June 04, 2005

ハングリーな精神

いつから自分がこんなに怠惰な人間になったのかわからないけれども、わたしは人の気持ちがわからないと言われることが多い。で、わからないと言う人たちの特徴は、大抵の場合、「怒っている」。

こういう場合、本当に怒りの理由が理解できない時もあれば、気持ちはわかるけど一緒に怒れない事情がある時もあるし、他人が怒っていると自分が怠惰になり怒る気がしない時もある。あるいは、そういう怒りに感染するのが嫌で逃げている時もあるし、それが自分に向けられている場合には確実に逃げることにしている。

だって、疲れるから・・・

なんて怠惰なんだろう・・・

それとは別に、わたし自身が怒っていると他人に思われる時には実は自分では大して怒っていないことが多い。本当に怒っている時には逆に怒っているとは思われないことも多い。世の中、どうなっているのかわからんため、他人の怒りにも無頓着。

というわけで、『怒りブログ。』 にはよく来訪している。怒りのポイントを(自己)分析しているのが特徴かもしれない。怒りがウリの割にはストレートな怒りが少ない。逆に語れば案外本当に怒っているのかもしれない。(こわ〜)

それはともかく、面白いネタ を見つけた。

ハングリー精神・・・・

オリジナル記事によると、野村克也の新聞連載について紹介されているのだけれど、写真を眺めてパッと目に入ったのが「ハングリー精神」という言葉。

いまどき、こんな言葉をまじめに使えるとすれば、たしかに野村克也くらいのものかもしれない。

ちなみにうちのブログでいまだに一番多い検索キーワードはNEETである。NEETな人たちは決して恵まれた環境にあるとは言いがたいという記事を読んだことがある。そりゃ働いてもいないのだから、恵まれているとは思えないのはわかるんだけど、一方で「ハングリー精神」が死語になり、一方で台頭するNEETたち。

ハングリー精神と言えば、貧しさをやる気の武器にしながら生きていく強さのことであり、相手をとことん打ちのめそうとするボクサーやスポーツ選手らが好んで使っていた。

生きるためには、とか、食うためには、とか?

その昔ボクシングの中継をテレビで観ていた時、チャンピオンが勝利インタビューで賞金の使い道を尋ねられ、「テレビを買います」とうれしそうに語っていたのを思い出す。どうしてそういうつまらないことをはっきり覚えているかというと、高額賞金を手にしたわりにはせこいなーと思ったのと、すでにテレビは各家庭に十分以上に普及しており(各戸2、3台はある時代)、いまどきテレビも買えない人がいるんだなーと子ども心に思ったからかもしれない。

わたしが小学生の頃には、テレビの展示会というのがあり、新製品が出るとうちの親などはヒマだから見に行って、そのたびにナショナルは、とか、東芝は、などと母がうんちくを言いながら買い替えられていったのを覚えている。

さっき、背中でニュースを聞いていたら、65インチテレビの話題。そうなると47インチやそれ以下の製品がのきなみ安くなり、一瞬買い換えようかと思ってしまう。大ビジョンっていいよね。テレビも観ないくせにそんなことを考える。(* 数字はいい加減です・・うろおぼえ)

テレビの普及のおかげで、日本からハングリー精神が欠如してしまったのだろうか・・・・(オイ!)

その逆は多いよ。

精神がハングリー(*^_^*)

投稿者 Blue Wind : June 4, 2005 12:59 AM | トラックバック
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