October 31, 2004

箴言 23. 17-19

  罪人らのことに心を燃やすことはない
  日ごと、主を畏れることに心を燃やすがよい。
  確かに未来はある
  あなたの希望が断たれることはない。
  わが子よ、聞き従って知恵を得よ。
  あなたの心が道をまっすぐ進むようにせよ。

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歴代誌下 6. 32-33

  更に、あなたの民イスラエルに属さない異国人が、大いなる御名、力強い御手、伸ばされた御腕を慕って、遠い国からこの神殿に来て祈るなら、あなたはお住まいである天から耳を傾け、その異国人があなたに叫びを求めることをすべてかなえてください。こうして、地上のすべての民は御名を知り、あなたの民イスラエルと同様にあなたを畏れ敬い、わたしの建てたこの神殿が御名をもって呼ばれていることを知るでしょう。

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ナホム書 3. 18-19

  アッシリアの王よ
  お前の牧者たちはまどろみ
  貴族たちは眠りこける。
  お前の兵士たちは山々の上に散らされ
  集める者はいない。
  お前の傷を和らげるものはなく
  打たれた傷は重い。
  お前のうわさを聞く者は皆
  お前に向かって手をたたく。
  お前の悪にだれもが
  常に悩まされてきたからだ。

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透析をしているだけの弱い人強くみせてるゲリラ部隊か

ビンラディンさんもお元気そうで・・・
すごくわるい人なのかもしれないと思いつつ、嫌いになれない人の一人かもしれない。一つわかっているのは、彼が死んでもテロは無くならないし、世界が平和になるとは思えないということかも。愛されているってつよい・・・が、しかし・・・また、テロなんだろうか。終わらない。
逮捕しようとすればできるのに、しない。という噂は本当なのだろうか。アメリカもサウジも彼を裁くのを嫌がっているという・・・そりゃそうかも。テロ。英雄。ジハード。怖い。

ナホム書 3. 18-19

悪、か。

透析をしているだけの弱い人強くみせてるゲリラ部隊か
テロリストどこにでもいるイラクならいつのまにやら親分になり
悪という象徴の中真実はCIAの記録の中か
真実を知りたいだけの敷島は翻弄されて明日をも知れず
ビンラディン裁いてみれば困る人ほかにいるかと霧は広がる
透析をちょっと休めばあの世逝き裁くことすらたらいまわしに
真実はいつも隠され闇の中迷子のこみち吾は進めり

世界中が爆竹だらけになる。テロだらけ。誰がそれを収拾するのだろう。
ビンラディンを逮捕しないで、イラクに爆弾落とす・・・・わからん。
ほんでまたテロをするという・・・ますますわからん。

巨悪って大きすぎなの。わからない。昼寝しながら悩んでみても。

歴代誌下 6. 32-33

ブッシュでもケリーでもアルカーイダでもなく、「あなたたち」か。
彼が敵視しているのは幻影・・・

翻弄は浮んで消えたしゃぼんだまパチンとはじくパチンコ玉か
人間を数値に変えてながむればメディアでさえも書き換えられて
異邦人野をゆけというテロリスト日本人なら仏教徒なり
テロリスト教えてくれて敷島は仏教国といまごろ気づく
あなたたち勝手にやってわたくしは空気のように気ままに生きる

何なんだ・・・・この思考認識の壁は。

諦めよう。巨大な壁の現れて気ままな空は縮尺もない。
便乗す巨悪の壁はみちづれにいくたのいのち連れてゆくかな
無法地区がんじがらめの法のあり信号機さえ止めてしまうか
信号をのんびり渡る交差点昼と夜との自由競争

箴言 23. 17-19

罪人、か。
ああなると、たしかに神さまじゃないと裁けない・・・諦めよう。

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エゼキエル書 5. 7-13

  それゆえ、主なる神はこう言われる。「お前たちが周りの国々よりもいっそうかたくなで、わたしの掟に従って歩まず、わたしの裁きを行わず、周りの国々で定められている裁きほどにも行わなかったので、主なる神はこう言われる。わたしもお前に立ち向かい、国々の目の前でお前の中で裁きを行う。わたしがお前に対して行うことは、わたしが今まで行ったこともなければ、またこれから再び行うこともないようなことである。それはお前が行ったあらゆる忌まわしいことのゆえである。
  それゆえ、お前の中で親がその子を食べ、子がその親を食べるようなことが起こる。わたしはお前に対して裁きを行い、残っている者をすべてあらゆる方向に散らせてしまう。
  それゆえ、----わたしは生きている、と主なる神は言われる----お前はあらゆる憎むべきものと忌まわしいものをもってわたしの聖所を汚したので、わたしもまた必ずお前をそり落とす。わたしは憐れみの目をかけず、同情もしない。お前の中で三分の一は疫病で死んだり、飢えで息絶えたりし、三分の一は都の周りで剣にかけられて倒れ、残る三分の一は、わたしがあらゆる方向に散らし、剣を抜いてその後を追う。わたしは彼らに向かって怒れるだけ怒り、憤りに身をまかせて、恨みを晴らす。そのとき、主であるわたしが憤れるだけ憤り、熱情をもって語ったということが彼らは知るようになる。

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October 30, 2004

エレミヤ書 50. 4-5

  その日、その時には、と主は言われる。
  イスラエルの人々が来る
  ユダの人々も共に。
  彼らは泣きながら来て
  彼らの神、主を尋ね求める。
  彼らはシオンへの道を尋ね
  顔をそちらに向けて言う。「さあ、行こう」と。
  彼らは主に結びつき
  永遠の契約が忘れられることはない。

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民数記 33. 1-4

  モーセとアロンに導かれて、部隊ごとに、エジプトの国を出たイスラエルの人々は、次のような旅程をたどった。モーセは主の命令により、出発した地点を旅程に従って書き留めた。出発した地点によれば、旅程は次のとおりである。
  イスラエルの人々は、第一の月の十五日にラメセスを出発した。すなわち、過越の翌日、すべてのエジプト人の目の前を意気揚々と出て行った。エジプト人はそのとき、彼らの間で主の撃たれたすべての初子を葬っていた。主は彼らの神々に裁きを下されたのである。

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あっけなく会って別れて死んでゆくざくろの木の実揺れている秋

大腸癌取ってきたよとチャイム鳴る明るき声に救われる昼
苦しみはひっそりとしたICU目覚めた朝は二倍の時間
つわものよ、泣き言言わずひねもすを生きているよと挨拶に来る
次の日の約束などをしてみればめずらしいなとふと思いたる
笑顔さえ練習したなと疑えど知らん顔して手を振り別れ
ひっそりと暗い闇路をさまよえば明るい陽射し舞台のごとく
あっけなく会って別れて死んでゆくざくろの木の実揺れている秋

民数記 33. 1-4

臍の緒の微かにつなぐ六本木通りの隅は母の胎内
片隅にうずくまるよにすれ違うシーソーの音クルマの鼓動
残骸に積まれた闇をよじ登り生きていたかとつわもののよう
秋の日にざくろをみあげ話すとは長生きしたと思っちまうぜ
死ぬ日まで燃えていたいと太陽は紅く輝き勝手に落つる
闇夜には月が輝くその意味を何となく知る陽は見えなくも
指先に母の匂いのするような消毒液のしみいる月日
母の世話胡散臭げにやっているわたくしを見て笑える人ら
秋の日にざくろ見上げて笑い出すそんな気分の親の世話かな
親の世話二倍になっても変わらんとボランティアかな淡々と行く
親の世話五倍になっても変わらんとまとめてくれと言ってみたしも
三宅さん長生きしたと癌患者スタート地点並んで生きる
最長でどれくらいかと考えて老衰を思う気まぐれな息

エレミヤ書 50. 4-5

水平線迫ってきたかと太陽はおおげさなほどあかあかと燃え
高枝にしがみつくよなざくろの実嵐が来ても驚きもせず
大腸癌取ってきたよと微笑めば嵐の中は寝たきり患者
つわものよ、晴れた陽を浴び話そうと並ぶ尾花の静かに揺れる
やさしさも憐れみさえもむなしけれ陽を浴び揺れる尾花は咲けり
愛という言葉のなくも憐れみは粒子の中に飛び散り咲かめ
ポツポツとこころ閉したるひねもすはよわむしこむしはさんで捨てる
退廃に飽きてしまえばつわものの微笑み来る秋空の下
あかあかと落ちればいいさ太陽は明日があるならあかあかと出る

エゼキエル書 5. 7-13

くりかえし開く聖書のページには神の怒りの嘆きの歌ぞ

投稿者 Blue Wind : 05:27 AM | コメント (0) | トラックバック

ホセア書 7. 14

  彼らは心からわたしの助けを求めようとはしない。
  寝床の上で泣き叫び
  穀物と新しい酒を求めて身を傷つけるが
  わたしには背を向けている。

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ペトロの手紙 一 4. 7-9

  万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。

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使徒言行録 10. 24-33

次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていた。ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。」すると、コルネリウスが言った。「四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、言うのです。『コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある革なめし職人シモンの家に泊まっている。』それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」

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エレミヤ書 50. 6-7

  わが民は迷える羊の群れ。
  羊飼いたちが彼らを迷わせ
      山の中を行き巡らせた。
  彼らは山から丘へと歩き回り
  自分の憩う場所を忘れた。
  彼らを見つける者は、彼らを食った。
  敵は言った。「我々に罪はない。
  彼らが、まことの牧場である主に
  先祖の希望であった主に罪を犯したからだ」と。

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マラキ書 3. 17-18

  わたしが備えているその日に
  彼らはわたしにとって宝となると
  万軍の主は言われる。
  人が自分に仕える子を憐れむように
  わたしは彼らを憐れむ。
  そのとき、あなたたちはもう一度
  正しい人と神に逆らう人
  神に仕える者と仕えない者との
  区別を見るであろう。

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October 29, 2004

やんわりと欺瞞は満ちて満ちあふれこぼれるほどに燃ゆるろうそく

若者よ、イラク国境越えてゆき魔がさすという意味を知りたる。
やわらかき眠りの中で現実は空の彼方をせまく飛び越え
新潟の豪雪地帯ふゆのまえほうりだされてさまよわば雪
テントさえやわらかきかな神戸では雪つもりたる冬はなかりき
難民よ、生きているから大変と一瞬の死のブルースを聞く
晴れやかな秋の空には茜雲うっすらとして美しすぎる
晴れやかな秋の庭には美しき小鳥の声の聞こえしものを
じわじわと制限時間あるような新潟の秋冬も近より
台風は予測できると言われても天気図ながめ静かな空よ

マラキ書 3. 17-18

関西は地震がないと言っていたリピートを聴く遥かむかしよ
日本には平和憲法あるからと雪祭り思う自衛隊かな
自衛隊被災地あるく隊員に爆弾飛ばす人はなかりき
イラクって外国なのと何となくとんちんかんに感じるイラク
復興にこんな大金つかっても石油は値上げ わからない秋
ふゆのまえ難民のよう新潟は住む家もなくゆきふりつもる
敷島のわざわいのなか彼波へとレスキュー送り爆弾もらう

やんわりと欺瞞は満ちて満ちあふれこぼれるほどに燃ゆるろうそく
若者よ、死の館へと招かれし真実をみて凍える砂漠
魔がさすという意味を知る砂漠には憐れみのない微笑みのあり

ひねもすは書類手続き追われては鍵忘れた子ランドセル置き
玄関のチャイム鳴らして立ち去りし帽子男は何しに来たか

エレミヤ書 50. 6-7

大輪のパンジー並ぶ店先を大型バケツ買って運びぬ
紫陽花のネルの浴衣を眺めては冬着るものと仕舞いこみたる
サルビアの燃えるこみちを曲がりたる秋の茜の薄日眩しく
拡大す生活こみち三角州まよいみちゆく気まぐれな秋

関西は死んだからねと怒るなよ静かな冬を待つ被災あり
関西が一番なのか被災地は不幸自慢は盲目の秋
スーパーの片隅にある募金箱ひっそりとして空き箱のよう
募金箱書かれた文字をながめてはこれはどこかと読みながしたり
赤い羽根終わったばかり募金箱被災地多き憂鬱な文字
スーパーの高い野菜を眺めてはのんびりとした被災もありき

使徒言行録 10. 24-33

関西と新潟、か。
イラク。
新潟のほうが大変そうだね・・って言っただけで叱られたぞ?
あーやだやだ。関西人ってやつは。
実際に被災していたら、そんなことは言っていられないか。
なんか、もう、うんざり。
いやし、求められたくない。

弟よ、母のことなど忘れろとあっさり語る冷たいあたし
ちゃーちゃんは幸せだよね、叔母は言う。母の浴衣にアイロンかける。
鬱蒼と子に捨てられたと言うような宙浮く視線悔し涙か
叔父さんは心筋梗塞オペしたよ浦島花子の母に語りし
見舞いすら遠のくほどにパタパタと老いてゆくよと月日はめぐる
霧の中生きていたのかわが母は幻の時生きる人あり
霧の中一人で生きたわが母は老いの意味さえ病に消える
病床の母に子離れ説きながら視線を逸らす母を感じる
いつまでも親なんだからと口拭きに赤ちゃん用のコットンを買う
意識とは残酷なものいつの日か老いた自分を突き落とす崖

ペトロの手紙 一 4. 7-9

不幸なら不幸の柵で囲みゆけ不幸の園を荒さぬように

じこちゅうって素晴らしいね。あーあ。世の中で不幸なのは自分だけ。皆が止めるのに、どうして悪魔の園へ行くか?愛されているとか、大切にされているとか、心配されているとか、生きているとか、自分が生きている値打ちを知りたいのかも。

じこちゅうにふりまわされてひねもすはパンジーの苗買うひまもなく
秋の日は親の世話より花の世話しているほうが平和な気分

やっぱね・・・あの人のこと嫌いなのよ、あたしは。

母という実感もなく育ちたる吾はわが母あの人と呼ぶ
幼き日母のぬくもり知らざれば母の愛すら空に浮きたる
淡々と他人の世話をするように袋たずさえ病床歩く
嫁よりもましかもしれぬ娘なら憎むことすら淡くなりゆく

ホセア書 7. 14

自衛隊物資運んで今日もゆく愛の形は50億円
いつまでも成長しないわが国を遠くながめて母国で暮らす

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October 28, 2004

エレミヤ書 46. 13-14

  主が預言者エレミヤに語られた言葉。バビロンの王ネブカドレツァルがエジプトの国を撃つために出陣することについて。
  エジプトで告げ、ミグドルで知らせよ。
  メンフィスとタフパンヘスで知らせて言え。
  「隊を整え、準備せよ。
  剣はお前の周囲を食い尽くす。」

投稿者 Blue Wind : 02:57 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 119. 157-159

  わたしを迫害する者、苦しめる者は多いが
  わたしはあなたの定めから離れません。
  欺く者を見れば忌むべきものと思います。
  彼らはあなたの仰せを守りません。
  御覧ください
      わたしはあなたの命令を愛しています。
  主よ、慈しみ深く
      わたしに命を得させてください。

投稿者 Blue Wind : 02:54 AM | コメント (0) | トラックバック

ホセア書 6. 1-6 偽りの悔い改め

  「さあ、我々は主のもとに帰ろう。
  主は我々を引き裂かれたが、いやし
  我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
  二日の後、主は我々を生かし
  三日目に、立ち上がらせてくださる。
  我々は御前の前に生きる。
  我々は主を知ろう。
  主を知ることを追い求めよう。
  主は曙の光のように必ず現れ
  降り注ぐ雨のように
  大地を潤す春雨のように
      我々を訪れてくださる。」

  エフライムよ
      わたしはお前をどうしたらよいのか。
  ユダよ、お前をどうしたらよいのか。
  お前たちの愛は朝の霧
  すぐに消えうせる露のようだ。
  それゆえ、わたしは彼らを
      預言者たちによって切り倒し
  わたしの口の言葉をもって滅ぼす。
  わたしの行う裁きは光のように現れる。
  わたしが喜ぶのは
      愛であっていけにええはなく
  神を知ることであって
      焼き尽くす献げ物ではない。

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イザヤ書 30. 27-33 アッシリアに対する審判

  見よ、主の御名は遠くから来る
  怒りに燃え、立ち昇る濃い煙を伴って。
  その唇は憤りに満ち
  舌は焼き尽くす火のようだ。
  主の霊は、首にまで達する水が
  涸れ谷にみなぎり溢れるように臨む。
  主は国々を欺きのふるいでふるい
  迷わす手綱を諸国民の顎にかけられる。
  あなたたちは祭りを祝う夜のように歌い
  笛に合わせて進む者のように心楽しみ
  主の山に来て
  イスラエルの岩なる神にまみえる。
  主は威厳のある声を聞かせ
  荒れ狂う怒り、焼き尽くす火の炎
  打ちつける雨と石のような雹と共に
  御腕を振り下ろし、それを示される。
  主がその鞭をもって打たれるとき
  アッシリアは主の声におののく。
  主が彼に下そうと定められた
  杭の一打ちごとに
  太鼓と竪琴が鳴らされ
  主は御腕を振るって彼らと戦われる。
  焼き場は既に用意され
  王のために深く広く造られ
  燃やすための木が積まれ
  多くの薪が置かれ
  主の息が焼き尽くす硫黄の流れのように
      そこに臨む。

投稿者 Blue Wind : 02:44 AM | コメント (0) | トラックバック

ルカによる福音書 21. 1-6

  やもめの献金
  イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」

  神殿の崩壊を予告する
  ある人たちが、神殿を見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」

投稿者 Blue Wind : 02:36 AM | コメント (0) | トラックバック

October 26, 2004

選歌か・・・

他人のしていることを観察していると面白い。題詠マラソンを完走して、改めて「沿道」という意味を知る。これってきっと結社などでは普通なんだろうな、と、相変わらずとんちんかんなことを考える。選歌したり、コメントを書いたり・・・そういう当たり前のことがものめずらしい。
短歌を詠み始めたきっかけが、サイトのコンテンツをつくってくれるから、というのがそもそもの動機なのだから、おそらくはそれを理解してもらおうとするほうが不可能に近いかも。歌人どころか、自分の場合、あっさり語ると短歌や俳句といった和歌の類が嫌い。「嫌いな人が何をやっているの?」と問われたら、なんて答えたらよいのか困る。ある日不意にインスパイアされて歌人になってしまった、としか語れない。
こういうのって誰にでもあると思う。ネットを始めたのだって、もともとが機械嫌いなのに、ある日突然ちょっとやってみよっかなーというか・・・ある日突然、何となく違うことをやってみたくなることって誰にでもある気がする。そういう他愛もない出来事の一つが短歌だったとしか語れない。

おそらくは時空の管理人が言いたかったのもそういうことなのかも。恋歌のサイトがあって、何となく親しくなり短歌をコンテンツにする。そこにいろいろな人たちの歌を集め、BBSに投稿してもらった歌などをさらにコンテンツやサイトに仕上げる。それを各人のサイトなどにリンクすると、何となく短歌仲間というより、ウェブ仲間という雰囲気のまま広がる。それだけ。
実際のところ、短歌を詠んでいるというより、BBSで歌のやりとりをしているくらいの感覚しかないし、コメントも選歌もない。管理人の好みで年間一首選というのはあった記憶があるけど、その時もどうしてその歌なのかなーと思っただけ。

たしか題詠や競詠というのもあったような・・・題詠じゃないな、たしかイラスト見て歌を詠むという企画じゃなかったかな。これは失敗した模様。歌が集まらない。わたしですら素通り。そういう「うたくらべ」みたいなニュアンスに抵抗があったのと、何となくイラストが好みではなかったのかも。よく覚えていない。
とにかく、コメントや競詠は人気がない。ライトな感覚のほうが楽しいからかも。それと、自分でてきとーに投稿したものをアップしてくれるので、気楽なのかもしれない。詩の投稿もOKだし・・・短歌である必要もない。そういうクロスカルチュラルな雰囲気は楽しい。

そういうウェブの気楽な世界から、何となく結社へ行ってみても、互いに理解しあえるものがなくても仕方がないような気さえする。それでいて、選歌してもらうと、自分がそれっぽい歌を詠んでいることもあることに気が付く。要するに、誰が詠もうと短歌は短歌。どこで詠もうと変わらない。それでいて、なんて言ったらよいのだろう・・・好みってあるのね。選歌する人の好み。おそらくは年齢やスタイルによって違うのかもしれないし、今度はそういうのを眺めていることが面白い。
あの夥しい数の歌の中から選歌する。考えただけでも大変な気がするんだけど、実際のところどうなんだろう・・・真似でよければそのうちふら〜っとやってみたい。とんちんかんな選び方するかもしれないし、常識的な選び方をするかもしれないし、そういうことをやったことがないから自分でもまるでわからない。もしかすると、そうやって自分の詠みたい歌の世界が見えてくるのかも。
考えよう。

投稿者 Blue Wind : 11:44 PM | コメント (0) | トラックバック

白い陽の輝きのなかいくえにも織りなす色は融けゆくばかり

時空短歌への嫌がらせがまだ続いていたんですね。とうの昔に解散したからすでに終わったかと思っていたんですけど。要するに攻撃する場所と言い訳がほしいだけなのかもしれません。合掌。

良いことをしても悪いことをしても何もしなくても何か言われる、ということに慣れてしまうと何も気にならなくなってしまう、ということがうまく説明できないです。

何が気に入らないんでしょうね?
やれやれ・・・・

ルカによる福音書 21. 1-6

ふたつ、か。

うららかな陽射しの中で趨勢は風のゆくえをみる部屋の中
先生がネット好きでも嫌いでもネット歌人はおきらくに詠む
こんな歌つまらないよと言われてもCGIは歌積み上げる
枡野風なんでこっちに上げるんだそりゃダメダメさ歌壇知らずか
先生の好きな歌だけ詠んでろと破門と波紋魅力の歌壇
下積みの苦労もなくば成り上がり徒弟制度はいづこへつづく

歌を詠むのはまったく苦にならないんだけど、なんて言うのかしら・・・なんかつらい。
なんであんなにこころこころとうるさいのかわかってきた。つまりは、歌のじょうず下手だけだから・・・基本が。その人にとっては大切な歌かもしれないけど、下手だとボロカス。まあ、じょうずな人でもボロカスに言われていると言われてしまうとそれまでですけど。

ひっそりとど派手な花の咲いている時空の園は荒されまくり

イザヤ書 30. 27-33 アッシリアに対する審判

怒ってもなぁ・・・・むだむだ。
下手だから、りんさんりんさんと言ってくれるわけだ。今でも十分下手なんですけど(念のため)。
大抵の人たちはボロカスに言われてまで歌なんて詠まないから・・・そこなんだろうな。ボロカスに言われてもまだ必死によい歌を詠みたいと思っている人たちがいるってこと自体がヘンなのかも。

悔しけりゃいい歌詠めと言われても悔しくないのおほほのこのこ

ホセア書 6. 1-6 偽りの悔い改め

白石はまっすぐゆくよわがみちをのらくらとした風の吹くみち
箱の中閉じ込められた光には三原色の輝くばかり
面色と光の世界原色の色も違うと光は語る
白い陽の輝きのなかいくえにも織りなす色は融けゆくばかり
北窓の昼間の部屋は明るくも影ものびずにひっそりとあり
バリの昼まばゆい光北窓は微妙な角度描いておりし
御聖堂に向かい合っては室外機並んだ道をのんびり眺む
雨の日のビニール傘は誰のもの名前なき傘あちこちにあり
わが傘と怒ってみても諦めて雨の降る道友の傘あり
執着を失いたれば貪欲になれと言われる学問の道
ポイントの微かにずれたわが園を言の葉にして降らせて沈む
みひかりにつつまれた園いつの日かパレスの部室消えて久しく

詩編 119. 157-159

迫害、いじめの権化。

憐れみのこころのありき門の中石打つだけの門の外かな
信仰の小さき吾もいつの日か打たれることを学んでおりし
かの月日打たれることの苦しみと悲しみのなか憐れみを知る
理不尽に嘆きゆけどもひねもすは不自由という自由のありき
みこころに小指一本引っ掛けて胸の奥底言の葉ねむる
子守歌流れるように『アヴェ・ヴェルム・コルプス』の意味いまだ知らざる
憐れみをもとめし神のみそのには言の葉さえも七色の虹
あれこれと語るもむなし月日には憐れみを知る押し黙る牡蠣

こういう神の愛の学び方はつらい。

憐れみをほっぷすてっぷじゃんぷしてみそら通信届くのを待つ

エレミヤ書 46. 13-14

ひゃー。

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October 25, 2004

コヘレトの言葉 6. 1-12

  太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのをわたしは見た。ある人に神は富、財宝、名誉を与え、この人の望むところは何ひとつ欠けていなかった。しかし神は、彼がそれを自ら享受することを許されなかったので、他人がそれを得ることになった。これまた空しく大いに不幸なことだ。
  人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。
  しかし、長生きしながら、財産に満足もせず
  死んで葬儀も出してもらえなかったなら
  流産の子の方が好運だとわたしは言おう。
  その子は空しく生まれ、闇の中に去り
  その名は闇に隠される。
  太陽の光を見ることも知ることもない。
  しかし、その子の方が安らかだ。
たとえ、千年の長寿を二度繰り返したとしても、幸福でなかったなら、何になろう。すべてのものは同じひとつの所に行くのだから。

  人の労苦はすべて口のためだが
  それでも食欲は満たされない。
  賢者は愚者にまさる益を得ようか。
  人生の歩き方を知っていることが
      貧しい人に何の益となろうか。
  欲望が行きすぎるよりも
      目の前に見えているものが良い。
  これまた空しく、風を追うようなことだ。

  これまでに存在したものは
      すべて、名前を与えられている。
  人間とは何ものなのかも知られている。
  自分より強いものを訴えることはできない。
  言葉が多ければ空しさも増すものだ。
  人間にとって、それが何になろう。
  短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれるものは、太陽の下にはいない。

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ホセア書 5. 8-15 戦争の罪と罰

  ギブアで角笛を
  ラマでラッパを吹き鳴らせ。
  ベト・アベンで鬨の声をあげよ。
  ベニヤミンよ、背後を警戒せよ。
  懲らしめの日が来れば
  エフライムは廃墟と化す。
  確かに起こることを
      わたしはイスラエルの諸部族に教えた。
  ユダの将軍たちは国境を移す者となった。
  わたしは彼らに、水のように憤りを注ぐ。
  エフライムは蹂躙され
  裁きによって踏み砕かれる。
  むなしきものを追い続けているからだ。
  わたしはエフライムに対して食い尽くす虫となり
  ユダの家には、骨の腐れとなる。
  エフライムが自分の病を見
  ユダが自分のただれを見たとき
  エフライムはアッシリアに行き
  ユダは大王に使者を送った。
  しかし、彼はお前たちをいやしえず
  ただれを取り去ることもできない。
  わたしはエフライムに対して獅子となり
  ユダの家には、若獅子となる。
  わたしは引き裂いて過ぎ行き
  さらって行くが、救い出す者はいない。
  わたしは立ち去り、自分の場所に戻っていよう。
  彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め
  苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで。

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ローマの信徒への手紙 15. 7-13 福音はユダヤ人と異邦人のためにある

  だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼のある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。
  「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう」
と書いてあるとおりです。また、
  「異邦人よ、主の民と共に喜べ」
と言われ、更に、
  「すべての異邦人よ、主をたたえよ。
  すべての民は主を賛美せよ」
と言われています。また、イザヤはこう言っています。
  「エッサイの根から芽が現れ、
  異邦人を治めるために立ち上がる。
  異邦人は彼に望みをかける。」
  希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれされてくださるように。

投稿者 Blue Wind : 11:05 AM | コメント (0) | トラックバック

エレミヤ書 33. 10-11

  主はこう言われる。この場所に、すなわちお前たちが、ここは廃墟で人も住まず、獣もいないと言っているユダの町々とエルサレムの広場に、再び声が聞こえるようになる。そこは荒れ果てて、今は人も、住民も獣もいない。しかし、やがて喜び祝う声、花婿と花嫁の声、感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者が、『万軍の主をほめたたえよ。主は恵み深く、その慈しみはとこしえに』と歌う声が聞こえるようになる。それはわたしが、この国の繁栄を初めのときのように回復するからである。

投稿者 Blue Wind : 10:58 AM | コメント (0) | トラックバック

レトルトのパックの蝿は飛びおるか秋の袋に夏の落とし児

滑走路飛び立つようにクルマ走る台風の道塾へと続く
雨の中病床の横積まれたるタオルの山を抱えてあるく
台風を待ちつ走るよ滑走路長雨のなかあわただしくも
いざ嵐迎えて朝はしづしづと雲のなき空晴れ間を待ため

殺虫剤撒いて悲しきネットかな蓮の上にぞ蝿の飛びをり
レトルトのパックの蝿は飛びおるか秋の袋に夏の落とし児
蛆虫の白きうねりの甘栗を白き袋に捨て外に出す
一年中栗のパックの売られては蛆虫とても閉じ込めてあり
秋の道栗の実落つる栗原を子らは通いし長きみちのり

愛のない世界の闇はがんばって叱咤激励いやしなき空
のんびりとひねもすはゆきなんでまたこんなにつらい歌詠みになる
蹴飛ばされ天上ゆかばくらくらと地獄絵図の中ひらひら逃げる
感謝しろ、誰か言ったねあたくしに・・・どーやったら感謝できるか
退廃は虚ろな影を落としてはうつむきながらわが道歩く

投稿者 Blue Wind : 12:51 AM | コメント (0) | トラックバック

October 24, 2004

天上は極楽とんぼ飛んでいる地震の日にもティッシュないよと

オトくんは猫なのかもと秋の日は布団の中か日向ぼっこか
ネコ・ピンの耳を掻いてはごろにゃんと気まぐれな犬昼寝する秋

災害はカーラジオで流れゆくアイドリングの信号待ちで
揺れ知らずクルマに揺られ信号がやっと変わった病院のみち
帰り道また揺れたのか震度6数が増えたるテレビの知らせ
検索す地震情報画面には数え切れない更新の跡
台風の被害の去りしひねもすは長く短く次の被災地
寝たきりの病室なればひねもすは被災のようすみんなでテレビ

エレミヤ書 33. 10-11

天上は極楽とんぼ飛んでいる台風の日も歯ブラシないよと
天上は極楽とんぼ飛んでいる地震の日にもティッシュないよと
りんさんはあまり来ないと言われても嵐の日には小学校さ

なんか、悲しいほど世界が違う・・・・

天上は嵐も雨も風さえも地震が来ても寝ているばかり
天上は冷えて凍える雨の中汗ばんでくる温室のよう
天上に慣れてしまえば小間使い歯ブラシ持ってのんびり通う
色白で綺麗ですねとわが母を褒めてくれるか癒しの園よ
ひねもすをベッドサイドでテレビ観てのんびり過ごす付き添いの嫁

おばあちゃんっていっても90歳だから・・・ね。ああなると家で一人でテレビ観ているよりいいのかも。病院のほうが退屈しないよね・・・うらやましい。

ローマの信徒への手紙 15. 7-13 福音はユダヤ人と異邦人のためにある

のんびりと隣のベッドの付き添いに母のようすを訊いている吾
テレビみし合間に母のようすなどナースコールをちょっと押すだけ
小間使い嵐の日にも地震にもクルマ走らせひねもすはゆく
買い物に夕餉の仕度塾通いパートないだけ優雅なあたし
親の世話誰がするかと喧嘩する気持ちもわかる下界を走る
天上は微笑みながらテレビ観て子も孫もなく就寝時間
長寿国茨城なれば病室は癒しの園の人らつどえり
親の世話六十路を過ぎて考える世界もあるか楽園のよう
ひまならば親の世話でもしなさいと年寄りに言う快感もあり
ひまだから子だの孫だの奪いあい押し付けあってひねもすはゆく

年寄りが年寄りの世話してたらいいんだよね。元気なんだから・・いやし求めるなよ。

ホセア書 5. 8-15 戦争の罪と罰

のんびりと親の世話する年寄りに甘やかされて下手な歌詠む

いたわりがあるんだよなぁ・・・さすが長寿国。100歳過ぎても元気だもの。

病室は一家団欒テレビみてすごす茶の間につづいておりし

雰囲気なんだよね・・・雰囲気。どこが違うんだか。田舎なんだろう。設備や医療は最先端だよ。言い訳がましい。そういう点で田舎って思われると腹立つほどあたしは茨城の人間になってしまった。

中央集権の縮小だからね。わがままになろう。

年寄りの残されしまま都会には老人の家建ち並びゆく

コヘレトの言葉 6. 1-12

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ヨハネによる福音書 1. 29-34 神の小羊

  その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方が、イスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、”霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『”霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

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エレミヤ書 51. 46

  お前たちは心挫けてはならない。この地で耳にするうわさを恐れるな。一つのうわさがこの年に来れば、別のうわさが次の年に来る。この地に不法が行われ、支配者と支配者が争うなど、と。

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ダニエル書 2. 15-24

この王の高官アルヨクに尋ねた。
  「どうして王様はこのような厳しい命令を出されたのですか。」
  アルヨクはダニエルに事情を説明した。ダニエルは王のもとに行って、願った。
  「しばらくの時をいただけますなら、解釈いたします。」
  ダニエルは家に帰り、仲間のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに事情を説明した。そして、他のバビロンの賢者と共に殺されることのないよう、天の神に憐れみを願い、その夢の秘密を求めて祈った。すると、夜の幻によってその秘密がダニエルに明かされた。ダニエルは天の神をたたえ、こう祈った。
  「神の御名をたたえよ、世々とこしえに。
  知恵と力は神のもの。
  神は時を移し、季節を変え
  王を退け、王を立て
  知者に知恵を、識者に知識を与えられる。
  奥義と秘儀を現し
  闇にひそむものを知り
  光は御もとに宿る。
  わたしの父祖の神よ、感謝と賛美をささげます。
  知恵と力をわたしに授け
  今、願いをかなえ
  王の望むことを知らせてくださいました。」
  それから、ダニエルはバビロンの知者皆殺しの命を受けていたアルヨクのもとに行って、こう言った。
  「バビロンの知者を殺さないでください。わたしを王様のもとに連れて行ってくだされば、王様に解釈を申し上げます。」

投稿者 Blue Wind : 10:56 AM | コメント (0) | トラックバック

October 23, 2004

激流の中で

あらしの効用ということで、誤解ついでにあれこれ。

歌壇では、一度発表した歌は2度目は発表扱いになってしまいます。ですから、いくらよい歌でもそれで賞に応募したり、雑誌や結社誌に投稿することはできません。二重投稿は禁止されています。

ところが、インターネットでは匿名であり、ネットで発表した歌は発表扱いにしないところもあります。これがとてもややこしく、オフラインで歌人として活動して行く上での障害になってしまった。

遊びで始めただけだし、時空短歌に歌壇としてのバリューがどの程度あるのかわからないです。しかしながら、自分のサイトにまでアップした歌まで発表扱いにしろとか世間は手厳しい。上の先生たちは、自分のサイトにアップしただけの歌は発表扱いにしないと言ってくれても、なかなかそこは厳しいものがあります。

コンテンツを削除すれば、アップしたことにはならないか?
さあ・・・・
自分の場合、良心というものがあるので、そこまで固執はしません。筆で詠んで、それを投歌すればよいだけのことであり、それでいて、いまだにネットが作歌の場でもあります。

このため、大きな催し、例えば題詠マラソンなどは、ネットで発表した歌も発表扱いにするということで、ルールは設定されています。わざわざそうやって断り書きを書かないとダメなほど、ネットが発表の場として見直されたのかもしれないです。
Rin
2004/10/23 (Sat) 11:25  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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歌壇へ行くと、あっさりネットを捨てる人たちが多いのは、いささかルールと常識が違うためであり、歌の質や技量とはまったく関係ない話だと思います。

とにかく、実力、なのだそうです。
次々と新しい歌を詠んでいかなければならない。
だから、ネットで「これは短歌ではない」と言われたような歌のほうが歌壇では「おもしろい」と言って評価してくれたり・・・わからん世界なのです。
Rin
2004/10/23 (Sat) 11:35  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


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それでいてね、時空でも自分のサイトでも、この歌好きです、って言ってくれた人が多かった歌は、加藤先生、選んでくれなかった。(泣)
Rin
2004/10/23 (Sat) 11:36  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


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初回は、ネットで発表した歌でもよいということだったので、何を出そうか迷った挙句、評判のよさそげなところを出したというのに・・・・(グチ)
Rin
2004/10/23 (Sat) 11:38  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


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どこでグチを耳にしたのかわからないけど(地獄耳)、ある日テレビを観ろとメールが着たので観たら、私の所属している結社の選者さんが(違うところ)二人並んで、僕はこっち、などと比較しあっている・・・・・・(絶句)
Rin
2004/10/23 (Sat) 11:41  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


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そしたら、こっちは選者はいないぞ、とばかりに別の結社から結社誌が届く・・・・(ありがとうございます)

とにかく、地獄耳、狭い、わからん、泣く、笑う。
Rin
2004/10/23 (Sat) 11:46  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


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マニアの世界なので、こうやって誰も来ないと思ってちまちまグチをこぼしていても、ふら〜っとやって来ては、誰かが読んでいるのかも・・・・・(あやしい)
Rin
2004/10/23 (Sat) 11:51  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


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とにかく、オンライン、オフラインにかかわらず、たくさんの人たちにご心配いただき、ありがとうございます。
この点において、自分はラッキーだったと思います。

それ以上に、次々と作歌を続けることのほうが極めてつらい。
ネット歌人としてのスタイルは、変えるつもりはないです。

また、時空短歌が昔のように復活することを、さりげなく神父さまからも示唆されているような気がします。

管理人さんがご病気のようなので、また元気になったら皆で遊びましょう。

ラサちゃん、お大事に。
Rin
2004/10/23 (Sat) 12:03  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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にゃーごへの投稿より

投稿者 Blue Wind : 12:47 PM | コメント (0) | トラックバック

技芸としての和歌

ここで、時空短歌を解散したにもかかわらず、いまだに時空短歌に嫌がらせをする人たちのシンプルな誤解を解くために、わたしが結社というところで何を学んだのか簡単に説明したい。

まず、まりさんの言うことは正しい。
つまり、事の発端、逆恨みの原因となった、「だれだれさんがいるからわたしは嫌です」とか、「結社であれば破門だ」とか、逆に結社ではありえないです。主宰同士が昔からライバル同士にあり、犬猿の中であることも不思議ではなく、逆にそういう長年の確執の中で、互いに競うことによりよりよい歌が詠じられてきたという世界だから、仲が悪いなら悪いなりに相手よりよい歌を詠じればよいだけの話であり、それが普通らしい。従ってそれくらいのことで騒ぐほうがヘン。
しかも、歌人がすごい。
それこそエロを追求する人もいるし、ひたすら性器の歌だけを詠んで、さすがに編集長にボツにされたとか、また、それを理解しているのがほのぼの系の歌人だったり、つまりは個性が強いというか、アクが強いのが当たり前。中には、毎日手首を切りながら歌詠んでいるんじゃないかという人やトランスの恋歌とか、正直、そういう人たちが実によい歌を詠んでいるというのが結社。ひとくせもふたくせもありそうな人たちが多い。
そういう中で、自分がどういう歌を詠みたいか?
ってことなんだろうな・・・
だから、自分の場合は、何を言われても毎月数百首を日課として詠む。聖書と共に短歌。それくらい押し通すくらいの強さと個性が必要とされているらしい。だから、逆にあまり歌を結社にあげないわりには縁が切れないのはそこのところなのかもしれないです。
Rin
2004/10/22 (Fri) 15:13  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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だから、そういう意味において、何を言われてもかまわないのである。
むしろ、勲章と思え。
時空にはクセのあるやつがいるぞ、とか、あいつはヘンと言われたなら逆に褒められていると思ってかまわない。それもまたウェブが一つの歌壇として結集していくための登竜門なのかもしれない。

アートへの道は厳しい。
文学への道は厳しい。

つるやかめの歌が詠いたいのであれば、それだけでもかまわない。
恋歌やエロが詠いたいのであれば、それだけでもかまわない。

それが一つの歌人としての個性であり、それでいて、それを誰かに無理に理解してもらおうとする必要性もない。
Rin
2004/10/22 (Fri) 15:31  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


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主宰や選者って何のためにいるのかというと、一つには常にアートの擁護者として存在している気がする。
つまりは、各人がそれぞれの歌を追求して行く中で、それぞれが高めあえるような関係性を築くために存在しているのかも。

テレビなんかの素人向けの話と結社の中とじゃ、ぜんぜん違うような気がする。
Rin
2004/10/22 (Fri) 15:44  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


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というわけで、

ラサちゃ〜ん、あらしがどうたらこうたら、
などというカキコを読んでいると、それだけでいやしを感じてしまう。

へいわ・・・
Rin
2004/10/22 (Fri) 15:52  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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にゃーごへの投稿より

投稿者 Blue Wind : 12:44 PM | コメント (0) | トラックバック

October 21, 2004

無神論神につながれ生きる人概念なくば無もなきみそら

滑走路クルマの過ぎる水のうえライトの照らす交差点かな
台風を待ちつ街中あわただし水の中ゆくクルマの過ぎる
窓叩く雨の音さえ子守歌深き深きと眠りに落つる
曇り空天気図眺め比べれど今が茨城雨あがる朝
鬱蒼と長雨降らすTOKAGEかな大きな雲は海上に抜け
悪夢かな大きな雲に覆われし日本列島TOKAGEのしっぽ
黒雲よ逃げ場なき空見あげれば窓叩く音眠りの合図
ドッグラン柵飛ばされし芝のうえ春一番のおとづれなるか
闇の中荒れ狂いたるドラム打つ雨風なればサウンドの窓

土砂崩れあってもそこにまた家を建てるんだよと誰か語りき
潰されて流されたとて住む家の新しくなる被災地の跡
あきらめは怯えながらも繋がれて逃げる場もなきひとごころかな
怒りすら繋がれし空見あげれば飛行機の音航空写真

憲法の柵の中へと沈みたる黒き鳥居は生傷の跡
こころすら死んだというかひとごころムクドリは飛ぶフン撒き散らし
こころすら死んだというか厳島嵐の水は濁りゆけども
ヒロシマに月の輪ぐまの暴れれば月の虹みるうつくしき雨

金の道潰してるんだと言っちまえ民営化などうるわしすぎる
敷島は貧乏ですのよおほほのほ。自分のことは自分でやれと。
軍隊はチャリティですの募金して。国潰れても子どもの学費。

イラクなんて金持ちなんだから、放っておいたらよいのよ。

ガソリン代値上がりすれば路線バスせっせと走るつくばねの道
世の中は欺瞞に満ちて嘘だらけ台風被害野菜の値上げ
夏の日に捨てた野菜は戻らぬとマーケット知る台風の後
豊作に浮かれて捨てたキャベツかなしょぼい野菜の並んだ店よ
統計のマジックを知る5歳の差わたしの頃は70ライン
数字とは操作されて直されて計算されてディッシュの上に
こころすら数値操作に慣れたればさじの一つで見積もりはなく

これだけ文句書いても、まだましな国なような気がする・・・

ダニエル書 2. 15-24

そういうことか・・・鵜呑みの信仰心もない代わりに、ヘンな自分を抱えて生きなければならないという・・・

無神論神につながれ生きる人概念なくば無もなきみそら
鬱蒼と有神論に走りたるアインシュタイン不可思議な空
精神は自由なんだとわたくしは概念の中走りてやまぬ
宗教を分類しては比較するひまつぶしあれ世界は狭く
信仰を武器にするかな政治家は数の論理とまぼろしの神
宗教で分類されて人の数人のこころは見えない闇路
礼拝に座れる人ら眺めては空気のような気圧のありき
幻よかたくなな空眺めては幻の人かげろうばかり
陽炎よ野澤ゆずりの頑固さは人のこころを端々に寄す
日常に神の世界の広がればあることさえも忘れて過ごす
神の愛なき世界には神神とうるさい人らムクドリになる
地下鉄にムクドリ鳴けば騒音の二倍になると言われて気づく

ややこしいこと言われないのよ・・・悩む。

下界にぞ降りてゆかばあしばやに逃げ出すように躾けられたねこ

エレミヤ書 51. 46

しょせん、根は一つ。たぶん。

結局、うちの親が奇跡的に快復しているとしましょう。ある人にすれば本人の信仰心が救ったということになるし、自分的には何か連動感があるからジーザスだという気がするし、ある人にすれば医療の力ということになるのでしょうし、どーでもええねん。

やみくもに分類されてプレートを貼られてみては店に並べり
信者数パーセンテージで書かれては数字操作を信じない吾
勢力の分布図ながむ宗教は兵力かぞえ国境となる
ひねもすは雨が降ったり曇ったり台風去って晴れ間ののぞく

ヨハネによる福音書 1. 29-34 神の小羊

投稿者 Blue Wind : 02:44 PM | コメント (0) | トラックバック

エレミヤ書 51. 27-28

  大地に旗を立て、国々で角笛を吹き鳴らせ。
  バビロンを撃つために国々を聖別し
  諸王国を呼び集めよ
  アララト、ミンニ、そしてアシュケナズを。
  指揮官を立て、バビロンを攻めよ。
  群がるいなごのように軍馬を上らせよ。
  バビロンを撃つために、国々を聖別せよ
  メディアの諸王国を、その総督とすべての長官
  また、その支配下の全土を。

投稿者 Blue Wind : 10:47 AM | コメント (0) | トラックバック

使徒言行録 20. 7-12 パウロ、若者を生き返らせる

  週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。

投稿者 Blue Wind : 10:43 AM | コメント (0) | トラックバック

October 20, 2004

ふつうの死むかえる坂のくだりみち階段のぼる母のすぎゆき

母の指まちがえて切る爪きりによけいな仕事増やして逃げる
若いのに寝たきりなのかといぶかしむ年寄りになる五年の月日
麻酔でもかかってたかといぶかしむ動かない母意識はもどり
苦しんで動かす指は爪切り中自己中なとこ相変わらずかな

薔薇の花つぎつぎと咲く秋の日は冬の寒さはまだ遠かりし
サルビアの青くたたずむ秋の庭雨うるわしく台風を待つ
暗い空明るい芝の息づく日夏の名残の花は咲きたる
ラベンダー芝いろになる雨の庭煉瓦も雨に沈みたる石
きゅうりより安い秋刀魚の並ぶ秋雨より高いざくろの木の実

使徒言行録 20. 7-12 パウロ、若者を生き返らせる

もしかすると、あたしは死んだことがあるのかも。(うそうそ)

新しい世界なんだと病室は過去を消し去り逆のベクトル
息さえもできなかったと微笑めばあきれるまでの沈黙のあり
リハビリをやってくれると婦長さんなんでここまで放っておくかと
水たまり二倍の顔にふくらめば動かすことぞいのち途絶えり
今の母普通なんだと何となく感じる午後は台風のみち
苦しみを置いてきぼりにぽっかりと時間の止まる新しい息
見渡せば寝たきりばかり並んでる病室のなか普通なんだと
時止まり生きたる人ら老いゆかばふつうの母は息もどりたる

目標が特別擁護施設なんだよね・・・・目標が。まだ病院だけど。なんか、なんと言ったらよいのだろう・・・段階があるから。それ以下の状態で5年・・・生きてるほうが不思議だ。人生の終わりが目標とは。大往生だな・・・

苦しんで生きるもよしとひねもすは無為な月日を秋風に乗せ
人生の終わりをむかえ死ぬことのふつうの月日坂をのぼれり
ふつうの死むかえる坂のくだりみち階段のぼる母のすぎゆき

エレミヤ書 51. 27-28

死へ向かって階段のぼれる人は幸せかも・・・でも、つらそ。
昔からじこちゅうで強い人だったけど、倒れても変わらんわ。

人生はますぐなみちのあるだけとうねるみちゆくわれは逃げおり

つおいんだよなぁ・・・・ぼおおおぉぉぉぉ・・・・・・

投稿者 Blue Wind : 02:19 PM | コメント (0) | トラックバック

使徒言行録 14. 1-7 イコニオンで

  イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。そして、そこでも福音を告げ知らせていた。

投稿者 Blue Wind : 09:50 AM | コメント (0) | トラックバック

エゼキエル書 25. 1-7 アンモン人への預言

  主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、顔をアンモン人に向けて、彼らに預言せよ。アンモン人に言いなさい。主なる神の言葉を聞け、主なる神はこう言われる。お前はわたしの聖所が汚され、イスラエルの地が荒され、ユダの家が捕囚となって行ったことを、あはは、と言って嘲った。それゆえ、わたしはお前を東の人々に渡して彼らに所有させる。彼らはお前の中に陣営を張り、住まいを定める。彼らはお前の果実を食べ、お前の乳を飲む。わたしは都ラバを、らくだが草をはむ所とし、アンモンの地を羊の憩う所とする。そのとき、お前はわたしが主であることを知るようになる。
  主なる神はこう言われる。お前は手を打ち、足を踏み鳴らし、イスラエルの地に対する嘲りの思いに満ちて喜んだ。それゆえ、わたしはお前に向かって手を伸ばし、お前を国々の略奪にゆだね、諸国民の中から断ち、諸国から一掃して滅ぼし尽くす。そのとき、お前はわたしが主であることを知るようになる。」

投稿者 Blue Wind : 09:45 AM | コメント (0) | トラックバック

ヨエル書 4. 9-15

  諸国の民にこう呼ばわり、戦いを布告せよ。
  勇士を奮い立たせ
  兵士をことごとく集めて上らせよ。
  お前たちの鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ。
  弱い者も、わたしは勇士だと言え。
  諸国の民は皆、周囲から集まり
  急いで来るがよい。
  −−主よ、あなたの勇士を遣わしてください。
  諸国の民が奮い立ち
  ヨシャファトの谷に上って来ると
  わたしはそこに座を設け
  周囲のすべての民を裁く。

  鎌を入れよ、刈り入れの時は熟した。
  来て踏みふつせ
  酒ぶねは満ち、搾り場は溢れている。
  彼らの悪は大きい。
  裁きの谷には、おびただしい群集がいる。
  主の日の裁きの谷に近づく。
  太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。

投稿者 Blue Wind : 09:29 AM | コメント (0) | トラックバック

ペトロの手紙 一 5. 1-11 長老たちへの勧め

  さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。
  同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、
  「神は、高慢な者を敵とし、
  謙遜な者には恵みをお与えになる」
からです。
  だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
  身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏み止まって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。力が世々限りなく神にありますように、アーメン。

投稿者 Blue Wind : 09:22 AM | コメント (0) | トラックバック

歴代誌下 7. 1-3

  ソロモンが祈り終えると、天から火が降って焼き尽くす献げ物といけにえをひとなめにし、主の栄光が神殿に満ちた。祭司たちは、主の栄光が神殿に満ちたので、神殿に入ることができなかった。イスラエル人は皆、火と主の栄光が神殿に降るのを見て、ひざまずいて敷石の上に顔を伏せ、礼拝して、「主は恵み深く、その慈しみはとこしえに」と主を賛美した。

投稿者 Blue Wind : 09:13 AM | コメント (0) | トラックバック

October 19, 2004

憐れみはいのちのほむら燃やしつつ解放区あれみそらのうえに

歴代誌下 7. 1-3

靖国参拝。
ダビデ、ソロモン、諸国の王。

また朝から中国とドンパチしてる。きりないね・・・

自分的には、国のために命をささげた人たちへの敬意や慰霊を否定するつもりはないです。いや、そうではない、あれは単なる侵略だと言われたら、たしかにそうなのかもとしか言えない。世の中どーなっているんだか・・・

そういう意味では、イスラム教もキリスト教も同罪だよ。

そういうものなのかも。少なくても戦争となったら、日頃どんなに信仰心のない人でもとたんに信心深くなってしまうという・・・あー、人間らしい。

たましいの解放区あれ山の中空の中さえ海の中さえ
信仰は自由なんだと純さんは過干渉なる大陸に吠え
ビンラディン結集してはテロリストイスラムの神崇めたてよと
クリスチャン逃げ出すようにイスラムとキリスト・エジプト、イエス・キリスト
憐れみはいのちのほむら燃やしつつ解放区あれみそらのうえに
経済で靖国参拝やめさせる不可思議な意味考えてみる
たましいは自由なんだとりんさんは解放区ゆくみそらの果てに
信仰は自由でないと思い知る秋つかのまの尾花ひろがり

やっぱ、自由にはなれないように社会はある。

ペトロの手紙 一 5. 1-11 長老たちへの勧め

長老なんて要らん。

退廃に埋め尽くされし青空は陽は隠れたり白い雨雲
たましいの解放区ゆく青空は屋根に覆われしづしづねむる
みそらへとほっぷすてっぷだんすしてうさぎの季節だんご食む秋
退廃はじいさんたちに任せたとうさぎのダンス月はかがやき
悲しみは幾千の空燃やしても虚しき夏は雨も降らずに
悲しみにさざめく波は燃ゆる海かがやくひかり日は暮れゆくと
かがやきに暮れゆく空のあるかぎり野に花は咲き波はさざめき

つばぜりあい・・・

ヨエル書 4. 9-15

なんか、やばいなぁ・・・
今回は、中国・北朝鮮、アメリカ・韓国・日本、そしてイスラム原理主義。となるとイスラエル、となると中東。なんでいきなり常任理事国なんだ?なんでアメリカの司令部を日本に置くんだ?あやしい・・・・

アメリカの一国支配を恐れては植民地たる敷島沈む
憂鬱にひねもすはゆく曇り空なんかやばいと怯えてみても
敷島よ春一番が吹くまではかたくなな空見上ぐるばかり
麗らかに散りゆく花の季節には澄み渡る空幾度広がる
退廃に胸の痛みを覚えては耳打つ音の広がるばかり
諦めよう。つばぜりあいを眺めては無駄に恋する乙女なるかな

なんか腹立つな・・・・

ムクドリよアメリカの空飛んでゆけがなりたてても広き大地さ

エゼキエル書 25. 1-7 アンモン人への預言

なんかきっとわかっていないんだとおもう気がする。

靖国の黒き鳥居の巨大さは異質なまでの悲しみありき
亡羊に空眺むればあざけりの石飛ぶこともいやしのごとく

使徒言行録 14. 1-7 イコニオンで

坊さんは、石ぶつけられても合掌してるだけだ。
いやし、か。
いやなよのなか。

投稿者 Blue Wind : 02:47 PM | コメント (0) | トラックバック

ルカによる福音書 5. 33-39 断食についての問答

  人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食をし、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」

投稿者 Blue Wind : 10:35 AM | コメント (0) | トラックバック

コリントの信徒への手紙 二 11. 1-15 偽使徒たち

  わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。いや、あなたがたは我慢してくれています。あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。
  それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。
  わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。

投稿者 Blue Wind : 10:26 AM | コメント (0) | トラックバック

マルコによる福音書 9. 1-8

また、イエスは言われた。「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」

  六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。

投稿者 Blue Wind : 10:12 AM | コメント (0) | トラックバック

ルカによる福音書 18. 9-14 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ

  自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

投稿者 Blue Wind : 10:05 AM | コメント (0) | トラックバック

October 18, 2004

子どもすら静かにねむる金曜日まぶしき光屋根となりゆく

八十路にぞ近くなりける姑はイタリア語にて歌習いたる
生きるうち学ぶことこそひまつぶしトリミングから通信大学
ひねもすを鈴木重子にゆだねれば文字打つだけの時間が流れ
聴くだけでおびただしきも歌の数いくえに積まれ時間は足りぬ
けだるくも怠惰なわれは鬱蒼と晴れた空さえまぶしすぎると
離れては近寄りたくもまた離れ雲の流れのうつろうさまよ
消費する心の量の細ければ蝿いづるよりまだましなるか
神さまはあっさり描くこころもよう 甘栗に蛆 主婦は捨てたり
ひとごころひとと思えばややこしくものにたとえてさらさらと消え
あきらめを教えてくれたわが父をあらためて今みなおしている

ルカによる福音書 18. 9-14 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ

ギャンブラー深追いすれば火傷するカードの意味を手に記したる
厳しくも破瓜の意味する傷跡は退廃という静寂のとき
あきらめは永久のみちなるしるしだとあらたないのち抱えて生きる
あきらめのわるいやつにはなるまじと父親ゆずりカードの腕よ
十字架よ光の中へ消えゆけと静かなみそら天へつづきぬ
静寂よそらの彼方にひらけゆくみちはつづきぬしあわせなみち
人生のあしあとの音ラジオから流れるような見知らぬ世界
淡々とひねもすはゆき吾のみちのんびりゆかば今の吾あり
退廃よ燃ゆる空さえ知らぬとは明るき夜には月に虹あり
さざめきは追われし者のあしおととわれを覆いし大波の去る

マルコによる福音書 9. 1-8

音のなき落雷なればウンブリア御座はひろがりまた狭すぎる
月の出も大いなる空ひろがれば気づかぬほどに気まぐれなのか
星一つ空の塵だと手毬歌つちの埃は綿帽子かな

アシジにて13日の金曜日つどえる人ら静かにねむる
子どもすら静かにねむる金曜日まぶしき光屋根となりゆく
退廃よ光の中に消えゆかばねむりの中で消えゆく光
ねむりゆく時のとまりし暗闇はあらわれしひと憐れむばかり
静寂よ暗闇の中たたずめば真昼の屋根は輝くばかり

コリントの信徒への手紙 二 11. 1-15 偽使徒たち

のんびりと話すパウロの話し声べらんめえかな聴いてみたしも
そだそだと民衆と化すわたくしは奏でるようないやしをもとめ

アンジェリコの受胎告知。
たくさんある中で、娘が選んだ絵。
案外、おちびの言うことのほうが正しいのかもしれない。
赤ちゃんの顔が怖い・・・・か。

あきらめよう。

退廃は美術館へとひろがりしみそらの彼方月の出を観る
神さまは生きているよとひねもすは投げやりな文字刻んでみても
アンジェリコうっすらと飛ぶ羽の音あかるき色はなないろの風

もう書けないよね・・・聖クララを見て、あんな風になったらいやだ、とか。つまりはさらしもの、という意味だと思う。見てしまった、ごめんなさい。ってか。

パウロ、カンバ〜ック、アンジェリコ、カンバ〜ック。ヘープミー。

ルカによる福音書 5. 33-39 断食についての問答

いくえにもたとえ話の書かれたるふふむ意味さえ生きてきこえり

投稿者 Blue Wind : 01:23 PM | コメント (0) | トラックバック

題詠マラソン2004, 083-101

083:皮
隠れ家に入りてゆく道あるようなざくろの皮のさびしき小粒
084:抱き枕
犬を抱き枕にしては顔のうえ小さな肢で目覚ましがわり
085:再会
札幌に「再会」という店ありき真珠の壁の地下鉄の音
086:チョーク
カラフルなチョークの粉のわびしけれ青い文字書きパラパラ落とす
087:混沌
混沌とすすむ道さえ混沌と朝霧のなかひかり射しにき
088:句
句読点いまだ迷いつ打ちたれば迷子のように別れゆく文字
089:歩
まどろみに歩くことさえ難ければハンドル持ちつなおまどろみつ
090:木琴
おぼろげに木琴たたくウブド風そうじゃないよと笑われながら
091:埋
早起きに埋もれながらひとりごと地震情報ぼんやり横目
092:家族
ミニピンが家族になってファミレスも入れなくなる散歩道かな
093:列
列あらば並んでみよと夏の日は暮れゆくばかりながめゆく人
094:遠
もう夏は遠く過ぎたと値札みて感じるきゅうり刻みし夕餉
095:油
バルサミコ、オリーブ油のサラダには塩も胡椒も寂しすぎるさ
096:類 
パスタ類かんべんしてよ芯ゆでのちがいを感ずイタリアの味
097:曖昧
風のみち曖昧なそら森のつき浮んで消えてふうわりと過ぎ
098:溺
サングラス落としたくないそれだけで溺れてしまった愚かなあたし
099:絶唱
耳のうえおつむのうえを飛んでいく絶唱の曲目のなかの帯
100:ネット(「インターネット」の略語としてのみご使用ください)
ネットには飽き飽きだよと思いつつテーブルのうえ文字は現れ

101
駆け足で通りし道をふりかえる余裕もなきか落雷の音

投稿者 Blue Wind : 05:11 AM | コメント (0) | トラックバック

October 17, 2004

ひよこのうた

題詠マラソンを完走。今後の予定としてはどうなるんだろうと思いながら、模様眺め。
題詠は、ニフのフォーラムで一度参加したことがあるだけであり、勝手が違うので戸惑ったのと、投歌すると選歌もしないとダメなのと、感想を述べなければならないために、そのまま一度参加しただけで終わっている。
感想をいただくとうれしいし、勉強にもなる。少なくてもわが家のアカシアが銀葉アカシア、つまりミモザということがわかっただけでも勉強になった。だから何なのさと言われてしまえばそれまでだけど、花の名前などまるで興味がないのに歌人なんだなーということがわかっただけでもましなような気がする。
それと、黙って花の咲くのを見ているだけで、季節がめぐり時間が経過するというもののあわれの世界を伝えるのが花の名前なのかも。情景。
正直、今の時代にそういう歌人がいるのかどうか謎だけど、歌の発祥を感じる。

そういうしみじみとした世界ならいやしなんだけど、実際のところは自分がいやしを求められないようにするだけで精一杯。技芸の世界なのかもしれない。もしかすると花の名前すら技芸の一つなのかもしれない。そのように感じてしまうと、バイオリンの値段を言われたくらいのつまらなさを感じてしまう。精神的ノイズの世界であり、せっかく美しい音色を楽しんでいるのに、興醒めさせるような話。どんなに歌が美しくてもノイズが発生したとたんに興醒めするのが普通のような気がするんだけど、それが当たり前だと言われてしまうと返す言葉もない。

慣れない世界なら、ほかの人たちのすることを黙って見ているだけ。実際には、何もしないで、淡々と自分の歌を詠んでいるほうがいやしなのかもしれない。もっとよいのはほかの人たちの歌を黙って読んでいることかも。とりあえず、2万首まではひよこ。詠う権利はあると思う。

投稿者 Blue Wind : 12:10 PM | コメント (0) | トラックバック

ガラテヤの信徒への手紙 4. 6-7

あなたがたが子であることは、神が「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。

投稿者 Blue Wind : 06:03 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 31. 8-9

  慈しみをいただいて、わたしは喜び踊ります。
  あなたはわたしの苦しみを御覧になり
  わたしの魂の悩みを知ってくださいました。
  わたしを敵の手に渡すことなく
  わたしの足を
      広い所に立たせてくださいました。

投稿者 Blue Wind : 06:00 AM | コメント (0) | トラックバック

使徒言行録 2. 43-47 信者の生活

  すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まって、パンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

投稿者 Blue Wind : 05:58 AM | コメント (0) | トラックバック

箴言 3. 7-10

  自分自身を知恵ある者と見るな。
  主を畏れ、悪を避けよ。
  そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり
  あなたの骨は潤されるであろう。
  それぞれの収穫物の初物をささげ
  豊かに持っている中からささげて主を敬え。
  そうすれば、主はあなたの倉に穀物を満たし
  搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる。

投稿者 Blue Wind : 05:21 AM | コメント (0) | トラックバック

ホセア書 7. 11-12

  エフライムは鳩のようだ。
  愚かで、悟りがない。
  エジプトに助けを求め
  あるいは、アッシリアに頼って行く。
  彼らが出て行こうとするとき
  わたしはその上に網を張り
  網にかかった音を聞くと
  空の鳥のように、引き落として捕らえる。

投稿者 Blue Wind : 04:50 AM | コメント (0) | トラックバック

October 16, 2004

闇夜には西瓜冷やして客を待つ小さな店の量り売りかな

昼下がり国会中継眺むれば団地の中の総会のごと
カルザイの民族衣装眺むよう赤いネクタイ首相の色か
着物着て男・女がどうたらと挨拶むなし時代遅れか
大臣のショッキング・ピンクのスーツには牡丹の花の縫いとりはなく
タクシーの中で流れる国会は話のネタと憂さ晴らしだと
百年の歴史の中で皿洗い誰がするかと平和解決
国会に陳列されたメニューには過ぎた月日の缶対決か
親の世話誰がするかと年金は介護ぐるみでぬいぐるみ着る
子の世話は託児所つくると国会は外へ外へと母を駆り立て
家の中置き去りにした植木鉢花の値高く枯れるも早く
家の中排気音だに流れれば日陰の部屋は鬱蒼とする
窓の外うつろう景色を求めては寝たふりだらけ電車の座席
携帯の着信音に驚きぬ友達いるよとうざいほどかな
雑踏にとけゆく日には子どもすら迷子のように母のそばおり

テラスドア明るい日差し差し込めば一匹の蝿いつしか消えゆ
窓の外涼しげに秋風吹かば騒音さえもテレビに消えゆ
おきらくに上京しろと言われても平和な森を離れがたしと
一日を一年にして疲れてはさまよう波はストレスの渦

ホセア書 7. 11-12

サフィニアにコデマリの咲く民家では緯度の違いを知るよしもなく
オトくんの歩いているよな散歩みち日本生まれのミニチュア・ピンシャ
英語嫌いフライドポテトで大騒ぎ似たもの同士どこかで見たり
学生街旅立ちゆかば学生の夏を迎えり賑やかな道
温泉街旅立ちゆかば旗持ちの老人歩く教会の道
サンダルをつらくも履いて十二時間サンダル履いてまた歩く道

子ら連れてデパート行って出くわせば世間話のつづきのつづき
隣家の木留守番代わり見張り番勝手に頼む植木の見張り
おきらくにローカルな街住みたれば聖書読むヒマあるやもしれぬ
厚き壁外へ外へと押し出しぬ広い空なら窓辺明るく

生きるため歩き疲れた人たちはラッシュアワーに文句も言わず
クルマには自由があると言うように246は入れてもくれず
当たり前ちょっと違うと言いたいが言っても無駄な季節はめぐる

箴言 3. 7-10

外・外・外、内・内・内、中間は共有スペース。扉の向こう。
花の種風に運ばれやって来るそんな迷惑当たり前かな
花の苗通販で買うひとときはベランダの壁嵐壊しぬ
空・空・空、空を求めて三十階。地震の止めるエレベーターかな
人の渦見知らぬ人の暮らす部屋空は広がるもはや誰もいず

かたくなにわが世界だけまもるよな狭い壁みち窒息のやみ
壊されてつくられる壁いく世紀バカバカしいほど空は広がる
壁の道窒息したるアシジかな歩き疲れて壁の鳩穴
茫洋の空にたたずむ鳩小屋に陽は射すばかり木陰求めて
壁の道鎧兜で通過せし乗せたる馬はなおものがなし
ロボットの繰り出したるかゼンマイのカタカタ走るレールのうえで
窓の外みちゆく人のなき朝は旋回する鳥屋根のうえ飛ぶ
ピザゴーグ窓なき店で焼かれたるピザの匂いとアイスクリーム
壁の道住む人のない空き家かな錆びた扉は閉ざされたまま
闇夜には西瓜冷やして客を待つ小さな店の量り売りかな
フロントも客を残して消え去るか壁の道には閉された扉
きまじめに歴史の街の佇めばけだるいひざし容赦なく撃つ
デパートのセールのような垂れ幕の壁から下がる大聖堂かな
シーソーを眺めるようなバランスの不可思議な街煌々とあり

ヘンなところなのよね・・・やはり。

使徒言行録 2. 43-47 信者の生活

そういうことか・・・
アシジまで行くと自由だから・・・・

投稿者 Blue Wind : 04:25 AM | コメント (0) | トラックバック

October 15, 2004

蝿の歌詠んで悲しき調べかなぶんぶんうなる平和な秋よ

ムクドリに月の輪ぐまに秋刀魚かなオレンジの月地震のありき
敷島よティルスなのか敷島よあきらめて夏暑き秋の日
ざくろさえ実の一つだにゆるがずにあきらめて秋高枝鋏
一匹の夏蝿飛ぶか秋の家栗の袋の置き土産かな

それにしても、凡人は悲しい。
聖書を読んでいるうちに、宮殿という言葉から「パラッツォから行け」と言われた気がした。つまり、インスパイア。ひらめき。そこまではともかく、迷った挙句、そういう名前のホテルを予約する。わけわからん・・・
おやつに甘栗の剥いてあるパックを買ったら、そこからウジがわいていたらしい。ですから、写実、なんです。困った。
高天原の山並みを思い浮かべてフランチェスコのことを考えたら、いきなりムクドリの大群が家の脇の電線に押し寄せてきてしまった。たぶん台風の前だったからかも。すごい騒音。あまりにもうるさいから、窓から見たら、飛び去った。ああ現実よ。って感じ。
旅行の前に、突然、庭を芝にされてしまってがっかりしていたら、そのお陰で今年の台風被害を免れたようで・・・ドミノ倒しの木を想像できてしまうところがおそろしい。
要するに、何が言いたいのかというと、わたしはリアリストだということかも。
今回の台風で、お隣の家の木がドミノ状態になって、それでもうちの庭の木は、ざくろの実一つ落ちなかった。
だから、聖書に書いてあることが真実だと思ってしまう。

敷島はティルスらしい・・・・しつこく開いてしまう。
秋刀魚はロシア、ムクドリ被害、台風9回上陸、月の輪ぐまがペチペチ。
あ、神さま、怒ってるな、としか思えないじゃないですか・・・リアリストとしては・・・
冗談抜きに、被害は大きいし、どうやって考えても景気は回復しそうにないし、対外支出はますますアメリカのせいで増えそうだし、年金は出なくなりそうだし、韓国にシェアを奪われそうだし、暗い未来。
昔から未来が明るかったことなんてないな・・・

詩編 31. 8-9

鳥の声世間話をするように響く午後には一匹の蝿
蝿の歌詠んで悲しき調べかなぶんぶんうなる平和な秋よ
虫の声響かぬ午後は晴れ渡り澄み渡る空光る芝庭
きしきしと刻みゆく音聞こえれば風のうた声つよく響きし

みどり葉の白く輝く季節にはクルマの音の聞こえるばかり
あまりにも平和な日にはオトくんの足音だけが庭から二階
言葉などとまってしまえスピーカー通過するみち選挙も近し
学生の階段鳴らし笑い声秋は冷たき風が吹き抜く

平和すぎて歌のネタがない。
よろこぼう。

ガラテヤの信徒への手紙 4. 6-7

投稿者 Blue Wind : 01:34 PM | コメント (0) | トラックバック

エゼキエル書 26. 1-6

  第十一年、その月の第一日に、主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、ティルスがエルサレムを嘲る。『ああ、諸国民の門であったお前は打ち破られ、わたしのものになった。わたしは富み、お前は廃れる。』それゆえ、主なる神はこう言われる。
  ティルスよ、わたしがお前に立ち向かう。
  わたしは海が波を巻き起こすように
  多くの国々をお前に立ち向かわせる。
  彼らはティルスの城壁を倒し、塔を破壊する。
  わたしはその土くれまでぬぐい去り
  ティルスを裸の岩にする。
  ティルスは海の中にある網干し場となる。
  これはわたし自身が語ったことだと
  主なる神は言われる。
  ティルスは諸国民に略奪され
  陸にある周囲の町々も剣で滅ぼされる。
  そのとき彼らは
      わたしが主であることを知るようになる。

投稿者 Blue Wind : 09:50 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 65. 6-11

  わたしたちの救いの神よ
  あなたの恐るべき御業が
  わたしたちへのふさわしい答えでありますように。
  遠い海、地の果てに至るまで
      すべてのものがあなたに依り頼みます。
  御力をもって山々を固く据え
  雄々しさを身に帯びておられる方。
  大海のどよめき、波のどよめき
  諸国の民の騒ぎを鎮める方。
  お与えになる多くのしるしを見て
      地の果てに住む民を畏れ敬い
  朝と夕べの出で立つところには
      喜びの歌が響きます。
  あなたは地に臨んで水を与え
  豊かさを加えられます。
  神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。
  あなたがそのように地に備え
  畝を潤し、土をならし
  豊かな雨を注いで柔らかにし
  芽生えたものを祝福してくださるからです。

投稿者 Blue Wind : 09:41 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 119. 41-48

        (ワウ)
  主よ、あなたの慈しみと救いが
  仰せのとおり、わたしを訪れますように。
  わたしを辱めた者に答えさせてください。
  わたしは御言葉に依り頼んでいます。
  真実をわたしの口から奪わないでください。
  あなたの裁きを待ち望んでいます。
  わたしがあなたの律法を守る者でありますように
  常に、そしてとこしえに。
  広々としたところを行き来させてください。
  あなたの命令を尋ね求めています。
  わたしは王たちの前であなたの定めを告げ
  決して恥とするところはないでしょう。
  わたしはあなたの戒めを愛し
  それを楽しみとします。
  わたしはあなたの戒めを愛し
  それに向かって手を高く上げます。
  わたしはあなたの掟を歌います。

投稿者 Blue Wind : 09:36 AM | コメント (0) | トラックバック

エゼキエル書 5. 5-13

  主なる神はこう言われる。「これはエルサレムのことである。わたしはこの都を国々の中に置き、その周りを諸国を取り巻くようにした。しかし、この都はそれらの国々よりも、いっそうわたしの裁きに逆らい、周りの諸国より激しくわたしの掟に逆らった。まことに彼らはわたしの裁きを拒み、わたしの掟に従って歩もうとしなかった。」
  それゆえ、主なる神はこう言われる。「お前たちが周りの国々よりもいっそうかたくなで、わたしの掟に従って歩まず、わたしの裁きを行わず、周りの国々で定められている裁きほどにも行わなかったので、主なる神はこう言われる。わたしもお前に立ち向かい、国々の目の前でお前の中で裁きを行う。わたしがお前に対して行うことは、わたしが今まで行ったこともなければ、またこれから再び行うこともないようなことである。それはお前が行った忌まわしいことのゆえである。
  それゆえ、お前の中で親がその子を食べ、子がその親を食べるようなことが起こる。わたしはお前に対して裁きを行い、残っている者をすべてあらゆる方向に散らせてしまう。
  それゆえ、----わたしは生きている、と主なる神は言われる----お前はあらゆる憎むべきものと忌まわしいものをもってわたしの聖所を汚したので、わたしもまた必ずお前をそり落とす。わたしは憐れみの三分の一は疫病で死んだり、飢えで息絶えたりし、三分の一は都の周りで剣にかけられて倒れ、残る三分の一は、わたしがあらゆる方向に散らし、剣を抜いてその後を追う。わたしは彼らに向かって怒れるだけ怒り、憤りに身をまかせて、恨みを晴らす。そのとき、主であるわたしが憤れるだけ憤り、熱情をもって語ったということを彼らは知るようになる。

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美しき音色のなかに身をおかば日は昇りゆき日は沈みゆく

秋の日は、気まぐれな雨、日の光、夕暮るる空、月の虹かな。
森の中さまよいゆかば大学と書かれたみちのいづこにつづく
うねうねと富士の樹海のつくばかな強引なみちふたつ造れと(おおげさ)

美しき音色のなかに身をおかば日は昇りゆき日は沈みゆく
言の葉の不毛なさまを眺みゆく言の葉のない母はいやしぞ

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October 14, 2004

炎さえ熱き冷たき色なれば透明な風ゆれる光よ

雨の中救急外来入り口で弟みつけ白衣は夫なり
張りつめたこころの糸のするするとわが手を抜けて衣となりし
祖父の顔見つけたような母の顔寝たきりにしてよく似て悲し
厚き爪黄色になって伸びゆくかいかに切ろうか悩んでみても
瞳孔の閉じた片目でわれを見る母の声さえ忘れてながく
タオルさえ何枚あると数えても数え切れない月日はながく
緊張は幾重に流れほっとするのんびりとした雨は降る降る

母の顔を見たらほっとしてよく寝てしまった・・・

酸素すら足りないからと首に孔ぎりぎりにして息はつづきぬ
喉からは食べられないと胃に孔の開けられたままお食事時間
生きるってつらいことだと思っても片目の中でわれをみつけり
野の花の咲く季節かな今はまだ枯れ果つるには陽はまぶしくて

ペンギンは身の丈あるとおばかなり信じてた頃しのびぬ絵本
メルボルン別れた頃の記憶かな父生きし頃母生きる今
残骸に積まれた月日愛しけれ瓦礫の中に埋もれる吾

雨の中置かれた旗のたたずめば子らを見送る明るき朝よ

エゼキエル書 5. 5-13

激情のながき月日のみじかけれ逃げて逃げては母を迎えり
父の死を迎えて春はいづこへと話すことさえ逃げるが先と
退廃はハイエナどもの餌の跡丘を登れば空は広がる

残骸はあらしあらしとおかしけれ笑ってやるもむなしき秋よ
過ぐ夏はあらしの歩く敷島か離れて秋は涼しげにあり

ひねもすはアコースティックに流れゆくギターのような気ままな調べ
隠れ家は点滅信号ながむれば立ち止まりたる人もなき道
音はゆく音は止まってまた走る規則正しい交差点かな
ブレーキの甲高き音流れれば勢いのあるひとつの発進
雑踏はひけゆく波の押し寄する浜辺のようなひとつの規則

詩編 119. 41-48

みことばに小指一本引っ掛けてあきらめゆかば激情の壁
炎さえ熱き冷たき色なれば透明な風ゆれる光よ

酷いこといっぱいしてるよ神さまはあなたはなぜに神に言わない
酷いこといっぱいしてるよ神さまはどこ吹く風で酷いやつかも
酷いこといっぱいしてるよ神さまは怒ってみても子どもの落書き
酷いこといっぱいしてるよ神さまはなんでわれらは悪者なのさ
酷いこといっぱいするのが神さまと気がついたなら地球はまるい

詩編 65. 6-11

酷いこといっぱいするのが神さまと気がついたなら青青き空
酷いこといっぱいするのが神さまと気がついたなら怒り空しく
酷いこといっぱいするのが神さまと気がついたなら今をよろこべ
あきらめて夕べのうちにとどまれば朝が来るには早すぎるかな
酷いこといっぱいしているよ神さまはみひかりのうちかなしき大地

エゼキエル書 26. 1-6

信号の点滅せしを眺めては音の流れを知るばかりかな

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エレミヤ書 50. 6-7

  わが民は迷える羊の群れ。
  羊飼いたちが彼らを迷わせ
      山の中を行き巡らせた。
  彼らは山から丘へと歩き回り
  自分の憩う場所を忘れた。
  彼らを見つける者は、彼らを食った。
  敵は言った。「我々に罪はない。
  彼らが、まことの牧場である主に
  先祖の希望であった主に罪を犯したからだ」と。

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詩編 69. 21-30

  嘲りに心を打ち砕かれ
  わたしは無力になりました。
  望んでいた同情は得られず
  慰めてくれる人も見いだせません。
  人はわたしに苦いものを食べさせようとし
  渇くわたしに酢を飲ませようとします。

  どうか、彼らの食卓が彼ら自身に罠となり
  仲間には落とし穴となりますように。
  彼らの目を暗くして
      見ることができないようにし
  腰は絶えず震えるようにしてください。
  あなたの憤りを彼らに注ぎ
  激しい怒りで圧倒してください。
  彼らの宿営は荒れ果て
  天幕には住む者もなくなりますように。
  あなたに打たれた人を、彼らはなおも迫害し
  あなたに刺し貫かれた人の痛みを話の種にします。
  彼らの悪には悪をもって報い
  恵みの御業に
      彼らを決してあずからせないでください。
  命の書から彼らを抹殺してください。
  あなたに従う人々に並べて
      そこに書き記さないでください。
  わたしは卑しめられ、苦痛の中にあります。
  神よ、わたしを高く上げ、救ってください。

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マルコによる福音書 12. 38-40 律法学者を非難する

  イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」

投稿者 Blue Wind : 08:59 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 117. 1-2

  すべての国よ、主を賛美せよ。
  すべての民よ、主をほめたたえよ。
  主の慈しみとまことはとこしえに
  わたしたちを超えて力強い。
  ハレルヤ。

投稿者 Blue Wind : 08:55 AM | コメント (0) | トラックバック

エズラ記 9. 1-9

  このような事があって後、長たちがわたしのもとに来て、言った。「イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません。カナン人、ヘト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人と同様に行うその住民の忌まわしい行いに従って、彼らは、自分のためにも息子たちのためにもこの地の住民の娘を嫁にし、聖なる種族はこの地の住民と混じり合うようになりました。しかも、長たる者、官職にある者がこの悪事にまず手を染めたのです。」
  わたしはこのことを聞いて、衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、ぼう然として座り込んだ。また、この捕囚の民の悪事に対するイスラエルの神の裁きの言葉を恐れる者は皆、わたしのもとに集まって来たが、夕べの献げ物のときになって、かがめていた身を起こし、裂けた衣とマントをつけたままひざまずき、わが神、主に向かって手を広げ、祈り始めた。

  「わが神よ、御前に恥じ入るあまり、わたしは顔を上げることができません。わたしたちの罪悪は積み重なって身の丈を越え、罪科は大きく天にまで達しています。先祖の時代から今日まで、わたしたちは大きな罪科の中にあります。その罪悪のために、わたしたちは王も祭司もこの地の王の支配下に置かれ、剣にかけられ、捕らわれ人となり、略奪され、辱められてきました。今日、御覧のとおりです。
  ところが今、ほんの少し前から、わたしたちの神、主の憐れみにより、わたしたちの幾人かが捕囚を免れて生き残り、あなたの聖なる所によりどころを得るようにされました。こうして、わたしたちの神はわたしたちの目に光を与え、奴隷の身にありながらも、わずかに生きる力を授けてくださいました。まことに、わたしたちは奴隷にされています。しかし、わたしたちの神はわたしたちを奴隷のまま捨て去ることなく、ペルシアの諸王がわたしたちに対して好意を抱くようにし、生きる力を与えてくださいました。こうして、ユダとエルサレムでわたしたちの神殿を再建し、廃墟を復興し、城壁を得るようにしてくださいました。

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October 13, 2004

わたくしは自由なんだと言い放つあなたのいない海の向こうは

題詠マラソンで遊んで来ました。

あれこれと話すことさえ疲るるも詠み逃げなれば咎のなかりき
つよき人よわき人など考えて透明な人いづこにいると
言には命があると言うのなら爪弾く音には何があるのか
よわき人いじめられたとよわき人いじめられたとまたよわき人
つよき人たたきつかれてたたかれてたたきのめしてまたつよき人
カタバミの黄色い花の咲いている芝対カタバミどちらの勝ちか
曇り空どうでもいいさと秋風は吹くのをやめて灰色の雨

エズラ記 9. 1-9

神の子の十字架のうえ黄昏は奴隷の頃のふるき思い出
あれこれと目を通さずに積まれしをそのままにしてひねもすを終え
あらくさを菜っ葉のように引っ張ればほうれん草の売りきれた店
海のうえどうでもいいと白雲はかげを落としてすぎゆくばかり
自由とは奴隷でないという意味か渦巻く色のいづこに消ゆる
わたくしは自由なんだと言い放つあなたのいない海の向こうは
茫洋のひろがりゆかば海のみちスコールの降るしまかげもとむ
疾風の逃げ出すようなボートには黒い波雲うちつける雨

詩編 117. 1-2

ボサノヴァを少し離れて雨の中鈴木重子のボサノヴァを聞く
サントラの流れゆく音ジャズ・ボイス、アルトの声のアベ・マリアかな
手を止めて流れる歌を聴いている怠惰な夜は雨の降る夜
雨降りの空も知らずに虫の音の聴こえぬ夜は静かな雨か
ヴィオロンの値を言われてはためいきの音色もかわるつまらない曲
しづしづと降る雨なきはものがなし犬ものたりと通りに眠る

マルコによる福音書 12. 38-40 律法学者を非難する

つよき神よわき人らを助けてはくりかえさるるよわき人らか
まじめにもなれずに生きるおろかさは奏でる虫の羽音にも似て
のらくらと逃げちまえよと草の中めだたぬように葉に沈みたる
演奏会ひらいて死んで虫たちは生きて死んだと季節はめぐる
セールスになんのごようと鬱憤を晴らしてみてもささやかな地位
スーパーのレジに並んで金払う機械のような気楽な稼業
信号のちかちか変わる交差点雨ににじんでライトは光る
神さまに信号変えてと祈っても機械はうれし雨は楽しき
信号の公平なさま眺めてはいそがぬことをよろこびに思う

詩編 69. 21-30

題詠マラソン残り18首。
そろそろCGIも6000首を越える頃。
あと14000首・・・・脱エジプト。
あと何年かかるだろう。
栗木京子さんもネットについて講演なさるみたいだし、親近感。
歌壇だと若くもないのに若い若いって言われてしまう。
まだ平均寿命の半分にもいってませんの、ほほほ、ってか。
うた浅いから、同期が20代、30代になってしまうのでせうか・・・あーやだやだ。
20代でも先輩なのよね・・・ゆううつ。
ネットだとそういうのは関係ないから・・・・きらくといえばきらくなのでせう。
死んじゃえばもっと関係ない。

いまの吾いつしか去りしいまの吾おとずるる吾いつも過去へと
もう二度と逢うこともない自分へと言の葉のこすへのへのもへじ
わがうたを読むことかたき年の頃ほめてくれるかわれという人
へそまがり下手なうただと叱っては下手なうたなどうたっているか

エレミヤ書 50. 6-7

人生はいつも不毛だ。

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題詠マラソン2004, 037-082

037:愛嬌
パグ犬はものがなしくも愛嬌の浮かべるしぐさ生まれたままか
038:連
くりかえし流れる曲の陽だまりで連なるクルマ途切れるを待つ
039:モザイク
あらしの日モザイク窓をワイパーでぬぐえど道は信号色に
040:ねずみ
檻の中ねずみのしっぽピンク色わすれてしまった記憶に眠る
041:血
血も出ない痛みの出づるわが爪を切るももどかし腫れというもの
042:映画
映画さえ腹が立つのか戦争はえらぶタイトルハリウッドなく
043:濃
濃すぎると聖母子の絵を眺めては赤ちゃんの顔怒っておりし
044:ダンス
くるりんとダンスしている吾子眺め買い物の手を宙に浮かせし
045:家元
家元をたどっていけばシナゴーグたどりつくかな聖書読む夜
046:練
いつひさし練馬ナンバー見なくなる道路をおもうつくばねの秋
047:機械
夜明けには機械仕掛けの人形は他人のようにうた詠みいづる
048:熱
サンダルの色の溶けゆく黒絵の具砂浜の熱足裏を染める
049:潮騒
潮騒の流れゆく夜は明るけれ寒き砂辺の終わらない夏
050:おんな
小おんなになってしまった吾子をみし水着の種類使い分けては
051:痛
痛みすら忘れゆくかなしづしづと影なる言葉すぎゆかば秋
052:部屋
雨垂れを耳にもとむか部屋の中虫の音さえも聴こえない夜は
053:墨
筆の先割れているなと思っても床のうえさえ墨書かれては
054:リスク
翼さえリスクがあると窓の外ながめてみても青青い空
055:日記
絵日記にビキニ描くなよ夏休み宿題を持つ吾子を見送り
056:磨
歯磨き粉液体にしろと電動は余計な仕事増やしてくれる
057:表情
寝たきりの母の顔つきながめては言の葉なくも表情変わる
058:八
八の字をハの字とならべ敷島は微かな笑みを文字につたえり
059:矛盾
がさごそと宿題やるか題詠は機械のような自己矛盾かな
060:とかげ
芝庭のとかげの影におどろきぬながき月日を共にいたのに
061:高台
隔たりは坂をのぼれり高台の崖のうえからみおろした波
062:胸元
胸元のクロスの丈をながめては縦横そろふ水平線さ
063:雷
ウンブリア声なき光落雷の広き空さえ迷い雲かな
064:イニシャル
イニシャルをおそろいにして親子かな生まれたときから変わらぬ不思議
065:水色
水色はバケツ色かな透明な水のなきまま短波長あり
066:鋼
塾通い思い出すかな鉄鋼の錆びた階段苦しげにあり
067:ビデオ
伸ばされたビデオテープをかなしげに手で巻きもどす無為というもの
068:傘
ジャノメ傘何と訊かれてわたくしも知らないくせに知ったかぶりさ
069:奴隷
自由とは奴隷のためにあるのかとアメリカを思うイラク戦争
070:にせもの
にせものの白いヴィトンをながめては新作を知るピザの斜塔か
071:追
目で追いし風のゆくえはかさこそとしずくまじりの月桂樹へと
072:海老
地中海老人つどう教会は白い柱と真っ暗な闇
073:廊
回廊をのんびり歩く遠回り割れたサンダルひきずりながら
074:キリン
あかんべをさせたら怖いキリンかなやさしき眼子らにそそげり
075:あさがお
あさがおのいつしか消えゆ裏庭の人の戻らぬ秋をむかえし
076:降
水たまり気にして降りる駐車場ぴしゃぴしゃ跳ねる雨も楽しき
077:坩堝
とかしゆく坩堝の中の灼熱におよぐさかなの幻を見る
078:洋
茫洋にあけくれた海ながむればあけくれた空ただ広がりぬ
079:整形
整形もかなわぬツツジ気まぐれに咲くのを待つか伸びるを待つか
080:縫い目
脳天がとんぼのように止まってる静止したまま縫い目なき日は
081:イラク
イラクにはグロい景色が似合うのか戦野一夜あけゆくばかり
082:軟
ほほえみの軟らかな夢みし夜は帰らぬ日々の朝をむかえり

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詩編 62. 12-13

  ひとつのことを神は語り
  ふたつのことをわたしは聞いた
  力は神のものであり
  慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と
  ひとりひとりに、その業に従って
      あなたは人間に報いをお与えになる、と。

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ネヘミヤ記 9. 10-11

  ファラオとその家来
  その国民すべてに対して
  あなたは数々の不思議と奇跡を行われた。
  彼らがわたしたちの先祖に対して
  傲慢にふるまったことを
      まことにあなたは知っておられた。
  こうしてかちえられたあなたの名声は
      今日も衰えることを知らない。
  あなたは先祖の目の前で海を二つに裂き
  海の中の乾いた地を通らせ
  追い迫る敵をあたかも石のように
  荒れ狂う水の深みに投げ込まれた。

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エレミヤ書 52. 12-23

  五月十日、バビロンの王ネブカドレツァルの第十九年のこと、バビロンの王の側近である親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。また、親衛隊の長と共に来たカルデア人は、軍をあげてエルサレムの周囲の城壁をすべて取り壊した。貧しい民の一部、民のうち都に残っていたほかの者、バビロンの王に投降した者、ほかの技師たちは親衛隊の長のネブザルアダンによって、捕囚とされ、連れ去られた。この地の貧しい民の一部は、親衛隊の長ネブザルアダンによってぶどう畑と耕地にそのまま残された。
  カルデア人は主の神殿の青銅の柱、台車、主の神殿にあった青銅の「海」を砕いて、その青銅をことごとくバビロンへ運び去り、壷、十能、芯切り鋏、鉢、柄杓など、祭儀用の青銅の器をことごとく奪い取った。また親衛隊の長は、小鉢、火皿、鉢、壷、燭台、柄杓、水差しなど、金製品も銀製品もすべて奪い取った。ソロモンが主の神殿のために造らせた二本の柱、一つの「海」、それを支える青銅の牛十二頭および台車についていえば、これらすべてのものの青銅の重量は量りきれなかった。柱についていえば、一本の柱の高さは十八アンマ、周囲は十二アンマ、空洞で厚みは指四本分であった。その上に青銅の柱頭があり、一方の柱頭の高さは五アンマ、柱頭の周りには格子模様の浮き彫りとざくろがあって、このすべてが青銅であった。もう一本の柱も同様に出来ていて、ざくろもそうであった。九十六個のざくろがぶら下がっており、格子模様の浮き彫りの周囲にあるざくろは全部で百個であった。

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マルコによる福音書 13. 1-2 神殿の崩壊を予告する

  イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

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October 11, 2004

とどまれと尾花の揺れる野原には地響きむなし風はゆきすぎ

くるりんとホップステップダンスしてピザの通りで踊れる子あり
うららかにのびやかにして帰り道嫌いなやつが家まで来たぞ
まほちゃんが好きなんですと父に言う小学生の男の子とは・・
すまし顔男子嫌いという吾子はオトくん蹴って遊んでおりし
韓国へ見合いしに行くテレビみしあれなら分かるとひとりごちても
男子校いつのまにやら共学に変わっていると学校を見る
女子大で受講可能と大学もいろとりどりに変わり果つるか
共学がお嬢さま校と言われてる不思議な言葉皆が話せり

マルコによる福音書 13. 1-2 神殿の崩壊を予告する

わが母を夫が診し時代姑に気をつかいしも娘のそばに
ひとりごに先立たれても婿がみる親の世話かな裏庭をみし
ひっそりと妻を送りし裏の家しづしづとして喪は明けてゆく

兵力が不足してたとアメリカの戯言ひびく自爆テロかな
司令部をなんで日本に持ってくる憂鬱な秋の勘違いかな
アメリカはもう要らないと将軍がなんで語るか北の国かな

シナゴーグコーランの声バチカンか見知らぬ国のとこしえにある

エレミヤ書 52. 12-23

青銅の持ち去られてはいかにせん海はまことに青青として
青銅の持ち去られてはいかにせんざくろの木には赤い実の生る
光の子うららかにしてのびやかに光の世界生きてゆかめと
秋の日の春の準備に追われては雨降り空を憂鬱にながむ
ちっぽけなわが世界かなひろびろと空はひろがり雨を降らせり
自爆テロ思ってみても悲しけれ球根植えて春を待つらむ
国連の何のためにぞあるものと拒否権つかう大国ありき
自爆テロキレる子抱え学校は危険地帯と呼ぶ者のあり
日本国我慢してるかアメリカに吾子の世代はおそろしきかな
大リーグ日本球団つぶしては竹の子のごとリーグを待ちつ
のんびりと敷島の風吹きたれば今は昔とことほぎ詠う
未来には知らぬ子ありとうつろえば過去にも知らぬ人らのおりし
隣家の木とうとう倒れてしまったと嘆けば東明るく光る

ネヘミヤ記 9. 10-11

なるようになるしかないさ地響きのくりかえしつつすぎゆくを待つ
地を揺する声さえかなし秋の日は嵐も過ぎぬ光待つ空
とどまれと尾花の揺れる野原には地響きむなし風はゆきすぎ
地球上いづこへ逃げる闇のなか日はとどまりし海はひろがり

詩編 62. 12-13

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歴代誌下 26. 16-21

  ところが、彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた。彼は主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした。祭司アザルヤは主の勇敢な祭司八十人と共に後から入り、ウジヤ王の前に立ちはだかって言った。「ウジヤよ、あなたは主に香をたくことができない。香をたくのは聖別されたアロンの子孫、祭司である。この聖所から出て行きなさい。あなたは主に背いたのだ。主なる神からそのような栄誉を受ける資格はあなたにはない。」香をたこうとして香炉を手にしていたウジヤは怒り始めたが、祭司たちに怒りをぶつけている間に重い皮膚病がその額に現れた。それは主の神殿の中にいた祭司たちの目の前、香の祭壇の前の出来事だった。祭司長アザルヤと祭司たちは皆彼の方を向いて、その額に重い皮膚病ができているのを認め、直ちに去らせた。彼自身も急いで出て行った。主が彼を打たれたからである。ウジヤ王は死ぬ日までその重い皮膚病に悩まされ、重い皮膚病のために隔離された家に住んだ。主の神殿に近づくことを禁じられたからである。そのヨタムが王宮を取りしきり、国の民を治めた。

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申命記 33. 13-17

  ヨセフのために彼は言った。
  主の祝福がその土地にあるように。
  天からは露の賜物
  下は横たわる淵の賜物
  太陽がはぐくむ賜物
  月ごとに生み出される賜物
  いにしえの山々のもたらす最上の物
  とこしえの丘の賜物
  地とそれに満ちるものの賜物
  柴の中に住まわれる方の慈しみ。
  それらすべての恵みがヨセフの頭に
  兄弟たちから選ばれた者の頭に臨むように。
  彼の角は野牛の角。
  彼は諸国の民を角で突き倒し
  地の果てにまで進み行く。
  見よ、エフライムの幾万の軍勢を。
  見よ、マナセの幾千の軍勢を。

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歴代誌下 1. 2-12

  ソロモンは、すべてのイスラエル、千人隊と百人隊の長、裁判官、全イスラエルのすべての指導者、家系の長に呼びかけ、全会衆と共にギブオンにある聖なる高台に行った。そこには、かつて荒れ野で主の僕モーセが造った神の臨在の幕屋があった。ただし神の箱は、既にダビデがキルヤト・エアリムからエルサレムに幕屋を張って備えた場所に移してあった。主の幕屋の前には、フルの孫でウリの子であるベツァルエルの造った青銅の祭壇があった。ソロモンは会衆と共に主に尋ね、そこで臨在の幕屋にいます主の御前にある青銅の祭壇に上り、その上で焼き尽くす献げ物一千頭をささげた。
  その夜、神はソロモンに現れて言った。「何事でも願うがよい、あなたに与えよう。」ソロモンは神に答えた。「あなたは父ダビデに豊かな慈しみをお示しになり、父に代わる王としてわたしをお立てになりました。神なる主よ、あなたは父ダビデになさった約束を今実現し、地の塵のように数の多い民の上に、わたしを王としてお立てになりました。今このわたしに知恵と識見を授け、この民をよく導くことができるようにしてください。そうでなければ、誰が、あなたのこの大いなる民を裁くことができましょうか。」神はソロモンに言われた。「あなたはこのことを望み、富も、財宝も、名誉も、宿敵の命も求めず、また長寿も求めず、わたしがあなたを王として立てた民を裁くために、知恵と識見を求めたのだから、あなたに知恵と識見を与える。あなたのような王はかつていたことがなく、またこれからもいない。」

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ヨブ記 37. 6-13

  神は命じられる。
  雪には、「地に降り積もれ」
  雨には、「激しく降れ」と。
  人の手の業をすべて封じ込め
  すべての人間に御業を認めさせられる。
  獣は隠れがに入り、巣に伏す。
  嵐がその蓄えられている所を出ると
  寒さがまき散らされる。
  神が息を吹きかければ氷ができ
  水の広がりは凍って固まる。
  雲は雨を含んで重くなり
  密雲は稲妻を放つ。
  雨雲はここかしこに垂れこめ
  導かれるままに姿を変え
  命じられるところを
      あまねく地の面に行う。
  懲らしめのためにも、大地のためにも
  そして恵みを与えるためにも
      神はこれを行わせられる。

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イザヤ書 30. 23-26

  主は、あなたが地に蒔く種に雨を与えられる。
  地の産み出す穀物は豊かに実る。
  その日には
  あなたの家畜は広い牧場で草をはみ
  地を耕す牛やろばは
  ふるいや箕でえり分け
  発酵させた飼葉を食べる。
  大いなる殺戮の日、塔の倒れるとき
  そびえ立つすべての山、高い丘の上に
  水路が造られて、水を運ぶ。
  主が民の傷を包み
  重い打ち傷をいやされる日
  月の光は太陽の光になり
  太陽の光は七倍になり
  七つの日の光となる。

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エゼキエル書 3. 1-8

  彼はわたしに言われた。「人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい。」わたしが口を開くと、主はこの巻物をわたしに食べさせて、言われた。「人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。」わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。
  主はわたしに言われた。「人の子よ、イスラエルの家に行き、わたしの言葉を彼らに語りなさい。まことに、あなたは、不可解な言語や難しい言葉を語る民にではなく、イスラエルの家に遣わされる。あなたは聞き取ることができない言語や難しい言葉を語る多くの民に遣わされるのではない。もしわたしがあなたをそれらの民に遣わすのなら、彼らはあなたに聞き従うであろう。しかし、イスラエルの家は、あなたに聞こうとはしない。まことに、彼らはわたしに聞こうとしない者だ。まことにイスラエルの家はすべて、額も硬く心も硬い。今やわたしは、あなたの顔を彼らの顔のように硬くし、あなたの額を彼らの額のように硬くする。

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雅歌 7. 7-10

  喜びに満ちた愛よ
  あなたはなんと美しく楽しいおとめか。
  あなたの立ち姿はなつめやし、乳房はその実。
  なつめやしの木に登り
      甘い実の房をつかんでみたい。
  わたしの願いは
      ぶどうの房のようなあなたの乳房
  りんごの香りのようなあなたの息
  うまいぶどう酒のようなあなたの口。

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October 10, 2004

吾子の髪うるわしく茶に輝けば細きうねりの赤子のように

台風の駆け足聞くかカタコトと虫の音聞けば今の空あり
ざくろの実落つるものかと気にしては静かな夜のかわらずにあり
わがみちをのんびり詠うひねもすに露はしたたる曇った夜に
牛乳をのんびり買いに出かければにぎにぎしきか嵐さる夜

雅歌 7. 7-10

奏でよう愛する歌を奏でよう寂しき夜も楽しき夜も
吾子の髪うるわしく茶に輝けば細きうねりの赤子のように
いつの日かわが手飛び出すときまではいとおしきかないのちのつづく
恋うたを奏でる日にはたのしげに響けと空はとけゆくままに
軽やかに母は笑うよいつまでも楽しげなままころころ笑う
すこしずつ育ちゆく吾子みつむればわがこころだにころころ笑う
オトくんも吾から生まれた赤子なりつぶらな瞳吾を母と思う
すくすくと恋するままに育ちたるざくろのようなつぶをみつめり
傷つけばやさしくいやす人のあるいのちのひかり風は運びぬ

エゼキエル書 3. 1-8

みこの手にひかれし夜は星ひとつ贈られたとて天は遥かに
よろこびもかなしみもまたゆうぐるるかなたの月のとなりにありき
愛はゆく愛は風なり愛は空かけあしの音雲はひろがる
地に満ちる愛の広さのあしあとは息吹のように花を咲かせり
愛でよ花、愛でよ野に立つ尾花さえゆうぐるるままそそぐ陽のなか
愛は風かなたの野にはかすみたる陽の光にはなつかしき雲
紅ごろもはおりたる人立ちたればみどりの野には雲間のひかり
愛は風なつかしき風吹きたればいまは春かと野に咲く花よ

神さまは生きているよと誓うのか五月雨むなし蝉の声泣く

イザヤ書 30. 23-26

神の国みそらのもとの野原にはひろがりし民木の葉をひろう
言の葉の木の葉にかえて舞い立てばみそらの園にいくたの民よ
みことばのつなぎし人らいくえにも土も血さえものりこえてゆく
キリストの名の下にあり落雷は悲鳴のように響きわたれり
悲しみよ愛は空から愛は風ひかりゆくすえ追い求めゆく
愛よ降れつながれし人解かれゆく愛の降る日は燃えいづほむら
愛の降る悲しみ色は何色か解かれゆく日の燃ゆる陽を待ち

ヨブ記 37. 6-13

ユダヤ人。わかった。解放の意味。最後には愛を与えられるのだと思う。壮絶・・・十字架とラテーノ。ラテーノの永い月日のウルウルを考えると、気が遠くなる。愛とユダヤ人。神の愛、か。壮絶。国もバラバラ、人種もバラバラ、聖書だけ。不思議な人たち。ユダヤ人の王。

歴代誌下 1. 2-12

ソロモンに与えたものか。わからん、謎。
識見と富。

敷島よ秋は嵐のすぎゆかば庭の木すくなありがたく思う
ドミノかな倒れる木木を思う夏われの留守なる嵐吹く庭
倒れる木のこして夏は旅立てぬ異国の空は雨も降らずに
イタリアの夏の日照りのつよさかな水持ち歩き干物のあたし

台風情報どころか、日本の選手がテレビに映らない・・オリンピック。

わざわいの天から降る日映してよ水たまる道車が走り
この苦労わけてあげたいあなたにも灼熱の中生きる人らよ
ジーザスに「あなたがた」など呼ばれてもそは誰のこと別れて読みし

申命記 33. 13-17

タリバンを攻撃しせる民の服ながめてみれば修道院のごと
イスラムを自由がないと呼ぶのなら攻撃をせよ教会のうえ
ひとつずつ悲しみのうえ砂の城築かれたなら砂粒おつる
さらさらと乾いた砂は波のうえこぼされ沈むくりかえしぬる
かたくなに閉ざされた耳うつろいを眺めゆく目のこころとまりし
敷島は敷島なりの悩みありみどり奏でる水の降るみち

歴代誌下 26. 16-21

なんで戦争に牧師さん、連れて行くんだろうね・・・あの国は。世の中で一番自由のない国なのかもしれない。わけへだてしないで、オールマイティに連れて行くのだったら、また目が変わるかも。


◇ご返歌
のらねこのあつまりきたる坂道に天使の像の海に向かいし
この坂はいつかきたよなデジャビューの記憶の彼方たぐりよせたり
この坂を上がればあると知っているいつか来た道初めての坂
石段をのぼれどみどり深ければ海はかすかに崖にうちよす

休みの日増やしてほしく3連休のちまちま増えて祝日忘るる
せかせかと歩くリズムのなつかしき敷島の地に安堵をおぼえ
パースにぞ夜間ショップの増えたれば敷島の人暮らすものがな

投稿者 Blue Wind : 07:17 AM | コメント (0) | トラックバック

あるから詠むんだろう・・・

短歌のサイトにBBSを置かなくなって久しい。きっかけは荒らしというか、なりすましが判明したので閉鎖した。
インターネット歌人に徹して、詠み人知らず、匿名、ハンドル名、といった世界なら、もともとインターネットは匿名の世界だから、そもそもがなりすましという概念がおかしい。ところが、サイトも長くなってくると、ハンドル名が筆名となってしまう。
そこまではともかく、なりすまし。これは非常に迷惑。いちいち問い合わせのメールを書けというのだろうか?「あなたが使っている○○というハンドル名でこういう内容の投稿がありました。この投稿はあなたのものでしょうか?」ってか?
通りすがりの投稿なら削除してしまえばよいのかもしれない。ところがおりしも荒らし騒動みたいになり、あっちもこっちも怒りの鉄拳みたいになっていると、その投稿がどうして自分に向けられたのかよくわからないままに受け入れてしまう。よく確かめれば単なるいたずらであり、極めて悪質にもかかわらず、問い合わせれば終わる。「それは自分の投稿ではありません。IPアドレスが違います。以後、このハンドル名は使わないことにします。何かあれば知らせてください。」

が、しかし・・・
いちいち胡散臭い投稿があったとして、それを確認しているというのはどうも・・・あほらしい。だったら、BBSは置かないに限る。
ぎょえ・・・・・一つわかったのは、どういうわけかメールフォームから投稿されたメールはスパムとして削除扱いになっている。気がついたからいいけど、もしかすると気がつかないということもあったわけで、XPにして以来、セキュリティが強化され、自動的に更新してくれるせいか、便利な反面よくわからないことが発生してしまう・・・情けない。

今の自分の心境としては、そのすべてがわずらわしい。結社に入って、あっちの先生、こっちの先生という具合にややこしいのもわずらわしいし、ネットにしてもいちいちこれはあなたの歌ですか?って訊くわけ?かんべんしてよ・・・・
かといって、ネットで仲間をつくって歌を、というのも非常にめんどう。中にはうまのあう人あわない人などいろいろいるわけで、集団でとらぶっていたりしたら、逃げ出すだけでも一苦労。

というわけで、西行のような孤高の歌人に憧れてしまう。それでいて、和歌は保護されていたわけで、それが戦争で上皇が失脚してしまったとたんに廃れてしまうという危惧が発生するというところがこれまた理解に苦しむ。
結社が廃れるとか、和歌が廃れるとか、もともと短歌や和歌にはまるで興味のなかった自分としてはどうでもいいようなことのような気がする。好きな人はまたあれこれ古い歌をひっぱりだして自分で詠み始めるだろうし、自分のようにちょっと詠んでみよっかなーという程度でも何となくのらくら続いている。

なんで詠むのか、まるで自分でもわからない。でも、あるから詠むのだと思う。こういうものがありますよ、というか、57577の定型詩が日本にもありますよ、というだけのことであり、そこに何を求めて何を詠もうとわたしの勝手だ。なんでこういう形なのかもわからないし、それでいて日本語のリズムなんだろうし、はっきり言って自由詩のほうがむずかしい。

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October 09, 2004

エレミヤ書 20. 7-18 エレミヤの告白

  主よ、あなたがわたしを惑わし
  わたしは惑わされて
      あなたに捕らえられました。
  あなたの勝ちです。
  わたしは一日中、笑い者にされ
  人が皆、わたしを嘲ります。
  わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり
  「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。
  主の言葉ゆえに、わたしは一日中
  恥とそしりを受けねばなりません。
  主の名を口にすまい
  もうその名によって語るまい、と思っても
  主の言葉は、わたしの心の中
      骨の中に閉じ込められて
  火のように燃え上がります。
  押さえつけておこうとして
      わたしは疲れ果てました。
  わたしの負けです。

  わたしには聞こえています
  多くの人の非難が。
  「恐怖が四方から迫る」と彼らは言う。
  「共に彼を弾劾しよう」と。
  わたしの味方だった者も皆
  わたしがつまずくのを待ち構えている。
  「彼は惑わされて
  我々は勝つことができる。
  彼に復讐してやろう」と。

  しかし主は、恐るべき勇士として
  わたしと共にいます。
  それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき
  勝つことを得ず、成功することはなく
      甚だしく辱めを受ける。
  それは忘れられることのない
      とこしえの恥辱である。
  万軍の主よ
  正義をもって人のはらわたと心を究め
      見抜かれる方よ。
  わたしに見させてください
  あなたが彼らに復讐されるのを。
  わたしの訴えをあなたに打ち明け
  お任せします。

  主に向かって歌い、主を賛美せよ。
  主は貧しい人の魂を
      悪事を謀る者の手から助け出される。

  呪われよ、わたしの生まれた日は。
  母がわたしを産んだ日は祝福されてはならない。
  呪われよ、父に良い知らせをもたらし
  あなたに男の子が生まれたと言って
  大いに喜ばせた人は。
  その人は憐れみを受けることなく
  主に滅ぼされる町のように
  朝には助けを求め叫びを聞き
  昼には鬨の声を聞くであろう。
  その日は、わたしを母の胎内で殺さず
  母をわたしの墓とせず
  はらんだその胎を
      そのままにしておかなかったから。
  なぜ、わたしは母の胎から出て労苦と嘆きに遭い
  生涯を恥の中に終わらねばならないのか。

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マタイによる福音書 24. 3-14 終末の徴

  イエスがオリーブの山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国の福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」

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詩編 22. 28-32

  地の果てまで
      すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り
  国々の民が御前にひれ伏しますように。
  王権は主にあり、主は国々を治められます。
  命に溢れてこの地に住む者はことごとく
      主にひれ伏し
  塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。

  わたしの魂は必ず命を得
  子孫は神に仕え
  主のことを来るべき代に語り伝え
  成し遂げてくださった恵みの御業を
      民の末に告げ知らせるでしょう。

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October 08, 2004

わがこころ鏡のごとくながむれば世のうつろいのうつるがごとし

わがこころ鏡のごとくながむれば世のうつろいのうつるがごとし
すこしずつつかれはつると虫の音はつかれもしらず秋をかなでり
彼方へとゆくすえはるか彼方へと空気のような風をおもいし
あれこれとおもいいづるをたのしめば咎のなきことおもいだしたり
さやさやと秋の風吹く頃なればゆるやかな陽はあかあかと落つ
陽はのぼり陽は落ちゆかば冬の陽のカーブ・ミラー眩しく光る
深まりし秋の気配はみどりいろいまひとときにあらしを待ちつ
エレベーター止まりし神戸三日間なにごともなくすぎゆくものの
あれこれと説明するもかったるい震度5なれどなにごともなく
ひとごころ深き眠りにつきたればなにごともなく揺れはすぎゆき
新聞よおおげさな記事載せたのかあな迷惑なおおげさな秋
あらしさえ人のいのちをうばうのとさわいでみても花は息づき
ピンセットひろうがごとくこころにはガラスの破片ちらばるものか

詩編 22. 28-32

本当はどうでもいいと思ってるあれにこれにとややこしきこと
からころと大きな庭の生簀には鯉のおよぐも海原のまえ
池のうえ歩く先には海原の広がりゆくもうつつのかたち
じゃまな池あるきにくいとおもうだけふかきおもいのかたちわするる
からころと生簀の鯉かわたくしは海はひろがるプールのむこう
浜辺にはみつあみおばさん昼寝する青青い空紺碧の海
荒海は渦潮あるよと言うよりもみつあみおばさん昼寝しており

マタイによる福音書 24. 3-14 終末の徴

危ないって言うと、わざわざ行く人いるのよね・・・

預言者もメシアもいないその国は聖なる山のたたずむばかり
楽園をひかりの海にもとむれば悪魔の棲家と海をおそれり
荒波の鮫さえおよぐ海なれば木の葉のように船はゆられし
美しき波にまもられ楽園はいにしえのままいまをことほぎ
あらあらと時代の波のうつろえばテロの爆弾おそるる島か
すこしずつ地球は狭く危険地帯ひねもすはすぎ塾通いかな
日本の子勉強ばかりしていると思ってみても隣に負ける
資源さえ持たない国というけれど天然水の空から満つる
ユダヤ人聖書一つでつなぎたる永き月日に資源の無くも
分布図を眺めるようにあわせれば平和の園をドットにもとむ

エレミヤ書 20. 7-18 エレミヤの告白

秋の夜に虫の音響く国なれど平和の国をいづこにもとむ

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使徒言行録 7. 46-48

ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、神のために家を建てたのはソロモンでした。けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。

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エレミヤ書 32. 26-44

  主の言葉がエレミヤに臨んだ。
  「見よ、わたしは生きとし生けるものの神、主である。わたしの力の及ばないことが、ひとつでもあるだろうか。それゆえ、主はこう言われる。わたしはこの都をカルデア人の手に、またバビロンの王ネブカドレツァルの手に渡す。王はこの都を占領する。この都を攻撃しているカルデア人が突入し、火を放って焼き払う。屋上でバアルに香をたき、また他の神々に酒を供えて、わたしを怒らせた多くの家を焼き払う。その初めから、イスラエルの人々とユダの人々は、わが前に悪のみを行ってきた。実にイスラエルの人々は、その手の業によって甚だしくわたしを怒らせてきた、と主は言われる。この都は、建てられた日から今日に至るまで、わたしを怒らせ憤らせてきたので、これをわたしの前から取り除く。イスラエルの人々、ユダの人々が犯して、わたしを怒らせたそのすべての悪事のゆえである。王、高官、祭司、預言者、ユダの人々、エルサレムの住民、皆同罪である。彼らはわたしに背を向け、顔を向けようとしなかった。わたしは繰り返し教え諭したが、聞こうとせず、戒めを受け入れようとはしなかった。彼らは忌むべき偶像を置いて、わたしの名で呼ばれる神殿を汚し、ベン・ヒノムの谷に、バアルの聖なる高台を建て、息子、娘たちをモレクにささげた。しかし、わたしはこのようなことを命じたことはないし、ユダの人々が、この忌むべき行いによって、罪に陥るなどとは思ってもみなかった。」

  しかし今や、お前たちがバビロンの王、剣、飢饉、疫病に渡されてしまったと言っている、この都について、イスラエルの神、主はこう言われる。
  「かつてわたしが大いに怒り、憤り、激怒して、追い払った国々から彼らを集め、この場所に帰らせ、安らかに住まわせる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。わたしは彼らに一つの心、一つの道を与えて常にわたしに従わせる。それが、彼ら自身とその子孫にとって幸いとなる。わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れることのないようにする。わたしは彼らに恵みを与えることを喜びとし、心と思いを込めて確かに彼らをこの土地に植える。まことに、主はこう言われる。かつて、この民にこの大きな災いをくだしたが、今や、彼らに約束したとおり、あらゆる恵みを与える。この国で、人々はまた畑を買うようになる。それは今、カルデア人の手に渡って人も獣も住まない荒れ地になる、とお前たちが言っているこの国においてである。人々は銀を支払い、証書を作成して、封印をし、証人を立てて、ベニヤミン族の所領や、エルサレムの周辺、ユダの町々、山あいの町々、シェフェラの町々、ネゲブの町々で畑を買うようになる。わたしが彼らの繁栄を回復するからである、と主は言われる。」

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コロサイの信徒への手紙 1. 13-16

御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のためにつくられました。

投稿者 Blue Wind : 12:34 AM | コメント (0) | トラックバック

エレミヤ書 32. 6-14 アナトトの畑を買う

  さて、エレミヤは言った。「主の言葉がわたしに臨んだ。見よ、お前の伯父シャルムの子ハナムエルが、お前のところに来て、『アナトトにあるわたしの畑を買い取ってください。あなたが、親族として買い取り、所有する権利があるのです』と言うであろう。」
  主の言葉どおり、いとこのハナムエルが獄舎にいるわたしのところに来て言った。「ベニヤミン族の所領に属する、アナトトの畑を買い取ってください。あなたに親族として相続し所有する権利があるのですから、どうか買い取ってください。」
  わたしは、これが主の言葉であることを知っていた。そこで、わたしはいとこのハナムエルからアナトトにある畑を買い取り、銀十七シェケルを量って支払った。わたしは、証書を作成して、封印し、証人を立て、銀を秤で量った。そしてわたしは、定められた慣習どおり、封印した購入証書と、封印されていない写しを取って、マフセヤの孫であり、ネリヤの子であるバルクにそれを手渡した。いとこのハナムエルと、購入証書に署名した証人たちと、獄舎にいたユダの人々全員がそれを見ていた。そして、彼らの見ている前でバルクに命じた。
  「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』と言われるからだ。」

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October 07, 2004

うねうねと畑のみちは細々と見知らぬ世界描き出しおり

震源地うちの近所にX印テレビ観て知るのんきな秋よ
地震には目も覚まさぬか地震慣れオトくんだけが怯えて吠える
カタカタとぐらりと揺れて地球かな設計ミスか天のみわざか
おおげさな震度マップをながめてはうちのとこだけしるしがないぞ
ゆれぐあい被害のどあいとあわないと不可思議に思う地震の日には
震度3震度4まで揺れぐあいぴたりとあてる自信はあるが

エレミヤ書 32. 6-14 アナトトの畑を買う

なんか、うちの真下が震源地だったとしても驚かない・・・
土地でも買おうかな・・・田舎は安い。

すすきの穂おもうぞんぶん生やしても文句言われぬ空き地をもとめ
駐車場クルマを停めて立ち話そらぞらしきもあつまる母ら
校庭をぼんやりながめ立ち話話題を見つけ空議題かな
卒業を控えた日には立ち話いつまでもつか駆け引きのごと
一つだけ年が下がった吾子を待つ群れは散らばり夕暮れの道
幼稚園園閥ありき小学校今頃知るかつくばの秋よ
小学校学閥あるか中学校いつまでつづく茨城の秋
中学校学閥あるか県立は親父の代も学閥となる
大学は関係ないと学閥は田舎暮らしの象徴となる
日の丸は天下国家のことだけと赤い羽根見て地元は捨てる

300円、けちるなよ・・・

コロサイの信徒への手紙 1. 13-16

わが町は震度5弱と言われても棚から物の落つることなく
わが町は震度5弱と言われても深き眠りにつつまれたまま
明日には地震の話広がるか気づきもしない吾子をおもいし
やんわりと天下国家を離れては国立大の統合を思う
右翼にも左翼にさえもなれないと両翼のまま楽園遠く
エチオピア行ってらっしゃい日の丸は子らを連れては働きに行く

日の丸でないとうきうきとなんて行かんだろう・・・・えらいのう。

アメリカに転勤なのよと言うようにエチオピアまで土木作業か
ささやかな山のふところ眠る町電車や道路・空路の騒ぐ
迷い道遠回りして近き道見知らぬ道をわが家へ走る
うねうねと畑のみちは細々と見知らぬ世界描き出しおり
まっすぐに与われた道ゆくよりも畑のみちは冒険のよう
浅きみち深き森へとつくばねはうねうねとして通りへいづる
迷子みち迷子の森へひっこしか侵略された騒々しいみち

エレミヤ書 32. 26-44

畑、を買うようになるのか・・・
そうなんだよね・・・仕事辞めるとみんな畑仕事しているという・・・
うちは、今のところむり。庭仕事もろくすぽできないのに・・・

ミニトマト自生する庭おどろきつ天然ハーブ雑草のごと

この数十年の間に、農家の人たちが研究所で働いて、日の丸が畑仕事しているという・・・つくばっぽい。兼業農家と寡黙な日の丸。一つのことしかできないというのがあかんのかも。学問も芸術も、畑も森も湖も、ジェットスキーも。焼き物でもしようかな・・・

御子の権威、か。
和歌も進まないというのに・・はーど。

人生は短すぎると神さまはいろとりどりの宿題を出す
子育ては遊びじゃないぞと寝不足で和歌を詠みつつ朝を迎える

はいはい、親の世話もしますよ〜、何にもしないけどね、今の時代。ほほほ。

つまらない仕事なのさといじけても遊んでいると言われてしまう
今までがおきらくすぎたとわたしたち塾へとつづく車内で黙る

使徒言行録 7. 46-48

もう、すべてが、畑。たいへん。

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October 06, 2004

イザヤ書 42. 10-17 神の勝利

  新しい歌を主に向かって歌え。
  地の果てから主の栄誉を歌え。
  海に漕ぎ出す者、海に満ちるもの
  島々とそこに住む者よ。
  荒れ野とその町々よ。
  ケダル族の宿る村々よ、呼ばわれ。
  セラに住む者よ、喜び歌え。
  山々の頂から叫び声をあげよ。
  主の栄光を帰し
  主の栄誉を島々に告げ知らせよ。
  主は、勇士のように出で立ち
  戦士のように熱情を奮い起こし
  叫びをあげ、鬨の声をあげ、敵を圧倒される。

  わたしは決して声を立てず
  黙して、自分を抑えてきた。
  今、わたしは子を産む女のようにあえぎ
  激しく息を吸い、また息を吐く。
  わたしは山も丘も廃墟とし、草をすべて枯らす。
  大河を島に変え、湖を干す。
  目の見えない人を導いて知らない道を行かせ
  通ったことのない道を歩かせる。
  行く手の闇を光に変え
  曲がった道をまっすぐにする。
  わたしはこれらのことを成就させ
      見捨てることはない。
  偶像に依り頼む者
  鋳た像に向かって
      あなたたちがわたしの神、と言う者は
  甚だしく恥を受けて退く。

投稿者 Blue Wind : 11:05 PM | コメント (0) | トラックバック

使徒言行録 26. 1-11 パウロ、アグリッパ王の前で弁明する

  アグリッパはパウロに、「お前は自分のことを話してよい」と言った。そこで、パウロは手を差し伸べて弁明した。「アグリッパ王よ、私がユダヤ人たちに訴えられていることすべてについて、今日、王の前で弁明させていただけるのは幸いであると思います。王は、ユダヤ人の慣習も論争点もみなよくご存じだからです。それで、どうか忍耐をもって、私の申すことを聞いてくださるように、お願いいたします。さて、私の若いころからの生活が、同胞の間であれ、またエルサレムの中であれ、最初のころからどうであったかは、ユダヤ人ならだれでも知っています。彼らは以前から私を知っているのです。だから、私たちの宗教の中でいちばん厳格な派である、ファリサイ派の一員として私が生活していたことを、彼らは証言しようと思えば、証言できるのです。今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを望んでいます。王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。実は私自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対しべきだと考えていました。そして、それをエルサレムに実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、賛成の意思表示をしたのです。また、至るところの会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒瀆するように強制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたのです。」

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October 05, 2004

アシジにて西行法師にであうかなでかい満月時空を超えゆ

西行法師の歌を読む。

身を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ

聖書に書かれていることと同じ。

願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ

願掛け。
保元の乱。
神仏思想。

フランチェスコとほとんど生きた時代が同じでは・・・法王謁見、伊勢奉納。

回心と言うからわからない。出家と言うとわかりやすい。騎士をやめてと言うからわからない。武士をやめてと言うとわかる。保元の乱、源平合戦、死体の山、骨肉の争い。

かかる世にかげも変わらずすむ月を見るわが身さへうらめしきかな

どんな時代でも秋の月は澄んでいたのかも・・・

シンクロニティ・・・見知らぬ者同士が、同じ時代にまったく別の場所で同じことを考える。やっぱり、あるんだなぁ・・・と。

日本の神仏思想をわるく言う人もいるけど、実は、これは西行法師の願掛け。知らなかったなぁ・・・ぜんぜん知らない。それで、本当に歌のとおりに西行が亡くなったという話も知らなかった。願掛け、だ。如月の満月の夜、桜の花の木の下で死にたい・・・お釈迦さまのように。もっとロマンチックな歌だと思っていたんですけど、なんかね。壮大なロマンすぎてわからない。
どうして伊勢神宮に歌を奉納する必要があったのか。

フランチェスコがスルタンのところへ行ったとしたら、西行は源頼朝かな。敵陣。

Sorella Morte なんて、私の貧弱な言葉では訳せないです。
あえて訳すのなら、西行の歌しかないです。

『願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ』

使徒言行録 26. 1-11 パウロ、アグリッパ王の前で弁明する

アシジにて西行法師にであうかなでかい満月時空を超えゆ
敷島をもとめて夏は陽炎の沸き立つがごとオリーブ畑
天と地が逆さにありき地球かなわがみしものの意味知りたくも
敷島にみことばみつけ法華経のつたわりしこと知るよしもなく
願わくはなにも願わぬものたれと雨の音だに流れゆく秋
みこころをひろうがごとくすこしずつ西行のうたひろいもとめり

保元の乱・・・・兄弟、親子の血の争い。ムスリムとクリスチャン。パウロ・・・なんでマリアさまが弟子の家で暮らすようになったのか。

地球の裏表でおんなじことをやっていたのか。

わざわいのふりつもる日は雨よ降れうすらぼんやりひねもすは過ぎ
いにしえを乗り越えゆかば秋風にジャニス・イアンのよくにあうかな
世界中愛する歌を求めてはひねもすはゆくカタカナ歌人
天国は極楽浄土言の葉はわかれゆくもの黄泉路は紅葉
アメリカは保守的らしい音楽は国内産でまにあうもがな

イザヤ書 42. 10-17 神の勝利

偶像崇拝=仏つくって魂いれず。
どーだ。

日本語を敷島にして置き換える難き聖書のあいうえおかな


◇ご返歌
鉄条網やぶられし窓辺置かれたるアルミカップの燃えかす一つ
置き去りに忘れ去られた岬には閉した教会一つたたずみ
風よ風舞い立つ埃窓さえも曇り空かな光は覗く
行き止まり渦巻く波のありければ深き緑に阻まれし道

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ルカによる福音書 18. 40-43

イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。

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使徒言行録 25. 23-27

  翌日、アグリッパとベルニケが盛装して到着し、千人隊長たちや町のおもだった人々と共に謁見室に入ると、フェストゥスの命令でパウロが引き出された。そこで、フェストゥスは言った。「アグリッパ王、ならびに列席の諸君、この男を御覧なさい。ユダヤ人がこぞってもう生かしておくべきではないと叫び、エルサレムでもこの地でもわたしに訴え出ているのは、この男のことです。しかし、彼が死罪に相当するようなことは何もしていないということが、わたしには分かりました。ところが、この者自身が皇帝陛下に上訴したので、護送することに決定しました。しかし、この者について確実なことは、何も陛下に書き送ることができません。そこで、諸君の前に、特にアグリッパ王、貴下の前に彼を引き出しました。よく取り調べてから、何か書き送るようにしたいのです。囚人を護送するのに、その罪状を示さないのは理に合わないと、わたしには思われるからです。」

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イザヤ書 30. 15-20

  まことに、イスラエルの聖なる方
  わが主なる神は、こう言われた。
  「お前たちは、立ち帰って
  静かにしているならば救われる。
  安らかに信頼していることにこそ力がある」と。
  しかし、お前たちはそれを望まなかった。
  お前たちは言った。
  「そうしてはいられない、馬に乗って逃げよう」と。
  それゆえ、お前たちは逃げなければならない。
  また「速い馬に乗ろう」と言ったゆえに
  あなたたちを追う者は速いであろう。
  一人の威嚇によって、千人はもろともに逃れ
  五人の威嚇によって、お前たちは逃れる。
  残る者があっても、山頂の旗竿のように
  丘の上の旗のようになる。

  それゆえ、主は恵みを与えようとして
      あなたたちを待ち
  それゆえ、主は憐れみを与えようとして
      立ち上がられる。
  まことに、主は正義の神。
  なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。
  まことに、シオンの民、エルサレムに住む者よ
  もはや泣くことはない。
  主はあなたの呼ぶ声に答えて
  必ず恵みを与えられる。
  主がそれを聞いて、直ちに答えてくださる。
  わが主はあなたたちに
  苦しみのパンと苦しみの水を与えられた。
  あなたを導かれる方は
      もはや隠れておられることなく
  あなたの目は常に
      あなたを導かれる方を見る。

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October 04, 2004

アスファルト隙間に生えたすすきの穂ひとつ逃れりアパートの塀

エゴイスト自殺するなら昼間にね夜はダメだよ人手不足さ
悲しみの果てに隠され事故死だとあの悲しみは嘘だったのか
葬式の話をすれば人生を流れ作業に確かめてみる
子育てに明け暮れたれば病床の母は味方と信じています
つなぎゆく炎なき日の屍はドライアイスがよく似合うかな
物体は消えゆくものと墓場には石が並んで枯れた花あり
生と死を隔てるものはこころだに別れ寂しくいつしか土に
言葉さえむなしきものと病室はながれる空気ながれるばかり
叔母ちゃまはひがむ子気にし考えてあの子この子と死手紙書くか
もうみんなおとななんだと思っても記憶の彼方おさなご歩く
天国はおさなご歩く夢の道あの子この子も今は老いゆく
愛もとめ寂しき親の老いゆかば重石のような壁の隔たり

イザヤ書 30. 15-20

水槽の魚のようなわたしたちいつかは海に帰るものかな
海の中魚の遺体見つからぬ陸には魚売っているけど
海の中死はあるのかと探せども死の痕跡の見つからぬ水
生命は摩訶不思議かな海と陸近くて遠い生と死のあり
アスファルト隙間に生えたすすきの穂ひとつ逃れりアパートの塀
秋の野はすすきがあうと空き地には透かし日の下並んでおりし
すすきの穂あらくさ刈りを逃れては見事に育ち他人の土地か
すすきの穂折ってもだれも叱らねど気にしてとおる他人の土地か
すすきの穂売るなよ花屋ねがわくはあらくさのまま秋風に立ち
すすきの穂取っても礼を言われるとわかっていても泥棒みたい

使徒言行録 25. 23-27

考えてみたら、なんですすきまで雑草なんだろう・・・
空き地に勝手に生えているせいかも。
空き地がないから、売っているのか。

すすきの穂罪状書きを考えてあらくさ刈りの空き地をながめ
あらくさの並んだ野にはすすきの穂落ち日の光秋を告げゆく

消えた庭あらくさすすき並んでは荒れた庭など眺めてた秋
すすきの穂植えかえたればしおれゆく野に咲く花の気まぐれいのち
蒲公英の生きているよと芝のうえ顔を出したり悩める秋よ
みこころの気まぐれなるか秋の庭あらくさすすきいかにせんかと

あまりにも手入れしやすい庭というのも悩む。

わが庭をまじめに悩むすすきの穂今年の秋は空き地にながむ
おおげさに悩んでみればすすきの穂たかがすすきかされどすすきぞ

どこにでもあるんだけどねぇ・・・・・あるから困り、ないとくやしい。

ルカによる福音書 18. 40-43

同じ話・・・

あなたの信仰があなたを救った。
盲人はたちまち目が見えるようになった。

光さす秋の野草の立ちたれば告げゆく風の音の流れり

何となくわかってきたような・・・


◇ご返歌
鉄条網すすきの原にめぐらされ空き地と呼ぶか落ち日待つ森
ちゃぶ台をテレビの前に動かして学生気分ちびのお受験

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ヨハネによる福音書 19. 16-27 十字架につけられる

  こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。
  兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、
  「彼らはわたしの服を分け合い、
  わたしの衣服のことでくじを引いた」
という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

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エゼキエル書 16. 31-34

お前はすべての四つ辻に祭儀台を設け、すべての広場に高い所を造った。お前は報酬を受け取ることを潔しとしなかったから、娼婦とは違っていた。お前は、自分の夫の代わりに外国の男と通じる淫行の妻だ。すべての娼婦に対して人は金を払う。ところが、お前はすべてお前を愛する者に、お前の方から贈り物をし、賄賂を贈り、姦淫をするために人々を四方からお前のもとに来させる。お前の姦淫は他の女たちとは逆である。だれも、お前を誘って姦淫したのではない。お前が報酬を支払われるのではなく、お前が報酬を支払っているところが逆である。

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マルコによる福音書 10. 46-52 盲人バルティマイをいやす

  一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群集と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、踊り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐに見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

投稿者 Blue Wind : 12:37 AM | コメント (0) | トラックバック

October 03, 2004

何となくエンジンのかからない秋

学校の先生と話すより、塾の先生と話すほうがいやされてしまう。謎。うまく説明できないけど、だから私立の中学を受験させると言っている人がいた。
学校へ行って、文部省の方針やカリキュラムの変更、その学校や先生の教育方針などを聞いてくるよりいやされる。学校より遥かに面倒見がよい気がするし、子どもを褒めてくれる、親の心配を解消してくれる。

娘を幼稚園へ入れたばかりの頃、なかなかバスに乗りたがらず心配になった。幼稚園の生活に慣れないのではないか、いじめられているのではないか、細かく気にすればきりがない。こういう場合、とにかくバスに乗せてくれと言われる。
ナーバスな人だとここで挫けてしまい、子どもを幼稚園へ行かせない。特に、年寄りのいる家庭に多いらしい。つまりは、泣くほどいやがっているのに無理やりというのは可哀想というのがその理由。親から見ても、そうやって感じるのだから、年寄りがいればなおさらなのかも。
後になって考えたら、親の不安が子どもに伝わるのかもしれないとか、大抵の子どもはそういうものだからとか、案外、過ぎてしまった出来事には寛大。単に、幼稚園はお母さんがいないから寂しかったらしい。こちらにしてみれば、幼稚園を変えようとか、娘を連れてほかの幼稚園を見学に行ったり、あれこれしていた気がするけど、娘はまるで覚えていない。

塾へ入れたのはよいけど、今まで学校の勉強しかしていないから、ざる。テストが終わったら、ざる。復習してくださいと塾から電話がかかってきた。
放課後練習があって、そのまま塾や習い事。学校の宿題もあるし、ヒマさえあれば友達のところに遊びに行ってしまうし、絵を描いている。ちょっときついなと思う。日曜日にも定例テストがあったり、普段の日でも補講とかね・・・ああこれが受験だということを思い出す。
学校だったらざるでもいいのよね。ところが、受験はそういうわけにはいかない。とりあえず、どこから出るのかわからないから、マルチに勉強する必要がある。しかも、学校で習っていないところからも平気で出る。
よく考えたら、娘は何も知らない。受験を理解していない、受験勉強を理解していない。中学の文化祭を観に行って、そのままそこへ入りたいと言っているだけ。そもそもが親からしても誘われ受験というか、知り合いの子がそこの中学に行っていることが多いために、何となく誘われる。
それと、幼稚園時代のママ友。不思議なことに皆して子どもを受験させることになっている。公立の小学校へ行くようになって、ものたりないらしい。うちの近所は研究関係者が多いから、案外、公立派が多い。すると、高校から入れる学校を受験させるのは愚かだときっぱり言われてしまう。それでいて、世代が下がると、今度は受験派も多くなる。そこできっぱりした人たちは、私立のほうがケアがいいからだと言い返す。
つまりはね・・・結局、大学へ行くようになってしまえば、おなじ。公立だろうと私立だろうと大差ない。何が違うかと言うと、親だと思う。話が合うとか合わないとか、要するに皆が騒いでいるのはそういうことらしい。本当に親の人生観が出てしまう気がするくらい子どもの学校選びって違う。
うちは一人娘だから、女子大でもどこでもいいんだよね・・・できれば美術方面に進学させたいけど、それもまた気まぐれな出来事かもしれないし・・・何が何でも進学校へ入れてという気力もないし、逆にそういう学校は娘には合わないと思う。そういう学校へ入れたいのであれば、むしろ公立へ行かせるべきかも・・つくばなら。
たしかに、どこを受験させるかでも、親の性格がある気がする。というわけで、誘われるということはそこの学校はうちの娘や私に向いているのかも。まるで知らん。

というわけで、あののんきな娘が本当に塾でやっていけるかどうか、そこのほうが気になる。が、しかし、皆、最初はこんなものらしいので、慣れるまでの辛抱だと先生に解説された。説得力があるのよね・・・子どもを見れば、何となく親がわかるのかも。やらせている人はもっと早くからやらせているし、親がのんきだったら子どもものんきだし、それでいて私などは逆にブレーキをかけられてしまう。我慢、我慢・・・ピアノの失敗を繰り返してはいけない。親が先走っても子どもには子どものペースがある。

ゆとり、か。
受験勉強なんて考えたら、きりないもんね。それでいて、何となくもの寂しいつくばの秋。がつがつやってきて、報われている人たちってどのくらいいるのだろう・・・わからん。

投稿者 Blue Wind : 03:25 AM | コメント (0) | トラックバック

October 02, 2004

輝ける陽を見てぞ昼輝きを歌に詠むには眩しすぎると

渦巻けば人の流れにのみこまれこころとこころぶつかり歩く
ひとりずつ大切にするものあらばひとりずつ消えかたくなな岩
十字架に吊るされし罪なすりあい贖いおうて今深き罪
かたくなに月日流れる世の中は岩を壊すか人を壊すか
渦巻けば人の流れは轟きに平和は遠く落書きの壁

見せかけの平和のうちにとどまれば天と地下とが逃げ場となりし

結局、ゆるせないんだろうな・・・

国境はカテゴライズのライン上平和のために壁を築きぬ

ヨブ記を読んで、救われるってどういう心境なんだろう・・・

イネガリテ深まりゆかばイネガリテ一生懸命報いをもとめ

救われたいのか、報われたいだけなのか、わからん。一生懸命すぎる。

愛もとめ愛し方まで忘れては百合の花さえ飾りとなりき
マレー人家族で遊ぶプーケット隣国の花わが国の花
アラブ人黒装束のランカウイ安全地帯歩くがごとく
世の中は力なんだとアメリカは兵を送りしアジア・アフリカ
こんなにも神を愛すと言われてもアラブの人は大真面目だよ
いのちがけ自爆テロかよおおまじめ彼は今頃天国なのか
こんなにも神を愛すと言われても自爆テロかよ誰の怒りか
死の数を数えてむなし人の息とくとくという心臓の音
テロリストいなくなったら世の中は平和になるとロボット歩く

いやな世の中だねぇ・・・・・ったく。

マルコによる福音書 10. 46-52 盲人バルティマイをいやす

抗生物質を持って行くだけで、神さまかも・・・アフガニスタンなら。
アメリカが一番物騒な気がしてしまう。気のせいかもしれないけど。

地上には地上のルールあるように管制塔は空港にあり
イスラムとキリスト教を比べてはためいきまじり敷島の秋
文献を眺めるように観察は文化か人か地域か空か

逆さなんだろう・・・地球は丸い。

エゼキエル書 16. 31-34

愛の押し売り。
あんたをいやすために、あたしがいるわけじゃないわよ。
ってことはさ・・・・理解を示してはいけないということなのである。
結局、自分がいやされたいから、愛を与えようとする。
そんなのいらんと言われてもむりない。
あたしだっていらん。

なにもしないこひつじ。ジーザス。
なにもないのよね・・・痕跡がなにもない。聖書ですら、弟子が書いたものらしい。
その弟子だって、たったの12人。

見たものを詠みこもうとすると、まるで反逆者になっちまう。
あーこの矛盾。
きゃーあんなのうそばっかり〜って思うあたしが間違っているのだろうか・・・かも。

ヨハネによる福音書 19. 16-27 十字架につけられる

「ユダヤ人の王」
聖書の言葉が実現するためであった。

完璧。ぶらぼー。

輝ける陽を見てぞ昼輝きを歌に詠むには眩しすぎると

聖書の言葉の実現。
聖書の言葉が実現する。

聖書の言葉を知らない。
ユダヤ人のために書かれているから、理解できない。

人間離れした静かさ。

静かさ。

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列王記上 1. 22-40

  彼女が王と話し合っている間に、預言者ナタンが来たので、「預言者ナタンが参りました」と王に告げられた。ナタンは王の前に進み出て、地にひれ伏し、言った。「わが主君、王よ、あなたは、『アドニヤがわたしの跡を継いで王となり、王座につく』と言われたのでしょうか。アドニヤは今日下って行って雄牛や肥えた家畜や羊を数多く屠り、すべての王子、将軍たち、祭司アビアタルを招きました。彼らはアドニヤの前で飲み食いしながら、『アドニヤ王、万歳』と叫びました。しかし、あなたの僕であるこのわたしと、祭司ツァドク、ヨヤダの子ベナヤ、あなたの僕ソロモンは招かれませんでした。このようなことになったのは、わが主君、王の御意向なのでしょうか。わが主君、王は、だれが御自分の跡を継いで王座につくのか、僕たちにお知らせになっていません。」
  ダビデ王は答えて、「バト・シェバをここに呼びなさい」と命じた。彼女が進み出て、王の前に立つと、王は誓った。「わたしの命をあらゆる苦しみから救ってくださった主は生きておられる。あなたの子ソロモンがわたしの跡を継いで王となり、わたしに代わって王座につく、とイスラエルの神、主にかけてあなたに立てた誓いをわたしは今日実行する。」バト・シェバは顔を地に伏せ、王に礼をして、「わが主君、ダビデ王、あなたの命がとこしえに永らえますように」と言った。ダビデ王は、「祭司ツァドク、預言者ナタン、ヨヤダの子ベナヤをここに呼べ」と命じた。彼らが王の前に出ると、王は言った。「お前たちは主君の家臣を率いて、わが子ソロモンをわたしのらばに乗せ、ギホンに下らせよ。祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこでソロモンに油を注いで、イスラエルの上に立つ王とせよ。角笛を吹いて『ソロモン王、万歳』と叫び、彼の後に従って上れ。ソロモンは来て、わたしの王座につく。わたしに代わって王となるのは彼であり、イスラエルとユダの上に立つkyん主になるようわたしは彼に命じる。」ヨヤダの子ベナヤは王に答えた。「まことに王の神、主もそう仰せになりますように。主は王と共にいてくださいました。またソロモンと共にいてくださいますように。その王座をわが主君、ダビデ王の王座より更に大いなるものにしてくださいますように。」
  祭司ツァドク、預言者ナタン、ヨヤダの子ベナヤはクレタ人とペレティ人と共に下って行った。彼らはソロモンをダビデ王のらばに乗せ、ギホンに連れて行った。祭司ツァドクは天幕から油の入った角を持って出て、ソロモンに油を注いだ。彼らが角笛を吹くと、民は皆、「ソロモン王、万歳」と叫んだ。民は皆、彼の後に従って上り、笛を吹き、大いに喜び祝い、その声で地は裂けた。

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October 01, 2004

ヨハネによる福音書 20. 1-10 復活する

  週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペテロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外へ出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。

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エゼキエル書 46. 4-10

  君主が、安息日に主にささげる焼き尽くす献げ物は、無傷の小羊六匹と無傷の雄羊一匹である。また、穀物の献げ物は、雄羊一匹について麦粉一エファ、小羊については、彼が望むだけの穀物の献げ物をささげる。また、麦粉一エファについて油一ヒンを添える。新月の日にささげるものは、無傷の雄牛一頭について一エファ、雄羊一匹についても一エファの穀物をささげねばならない。そして、小羊については、そのときに可能なだけの穀物をささげねばならない。麦粉一エファについては、油一ヒンを添える。
  君主が入るときは、門の廊を通って入り、また、そこを通って出て行かねばならない。しかし国の民が、定められた祝日に主の前に入るときは北の門を通って、礼拝に来た者は南の門を通って出て行き、南の門を通って来た者は、北の門を通って出て行かねばならない。入って来た門を通って帰ってはならない。真向かいの門から出て行かねばならない。君主は彼らの間にあって、彼らが入るときに入り、彼らが出るときに出て行かねばならない。

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