May 12, 2005

日記文学とブログ文学

ある日突然、アメブロの「本・書評・文学」のトップページで、『「山川塾」講座 第1回(仮) ブログは日本に固有な日記文学の復権だ』 という記事を見つけ、ジャンルを変更することにした。実際には、アメーバブックス編集部のブログなので、これもアメブロ企画の一つなんでしょうけど、「日記文学=ブログ」という発想がつらかった。

つまり、一つのブログ全体をまるごと日記文学として講評を山川氏が述べるという企画。何気ない日常の記述である日記を文学として講評するという姿勢がインターネット的ではない。

それでは一つの短編小説をそのまま一つのブログ記事にしてしまった幸田回生さんの小説『ペーパークラフト』 はどうなるのだろう?

幸田さんの場合は、小説だから少なくても幸田さんの日記ではない。

わたしの場合、短歌は文学であるとかないとか、ブログは日記であるとかないとか、ネットはメディアであるとかないとか、道具を使うのは人間のため、実際にはどのようにでも使おうと思えば使える電子の世界を不自由に泳いでいる。

今回、ほとほと悩んだのは、小説の場合、作者がいて登場人物がいる。幸田さんの『ペーパークラフト』も「さやか」という登場人物の日記である。実際には日記とは言えないでしょうけど、読みようによっては完璧な日記。書いているのは作者。だから、フィクション。

わたしの場合は、ブログの作者はわたしであり、小説ではないから、登場人物も実在の人たちであり(当たり前か・・)、わたしはわたしである。でも、もしかすると読む人たちにとっては実はどうでもよいことなのではないかというのが素直な感想。

これが幸田さんのブログがまるごと「さやか」という架空の存在を主人公にしてブログ記事を書き続ければ、フィクションであり小説であっても、日記文学というカテゴリーに含まれてしまうようにも思われる。

文学、ということで考えてしまえばおそらくはどうでもいいことなのかもしれないけど、ウェブを主な作歌の場としてうたを詠んできて、ついでにそれが発表だと言われ戸惑い、次にはそれが文学であると言われて急にジャンル変更したり、CSS編集記事を差し入れたりするわたしという人。

このほかにも実際的な問題はある。

例えば、わたしの場合、素材を借りているけれどもそれは前提に個人のサイトないしはブログであり、営利目的ではないという条件がある。だから、アフィリエイトについても本来なら控えるべきだと思っている。このため書評を書くのも憂鬱の種。なぜならアマゾンのアフィリエイトの画像を使うにはアマゾンのアフィリエイトに加入している必要があるから。そうでなければいちいち自分のサイトやブログに画像をアップしなければならない。

完全な書評のブログであれば、余分な画像を使う必要性がないのでおそらくはくだらない悩みなのかもしれないけど、例えばニュースの記事や写真にも著作権があり、いちいち莫大なブロガーたちがニュース・サイトに承諾を得てリンクを貼ったり画像を使ったりしているとは思えない。それでも問題にならないのは営利目的ではないからだろう。でも、アフィリエイトは営利目的である。

そこのデリケートな部分が、アメーバブックスの編集室(あるいは企画室か?)はもともとが営利目的で出版している人たちのせいか伝わらない。ブログまるごと日記文学として扱い出版を考えるというのは発想としては今の時代の風潮でもあり、ブログを書いてアフィリエイトするというのも一つの仕事だと思っている人たちもいる。それを推進する、というのは商売なら当たり前だろうし・・・

感覚の問題なんだろうな・・・

今回、ブログペットがとうとうアメブログでは使えなくなり、こういうのはむしろ企業間の問題であることが多い。わたしがほかのブログにブログペットを置くことは可能である。ところがアメブロだと使えない。新聞社の記事も個人ユーザならアメブログでも使えるでしょうけど、企業のブログでは許可なく使えない。翻弄される一人のユーザであるわたしという人。

ブログは一つの世論だからな・・・
果たして、それを文学と呼び、文学にしてしまってもよいのだろうか?
文学記事として記事をアップするのなら、別でしょうけど。
どうもややこしい。
日記文学とブログ文学。

投稿者 Blue Wind : May 12, 2005 05:04 PM | トラックバック
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