October 05, 2004

アシジにて西行法師にであうかなでかい満月時空を超えゆ

西行法師の歌を読む。

身を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ

聖書に書かれていることと同じ。

願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ

願掛け。
保元の乱。
神仏思想。

フランチェスコとほとんど生きた時代が同じでは・・・法王謁見、伊勢奉納。

回心と言うからわからない。出家と言うとわかりやすい。騎士をやめてと言うからわからない。武士をやめてと言うとわかる。保元の乱、源平合戦、死体の山、骨肉の争い。

かかる世にかげも変わらずすむ月を見るわが身さへうらめしきかな

どんな時代でも秋の月は澄んでいたのかも・・・

シンクロニティ・・・見知らぬ者同士が、同じ時代にまったく別の場所で同じことを考える。やっぱり、あるんだなぁ・・・と。

日本の神仏思想をわるく言う人もいるけど、実は、これは西行法師の願掛け。知らなかったなぁ・・・ぜんぜん知らない。それで、本当に歌のとおりに西行が亡くなったという話も知らなかった。願掛け、だ。如月の満月の夜、桜の花の木の下で死にたい・・・お釈迦さまのように。もっとロマンチックな歌だと思っていたんですけど、なんかね。壮大なロマンすぎてわからない。
どうして伊勢神宮に歌を奉納する必要があったのか。

フランチェスコがスルタンのところへ行ったとしたら、西行は源頼朝かな。敵陣。

Sorella Morte なんて、私の貧弱な言葉では訳せないです。
あえて訳すのなら、西行の歌しかないです。

『願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ』

使徒言行録 26. 1-11 パウロ、アグリッパ王の前で弁明する

アシジにて西行法師にであうかなでかい満月時空を超えゆ
敷島をもとめて夏は陽炎の沸き立つがごとオリーブ畑
天と地が逆さにありき地球かなわがみしものの意味知りたくも
敷島にみことばみつけ法華経のつたわりしこと知るよしもなく
願わくはなにも願わぬものたれと雨の音だに流れゆく秋
みこころをひろうがごとくすこしずつ西行のうたひろいもとめり

保元の乱・・・・兄弟、親子の血の争い。ムスリムとクリスチャン。パウロ・・・なんでマリアさまが弟子の家で暮らすようになったのか。

地球の裏表でおんなじことをやっていたのか。

わざわいのふりつもる日は雨よ降れうすらぼんやりひねもすは過ぎ
いにしえを乗り越えゆかば秋風にジャニス・イアンのよくにあうかな
世界中愛する歌を求めてはひねもすはゆくカタカナ歌人
天国は極楽浄土言の葉はわかれゆくもの黄泉路は紅葉
アメリカは保守的らしい音楽は国内産でまにあうもがな

イザヤ書 42. 10-17 神の勝利

偶像崇拝=仏つくって魂いれず。
どーだ。

日本語を敷島にして置き換える難き聖書のあいうえおかな


◇ご返歌
鉄条網やぶられし窓辺置かれたるアルミカップの燃えかす一つ
置き去りに忘れ去られた岬には閉した教会一つたたずみ
風よ風舞い立つ埃窓さえも曇り空かな光は覗く
行き止まり渦巻く波のありければ深き緑に阻まれし道

投稿者 Blue Wind : October 5, 2004 11:00 AM | トラックバック
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