October 26, 2004

白い陽の輝きのなかいくえにも織りなす色は融けゆくばかり

時空短歌への嫌がらせがまだ続いていたんですね。とうの昔に解散したからすでに終わったかと思っていたんですけど。要するに攻撃する場所と言い訳がほしいだけなのかもしれません。合掌。

良いことをしても悪いことをしても何もしなくても何か言われる、ということに慣れてしまうと何も気にならなくなってしまう、ということがうまく説明できないです。

何が気に入らないんでしょうね?
やれやれ・・・・

ルカによる福音書 21. 1-6

ふたつ、か。

うららかな陽射しの中で趨勢は風のゆくえをみる部屋の中
先生がネット好きでも嫌いでもネット歌人はおきらくに詠む
こんな歌つまらないよと言われてもCGIは歌積み上げる
枡野風なんでこっちに上げるんだそりゃダメダメさ歌壇知らずか
先生の好きな歌だけ詠んでろと破門と波紋魅力の歌壇
下積みの苦労もなくば成り上がり徒弟制度はいづこへつづく

歌を詠むのはまったく苦にならないんだけど、なんて言うのかしら・・・なんかつらい。
なんであんなにこころこころとうるさいのかわかってきた。つまりは、歌のじょうず下手だけだから・・・基本が。その人にとっては大切な歌かもしれないけど、下手だとボロカス。まあ、じょうずな人でもボロカスに言われていると言われてしまうとそれまでですけど。

ひっそりとど派手な花の咲いている時空の園は荒されまくり

イザヤ書 30. 27-33 アッシリアに対する審判

怒ってもなぁ・・・・むだむだ。
下手だから、りんさんりんさんと言ってくれるわけだ。今でも十分下手なんですけど(念のため)。
大抵の人たちはボロカスに言われてまで歌なんて詠まないから・・・そこなんだろうな。ボロカスに言われてもまだ必死によい歌を詠みたいと思っている人たちがいるってこと自体がヘンなのかも。

悔しけりゃいい歌詠めと言われても悔しくないのおほほのこのこ

ホセア書 6. 1-6 偽りの悔い改め

白石はまっすぐゆくよわがみちをのらくらとした風の吹くみち
箱の中閉じ込められた光には三原色の輝くばかり
面色と光の世界原色の色も違うと光は語る
白い陽の輝きのなかいくえにも織りなす色は融けゆくばかり
北窓の昼間の部屋は明るくも影ものびずにひっそりとあり
バリの昼まばゆい光北窓は微妙な角度描いておりし
御聖堂に向かい合っては室外機並んだ道をのんびり眺む
雨の日のビニール傘は誰のもの名前なき傘あちこちにあり
わが傘と怒ってみても諦めて雨の降る道友の傘あり
執着を失いたれば貪欲になれと言われる学問の道
ポイントの微かにずれたわが園を言の葉にして降らせて沈む
みひかりにつつまれた園いつの日かパレスの部室消えて久しく

詩編 119. 157-159

迫害、いじめの権化。

憐れみのこころのありき門の中石打つだけの門の外かな
信仰の小さき吾もいつの日か打たれることを学んでおりし
かの月日打たれることの苦しみと悲しみのなか憐れみを知る
理不尽に嘆きゆけどもひねもすは不自由という自由のありき
みこころに小指一本引っ掛けて胸の奥底言の葉ねむる
子守歌流れるように『アヴェ・ヴェルム・コルプス』の意味いまだ知らざる
憐れみをもとめし神のみそのには言の葉さえも七色の虹
あれこれと語るもむなし月日には憐れみを知る押し黙る牡蠣

こういう神の愛の学び方はつらい。

憐れみをほっぷすてっぷじゃんぷしてみそら通信届くのを待つ

エレミヤ書 46. 13-14

ひゃー。

投稿者 Blue Wind : October 26, 2004 01:05 PM | トラックバック
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