June 16, 2005

『グラン・シャレ 夢の刻』 節子・クロソフスカ・ド・ローラ著



著者: 節子・クロソフスカ・ド・ローラ

タイトル: グラン・シャレ夢の刻(とき)―バルテュス追想-きもの花筐

もう、わたし自身は自分で着物が着られないどころかたためもしないので、単なるノスタルジー。子どもの頃から着物が嫌いで、お正月に振袖を着せられると、さっさと撮影したら脱いでしまう。苦しくてたまらん・・・

母が着物が好きな人だったので、わたしは苦労した。まず、着物だと歩き方が違う。草履を履いて普通に歩こうとするとドタドタした感じが出てしまうし、その昔、日舞の名取をしていた友達がゴルフをすると、歩く時にスパイクが芝をひきずるので芝を傷つけてしまうとコーチに注意されていたし、それくらい違う。

わたしは骨盤のせいで歩き方を練習し、矯正した。そのため、小学校の頃までは内股だったのがいつのまにか外股になっている。洋服だとそっちのほうが綺麗だから。

体系も寸胴なくらいなほうが着物が似合う。このため今は胸をつぶす下着まで売っている。しかも、帯がつぶれないようにタオルを何本も入れなければならない。今風の着付けだと、はしょっている部分を帯の裏側にほとんど隠して足を長く見せるらしい。優雅な笑顔の裏側で、こんな思いをしてまで堪えなければならない。

そのため、娘が7歳の七五三で着物が着てみたいと言い出した時にはぎょえっとなった。母は喜んでいたけどね・・・娘が着物を着ると、わたしの子供の頃にそっくりなので気持ち悪い。それで喜んでいたのは母と娘である。

それでも、節子夫人が着物を着て上品に微笑んでいる姿はいかにも日本女性という感じでノスタルジーすら感じてしまう。この前、カフェで『家庭画報』を渡されてパラパラとページをめくっていたら、『グラン・シャレ 夢の刻』の広告があった。今までにも何回か連載を読んだことがある。画家バルテュスと結婚し、ローマで15年間暮らし、現在はスイスのグラン・シャレで暮らしている節子夫人のエッセイ。

若い頃から、ずっと着物だったんだなーと不思議な気分。長い外国生活の中でずっと着物を着て暮らしていたというところがすごい。それが少しも不自然ではないところがさらに尊敬。

わたしの世代はどちらかというと、旧い文化を否定する世代。逆に考えれば節子夫人がずっと着物で過ごしていたというのは日本を長く離れていたからではないかという気もする。ノスタルジックな日本の姿が変わらずに存在している。それと、ヨーロッパという土壌が旧い伝統をそのまま受け入れてくれるキャパがあり、逆に自分がもっと日本を大切にするべきではないかという気分にさせられてしまう。

まだ読んでないどころか買ってもいないのだけれど、書評を書く。雑誌で読んだからいいかな・・と思いつつ、次回のアマゾンの発注の中には入っているだろう。未読本がたまっている中、わたしは気まぐれ。

投稿者 Blue Wind : June 16, 2005 11:03 AM | トラックバック
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