May 03, 2005

明治から昭和にかけて

風邪薬の話を書こうと思ったわけじゃない・・・ダメだ、ボケてる。
ダジャリスト☆ぐたのところからネタをかっぱらって戦後GHQの話を書こうと思ったんだっけ・・・とは言うものの、わたしの世代でもすでにGHQって言われてもピンと来ない。ましてや、うちの娘になると平成生まれだからそういう言葉があることも知らないかもしれない。

たまに思うんだけど、議論は悪魔を呼ぶし、寡黙は天使を連れてくる・・・って。

中学生の頃、無言実行ではなくこれからは有言実行の時代だと説教していた先生がいた。それから数十年の月日を経てわたしは思うのです・・・やはりオリジナルのほうが素晴らしいのではないかと。つまり有言実行よりも無言実行のほうが遥かに値打ちがあるような気がします。

なんでも議論という姿勢はかつての日本にはなかった。この国ではむしろ以心伝心とか、黙って気持ちを伝え合う文化を大切にしていた気がする。それがいつから変化したかといえば、戦後だろうな・・・ジャパニーズ・スマイルがどうたらこうたらとか。大きなお世話。微笑みの国タイは素晴らしいと思ってしまう。かといってマレーシアのように愛想はないかわりにやたらと親切な国というのもあるし、やはり文化の違いなんだろう。

聖書にも書いてあるではないか・・・人間が互いに理解できないようにするために、神が言葉を混乱させ聞き分けられないようしたと。そうしないと人間は悪いことばかりするかららしい。どうして言葉が一つで、皆が理解し合えるほうが悪いことをするようになるのか不思議だけど・・・(詳しくは、創世記11. 1-9 「バベルの塔」)

善いことをするときには、神を信じてすすむだけ。悪いことをするときほど、皆で話し合うものなのかも。わからん・・・

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ぐた家から拾ってきたネタは、これである。
⇒『占領下で日本にはなぜ反GHQ地下運動はなかったか?』

これはたしかに不思議・・・

理由はいくつかあるんでしょうけど、明治維新以来富国強兵とばかりにやたら突っ走ってきて、それまでの鎖国のツケを支払おうとしていたような時代が長かった。政策だから仕方がない。日清・日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦。何のために戦争をしていたかと言えば、ひたすら富国強兵のため。

だから、よく考えてみると、第二次世界大戦ではアメリカが参戦したのは日本の真珠湾攻撃以降であり、あれがなければアメリカが正式に参戦するなんてことはなかったかもしれない。たしか、それまではイギリスやフランスを相手に戦争していたはずなんだけど、実際の舞台はアジア・太平洋。日本軍がヨーロッパまで遠征していたという記憶はない。こうなるとどこが敵なのか分からない。

つまり、列強がアジアの覇権をめぐって対立していたから戦争になったわけで、シンガポールのラッフルズ・ホテルも日本軍の占領下だった時代もあるし、それこそ東南アジア、グアム・サイパン、満州、韓国、ハワイなどなど日本軍の侵略はひたすら軍部により進められていった。

アメリカの参戦により、原爆が投下され日本は敗戦を迎えた。

最初から反米意識が高まりアメリカに対して宣戦布告したのなら反GHQ組織というのも理解できるのだけど、日本の場合はそうではなく、アメリカというのはどちらかというとダークホースで、意識にもなかったのではないかと。世界が入り乱れて戦争をしていると、本当の敵がどこなのか分からなくなる。憎しみを持った戦争というより、ひたすら富国強兵の延長線上に敵がいた、というのが事実に近いのかもしれない。

だから、敗戦を迎え、食糧難は続いていたし、富国強兵どころかその日食べるものすら窮乏しているわけだから、一気に「何のために戦争していたのか分からない」、「政府は嘘つき」みたいな感情が噴出す。「ほしがりません、勝つまでは」を合言葉に、戦争に勝てば裕福になると信じて戦っていたわけだ・・・大多数の人たちは。(果たして、国民は騙されていたのだろうか?誰に?何のために?)

というわけで、戦後、占領軍であるGHQの指導の下に明治以来の富国政策が推進され、食糧難からも解放され日本は経済成長を遂げた。・・・・・・・地下組織ねぇ・・・・・・・あるわけないじゃない、やっぱ。

根底は、島国根性とか、鎖国とか、もっぱら自国の文化に自信が持てなくなった頃から何かが変わり始めたような気がする。

投稿者 Blue Wind : May 3, 2005 05:02 AM | トラックバック
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