May 05, 2005

優位差とバランス

近頃は、大脳機能局在説が流行っているため、すぐにこれを応用していこうという姿勢が加速しても無理はない。ところが実際には脳梁によりつながれているため、左脳と右脳の働きは密接に関連し、どちらも不可欠なものである。しかも、脳は発達するものであり、任意に与えられた環境因子よりも、ごく日常的な生活あるいは生活環境により与えられる刺激のほうが遥かに重要であることは語るまでもない。

中には水頭症により大脳皮質がほとんどない少年が数学においては天才的な才能を見せたとか、脳の可塑性を考慮すると、ある特定部位の能力だけを高めようという姿勢こそがマニュアル化教育のようで、現代日本の思考様式を物語っているかのようだ。

大雑把に語ると、左脳は言語が優位、右脳は視空間が優位と言われている。あまりにも大雑把すぎて、この複雑な世界を簡単に語るのは概念を説明するようなもので、かなり難しい。

例えば、りんごのイラストを瞬時に提示し、それが左右どちらかの空間に現れたかにより言えたり言えなかったりする。つまり、正面向かって右側に現れれば”りんご”と言えるし、左側に現れたら”りんご”と言えない。実験が語っているのはこれだけのこと。

右側にイラストが提示された場合右目で見る。その情報刺激は左脳により処理される。従って、左脳で処理された情報のみ、言語によりアウトプットできる、ということがこの実験から分かる、ということなんですが・・・

でも、目でも利き目があるし、右利き左利きというのは手だけではない。だから、特殊な実験下でもたらされた事実だけがすべてとは語れない。

似たような例を挙げると、右半分にりんご、左半分にレモンが描かれたイラストを提示し、「何が見えましたか?」と問えば、「りんご」と答えるのに対し、「何が見えたか、同じものを選んでください」と問えばレモンのイラストを描かれたものを選ぶ。

つまり被験者は、言語で問えばりんごが見えたと答え、見えたもの(形状)で問えばレモンが見えたと答える傾向が高い。

このことから、左脳は言語が優位、右脳は視覚情報が優位と括られる。が、しかし、通常は、りんごならりんごを見ているため、何気ない日常の中では意識されることはない。「何?」と訊かれて「りんご」と言語で答えるなら左脳が働いているのでしょうし、それでいて実際に形状を知覚しているのは右脳のため、イラストの絵と同じものを選ぶといった行為で機能しているのが右脳だからといって、それが何だというのだろう。

このほか、目をつぶってりんごを触り、「それがどういう形をしているか?」と想い描く力も右脳ということになる。それを言語で語るには左脳が働いているのだろうか。ややこしい。実際には、右手で触っても左手で触ってもりんごだと分かるし、右目で見ても左目で見てもりんごだと分かる。そうなると記憶の問題とかね・・・右脳と左脳が脳梁でつながれており、さらに複雑な脳の情報処理を考えると、局所的に偏った志向にはなにやら胡散臭いものすら感じてしまう。

ところが、個人差というのもあり、言語機能にしても右利きの人と左利きの人とではどちらにその中心があるかもばらつきがあり、実際には脳に障害が発生してその機能が失われて初めて分かることも多い。さらに、空間視能力では男子のほうが女子よりも発達していたり、言語能力では女子のほうが発達していたり性差も報告されており、一概に何が素晴らしいとも語れない。

さらに、こういった偏りが思考パターンの違い、価値観の相違、人格の違いにまで及ぶとなると、能力というよりも認知パターンのスタイルと語ったほうが適切ではないかと。

人間というのは複雑な生き物で、脳はさらに複雑な構造を持ち、右脳・左脳といった発想で語るにはいささか無理があるのではないかと。特定部位を刺激し、その能力を高めるというのは、実際には特定のスキルを育てているということで、能力と言ってしまうのは言いすぎのような気がするのだけれど、どうなんでしょうね。

用語の使い方自体が少々意味がずれているのかもしれない、トラステと・・・この手の記事を書くのは難しい。


⇒トラステへのトラバ : お題 「右脳開発で能力UP!」

投稿者 Blue Wind : May 5, 2005 01:19 PM | トラックバック
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