June 16, 2005

マイケルは無罪?

このところ遠藤周作ばかり読んでいるせいか、どうも「善悪不二=人間臭さ」ということばかり考えてしまう。あっさり語れば、善き人は神さまだけ、というのが真実。なのに、信じていたとか、裏切られたとか、その手の話がいつも蔓延しているのが世の常。

インドの親切な女の子たちに感謝していたら、最後には結局金を出せと言われたというのは軽い部類で、ミャンマーの坊さんに襲われそうになったバックパッカーの女の子の話や身近なところではこのところ相次ぐ教師の性犯罪とか?

とうとうマイケル・ジャクソンも無罪になったし・・・
すっきりしない話ではあるけど、無罪を勝ち取るために21億円の弁護料って考えたら、なんかすごくバカらしくなってしまう。借金地獄に苦しんでいるマイケルの今後のほうが気になるところ。しかも、世間がまるきり彼がシロとは考えていないところがミソでして・・・

ライトなところでは、澤山氏のブログ小説。(今週は、「蜃気楼に浮ぶ顔」
雀荘に来ていた教師がソープ嬢と出来てしまい、子どもが出来たとたん彼女を棄ててしまったという話。

ストーリーがどうたらこうたらと言うより、この手の話にまるで驚かない自分がいやだ。小説だからとか、フィクションで顔を見ないからだとか、というわけではなく、世の中は、なんであんなのが教師をやってるんだ?ということが少なからずあり、今は保護者の立場だから声を大にして心の中でさえ言わなくなっただけで、大学教授でさえセクハラでクビになる時代ですから、驚かない自分のほうがいやですね。元教師をしていた友人の話にもまるで反応しない自分がいやだ。

ある大学教師が言っていたことには、「生徒は商品だ。商品に手をつけるほうがバカだ。」
本音なんだろうな・・・

はたまたホステスさんのブログを読んでいたら、安物の靴を買ってやると言われ、かっち〜んときて切れたという話が書いてあった。ホステスでなくても女なら誰でも切れるだろう。そういう気がした。

そういう話が続く中で、自分的にはぷぷぷ・・と笑ってしまった、nattoさんの夢
記事のストーリーはあまりにも整理されてシンプルになっているけれど、実際にはもっと混沌とした悪夢なのかもしれない。いろいろな人たちの顔が現れ変化し翻弄されながら戦い続ける。

でも、結局はうつそみ。うつそみって何かわからないけど、夢の中に現れるのはすべて分身。人間の心って複雑で、いつも気をつけないとどこからどこまでが自分なのかわからなくなるほど混沌としている。自分の怒りだと思っていたら実はそれは他者の感情だったり・・・

というわけで、登場人物はすべて自分の分身であり、他者の分身であり、それを客観視する自分と主観的に戦う自分とが登場する。

その昔、悪夢に苦しんでいる友達が、それを地雷と呼んでいた。

やっぱ、「テレーズ・デスケルー」を読むしかないかもしれない。たしかモーリヤック著作集の第1巻は読んだ気がするからこの際第2巻から読み始めようか。時間はあるんだけど、気分の問題のほうが大きい。

投稿者 Blue Wind : June 16, 2005 12:37 AM | トラックバック
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