July 25, 2005

医者に文句を言う前に教会へ

たまに思うんだけど、医者は聖職者でも神さまでもなく、単なる医者だ。ところが、亡くなった裏の奥さんが言うには、「医者に家族がいるなんてとんでもない。こっちは死ぬかもしれないのに。家にいるなんて想像もしたくないわ。ひたすら働いて・・・」 それでいて、仕事中だというのに、株屋はデリカシーの一つもなく平気で電話掛けてくるし、家にいても株だのマンションだのと年中セールス。全部わたしが切っている。

別に悪いことしているわけじゃないよ・・・
休みの日には子どもを連れて遊びに行ったり、犬の散歩をしたり、あとはせいぜいワイルド・ターキーを呑んでいるくらいで、まったく平和な人である・・・うちのダンナは。年中汚い格好をして、さすがにボタンが取れているからそれを着ていくのはやめてほしいと言ってもまるで気にしない。

その昔、もっと過激な労働をしていた頃は、成田のゲートをくぐり、ポケベルの電源をオフにすると心の底からほっとした顔をしていた。おじいさんの時代には旅行へ行っても呼び戻されることは当たり前だったし、それを考えるとずいぶん人間的になった気がする。

娘が初めて入院したとき、「なんで医者が来ないのよ」って思ったのはわたしである。が、しかし、周囲を観察すれば、夜になると不安になり休憩所に座って話し相手を探している癌患者や、ナース・コールを10分おきにならして医者が来ないと怒鳴っている老人や、その他諸々自己中であふれかえっている。

日頃、健康な人たちが病気になると、大抵はそうやって怒っている。

結局、マンションの駐車場で自殺した人・・・あの場で亡くなったのではなく病院。それだけでも何となくほっとするのはどうしてだろう。死の苦しみに満ちあふれている人がおそろしいほどたくさんいても、死はベールに包まれたまま、生きるために苦しまなければならない。

真夜中の病棟の休憩所に座っているときに会釈をして出て行った人たち。実は、赤ちゃんが亡くなったということを癌患者が教えてくれた。昨日までいたのに、朝になるといつものように職員であふれかえり、何事もなかったかのよう。

ガンジス河みたいなものなのかも・・・

職員用の出入り口。霊安室の前を通る。真夜中にダンナが呼び出されるとそこから入っていく。わたしもたまに娘の手を引いて暗い赤ランプの廊下を通る。使用中かどうかまで気にしたことはない。病棟への通路はすでに消灯。自動販売機の明かりが見えるだけ。幽霊でも出そうな雰囲気だけど、まるで怖くないのが不思議だ。

人って案外淡白にあっさり死んでいくからかもしれない。想像の死と現実の死がいくぶん違っているからといって、驚くには値しない。不幸・不吉・死神とかね・・・考えてみたら変な話なのかも。

少なくても白衣は法衣ではないのだから、医者に文句を言う前に教会へ。

投稿者 Blue Wind : July 25, 2005 12:19 PM | トラックバック
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