June 15, 2005

草木は眠る

草木を愛するというのは、犬や猫を愛するのと似ている。彼らの長所は何のために生きているのかわからないとか、その手の人間特有の戯言を発さないところ。とは言うものの、大抵は生きるのに一生懸命で、その手の類を考えるのは鬱と呼ばれる人たちだけなのかもしれない。だから、鬱は贅沢病と言われてしまう。

そのくせ、わたしはあの少年の声を忘れない。あれは土浦に住んでいた頃、マンションの駐車場から響いてきたものらしい。当時わたしは娘の出産を控え、そのマンションの一番上の階に住んでいた。なのに聴こえるのだもの・・・その少年は何度も何度も「お父さん、やめてー」と叫んでいたので、わたしは暴力でも振るわれているのではないかと思った。ところが・・・

その声が聴こえなくなったとたんに救急車のサイレンが近づき、止まった。

ほっとして下へ降りてみる。集まってきた人たちの話から察するに、どうやら自殺。車の中で一酸化中毒を起こし、救急車で運ばれたものの助からなかったらしい。数日後、ひっそりとお葬式をやっていた。どうしてお葬式をしているのがわかったかといえば、やたらと2階で降りる人たちが多かったから。

その時の正直な感想としては、わたしは日々健やかに過ごそうと胎教に励んでおり、その手の精神的ダメージからもしお腹の中の赤ちゃんに悪い影響を与えたらどうなるのだろうかと、むしろそちらのほうが気がかりだった。

そんなものかもしれない。

初代マリは病気だからずっと抱っこしていたつもりだったけど、今度のマリも結局ずっと抱っこしている。無防備な寝顔を見ているとほっとする。

その後、あの少年のトラウマを考えるとぞっとする。が、しかし・・・マリもオトも、庭の草木も人間特有の戯言を発さない。素晴らしい。

わたしは人間嫌いというわけではないけれど、人間特有の戯言にはやすらぎを感じない。

投稿者 Blue Wind : June 15, 2005 12:22 PM | トラックバック
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