August 29, 2005

ど素人以下

ど素人以下には以下の強みがある。
あっさり語れば、きつい。

たとえば、娘が絵で食べて行きたいと言ったとしても、ちょっと見てね、「ふん!」で終わらせてしまうくらいきつい。ちょっと専門学校へ行ったから、美大を出たから、というくらいでは相手にされないことくらいはど素人以下だからこそ理解できる。

もっと言ってしまえば、それがすごく価値のあるものであったとしても、たとえば素晴らしいガラス工芸の作品だったとしても、わたくしは主婦なのでそっちは鑑賞用、自分で買って使うのは実用的なもの。つまり、電子レンジや食器洗い機で使えるものとか。収納するときのことや、食器洗い機の企画サイズに収まるかどうかとか。だって自分で手で洗うのはいやだもの。

それなら、自分で食器を焼いて、自分で使っているほうがずっと楽しいのでは・・・?

あるいは、フラワーアレンジメントや華道などをやりながら、ちょっと使いたい器を自分で焼くとかね・・・そっちのほうがお洒落だし、そんなことをしているうちに、器の焼き方を誰かに教えているほうが実用的な生き方のような気がするけど、どうなんでしょう・・・

みんな、不正直で困る。

たとえば、美術なんて食べていけないわ、なんて言いながら、「あの学校では美術の推薦枠があるのよ」という噂が広まるとどういうわけか小4くらいでいきなり絵の勉強を始める子が増えたり・・・何のために絵を習わせるのか、謎。うちはまだ道楽の部類だから、まだマシのような気がする。

親の思惑とは別に、子どもは絵を描く面白さに目覚めると、次にはそういう子たちが集まる中に行きたがる。そういうのは本能のような気がするけど、どうなんだろう・・・1人で無理解な人たちに囲まれて劣等感を抱えながら生きるより、そっちのほうが居心地がいいのは当たり前。

そのうち自然とそういう子どものニーズが高まると学校でも本腰を入れるようになる。すると、「あの学校は美術に力を入れている」という噂が広まる。そうなるとそういう希望を持った子たちが集まるようになる。

つまりはね・・・わたしのように絵の下手な人間が群れているところで教師だけが一生懸命になっても反応しないのよ、群れたちは。退屈だから。ところが、絵が好きな子たちが集まっていれば面白いくらいに才能が伸びる。そうなると先生もさらに高度なことを教えても大丈夫ということに気づきだす。

世の中なんてそんなものではないだろうか。

たとえば、美術推薦の話をどうして美術教室へ行ってするか?つまりは、そういう学校が増えれば、美術教室も流行るし、流行れば今まで埋もれていた才能たちが芽を出すチャンスに恵まれる。実際の学校というのは学力重視だからせっかく絵の才能があっても埋もれてしまう。そうなると美容師になろうかとか、専門学校へ行って普通の学校では教えてくれなかったポイントなどを勉強しようか、とかね・・・正直に語れば、落ちこぼれのレッテルを貼られてしまう・・・勉強が出来ないから仕方なく、というのでは。

そうなると悔しいので、結局、勉強させよう、って思ってしまうのは親が悪いのだろうか?

いくらマスコミや世間が、カリスマ美容師の話をしても、作家や漫画家の話をしても、なんか説得力がないわけ。そういうのはいわば特殊な人たちだけという気がして。それなら役人にでもするほうが手っ取り早いような・・・

某作家のブログを読んで、「はあ?」と思ったことがある。居酒屋で働いていても相手にされなかったけど、作家になったらちやほやされるというお話が書いてあった。ほんで、誰にちやほやされたいのか?って欄を読み、ぐったりしてしまった。それなら、作家をちやほやする側に回ったほうが・・・まあ、エリートになれないから敗者復活的に・・・? なんかね・・・作家がそんな風だから、世の中がちっとも変わらないような気がして、わたし的には非常につまらないような気がしたのだけど、そういうのに憧れる人たちが多いってことが現実なのかもしれない。

投稿者 Blue Wind : August 29, 2005 03:11 PM | トラックバック
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