August 04, 2005

愛を競う時代

ふと思ったんだけど、今は少子化のせいか、昔わたしが競争だと思っていたことにあまり値打ちがないような気がすることがある。運動会も単なるフェスティバルで、徒競走がなくなった代わりに親子競技がめちゃくちゃ増えて親はほぼ200%の参加率。それ以外の兄弟や祖父母を合わせると大家族が群れることになる。

うちの近所は核家族が多いから、まだマシ。共稼ぎの家庭も多い。それでいて運動会の日には必ず両親が揃う。土曜日だからうちのダンナは仕事がある。昔だったら子どもの運動会より仕事を優先させるのが当たり前だったのに、今は仕事を休んでもらっている。週休5日制の職場が増えたこともその理由の一つだけど、収入が減っても子どもの運動会のほうが重要。

なんでそうなのか不意に疑問に思う。

私立の学校案内などを眺めながら、意外に人間関係を重視する学校が多いことに気づく。意外でも何でもないのだけど、要するに今の子どもたちはひとりっこが多いし、どうも人間関係の形成が下手だという認識が広まるとあちこちで対策が練られる。合宿を増やしたり、海外留学や研修を積極的に行う理由の一つに、子どもを自立させるという狙いがあるらしい。単なる語学力というより、親から離れて何かを体験させるということを教育によりつくり出す。それでいて、学校行事には親子のコミュニケーションを増やすとかね・・・ボランティア活動など体験学習も盛ん。

子どもの発達に父親の育児参加が重要となると、父親の学校参加行事が増える。これじゃ母子家庭はたまらんだろうな・・と思いつつ、そういう時代なのだから仕方がない。かれこれ20年くらい昔だろうか・・・それまで働き蜂として有名な日本人家庭で変化が起こった。子どもの受験に母親よりも父親のほうが遥かに熱心なケース。今でこそめずらしくなくなったけど、教育パパの時代が到来した。

それまでは育児や家事は母親任せで、父親は遅くまで会社のために働くとかね・・・そういう家庭のほうが普通だった気がする。ところが不景気が時代を変えたのか、主夫も増えたし、共稼ぎも当たり前になってきたせいか、とにかく何をおいても子ども優先という家庭が増えた。

まあ、それだけ離婚が増えたのかもしれないし、親が子どもの世話をしないケースが増えたのかもしれないし、そうなるとそれではまずいとばかりに親を教育現場に借り出す。そうなると、何らかの理由で親からのケアが充分に与えられていないと感じる子どもたちはつらい。ただでさえつらいのに、学校でもヒシヒシ愛の欠如を思い知らされることになる。

親が何もしないほうがしっかりするのも事実なんだけどね・・・それでいて、愛を競うようになるとどうも競争力が欠如しているような気がすることもある。1人の気楽さに慣れると、恋愛その他諸々めんどーになってしまうのだろうか。あるいは過剰・過敏になりすぎたり・・・こればかりは学校がいくらがんばっても無理だろうな。

人間関係・・・って、なんて便利で漠然とした言葉なんだろう。

投稿者 Blue Wind : August 4, 2005 09:37 AM | トラックバック
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