September 03, 2005

数字文化

結局・・・・・民間団体、ボランティア、NPO、まちおこし、脱ニート、フリーター対策、絵画と道徳教育とかね・・・わかりやすい数字が必要。あるいは、住宅展示場に40万円くらいの値札をつけて飾っておくとか。

数字、数字、数字。
数字がすべて。

投稿者 Blue Wind : 01:37 PM | コメント (0) | トラックバック

August 31, 2005

統計データを活用せよ

めずらしくアメブロからまともな記事が・・・(こらっ)
→ 9−11 衆院選挙ブログリサーチ

おおざっぱに内容を整理すると、今後どうやって世論調整にブログを活用するか、ってことなんでしょうか。

政府や政治家、政党に意見を送信するのならダイレクトにやればいいですよね。わたしはこの方法を活用しています。数日後、係の方からご丁寧に返信まであり、案外勢いだけで送信しているのが申し訳ないような気がしました。

リサーチという点では、各政党ごとのマニフェストに対し、TBやコメント等で意見を集めるのも一つだけど、それよりも統計データを活用し、数字を見ながら考える必要性も高い。というのは、意見というのは好き勝手なことが言えるじゃないですか・・・自分の都合だけで。

だけど、年金や少子化対策など、どうして増税が必要になってくるのか、そこのところ資料を見て判断しないとなんとも言えない気がするのです。もし、本当の意味で公平で、かつどこの政党にも加担せず、数字を見ながら匿名で考える、ということであれば、つまり自分の立場を度外視して、あるいは組織を離れて客観的に考えるというか、そういう純粋化された世論は大切。

ほとんどのブロガーは匿名で遊んでいるだけ。その代わり、立場を超えた意見発信も可能。統計的数値というだけなら責任ないし・・・実際の選挙の結果と比較するのもおもしろいかも。データ発信ブログ、つまり国民の本音をリサーチするブログっておもしろそう。ただし、2chは嫌だ。もっとまじめに。

投稿者 Blue Wind : 03:49 PM | コメント (0) | トラックバック

August 30, 2005

どうせやるなら、個人で販売できる程度までバックアップしてほしい

全然待っていなかったけど、アメブロでも自費出版のサービスが始まった。他社ブログのサービスと比較する前に、せっかくだから感想を。

アメブロ運営局 スタッフブログ
アメブロde本

正直に語れば、今はまだ「待ち」をかけたほうがよいのでは・・・
理由はいくつかある。

一番大きな理由は始まったばかりだということ、サンプル数が少ないということ、表紙くらいもっと凝ったものを使ってもよいのではないかと思ったこと。

その次に、期間で記事を絞り込まなければならないということ。
(ちなみにエキサイトの場合は、印刷したい記事だけを抽出することが可能。)

******

どうせやるなら、個人で販売できる程度までバックアップしてほしい。アメブロなんだから、それくらいできるのではないか?・・・なんてね。

投稿者 Blue Wind : 03:34 AM | コメント (0) | トラックバック

August 29, 2005

ど素人以下

ど素人以下には以下の強みがある。
あっさり語れば、きつい。

たとえば、娘が絵で食べて行きたいと言ったとしても、ちょっと見てね、「ふん!」で終わらせてしまうくらいきつい。ちょっと専門学校へ行ったから、美大を出たから、というくらいでは相手にされないことくらいはど素人以下だからこそ理解できる。

もっと言ってしまえば、それがすごく価値のあるものであったとしても、たとえば素晴らしいガラス工芸の作品だったとしても、わたくしは主婦なのでそっちは鑑賞用、自分で買って使うのは実用的なもの。つまり、電子レンジや食器洗い機で使えるものとか。収納するときのことや、食器洗い機の企画サイズに収まるかどうかとか。だって自分で手で洗うのはいやだもの。

それなら、自分で食器を焼いて、自分で使っているほうがずっと楽しいのでは・・・?

あるいは、フラワーアレンジメントや華道などをやりながら、ちょっと使いたい器を自分で焼くとかね・・・そっちのほうがお洒落だし、そんなことをしているうちに、器の焼き方を誰かに教えているほうが実用的な生き方のような気がするけど、どうなんでしょう・・・

みんな、不正直で困る。

たとえば、美術なんて食べていけないわ、なんて言いながら、「あの学校では美術の推薦枠があるのよ」という噂が広まるとどういうわけか小4くらいでいきなり絵の勉強を始める子が増えたり・・・何のために絵を習わせるのか、謎。うちはまだ道楽の部類だから、まだマシのような気がする。

親の思惑とは別に、子どもは絵を描く面白さに目覚めると、次にはそういう子たちが集まる中に行きたがる。そういうのは本能のような気がするけど、どうなんだろう・・・1人で無理解な人たちに囲まれて劣等感を抱えながら生きるより、そっちのほうが居心地がいいのは当たり前。

そのうち自然とそういう子どものニーズが高まると学校でも本腰を入れるようになる。すると、「あの学校は美術に力を入れている」という噂が広まる。そうなるとそういう希望を持った子たちが集まるようになる。

つまりはね・・・わたしのように絵の下手な人間が群れているところで教師だけが一生懸命になっても反応しないのよ、群れたちは。退屈だから。ところが、絵が好きな子たちが集まっていれば面白いくらいに才能が伸びる。そうなると先生もさらに高度なことを教えても大丈夫ということに気づきだす。

世の中なんてそんなものではないだろうか。

たとえば、美術推薦の話をどうして美術教室へ行ってするか?つまりは、そういう学校が増えれば、美術教室も流行るし、流行れば今まで埋もれていた才能たちが芽を出すチャンスに恵まれる。実際の学校というのは学力重視だからせっかく絵の才能があっても埋もれてしまう。そうなると美容師になろうかとか、専門学校へ行って普通の学校では教えてくれなかったポイントなどを勉強しようか、とかね・・・正直に語れば、落ちこぼれのレッテルを貼られてしまう・・・勉強が出来ないから仕方なく、というのでは。

そうなると悔しいので、結局、勉強させよう、って思ってしまうのは親が悪いのだろうか?

いくらマスコミや世間が、カリスマ美容師の話をしても、作家や漫画家の話をしても、なんか説得力がないわけ。そういうのはいわば特殊な人たちだけという気がして。それなら役人にでもするほうが手っ取り早いような・・・

某作家のブログを読んで、「はあ?」と思ったことがある。居酒屋で働いていても相手にされなかったけど、作家になったらちやほやされるというお話が書いてあった。ほんで、誰にちやほやされたいのか?って欄を読み、ぐったりしてしまった。それなら、作家をちやほやする側に回ったほうが・・・まあ、エリートになれないから敗者復活的に・・・? なんかね・・・作家がそんな風だから、世の中がちっとも変わらないような気がして、わたし的には非常につまらないような気がしたのだけど、そういうのに憧れる人たちが多いってことが現実なのかもしれない。

投稿者 Blue Wind : 03:11 PM | コメント (0) | トラックバック

August 28, 2005

また芸能人を使って・・

また芸能人を使って選挙活動しているヤツがいる。
いやらしい。
やめたらいいのに。
懲りない。

あんなんで入れるひとたちの気がしれない。

投稿者 Blue Wind : 02:48 AM | コメント (0) | トラックバック

August 27, 2005

生き甲斐・死に甲斐

生き甲斐というのは娘を東大へ入れることで、
死に甲斐というのは孫の赤紙を破り捨てること。

う〜む・・・・
自己中はつおい。

投稿者 Blue Wind : 12:13 PM | コメント (0) | トラックバック

August 26, 2005

愚か者の平和な夜

あと2年もしたら世の中がどんどん変わっていくのだろうか。ある程度まとまったお金があって、年金があるなら、あとは物価が安くて食べ物の美味しいところでのんびり余生を楽しみたいというほうが人情だ。仕事があるから拘束もされ、自由のない生活。都会のほうが便利でよいという人たちも多いだろうけど、あの姑さんでさえそのうちつくばに来ると言い出したし、世の中わからん。一つわかっているのは、今が一番しんどいということかも。2007年をピークにリタイアする人たちのほうが増えて、そうなると2017年頃までには就職難も緩和される可能性が高い。

たまに誰の言うことが正しいのかわからなくなることがある。そういう時には、頭が二つあることが多い。たとえば、業界の人の言うことを鵜呑みにしたところで実際の売り場に立てば、推奨本は推奨本として存在し、参考書はどうしても必需品だし、辞書の種類ですらあっという間に増え、いつも必要なものは与えられている。国の教育方針のほうが影響力が強い。一方で護憲派がおり、一方で目立たず軍事力は増強されており、それでいて自衛隊がサマーワでやっているのは設計図を書いたり裏方の仕事?北朝鮮のテポドンって何なのさ・・・謎。

官僚主導型の社会がどうたらこうたらとか、大企業がどうたらこうたらとか、国民がどうたらこうたらとか。一つわかっているのは、体制というのを支えているのが国であり、その国の仕事をしている人たちを観察するに、どうやって考えても生活自体はザ・公務員。

外は台風・・・
静かな夜。

投稿者 Blue Wind : 01:57 AM | コメント (0) | トラックバック

August 25, 2005

本屋の官民対決

公務員社会に洗脳されたわたしの脳裡において、もしそれが本当の意味で値打ちがあると思う本であれば、図書館にあるべきものとして扱われ、立派な装丁がほどこされて売られている理由が理解できる。みんなで使うものにはしかるべくお金がかけられる。あるいは教科書により無償配布されたり・・・あるいは、この前本屋でいい本だなぁ・・と思っていたアフガニスタンの写真集の続編が、小学生のための夏休みの課題図書になっていたり・・・

その一方で、不景気に喘ぐ民間は薄利多売とばかり、新聞掲載や雑誌、早々の文庫化などにより廉価で売り出される。いささかその内容が俗悪になっていようが、薄利多売でしのぐしかないのかもしれない。昔の出版社は・・、作家は・・、などと怒っても無意味な理由がここにある。

誰がそのルールを決めて、保護し推奨すべき作品とそれ以外を区分するのだろうか?
読者? 消費者? 編集者?

駅の売店の前にごみ箱がある。
「青少年に悪影響を与える書籍は捨てましょう」と書かれて・・・
捨てる基準がどこにあるのかわからないけど、あっさり語ればそんなものは買わなければいいわけで、それでいて売れるんだろうな。だったら立ち読みすればいいのに、って思うんだけど、さすがに売店ではできない。コミックなんて本屋でも店員が全部にビニール・カバーをしてしまう。

読者・・・というより、消費者の感覚に近い。価値のないものにはお金を払いたくない。それでいて欲しい本は高い。

このバトルの激しさ・・・

投稿者 Blue Wind : 02:18 PM | コメント (0) | トラックバック

August 24, 2005

青写真

テレビで佐藤ゆかりさんが郵政の金の使途の一つに中小企業への貸し出しを挙げていた。わたし的な素朴な疑問として、どうして今まで郵貯マネーが銀行がダメになった時点でそこへ回らなかったのか不思議でたまらない。

なんでなんでなんで?
銀行が貸し渋っている話はずっとあるし、中小企業の連鎖倒産の話もめずらしくなくなったし、要するに会社が倒産し、人々が失業に喘がないと許してくれないってことなんだろうか・・・わからん。失業対策の一つに公共事業とか?

あのぉ・・・・・その前に失業者が出ないように救済があってもよかったはずでは?
わからん・・・・ほんと、わからん。
まあ、たしかに”みんなの金”であるため、うっかり何かやって銀行みたいなことになったら大変なのはわかるけど、あまりにも何かどこかが窒息体質のようで息苦しくなってしまう。

パラサイト化している若年層は、失業保険をもらいながら転職しているほうが得。公務員は転勤が多いし、家を買わないでいるほうが手当てがつくから得。うちの近所でも退職してから家を建てる人が多い。

二神さんの『希望のニート』の中でも、積極的にパラサイトを推奨していた。つまり、20代では収入が少ないのは当たり前だし、今の若年層に1人でやっていくように語っても無理。ということは、年収300万円で暮らすためには積極的に親子でパラサイト化していくしかない。親の年金と子の収入で孫を育てていくのだそう。(それが素晴らしいかどうかは知らんが)

もっとわからないのは、郵貯の金が海外に流れる可能性があるから民営化に反対と語っている人がいた。
??????
わたしは経済のことはまるでわからないので意味わからん。


もっとわからないのは、郵貯の上限1000万円が2000万円、3000万円になることがどうしていけないの?
もう、さっぱりわからないことだらけ。
一つわかっているのは、そういう官意識の高い金の使い道が国債とか公共事業に使われているらしいということ。わけわからん。国債というのは国の借金だし、公共事業というのは無駄遣いするためにあるような・・・・
わからんわからんわからん。

まあ、どうでもいいんだけどね・・・
公務員の街というのは、官の影響で民でも福祉はよいし、福祉がよいということは、さあ、いざどうしよう、というときのことを心配する必要性が薄いということで、官のレベルで暮らしていたほうが財布にもやさしいし、多少の窒息感を我慢すれば、追い立てられるように金に堰かされることもなく、案外居心地がいい。世の中がせっせと堰かされるように自己実現だのキャリアアップだの派遣社員だのと騒ぐ中、のんびり家で遊んでいられるのは官の街だからかもしれない。

まじに金かからんのよ。まず、交通費がかからない。つくばから秋葉原へ行くだけで1500円以上かかるそう。おーバカらしい。それなら地元にいたほうが経済的。まあ、仕事だったら経費で落ちるのかもしれないけど、学生だったらちょっとバカらしいかな。

不景気・・・・・イコール物価が下がって生活しやすくなることかと思っていた。

投稿者 Blue Wind : 11:28 PM | コメント (0) | トラックバック

August 23, 2005

だるだるで少し不景気がいい

郵政民営化が通りそうなので、ほっとしてしまった。どんな大きな船でも、皆が乗ろうとすれば沈没してしまうのは当たり前の話で、船が沈没しまってからでは遅い。不景気になり社会不安が増大し、これ以上国の負担が増えるということは国が沈没してしまうということで、その負担が結局は生活に跳ね返ってくる。

だるだるで少し不景気なくらいが一番暮らしていきやすい。

投稿者 Blue Wind : 09:00 AM | コメント (0) | トラックバック

August 21, 2005

啓蒙から娯楽へ

どうして小説が流行らなくなってきたのか・・・
それはあっさり語ればニーズの問題である。

受験を例に取れば、かつて統計的データを用いてその年の傾向や対策について語ろうとしたとき、母親ではそれがなかなか理解できなかったそう。このため父親に説明し出したところ、お受験パパが数多出没するようになったらしい。

わたしは、サルトルの小説を読んだことはないけれども、翻訳書を本屋で眺めたときに、やたらとひらがなが多用されていたことに驚いた。つまり、どうしてそのような小説が必要になったのかといえば、とてもわかりにくい思想をわかりやすく説明するために小説という技法が用いられたのであり、そういった傾向はあらゆる芸術に共通したものであった。

ややこしいことは理解できなくても、音楽や戯曲などを通して触りを理解する。どうしてそういったややこしいことが必要だったのか、あえて書く必要もないだろう。

今はそうやって回りくどい説明をしなくても、ストレートに通じる時代らしい。

時代が小説やアートに期待しているのはもはや啓蒙ではなく、娯楽。海外に行けない時代には読んだり見たりすることで想像するしかない。未知の世界。だからこそイマジネーションが膨らんだ。

が、しかし・・・
あっさり語れば、「地球の歩き方」が発売されて以来、自分の足で歩くことを覚えてしまった人たちにもはやフィクションはつまらない。

出版業界に打撃を与えているのは実はインターネットではなく、そういった現実主義なのかもしれない。そして、理屈っぽくなった言語の枠を破壊できるのは一枚の絵や写真なのかもしれないと思うことも多い。あるいは、実際に行くこと。

一つわかっているのは、ややこしく言っても通じないことでもメタファーなら静かに理屈を越えて浸透していくということ。

はっきり言えば、啓蒙と娯楽とはまったくベクトルが違う。

投稿者 Blue Wind : 01:30 PM | コメント (0) | トラックバック

ダークな鬱憤

今月に入り、わたしのブログは急にトーンが変わった。こういうのは単なる気まぐれで、気分屋だからそのうちまたもとに戻るのかもしれない。

日頃、ノン・ポリティークをモットーにしているために、その手の話は書かないし、どうして書かないかと言えば、単に興味がないせい。急に社会派(?)ブログになってしまったのにはいくつか理由がある気がする。

一つは、娘の受験。
これまた実は本当は乗り気ではなく、学校があまりにも狭く小さいためにどこかガス抜きが必要というくらいの気持ちだった。そのうち娘の絶交事件があり、これを境に娘が急にスクールバスのある学校へ行きたいと言い出したため、流れが変わった。

子どもだからね・・・ほんとにささやかなことが原因だったりする。親からみれば大したことではないようなことでも、子どもには子どもの世界があり、その中の出来事が本人に与える影響はバカに出来ない。

そこからだなぁ・・・それまではなんでもいいや・・みたいな気分だったので、学校訪問にもあまり興味が持てなかったし、初めから遠くの学校へ行かせる気もないため、近所の人に様子を尋ねるくらいで・・・

ところが、そうなると出るわ出るわ膿の山。
どこがゆとり教育なのか・・・
ゆとりが出来たのは教師だけかもしれない。
いや・・・そうではなく、矛盾する二つの出来事を学校がどうやって解消してよいのかわからないというのが実情なのかもしれない。

流れ作業というか、社会に一つの目標があり、教育も社会も同じような価値観で動いているうちはよかった。

そのうち落ちこぼれをなくそうとか、競争をなくそうとか、休日を増やそうとか、世相を受けて何かが変化するようになると手と足がバラバラに動くような違和感が立ち込める。その裏で塾や親の仕事が増える。そういう厄介な仕事は先生はやらなくなる。その一方で、少しでも顔色が悪いと学校から迎えに来てくれと電話が入り、おおげさなほど休むことが奨励されたりする。

う〜ん・・・・・家で娘の様子を観察しているだけでは、特に困ったことは何もない。学校へ行っても、特に荒廃したムードなんてない。ないから困る。あれば、というか目に見えることならわかりやすい。足りない何かが何なのか。道徳教育がなくなったとかね・・・そういうことなんだろうか。

国会もね・・・今回は生まれて初めて腹の底から政治家に対して怒りが発生したような気分。

正直に語れば、政治家に対して怒っているのではなく、自分が何に対して怒っているのか、自分でもよくわからない。

ただ、無性に腹が立った。

国民の声がどうたらこうたらなんてあんたに言われたくないわ〜、みたいな怒り方。

主婦ってね、有権者なの。おわかり?クスクス・・・
みたいないじわるな気分かもしれない。
女性に選挙権が与えられるまでの葛藤を眺めると、今は生まれたときから無料で与えられるものの一つになってしまったがゆえに価値さえもみえない。誰でも持ってるものだから、かな。でも、これを手に入れるためにどれほどの人たちが苦労したか計り知れない。

たまに思うのだけど、社会=会社だと勘違いしているような人に何を言っても無駄なのではないかと。

たとえば、年金、医療、年寄りの世話、子どもの教育、就労、その他諸々ちまたの話題は生活に密着したものばかり。いわば国会なんて茶の間の話題の延長にある。

それでいてあのおおげさなこと・・・

一つ理想があり、その理想があるならそれに向かって突っ走れ!

そういうまっすぐなパワーが欠如している。そういうまっすぐな人たちが少ない。いつも何かに遠慮するように裏表が存在し、臭いものには蓋をするように躾けられてきた。

投稿者 Blue Wind : 01:05 AM | コメント (0) | トラックバック

August 19, 2005

統治下

ハワイとグアムは違う。どこが違うのかよくわからないけれども、ハワイはグアムよりもアメリカっぽい。アメリカ領なのだからアメリカなのは当たり前なのだけど、実際に誰が住んで暮らしているのかで随分違う印象を受ける。

グアムは、いかにも太平洋の島らしく、働いているのもチャモロ(?)というか、もともとのポリネシアの人たちが多い。ただ、法律がアメリカなんだよなぁ・・・というか。つまり、アメリカの統治下にあるからアメリカの法律が有効なわけで、そこに日本から客がやってくる。

今までそういうことを考えたことはなかったのだけど、たまたまお盆だったせいか、あるいは終戦記念日をグアムで迎えたせいか、統治、ということを何となく感じてしまった。日本には日本の法律があり、アメリカにはアメリカの法律がある。誰がその法律を決めたかといえば、原則的にそこの国の国民が話し合って決めたことになっているらしい。

法律の違いというのは実にささやかなことで感じたりする。

例えば、煙草。アメリカへ入国する際、免税になるのは1カートン。日本の場合には外国製1カートン+日本製1カートンまで無税。なんたる細かさ!

そのほか、道路の通行や、右折のルールの違いや、信号機の違いなどで微妙にルールの違いを感じたりする。

もっと細かいところを言えば、ライター。
今回、テロ対策ということで徹底的なライター狩りが行われているアメリカ線。1個でもダメ。ヨーロッパ線は、1個までOK。・・・・・・・・それ以外の国は知らん。

噂の写真と指紋の押捺については、機械がカウンターに置いてあったけど、さすがに使ってはいなかった。テロリストがどういう理由があってグアムみたいな準州を襲撃するのか、誰でも考えざるを得ないだろう。バカバカしい。ほとんどアジアからの旅行者しか歩いていないのに・・・

よく考えたら、「グアム島の人たちはアメリカから独立しようと思わないのだろうか?」なんてね・・・世の中グリーンカードがほしい人たちだらけの実情を考えたら、そんな愚かなことをグアムの人たちが考えるとは思えない。

でも、おそろしいほど重税がかけられていたり、生活が圧迫されていたら、そりゃ治安も悪くなるってものだろう。が、しかし・・・あんな辺鄙な島でものんびり暮らしていけるのは資本がほかから投下されているからなのかもしれないし、現実を考えれば、フィリピンよりもマシかもしれない。いっそのことまとめてアメリカ政府がめんどーをみてあげたら、なんてことを考えてしまう。

それにしても、日本のルールってどうなっているのだろう?
わたしには自分が決めているという実感はない。どちらかといえば、ねずみとりに引っかからないようにするにはどうしたらよいか、とかね・・・なんかそういうことのほうが現実味を感じてしまうんだけど。

代表を選んで、その人たちが勝手に決めるのではなく・・・できれば投票する側としてはあらかじめその議員や政党がその法案に対してどういうリアクションをするのか知らされている、ってことは最低限度国民に対する礼儀のような気がするんだけど、どうなんでしょう。

投稿者 Blue Wind : 04:25 PM | コメント (0) | トラックバック

August 10, 2005

ニートの台頭?

やっぱ、どうやって考えても、だるだるで小さな政府のほうが・・・なまじか金が動かせると勘違いされるから、戦争のたびに金を出せとか人を出せとか言われてしまうわけで、政府や政治家の権限が小さいほうが平和な気がする。

日本の軍部?
自衛隊?
戦争はなくても天災はなくならないから、それはそれで。

なんか、夏休みだというのに、こんな話ばかり。
旅行の支度をするにしてもグアムだぜ・・・なんかやる気がなくなるではないですか。しかも今年は『ニート』を読もうかと。これ以上ニートが増えるとまた生活保護やら大貧民層の拡大だのやたらと大変なことになりそうで。層が増えるということはそれはそれで新たな勢力の台頭。

なんか、大変な時代。

投稿者 Blue Wind : 12:49 PM | コメント (0) | トラックバック

知識

それにしても歴史というのは大学入試でも中学入試でも大して差がないことに気づく。知っているか知らないか、だけ。今日は日清戦争から朝鮮戦争まで。満州事変や日中戦争まで試験問題に。参考書には南京の大虐殺まで書かれている。教科書とは違う世界。学校と塾。教育と受験。建前と本音。普通選挙への道のり。軍部と政府との軋轢。おりしも8月。衆議院の解散。議会。昔よりもストレート。80年代まで一気に。

暑い。

投稿者 Blue Wind : 02:03 AM | コメント (0) | トラックバック

August 09, 2005

小泉大統領・・・

いつから日本は大統領制になったのだろうと思う反面、ノリの軽いわたしは政府のメルマガサイトから小泉応援メールを書いた。そういうおバカな読者に支えられて間もなく200号を迎えようとしている。ネットって軽いからね・・・おそらくはそういうおバカはわたしだけではないでしょうし、1万通くらいそういうメールが届いているのではないかしら。

ちなみにはわたしは自民党を支持しているわけではなく、この前の参院選も自民党には入れていない。正直に語れば公明党の議員に入れた。公明党に入れたからといって公明党を支持しているわけでも創価学会に関与しているわけでもなく、要するに政策だけで判断しているつもり。要するに、単なる浮動票。主婦っていうのはそれでいいような気がしているから。

安定政権が必要とは言うけれど、そんなことは実はどうでもいい。株をやっているわけではないし・・・

だから主婦は・・・と言われても、最初に郵政の民営化を訴えていたのは民主党なのに、いつの間にか反対に回っているわけで、政党や政治ですらそういう有様だから、それに対していちいち細かく判断していくのは当たり前だろう。

今回、自民党から郵政民営化法案の反対票に回った人たちって、よく顔ぶれを眺めれば本当の意味で自民党的な人たちなのかもしれない。あっさり語れば、あっかんべ。全部まとめて消えてほしい。地元基盤がしっかりした人たちが多いから、そう簡単に消えることはないかもしれないけど、正直言って、うんざり。昭和の亡霊に見えてしまう。派閥やら癒着やらいつまでもそういう旧い長老体質の中で議員をしている。権力構造だから強いバックボーンがあればそりゃ政界でも有利なのだろう。

それより政策とかね・・・きっちり仕事をしてくれるタイプの政治家のほうがいい。派閥だの談合だの要職だの、それはそれでわかりやすいのだけれど、それよりも民意を問い、その結果が望ましくないものだったとしても、それはそれでそれが日本だと諦めがつく。

実際、政権交代してもいつもそれが失望に変わることにも慣れている。それでも変わるほうがいいな・・・21世紀だから。

投稿者 Blue Wind : 09:53 AM | コメント (0) | トラックバック

間接戦争

戦後から60年が経過したとは言うけれど、実際にはアメリカを通して間接的にはいつも戦争に関与しているわけで、本当のところがどうなっているのかわたしにはわからない。また、知りたくもない。

わたしが知っているのはせいぜいアメリカの基地が日本にあり、アジアで紛争や戦争があれば日本がそれに協力してきたという事実。中東半島はあまりにも遠いけれども、石油が絡んでいるせいか、湾岸戦争でもイラク戦争でも日本が知らん顔するわけにはいかないということくらい。一方で平和憲法をかかげながら、陰では戦争に協力しているわけで、そういう政府の二枚舌政策にも慣れてしまっているし、そこに北朝鮮からテポドンが都合よく飛んでくると、それも仕方ないような気さえしてしまう。

ナチを憎んでいるはずのユダヤ人科学者がアメリカで原爆を開発し、日本がどうしてその実験台にならなければならなかったのか、その事実を考えると、因果は巡るというか、江戸時代、日本が鎖国に踏み切ったのはキリスト教徒の弾圧のためでもあり、そのキリスト教徒がユダヤ人を虐殺し、その結果、間接的に日本は被爆国になったのだけど、今度は原爆を落としたアメリカにイスラム教徒がテロを仕掛けている。なんなんだ・・・一体、世の中どうなっているのだろう。

なんでこういうことになるのか、誰か知っていたら教えてほしい。

投稿者 Blue Wind : 12:34 AM | コメント (0) | トラックバック

August 08, 2005

国より都市

冒険を望まないから公務員なんだよなぁ・・・という体質が浮き彫り。簡保は損なんだよ、と言っても田舎では簡保が当たり前。民間だと確かに倒産そのものを心配しないとダメになるけど、保険料や条件を比較した場合、郵便局を支えているのは”国”という安心感だけなんだと思う。官の財産が民に流れるのが嫌だという共産党の説明が一番わかりやすい。そのどんよりとした空気・・・

さて、衆議院が解散。郵政民営化法案自体はすでに廃案となってしまった。
参議院は良識を重んじるのだから、それはそれで仕方がない。
農家は民主党。
農家が変わらなければ日本は変わらない?
いいんだけどね・・・つくばの並木路や公園が美しいのは農家の人手があるからだし、郵政もまた日本の文化の一つらしい。ほんで、延々と国債を買うのね・・・偉いのう。おひとよし文化だ。わたしは国より市民でありたい。

投稿者 Blue Wind : 02:39 PM | コメント (0) | トラックバック

不機嫌さ

わたしは今、漠然として不機嫌である。
何がどうして不機嫌というわけではなく、ただTXが開通することにより、かつての公団の呼び名が変わり、職員の対応がすごく事務的で感じが悪くなったことを思い出したからなのかもしれないし、母が倒れたとき、高速で往復すると高速料金とガソリン代だけでも6000円以上掛かり、その上、病院のパーキングが30分毎に加算され、娘の延長保育の料金が加算され、結果的に1日1万円くらいポンと消えてしまったのを思い出したから不機嫌なのかもしれないし、やたらと辺鄙なところにあるのに小学校にまで子ども貯金の説明にやってきて半ば強制的に口座を開かせる郵便局長の顔を思い出したから不機嫌なのかもしれないし、民主党のビラが入ってきて、”つくば市民を増やそう”って書いてあったのがやたらと不機嫌な理由なのかもしれないし、いずれにせよ、生活には直接関係のないことでやたらと不機嫌になっている。

悪いことばかりではない。広島の原爆記念日を前後して6カ国協議が開かれ、北朝鮮に核廃絶を迫っているのがアメリカという図式。それを考えたら原爆記念館の前でピースサインをする高校生を責めるのは間違っている気がするほど。一つわかっているのは、原爆を投下したのはアメリカ軍の飛行機だけど、各地に地震を発生させているエネルギーは彼らに属しているわけではなく、一度にたくさんの人たちが亡くなり、街が一気に壊滅状態になってしまったのは戦争だけが原因ではないということ。

インドのダウリー殺人事件を考えるより、リサイクル代金のほうがうざいと思ってしまうし、まだ充分に走れるくせに娘が幼稚園の頃から乗っているクルマを買い換えたいとずっと思っていながらそういうクルマに限って壊れもぶつけられもせず元気だということが癪なのかもしれないし、毎日暑い日が続き、運動をしていた、あるいは道を歩いていただけで日射病に倒れる人がひっきりなしに存在するという事実が気に食わないのかもしれないし、夏の炎天下で運動などするべきではないという事実があるにもかかわらず今が夏休みだということが気に食わないのかもしれないし、ソーラーシステムがそのうち条例で義務付けられたらどうしようという危惧があるのにいつ切り替えたらよいのかわからないことが癪なのかもしれないし、スーパーの24時間営業がすっかり定着し、夜中でも賑わっていることに慣れること自体が田舎に対する冒瀆のような気がするからかもしれないし、なんか、いたれりつくせりの世の中がやたらと不機嫌の理由なのかもしれない。

投稿者 Blue Wind : 02:11 AM | コメント (0) | トラックバック

August 07, 2005

国内旅行は不経済

本当だったら娘を連れて国内旅行へ、って毎年のように思うのだけど、結局、海外へ行く。理由はそのほうが安いからでもあるし、交通渋滞が嫌なのかもしれないし、混んだ電車を想像するだけで疲れるからなのかもしれないし、成田まで近いからなのかもしれないし、温泉へ行く、というだけなら日帰りで筑波山へ行けばよいと思っているからなのかもしれない。

高速道路がどうしていつまでも有料なんだろう。しかも料金所渋滞まである。公共事業って一体なんだろうって思ってしまう。茨城県に評判のよい郵貯の宿(?)があるそう。一度行こうと思って調べたらいちいち葉書で申し込んで、しかも抽選らしい。いまどき海外のホテルでもその場で予約できるというのに・・・

沖縄へ行ってみたい。が、しかし、夏のこのシーズン台風の季節。で、結局、海外へ。沖縄でなくても台風はあるんだけどね、この季節には。それでも海外ならキャンセルになるということはスト以外考えられない。もっとも長時間の飛行機にもいささかうんざりでもあるが。娘が耳栓を買ってとうるさいし・・・

郵便局で集めたお金で公共事業・・・
そのセリフを考えただけで怒りが。それが嫌だから自民党が嫌いだというのに。かといってほかの政党が素晴らしいと思ったこともないけど。瀬戸大橋も渡ってみたいけど、いまだに行ったことがない。あれもタダではないらしい。単なる橋を渡るのにあちこちで金を取られる。道路を走れば金を取られる。高速に乗ってしまうとパーキングエリアで休むしかない。途中で降りても案外何もないところが多いからかもしれないけど。降りて気のきいたドライブインがあったりすればそっちのほうが便利かもしれない。でも、大抵は降りて走らないと何もないし、クルマを返すのも道を知らないと大変。

産業道路ってなんかね・・・
高速道路や橋がタダになったら物価も下がるかもしれないし、国内旅行へ行く気になるかもしれない。

投稿者 Blue Wind : 04:33 PM | コメント (0) | トラックバック

都市は計画し造られるものである

都市は計画し造られるものである。

当たり前のことなんだけど、日本って江戸時代の雛形をそのまま使っているだけ。新しい都市を造って、そこで自分たちの理想とする生活をする。そういう発想が欠如している。

お城があれば、お堀を造り、城下町が発展する。イタリアではドォーモが町の中心にある。学生街では大学を中心に、つくばのような科学都市では研究所がたくさんつくられ、その周辺に町が形成されている。

生活に必要なものって決まってるでしょ?
学校、病院、公園、ショップ、公共施設。大抵、必要なものは決まっている。そうやって町が計画され、道路や建物が建設される。

日本なんて、行き当たりばったり。大工業地帯は大都市の近くに造られる。労働者を確保しやすいから。結局はそうやって大都市を結んで国が造られてきた。

ラッシュにも文句を言わず、地価高騰にも耐え、道路は渋滞、光化学スモッグ、今度は灼熱地獄にも耐え、ほんと我慢強いというか何というか・・・

いっそのこと豊田みたいに企業が都市を造るとかね・・・そういうほうがまともな気がしてきてしまう。実際のところどうなのかまでは知らないけど・・市民じゃないから。

もっと職住接近でね・・・職場が近くて通勤も楽で、生活にもゆとりがある・・・そっちのほうが。で、今度は食糧の自給率がどうたらこうたらということになり、人間の暮らす地域は限定されてしまう。そういう発想がどこから出てきたのか、いまいち。江戸時代?そのために農業技術の向上というのがあるのでは・・・と思うのは屁理屈なのだろうか。

つくばにお洒落なショッピングセンターは要らない?
う〜む・・・・・わからん。
香港やシンガポールのバーゲンを狙ったほうが。今は韓国?
ちなみにわたしはどうでもいいな・・・すでに。世界中のDFSはどこも似たような感じだし、それなら神戸を歩いているほうが面白いものが見つかったりして・・・そういう記憶があるけど、今はどうなんだろう。

それにしてもそろそろ旅行の支度をしなければならないというのに、なんか今年はのんきだ。いつもか。この分ではモーリヤックではなくニートについてビーチで読んでそうな気がする。

・・・・・・・・・・・”公共事業”が原因でうるさくて夜眠れない都会の夜を思い出してしまったからかも。毎年同じ時期に同じ場所でガガガガやっている。高速道路は高いし・・・・もううんざりだ。

投稿者 Blue Wind : 10:53 AM | コメント (0) | トラックバック

次は増税・・・・・だよね、あーあ

郵政民営化法案が通らない?
案外、ムッています。

バッカじゃない?
内閣ではなく参議院を解散するべきだろう。参議院で否決され、内閣が総辞職になれば総選挙。当たり前でしょう。民意を問え。民主主義なんだから。

離島の郵便局などは残すんでしょ?だったらいいじゃん。

素直に考えて、国が破綻しそうなのにあまりにものんきなので、いささかげんなりしているのです。もちろん何でも民営化すればいいってもんじゃない。が、しかし・・・・今、地元の郵便局はがんばっています。もう法案が通ると思っているからかもしれないけど。

ローソンの宅配がいつのまにかクロネコではなくゆうパックになっているのには驚いたけど。近頃では書籍など小さな荷物が民間で大きな荷物は郵便局が扱っているのか?

たしかに、記念切手の予約価格が1000円なのには驚いたけど。今までだったら切手代オンリーだったのに倍の値段。しかも予約を受け付けている。切手を買ったら使わなかったらもったいない。でも、記念切手だし?

ほんで、次には増税。これは郵政民営化が通らなかったらなおさら早急にやらないとダメになるかも。要するに経費を節約するか、増税するか、の二者択一しかない。

年金の受け取り?
ATMがあるだろう・・・って思うんだけど。離島の暮らしまではわからないけど、それこそ都会より治安がいいし、それならATMを1台、役所にでも置いておけば。今はコンビニにでもあるのだし・・・電子マネーにするとか。

関心がないのではなく、通るだろうと思っているから興味がない、というのが正直な気持ちに近い。が、しかし、通らなかったらもっと大変なことになるような・・・わたし、これからは年賀状も失礼するし、ゆうパックは使いません。

投稿者 Blue Wind : 10:00 AM | コメント (0) | トラックバック

August 06, 2005

上映されない「バッシング」?

3ヶ月くらい前の古い記事にトラックバックをいただいて知ったのですが、せっかくだから広島原爆記念日だから記事にしておこうかと。朝からワイドショーではこのところの広島原爆記念館への嫌がらせが報道されていたし、これもまた世相なのかも。

カンヌ映画祭では高い評価を受け、世界8カ国で上映が決まっている小林千穂監督の『バッシング』が日本では上映されないそうです。高遠菜穂子さんのイラク人質事件からインスパイアされた作品らしいのですが、カンヌ映画祭の記事で知るくらいでほとんど誰も観たことがないというのではにっちもさっちも。

日頃映画なんて観ない生活をしているから上映されてもされなくても関係ないような気がするけど、それが上映拒否されて上映されないとなるとどうもぐったりと心が重くなります。こういうのは単なる気分の問題で、実はそれ以上でもそれ以下でもなく、今さらイラク戦争に巻き込まれた経緯や政府の対応や自衛隊の派兵について何かを語りたいわけでもなく、ただ精神がとても重苦しくなるのです。

映画がヒットしようがしまいが、わたしには何の関係もない話なのですが、それが無視され、そのくせ海外では高い評価を受け上映されるという事実がとてもつらい。

今日、朝、ワイドショーを観ていて、広島市民ですら今は原爆について知らないんだなーということを感じたんですけど、それならつくばに住んでいるわたしが知るはずもなく、それでいていまだに世界中から訪問がある原爆ドーム。しかも、心ない人たちにより千羽鶴が燃やされたりペンキをかけられたり・・・

女性専用車両の話題も憂鬱になったけど、さらに輪をかけてつらい昼下がり。


◆関連記事
 → バッシングはタブーか / 記者コラム 「見た 聞いた 思った」
 → 映画「バッシング」が見たい! / 毎日が映画記念日

投稿者 Blue Wind : 04:20 PM | コメント (0) | トラックバック

シルバーシートって恥ずかしい・・・

『ドラゴン桜』 の5巻目。東大の帰国子女試験について書いてある。ダンナが読めとあまりにもうるさいためにわたしはまだ通読していない。その代わり、娘は読み終えたそう。おまけにテレビまで。原作とは違うらしいけど、ドラマは面白い。

なんで帰国子女枠の話になったのか忘れたけど、小論文しかない代わりにやたらと競争率が高い東大。が、しかし、良問。すべての入試で実施したらいいのに、と思ったけど、よく考えたら何万人も受験するのだから、それを全部あのやり方でチェックするのは無理だろう。

それとは別に、その中に優先席についてのうんちくを述べなければならない問題があり、実際には内容よりも「論じる」ことが測られるため内容自体は試験の合否には関係ないでしょうけど、あれは良問だ。(ちなみにわたしは単なるブロガーなので論じる必要性はない。)

単なる感想を述べれば、あのシルバーシートって恥ずかしい。恥ずかしいというのはシルバーシートに座ることではなく、譲らないことでもなく、単なる鉄道やバスに優先席が必要ということが何となく恥ずかしかった。

つまり、その世界では激しい競争があるために弱者の保護が必要となる。椅子とり合戦というのがわたしの子どもの頃のゲームにあった記憶がある。そういえば、今は聞かなくなった。それでいて電車の中には必ず優先席がある。

で、今度はあまりにも痴漢が多いから女性専用車両が。
こうなると恥も外聞もないね・・・

ここまでになると、電車に乗るってことが酷くかっこわるい。それでいてかっこわるさも生活のうち。子どもを乗せて電車に乗ろうものなら論外という感じだもの。なんで子どもなんているんだよーっという感じで冷ややかな視線に耐えなければならない。

今までそういうことに疑問を感じたことはなかったけど、去年イタリアの鉄道を使ったとき、「座れないなら増発する」というのが当たり前だと知り、ショックを受けた。ダイヤどおりに運行されないなど不評も聞くけど、実際にはそういうこともなく、逆に座れないほど乗客がいるときには臨時便が増発するため、いちいち乗る前にホームをチェックしなければならない。

夏のミラノは住人は減る。その代わり、観光客が地下鉄やバスやトラムに乗っている。大きな荷物を持って乗る人たちも多い。年寄りに席を譲る習慣もない代わりに座れないということもめったにないんだなーということを知る。特に長距離。長距離と言っても、片道1時間程度の普通電車でもそんな感じ。

ビーチでも座れないってことはない。それよりチェアが延々と浜辺を埋めて置いてあることも不思議だったけど、足りなければどこからか椅子を持ってくるのかもしれないし、早く行けば海に近い席に座れる代わりに、そこが空席になってもその日その席にはほかの人が座ることはない。後から来た人は海の近くに空席があったとしても後ろに座らなければならない。

もちろんチェアを利用しない家族連れもいる。あくまでも椅子と傘の数で料金が決まるから、一つのパラソルの下に家族が群れていることもある。

一つわかったのは、交通渋滞が発生するのは都市計画が下手ってことらしい。
優先席や女性専用車両があるってことは誰が悪いんだろう?

投稿者 Blue Wind : 11:32 AM | コメント (0) | トラックバック

August 04, 2005

国が破綻したらどうなるの?

正直言って、国が破綻したらどうなるのだろう?
なるべくなら子どもに借金なんて遺したくないと思うほうが普通だ。個人なら相続放棄の手続きが可能でも、国となるとどうなるんだろう?

さっき政府のメルマガを読んでいて、何となく人生に絶望が。少子化で人口が半分。6000万人。そのうち3人に1人が高齢者で、労働力が少ないから若い人たちが働かなければならない。それで年寄りはボランティア?

あのぉ・・・・
つまり、国が経済的に破綻するから、元気な年寄りがボランティアでしのげということなんでしょうか。だって、福祉などを含めたサービスが受けられなくなる可能性が高くなるし、医療費はさらに値上がりするでしょうし、年金すら危ない。

あら〜〜〜!
そこまで生きているかどうかもわからないけどね。そうなると援助を出す側から受け取る側になるんだろうか・・・

漁師のことを言えない・・・
このところ漁獲高が減って、秋刀魚すらロシア産。そうなると入漁料を支払うから赤字。さらに借金が返せなくなる。そのくせ、借金を返すためにまた借金。そのうち組合が破綻する日も来るのかもしれない。

あっさり語れば、小学校の数を減らしてスクールバスを出すとかね・・・経費節約の時代もきそう。だって子どもの数が減るから。

そのくせ、TXが開通するため、マンションの建設ラッシュで越境が厳しく取り締まられるようになってしまっている。狭い教室でぎりぎりでがんばっているところもあるというのに、少し離れると1クラスというのが普通。

なんか・・・・・未来に希望が持てない。
こんな国に誰がした?
ってみんなが思うとき、世の中はどうなっているのだろう。
なんか・・・・どっか〜んと何かが変わりそうな気がする。
陸のことなら何とかなるかもしれないけど、海の中のご機嫌まではたしかに人智ではわからん。

投稿者 Blue Wind : 12:36 PM | コメント (0) | トラックバック

愛を競う時代

ふと思ったんだけど、今は少子化のせいか、昔わたしが競争だと思っていたことにあまり値打ちがないような気がすることがある。運動会も単なるフェスティバルで、徒競走がなくなった代わりに親子競技がめちゃくちゃ増えて親はほぼ200%の参加率。それ以外の兄弟や祖父母を合わせると大家族が群れることになる。

うちの近所は核家族が多いから、まだマシ。共稼ぎの家庭も多い。それでいて運動会の日には必ず両親が揃う。土曜日だからうちのダンナは仕事がある。昔だったら子どもの運動会より仕事を優先させるのが当たり前だったのに、今は仕事を休んでもらっている。週休5日制の職場が増えたこともその理由の一つだけど、収入が減っても子どもの運動会のほうが重要。

なんでそうなのか不意に疑問に思う。

私立の学校案内などを眺めながら、意外に人間関係を重視する学校が多いことに気づく。意外でも何でもないのだけど、要するに今の子どもたちはひとりっこが多いし、どうも人間関係の形成が下手だという認識が広まるとあちこちで対策が練られる。合宿を増やしたり、海外留学や研修を積極的に行う理由の一つに、子どもを自立させるという狙いがあるらしい。単なる語学力というより、親から離れて何かを体験させるということを教育によりつくり出す。それでいて、学校行事には親子のコミュニケーションを増やすとかね・・・ボランティア活動など体験学習も盛ん。

子どもの発達に父親の育児参加が重要となると、父親の学校参加行事が増える。これじゃ母子家庭はたまらんだろうな・・と思いつつ、そういう時代なのだから仕方がない。かれこれ20年くらい昔だろうか・・・それまで働き蜂として有名な日本人家庭で変化が起こった。子どもの受験に母親よりも父親のほうが遥かに熱心なケース。今でこそめずらしくなくなったけど、教育パパの時代が到来した。

それまでは育児や家事は母親任せで、父親は遅くまで会社のために働くとかね・・・そういう家庭のほうが普通だった気がする。ところが不景気が時代を変えたのか、主夫も増えたし、共稼ぎも当たり前になってきたせいか、とにかく何をおいても子ども優先という家庭が増えた。

まあ、それだけ離婚が増えたのかもしれないし、親が子どもの世話をしないケースが増えたのかもしれないし、そうなるとそれではまずいとばかりに親を教育現場に借り出す。そうなると、何らかの理由で親からのケアが充分に与えられていないと感じる子どもたちはつらい。ただでさえつらいのに、学校でもヒシヒシ愛の欠如を思い知らされることになる。

親が何もしないほうがしっかりするのも事実なんだけどね・・・それでいて、愛を競うようになるとどうも競争力が欠如しているような気がすることもある。1人の気楽さに慣れると、恋愛その他諸々めんどーになってしまうのだろうか。あるいは過剰・過敏になりすぎたり・・・こればかりは学校がいくらがんばっても無理だろうな。

人間関係・・・って、なんて便利で漠然とした言葉なんだろう。

投稿者 Blue Wind : 09:37 AM | コメント (0) | トラックバック

July 25, 2005

医者に文句を言う前に教会へ

たまに思うんだけど、医者は聖職者でも神さまでもなく、単なる医者だ。ところが、亡くなった裏の奥さんが言うには、「医者に家族がいるなんてとんでもない。こっちは死ぬかもしれないのに。家にいるなんて想像もしたくないわ。ひたすら働いて・・・」 それでいて、仕事中だというのに、株屋はデリカシーの一つもなく平気で電話掛けてくるし、家にいても株だのマンションだのと年中セールス。全部わたしが切っている。

別に悪いことしているわけじゃないよ・・・
休みの日には子どもを連れて遊びに行ったり、犬の散歩をしたり、あとはせいぜいワイルド・ターキーを呑んでいるくらいで、まったく平和な人である・・・うちのダンナは。年中汚い格好をして、さすがにボタンが取れているからそれを着ていくのはやめてほしいと言ってもまるで気にしない。

その昔、もっと過激な労働をしていた頃は、成田のゲートをくぐり、ポケベルの電源をオフにすると心の底からほっとした顔をしていた。おじいさんの時代には旅行へ行っても呼び戻されることは当たり前だったし、それを考えるとずいぶん人間的になった気がする。

娘が初めて入院したとき、「なんで医者が来ないのよ」って思ったのはわたしである。が、しかし、周囲を観察すれば、夜になると不安になり休憩所に座って話し相手を探している癌患者や、ナース・コールを10分おきにならして医者が来ないと怒鳴っている老人や、その他諸々自己中であふれかえっている。

日頃、健康な人たちが病気になると、大抵はそうやって怒っている。

結局、マンションの駐車場で自殺した人・・・あの場で亡くなったのではなく病院。それだけでも何となくほっとするのはどうしてだろう。死の苦しみに満ちあふれている人がおそろしいほどたくさんいても、死はベールに包まれたまま、生きるために苦しまなければならない。

真夜中の病棟の休憩所に座っているときに会釈をして出て行った人たち。実は、赤ちゃんが亡くなったということを癌患者が教えてくれた。昨日までいたのに、朝になるといつものように職員であふれかえり、何事もなかったかのよう。

ガンジス河みたいなものなのかも・・・

職員用の出入り口。霊安室の前を通る。真夜中にダンナが呼び出されるとそこから入っていく。わたしもたまに娘の手を引いて暗い赤ランプの廊下を通る。使用中かどうかまで気にしたことはない。病棟への通路はすでに消灯。自動販売機の明かりが見えるだけ。幽霊でも出そうな雰囲気だけど、まるで怖くないのが不思議だ。

人って案外淡白にあっさり死んでいくからかもしれない。想像の死と現実の死がいくぶん違っているからといって、驚くには値しない。不幸・不吉・死神とかね・・・考えてみたら変な話なのかも。

少なくても白衣は法衣ではないのだから、医者に文句を言う前に教会へ。

投稿者 Blue Wind : 12:19 PM | コメント (0) | トラックバック

医者ではありません

pope

上の写真はパパさまです。医者ではありません。

投稿者 Blue Wind : 10:37 AM | コメント (0) | トラックバック

脅迫的熱愛

芸能人とかマスコミって怖いよね。
これはもう時効だし、本人も忘れているかもしれないから書こう。

ある日、ダンナの勤めていた病院に演歌歌手が入院してきた。どうもダンナの後輩に惚れてしまったらしく、そうなるとあからさま。ほかの医者はダメ。教授でも、「ふん」という調子。退院しても1ヶ月ごとに手紙が着たり、案外マメ。

惚れられてしまったほうは大変。結婚したばかりだし、そんな噂の一つでも流れたら職場でも大変なことになる。

ところが、相手が芸能人であるため、そんな世間の一般常識がまるで通用しない。逆にちょっとでも相手にしたら週刊誌に何を書かれるかわからない。また世間がおもしろおかしく喜びそうな相手を選んで口説いているのだろうか・・・その手の記事の見出しを想像するだけで笑ってしまう。

みんなの脳裡に浮んだのは、写真週刊誌の記事やワイドショーのインターフォンごしのインタビュー。世間のものわらいの種。実家のほうにまで記者が行くとか?奥さんの目隠しの写真とか?

今となっては笑い話だけど、結構、さわさわさわ〜っという感じで背筋が寒くなっていた。
話題になるなら、家族の写真入りの年賀状のほうがいい・・・
ラブレターも脅迫状のようだ・・・マスコミは。

投稿者 Blue Wind : 02:39 AM | コメント (0) | トラックバック

July 24, 2005

夏休みの小ネタ

テレビを消してもブログがある?
サーフィンしているうちに、アメブロ藤田と奥菜恵の離婚を知る。
しかも愛人疑惑で取材にやってきた芸能レポーターをブロガーにスカウトしている・・・

ちょっと考えればわかるよなぁ・・・
杉田かおるは離婚しない。あれだけ好き放題に生きてきたんだから、もういいでしょ、というか。
奥菜恵は脱走。まだ25歳だもんね・・・夫を待つだけの生活なんてむりむり。しかも仕事オンリー・・・

でも、どこからどこまでがブログのネタなのかちかごろわからない。
夏休みだなぁ・・・

******

つづき。

わたしがダンナに、「杉田かおるは離婚しないわよ」って言ったら、「いや、絶対に離婚だろう」と怒ったように言い返された。

う〜む・・・

投稿者 Blue Wind : 05:42 PM | コメント (0) | トラックバック

バラエティ

バカバカしいと思いながらも観てしまう。細木数子とホリエモンの対談。絶対的に安心して出かけられる鍵。おそらくは開けるためにはコンピュータと対決しなければならないほどややこしい鍵が完成するのかも。まあ、マンションの高層階や金庫を家に置いている人たちからすれば必需品なのかもしれないけど、家中窓まで電子ロックでは落ち着かない。

学歴は必要ないけど学問は必要。
バカバカしいほど当たり前のような気がするけど、実際のところわからない。でも、機械をいじるだけなら学歴も学問もたしかに要らないかもしれない。少なくてもキーを叩くには必要ない。マニュアルのほうがよほど役に立つ。

宇宙旅行、か。骨がボロボロになりそうだ。それよりも骨粗しょう症を心配するような年齢に達しそう。無重力のトレーニングにも耐えられそうにない。それでも月から地球を眺めてみたい人たちは多いだろう。地球から月を眺めるのと、月から地球を眺めて暮らすのとどちらが快適か、なんてね・・・核の廃棄物は月に埋める時代がやってくるのかもしれない。

地球だけではなく、宇宙環境などという標語があちこちの小学校に貼られるようになったらややこしくてかなわん。また教科書は書き換えられ、教師も研修でますます学校を留守になる。子どもの頃からコンピュータと航空力学。

それでいて、今まで津波を知らなかったところに津波と地震。無防備な人たちが波にさらわれる。わたしが酷く驚いたのは津波の被害ではなく、津波が来ているのに、平気で水の中でカメラを回している人たち。イタリアで一つ学んだのは電車の中で平気で寝てしまうのは日本人だけかもしれないということ。

バラエティ・・・
大抵の人たちは、テレビを消したら寝てしまう。

投稿者 Blue Wind : 12:40 AM | コメント (0) | トラックバック

July 21, 2005

イタリアに住むなら

イタリアに住むならフィレンツェの郊外がいい。ピザへ続くラインではなく、ヴィアレッジョへ続く側。市内は観光客で溢れ帰り、落ち着かない。海へも近いし、それでいてわたしは海の傍には怖くて住めない。

アッシジ・・・
アッシジは正直旧市街には住めないだろう。夏には観光客、そして冬や夜は閑散としすぎている。おそろしいほど田舎。アッシジ駅付近の住宅地なら住めるかもしれないが。

娘はミラノが好きらしい。日頃、電車のないところに住んでいるせいか、地下鉄・トラム・バスを巨大な遊園地のように乗り回し、迷えばドゥオモへ戻ればいい、というのが面白かったのだろうか。ミラノに住むならセントラルから1ブロック離れた下町風のところ。買い物も交通も便利。週末(平日か?)には市が立つようなところのほうが住みやすそう。あまりにも市内から離れると迷子になりそうだ。

夏には1ヶ月まるまる休む。地中海沿岸へ。イタリアの地中海側はまるで九十九里浜のよう。延々とビーチが続く。ひたすら家族連れで賑わう。少し遅れて到着する女子高校生の群れ。バッグを置いてどこかへ集団で消えてしまう。ロッカーもない。リグノーリアはアフリカ系の物売り、トスカーナは中国系のマッサージ師。

投稿者 Blue Wind : 11:14 AM | コメント (0) | トラックバック

やっと本が読める頃には本が無く

昨日初めてエキサイトの社長のブログを読んでしまった。アメブロからエキサイトへは文字化けしてしまいトラバれないので、あえてリンクは貼らないけれども、エキサイトのブログのトップページへ行けば誰でもたどりつける。

その中で面白かったのは、新聞掲載された記事。いや、そうではなく新聞に発表した記事をブログに掲載してあった。

こーね・・・・何と言いますか、わたしは日頃あまりテレビも雑誌も見ない。出版業界とIT関連企業がどういう関係にあるのかなんてことはまったく知らない。ただ、ネットをしているうちに、その手の雰囲気が雨漏りした屋根から落ちてくる雨粒のように降ってくるだけ。いくつかブログ・サーバの比較を眺めているうちに、ブログを有料で本にしてくれるサーバもあるし、アメブロみたいに賞金を出すところもあるし、おそらくはオフィーシャルなブログの見解が社説みたいなものなのかもしれないと何となく感じた。

その中で、ある雑誌社から毎月使われるネタが50あれば落とすネタが100くらいあるので、落ちネタをエキサイトに提供するという申し出があり、それをエキサイトがお断りしたという話があった。ネットはたしかに変なネタが多いような気がするけど、それはそういうことだったのかと何となく気づく。そういうネタが好きな人は好きだろうし、興味のない人も多い。それより、ユーザがテレビを観ながら記事を書いているのを眺めるだけでも結構飽和状態だし、コンテンツって個人で簡単につくれるし・・・エキサイトがわざわざ配信するほどのネタでもないのだろう。

結局、考え方なんだろうな。
アフィリエイトに力を入れて、書評を書いて本を売る、というのも一つのキャッチフレーズなのかもしれない。

が、しかし・・・・
本を買う人としては、わたしは自分がババアになったせいか、非常に本屋には不満である。冊数が多い割には、何となく貧弱さを感じてしまう。本屋もスーパーマーケットみたいなものだから仕方がないのかも。鮮度と価格、品揃えの多様性、売れ筋を置く。それよりも雑誌がだんだんネットに近くなっていくことのほうが不思議だ。

ある意味、それも仕方ないのかもしれない。
一昔前だったら、旅先の宿を決めるのでも雑誌が重要だった気がするけど、今はどちらかというとネットで予約するせいか利用者からの情報が決め手になったりする。それがまた本当にそのとおりと思うことのほうが多いし、ある意味本音で書かれているから役に立つ情報も多い。それと情報や紹介の数量という点でもネットのほうが強い。それでもガイドブックは買うが・・・

それにしてもモーリヤック著作集のこの値段の高さ。一冊4200円(税込み)。しかも6冊セット。まあ、こんなのを買うのはよっぽど好きな人か、図書館や大学、研究者ってところなんだろう。最初から売れなくてもかまわないのかもしれない。なぜなら、春秋社創業80周年の記念復刊だそうで・・・

せっかく本でものんびり読める頃にはこの始末。
学生時代、未読で終わったパスカルでも読むか・・・あーあ。

投稿者 Blue Wind : 01:11 AM | コメント (0) | トラックバック

July 20, 2005

A to Z

聖書が生きているのは、わたしたちが生きているからである。生きているからこそ発生するさまざまな出来事に翻弄される限り、いつも聖書は生きたものとしてわたしたちの時代に存在する。人間が生まれ同じことを繰り返している限り、聖書は死なない。A to Z という意味が何となく理解できるようになる。最初から最後まで。

最初から最後まで、逃れられないらしい・・・

投稿者 Blue Wind : 10:29 PM | コメント (0) | トラックバック

そろそろ・・

そろそろヴァカンスのシーズンでもあるし、むすめの受験のことを気にする季節でもあるし、morimさんのこの記事 を読んであっさりわたしはランキングをお休みすることにした。

いつ復活するかって?

さあ・・・・気分屋なので・・・・・まるで検討がつかない。

投稿者 Blue Wind : 04:32 AM | コメント (0) | トラックバック

July 13, 2005

超高齢化へ向けて

少子化によるネイティブ日本人の減少。超高齢化社会。年金、税収入の確保。

海外からの出稼ぎ労働者の増加。
消費税率の引き上げ。

多言語表示。
社会保障の問題。
二重国籍。

*****
福音はユダヤ人と異邦人のためにある。(ローマの信徒への手紙 15. 7-13)

投稿者 Blue Wind : 01:42 AM | コメント (0) | トラックバック

July 12, 2005

成績だけじゃないよね・・・

『55歳で医師の道駄目? 群馬大に入学許可求め提訴』

あえて反論を予期しながら、やっぱりネタにしてしまう。55歳の女性が群馬大学の医学部を受験し、合格最低点を10点以上も上回っているのに不合格になり、入学許可を求めて提訴したという事件。

うちのダンナなどはこの女性が気の毒だと言っているんだけど、わたし的には60歳を過ぎた人が今さら研修医のハードワークをこなせるとは思えないし、群馬大の判断は妥当という気がする。それでね、ダンナが気の毒がっているのは落ちたことではなく、だったら最初から年齢制限を設けるなどして、最初から合格しないと通知するべきだったこと。

正直、文系のわたしとは違って医学部は朝から晩まできついし、やっと医師国家試験に合格したと思ったら、その昔は時給10円未満で働かされ(今はそういうことはなくなったそうだけど)、研修医の頃は当直は多いし、真夜中でも平気で呼び出されるし、大学を卒業してから最低5年は働かないと満足に仕事の一つもできない、という実情を考えると、55歳で受験して、すんなりいって卒業が61歳。それから仕事を覚える頃にはすでにリタイアを考える年齢・・・常識で考えても、せめて40代の働き盛りに合わせて30歳までには医者になっているのが望ましいのではないかと。

それよりも前に、この提訴している女性には、少しは若い人たちを育ててあげようという親切心がないのかと不思議でたまらない。55歳で医学部に入学し、ようやく働ける頃には70歳・・・それなら若い人を優先して合格者を出すという試験官の判断があながち間違っているとは思えないんだけど、どうなんでしょうか。

せめてあと10歳若ければ、とか、20歳若ければ・・・というセリフは他人事じゃないんだけどね。考えてしまう。

投稿者 Blue Wind : 11:35 PM | コメント (0) | トラックバック

静かな激動

20人に1人が国際結婚。年々増える帰国子女。テロを心配する日本人。勉強しない子どもたち。長生きする年寄り。就職難の学生。少子化の加速。

そのうちネイティブな日本人がいなくなってしまう可能性が高い。そんなものなのかもしれないな・・・変容を受け入れない社会は発展しない。

投稿者 Blue Wind : 10:00 AM | コメント (0) | トラックバック

July 11, 2005

それでもおバカは書きたい

わたしはネットのヘビー・ユーザのわりにはあまりネットのことを知らないと思うことがよくある。それはネットを始めたばかりの頃とは違って、近頃では家族や友人とでも電話ではなくメールを使うようになったからかもしれないし、逆に電子化された彼らの文字を眺めているうちに、ネットというのも単なるツールなんだと思うようになるから不思議。

いや・・・・当たり前のことなんだけどね。でも、一昔前みたいに見知らぬ人たちとのコミュニケーションに一喜一憂したり、リアルとかバーチャルとか、あまりややこしいことを考えなくなった。というのは、大抵の人はごく普通の人たちであり、ごく普通の生活をしており、ごく普通にネットを楽しんでいるだけだから。

先日、姑さんが来た時に、お世話になっている公認会計士さんの話をしており、ブログのことも話題になった。わたしはその時、「ああ、あのブログの管理人さんのことか」と、姑さんに見せてあげようかと思ったけど、かったるいからやめた。その後、せっかくだからそのブログに読者登録しようかと思ったんだけど、よく考えたらご迷惑かもしれないと思って、それもやめた。

まあ、後日お会いすることになった時、話題になるかも?
いや・・・・・ということは逆に考えると、うちのブログにも来訪なさっている可能性もあるわけで、そのことを考えるとネットというのは意外に狭く、もっとよく考えて行動・・つまり書かなければならないと反省することもある。

が、しかし・・・・
わたしは、書きたいのである。

死んでいる人たちなら平気なんだよなぁ・・・と思うことがある。例えば、遠藤周作。わたしはもはや学生ではないし、実際には入れ違いで講義にも出席しなかったし、それでいて生きていたら書きにくいよなぁ・・と思いながら書いている。

ぱっぱらぱっぱら何も考えていない頃、「わたしはこのうたが好き」という具合に書いたことがある。数ヵ月後、ご本人から歌集をいただき、「???」となってしまった。弁解するわけではないけど、わたしはいまだに家で家事をする合間のひまつぶしにブログを更新しているために、実感がないわけさ。つまり、書いた記事というのは一般公開されているもので、誰が読みに来ているかわからない、という実感が。

ネットは検索機能があり、逆に著名な人ほど自分の名前で検索しながらサーフィンしている可能性が高いことをその事件により学んでしまった。

それでも書きたい・・・
ぱっぱらぱっぱら自由に書きたい。

おバカが何か書いていても気になさらないように、お願いもうしあげます。
こういう記事をアップすること自体が敗北なんだよなぁ・・・・
つらい。

ぐたさんなんて☆マークまでつけてる。
誘惑・・・・・・(汗

投稿者 Blue Wind : 02:54 PM | コメント (0) | トラックバック

ぶっくらしょ

いかんなー、あまのじゃくはこれだから困る。「ぶっくらしょ」にジャンル変更したとたんにまた本を読まなくなってしまっている。「ぶっくらしょ」というのは寝ても醒めてもベッドの上にも下にも横にも、ソファの上にも横にも下にも? という具合によっこらしょと言いながら本を読んでいるだるだるな人たちに敬意を表して。

あの人たちに囲まれたら、それだけ満腹感があり、映画を観ないで映画のブログを読み、本を読まないで書評のブログを読んでしまう。こんなんでいいのだろうか?代償なのかもしれん・・・ブログを眺めるだけで満腹感がある。

投稿者 Blue Wind : 01:32 AM | コメント (0) | トラックバック

July 10, 2005

あほらし

気のせいかもしれないけど、テロは昔からあるにもかかわらず、このところやたらと話題にのぼるようになった。9.11テロがあまりにも衝撃的だったのが原因なのか、はたまたイラク戦争の後始末に自衛隊が借り出され、いつ日本人が標的にされるかわからなくなったのが原因なのか、はたまた海外で働く日本人や旅行者の数が多くなったのが原因なのか。もしかするとその全部が原因なのか。

テロをテロと思うからわからないだけで、テロを一つの戦闘、つまり戦争だと考えればすごくわかりやすいらしい。だから、正直に語ればディズニーランドとか田舎とか、子どもが集まるところはターゲットにはならないような気がする。

大抵は、国や経済の中枢が狙われるわけで、その結果、そういう地域の中で多くの人たちがランダムに出入りするような場所が危険ということになる。

だからね・・・・・なんでグアムやハワイが?
って思うんだけど、軍事基地だと言われると、そっか、としか答えようがない。

それとは別に、フセインやその息子たちがあんなに大変な目に合っている間、夫人たちはそれぞれ優雅に護衛つきの生活をしていたという噂は本当なのだろうか?

なんかね・・・
世の中はそういうものなのかもしれない。

以前、うちのブログでもネタにさせていただいた『さよならメリーさん』 のURLが変更になったそうです。メリーさんは戦後の日本の娼婦をなさっていた方で、ついこの間まで出没していたというお話。米兵相手の高級娼婦。妾と違うのは、子どもがないということで、まったくアフリカという国は、アフリカだけではないみたいだけど、貧乏人の第一夫人になるより金持ちの第四夫人になるほうがいいと本気で考えている人たちがたくさんいるので驚く。

いや・・・・・よく考えてみたら、あの有名なデヴィ夫人もインドネシアの首相の何番目かの夫人。それを考えてみたら一夫多妻制を認めている国というのが案外多いことに気づく。

わたしね・・・G8の参加者が素晴らしいとは思ってないけど、北朝鮮の将軍さまよりはましな気がしている。それと、どことは言えないけど、貧困にあえぐ国の元首よりも幾分ましなのではないかと。魚の釣り方を教えるのが援助だと語るならば、援助はやめて魚の売り方を教えるべきだと思う。魚を食べる文化がないのなら、魚を食べることを教える。貧困だから売れないというのは嘘だから。

嘘なんだよなぁ・・・・

貧困にあえぐ国ほどどういうわけか金持ちはいる。だから売れる。でもお金がないと買えない人たちが怒る。そしてそうやって広まっていく。それでいて援助とか?

いい加減にしろって怒る気持ちもわかる。

そうやって頼りないから国が乱れるのかもしれない。

テロもテポドンもタダじゃないのよ。
それをどの程度理解しているのだろう?
知能テストでもするか・・・あほらし。

投稿者 Blue Wind : 01:18 AM | コメント (0) | トラックバック

July 08, 2005

なんか、どーでもいい

あまりにも辛辣な表現かもしれないけど、女性の教育をないがしろにしている国は繁栄しないような気がする。

理由?
まずはやらたらと子どもの数が増える。その結果、教育を受けられない。貧乏。父ちゃんに何とかしてくれと言っても限界がある。

政治?
子どもの数が多ければ、それどころじゃないから・・・世話するだけ、食わせるだけで精一杯。

戦争とか、テロ、って言うけれど・・・
人生はそれどころじゃないことのほうが多い。

バカかも。
いささか世界のテロ騒動にもうんざり。
テロもタダじゃないのよね・・・軍事訓練を受け、テロリストになるための教育を受けた人たちが危険な任務を果たしているのが現実なのかもしれない。自爆テロは知らんけど、わたしは爆弾はつくれない。

その結果、いちいち飛行機に乗るのでもあのめんどくささ。

バカかもしれん・・・
おやじ・・・

投稿者 Blue Wind : 01:21 PM | コメント (0) | トラックバック

格安ホテルの魅力

ブログ・サービスはたくさんあるけど、一番洗練されているのはエキサイトかもしれない。わたしがインスタント・ブログに詳しければ・・・と悔やまれる。ささやかなことだけど、コメントをクリックすると投稿欄だけが静かに出没するというのは小気味よい。あの行き届いたような細やかさをアメブロに求めても無理。その上、エキサイトへのping送信もできなくなってしまったと思っていたら、今度はトラックバックもできなくなった可能性が高い。原因は酷い文字化け。

エキサイトが洗練された大型ホテルだとすると、アメブロは格安ツアーパッカーご用達のホテルかもしれない。まあ、最低限度の備品は揃っているし、誰が騒ごうが子どもが走ろうが裏で工事をやっていようが安いんだから我慢してくれ、みたいな。

一つわかっているのは、アメブロが目指すのは売り上げNO.1であって、顧客満足度NO.1ではなさそう。売り上げを伸ばすためには従業員はこき使われるし、客もそれなりにリーズナブルなラインで我慢しなければならないし、決して自慢できることでもないような気がするけど、とりあえず突然サーバが消えるということもなさそうだし、こんな時代だから諦めるしかないのかもしれない。

エキサイトからアメブロにはトラバれるのだろうか?
なんか好奇心をくすぐられる・・・・うぅ。

投稿者 Blue Wind : 12:21 PM | コメント (0) | トラックバック

July 07, 2005

素朴な疑問

たまに思うんだけど、アフリカの人たちってどうして貧困に喘いでいるの?
先進国が悪いとか?
わからん・・・

いや・・・これは素朴な疑問なのです。

たとえば、スポーツ能力という点で、アフリカ人はすごい。さらに絵画や音楽といったアート的センスの素晴らしさ、多言語を平気でペラペラ話すし、彼らの能力を考えると、どうしてその能力が生かされていないのかわからない。

この前、スリランカの女性の後姿の写真を見て、あまりのたくましさに引いてしまった。まあ、水汲みや農作業、その他諸々毎日おそろしいほど歩いているだけでも自然と鍛えられるのかもしれない。わたしの世代って結構万歩計つけながら歩いている。わたしも一つ持っているけど、かったるいからそのままにしている。被災地へボランティアへ行っても、おそらくはわたしはおじゃまむしになるだけだろう。なんかね・・・

経済ってようわからん。

投稿者 Blue Wind : 11:47 PM | コメント (0) | トラックバック

July 06, 2005

投稿てすと

記事が一つ吹っ飛んでしまった。
アメブロのリニュって何のためにやるんだろう?
やっと落ち着いたと思ったら次から次へと・・・しかも激重。
なんでバージョンアップしたらこんなに重くなったのか不思議。

・・・・・・・と思ったら、パフォーマンスの実験中らしい。

現実は、記事は吹っ飛ぶし、重くて開かないし、編集画面が切り替わらないし、その他諸々被害は続いている。
まともな記事が消えて、また苦情をアップするのか・・・(泣

*******

おっ、勝手にログアウトになってまた記事が消えたかと思ったら、今度は再ログイン後に記事が残っている・・・

さっきの記事は?
あれはどうして消えたの??
わからん・・・
謎。

(アメブロ投稿時 : 2005-07-06 00:45:46)

投稿者 Blue Wind : 12:18 PM | コメント (0) | トラックバック

July 05, 2005

どっちのアドレスが・・・

一体アメブロのアクセス解析はどうなっているのだろう?
自分でつけているアクセス解析ではさほど違いがあるとは思えないにもかかわらず、変・・・
今度はURLが2つあることになる。

http://cherrynut.ameblo.jp/
http://ameblo.jp/cherrynut/

どっちでも同じブログが開くのだけど、なんか気になる。
まあ、いいか。

投稿者 Blue Wind : 04:03 PM | コメント (0) | トラックバック

ほっとけない 世界のまずしさ

癌の治療は、やろうとおもえば月に100万円では安いと言われる。それでいて、アフガニスタンの写真集の中の人たちは25円の抗生物質が買えないために死んでいく。人生の絶望って・・・

餓死というのがどういうものか、わたしにはわからない。おそらくは文字通り食べ物がない、水が汚いから死ぬのだろう。

わたしが癌の治療中だとしたら、治療をやめてその分を抗生物質に変える。ぷわ〜っとね。そーすりゃ世界は平和なんだろう。

・・・・という書き方をすると癌の人が怒る。

だるだるだから、ホワイトバンド、買った。

⇒ ほっとけない 世界のまずしさ  (1個300円、2個売り600円。送料420円。カード可)

本当は、こっちがいい。 

⇒ 猫レスキューグッズ

ワシントンでは流行っているのだそうです。

⇒ リストバンドが地球を救う?| ワシントン通信 2.1

投稿者 Blue Wind : 01:38 PM | コメント (0) | トラックバック

June 29, 2005

パラドックス

一つわかっているのは、「結婚が人生の墓場」だと思っている夫婦は案外仲が良いということで、「結婚が生活の場」になっている人たちは互いに逃げ場が必要になるということ。

(トラステへのTB)

投稿者 Blue Wind : 08:29 AM | コメント (0) | トラックバック

June 25, 2005

泡の一つ

世の中にはナイショで読んだほうがいい本というのがあるかもしれないと思う。別にエロゲロじゃなくても・・・子どもの頃に気持ち悪いと思いながらもつい読んでしまった恐怖マンガのような興味の持ち方かな。

気になって仕方がないのがサイババだし、青山圭秀さんの著作物だし、この分ではどうも来月あたりアマゾンに注文してしまいそうな気がする。こういう興味の持ち方というのは、好奇心だから仕方がない。特に宗教とか信仰ということに関係なく興味を惹かれてしまう。

一つには、わたしは特に死にたいと思っているわけではないけど、サイババが8年で生まれ変わるとして、そんなに早く生まれてきたいか?と問われればぐったりしてしまう。今から人生をやり直すパワーはない。

茨城県に来て、人生観が大きく変化したのは間違いない。なんせ90歳以上の人でもまるで60代のようにピンピンしているわけで、それが当たり前になってくると何かどこかが変化する。つまり、60歳を過ぎても30年以上生きているわけですよ・・・わかるかなぁ・・・そのミステリアスな感覚。

はっきり書くけど、一般社会で60歳というのはある種の区切りなのよね。定年を迎える年なのかもしれないし、一応はリタイアのことなどを考える年なのかもしれないし、その頃になると年金とかね・・・多くの人たちはすでに孫が何人かいて暮らしている。その頃になってもまだひ孫が成人するくらいまで生きているわけで、なんか感性が違う。

平安時代なんて40代で死んでたんでしょ? 世の中どーなってるんだか。予言書の話は胡散臭いと言ってしまえばそれまでかもしれないけど、気になるには違いない。

以前テレビで生き別れになった一卵性双生児の特集を観たことがある。あれも気持ち悪い。だって互いに互いの存在すら知らずに生きているのに、再会した双子たちは体形もよく似ていれば奥さんの名前まで同じだったり、あるいは病気や職業まで同じ。

あれを観ていたら、ダイエットすらやめようって思ってしまう。だって、中年太りの時期まで同じなんだもの。しかも、ダイエットしている人たちもやはり同じ時期に痩せ始めている。ということは、体形というのも運命という気がする。遺伝子と言うべきか。

もしかすると、そういった運命や遺伝子に逆らうことは可能なのかもしれないけど、あの双子たちを眺めているとそういう意味では夢も希望も消えてしまうくらいよく似ている。そこに止めを刺すようにアガスティアの葉の予言書に自分のことが書かれてあったらおそらくは理屈を超えてすでに諦めに近いものを持ってしまっても無理はない。

そうやって考えると、若い頃には期待や不安に苛まれながら生きていたとして、一体それがどういう意味を持っていたのかわからなくなる。人生は生まれる前からほぼ決まっていて、その筋書き通りに人生が進んだとして、だったら人生はつまらないか?と問われれば決してそういうこともなく、やはり未知だからこそ面白い。

運命を受動的に受け入れるかどうかというのは人生そのものには影響はないのかも。ただし、気持ちは違うよね。世の中にはアクティブに生きていきたい人たちもたくさんいるし、そういう人たちにとっては受動的な発想というのは滑稽なんでしょうし、邪魔な存在かもしれない。それでいて受動的な姿勢ばかりではやる気のない人間と思われてしまうかもしれない。

そんなことよりも、もしかするとそういうことも単なる風潮の一つに過ぎないのかもしれないし、平安時代に90歳まで生きるなんてことを言い出せば単なるおバカに思われても仕方ない。それでいてわたしは自分が長生きしないだろうとは思いながらも周囲の寿命が延びているのを垣間見るとやはりそういった環境に影響を受けてしまう。

結局、環境というものに対しては無意識に順応するくせに、何かを言の葉で記しているのを眺めればすでに別の言の葉が過ぎるようになっているらしく素直に受容できない。それでいてわたしが順応しようが反駁しようが運命は決まっているとしたらすべてがむなしい。

一つわかっているのは、このように理屈や感情といった精神はスピリチュアルな世界ではないということ・・・生きているから発生する泡の一つ。

投稿者 Blue Wind : 01:11 AM | コメント (0) | トラックバック

June 24, 2005

茶の間層

すごいな、「首相官邸」(政府のメルマガ)の読者が160万人だって。ポスターだのビラだの新聞広告を考えたらすごい経費の節約になる。さすがに自民党だの共産党だの言われても購読する気にはなれないけど、一応は政府のメルマガとなると購読してしまう。

そうなんだよね・・・何もコムズカシイ話ではなく、茶の間の政治でいいんだよね、メルマガなんて。ちょっとテレビを観ながら茶の間の話題になるような感じで、あたかもお天気や学校の宿題の話をするような感じで話せる程度の政治・経済。

その昔、シンガポールでテレビを眺めていたら、各国の通貨レートが茶の間の話題になっているので驚いた。さすがシンガポール・・・

北朝鮮の人たちが何を考えているかよりも、どうしてカニが入ってこないのかそちらのほうが気になるし、どうしてロシアのカニは一斉に売り出されるのかのほうが気になるし、なんでインド洋の養殖マグロがオーストラリア産なんだろうかとか、このところトルコ産の杏が入ってこないのはどうしてだろうとか、スーパーは世界情勢の坩堝。

テロなんて正直どうでもいいんだけどね、はっきり言って、石油は値上がりするし、今年はグアムに行くけど、なんでいちいち空港で指紋押捺や写真を撮られたりしなくちゃならないんだ、とか、その前からボディ・チェックがしつこくなりうんざりしているのに、いい加減に何とかしてくれ、というのが茶の間の話題かもしれない。

官邸が新しくなり、あまりにも殺風景だから、展覧会場になる?

わざわざ美術品を購入しなくても官邸に飾られるということで無償で貸し出ししてくれる画家はいくらでもいる。展覧会の入賞作品とか? あるいは公募して一定期間陳列するだけでも違うだろうし、歴代首相の好みで選定してそれをウェブにアップしておいてくれたら首相の好みやセンスがわかるからおもしろいかも。

ある首相はエロゲロばかりで、はたまたある首相は日本画ばかりでどういうわけか女性の肖像ばかりだったらどーしよ・・・はたまたあまりにも高尚すぎる絵やあまりにも抽象的な作品、はたまたなんでこれがいいの?という作品、はたまた小学生の絵ばかり展示している首相がいてもいいわけだ。てきとー。

実際、アート系のウェブ・サイトをサーフィンしているだけでも層の多さに驚く。もう、そういう時代なんだろう。文化というのは層が形成されなければ意味がない。チャーチルが絵を描き始めたのは40代。

結局は、層なんだよね。
そうやって社会に充満する空気を吸いながら子どもは育つ。

この前、「文学」というものを検索したら、要するに文学というのは論文カキコや記述・説明的な文章でないものの総称らしい。ということはニュース記事や論文も商品説明も文学ではない。でも、文学とは何か?ということを記述すれば内容は文学でもすでにそれは文学ではないということになる。

アメブロのユーザ数が30万人を突破した。でも、まるで更新していないわたしのブログを調査したところいまだに6万番代を推移している。放置ブログでめったにアクセスもないブログ。ってことはその辺が実質的なユーザ数なんだろう。個人で複数つくっている人たちも多いし、まだまだ偏った世界。

ちなみにノーベル賞作家は、生業とは別に作家活動している人たちも多いことに気づく。これに対して日本の場合は出版社が賞を出していることが多いせいか、生業を別にしている人たちには与えられない?なんてわかりやすい社会なんだろう。

やっぱ、層なんだよね・・・

投稿者 Blue Wind : 12:49 AM | コメント (0) | トラックバック

June 16, 2005

マイケルは無罪?

このところ遠藤周作ばかり読んでいるせいか、どうも「善悪不二=人間臭さ」ということばかり考えてしまう。あっさり語れば、善き人は神さまだけ、というのが真実。なのに、信じていたとか、裏切られたとか、その手の話がいつも蔓延しているのが世の常。

インドの親切な女の子たちに感謝していたら、最後には結局金を出せと言われたというのは軽い部類で、ミャンマーの坊さんに襲われそうになったバックパッカーの女の子の話や身近なところではこのところ相次ぐ教師の性犯罪とか?

とうとうマイケル・ジャクソンも無罪になったし・・・
すっきりしない話ではあるけど、無罪を勝ち取るために21億円の弁護料って考えたら、なんかすごくバカらしくなってしまう。借金地獄に苦しんでいるマイケルの今後のほうが気になるところ。しかも、世間がまるきり彼がシロとは考えていないところがミソでして・・・

ライトなところでは、澤山氏のブログ小説。(今週は、「蜃気楼に浮ぶ顔」
雀荘に来ていた教師がソープ嬢と出来てしまい、子どもが出来たとたん彼女を棄ててしまったという話。

ストーリーがどうたらこうたらと言うより、この手の話にまるで驚かない自分がいやだ。小説だからとか、フィクションで顔を見ないからだとか、というわけではなく、世の中は、なんであんなのが教師をやってるんだ?ということが少なからずあり、今は保護者の立場だから声を大にして心の中でさえ言わなくなっただけで、大学教授でさえセクハラでクビになる時代ですから、驚かない自分のほうがいやですね。元教師をしていた友人の話にもまるで反応しない自分がいやだ。

ある大学教師が言っていたことには、「生徒は商品だ。商品に手をつけるほうがバカだ。」
本音なんだろうな・・・

はたまたホステスさんのブログを読んでいたら、安物の靴を買ってやると言われ、かっち〜んときて切れたという話が書いてあった。ホステスでなくても女なら誰でも切れるだろう。そういう気がした。

そういう話が続く中で、自分的にはぷぷぷ・・と笑ってしまった、nattoさんの夢
記事のストーリーはあまりにも整理されてシンプルになっているけれど、実際にはもっと混沌とした悪夢なのかもしれない。いろいろな人たちの顔が現れ変化し翻弄されながら戦い続ける。

でも、結局はうつそみ。うつそみって何かわからないけど、夢の中に現れるのはすべて分身。人間の心って複雑で、いつも気をつけないとどこからどこまでが自分なのかわからなくなるほど混沌としている。自分の怒りだと思っていたら実はそれは他者の感情だったり・・・

というわけで、登場人物はすべて自分の分身であり、他者の分身であり、それを客観視する自分と主観的に戦う自分とが登場する。

その昔、悪夢に苦しんでいる友達が、それを地雷と呼んでいた。

やっぱ、「テレーズ・デスケルー」を読むしかないかもしれない。たしかモーリヤック著作集の第1巻は読んだ気がするからこの際第2巻から読み始めようか。時間はあるんだけど、気分の問題のほうが大きい。

投稿者 Blue Wind : 12:37 AM | コメント (0) | トラックバック

June 13, 2005

茶の間ノベルズ

いまどき、「純文学かライトノベルか?」などと悩むほうがどうかしていると思うんだけど、正直、わたしの年になるとさすがに子どもの頃にはのめりこんだマンガやアニメにも興味がなくなるし、さすがにわたしの年でコバルトブックスなんて読みません。もっぱら世代交代して、その手の類の代物は娘の手へ。そういうのはライトノベルでも直木賞が出たとか出ないとかそういうことではなく、興味の問題なんだと思う。

どうしてそのようなことを突然思ったのかというと、久しぶりに村松恒平さんのメルマガが届いたから。今回はライトノベル作家を目指している人が質問者。

質問者によると、どうも彼は対人恐怖症で、ネットで小説を発表し、そこで得られる批評にのめりこみすぎているきらいがあるらしく、今回は回答者である村松氏もかなりシビア。ライトノベルに対する批判・評価の変化まではともかく、ネットというものが単に嫌いなのではないかと思えるほどシビア。

たまに思うんだけどね・・・
混同するなって。

わたしね、家でネットをしていて何が一番いやと言って、うまく説明できないけど、外へ出ないことを指摘されること。ほんじゃ、わたし以外の専業主婦の人たちが一日中出歩いているという話はめったになく、大抵は家事や育児、たまに習い事やPTAで外出したりする程度。そういう余暇を以前はテレビや読書に当てていた人たちが多かったのではないかと思うけど、今の時代はネットがあるから「たまたまネットをやっている派」という人も多い。

そういう家庭の主婦の情報源が大昔は一家の主だったのかもしれないし、今はテレビや新聞・雑誌、それにインターネットが加わっただけ。ほかには読書とか?

本があまり売れなくなってきた背景には、実はネットの手軽さがあるのかもしれない。それはしみじみ思った・・・テレビで花田家のインタビュー・シーンが放映されるとそれに関する記事がど〜っとネットに出没する。そうすると、正直、テレビを観たり雑誌を買ったりするより、ネットをサーフィンしているだけで満腹状態になる。しかも食べすぎ感も。

今回、ネット書評についても村松氏は厳しい。

わたしにも身に覚えがある。読んでなくても記事にはできるから。もっと酷い場合にはネットだとアマゾンのレビューだけを並べてもコンテンツになってしまうし、それでも立派な本の紹介ページにはなるだろう。そういう感覚ってどこかテレビの影響と言えなくもない。あるいはショッピング・カタログとか?

わたしはたまたま時間があるので、読もうと思えばじ〜っくり純文学と戯れることも可能。でも、正直、5年前には無理だった。理由は子どもが小さいから。

すごくバカらしくなっちゃうんだけどね、わたしがスリランカへボランティアに行くなんて不可能です。ダンナや子どもを棄てて行くわけ? ダンナはともかく娘が小さいうちには長く家を空けるなんてことは無理。留学するにも子連れの時代。

かといって、この前からダウンロードしようかどうか迷っているんだけど、そこまでの時間は無さそうなのでそのままになっているゲームがある。

慶長さんの『WASHINTON 通信 2.1』で紹介されていた国連が作成したゲーム

これはネタ元の記事を読んでいただいたほうがわたしが駄文を書くよりわかりやすい。つまり・・・・食糧支援がこんなに大変な仕事だなんて想像もしていなかったから、たしかにそういう意味ではクリックするだけのサイトなんて意味はないかもしれないとすら感じてしまうほど。それでいて本当の趣旨は、わずかでもそういう大変さを伝えることがさらに大変だから国連もこんなゲームを作成しているのだろう。

手頃な情報伝達や手軽なボランティア活動はネットの良さである。世の中にはヘビーな活動家も多いけど、それでいてそれを支えているのは実は茶の間の普通の人々。そうやって茶の間に座りながら、ネットをやっていてどこが悪いのかなーってたまに思う。

わたしが混同するなと言いたいのは、そうやって茶の間に座っている人たちにも生業があり、その人たちすべてが対人恐怖症で作家を希望しているわけではないし、自分でボランティアに行く気がないからクリックだけしているわけではないということ。

なんかさ・・・・
カチンとくることが多くて。
その大半は、実際に行って何かするわけじゃないとか、リアルとかバーチャルとか、作家で飯を食うとか食わないとか、舞台とか店とか。
ぷわ〜っと退屈になる話題ばかり。

まあ、たしかに実際に自分が取材したわけでもなくてもぷわ〜っと広がるネタ。読んだわけでもないのに紹介される書籍。つまらない情報ばかりが飛び交う。それでいて世の中はライトノベル。ネット。ゲーム。

そういう時代なんだよなぁ・・・・

投稿者 Blue Wind : 11:35 AM | コメント (0) | トラックバック

June 11, 2005

相撲道とちゃんこ鍋

ネットは怖いな・・・・・
このところうちのブログ(風マリア)の検索キーワードのトップがとうとう「NEET」を抜いて「花田家」になっている。あまりにもいやな予感がしたので、Googleで調べたらトップになっていた。ちなみにYahooでは14位。

管理人の希望としては、もっと「短歌」とかさ・・・「遠藤周作」とかさ・・・うちのブログっぽいことで検索の上位を狙いたい。このところどうも作歌をさぼっているのが原因なのかも。ちょっとさぼってテレビを観ながらブログを更新していたほうがタイムリーな話題にぶつかる。それが世間・・・

昨日もテレビを眺めていたら、花田家の元家政婦という人のインタビュー。兄弟喧嘩や部屋の様子、それを憲子さんに案内されて見せられたとか。そして、若乃花が景子さんの悪口を盛んに言っていたという話。

キーワードはタレント。

この前、美空ひばりのドラマを観ていたら、ひばりの父親が血相を変えて怒る。娘が芸人になるなんてとんでもないと。少しでも誹謗・中傷されると父親が歌手を辞めろと怒り、母親がその記事元の人に怒鳴りこむ。

そーなんだよね・・・世間ってそういう風潮が今でも残っている。

アナウンサーならいいんだよね・・・
今の時代だと、どこに違いがあるのかわからないけど。

結局、若乃花が相撲協会から離れてタレントになった時、父親や貴乃花はすごく反対したのではないかと。母親は元女優だったので逆に若乃花がタレントになることを奨励する。それっていわば世間に対する意地のような気がするけど、どうなんだろう。

貴乃花の宮沢りえとの婚約破棄騒動。
その時も、キーワードはタレント。

わたし、今でも覚えている。たしか何で読んだか聞いたか忘れたけど、りえママが、「うちのりえはふんどし一つで1億稼ぐ」と言って喧嘩したという話。その前後の文脈がわからないからなんとも言えないけど、力士も裸一貫まわし一つで土俵には金が落ちているという世界・・・そういう世界にも伝統や格式というものがあり、国技であるがゆえにどこか保守であることは否めない。

そういう世界で、仕事を辞めて、おかみさんになるとか?

さてさて・・・・

人生観の違いなんだろうな。兄弟喧嘩やその他諸々。

力士はタレントではない。
今の時代、どこが違うのかよくわからないけど。

相撲道に精進したい、という言葉の意味をようやく理解した。

まあ、世間の構成メンバーの一人としては、「Chanko Dining 若」というお店を発見したので行ってみたい。ただし、だるだるなので通販でもいいかな、と。

いい加減・・・

仲が悪くてもいいのよね。相撲道に精進して強くなり、生涯その世界で生きていきたい人たちもいれば、途中でドロップアウトしてちゃんこ屋になるのも伝統だし・・・ただし、若乃花がなまじか横綱だったから・・・ややこしいのかも。

投稿者 Blue Wind : 03:42 AM | コメント (0) | トラックバック

ジーコ

スポーツほどプロとアマチュアの違いを痛感する世界はないと思うことがある。それは本場NBAの選手たちに翻弄されたオリンピックのバスケの試合を観たときにも感じたし、その昔、サッカーの試合でも、南米チームと対戦するとほかのチームの選手がまるで棒立ちしているかのように見え、いわゆる「世界の壁」をわたしは黙って眺めていた。

だから、Jリーグが発足する前、誰が日本のチームがワールドカップに出場できるなんて想像していただろう。2002年に日韓でワールドカップを共同で主催することになり、その誘致をめぐってはかなり前から悲壮感をもって準備が進められていた。日本で開催されれば予選に勝たなくても出場できますから・・・(オイ!)

ジーコだよなぁ・・・
すべては彼に尽きる。
ハートの問題というか、ちょうどJリーグ元年が娘が生まれた年であり、わたしは娘を抱っこしながらサッカーを観戦していた。おりしも茨城に転勤になり、鹿島アントラーズが快進撃を続け、ジーコのハットトリックを眺め、彼がすでにサッカー選手としては限界の年齢に達しており、うちのダンナに言わせれば、全盛期を過ぎたからこそ彼は日本にいるらしく、それでいて試合に出ていようがいまいが、ジーコがそこにいるのといないのとではハートが違う。

いや・・・・素晴らしい選手はたくさんいるのだろうけど、ジーコには何かほかの選手にはないものを感じた、というのは単なるわたしの主観によるものなのかもしれない。ベンチに座っているだけで何かが違う。だから、今回彼がワールドカップの監督になり、それで日本が予選落ちするわけがない、とまで思ってしまう。束の間、来年のワールドカップにジーコが監督を続行するかどうかの話題がニュースで流れた時にも、何をバカなことを言っているのだろう、とも思ってしまう。

いや・・・・もしかするとそのことを一番よく知っているのはジーコ自身なのかもしれない。怪我でずっとお休みしていた中田英寿選手をメンバーに選んだ時も、「中田がベンチに座っているだけでも違う」と言って彼をイタリアから呼び寄せた。

国際試合がどういうものなのか、わたしにはよくわからないけれども、おそらくはそういう国際試合に慣れているかどうかというのもとても重要なポイントになる? たしかにかつてはおとなと子どもくらいの違いがあったことを考えると、そういう精神的な壁を打ち崩すほうが技芸を覚えるよりも遥かに大変なのかも。

一流の選手はたくさんいるのだけれど、ジーコはもっと身近な存在。どこにでもいるようなおじさんみたいな雰囲気。そこがベッカムとは違う。

投稿者 Blue Wind : 02:41 AM | コメント (0) | トラックバック

June 08, 2005

クリック募金

久しぶりにnattoさんのところでネタになりそうな記事を発見し、とてもコメントでは書ききれない。オリジナル記事では、クリック募金が本当に企業の社会的貢献に繋がっているかについて書かれているのだけれど、実はこれは日本が発祥ではないため、逆に日本ではいわゆる大企業だけが関与しているように思われる点が少し寂しく思っています。

こじんまりした海外のサイトでは、絨毯屋さんや家具屋さんなど一体これはどこの国にあるお店だろうという感じで広告を眺めたこともあり、スポンサーもいろいろ。病気の女の子の手術の費用を集めているとか、わりに手頃にサイトが運営されています。

クリック募金は、わたしが短歌を詠み始めたきっかけ。短歌を投稿するとクリック募金を貼ったコンテンツをつくってくれるというので、最初は冗談で詠み始めた。

それはさておき、当時はまだ日本ではさほど普及しておらず、わたしのサイトでも、ユネスコ、カナダ政府主催のカンボジアの地雷撤去、ハンガー・サイトのバナーを貼っていた。ネタ元はQuick Donationsというサイトで、今はここをクリックすると自動的にハンガー・サイトにジャンプするようです。

クリック募金は、たしかインターネットの普及に伴い、国連の事務総長(?)をしていたアナンさんの呼びかけで始まったという記憶があります。

ところが、2001年9月11日にアメリカでテロ事件が発生し、それ以降わたしのサイトでも、クリックを懇願されているようで嫌だとか、広告に相当するなどの理由で、クリック募金のバナーが原因でサイトが消えそうになったり・・・貿易センターが襲撃された映像を見た人たちが本気で戦争の不安に駆られたのが原因だったと思う。

その直後、ハンガー・サイトも、活動自体が続けられなくなるなどの理由で、一時期サイトが閉鎖されていました。数ヵ月後管理する団体が変わり、活動が再開されたようです。

日本では、坂本龍一さんの呼びかけで、TBSの筑紫哲也さんの番組でも報道され、地雷撤去のキャンペーンと反戦運動がウェブでも広がり、それに伴い今うちのブログでも貼っている「クリックで救える命がある。」というサイトが登場。

実は、わたしが最初に有料サーバを借りたのもクリック募金への嫌がらせがきっかけ。冷静に考えれば借りている費用を募金したほうがよっぽど実りがあるような気がするんですけど、毎日何かいちゃもんを付けられてはサイトが消失するようなことが連続すると、さすがに無料サーバにはうんざりしてしまって・・・

その後、もったいないのでcoolを解約しその分を寄付しました。とはいうものの、今でも惰性でロリポップは借りているし、久々にCharity Linksを眺めたら2年以上更新していないようで・・・(汗

近頃、自分がものすごく怠惰な気がするのです。もしかすると、そういうことが原因なのかも。以前だったらそそくさとバナーをアップしそうな気がするのに、今はそれすらだるい。困った・・・クリック募金のサイトって実はたくさんあるので・・・

投稿者 Blue Wind : 09:01 AM | コメント (0) | トラックバック

June 05, 2005

旋律の違い

一冊読むのに何日掛っているのだろうと思いながらも、ようやく遠藤周作の『聖書のなかの女性たち』を読み終える。後半部分は一気に読んでしまった。

気になるのはマグダラのマリアの部分。

イエスがファリサイ派の人たちと一緒に食事の席に着いていた際、香油の壷を持って入って来て、涙でイエスの足を濡らし、髪の毛でそれをぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った一人の罪深い女というのはマグダラのマリアのことでしょう?

理由は、こんなエキセントリックな人がそうたくさんいるとは思えないし、「7つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」という表現から、彼女は娼婦というより、罪深い女と呼ぶほうが適切なのではないかと。今風に言えば単に精神障害があり、7つの人格が消えては現れ罪を重ねていたとか? 考えようによってはとても気の毒な人で、イエスが憐れむのも無理はない。それが奇跡的に治ったという解釈のほうがわかりやすい。

香油の女のところで彼女の名前が出てこないのは、ルカが遠慮がちにその話を書いていたからではないかと。イエスと出会う前の彼女と正気になった彼女とを同じ人間と考えるより、明らかに別人として考えたほうが理解しやすい。それくらい劇的な変化があったのかも。

まあ、この辺のところは想像で書こうと思えばいくらでも書けるけど、そういう女性に近づく男といえばどんなタイプで何を考えているのか想像に難くなく、それでもそういう男たちを受け入れなければならないほど彼女が孤独で罪深い女だったことに気づく。だからこそ、彼女はイエスとの出会いにより真実の愛を知る。生まれて初めて人のやさしさに触れたのかもしれないし、その後イエスに従い一緒に旅を続けた。

それにしても、聖書は書きすぎないように書かれているし、作家はそこから旋律を導き出している。まるで違うサウンド。

上述、何が気になったかと言えば、遠藤氏によると、マグダラのマリアが初めて登場するのは、ルカの第8章。「七つの霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」という表現。その直前第7章に罪深い女の話が書かれている。わたしは今の今までこの罪深い女というのがマグダラのマリアだと思っていたため(それが通説だと思う)、一瞬混乱してしまった。

まあ、たしかに第7章では名前が書かれていないから実は誰だかわからない。誰だかわからなくてもかまわないと言えなくもないけど、何となく気になってしまう。気になることにより、次第に理屈っぽくなっていく。

投稿者 Blue Wind : 06:13 PM | コメント (0) | トラックバック

母と息子の面子

まるで胡散臭いものを眺めるように、花田家の確執を眺めてしまう。

貴乃花のことを悪く書いているところが多いけど、それは大いに間違っている。これはあくまでも推量だけれども、二子山親方と憲子夫人が離婚した時もあまりにも唐突で驚いたけど、実はその頃に親方の癌が見つかっていたのではないかと。

そうなると、突然、貴乃花の反抗期を眺め、一体何があったのかと狐につままれたような気がした事件でも、単なる相続争いの結果なのかと、実にわかりやすい。

うちのダンナがスポーツ紙を読んできた結果によると、最初は遺産はすべて次男の貴乃花親方のところに行くことになっていたらしいのが、このところ遺言が書き換えられ、長男の勝氏に譲られるらしい。あくまでも嘘か本当かなんてことはわからない。でも、遺産が少なすぎるという下馬評まで飛んでいる。

ってことは、離婚・・・・
あれだけ遺産があると、相続税のことを考えたら離婚したほうが節税になる。離婚の慰謝料には税金が掛らない。当然、31年間連れ添ってきた夫人にはそれ相応の慰謝料の請求権があるだろう。しかも、夫婦は離婚してしまえば他人だけど、子どもは子ども。

息子の代になって邪魔者扱いされるくらいなら、お金持って遊んでいたいという気持ちもわかるなぁ・・・後のことは好きにしなさい、みたいな感じ。

一番信用できないのが、あのお葬式でのインタビュー。貴乃花のインタビューも面子を潰されたせいでかっこ悪かったけど、それに輪を掛けて母親のインタビュー。どうやって考えても遠まわしに貴乃花を非難している。本当にわが子が可愛いのならあんなことを公の席でペラペラと話すだろうか?わが子がバッシングされることを承知であんなインタビューを母親にされたらかなわんぜよ。

器用に立ち回る母親よりも、不器用な息子のほうがマシ。

いずれにせよ、横綱にまでなった息子たちなのだから、何も今さら親の金をあてにしなくても立派にやっていってくれるでしょう。それでか・・・・貴乃花はすでにお弟子さんもたくさんいる親方なのだし、最初から全国を回って弟子をスカウトして回る苦労を考えればすこぶる楽なのかも。

いずれにせよ、兄弟が仲良くなったとしても貴乃花が母親を許すだろうか。仲が悪いなら悪いなりに、親のことは長男が世話していったらよいし、世間が口出しするようなことは何もない。

投稿者 Blue Wind : 01:26 AM | コメント (0) | トラックバック

June 04, 2005

人類最大のハッピーエンド

聖書を読んでいると、悪い人たちというのがいつでもどこにでもいるような普通の人たちなので困る。

例えば、イエスが神殿を強盗の巣にしていると怒った人たちは、生贄のための鳩を売っていたり・・・今で言えば、お供物を現地調達するような感覚だろうか。

ユダはもちろん悪いヤツだけど、案外常識的だ。マグダラのマリアがイエスに香油をかけた時にもユダは怒ったけれども、その理由がせこい。それを売って貧しい人たちに施したほうがいい、というのがユダの主張。この手の常識仮面はどこにでもいる。

わたしはピラトはずっと悪の張本人だと思っていたけど、民衆の総意によりイエスを死刑にせざるを得なかった。その辺の役人根性が面白い。本当はそんなことはしたくないけど、仕方がないとか?

イエスの命を狙っていたユダヤの祭司たちだって、勝手に神の子を名乗るというのは大罪であり、民衆を翻弄するという点で実に危険な存在だったのだろう・・・イエスは。ローマ人たちには関係ないかもしれないけど、ユダヤ人にとっては大罪なのだから裁いてくれとピラトのところへ連れて行く。

イエスを鞭打った兵士たちは、それこそどこにでもいるような兵士たちであり、それがお仕事。

イエスと共に死んでもかまわない、何もかも捨ててイエスに従った使徒たちでさえ、恐怖のあまり逃げ出してしまった。ペトロの裏切りは有名。あまりにも愚直でまっすぐで怖いもの知らずのペトロ。本当はやさしく気の良い人たちでも、いざとなると逃げ出す。

なんか、人生を感じてしまう。

それでいてイエスが最後まで口もきかなかったのがヘロジャデ。娘のサロメを使って、バプテスマのヨハネの首を刎ねさせた女。この人たちの話は聖書のなかにはほとんど出てこない。わたしなんて一行も出してほしくないとすら思っている。

遠藤周作の『聖書のなかの女性たち』を読んでいると、その話についてもう少し詳しく書かれている。それを読むうち、ヘロデもヘロジャデもサロメも実はどこにでもいるような人たちだという気がしてくるから嫌だ。平凡な夫を捨ててガリラヤ領主のヘロデとねんごろになり、ヘロデの妻を追い出したヘロジャデ。それでいてちょっとでもそのことを言われるのが嫌だから、バプテスマのヨハネを夫に捕らえさせる。

ヘロジャデが恐れていたのは神でもヨハネでも世論でもなく、夫の心変わり。ヘロデをそそのかして妻の座におさまったのはいいけど、夫が回心して追い出されるようなことにでもなったら身も蓋もない。そこで娘にヨハネの悪口を吹き込む。自分たちの幸せを破壊しようとしている男、というのがヘロジャデから見たヨハネ。気持ちはわからなくもないけど、幼い娘は母には忠実である。

野心家の母は、自らも領主の妻におさまり、次には娘の将来。

それにしても、ヘロデは弱い。
そういう情けない男により、再びピラトの下に送り返されてしまったイエス。バプテスマのヨハネの敵の前で、鞭打たれるイエス。

無念という言葉があるけれど、普通に考えたら、それこそ恨みやドロドロ泥まみれの人間模様を想い描いてしまいそう。

が、しかし、そこから先が違う。この世に神はいないのか、と思うような絶望の瞬間、自ら十字架に身を捧げたイエスが復活する。わたしはシンプルだからイエスの復活を信じている。すべての出来事が聖書に書かれていたことであり、彼はそれを実行するためにこの世に現れた。

救われるってことがどういうことなのかわからないけど、最期にはイエスが復活し、ハッピーエンド。それを考えるだけで救われる。

人類最大のハッピーエンド。
イエスは救世主。

投稿者 Blue Wind : 04:38 PM | コメント (0) | トラックバック

ハングリーな精神

いつから自分がこんなに怠惰な人間になったのかわからないけれども、わたしは人の気持ちがわからないと言われることが多い。で、わからないと言う人たちの特徴は、大抵の場合、「怒っている」。

こういう場合、本当に怒りの理由が理解できない時もあれば、気持ちはわかるけど一緒に怒れない事情がある時もあるし、他人が怒っていると自分が怠惰になり怒る気がしない時もある。あるいは、そういう怒りに感染するのが嫌で逃げている時もあるし、それが自分に向けられている場合には確実に逃げることにしている。

だって、疲れるから・・・

なんて怠惰なんだろう・・・

それとは別に、わたし自身が怒っていると他人に思われる時には実は自分では大して怒っていないことが多い。本当に怒っている時には逆に怒っているとは思われないことも多い。世の中、どうなっているのかわからんため、他人の怒りにも無頓着。

というわけで、『怒りブログ。』 にはよく来訪している。怒りのポイントを(自己)分析しているのが特徴かもしれない。怒りがウリの割にはストレートな怒りが少ない。逆に語れば案外本当に怒っているのかもしれない。(こわ〜)

それはともかく、面白いネタ を見つけた。

ハングリー精神・・・・

オリジナル記事によると、野村克也の新聞連載について紹介されているのだけれど、写真を眺めてパッと目に入ったのが「ハングリー精神」という言葉。

いまどき、こんな言葉をまじめに使えるとすれば、たしかに野村克也くらいのものかもしれない。

ちなみにうちのブログでいまだに一番多い検索キーワードはNEETである。NEETな人たちは決して恵まれた環境にあるとは言いがたいという記事を読んだことがある。そりゃ働いてもいないのだから、恵まれているとは思えないのはわかるんだけど、一方で「ハングリー精神」が死語になり、一方で台頭するNEETたち。

ハングリー精神と言えば、貧しさをやる気の武器にしながら生きていく強さのことであり、相手をとことん打ちのめそうとするボクサーやスポーツ選手らが好んで使っていた。

生きるためには、とか、食うためには、とか?

その昔ボクシングの中継をテレビで観ていた時、チャンピオンが勝利インタビューで賞金の使い道を尋ねられ、「テレビを買います」とうれしそうに語っていたのを思い出す。どうしてそういうつまらないことをはっきり覚えているかというと、高額賞金を手にしたわりにはせこいなーと思ったのと、すでにテレビは各家庭に十分以上に普及しており(各戸2、3台はある時代)、いまどきテレビも買えない人がいるんだなーと子ども心に思ったからかもしれない。

わたしが小学生の頃には、テレビの展示会というのがあり、新製品が出るとうちの親などはヒマだから見に行って、そのたびにナショナルは、とか、東芝は、などと母がうんちくを言いながら買い替えられていったのを覚えている。

さっき、背中でニュースを聞いていたら、65インチテレビの話題。そうなると47インチやそれ以下の製品がのきなみ安くなり、一瞬買い換えようかと思ってしまう。大ビジョンっていいよね。テレビも観ないくせにそんなことを考える。(* 数字はいい加減です・・うろおぼえ)

テレビの普及のおかげで、日本からハングリー精神が欠如してしまったのだろうか・・・・(オイ!)

その逆は多いよ。

精神がハングリー(*^_^*)

投稿者 Blue Wind : 12:59 AM | コメント (0) | トラックバック

June 03, 2005

半年

自分でもバカじゃないかと思うんだけど、やっぱUPマークは気持ちがいい。先月はダラダラと出血が続いているかのように毎日ダラダラとDOWNマークが続いていた。ある意味仕方がないと諦める。全体のブログ数も増えているし、アメブロは月間の累積アクセス数でランキングが設定されているため、急に落ちることもない代わりに急に上がることもない。

それでいて、毎日ダラダラダラダラ下がり続けるというのは、連日ですからね・・・さすがに気持ちのよいものじゃないです。

ジャンル変更のメリットは、もしかするとこれだけかもしれない。一気に下がると今までの苦労?が水の泡になってしまったようで悲しい。それでいてダラダラ出血するより、一気に悪い血?を抜いてしまったかのようにUPマークを見て喜んでいる素直なわたし・・・

それでいてランキングが表示されないと、不思議と更新する気になれない。

一番好ましいのはほどよく下位からスタートし、月末までに上昇していること。先月はその逆で、周囲のブログ(よく行くブログ)がのきなみダウンしている中、うちのブログがさほど下がらないこと自体が不思議なくらいだった。

だって、わたしが去年の12月にアメブロにブログをつくったばかりの頃は、まだ全体のブログ数が3万以下だったし、アクティブ・ユーザー数だってせいぜい3000から4000くらいの間を推移していたのではないかと思う。

だから、その中で1000番以内にランキングされるのと、今みたいに26万以上ある中で1000番以内にランキングされるのとでは分母が一桁違うため、今のほうがかなりしんどいと思うのです。アクティブ・ユーザー数を考えると、せいぜい全体の15%あるかないかくらいだと思うけど・・・それでも一桁増えたから、本来なら10000万番以内に入れば御の字ではないかと。

それでも、アメブロガーを始めたばかりの頃はかなりローカルな感覚があり、上位ブロガーが30000ヒットしている画像をアップすると、下位ブログに連日3ヒットの画像が貼ってあったり、「ぷぷぷぷ」という感じで面白かった。混沌と有名ブログが上位に並ぶ中、ちまちま増える新規ブログ数。連日重くて仕方がないサーバ。ダウンしてしまったランキング。

半年はあっという間だ。

投稿者 Blue Wind : 03:07 PM | コメント (0) | トラックバック

June 02, 2005

花田家のお葬式

週刊誌やワイドショーなんていい加減なことばかりだと思っているので普段は素通りする。さすがに二子山親方のお葬式は連日放送しているのだもの、見たくなくても目に入る。旧藤島(二子山)部屋のことなど興味のない人でも、元親方夫人のインタビューを眺めれば、この数年の間に何があったのかまるわかり。

他家の姑さまのことをあれこれ書いても意味ないけど、あれは強烈だ。しかも、母親とか姑である以上に親方の奥さん。もう、どうにもならん状態が長かったのだろう。(想像だよ)

「世界一幸せな母親」というセリフにすべての謎が隠されている。

結婚に反対されて、半ば兄の反対を押し切るように二子山親方が憲子夫人と結婚したのは21歳くらい? その後2人の男の子に恵まれた。兄の元横綱(初代若乃花)のところは女の子だけなので婿を取ったけど失敗したような・・・それに引き換え、弟の元大関(初代貴乃花)のところは男の子が2人生まれ、その子たちが揃いも揃って横綱まで昇進してしまうのだもの・・・「世界一幸せな母親」と言われても無理はない。

それで、下馬評通り、長男は3代目若乃花、次男は2代目貴乃花になる。

そこまでは良かったのよね・・・問題はその後。父親と母親は違うと言うけど、その典型みたい。親子の縁を切ってとかおおげさなことを言っているけれども、あんなことはどこの世界でも一緒だろう。親方としては部屋のことを考えるのは当然なので、後継者には弟のほうを担ぐ。実力社会だし・・・

でも、母親からしてみたら、どの子もわが子。できれば兄弟仲良くやっていってほしい。公平な配分を願うのは当たり前だ。これで面白くなかったのが弟。そこで、ひたすら相撲道に精進する弟と、相撲協会からも逃げてしまった兄の図式が完成する。

横綱にまでなった息子が今さら母親の言うことを素直にハイハイきくだろうか?
きくわけないじゃん。あほらしい。

なんか、せつなくなるね。
それでいて長男のほうがやさしい。そうなるとますます長男のほうにくっつくし、そうなると嫁さんは逃げ出す?いつだか忘れたけど、子どもを連れてハワイへ逃げていたという噂は本当なのだろうか。部屋のおかみさんになるのが嫌だとかいろいろな噂がささやかれていたけど、その気持ちも少しは理解できるような・・・部屋を持ち、そこにいつまでも先代の親方夫人(姑)が口出ししてくる。あー、考えただけでも鬱々する。

弟のほうは部屋を継ぐかわりに、一切母親の口出しを許さない。そこで、母親がぼやく。そうなると、口出しされたほうはたまらないから喧嘩になる。そこから派生して夫婦喧嘩や兄弟喧嘩。なんてわかりやすいのだろう。それで苛々してとうとう親が離婚。

部屋のことは弟がやっていく。家のことは兄。家のことって母親の世話は長男がするってことなんだろうか。それでまたインタビューで兄弟の確執をぼやく母親を演じている母。嘘じゃないんだろうけど、結局、傍役なんだから仕方がない・・・息子も亭主も。

家の戸を閉めて、家庭の中のことだけやっていたい嫁の気分。
朝からつまらんテレビを観てしまった。

二子山親方のご冥福をお祈りいたします。

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名称が間違っていたようで、直しました。まだ間違っているかも・・・ややこしい。

投稿者 Blue Wind : 02:49 PM | コメント (0) | トラックバック