにこれにと書きたいことが出てくる。
それでいて、どうやってそれを書いていってよいのか迷う。わたしの日常生活ではないから・・・こういった研究がありますよ、と書くことと、わたしの日常雑感を書くこととはまったく違う。
ブログってなんでもありいだから難しい。
わたし、今回、JR西日本の事故のニュースを眺めて、鉄道のない生活について考えてしまった。というのは、わたしはつくばに住んで以来何年も鉄道のない生活をしているけど、まるで不便を感じたことがない。
軽自動車2台でも1人に1台クルマが必要な土地柄だけど、その反面スクールバスもあるし、都内へも高速バスが1時間に4〜5本出ている。上りは渋滞が酷いのでありがたくないけど下りのバスは速い。鉄道と違って東京駅から市内までノンストップで1時間。
このほか成田空港や羽田空港にも1時間に1本バスが出ている。所要時間は渋滞によっても違うけど、下り路線なら、成田まで1時間、羽田まで1時間半。実際にはクルマを利用するけど・・・空港へは。
送迎バスというのが発達していて病院へもバスが出る。筑波大の中には学バスというのが走っているらしい。わたしは利用したことはないけど、誰でも乗れるらしいので小学生が通学に乗っているという噂もある。バスがないと学内を徒歩で回るのは無理でしょう・・・あの大学は。わたしはいまだに迷子になる。
去年の小学校の運動会では校庭へのクルマの乗り入れが禁止になったため、路線バスを2台借りて学区を巡回。20分に1台くらいの割でどちらかのバスが巡回しているので、結構、便利だった。子どもは歩いて通学しているのだから歩いて行けないことはないけど、なんせ遠い。赤ちゃんを連れていたり、運動会のお弁当などを運ぶことを考えたらバスやクルマがないと不便。しかも送迎バスではなく路線バスなので、自由に自宅と学校を往復できるし・・・帰りは子どもたちも一緒にバスに乗って帰って来た。
徒歩、自転車、自動車、バスというのが市民の通勤・通学の足。
要するに、人口が多いからバスでは足りず鉄道が発達する。あんな事故がありしばらく電車には乗りたくないと思っても乗らないと生活ができない。考えただけで憂鬱になる。結局、職場なんだよね。つくばみたいに職場が市内にあると、その近所に家を建てたり、徒歩や自転車で通勤する人もいるし、学生にしたところで結構遠くまで自転車で遠征する。脚力が違う。
うちのダンナでも職場が近くなったらお昼は家に戻ってきて軽く食べてからまた出勤とかね・・・ヒマな時には。でも、5分で戻って来られるというのはどうなんだろう・・・主婦にとっては。考えてしまう。朝も娘より後に家を出るし、飲み会の時も一度家に帰ってきてから出かける。
のんきなんだよね・・・家が近いということは。結構、家でウダウダしている。
トーマスクックを眺めて、「ほかに電車はないの?」と思うのは日本人だけなのかもしれない。インフォで訊いても「電車はたくさんあるから」と言われる。「そんなこと言ったって、せいぜい1時間に1本か2本しかないじゃない?」って思うのも日本人だからなのかも。座れないということはないし、少し混むようなら臨時便が出るし・・・
遠くへ遠くへ毎日毎日・・・ラッシュとか?女性専用車両とか?あーあ。変な国。
たまにショッピングや行楽へ行くのとはわけが違う。かといって職場の近くが住むに快適とも言えない都市環境。公園や子どもの遊び場が少ない。クルマは多いし、人も多い。快適を買うためにはコストが掛る。
もう、そういう時代じゃないよね・・・いい加減。
大学も郊外に移転しているし、いい加減、企業も官庁も郊外に移転しないと。通勤や通学が楽になるだけで、人生に費やす余分な時間が削減できそうな気がする。
なんで文句言わないのだろう・・・不思議だ。
気が付けばゴールデンウィークが終わっている・・・こんなことでいいのか?
休み前の夜、例の如く塾の先生から電話。近頃、塾の宿題をすっぽかしているので休み中にやらせてほしいという・・・
あんなんでは受からん・・・(滝のような汗)
「お母さん、ちょっとHちゃんちまで遊びに行ってくるね〜」
「いいよー、気をつけてねー」
ぐわっ、親がネットをしているのをいいことに、そそくさと遊びに行く娘。親のほうも戻ってきてからやらせたらいいかなーっとのんきにしているうちに、いつのまにか連休が終わっている・・・あまりにも危機意識に目覚め、少しみてやったら、あれじゃ受からんわ、というためいきが。「本気で受験する気があるのか」と、塾の先生が怒る気持ちも何となくわかるような・・・
そうやって言うわたしにしたところで、ちゃらぽらちゃらぽら生きてきたくちだから・・・何とかなるだろうというのは甘いのだろうか。
小指いっぽん引っ掛けて〜♪ 一夜漬けもなんのその〜♪
そんなんで大学院までやってきたのだから、それはそれでよしとしませうか・・・
なんか、こう、やたら真面目すぎる世の中についていけない。
今年は受験もあるし、夏期講習もあるから、夏の旅行をどうしようかと迷いつつ、春が過ぎ、浮かれモードになってくると1週間くらいどうということもないだろう、という気分になってしまう。勉強しても落ちる時には落ちるし・・・
人生、長いからな・・・
大地震があるかもしれないし・・・
やっぱ、ヴァカンスしないと。
うたを詠むようになって覚えたことばがいくつかある。
作歌の時にしか使わない。
例えば、吾子(あこ)、夫(せ)、汝(なれ)。
短い句の中に効率的に収めるためには都合がよいことば達。
「こころさえ聖らかなればそれでいい汝語りしや愛を信じて」
このうたはすごく初期の頃のうた。「汝」というのはおまえとかアンタ。つまり目下に使う。間違えて詠ったわけではなく、そういう気分だったからとしか語れない。ジーザスに向かって、汝と言っている。だから、捉えようによってはすごく反抗的でつっけんどんな言い方をしているわけで、その後、神父さんのサイトに「サマリアの女」のイラストと話が。
いろいろ。
例えば、心理学と哲学は相性が悪いらしく、わたしは学生時代、何度も「心理学は哲学ではない」と言われた。実験実証主義というのはそういうものらしく、科学的手法を使って精神を説明することに意義があった時代。だから、すべてを信仰で語る姿勢というのは違和感があり、どうして今さら宗教なのだろうという反抗的な気持ちが込められている。
ほかにもいろいろ。
日本人なのに、どうしてキリスト教なのかなーとか。ごく普通の疑問。そこに、サマリアの女。サマリアを通りかかったイエスがヤコブの井戸で休んでいる時、水を汲みに来た女。弟子たちは食べ物を買いに町へ出かけていたので誰もいない。サマリアの女にイエスは、「水を飲ませてください」と言う。サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と答える。(ヨハネの福音書 4章)
イエスと話しているうちに、サマリアの女は彼がメシアだと確信する。そしてそれを町の人たちに伝える。イエスがサマリアの女と話しているのを戻って来た弟子たちが眺めても、誰もそれを止めようとはしなかった。当時は、ユダヤ人とサマリア人は交際しない習慣だったというのに・・・
最初はピンと来なかったのだけど、あのうたを詠んだ当時のわたしの態度や気持ちがそのものズバリ「サマリアの女」。そうやって暗黙のうちに指摘されてみると、そうなのかもしれない。こころのどこかで強くジーザスに惹かれているのだけれども、あれにこれに。本当に余分なことがあれにこれにとあった。そういうつっけんどんさがうたにも現れている。わざとではない。あのうたは、そもそもが返歌をやりとりしていた時に不意に詠んだもので、サマリアの女をテーマにしようとかそういう高尚な意味はなく、ただどうして信者でもないわたしがあれにこれにと神の愛について語らなければならないのだろうかという、いわば自嘲的な意味も含まれている。
懐かしい。
ほかにも、「夕まぐれ」とか、「かごと」ということばをわたしは好む。夕まぐれは夕闇の時間のことで、青闇という表現のほうが好きかもしれない。青闇というのはわたし語。かごとは愚痴やぼやきのことで、わたしはあちこちからあれこれ言われてウンザリしている時、かごと渦と詠う。かごとだけでは足りず、かごと渦。
「敷島」は枕詞なんでしょうけど、わたしはそのものズバリ日本のことを指して使う。
含むと言うより、「ふふむ」と言うほうが好きだし、もはや短歌でしか使わないことばであったとしても語感と語数という意味で古いことばを好むことが多い。
母の日を複雑に思ふ母の数子らより多く花あまりたる
こころより感謝してるか母の日は問われてむなし寝たきりと鬱
母の日は鬱々とした声のする西の方角陽は落つるかな
鬱蒼と肩車するおもいよす母なだめよす子らも母なり
子もなくば母だにありき朗朗とめぐりつ人の隔絶もよし
母の日をウキウキ過ごす吾子なればこの日もひとつつくられ日和
失われすぎし思いの肩車父の背だにがくるくるめぐる
激動ということがどういうことなのかわからないけれども、いきなり革命や戦争とか?
そういうことが歴史上何回も繰り返され、ある日、生活が狂ってしまう。鎖国が素晴らしいとは思えないけど、アジアが次々と植民地化され、もしかすると戦争がなければ日本もそうなっていたかもしれない。祖国のために戦って、祖国の土を二度と踏むことのなかった人たち。
中国みたいに文化大革命とか?
ある日突然革命が起こり、蒋介石と共に台湾に逃げていった人たち。
イデオロギー的対立により、国が分断された人たち。
そんなことを考えると、ある日突然何が起こるかわからない。
そういう政治的意図はなくても、ある日突然大地震が起こり、それまで普通に暮らしていたはずなのに、突然生活や人生が狂ってしまう。
東京だっていつ大地震が起こるかも知れない。そうなると、今度は那須が遷都されるのだろうか。首都の移転の話はずっと前からあり、実行されない理由が何なのかわからない。行政府の街は単独で存在していたほうがよいのかもしれないし、東京みたいに何もかもがごっちゃになっていると非常に危険。そんなことはわかっているはずなのに、世の中は何もなければ変わらない。
茨城は地震が多い。発生するたびに記録するのがクセになってしまっている。新潟地震の時も揺れたし、その後、震度5、震度6の地震が発生したというのに街の中はまるで変わらない。これより大きな地震が来たらどうしようかと思いながら、その都度わたしはアイスコーヒーのコップを眺める。これが倒れるか倒れないかが大地震かどうかの基準になってしまった。今のところ、震度6近い揺れでも倒れないところを見ると、地盤というのがいかに大切かわかる。
それと、マンションの高層階だったりすると、そりゃ地上よりも揺れることは想像に難くない。テレビの報道を待つよりも目の前のアイスコーヒーを信じる。
それでいてなんと言ったらよいのだろう・・・村の中で唯一転勤のある仕事が駐在さんとか?
つくば市内の小学生の作文。今でもその衝撃を忘れられない。同じつくば市内に住んでいるはずなんだけど・・・しかもそれほど離れているとは思えない。
ちょっとクルマを走らせて、新治村のほうまで遠征すると、忍者屋敷がある。水戸藩のお膝元なので柳生一族の忍者の末裔が住んでいるのもあの辺らしい。パッと見ると何の変哲もない農家。道路を走っていると古い家屋が見える。それが不思議なことにすぐそこに見えるのに、そこにたどり着くまでにぐるっと大回りする必要がある。
国道を走り、看板を曲がり、さらにさっき見えた家の方角まで引き返す。国道ともう一本並行する道の間には田んぼが続く。普通だったら道の一つもあるはずなのに、曲がり角がない。あぜ道すらなかったような・・・遠回りしないとたどり着けないようになっている。そこが忍者屋敷っぽい。ごく普通に見えるのに、何かどこかがトリッキー。
そこで延々と国道に並行する道を走り、この辺じゃなかったかな・・・と検討をつけるんだけど、今度は家が見えない。国道からははっきり見えたのに。そこがまた不思議。今は看板があるので曲がる。すると本当にここでいいのだろうか、と思うような普通の道を進み、うっかり通り過ぎてしまうような平凡な木の壁。ちょうど曲がり道に差し掛かり、何となく通過してしまう。そこが目当ての屋敷。
中に入ると、これまた平凡で小さな家屋があり、物干し竿だと思ったら忍術の練習用の棹だったり・・・広い土間の奥に小さな入り口があり、畳み一畳分くらいの広さの隠し部屋がある。押入れと床の間の壁(トイレの壁だったかな・・忘れた)が入り口になっていて、土間からの入り口を含めると3箇所出入り口があることになる。狭い狭い。そこから外へ出ると裏は田んぼ。
以前、金沢か能登半島か忘れてしまったけれども、そこのからくり屋敷は本当にものものしかったけれども、新治村の忍者屋敷は屋敷ではなく、小さな農家という感じ。昔はいくつもああいう家があったらしいけど、今ではその家が保存されているだけ。今でも誰かが暮らしていそうな雰囲気すらある。ひっそりと目立たず、敵の手を逃れるための工夫がそれとなくされている。あまりにも自然に存在しているところがリアリズム。
漢字は手で覚えていたので、近頃ではまったく書けなくなってしまっている。キーボードばかり打っているせいだろうか・・・
手書きで文字を書くことなんてカードのサインくらいのものだろうと高を括っていたら、いきなりアンケートを求められて書いてしまうわたしという人。断ればいいのに・・・というか断るべきだった。漢字が書けない・・・咄嗟に「豚肉」と書こうとして、つくりを隊と間違えてしまった。
変な漢字つくるなよー!>わたし
それでも連休中、クイズ番組を見ていたら、叶恭子が「不可能」という漢字を書けないことを知り、それに比べればわたしのほうがマシかもしれないとほくそえんでしまった。漢字が書けないというのは一種の老化現象だろうか・・・外見はさほど変わらなくてもどうも中身が抜け落ちていくようで悲しい。
それでいてキーボードとなるといつの頃からかブラインドタッチ。一つ覚えて一つ忘れて、プラマイ0だからよしとしますか。
それにしても酷いよね・・・うちのダンナなんて九九が言えない。でも計算はできるらしい。九九が言えるということと九九の計算ができるということとは違うかもしれないとは思っていたけど、やはり違うらしい。娘に一生懸命漢字を勉強させてその実わたしはすでに忘れている漢字も多い。それでもうちのダンナよりはマシだろう。
すでにペンだこも無くなってしまった。そのせいで、どうもペンを持つと変だ。感触がわざとらしくて、しっくりこない。昔は文字を書く時にもこだわりがあり、わたしはウォーターマンの万年筆がお気に入りだったのだけれど、すでに何年も使っていない。字も下手になってしまった。キーボードの文字に目が慣れてしまったので、そうやって感じるだけだろうか。
昔は数字の羅列に強くて、電話番号などは一発で覚えてしまったものだけど、このところ自宅の電話番号ですら間違える。こんなんでいいのか・・・ダンナの携帯の番号も覚えていない。
生活がすでに電子化されている。お習字でも習いに行こうかな。今のままではキーボードが無かったらうたも詠めない。広辞苑使ってうたを詠んでいる人の気持ち、何となくわかった。
■きのこさまへご返歌
てふてふの呼び名変わりて蝶と成り飛び回るかなビルの谷間に(きのこ)
時代ってコンナモンカと不精にもタバコふかすも蝶はいずこ(きのこ)
ビル風の吹きすさぶみちさわさわと街路樹の葉と埃舞ふ丘(しらいし)
紋黄蝶紋白蝶の飛ぶみちを網もちあゆむ夕暮るるまで(しらいし)
霜凪ぎに超空のうた聞きたれば戦死者のうへ雪被らんと
いにしえに死は落ちたるかそらの雪 春のみそらに白雲浮ぶ
かえらざる月日の中でなにもかもすぎゆかば父 雲のうへかな
こころだにつたえゆくかなあの雲はひとり流れて風をさがしぬ
ちつぽけな置手紙読むここちする超空の書とアイス珈琲
みそらにぞ春うららかに春を思うわかばそよぎぬ夜も更けゆかば
まつたりとわかばマークのうたよみはちいさな夜を千夜に思ふ
時空とはのびてちぢんでこごまつてすすんでにげてまたあつまりぬ
はらはらとうた詠むもよしひらひらと落つるもよしと春めく夜は
もうそこはうららな春の園の見えほのかをる花めでるもよしと
霜凪ぎのうた朴訥と戦死者はいづこに眠る、天に召されて。
春の園うららかにして花咲けば世はいづこへとつづくらむとて
まつたりとめぐりゆく日の遠かりし死もむなしけれあめふる今宵
生き残りいのちめぐりて花咲けば花は散るらむそして花咲く
時代ってナンダロウカと無情にも興味なさそに陽は翳りゆく
芝の色濃くなりもする日没はかすかな橙のにじむ空間
短歌を詠もうと思ったのだけれど、もう今の若い人たちに、「これが教育なのよ」と語っても通じないことに気が付く。
民主主義国家には民主主義教育があり、軍事国家には軍事国家の教育があり、共産圏には共産圏の教育があり、そうやって社会がつくられている、ということをもはや彼らに語っても無理なのかもしれない。算数を勉強したり、外国語を学ぶことが教育なのではなく、思想そのものがあって社会というものが形成されているということを誰も彼らに教える人たちがいないのかもしれない。もはや、親も家族も学校も、社会のすべてが同じ価値観を持ち動いている。実はそれが教育によりつくられたものであるという自覚がないままに生きていくしかないのだろうか。
どうしていち先生がパリへ行かなかったのか・・・愛国心とは何か・・・そして、戦後間もなくはまだ生まれてから一度も財布というものを持ったことがなく、物を買うためにはお金が必要だということも知らない人たちが存在していたこと。ありとあらゆる点で、いろいろなことが変わってしまったのだということ。それすら知らずに一つのイデオロギーの中で生きていくしかないのだろうか。
かといって、わたしはほかの思想が素晴らしいとは思ってはいない。
ただ、単に学んだり学習するということと、国家単位の教育とを一緒に考えている人たちがあまりにも多いことに、わたしはかすかな不安を覚える。
わたしは父が大正生まれで、母が昭和の生まれ。年寄りっ子でもあり、彼らの受けた教育がまるで違うためにその狭間で悩むことも多々あり、日本国憲法と大日本帝国憲法の狭間に苦しみながら教育を受けてきたような思いがするくらい彼らの思想や価値観は違っていた。
何気ない日常の中で、思想や教育の違いというものを感じ、さらに時代が進むに従い、新しい価値観や社会情勢というものの中で、何が正しいとか間違っているという前に黙っていることすら学んだ。それは戦後間もなくの教育を受けた人たちが使う民主主義という言葉が酷くエゴイスティックさを包括し、自分勝手に物事を推し進めることが民主主義であると勘違いしている人たちが数多いたことにも因るのかもしれないし、実際のところわたしにはよくわからない。
何が正しくて間違っているのかは後世の歴史的判断に任せないといけないらしく、天皇制とは一体何かとか、それがどうして否定されつつ今日まで続いているのかとか、もはやそういうことはわたしには関係ない。戦後の民主主義がどういうものであったか、それが少しは洗練されたものになったのか、社員は就業時間を離れても社員なのか、責任とは何か、モラルとは何か、ありとあらゆるものがもはやわたしにはどうでもよいことのように思える。
わたしは戦争を知らない世代である。
そして社会はそういう世代により、再び変容しようとしているかのように思えるから不思議だ。
このところ風邪をひいていて、頭がぼぉ〜っとする。それでいて何となく暑いので半袖を着ている。それでいて夜の道をとぼとぼ3人でレストランに向かって歩いていたら、よせばいいのにそういうときに限って歩いていくことになり、向かいから来た犬を連れている人がわたしをギョロリとした目で眺める。あちらは厚手のジャケットを寒そうに羽織り、わたしは半袖で震えている・・・そりゃ互いに目も合うだろう。
クルマだったら半袖でもジャケットでも別に気にしない。店の中に入ってしまえば寒いわけでもないし・・・でも、さすがに歩きだと寒かった。途中で家に帰りたくなったけど、我慢しながら歩く。歩いた結果目当ての店は満席の札。
だから午前中に予約を入れたらよかったのに・・・と思いながら、うちのダンナにしてみればたかが学生街のレストランだと思ってバカにしている。GWだからこそ予約で一杯。お好み焼き屋の前も、学生のグループがずっと席が空くのを外で待っている。仕方がないのでとぼとぼとひきかえし、別のレストランへ入った。そこもほぼ満席状態。
GWだというのに旅行へ行くわけでもないとなると、せいぜい食事に行くくらいだろう。それと新歓の季節なのでどこも学生が多い。この時期を過ぎてしまうと、大抵どこの店もがら空きになる。レストランの隣の席では、カップルが勉強していた。混雑したレストランというのは実は学生が試験前にたむろしていたりするから混んでいるだけのこともある。
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ジャンルを変更して、1週間が経過。
少しずつブログの内容も変わりつつある。わざとではないんだけど、何となく気分が違うから、としか語れない。視点なんだろうな・・・例えば国家という大きな流れの中で考える教育と、日常的に発生する出来事と、同時進行で考えるには個人差がありすぎる。その昔日本でも学生運動があり、国家と学生が衝突していた時代もある。おそらくはわたしはその頃に生まれたのかもしれないし、医者や研究者でも当時の流れの中にいた人たちも案外多いけど、もう遠い夢のようだ。いざ反日デモを観察し、それに対する中国政府の姿勢などを観察していると不思議な気分に陥る。
日本の学生が日米安保に反対し、学生運動。東京オリンピック。
わたしの子どもの頃には、日の丸的悲壮感が漂っていたオリンピック。
選手が悲壮なまでに日の丸を背負っていた時代のことを考えると、あれは何だったのだろう、という気がする。
去年の夏はイタリアのテレビでアテネオリンピックを観ていた。日本の選手がほとんど映らない。それどころかイタリアの場合はイタリア人選手しか映さないのではないかと思ってしまうくらいわかりやすい。考えてみたら、世界の祭典とは言うけれど、実際には報道とはナショナリズムとコマーシャリズムの権化。今までそういうことを意識したことはないけれども、日本にいたら日本人選手の活躍のニュースばかりなんだろう。それが当たり前だから気が付かないだけのことで。
☆
日本のテレビは・・・・と言えば、今はJR西日本の事故の話題ばかり。
正直に語れば、ニュースを見ているより親子で休日をのんびり庭仕事をしているほうが楽しい。もう何年も鉄道のない街で暮らしていることに気が付いた。その代わり台風や雪の日になれば大抵は交通事故のためにパトカーが停まっている。
スーパーが24時間営業になって2ヶ月が経過したらしい。この前初めて行ってみたけど、案外客がいる。レジや入り口にガードマンがびったり張り付いている。そこがコンビニとは違う。店内は賑やかな音楽が流れ、店内放送がいつもと変わらずに流れている。それでいてどこかものものしかった。夜中でも客が多いレンタル・ショップとはそこが違う。おそらくは防犯カメラがフル稼働しているのだろう。それでも真夜中に主婦が何の衒いもなく買い物に行けるんだから治安はよい。
鉄道と真夜中のスーパーとどちらが危険だろう・・・わからない。
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で、再び、ジャンル変更の感想。
文学は個の世界だから・・・主人公の誰某さんがどうしたこうしたの世界。多くは、他人の人生の間借りだ。それだけで足りなくなると歴史的背景の説明が長く続く作品もある。その時代の人たちにとっては理解できない感覚だけど、後世になってしまうとそれがどうして必要なのか理解できる。だってわからないもの・・・もはや過ぎてしまった時代や出来事は。仮に同じ人間が違う時代に生きていれば違う人生や価値観を持って生きているかもしれないし、人生そのものも変わってしまったかもしれない。
でも、まあ、親には親の人生があるし、そのまた親にも親の人生があるし、そうやって考えると自分の子孫が仮にいるとして、その子たちがどこでどうやって暮らしているのか想像もつかない。ババアとしてはまだ見ぬ子たちが無事にハッピーに生きていってくれたらよしとしませう。10代も遡ると何万人も子孫がいる計算になるけど・・・昔は特に子沢山だし・・・
教育というのは・・・社会をつくり出すものであり、政策の一部。そこが塾や寺子屋とは違う。学ぶだけなら学校は要らない。それでいて自分の受けた教育に値打ちがあったのかどうかいまだに懐疑的だ。それでいて大して不幸でもないのだから、それはそれでよしとしますか・・・
つまり・・・・同じわたしという人のことでも、書いていて何となく気分が違う。それが教育と文学の違い。
もっと真面目に考えないとダメなのかもしれなけど、とうとう中国の反日デモは鎮圧されたようで、今さらながら国家が本気になったらそういうものなのかもしれないという諦めが。インターネットにしたところで、結局、閲覧禁止になってしまえばサイトは無いも同然。危険地帯には武装兵。これで本当に反日感情や抗日運動が消えたわけではないでしょうけど、とりあえず中国政府の対応を見て日本政府が怒る理由は無くなった。
その一方で、北朝鮮はまたミサイルの無駄遣い?
これもね・・・わからん。わたしの理解の範疇を越えている。これが日本だったら国民は怒るような気がするけど、どうなんでしょう。経済制裁に腹を立ててミサイルを飛ばす?気持ちはわからなくもないけど、ミサイルだってタダじゃないだろうに・・・って考えるわたしはせこいのだろうか。
よくね・・・感情が暴発し、怒りに震えている人たちに語るとき、案外有効なのが、「経済を考えろ」という言葉らしい。夫婦喧嘩で皿を割る前に皿の値段を考えるとか、離婚の場合の慰謝料や生活費のことを考えるとか、上司と喧嘩して仕事を辞めたくなった場合にその後の転職や生活のことを考えるとか、あれにこれにと煩雑さを考えると大抵の人たちは冷静になってしまう。
それが素晴らしいかどうかは別として、人間に理性的判断をもたらしているのがその手の話なのかもしれない。
3年後には北京オリンピックを控え、中国では着々と準備をしている。もし何かあってオリンピックが開催されなくなればその経済的損失は莫大だし、楽しみにしている人たちもがっかりする。中国を世界中に向けてアピールする機会を失う。それどころか国際的な信用も失うかもしれない。そういうリスクを政府が無視するとは思えない。
まじに、北朝鮮で開催されたワールドカップ最終予選のイラン-北朝鮮で観衆が暴徒化したために、北朝鮮で開催されるはずだった日本-北朝鮮が観衆のいない第三国で開催されることになった。国際サッカー連盟の制裁は厳しい。安全面が最優先であるという見解は、サッカーだけではなくこれだけテロが多発している時代だから当たり前なのかもしれない。
自爆テロ、か。
自分が死んでもかまわない人たちなのだから説得のしようが無い。
憲法第9条の改正についても、わたしは反対派。これ以上軍事予算を増やされるとして、その予算はどこから出るのだろう?なんか、もう、いい加減にしてほしいと思う。日本を守ってくれているのが平和憲法ではなくアメリカの軍事力の脅威だったとしてもそれが何だと言うのだろう。結局、アメリカ軍が日本から撤退し、その分、日本政府が軍事費を増強し、徴兵制を復活させた場合を想定した場合、その予算はどこから出るのだろう?考えただけで憂鬱になってしまう。拳銃の弾だってタダではない。それをおもちゃのように子どもが撃つわけ?ミサイル飛ばしたり、軍事演習をしたり、そういう費用はどこから捻出されるわけ?
武器は高いから売れば儲かる。それでいて買うとなったら高い。それでいて、何のためにそういう予算を使わないといけないのか理解に苦しむ。
イラク戦争だって、戦争は損にもかかわらず実行するのは石油の利権が絡んでいたからではない?日本が派兵しているのも結局石油の利権確保のため。
中国で日本製品の不買運動が起こったとして、これに対して日中関係が悪化すれば日本が中国に対して行っている技術援助は無くなるだろう。つくばにもたくさんいるよ・・・中国人研究者。大抵は国費でやって来ている。学費の高い私立幼稚園にも多い。えっちらおっちらお母さんが自転車で送迎。そこが日本人とは違うだけで、教育に対する熱心さでは適わない気がする。
というわけで、それが政治なんだろう。
そういう政治や社会情勢に振り回されて、あれにこれにと人の価値観も人生観も、子どもたちの教育も変わる。歴史の教科書一つにしたところで書かれている内容が微妙に違う?そういうことを考えると、主観的判断というのはむしろ客観的判断を凌駕する気がするくらいだ。
仮にそれがわたしの主観的判断だったとしても、理屈を凌駕してわたしは案外日本国憲法が好き。特に前文。
これがアメリカ軍の置き土産だとしても、実はそういうことはどうでもいい。要するに、誰が言っても正しいことは正しいし、素晴らしいことは素晴らしい。
あらゆる面で憲法第9条の改正には反対である。
⇒トラステへのトラバ : お題 「憲法第9条」
風邪ひきて微熱のやうな春風に吹かれて今は半袖を着る
剪定の鋏を入れる吾子(あこ)ながむ思い切りよく勢いの音
ボウリング12ポンドをかろがろと投げてしまふか小柄な吾子は
夫(せ)の刈つた濃淡の色芝草は刈穂の稲のミニチュアのごと
つつじ咲くあざやかな紅そろえたし忘れて去年(こぞ)のコンクリを浴び
ゆらゆらと芝生のうえの水仙は葉だに繁らす工事の瑕か
薔薇の花あきらめていし去年の夏葉は生い茂り今宵の晩は
やきとりに備長炭のかをり立つ春のゆうぐれ休みは速き
静止した時間のなかにとどまればパンパンパンと手の鳴る昼間
学生の立ち並びたる夜のみちお好み焼きの店の前過ぐ
真夜中も変わつてしまつたわが町はのほほのとしてつくばねの春
学生街すこしくゆらす退廃はえにしだの棘ものわするかな
近頃は、大脳機能局在説が流行っているため、すぐにこれを応用していこうという姿勢が加速しても無理はない。ところが実際には脳梁によりつながれているため、左脳と右脳の働きは密接に関連し、どちらも不可欠なものである。しかも、脳は発達するものであり、任意に与えられた環境因子よりも、ごく日常的な生活あるいは生活環境により与えられる刺激のほうが遥かに重要であることは語るまでもない。
中には水頭症により大脳皮質がほとんどない少年が数学においては天才的な才能を見せたとか、脳の可塑性を考慮すると、ある特定部位の能力だけを高めようという姿勢こそがマニュアル化教育のようで、現代日本の思考様式を物語っているかのようだ。
☆
大雑把に語ると、左脳は言語が優位、右脳は視空間が優位と言われている。あまりにも大雑把すぎて、この複雑な世界を簡単に語るのは概念を説明するようなもので、かなり難しい。
例えば、りんごのイラストを瞬時に提示し、それが左右どちらかの空間に現れたかにより言えたり言えなかったりする。つまり、正面向かって右側に現れれば”りんご”と言えるし、左側に現れたら”りんご”と言えない。実験が語っているのはこれだけのこと。
右側にイラストが提示された場合右目で見る。その情報刺激は左脳により処理される。従って、左脳で処理された情報のみ、言語によりアウトプットできる、ということがこの実験から分かる、ということなんですが・・・
でも、目でも利き目があるし、右利き左利きというのは手だけではない。だから、特殊な実験下でもたらされた事実だけがすべてとは語れない。
☆
似たような例を挙げると、右半分にりんご、左半分にレモンが描かれたイラストを提示し、「何が見えましたか?」と問えば、「りんご」と答えるのに対し、「何が見えたか、同じものを選んでください」と問えばレモンのイラストを描かれたものを選ぶ。
つまり被験者は、言語で問えばりんごが見えたと答え、見えたもの(形状)で問えばレモンが見えたと答える傾向が高い。
このことから、左脳は言語が優位、右脳は視覚情報が優位と括られる。が、しかし、通常は、りんごならりんごを見ているため、何気ない日常の中では意識されることはない。「何?」と訊かれて「りんご」と言語で答えるなら左脳が働いているのでしょうし、それでいて実際に形状を知覚しているのは右脳のため、イラストの絵と同じものを選ぶといった行為で機能しているのが右脳だからといって、それが何だというのだろう。
☆
このほか、目をつぶってりんごを触り、「それがどういう形をしているか?」と想い描く力も右脳ということになる。それを言語で語るには左脳が働いているのだろうか。ややこしい。実際には、右手で触っても左手で触ってもりんごだと分かるし、右目で見ても左目で見てもりんごだと分かる。そうなると記憶の問題とかね・・・右脳と左脳が脳梁でつながれており、さらに複雑な脳の情報処理を考えると、局所的に偏った志向にはなにやら胡散臭いものすら感じてしまう。
☆
ところが、個人差というのもあり、言語機能にしても右利きの人と左利きの人とではどちらにその中心があるかもばらつきがあり、実際には脳に障害が発生してその機能が失われて初めて分かることも多い。さらに、空間視能力では男子のほうが女子よりも発達していたり、言語能力では女子のほうが発達していたり性差も報告されており、一概に何が素晴らしいとも語れない。
さらに、こういった偏りが思考パターンの違い、価値観の相違、人格の違いにまで及ぶとなると、能力というよりも認知パターンのスタイルと語ったほうが適切ではないかと。
☆
人間というのは複雑な生き物で、脳はさらに複雑な構造を持ち、右脳・左脳といった発想で語るにはいささか無理があるのではないかと。特定部位を刺激し、その能力を高めるというのは、実際には特定のスキルを育てているということで、能力と言ってしまうのは言いすぎのような気がするのだけれど、どうなんでしょうね。
用語の使い方自体が少々意味がずれているのかもしれない、トラステと・・・この手の記事を書くのは難しい。
⇒トラステへのトラバ : お題 「右脳開発で能力UP!」
昔はよかったなぁ・・・
なんてことを考えるようになったということは、わたしもババアになったのだろう。
うちのブログ・・・・検索キーワードの中に毎日「NEET」 が含まれている。よっぽど社会的関心が高いのかも。少なくても就職活動している人たちはこれに含まれないんだけど、無職や失業中の人が使っているのを発見。「ぷー=NEET」ではない。
NEET(Not in Employment, Education or Training)の定義: 学生でもなく、就業者でもなく、求職「活動」もしておらず、主婦(主夫)でもないという者をさす。
わたしはバブルな時代に学生をしていたため、まずは就職難という言葉があるなんてことを知らない。勝手にフリーターをしている人たちはたくさんいたけど、職が無いということが無い。ただし、土地が異常に高かったので一生働いても家が買えないのではないかという不安はあった。このため当時宮沢さんだったかな・・・蔵相の「年収の5倍で家が買えるようにする」という政策発表があり、その直後から一気に流れが変わっていった。
何年か前に、不意に入ったチャット部屋に大学生たちが集っていた。それでね・・・彼らにバブルと言っても通じない。「学生が外車乗っていたり、親にマンションを買ってもらっているのが当たり前だったのよ」って言ったら異常に驚いていた。当時流行っていたのがアルファ・キュービック。つまらないブラウス一枚4万円くらいした。今、どうなってしまったのだろう・・・あのお店。それが学生の間で流行っていたのだもの・・・そういう時代だった。
関東と関西は流行が違って、関西はさらに大阪・神戸・京都では流行が違う。だから、夏休みが過ぎ、関西の子たちが戻ってくるとまた流行が変わる。あらゆるブランド物が横行し、ちょっとめずらしいものを見つけるとチェック。それが2ヵ月後には雑誌に取り上げられるとちまたに溢れる・・・という時代だった。
わたしが茨城に来たのは、ちょうど都内の地価が下がり始めて数年経った頃。地価は下がるのに家賃はなかなか下がらなかったのが一気に下がり出し、それでいて金利が安くなったために借りるより買ったほうが安くすむという時代。銀行の支店が次々と封鎖され、物価がどんどん下がる。あっさり語れば、主婦にとっては物価が安くなるというのは有り難く、不景気を深く考えたことはなかった。
都市銀の支店が閉鎖される中、変わらない常陽銀行。ダイエーは潰れたけど増殖するカスミ。ローカルって強い。
結局、大きく考えるから生きていくのが大変な気がするだけで、小さく考えればどうということもない。
家庭訪問の時に先生が、
「・・・・・・今から美術と決めても本人次第だし、就職も大変ですからね・・・・・・」
とお決まりのセリフ。
そんなことは最初から分かっている。昔から言われていることだし・・・・娘が美術の先生になりたいって言うのだからそれも一つ分かりやすい選択だし、美大を出たらどこかへまた服飾でもデザインでも留学させてもいいし、就職先が無ければ、くま先生のところで雇ってもらえばいい。お弟子さんの就職難につき、どういうわけか増殖する美術教室に美術専門予備校。やる気に満ちあふれ、子どもの頃から集っている人たちが気ままにやっているせいか合格実績が高く、気がついたらあちこちに増殖している。
そこでちまちま絵を教えながら自分のやりたいことを探してもいいし・・・
くま先生自身が、「チャンスを待て」という性格だから、子どもたちのを絵を集めてはあちこちのイベントに送っている。地元で話題になればアート展とかね・・・わたしにはもはや詳しいことは分からない。でも、現役の流れでずっと来ているせいか、アクティブ。お弟子さんたちが若いからなんだろう。
楽しそうでしょ?
大学を出て、どこかの企業に就職して・・・という流れもいいけど、そうやって子どもの頃からの流れで散っては集まり、また流れていっては戻ってくる。そういう流れの中で、娘も大学へ行ったり、留学したり、学んだことを互いに活性化の一部として消化していく。子どもたちに伝えていく。
つくばは基本的にサイエンスの街だから、そういう世界でそういう人たちがいてもいいのではないかと。
まあ・・・・・・もしかすると、それはわたしの幻想なのかもしれないけど。
楽しい幻想だ。
■ きのこさま へご返歌
たてよこに並んで暮らす人波もまるい天にはくずさるる砂 (しらいし)
北風のふきやみ間もなく燦々と照り衣脱ぐ砂沙の影(きのこ)
木陰にぞ涼むあらくさふつふつと細波よするわかくさの春(しらいし)
ひねもすのわかれゆく葉の舞いたれば紅きカナメの東陽のごと (しらいし)
若草の凪ぐ音香り夢にぞか凸うつつの多事流るる窓辺(きのこ)
窓辺よする陽射しまばゆく暗がりもまばゆさのゆえしばしとどまり(しらいし)
リコメンド比べてみれば幽かなるアブかハチかと瞬時影みし(しらいし)
おてんきが悔しいほどに風邪ひいたゴールデンウィークサウンドを聴く
おてんきが悔しいほどに若葉色わたしの道路のっとっている
風邪ぐすり目薬よりもてきめんにまぶた落としぬ落陽のごと
今は昼、さっきまで朝、いつのまに休みはおわる風邪なおらない?
ゆとりある吾子のどらいぶ海浜は潮風吹いて、われ家にいる。
うつらうつらおてんきのよい春の日にことりは鳴くがわたしはネット
昼さがり暑いよ外は真夏かも。いえいえ今は百合も眠りぬ。
金木犀わかばわかくさ芝よりもすきとおる葉のかすかにゆれる
けたたまし風鈴の音ひびきたる庭からの風かをりむなしき
けだるさも風邪のせいかとこもりうた響かせている風鈴の音
「学び・教育」にジャンル変更して、一発目の教育ネタ。
トラステのお題 : 「ゆとり教育をどう思う?」
あっさり語ればこの国に、仕事よりゆとりがほしいと思っていらっしゃる方がどれくらいいるのか知りたい。正確に語れば、ゆとりという言葉に含まれたニュアンスは、生活のゆとり、こころのゆとり、その他諸々ゆとりのある暮らしへの関心である。
余暇をどうするかとか、ショッピングや買い物、その他わたしの場合は昼寝をゆとりと呼んでいるけれども、そもそもがそういうゆとりという概念が教育に持ち込まれること自体がおかしい。へん。
考え方としては、わたし的には週休2日制で、学校の連休も増えたし、家族で過ごす時間、友達と過ごす時間を考えるとゆとりがあるほうがいい。でも、それは去年くらいから少しずつ変化し始め、「夏休みくらい家でのんびりしたい」という娘の言葉に象徴される。それまでは学校から帰ってきたらランドセルを放り出し、公園や友達の家に遊びに行ってしまうのが普通だったのに、高学年になるに連れて、逆に家でのんびりしたがるようになる。ふしぎ。
一つには、高学年になると習い事や塾で忙しくなる子が増え、学校の行事でも運動会や合唱コンクールに向けての居残り練習などで4時くらいまで学校がある。そうなると親は送迎しなければならない。子どもにしてみれば学校が終わったと思ったらすぐに塾とかね・・・平日はやたらと忙しい。
それでいて、教科書はうすぺらになっていく一方で落ちこぼれのいないクラスということで家での宿題は増える。土曜日がお休みになったせいで、そのうすぺらな教科書をこなすだけでも大変らしい。
幼稚園のほうがよほどゆとりがあった。
冗談ではなくて、体育や英語の専門教師がいて、さらに付属のピアノ教室へ通わせると先生が勝手に園内のお教室に連れて行ってくれる。自宅の前までバスが来てくれるので、親はほとんど何もすることもないし、給食も制服もあるし、1人でさせるのと違って皆でするから娘も遊びの延長にレッスンがあるという感じ。
それが公立の小学校へ通うようになると、何もしてくれないから習い事をするなら自分でやらなければならない。できればいろいろな側面で教育が学校でなされていたほうがよほどゆとりを感じる。つまり、今のゆとり教育は国民に対するサービスの低下である。
できればもっと授業時間を増やし、今は一部でしか行われていない英語のレッスンや選択教科の増加など小学校のうちから国でも多様で質の高い教育サービスを実施してほしい。なんで個人負担であれこれやらないとダメなのか理解できない。生徒のニーズに合わせた授業編成とかね・・・放課後のグループ・レッスンとか。学校が終わってそれから・・というほうが遥かにゆとりがない。正直に語れば、親の所得によっても子どもが受けられる教育量が変化しているのを感じる。
だから、このところ私立に人気が集まる傾向が高い。理由はそのほうが経済的にも安いかららしい。例えば、中学から一貫性の場合、5年間で高校までのカリキュラムを終了し、高校3年は受験のための専門教育期間になる。公立へ通ってさらに塾やら予備校やらへ通うより、そのほうが時間的にも予算的にも余裕がある。さらに、スクールバスがあるし、芸術系の進学にも力を入れている学校も多い。質の高い教育内容を安価で、ってなると今は私立か? いずれにせよ、学校でやってくれたほうが移動がない分、親も子も楽だ。
結局、ゆとり教育というのは教育のサービスの低下としか思えない。子どもの教育にもっと力を入れるほうがまともな政府じゃないか?
風邪薬の話を書こうと思ったわけじゃない・・・ダメだ、ボケてる。
ダジャリスト☆ぐたのところからネタをかっぱらって戦後GHQの話を書こうと思ったんだっけ・・・とは言うものの、わたしの世代でもすでにGHQって言われてもピンと来ない。ましてや、うちの娘になると平成生まれだからそういう言葉があることも知らないかもしれない。
たまに思うんだけど、議論は悪魔を呼ぶし、寡黙は天使を連れてくる・・・って。
中学生の頃、無言実行ではなくこれからは有言実行の時代だと説教していた先生がいた。それから数十年の月日を経てわたしは思うのです・・・やはりオリジナルのほうが素晴らしいのではないかと。つまり有言実行よりも無言実行のほうが遥かに値打ちがあるような気がします。
なんでも議論という姿勢はかつての日本にはなかった。この国ではむしろ以心伝心とか、黙って気持ちを伝え合う文化を大切にしていた気がする。それがいつから変化したかといえば、戦後だろうな・・・ジャパニーズ・スマイルがどうたらこうたらとか。大きなお世話。微笑みの国タイは素晴らしいと思ってしまう。かといってマレーシアのように愛想はないかわりにやたらと親切な国というのもあるし、やはり文化の違いなんだろう。
聖書にも書いてあるではないか・・・人間が互いに理解できないようにするために、神が言葉を混乱させ聞き分けられないようしたと。そうしないと人間は悪いことばかりするかららしい。どうして言葉が一つで、皆が理解し合えるほうが悪いことをするようになるのか不思議だけど・・・(詳しくは、創世記11. 1-9 「バベルの塔」)
善いことをするときには、神を信じてすすむだけ。悪いことをするときほど、皆で話し合うものなのかも。わからん・・・
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ぐた家から拾ってきたネタは、これである。
⇒『占領下で日本にはなぜ反GHQ地下運動はなかったか?』
これはたしかに不思議・・・
理由はいくつかあるんでしょうけど、明治維新以来富国強兵とばかりにやたら突っ走ってきて、それまでの鎖国のツケを支払おうとしていたような時代が長かった。政策だから仕方がない。日清・日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦。何のために戦争をしていたかと言えば、ひたすら富国強兵のため。
だから、よく考えてみると、第二次世界大戦ではアメリカが参戦したのは日本の真珠湾攻撃以降であり、あれがなければアメリカが正式に参戦するなんてことはなかったかもしれない。たしか、それまではイギリスやフランスを相手に戦争していたはずなんだけど、実際の舞台はアジア・太平洋。日本軍がヨーロッパまで遠征していたという記憶はない。こうなるとどこが敵なのか分からない。
つまり、列強がアジアの覇権をめぐって対立していたから戦争になったわけで、シンガポールのラッフルズ・ホテルも日本軍の占領下だった時代もあるし、それこそ東南アジア、グアム・サイパン、満州、韓国、ハワイなどなど日本軍の侵略はひたすら軍部により進められていった。
アメリカの参戦により、原爆が投下され日本は敗戦を迎えた。
最初から反米意識が高まりアメリカに対して宣戦布告したのなら反GHQ組織というのも理解できるのだけど、日本の場合はそうではなく、アメリカというのはどちらかというとダークホースで、意識にもなかったのではないかと。世界が入り乱れて戦争をしていると、本当の敵がどこなのか分からなくなる。憎しみを持った戦争というより、ひたすら富国強兵の延長線上に敵がいた、というのが事実に近いのかもしれない。
だから、敗戦を迎え、食糧難は続いていたし、富国強兵どころかその日食べるものすら窮乏しているわけだから、一気に「何のために戦争していたのか分からない」、「政府は嘘つき」みたいな感情が噴出す。「ほしがりません、勝つまでは」を合言葉に、戦争に勝てば裕福になると信じて戦っていたわけだ・・・大多数の人たちは。(果たして、国民は騙されていたのだろうか?誰に?何のために?)
というわけで、戦後、占領軍であるGHQの指導の下に明治以来の富国政策が推進され、食糧難からも解放され日本は経済成長を遂げた。・・・・・・・地下組織ねぇ・・・・・・・あるわけないじゃない、やっぱ。
根底は、島国根性とか、鎖国とか、もっぱら自国の文化に自信が持てなくなった頃から何かが変わり始めたような気がする。
声が出なくなるほどの風邪をひいたのは何年ぶりだろう。あまりにも本格的な風邪なので、先週娘のために買ってきた風邪薬を飲んだら、ひたすら眠くなる。日頃薬を飲まないせいか、飲むとやたらと効いてしまう。おかげで薬を飲んで眠りこけていたら一日が終わっていた。そこでまたネットをし、さらに24時間営業のスーパーへ行って夕飯の分の買い物まで済ませてきた。一体何をやってるのだろう・・・
注意書きを読むと、「服用後、乗り物又は機械類の運転操作をしないでください」と書いてある。
これを書きながらまた薬を飲んだ。
頭が朦朧としてきた。
なんなんだ、風邪薬って・・・
Apart from the cross
there is no ladder
by which we may get to heaven.
十字架を離れては
天国へ
昇るはしごは
ないのではないかと。
寡黙にぞ微笑んでくれそらのいろ天使のはしご降りくるまで
ゆうだちのうつくしくあれ雨のそら天国のみちふうわり浮ぶ
笑み浮ぶみそらの父のかなたには大きな虹も窓のらくがき
みちしるべ大地にねむる十字架の四方の風かな空間にあれ
たてよこに並んで暮らす人波もまるい天にはくずさるる砂
くるくるとからまわりするすいしゃごやくるくるまわりいやまわらない
ながれればながれるやうにながれだすほしだっていまながれていくよ
ひらがなはかんじをきらっているやうであたまをよぎるられつのあらし
きーぼーどあらわるるもじながむればおっひらがなだへたくそなうた
⇒うめぞうさんの頭の中をのぞいているうちにふいに。
風邪をひいてしまったようで、喉が痛い。
声が出ない。
一生懸命に大声を出しても掠れ声。
つらい。
29日にジャンルをお引越しして、30日は逆にランキングが上がったくらいなのに、1日になったらガーンと下がった。そして、今日は再び上昇している。ということは今表示されているランキングというのは昨日の朝7時までのアクセス数の結果? ほとんど一昨日の結果が反映していることになるのかも。
それと累積で決定しているのかな。今まで、リセットの意味が分からなかったんだけど、ユニークユーザー数の累積ということなら何となく分かる。だから、月末になるにつれ、ランキングの順位が動かなくなるというのはそういうことなのかもしれない。日替わりアクセス数のランキングではないから。
・・・・・・・・・数字があれば分析してみたくなるというのはクセ。
今回、ジャンルを発作で変更した。
最初は、「日記・blog」か「住まい・暮らし」に変えるつもりだった。短歌を含めて日常生活などを書くというのはそういうことなのではないかというか・・・そこをどうして強引に「学び・教育」にしてしまったかというと、一つには物品販売にはあまり関係がなさそうなジャンルだったということと、少し目立たないところが気楽でよかったのではないかということと、自分が30歳まで学生をしていたせいか、何となく「本・書評・文学」で感じていたごつごつとした異物感が、このジャンルにしたとたん消えているのを感じている。
それと心理学科というのは文学部に設置されていながらどちらかというと理系に近く、何度も繰り返して書いてきたかもしれないけど、文学や哲学のノリを嫌う。わたし個人としては心理学系のブログをつくる意志はないので、そんなことはどうでもいいとは思いつつ、雰囲気というか、相性というか、居心地の良さというのはどうしてもあるような気がする。
かといって、教育というジャンルにも実はあまり興味はなく、広義で考えれば、一つ一つの事象が学びだと思ってしまえば死ぬまで勉強。覚えなければならないことはたくさんある。本を読んで書評を書くといったようなアウトプットではなく、自分自身がまだまだアクティブに学び続けなければならない。そういう学びへの欲求だけがわたしを支えているような気がするし、いささかうんざりするようなサイバー社会においてもどうにか我慢して駄文が続いているのも、常に新しい刺激がもたらされるからかもしれない。
いずれにせよ、最終的にはインスパイア・・・
それを一生懸命に理屈で語ろうとするから疲れる。物事には流れがあり、何かをするのにいちいち理由を探していたら何もする気がなくなってしまう。
うんざりしたら、リセット。
また0からの出発。
残光の呼ぶまま光みつめればこだま響きぬ森の鶯
気まぐれに学生のない森のなか独り占めして鶯の声
ちびちびとあらくさの芽をつまみては小さな花の一つ咲きたる
活性のよぎる春庭あわただし耳澄ませれば風に鶯
風邪ひいてのどの痛みに春を思う。休みだろうにけだるさはゆく。
落ちるならここまで落ちるランキングさつぱりとしてブルーをながむ
ひねもすをひとつ気にしてあゆむなら空は自由と鶯は笑む
鶯は遠くわらった少女のよう声響かせて風にとけゆく
けたたましホケキョにつづくながきホオ耳を澄ませばまたけたたまし
ゆらゆらと草はゆれるよ風のみち少女のわらい森をかけぬけ
春は萌え春というだけで笑い出す少女の笑みは森の鶯
柘榴にも紅い若葉の萌えいづる春の想いは白い雨雲
わたしはつくば市に住んで10年半くらいだろうか・・・その前に少し土浦市にもいたので茨城県に住んで12年くらい。
ある日突然、ダンナがあみだくじに負けてこちらに来ることになった。当時は僻地手当てというのがあるくらい誰も住みたがらなかった。1年の予定だったし、あみだくじに負けたとき、勝った人たちが餞別に5万円ずつカンパしてくれた。つまり金を払ってでも行きたくないというのが世論だった。わたしはその訃報、・・・じゃなかった、その報せをダンナから聞いたとき目の前が真っ暗になった。
でも、住めば都というわけじゃないけど、次第に東京に戻るのが嫌になり、妊娠6ヶ月で移転してきて、娘が生まれた頃にはすでに戻る意志が欠如。もしかすると娘がいなかったら違ったかもしれない。
どこが違うかというと、土浦に住んでいたとき、知らない人たちばかりなのに、会う人会う人が話しかけてくる。わたしにではなく、娘に・・・お腹の中にいても、赤ちゃんでも、不思議なくらい茨城の人たちは赤ちゃんが好き。
たまに用事があって都内へ行くと、渋滞待ちする高速バスの中では子どもが泣くと苛々して「うるさい」と怒鳴る人がいる。電車の中でも寝たふりする人たち。ぐずる娘をずっと抱っこしたままひたすら疲れ果てる。
それが不思議なことに常磐線に乗ると、必ず誰かが席を代わってくれる。自分が子どもの頃の東京はそういう感じだった・・・江戸の風情というか・・・ところがいざ自分が子どもを連れて歩いてみると、そこには知らない世界が広がるばかり。
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つくば市の歴史は浅い。
昭和38年、研究学園都市を建設することが閣議決定。
昭和60年、EXPO’85国際科学技術博覧会の開催。
昭和62年、「つくば市」が誕生。
このように眺めてみると、エキスポが開催された頃はまだつくば市ではなかった。エキスポを開催し、国際科学技術都市「サイエンスシティつくば」をキャッチフレーズに、当時はまだ幻の都市だったつくばを世界に向けてアピールした後に、どうにか6町村の合併に合意がなされたというのが実情なのかもしれない。
だから、物理的に街らしきものはあるんだけど、行政はバラバラで、ややもするとあちこちの庁舎をたらいまわしにされるということもざらである。総務は矢田部、ゴミのことは豊里、という具合にゴミの収集所を一つ開設するだけでも自治会をつくってからとか、許可が必要とか、ゴミの収集所はあるのにそれを使うだけのことがやたらと大変。
これをしなかったばかりに粗大ゴミの街と化した学生街のブロックもあり、そのように言われるとそうなのかもしれないけど、毎日ゴミの収集車はその前を走っているんだし、収集場所もあらかじめつくられている。なのに行政の対応はすこぶる悪い。管轄が違うかららしい。市役所がいくつも点在している感じ。
結局、国が先に動いて街が勝手につくられたために、物理的には街としての器は存在しているのに(例えば道路や学校、公園など)、いざ住んでみるとあれが足りない、これが足りないということになり、30年以上住んでいる人たちは最初はスーパーもなかったから農家の朝市などで物資を購入していたそう。
それでも初期の頃には一戸建ての官舎もあり、どこの家にも花が美しく咲いていたものだった。去年くらいからそれが取り壊されることになり、マンション群になるらしい。
今年の夏にはつくばエキスプレスが開通し、ますます人口が増える。今までだったら公立の学校も越境できたのに急にシビアになる。つまり、人口の増加を見越して、器が足りなくなるかららしい。そのせいか今までだったら高校からしかなかった私立が数年前から急に中等部を併設するようになった。
ちょっと前まで茨城というだけで僻地手当てが付いていたし、僻地扱いになるから防衛大出身者も多かった。それがね・・・この数年の間に、急に僻地ではないということになり、手当てがカットされてめちゃくちゃ怒っている人たちも多い。初年で4万円、勤続年数に応じて13万円くらいかな・・・それがいきなり一律カットだもの。都内のほうがもっと不景気の煽りで大変なことになっているらしく、そのしわ寄せが地方にやってくる。
いっそのこと都内を切り捨てたほうが儲かるかもしれん・・・
政治も変わるし、国が先に動いて出来てしまったこの街に住んでいると、上が勝手に決めてもトラブるだけで損な気がすることが多い。福祉だって都市ごとにまるで違う。教育もそうかもしれない。住民同士の価値観も違うし・・・
このところの自分を観察していると、どうも過密に堪えられなくなっているらしい。
アメブロの解析によるうちのブログのユニークユーザー数: 平均285人
コメント数: 平均5人程度(1.7%)
そのうち検索からの来訪が半数以上を占める。
ブックマークからの来訪が4分の1(25%)。
この数が多いか少ないかはわからない。しかも、IPアドレスによる分析。どんな人が来訪しているのだろう・・・それすらほとんどわからない。常連さんでもわからない、というのが実情に近い。というのは、98%以上がロム。コメント派の常連さんはごく僅かなのである。
友達でも知り合いでもない来訪者のほうが多いのです。いつもありがとうございます。
読者って本当にありがたいです。
たまにバカらしくなって、ネットをやめようと思うこともしばしばなんですけど、思いがけない人が読者だったりすることもあり、驚くこともしばしばです。他愛もなく・・・さっぱりとね・・・