May 03, 2005

ゆとり教育は国民に対する教育サービスの低下にすぎない

「学び・教育」にジャンル変更して、一発目の教育ネタ。
トラステのお題 : 「ゆとり教育をどう思う?」

あっさり語ればこの国に、仕事よりゆとりがほしいと思っていらっしゃる方がどれくらいいるのか知りたい。正確に語れば、ゆとりという言葉に含まれたニュアンスは、生活のゆとり、こころのゆとり、その他諸々ゆとりのある暮らしへの関心である。

余暇をどうするかとか、ショッピングや買い物、その他わたしの場合は昼寝をゆとりと呼んでいるけれども、そもそもがそういうゆとりという概念が教育に持ち込まれること自体がおかしい。へん。

考え方としては、わたし的には週休2日制で、学校の連休も増えたし、家族で過ごす時間、友達と過ごす時間を考えるとゆとりがあるほうがいい。でも、それは去年くらいから少しずつ変化し始め、「夏休みくらい家でのんびりしたい」という娘の言葉に象徴される。それまでは学校から帰ってきたらランドセルを放り出し、公園や友達の家に遊びに行ってしまうのが普通だったのに、高学年になるに連れて、逆に家でのんびりしたがるようになる。ふしぎ。

一つには、高学年になると習い事や塾で忙しくなる子が増え、学校の行事でも運動会や合唱コンクールに向けての居残り練習などで4時くらいまで学校がある。そうなると親は送迎しなければならない。子どもにしてみれば学校が終わったと思ったらすぐに塾とかね・・・平日はやたらと忙しい。

それでいて、教科書はうすぺらになっていく一方で落ちこぼれのいないクラスということで家での宿題は増える。土曜日がお休みになったせいで、そのうすぺらな教科書をこなすだけでも大変らしい。

幼稚園のほうがよほどゆとりがあった。

冗談ではなくて、体育や英語の専門教師がいて、さらに付属のピアノ教室へ通わせると先生が勝手に園内のお教室に連れて行ってくれる。自宅の前までバスが来てくれるので、親はほとんど何もすることもないし、給食も制服もあるし、1人でさせるのと違って皆でするから娘も遊びの延長にレッスンがあるという感じ。

それが公立の小学校へ通うようになると、何もしてくれないから習い事をするなら自分でやらなければならない。できればいろいろな側面で教育が学校でなされていたほうがよほどゆとりを感じる。つまり、今のゆとり教育は国民に対するサービスの低下である。

できればもっと授業時間を増やし、今は一部でしか行われていない英語のレッスンや選択教科の増加など小学校のうちから国でも多様で質の高い教育サービスを実施してほしい。なんで個人負担であれこれやらないとダメなのか理解できない。生徒のニーズに合わせた授業編成とかね・・・放課後のグループ・レッスンとか。学校が終わってそれから・・というほうが遥かにゆとりがない。正直に語れば、親の所得によっても子どもが受けられる教育量が変化しているのを感じる。

だから、このところ私立に人気が集まる傾向が高い。理由はそのほうが経済的にも安いかららしい。例えば、中学から一貫性の場合、5年間で高校までのカリキュラムを終了し、高校3年は受験のための専門教育期間になる。公立へ通ってさらに塾やら予備校やらへ通うより、そのほうが時間的にも予算的にも余裕がある。さらに、スクールバスがあるし、芸術系の進学にも力を入れている学校も多い。質の高い教育内容を安価で、ってなると今は私立か? いずれにせよ、学校でやってくれたほうが移動がない分、親も子も楽だ。

結局、ゆとり教育というのは教育のサービスの低下としか思えない。子どもの教育にもっと力を入れるほうがまともな政府じゃないか?

投稿者 Blue Wind : May 3, 2005 04:21 PM | トラックバック
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