イエスは命のパン
「・・・・・・あなたたちがわたしをさがしているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」
***
いきなり目の前で5000人の人たちが満腹になるほどパンが出現したら、誰だって彼を追いかけてしまう。捜しているのはイエスではなくパン・・・
それが現実だよなぁ・・・
でも、飢えていなかったら?
イエスのことなんてどうでもいい、というのが本音。
それでいて、飢えた人たちがいつまでも彼を追いかけるとなると話は別?
なんかね・・・
大切なのはその先のこと。
やる気なら、やらねばならぬことだらけ。無情な時計、進みゆく針。
だるだるでいらちな人らみおくって、せっかちすぎるわれをおもいし。
サンダルが分解されてぐるぐるとオトがくわえてふりまわしてる
あきらめて、それが犬だとあきらめて、すこし気分がすぐれたる吾。
ふるき日のことなかれ主義のすばらしさ!喧嘩したとて損するばかり
イメージが先行してかつくばねに、シティ・ホテル、で悶着ラッシュ
乱立に慣れてしまった人たちに地域密着無駄骨の冬
「特になし」と書かれた日記ニュース欄 無視ほどつよいものはなき吾子
なんとなくつよいんだよね今の子は。堂々としてなわとびを飛ぶ。
今日でようやく塾から解放された。娘にとっては最後の日なので、今日はさすがにさぼらずに行った。
クルマを停め、しばらく待っているとガヤガヤと集団で塾の子たちが出て来る。その中に混じり、娘も3人くらいで出て来た。一緒にいる子たちは仲の良い子たちなのだろう。
クルマを走らせながら娘に訊く。ほかの子たちがどこの中学へ行くのか。
すると、例の如く、みんな違う中学。
例の如く・・・
というのは、去年がそうだったからで、娘の小学校の子たちはそのまま市で決められた中学へ行く子たち以外は全部違う中学へ行った。この傾向は塾でも一緒らしい。
わたしは不思議で不思議であちこちに訊いたけど、明確な理由など何もなかった。
娘が言うには、「これからの世界は、自分で進む世界」だから、だそう。
今までにも、友達と同じ中学へ行きたくないのか?とか、いろいろ訊いてみたが、娘の第一志望は変わらない。というか・・・一応、推薦を貰ったので、ほかの中学へは行けない。それでも、推薦をやめて友達と一緒に受験するとかね・・・いろいろやり方があったのではないかと思ったが、そうやって考えるのはわたしだけで、逆にそういうことではダメだと娘に言われてしまう。
要するに、「これからの世界は、自分で進む世界」だから、友達に流されたり、周囲の人たちに振り回されてはいけないらしい。それより、自分でよく考えて決める。
おそらくは、塾や学校で言われていたのかもしれない。
まあ、そうやって考えてみると、塾が終わっても仲良しは仲良しなんだろうし、学校が違っても関係ない。それぞれの学校へ行けばそこでまた新しい友達ができる。
いや・・・・そういうことのために、学校以外へ連れて行ったりしたのではなかったか?
いや・・・・・・そうなんだけどね。学校へ行けば学校の友達がいて、塾へ行けば塾の、習い事をすれば習い事の友達がいる。そのほかにも幼稚園の頃からの友達などを含めると、学校だけがすべてではない。どうしても子どもの数が少ないから、と思ってあちこちへ連れて行ったのだけど、いざそれを娘の口から聞くと驚く。
そうやって娘には言ってきたのだが、いざそれを実行されると自分の頃とはずいぶん違う気がして戸惑ってしまう。この矛盾した感覚。不思議な気分。われながら情けない・・・
捨て犬を保健所まかせの世の中は拾う者なき吾が捨てられしも
叱られて捨て猫捨てに戻りなば友の家にぞ猫の箱みし
懐かしき想い出もまた遠のけばあの猫もまた亡くなってるか
家計簿を圧迫するか犬の餌人の飯では病と謂うが
考えてストレスためる夫の話 知識という毒の粉かな
おおらかな顔をしながら家の外走る小犬を追いかける吾
求められて生きる犬あり 捨てられてラブは捕まる保健所の檻
捨て猫や捨て犬のいる世の中は善い人たちの歩く道筋
飼い主の責任だけに耳をやり、知らん顔して過ぎてゆくのか?
服を着て監察札を首にさげきょろきょろ避ける保健所の人
ラブラドール10匹か・・・遠い目。
まだ生まれたばかりだというのに、保健所。月曜日には殺されてしまう。(さっき、記事で読みました・・)
義理の姉のところは2匹でもクレームが発生し、とうとうマンションから引っ越した。長年住んだところで、ほかに住みたくないような話をしていたというのに世の中は難しい。姑さんは犬のために引っ越すなんてあほやと言っていたが、人それぞれ。オスはエレベータにおしっこしてしまうし、家の中だけではストレスがたまるので散歩にも行かなければならないし、赤ちゃんの頃から育てているわけだから・・・
でも、ラブラドールはおとなしいけど大きいので、姑さんなんかは苦手で、行くと部屋から出られないとこぼしていた。まあ、姑さんより大きいから、あれがジャレてきて転んで骨折、ということも充分考えられる年齢だから、なおさらなのかも。
マリが妊娠し、2匹くらいまでなら育てられるかなぁ・・・と思って心配していたらひとりっこなのでホッとしたのも事実。あと1匹増えるくらい、どーとでもなる。まあ、それでも小型犬だから一度にたくさん(10匹とか?)生まれるほうがめずらしいし、たくさん生まれてもこのところ雑誌でミニチュア・ピンシャが紹介されたせいかペットショップでもすぐに売れているようなので、里親も探しやすいかも、と思う。(甘いかな)
でもね、わたしが子どもの頃は捨て犬や捨て猫が結構いて、大抵はダンボールの中に入っていたり、飼い主が里親が見つかるまで餌を運んでいたり、みんなで餌を持って行ったり、好きな人が家に連れて帰ったり、そんなに大騒ぎするようなことでもなかったと思う。
いつからだろう・・・狂犬病のことや保健所のことや、いつのまにか世の中から野良犬や野良猫の姿が減っていったのは。もう思い出せない。
子どもってすぐ拾って帰るからね・・・わたしにも何度か記憶にある。大抵は、母に叱られる。金魚や小鳥を飼っていたせいもあるだろうけど、拾って帰ると母に捨てて来なさいと叱られる。ムッとしてそのままもとの場所に返しに行くと、しばらくしてその猫が友達の家にいたり・・・
犬は大変。生まれたらワクチンを3回摂取して、保健所に行って許可証を貰い、犬監察の札を首輪にしていないと迷子になったとき大変なことになる。普段、そんなものをしていないから脱走したら大騒ぎ。マリは小さかったから少しの隙間でも柵を抜けてしまう。オトは通れないのに。
ある日マリを探していたら、通りがかった人が隣の家の庭に入って行ったと教えてくれたので見たら、ちゃっかり遊んでいる。呼んだら戻ってくるだけオトよりマシか。オトはおバカだからおしっこをかけている瞬間を狙い捕獲。近頃ではマリが脱走するとオトがうれしそうな顔をしてわたしのほうを眺めるので、すぐにわかる。マリを呼ぶと叱られると思ってまた走って庭に戻る。
う〜む・・・・彼らにとっては脱走は遊びなのかもしれないが、こちらとしては気が気でない。世間知らずの2匹の小犬。
初代マリアがすぐに亡くなってしまったので、そういうトラウマがあるのかも。が、しかし、3匹が限界だなぁ・・・さすがに。
ラブラドール10匹か。
保健所も少しは考えて里親を探す努力をするとかさ・・・あるいは飼い主が探しているかもしれないし・・・
そのために監察の札があるんだろうけど、それにしても冬の寒い中、捨て子をするとは。
が、しかし、昔だったら親切な人が必ずいたものだが、今はクレームのほうが心配な世の中。犬は大変。
短歌だと思っていたら短歌など詠めやしないさ今の時代は
まのぬけたカラスの声に起こされて寝ぼけた朝にしらみゆく空
ちらほらと白い破片の散らばりぬ深き眠りの冬さがりゆく
CDを取り替えるのも面倒な気分のままで早2週間
母犬の腹蹴る子犬すくすくと育ちすぎかと逆子の添い寝
冬空は飛行機ライト落ちそうなくらい黄色く光り、何処へ
のんびりとマリアの顔を眺めてものほほんとして何も答えぬ
マリのお産が近くなる。今日、ダンナが獣医へ行った。
お腹の中の子は順調に育ち・・・ひとりっこであるがゆえに大きい。今なら産道を通れるが、逆子だし、果たして今より大きくなってしまったら獣医へ連れて行かなければならない。それでね、夜に産気づいた場合どうなるかと思って訊いたら、24時間診療のところへ行ってくれと言われたそう。自分はいつも言う側のくせに、そうやって言われたとたんがっくりしている。
それでも人間なら救急車を呼ぶとか、お産でも24時間受付してくれるが、電話帳で調べたら夜間診療までしている獣医は水戸のほうに一軒あるだけ。遠すぎて・・・連れていけない。それなら朝を待つしかない。
さらに、この前ペットショップへ行って、血統書の登録について訊いてきた。担当の人がいなかったので電話を貰う。
「写真ありますか? くっついているところの。」
「は?」
「写真が要るんですよ。」
「そんなものはありませんが・・・うちは2匹だけですから、飼っているのは。」
「それなら大丈夫かもしれませんが、念のため2匹で写っている写真と、オスのDNA鑑定をしなければならないので、そちらのキットが送られてくると思いますから、それで口の中の粘膜などを取って、写真と一緒にJKCに送らなければならないんです。」
このほかにも費用のことなどを訊き、電話を切る。子犬の頭数にもよるらしいが、大体3万円くらいかかるそう。
せっかく子犬が生まれるのだから、血統書もきちんとしようと思い問い合わせをしたけど、いささか面倒になり始めている。子犬が生まれるだけの話なのにおおげさ。しかも難産となると獣医で帝王切開をしなければならない。人間なみに費用がかかる。
次第に大家族になっていってしまいそうだ。3匹になるだけでも賑やか。で、今度はオトの孫とか?
獣医が言うには、生まれたらオスからは離しておかないとダメらしい。齧るから。
オスはあかん。
ウサギの時にも思ったけど、人間の匂いがするとダメというのはそういうことなのかも。ボス猿が替わると前のボスの子どもを殺してしまうという話を思い出した。世界残酷物語。
人間?
この前、里見八犬伝のドラマを観たが・・・仇討ちの世界だからね。
夏井 いつき
絶滅寸前季語辞典
この本、ぜったい面白い。わたしが俳句に手を出さないのは、季語がややこしいからでもあるし、その季語の中でもさらに難関季語が集められている。
いくつか知っている言葉もある。たとえば、「あっぱっぱ」とか。
最初、どこかで聞いたことのある言葉だと思ったけど、意味が思い出せない。本文を読んでいるうちに思い出す。
夏服、といえば聞こえはいいけど、当時はムームーなど袖なしのワンピースのことを「あっぱっぱ」と呼んでいた気がする(母が)。(ムームーも死語?)
あっぱっぱをもう少し解説すると、母流のあっぱっぱのつくり方というのがあり、布を買ってきて子どものサイズに合わせて適当に裁断し、それを縫い合わせる。次に子どもに着せ、適当に胸の部分のギャザーを決めて縫う。最後にとも布か余った部分で肩の部分を縫い付けて終わり。丈が短すぎたと思えば、裾にフリルのように布を縫いつけて調整。
昔ははぎれというのが売っていて、布屋さんへ行くと1.5mとか2.3mとか札が付いてワゴンに積んであった。服をつくるには足りないけれども、子どものあっぱっぱをつくるなら充分なので、母が縫っていた記憶がある。まだTシャツやジーンズなどもめずらしい頃。夏の子ども服の定番はあっぱっぱ。
ワンピースなどという高級なものではない。あっぱっぱのウエストにゴムを入れたらワンピース風? が、しかし、袖まできちんと付けたらそれはもはやあっぱっぱとは呼ばない。麦藁帽子にあっぱっぱ。
今はいくらでも売ってるからなぁ・・・(言い訳がましい)
いや〜、それにしても季語を絶滅させないための努力が痛ましい・・・
火鉢なんて今時どこに売ってるんだろう・・・絶滅させないためには火鉢を買って、炭を買って、練炭を探し、・・・あげく茨城では違法ですと言われたらどうしよう。「インバネス」とか「カンカン帽」と言われてもわからない。でも、着てるのか・・・(さすが俳人)
だからいやなのよ・・・
側室制度だって。
天皇だけ例外で一夫多妻を認めるわけ?
いい加減にしてほしいわ。
女性天皇というのは、文字通り女性の天皇のこと。
女系天皇というのは、母親が皇族(天皇)で、父親が非皇族の場合の嫡子が天皇になること。
その場合、もし天皇の配偶者が外国人だったらどうなるとか、国民から見て好ましくないお相手だった場合どうなるかとか、それだったら旧皇族を復活させて・・という議論にまで発展する。
う〜ん・・・・
ややこしいから、長男がいるのなら長男、娘しかいなければ長女、というのがごく常識的発想なので、皇室の場合は、非皇族の男性がお婿さん候補の場合、しかるべく宮家にご養子に入って、そこから納采の儀へ・・・で、よろしいような気がするんだけど。
そこまでする必要性があるかどうかも世論というより、気分の問題のような気がする。
***
「女系天皇問題」に関する政府への意見はこちららしい・・・
・ 内閣官房ホームページ ご意見募集
・ 首相官邸 ご意見募集
・ 宮内庁 E-mail : information@kunaicho.go.jp
何がショックだったのか、あれこれ考えたのだけど、うまく説明できないですね。わたしは株はやらないのでそういう意味でのショックは薄い。でも、メンタルな部分でのショックが大きかった。
かつての日本だったら、もう少し穏便なやり方があったのではないかというか・・・
ライブドアに違法性があったとして、あるならあるで警告が与えられるとか、事情聴取をあらかじめ実行するとか。いきなり強制捜査があり、いきなり株価が下がり、いきなり特捜。きちんと法整備が進められた上でなら理解もしやすかった気がするけど、規制緩和が実行されたとたん、いきなりレッドカードで規制以上の権力が発動される。
そのとたん、次から次へと報道のバッシングが始まり、真相が究明される前に雰囲気だけが先行する。
よくイジメの問題が取り上げられるでしょ?
それとよく似たものを感じた。メンタリスティックな意味で。
不景気な時代に育ち、拝金主義が素晴らしいとは思えないけど、それにしてももう少しやり方があったのではないかと。
わからんなぁ・・・こうやってわたしもババアになっていくのだろう。なんか、ああいうやり方が酷く今の日本を象徴しているようで気持ち悪い。若い世代を年寄りが潰しているようで見ているのがつらかった。いやな時代。
○彼方から響く根雪の鳴き声か されどパースに花火は上がる
☆結晶の空の想いの消えゆかばまことしやかに塊となる
○はらはらと肩に降りたるひとひらよ 雪のはかなさ花火のかけら
☆氷張りうつろう雪は地のうえに姿かえゆく小春日和に
○まさぴんさん
☆Rin
○ はかなくも雪のごとく降り消ゆる未来(あす)への希望木枯らしの中
☆ 残雪を蹴り上げてなお残雪は闇路の柘植の根元のオブジェ
○ 降り落ちて積もり積もるは雪なのか人の想いか累積赤字か
☆ 一片は儚い雪の戯言も屋根すら潰す深雪の里は
○・・・まさぴんさん
☆・・・Rin
ハンドル名を復活させるか・・・
雪解けはゆっくりとした昼下がり 薄氷を蹴り昇る階段
氷片はぐったりとして寄り添って日影に隠れ一つのオブジェ
さらさらと雪に戻った薄氷はパラパラと散り水に変わりぬ
朝のうちとても頑固な氷道夕陽の中で水音立てる
母犬の見渡すような庭景色芝のうえなど久方ぶりか
どうやって考えても幕末レベルのような・・・
尊皇攘夷から少しも発展性がないような気がしてしまう。
まあ、いいんだけどね。憲法を改正するシステムをつくるということで、それはそれでいいんだけど、なんか考えてしまう。釈然としない。
何か日本に国家理念らしきものってあったっけ?
とりあえず、戦後に制定された憲法が憲法だから、憲法によって定められていることが日本人の根幹なんだろうけど、それにしても釈然としない。とりあえず、尊皇攘夷の流れがあり、統一国家の象徴として象徴天皇がいて、それにより一つの国家が形成されている。・・・・・・・というのは幕末の思想なんでしょ?
わたしは、歴史に詳しくないので・・・・それ以上のことが思い浮かばない。
文化、と言うけれど、北海道には北海道の文化があり、北海道と京都を同じ文化圏と考えてはいけない気がしてしまう。どこが違うというわけではないでしょうけど、たとえば農産物一つにしても極寒の地では当然品種改良が大切だったわけで、北海道にしか生息していない植物もある。この前、ラワン蕗をおみやげにいただいて、そんなことを思い出す。
家の中でストーブを炊くのは当たり前だったし、暖炉だって違法ではないはず。知らんが・・・茨城だと暖炉は違法だと言われたため、一度も使っていない。使えるんだけどね・・・違法と言われたら単なる飾りになってしまった。
木彫りの熊も北海道の文化だろう。わたしの子どもの頃はどこに家にいっても飾ってあった記憶がある。もしかすると、今はめずらしくなったかもしれないが、今のわたしには確かめる術はない。ジンギスカンも肉屋へ行けば売っているし、安い。牛肉が高かった時代、庶民の蛋白源の一つだった。
うちのダンナが蛸と言えば、たこ焼きに入れる小さい蛸が蛸。関西へ行っただけでも魚屋へ行くと見たことのない魚が売られているから驚いてしまう。
日本列島津々浦々。
う〜ん・・・悩む。何をもってして日本人なんだろう?
神道とか仏教?
仏教はインターナショナルだからね・・・外来のものらしいし・・・
とりあえず親が日本人だったら自動的に日本人になってしまうから日本人だと思っていたが、これだけ国際結婚が増えると考えてしまう。
わたしなんて10年以上茨城県民をやっているけど、ほとんど水戸なんて行ったことがない。あちらが茨城の中心と言われてしまうと、えーーーーーーーっといまだになってしまう。
改革・・・
なんか、よくわからん。
あれもいや、これもいや、信じられない、きゃーって喚くことも改革のうちかもしれないと、たまに思う。そういうのって、崇高な理念とはまた違うような気もするし・・・
一体、どうなるのだろう・・・・
一つわかっているのは、今は幕末じゃないってことかも。尊皇攘夷で結束するには・・・・無理があるような・・・それに替わる思想って・・・科学万能ものづくり主義? あーあ。
あちこちのブログをサーフィンしているうちに、ライブドアの逮捕劇は暗に身柄保護が目的だったと書かれていることに気づく。要するに、アングラ・マネーが絡み、元ライブドア幹部の自殺も実は他殺で、ほかの人たちを保護する目的で拘置所?
火のないところに煙は立たないと言うけれど、そうやって考えると拘置所ほど安全なところはないかも。保釈されても刑が確定するまでは自由はない。5年以下の懲役、あるいは500万円以下の罰金。
善意の国家だと信じたいねぇ・・・なるべくなら。わからん。真相はいつも闇の中。
マリの出産グッズを見に行った。・・・が、しかし、これといったものはないらしい。
売り場の人にアドバイスされたのは、よく新聞紙をカットして、と書いてあることが多いけど、印刷が子どもに付いてしまうので綺麗な紙のほうがよいということくらい。あとは母犬によって産後のケアができる犬もいればしない犬もいるし、母乳の多い犬もいれば少ない犬もいるし、難産なら獣医と連携をとっていつでも連れていける状態にしておくこと。
それと寒い時期の出産なので、部屋を暖かくしなければならないし、それでいて普通の温度で、と言う。喉が渇きやすくなるから。大抵は生まれてしまえば母犬がケアするから何もしなくてもいいらしいけど、マリだからなぁ・・・何となく心配。
大河にはやがてぶつかる海がありうずしおの中踊る魚あり
海の中他人事だとながむれば他人事だと群れなす魚
テレビには浮かれる人の声流れ象徴という生贄のあり
次期選挙睨んで人は動き出し終わってもなお終わりなき渦
権限は重要なのだと長細く描かれた文字眺めて走る
スリランカと言えば、『モルディブへ行くときに経由していく国』くらいの認識しかない。
慶長さんのブログの記事、『憎しみは憎しみによって止まず、愛によって止む。』 によると、1951年のサンフランシスコ平和会議の際、日本に独立が認められたのは、当時のスリランカの首相がこの仏陀の教えを引用し、強く日本の独立を擁護してくださったかららしい。その結果、日本は北方領土と沖縄を失ったかわりに、南北に分断されることもなく今日に至っている。
わたしの子どもの頃にはロシアが攻めてきたら北海道が占領される、という意識があり、本土というのはあくまでも本州のことだったし、本土は北海道を見捨てる、という意識すらあったような記憶がある。北海道というのは、日本でありながら本土とは別の存在として想い描くことができるくらい、わたしが郷土愛を感じることができるめずらしい島である。
何となくそういうことを思い出した。
そうやって考えると、何となく儚いものを感じたりする。もし、あの時に例の如く、関が原あたりで日本が南北に分断されていたとすれば、ベトナム戦争や朝鮮戦争のように再び戦地になっていた可能性もあったのだと思うと、もともと日本には何の関係もないイデオロギー的対立により、日本人同士が互いに憎しみ合い、別の政権の下、まったく異なる国となっていた可能性も高い。
独立・・・に何の価値があったのだろう、と、何となく考えた。
気分の問題は大きい。
今日はよく晴れていた。にもかかわらず、雪の日のような安全運転のクルマが連なる。娘をお絵かき教室へ送りながら、やけに信号がスムーズだから変だと思ったら、ほとんどのクルマが法廷速度を守りながら運転している。
そういうのは気分の問題だろう。
茨城の道路で法廷速度が守られている、というほうがめずらしいというのはなんともはや。大抵はパトカーの後ろを走っているときか、あるいはバスの後ろを走っているときか・・・くらいしか思いつかない。前のクルマの速度が落ちたと思ったら、パトカーの絵の形の看板の横。
一体世の中どうなっているんだか・・・やはり、気分の問題なんだろう。
国会。
元気な民主党。
フジテレビもウキウキしている?
・・・・・・かなりの内部告発があった、というのは本当なんだろうか、ライブドア?
敵の敵は味方だからなぁ・・・などとうがった見方をしながら、慎重に運転するドライバーが増えたので走りやすい。信号待ちが減ったし、ブレーキもほとんど踏まないし、やけに燃費がよさそうな走り方。
* 法廷速度: 法定速度の間違えです。
う〜む・・・
朝からまたライブドアのニュースを見ているわたし・・・
逮捕されたというからかなり驚いたのも事実だけど、要するに、彼らはやったことはやったと認めているから速攻で逮捕状が出てしまったことになる。
問題は、それは悪いことなのよ、と言っても屁理屈ばかりこねまわしている子どものように自分が悪いとは思っていないということかも。そうなるとにっちもさっちも検察も大変だろう。
いや・・・たしかに違法だから逮捕にまでなったんでしょうけど、そもそもが規制緩和の抜け穴を放置しておいた行政や政治家の怠慢が悪い、と言われてしまえばそういう気がしなくもない。ルールが混沌としているため、悪いと知りつつそこのところをうまく誤魔化しながら新たなる策を弄しているうちにずっこけたというのが事実に近そう。
が、しかしね・・・・額に汗して働く者が損をした気分になってはいかん、というのはどうも・・・・そういうのって単なる個人的見解にすぎん。それでいてある種の権限をお持ちになっていらっしゃる人たちがそのように思い、それが正しいという倫理をかざし、法律を盾に捜査する。(なんか、目に浮んでしまう・・・)
さて、金と権限とどちらがつおいか?
もう、どっちもどっちという気がして、とことん法廷で争ってほしい。
実況中継してほしいくらいだわ。おせんべかじりながら、のんびり見ているのだろうか・・・わたし。(おバカ)
わたしなんて案外気が小さいから、あんなのを見るとたちまち人間不信になってしまう。ライブドアがどうなろうとわたしには何の関係もないのだけど、良い時には持ち上げておいて、悪くなると手のひらを返したようなあの仕打ち。社員まで退職金が入るうちに辞職しよう、となる。立場を変えたら当たり前のことなんでしょうけど、それにしても世の虚しさがあるばかり?
そんなことを考えると、何にもしないで、家で好きな音楽でも聴いてネットでもしているほうがマシという気分になる。少し前までは本を読んだりパズルをしたりしているほうが楽しかったけれども、こういう憂鬱な気分を書いて発信できるだけでも少しは救われる。
だいたいわたしも他人のことは言えないが、世の中が次第に介護が必要だとなると介護施設の話ばかり。グループホームなんていうと聞こえはよいが、認知症(ぼけ老人)や統合失調症(昔で言う精神分裂病)の年寄りばかりを集めた介護施設。業者は建物を建てたら終わり・・・なんで借金してそういう人たちの面倒をみないとダメなんだろう・・・と思ったら憂鬱になるよね。いや・・・逆に80歳過ぎて独りになりやることもなくなり皆に大反対されていきなり老健を始めたおじいさんの友人もいるし、一概にそうとは言えないのかも。
いずれにせよ、やりたかったらやればいいし、やりたくなかったらやめたほうがいいし、なんだか、こう、マーケティングという感覚で医療や医療制度、施設のパンフを眺めているうちに、次第にだるだるになってきてしまう。それが世の中だと思いつつ、それが世の中の需要に適っているというところがなんともはや。
まあ、どうでもいいや・・・
やっぱ、子ども相手に絵を教えたり、心のケアをしたり、そういう仕事をするほうが生産的な気がしてしまう。
美術教師か。
一発でこのところの姑さんの鬱にやられてしまっている。わたしも胃薬でも飲もうかな・・・あーあ。
この前、細木数子が30年後には海外難民が続出し・・と言いながらテレビで泣いていた。
わたし、この言葉が気になって気になってしばし考えていたんだけど、もし年金が入らなくなったらあるもので老後をしのがなければならないわけで、そうなったら物価の安い国で暮らすしかないのではないかと。
少子化の影響で、うちなんて特にひとりむすめだし、彼女が結婚すれば親の数は2倍になるし、ひとりっこ同士だったらなおのこと期待薄。ひとりっこでなくても、無理ですもん、今の時代。おまけに年金が期待薄。ついでに消費税が10%以上に引き上げられ、ただでさえ物価高の日本で、税金は高いわ、医療費は高いわ、子どもは世話してくれないわ、となったらどうすればよいか?
やっぱ、生活費の安い国へ移住とかね・・・もはや他人事ではない。この前台湾で団塊の世代向けサービスとして、その世代に限って180日間の滞在ビザが下りるとニュースで言っていた。1年の半分を台湾で暮らしていたら生活費が浮く?知らんが・・・
ほかの国からもそういうアプローチがあったら行ってしまいそうだ。
真夜中に喧嘩してるか小鳥すらチュチチチと鳴き庭は鎮まる
雪の日は何事もなく詰め合わす動く人だにクルマ過ぎゆく
鬱蒼と未来の扉考えて生きてるばかり老いるまにまに
深夜にぞ聴こえる声の虚しけれすぐそこなれど姿なき闇
未来っていつもどんより曇ってる雪の日の空見あげるようだ
ダンナの機嫌が悪い。帰る間際になってもさらに4台救急車がほとんど同時にやってくるほど忙しかったから。雪が降っていたから外科が忙しいのは何となくわかるんだけど、内科まで忙しいというのはどういうことなんだろう。おかげで、インフルエンザの患者は2時間待ち。どこかのグループホームのお年寄りが座薬が原因で低血圧になっており、それを電話で指導した医師が家にいるのかと思ったら無性に腹が立ったそう。
夕べは夕べで姑さんがはあはあ言いながら電話してくるし・・・完璧、パニック発作。もうダメだからつくばに来ると言う。その前の日には、上の義姉の近所に引っ越すと言っていた。かと思えば翌日には入院するからつくばに来ると言う。連日親に振り回されて疲れ果てて何かあったのだろうか?(いや・・・何もないことが多い)
今日は娘の友達が遊びに来ていたので、ネットをしている時間が長い。彼女たちは元気なので庭でゆきだるま。雪の上にも座れる年頃なんだなぁ・・と思いながら、わたしは寒いから家の中。
道路の雪が融けたせいか、想像以上に道路とスーパーが混んでいた。そのくせ、品薄。雪の日は調子が狂う。
娘に、父さんと母さんとオトとマリが皆年寄りになるから全部面倒をみてねと言ったら、あっさり面倒だからイヤだと言われてしまった。(そりゃそうだよな・・)
頼らないでね、と言う。(あほ)
腹が立ったから、娘は中学で働かせて親の世話をしてくれるような養子を貰うと言ってやった。(なんか、次第に姑さんの気持ちが移る・・)
まあ、いいや。
わたしの記憶違いでなければ、この前ラジオで防衛庁が防衛省になるように審議していると言っていたような気がする。教育目標に愛国心とか? 娘の小学校は田舎だから学校の教育目標に郷土愛が入っているのかと思っていたけど、もしかすると世の中全体がそういう具合に操作されつつある?
女性天皇が誕生するからといって、それがどうしてそんなにおおげさなことなのか理解できない。
かの昔、戦争があり、多くの人たちが国のために犠牲になった。その根底にはどこか家族を守るとか国を守るとか愛国心に通じるものがあったような気もするし、それが尊いものだとしてもわれらの世代はすでにその裏側を知っている。要するに、地球には裏側が存在し、そこには普通の人たちが暮らしているにすぎない、というか・・・
700兆円の赤字を愛国心で乗り切れと言うのだろうか・・・
頼むよ・・・
勘弁してほしい。
もう、うんざり。
明治時代の人口は3500万人くらいだったそう。それが僅か100年の間に1億人を突破し、今は1億2000万人くらい?
何が少子化なんだか・・・
経済成長と人口増加?
そうしなければ年金が出ませんよ、と言われれば困るような気もするが、国民年金だったら意味がないような気もするし、そうしなければ出ないような年金制度をつくるなよ、と今は言いたい。そんな制度をつくったほうが悪いわけで、それに対してのツケが国民に押し付けられているだけのような・・・
本屋をまわっている時に、ニート関連の文庫があり、パラパラ内容を立ち読みした。大体読まなくても書いてある内容はわかる。要するに、働きすぎの父親と家で子どもを甘やかしている母親への批判。
大雑把に言えば、母親が自分が何もすることがなくなるから、いつまでも子どもの世話を焼きたがるというのが原因でニートになると書かれていたような気がする。会社人間の父親への批判から息子は仕事オンリーの生活を嫌い、家の中で不満だらけの母親のグチを聞いているのがイヤで娘は働く?
なんて世の中だ!
時代が変わって女性が仕事をするのは当たり前。それはそれでよしとしましょう。ところが今度は働かない若者たちが増えている?
当たり前じゃん。
バカバカしい・・・
安野 光雅
カラー版 絵の教室
昨日に引き続き、安野光雅さんの『絵の教室』をパラパラめくっている。正直、まるで先に進まない。少し読むとぷあ〜っとイマジネーションが広がってしまうせいか、それともいろいろなことを考え始めてしまうせいか、まるで先に進まないまま今日も書評を書いている。
推理小説と大きく違うのは、読む速度の違い。ストーリー・テラーを楽しむものはあっという間に読み終わってしまう。早く結末を知りたいからでもあるし、展開が速いからかもしれないし、いずれにせよ文庫でも近頃は値段が高いためにもったいないと思うほどあっけない。
それに引きかえ安野さんの本は先へ進まない。
たとえば、序文ですら考え込んでしまう。いや・・・考え込む、という表現は間違っている。そうではなく、共感が広がり始めると自分の世界へ入ってしまうからとしか語れない。
絵の好きな人たちは自分の言葉で話す。絵だけではなく、本でも音楽でも好きな人たちは自分の言葉で話す。野球でも競馬でもそうらしい。自分の好きなこととなると自分の言葉で話し出す。
ところが、政治や社会事象のこととなると自分の感性だけではなくテレビやラジオから流れてくる声に流されしまいやすいし、そしてそれがやがては世論となっていく。
そのようなことが書かれていたため、今まさに考え込んでしまった。
***
インターネットの楽しさは、絵の好きな人たちに通じる。皆がそれぞれ自分の言葉で話しているから面白い。ニュースネタでも、そう。それぞれの人たちが気ままに自分のブログに書いていることを読みながら、背中でニュースを聞き、あれこれ考える。
おそらくはその結果が、あの選挙だったんだなぁ・・というのが今の気持ち。それがどういう具合に進んでいくのかわからない。
ライブドアのことにしても、あれはライブドアの問題だろうし、上場が廃止になったからといってライブドアが消えるわけでもなさそう。上場していない企業はたくさんある。マネー・ゲーム的な側面が抑制されたというだけのことなのかもしれない。
なんか、こう・・・
テレビのチャンネルを変えながら、「またライブドアか」と言いながらテレビを消して友達の家に遊びに行ってしまう娘のほうがまともな気がした。
***
おっと、話が大きくずれてしまった。
こうやって、自分が何が言いたかったのかを忘れてしまう。
それがいいのかもしれないな・・・安野マジック。
ひっそりと積もっていたか白雪は夜明けとともに窓の絵変わる
少しずつ融けて積もりぬ雪のうえ降る雪見えぬ大地白色
少しずつ雨に変わっていくような雪は大きな花びらの舞
バビロンの崩壊するをみるようなカメラの位置に灯りは映る
チャンネルをかえてもおなじニュース流れ飽きた吾子はおやつを探す
降る雪を待っても外は音もなく静かな宵は深まるばかり
崩壊はあっという間にやってきて正義とはまた力なるかな
殺伐と言葉にならぬ悲鳴には電子の文字がよく似合うかな
今日、買ってきた本4冊。
中原 中也, 吉田 熈生
中原中也全詩歌集〈上〉
中原 中也, 吉田 熈生
中原中也全詩歌集〈下〉
中原 中也
中原中也全訳詩集
***********
本当は別の本を探していたのだが、結局、見つからず、同じ著者の別本を少し立ち読み。何となくイメージしていたのとは違ったため、その本を探すのはやめた。ブログの書評を読んで、タイトルだけで面白そうと思ったんだけど、実際に手に取ると興味をなくすケースが多いことを思い出す。
そうそう・・・この本だ。密林に記録が残っていた。
「その売り方ではモノは売れません」では素通りしてしまいそうだけど、「失礼ながら・・」と始まるところがミソ。そのまま密林で買う気はしなかったけど、買い物のついでに本屋へ行かせるくらいのパワーはあるなぁ・・・
何となく言われると気になってしまう言い方ってある。
で、そのパワーがどこへ結びついたかというと、結局、安野さんの著書と中原中也。 安野さんの絵本は家にも何冊かあるけど、新書というので買ってみた。
パラパラとめくりながら、クールベの写実主義のところを読み、あの時代の写実主義はカメラが発明される以前の感覚で、実際に目の前にある風景を描いているわけではない、というところに目が行く。それ以前は光といえば宗教的な意味を持っており、写実的な光とは異なるというフレーズから始まり、そこから決別しクールベが進んだ道が写実主義。
つまり、見たことのないものは描かない、この世に存在しないものは描かない、という意味でのリアリズム。・・・ってことは実際にない場面を描いても写実だし、家の中で風景を描いても写実だし、イメージだけで描いてもこの世に存在するものを描けば写実。
それってちょっと違うのではないかと思ったけど、それってちょっと違うと思うのはカメラに慣れてしまったからそのように感じるだけなのかもしれない。光が的確に方向性や角度すら正しく描かれていないと何となく写実でないような気がしてしまうというのは一種の現代病なのかも。
中也の3冊は文庫。未刊詩がたくさん載っていたので。
密林で検索したおかげで、安野さんの著書だと気づかないで買った本がほかにもあることに気がつく。絵本もそうだし、短歌の本もある。
安野 光雅
片想い百人一首
おそらくは未読のままどこかに埋もれているはず・・・
このところ娘がぐったりしている理由がなんとなくわかった。卒業式の時に、将来の夢について発表しなければならないかららしい。それで、悩んでいる。
将来、何になりたいか?
という点についてまでは考えてある。
美術教師。くま先生みたいに絵の先生になりたいそう。
問題は、その理由まで述べなくてはならないこと。
しつこいなー、本人がなりたいって言ってるんだからいいじゃん、と内心思ったが、晴れの舞台?でそういう態度に出るわけにもいかず、娘と一緒に考える。娘にしてみれば医者にはなりたくないし、かといってわたしは専業主婦で頼りにならない。子ども同士あれにこれにと一生懸命話し合っているそう。
それでこのところお母さんは何もしないとか働かないとかぶちぶち言っていたのかと納得した。
ふっ。
「お母さんはね、大学を出た後、大使館にお勤めすることになっていたのよ。おじいちゃんが勝手に決めて」
「えっ、そーなの?」(娘の瞳がきらりんと光る)
「そそ。でも、どうしても研究をしたかったから大学院を受けて・・・落ちちゃった。それでね、1年くらいイギリスでも行ってこいと親に言われて、先生に相談したら道が変わるからやめろと言われたの。それで、1ヶ月だけイギリスへ行った」
そこで、ミセス・フォーズレーという日本人に出会ったことや、飛行機で隣に座っていた人がタンカーの乗組員だったということを話し出したら、目が生き返った。ミセス・フォーズレーは最初イタリアに留学して、1年でイタリア語がペラペラになってしまい、そのままアパレル関係の仕事をイタリアでしていたそう。で、イギリス人と結婚してロンドンに住んでいる。
「・・・・・・だから、今から何かを決める必要はないのよ。自分のやりたいことをやっているうちに、何とかなるわ」
わたしが娘に言いたかったのは、その時にミセス・フォーズレーに言われた言葉。「あなたみたいな人は40歳を過ぎたら文化的な仕事がいくらでもあるわよ」と、いきなり初対面の人に言われたわけで、わたしはその時ニートな気分だったので、すごく救われた。なんせ、帰国しても何のあてもないわけだから・・・
学校を出て、何になるのだろう・・・とかね。そういう言葉を娘に言われたとしても不思議はない。が、しかし、母はここで娘に負けるわけにはいかない。
「文化的な仕事をしたい、と言えばいいのよ。わかる? 具体的に決めるのではなく、将来は文化的な仕事をしたい。例えば絵を描く楽しさや素晴らしさを伝えていきたい、とかね。」
「あ、それ使える!」
「・・・・・・・」(だから学校って嫌いなのよ。何でも課題になってしまう)
娘と話していていつも感じるのは、今の子どもは酷く現実的だということ。
絵が好き→絵の先生→美大→そのための勉強、という発想しかない。しかも、娘の場合は、くま先生みたいに美術教室を経営するためには美術教師をしておいたほうがいい、教師になるのも今は大変とか、そういう生意気なことまで考えている。
そういう傾向は娘だけではない。そういう発想は親や教師に任せて、ある意味子どもには子どもらしさというか、闊達な夢の部分があってもらいたいが、どうもそういう具合にはいかないような世の中。
そうじゃなく、やりたいことをやっていたらいい、とだけ娘には語りたい。
わたしが娘に理解してほしかったのは、わたしの人生において娘と過ごす時間というのはほんの短い時間に過ぎないということ。娘が生まれる前にもわたしは生きていたし、おそらくはこの先、娘は親元を出て生活するようになる。
おそらくは、彼女にとっては12年というのはとても長い月日なんでしょうけど、わたしからすればそれはあっという間。ついこの間生まれたと思ったらもう12歳。
それがいいのかもしれないな・・・こちらはあっという間で、あちらは人生の大半。
いろいろ悩んでくれ。
子のおもちゃ買うて戻りぬ夫の声の高らか「安い」、本音滲みて
右腕を少しもちあげ100キロの重石のようだ母の拳は
辛いことだけが残った拳には開くことのないつながりうつつ
労働と投資と投機とブローカー、電子と空気、校庭の風
蕎麦茹でて茹ですぎぬうち火加減を落としてゆくか年越した蕎麦
ヴァカンスの終わったような経済は津波むかえた白砂のよう
少子化で減るはずだった受験生増えているのも少子化のせい?
日時計をパソコンのうえつくっても朝の光に静かに倒れ
それにしても人間的ではないと思ってしまう。
ライブドアの話は無視しようと思ったんだけど、さすがに好奇心には勝てず、普段は見ないライブドアの社長のブログなどを眺め、サイバー・エージェントの社長のブログを眺め、2,3関連記事を読みながら時間を潰す。
午後のラジオでは1500億円と語っていたが、その後のテレビのニュースでは3000億円の損失とアナウンサーが言っていた気がする。売りが殺到することはわかっていたが、それにしても東証が停止状態になってしまうとは。
まあ、そんなことはどーでもいい。
それよりも今日の、いや、昨日の気分を殺伐としたものにしてくれたのは検索。ホリエモンのブログを検索しようと思い、「ライブドア」と入力したら、ライブドアのブログのトップページが1位で出てきた。それを眺め、今日のニュースの欄に、ライブドア関連のニュース・テロップがリンクされているのを眺め、いやだなー、と思ったわけ。
せめて、2,3日でもその手のサービスを停止すればいいのに。そちらのほうが人間的だ。自分の会社が大変なことになっているというのに、いつもどおり。その感性がいやだ。たしかに社員に入る情報というのは案外ちまたで流れているニュースだけなのかもしれないし、そういう意味では何もしないでいつもどおりに仕事をし、何もしないでいつものとおりの画面が現れるほうが、何もないような錯覚に陥るが、それにしてもあまりにも機械的で、そこには人間らしいものは何もない。
まだ、コメントやTBのほうがマシかも。
でも、こうね・・・なんと言いますか、株を買って経営陣を入れ替え、自分の関連企業にしてしまう、というやり方は極めて合理的な気がするけど、ソフトをインストールするようなわけにはいかない。買収・・・が悪いことだとは思ってないけど、ただ、小さな診療所一つつくるのでもこんなに面倒な思いをするわけだし、それを軌道に乗せたり、人を雇ったり、コツコツコツコツやっていかなければならないことが数多あるというのに、それを一瞬にして吹き飛ばすくらい株というのはつまらん代物だ。
小泉政権を批判している人がいたけど、郵政へのやりくちを眺めていると、東証が停止するくらいどうということもないような気がしてしまう。安定志向の政府じゃないから、何となく安定志向に走ってしまいそう。
最初、冗談だと思っていたのね・・・わたしは。
マリが妊娠し、誰もいない時、あるいはいてもわたしだけで、しかもわたしが昼寝している時にマリが出産したらどうしようとダンナが心配しているのは、お産が大変だからだと思っていた。
すると、変な質問をする。
「犬は子どもを食べないよね?」
「はあ?なんで、マリが子犬を食べるわけ?バカバカしい。」
「オトは? あいつならやりかねん(笑)」
「・・・・・・・・」(少し不安が募る・・・)
「うさぎは自分の子どもを食べるから」
「・・・・・・」(絶句)
「そこが畜生なんだよ。野生というのはそういうものだし、少しでも人間の匂いが赤ん坊につくと親が食べてしまうから、うさぎは生まれたらすぐに親から取り上げなければならないんだよ」
おそろしい・・・
小学校の頃、うさぎの飼育係をしていた彼は、実際に生まれたばかりの赤ちゃんを親うさぎが食べてしまったのを見たそう。
だったら野生のうさぎは?
と思ったんだけど、要するに人間の匂いがするとそうなるらしい。
それにしても、いやな話だ。うさぎを飼うのはやめよう。
娘がめずらしく疲れて家に帰ってきた。戻るなり寝ている。塾も休み。明日の朝もダンナが学校まで送っていくらしい。
風邪をひいているわけではない。ただ何となく精神的にぐったりしている。今頃になって受験の疲れが出てきたのかも。
ちょっと前まではそういうモードになると、ダンナがささくさと無理にでも娘を塾へ送って行ったというのに、昨日は娘が寝ていても、「塾を休ませて」としか言わない。実際、受かったんだから特に一生懸命に行く必要性もないんだけど、どういうわけか親子で疲れている。
そうなんだよね・・・
茨城県は試験が早いので、ほとんどの子が学校が決まっている。が、しかし、世の中はこれからが本番とばかりに落ちた子もいるし、都内の試験に向けてラスト・スパートの子もいる。去年までは明るいムードに包まれていたが、今年に入ってやたらと暗い。
どうせだったら一気に一般入試で最後までやってもよかったのではないかとも思うし、それでいてTXが開通したため県内の学校の志願者数がどこも80名くらい増えている。そうなると若干番狂わせもあるのではないかと。
すべりどめで受験した子が受かって、そこを第一志望にした子が落ちているって何となくつらいよね。どうもそういうことがあったようで、いきなり娘のクラスは寡黙に支配されるようになってしまった。もっとわるいことに、やんわりではあるが、一般入試で難関校に玉砕してしまった子たちが暗い気持ちでまた同じ学校に入ってくる、ということを考えると一気に合格気分など吹っ飛んでしまう。
まあ、どうでもいいんだけどね・・・鬱々としながら、もっと早くから娘に勉強させていたらよかった、などと考え始めるとキリがない。娘にも言われてしまう、「お母さんが何もしてくれなかったから」と。だって、わたしが受験するわけじゃないし、まだ先が長いし、茨城の子はほとんど小学校のうちは遊んでいるし、それが一番いいような気がするし・・・
そこで仕方がないので、数学の問題を解かせる。
お、できるじゃないですかー!!
算数より数学のほうが簡単だ。(・・・・教えるのは?)
小学校の頃の成績なんて関係ないと思いつつ、一難去ってまた一難。受かったから終わりなのではなく、受かったから大変ってこともある。(でもないか・・)
どうもマリちゃんが妊娠したようなので、ダンナが動物病院へ連れて行った。エコーで見たら、どうやらひとりっこらしい。
犬でひとりっこというのはめずらしいのではないかと思ったけど、正直ホッとした。だって、一度にたくさん生まれたらさすがに全部まとめては育てられないし、どこか引き取り先を探さなければならない。世話も大変だけど、ワクチンやら血統書の登録やら生まれてからが大変。・・・・・・旅行に行く時も大変だぞ?
マリは小さいので、もしかすると帝王切開になるかも。おそろしい。お腹の中の子犬は結構育っているらしい。つまり、でかい。でも、犬は安産だというから、大丈夫だと思うんだけど。
マリは妊婦だからガツガツ食べる。オトは・・・・・この頃食が細い。以前だったら自分が真っ先に餌をねだっていたのに、このところ遠慮がち。う〜む・・・・少しは父親としての自覚が出てきたのだろうか?
うちの人たちは勝手なので、わたしが昼寝している間に生まれたらどうしよう、と言っている。どうしようもこうしようも安産だったらいいじゃん、と思いつつ、お産は病気ではないし、それより子犬の3匹に1匹は死んでしまうという話のほうが怖い。
それにしても2ヶ月で生まれてしまう。早い。
もしかすると今月末か来月早々には誕生か?
早く生まれないかな。
去年も一つ落としてしまったし、忘れた頃にやってくるバトン・・・
このところTBといえば連日のエロTBばかりで、メールとTBの削除を日課としてしまっている。にもかかわらず、がんばってるなーと少し感心。
ルールは、
『イメージでつながっている言葉(キーワード)の最後に自分のイメージを1つ新しく付け加えそれを新たに「3名様を指名」した上でお渡しする』
だそうです。
海>ブルー>サッカー日本代表チーム>ドイツ>ソーセージ>バーベキュー>かに>白砂>砂丘>海>太陽>ひまわりたね>すいか>うめぼし>和歌山>みかん>あたしンち>猿山>赤ちゃん>フレンチドッグ>おばあちゃん>ボーリング>ハイタッチ>アメリカ>カジノ>ドラクエ!!!>スライム>キング>トランプ>マギー審司>ジュエリーマキ>後藤真希ちゃん>モーニング娘。>テレビ東京>旅>駅弁>牛タン>カルビ>脂肪>カプサイシン>ナルリョライスンヨプ>金山知憲>ミラクルホームラン>逆転>旗>体育祭>うちあげ>飲ま飲まイエイ>一気飲み>ウコン>インド人>ガンジー>ゼンジー北京>バンジージャンプ>SHONENJUMP>ナルト>博多弁>和田勉>天然ボケ>浅田美代子>女系家族>婿養子>カカア天下>カイヤ>巨乳>叶姉妹>美香>サルサ>情熱>赤い薔薇>おちょう婦人 (←お蝶夫人、だと思うぞ!)>縦ロール>名古屋嬢>しゃちほこ>グランパス>リゾートホテル>無縁>ルーズソックス>なが〜〜〜い>しっぽ>ポニーテール>少女>ロングヘアー>貞子>暗黒舞踏>デスマスク>ナポレオン>痛風>飽食>グルメ>TOKIOの城島茂>茂子>あひる隊長>村長>ヒゲ>サンタクロース>プレゼント>アクセサリー>キラキラ>雪(の結晶)>北海道>実習(先)>調理>パスタ>カルボナーラ>フォーク>食器>レストランバー>お酒>シャンパーニュ>付き合った記念日>パーティ>クリスマス>キリスト教>芥川龍之介>鼻
鼻・・・
鼻についてのうんちくは、ぐたさん 。
鼻っていうと、天狗や団子のような造型しか浮ばない。
鼻より団子とは言わないが、だんごっぱな、とかさ。
どちらにしよう・・・
「初バトン 貴女以外に いないでしょ だから お願いいたします^^♪」(ぐたさま)
字足らずをごまかされても貴女ならゆるしてしまう初バトン。ぽとっ
というわけで、バトン落としちゃった。(笑)
しあわせに吹く風の音は音もなくワイパー窓にぶつかり消える
ボロ車いつか壊れて走れないその時までを君と過ごそう
パソコンも次世代までは続かない?画面の悪い色におどろき
震源地いつものこととテロップは無機質な文字画面に浮べ
今日もまた明日もまたかと地響きの轟音さえも聴きなれた音
今頃になって医療事務のインターネット講座の受講証が届くらしい。
たしか去年の暮れに申し込んだはず。もう忘れてた・・・(こらっ)
まあ、せっかくお金を払ったのだから、気長に・・・やろう。
人を雇うとやりくりが大変になるから、その分わたしがやろうと思っただけなんだけど、基本的にうちのダンナは、奥さんには子育てを最優先にしてほしいという性格の人なので、備えあれば憂えなし、みたいなところだろうか。わたしが専業主婦にもかかわらず、あちらは家事や育児までやっている。好きなんだろうな・・・その手のことが。今の時代、案外そういう人が多いことに気づく。
おそらくは外で分刻みで働いているせいか、家で何もしないでぼぉ〜っとしているのがイヤなのだろう。わたしみたいに家で時間を気にせずに生きていると、とてもじゃないけどあくせくできない。ぼぉ〜っとしているうちに朝が来た、みたいな世界。
***
ハルさんのところで、「出産費用が無料。」 という記事を読む。
近頃、産科や小児科になりたがる医者が減り、小児科の保険点数が上がることは知っているけど、出産の費用が無料になることは知らなかった。この前ラジオで、どこかの企業で3人目からの出産に祝い金100万円を支給すると言っていたし、そうやって社会的なバックアップがないと子どもの数が増えない時代なのかも。
それとね・・・子どもの数が多いと、正直、相続や親の世話のことでも年中トラブルだらけだし、昔はひとりっこは損と言われていたけど、今はひとりのほうが気楽という人が多い。
***
猪口さんが大臣になった時、明らかに「女性も家事や育児から解放されて」というタイプの人だったので、いささかひいてしまったことを覚えている。逆だから。つまり、家事や育児こそ男女共同でやらなければならない作業であり、重要な仕事。家事はともかく育児に関しては強くそのように感じる。父親には父親の役割があり、母親には母親の役割がある、とすら感じる。
そういうのは性差別ではなく、男は子どもが産めないし、メンタリスティックな部分でもかなり異なる。父性と母性が異なる以上それぞれに違った役割が存在するのは当然。そういうのは物理的な出来事よりも、子どもに対する接し方というか、影響の与え方というか、存在する意義が最初から違うのだろう。
で、父親も母親も育児や家事から解放されたとして、家の中には誰がいるのだろう?
***
が、しかし・・・
もっともっと若かった時代の頃を振り返ると、若く結婚するのは損に思えたこともある。
だって、皆が自分の好きなことをやって、蝶よ花よファッションよショッピングよ旅行よetc.と浮かれている頃に子育てをしなければならないというのはそれだけで損な気持ちになってしまっても無理はない。独身時代は気楽だけど、結婚するとたちまち所帯の苦労が待っている。恋愛はふたりの世界だけど結婚となるととたんに外界がやかましくなる。
あえて、楽しいはずの年頃にそんな苦労をしたくないと思うほうが普通だ。それに、実際問題若いうちはお金がない。親から独立してやりくりするだけでも大変なのに、子どもを産んで育てるにはそれなりにお金が要る。
あえて親に何かしてもらうと、独立した気がしない。(つまり、嫁姑の苦労が待っている・・?)
***
少子化、か。
なんかね・・・貧乏な国は放っておいてもどんどん子どもが増えるのに、なんで裕福な国は子どもの数が少ないんだろう?
姑さん曰く、子どもがどんどん死ぬかららしい。
おそろしい・・・
タイトルを眺めただけで、気持ちがスススス〜ッとひいてしまう本があることを知る。
で、文庫にまでなっているってことは売れてるんだろうな・・と思いつつ、これを小学生が読んでいるのか・・と思ったらますます憂鬱になった。
いや・・・今、密林で検索したら、ジュニア向けの小説?も書いているようなので、小学生の子が読んでいるのはそちらかも。
***
なんで娘と一緒に本屋へ行ったかというと、課題だから。入学するまでの間、毎週まとめて日記をつけなければならない。その日記の欄に読書感想やニュース感想の欄があり、それを埋めるために。ニュースのほうはともかく、読書感想のほうは今までの活字量があまりにも少なすぎるためごまかし?がきかない。
でも、ないねー。驚くほど、ない。
何がないかといえば、娘に読ませたくなるような本がない。そこで仕方なく、娘の友達の読書オタクがファンだというので、中村うさぎの本を探したんだけど・・・これがなんともはや。先日行ったら、どこかにくたばれオヤジ系のタイトルの本があって、今日探したらもうなかった、ってことは結構流行っているんだろうか?
おとなが読むんなら、そんなものかなー、と思うんだけど、子どもが読むと思うからかなりひいてしまった。
こんな本を読んでる子にオヤジが何か言われても痛くも痒くもないだろうな・・と思いつつ、娘が選んだのはこっち。
*******
ジェニー・リー, 木村 博江
あなたの犬バカ度を測る10の方法
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が、しかし、せっかく買ってやったのに、部屋でグリム童話集を読んでいたらしい。宮沢賢治より面白い、とだけ・・・
なんか、寂しいね、近頃の子どもは。やっぱ、あたしが悪いんだろか?
娘が面白いことを訊く。
「うちって平凡だよね?」
「平凡だからいいのよ」
「どうして?」
「あんまり貧乏すぎてもお金がありすぎても悪の誘惑に勝てなくなるから」
「じゃ、デヴィ夫人や叶姉妹は?たしかにお化粧が濃すぎるけど・・」
「さあ。でも、ビンラディンみたいな大富豪がテロリストになったりするでしょ?お金がありすぎると悪い人たちがやってきやすくなるのよ」
そこで納得したかどうかはわからないが、しばし考えている。
「あの中学は悪い子たちがいるから行きたくないって言ったでしょ?でもね、世の中にはもっと悪い人たちがたくさんいるの。わたしはね、犯罪に巻き込まれるような子になってほしくないだけ。お金がなくてもありすぎても犯罪に巻き込まれる可能性が高くなる。それだけ」
***
どうしてそういう話になったのだろう・・・
そだそだ。娘が本を読まないので、「何でもいいから読めば?」と言ったら、以前娘のために買った『レ・ミゼラブル』が面白いかどうか訊かれたのだった。ストーリーも。で、パンを一つ盗んだがゆえにとても長い間牢獄で過ごさなければならなかった悪い人がとても善い人になっていくストーリーだと言ったら、不意にそういう質問を。
***
あの子はとうとうそこまでに。
同じクラスの男の子。いつも問題を起こしていたが、自分で自分の首に縄をつけて、「死にたいからこれを引っ張れ」と自分で自分の首を絞める。
とうとうそこまで・・・
正常なコミュニケーションがとれない。
***
もうすぐ卒業か。
あっという間。
そして、中学生。
つづく。
という気分。
感性が違うんだな・・・
今日、お絵かき教室へ娘を迎えに行き、ついでに情報をゲットしようと先生と話す。つくばに来る前、わたしは1年くらい土浦にいたので、「あの辺りは子どもの遊び場がないので、つくばに越してきたんです」と言ったら、変な顔をされてしまった。
そこで考えてみる。
あちらは東京大空襲の戦火を避けるために土浦に。当時は霞ヶ浦でも泳げたし、寄生虫があるからと今では食べない貝を捕獲するのが子どもの頃の遊び。
う〜む・・・
感性が違う。わたしの感性では、川があるから危険とか、ましてや霞ヶ浦なんて今は危ないし汚いから遊泳も禁止されているのでは?とか、が普通だし、子どもというか、ましてや赤ちゃんが遊ぶとなると公園のお砂場とかね・・・そういうところを想い描く。親が子どもの遊び場を考えるという感覚は最近のことなのだろうか?
今日に至るまでそういうことを深く考えたことがなかった。娘が6ヶ月くらいになり一緒に外出できるようになると、わたしは小さなクルマを買い、つくばの英会話教室まで通っていた。知り合いもいない土地で、赤ちゃんと缶詰の生活に窒息していたため、誰かと話ができるだけでも気分が違うし、ましてや同い年くらいの子どもたちを連れた母親たちとの交流がわたしには必要だったから。
そうなんだよね・・・要するに、わたしにとって必要だったから、つくばに来たのかも。正直、土浦にいた時にはどこでどうやって友達をつくっていいのかまるでわからなかったし・・・それでいてつくばに来たとたん自分と似たような人たちがたくさんいるため、友達に不自由しなくなった。
友達・・・というか、道ですれ違って立ち話したり挨拶したり、そういうごく普通の関係が増えただけかもしれない。が、しかし、それだけでもずいぶん精神的に救われた気がする。
どこが似ているか?
う〜ん・・・・たぶん感性の問題なのかもしれない。そんなことをしたら危ないとかダメだとか、何かあったら連絡をくれるとか? 大抵は会話の内容は子どものことだし、幼児には幼児の悩みがあって、子どもに社会性が育つかとかね・・・友達ができるかとか虐められないかとか?
昔は子どもの数が多かったし、兄弟の数も多かったから、子どもに友達ができるかどうかとか、社会性がどうたらこうたらなんて心配する親なんていなかったかも。公園デビューなんて言っても通じないかもしれないな。
だから、通じないのかも。
おばあちゃん子は損なんだよね・・・家に帰ると友達と遊ぶ習慣がないことが多い。昔みたいに兄弟がたくさんいたら違ったかもしれないけど、大抵は年寄りと一緒に過ごすか習い事へ行くことになる。まあ、母親が育てていても似たようなものかもしれないけど、それなりに外界とのコミュニケーションがあるからまだマシな気がする。
まあ・・・子どもを通してでないと、世界が広がらない。だから退屈して仕事をするとかね・・・そういう人たちも多い。おそらくはこの手の感性が老後になっても習い事に行って、となる所以なのかも。
冬休みが終わり、受験がひと段落し、娘の部屋を片付ける。着られなくなった服やおもちゃ、マンガの切り抜き、おびただしいほどの塾のプリントなどのほとんどを捨て、机の中を整理した。
すっきりした。
ダンナに言わせるとごみの部屋なのだけど、いまだにぬいぐるみやらビーズやビー玉、スケッチブックなどが散乱している。わたしが初めて見るものもある。大抵は、鉛筆やらペンの類。コミック。マンガの付録のケースや文具など。
娘の本は・・・・
ほとんどがわたしが買ったもの。お古でいただいたものも多い。
が、しかし、娘は活字が好きではないので、ほとんど読んだことがない。捨てるのももったいない。今にして思うと、もっと読みきかせをしてやったらこんなに苦労することもなかったのかもしれないと思う。が、しかし、娘は寝つきのよい子だったので、寝る前に本を読んであげるという習慣がまったくなかった。
それにしても要らないものが増えている。娘の部屋だけではなく家中に。
このところ、つくばを離れ、あちこちを回っている。大抵は、ランチはマック。マックだけはローカルなエリアを回っていても必ず存在する。コンビニとマックは今やどこにである。
若いっていいよな、って思う。どこに若さの基準があるかというと、赤ちゃんを連れた母親を見たときかもしれない。大抵はかたまって存在している。わが家の近所も一斉に家が建ったから、案外同い年くらいの子どもたちがたくさんいる。そうなると幼稚園から今日に至るまで子どもが一斉に成長してしまうため、また街の雰囲気が変化し始める。
TXが開通したから、あるいは常磐線に新しい駅ができたからという理由でその辺も見ているけど、実際には駅前は駐車場かマンション群。正直な感性としては、発展の方向性が違うような気がする。
国勢調査や不動産の情報を頼りに人口が増加している地域や分譲宅地が次から次へと売れる地域へ行く。茨城は工業団地が多く、大抵はその近所。一時期のリストラの話は消え、企業が良くなったせいかどんどん人が増える。このため、宅地を販売するとあっという間に売れてしまうらしい。
大抵は駅からも遠い。
駅から遠くて交通が不便で土地が安い。そういう悪条件があるから企業がやってくる。そして、その周辺が拓けてくる。職住接近のほうがいいに決まっているし、人が増えればショッピング・センターができ、その周辺が商業地域に変貌していく。
それにひきかえ、一体開発の地域はいまだに換地も終わっていない。出店は決まっているけど、企業も赤字になるため店を出さない。あいかわらず閑散とした空気の中で土地の価格だけが高騰している。土地が高くなると売れない。悪循環。
こうさ・・・計画やら図面で考えてもダメなんだよね。人が動かないと。人が動くためには動きやすさが大切で、動くところは企業や公社の思惑の外でどんどん動いている。
やっぱ、自分の足で行ってみて歩いてみて、いろんな人たちと話してみないとわからない。
鳩って不思議な鳥だ。「浅草」で思い出すのだから、あの風景は浅草なのだろうか。
あの風景・・・
昔、夢の中で何度もみた風景。
灰色の屋根に鳩がたくさん止まっていて、わたしが見あげていると、鳩が一斉にぱあっと飛び立つ。
その視線を考えると、おそらくは赤ちゃんの頃か幼児の頃に見た景色。あまりにも何度も同じ夢をみるので、母に心あたりがないか訊いたことがある。灰色の屋根はお寺のようで、母が言うには、増上寺か浅草寺、あるいは祖父の寺か。
あまりにも気になるので、大学生の頃、自分で行ってみた記憶がある。でも、視線の位置が違うせいか、その夢の中でみる角度が発見できないままあきらめた。
***
あれも浅草だろうか。
独特の線香の匂いと鳩の餌。わたしは鳩の餌を撒くのが好きで、行くと1袋買ってもらい景気よくぷあ〜っと撒いてしまう。それを見ていた父が自分も1袋買い、手の中に餌を握りながら座っている。鳩はこちらを見ているけど、少し近づいてはまたクルッと向きを変えて行ったり来たり。それを見ながら、父が指の先から少しずつ餌を撒く。すると1羽の鳩がやってきて食べ始めたとたん、一斉に鳩たちがやってきた。
父が、「おまえもやってみろ」と言うので、父の手から餌を分けてもらい、父の真似をする。でも、今度は鳩がこちらをめがけてぷあ〜っとやってきたのが怖くて、餌を落としてわたしは逃げた。
父は笑いながら手の中の餌を落とし、手を払っている。餌袋を逆さにして残りの餌を撒くと鳩たちが一斉にやってきた。わたしが父と一緒に歩き出すと、餌があると思って鳩が追いかけてくる。追いかけてくる、というのは気のせいだったのかもしれない。それでいて、「もう、ないよー」と言いながらわたしは逃げ出した。
***
イタリア。鳩だらけの国。ミラノの地下鉄をあがると、ドゥオーモの広場に鳩おじさん。いきなり娘の手に餌を握らせて餌を撒く。
鳩は一斉にやってきて、頭の上にまで止まる。そこで鳩おじさんに記念写真を撮ってもらうと餌代を請求される。断るとほかのジプシーたちがやってくる。仕方がないのでチップを渡すとおもむろにずぼんのポケットから餌を出し、「もう一枚撮るか?」と訊く。
頭の上の鳩?
少し爪が痛かった。
鳩にも国民性があるのだろうか?
ゆっくりと温暖化進む地球なれどわが指先のなぜに冷たき
かざぐるま聳えいづるや校庭に。小さくなった地球はまわる。
トケイソウくらいで塀が壊れると言われちまったあの夏は何?
われら消えてホッとして木が目を覚ます灼熱の空まっしろな月
澄みわたる日に
澄みとおる日に
澄みとおった日に
ある晴れた日に
ある晴れきった日に
ある晴れわたる日に
澄みわたった日に
****
ツボヤキさんの『On a Clear Day』 という映画の紹介記事を読みながら。
映画のタイトルって面白いです。
一言で言っちまえ、っていつも思うんです。
その一言が、ある。
わたしのお古のパソコンを娘に壊されてしまったらしい。起動できないというので起動したら勝手にセーフ・モードになり、そうなるとマウスも使えないし、やっとの思いで原因を究明したらソフトウェアに異常があるそう。そこで2時間かけてシステムを復元しようとしたら失敗。修理を頼もうと思ってもそのパソコンを買った店はこの前本屋になっていた。
やっぱ、あきらめよう。
赤ちゃんの笑みすこやかな寝顔抱くフィリピーナの緩みたる冬
立ち寄った初めての店マックには見覚えのあるほくろに出遭う
マックにはきまじめすぎる見習いに家庭の主婦の立ち姿思う
子を抱き子は歩き出し子の匂い連なるような昼さがりかな
この先は湖なのか河なのかいくつ過ぎたか交差点の道
ゆうやけがまうしろにあるドライブはミラーの角度みがまえてみる
受かったらおしまいなのよ、お弁当。寝坊の朝にけだるくも詰め。
結婚が10年遅くなったなら孫の顔まで20年過ぐ
祖母のこと一つ羨む古はわが年の瀬に孫抱く人おり
墓場まで突っ走るにはだるだるなひねもすはゆく。さて何しよか?
やっぱ、こうなる。
地域医療をやるなら僻地しかないんだろうな。で、結局そうなる。ああいうのって好きくない。と思っても、そうなりそう。それでまたひたすら2時間ぐらい現地?付近をドライブして回った。昔と比べればかなり家も建ち、便利になっている。で、さらにその奥。・・・・・・・・う〜む。
娘が嫌がるかな、と思ったら、わりにあっけらかんとしている。娘の部屋を削ってウォーク・イン・クロゼットをつくったために根に持っているからかもしれない。ウォーク・イン・クローゼットというと聞こえはよいが、壁の半分は本に占められている。ついでに客用の布団。うち、考えたら押入れがない。要らないというのに、母が昔2組持ち込んできた。和室もないというのに。
そのため、娘の部屋は狭い。狭いといってもマンションの部屋を考えれば充分な気がしたんだけど、さすが田舎・・・みんな広いお部屋に住んでいるらしい。で、広い部屋をつくってくれるなら引っ越すとまで言う。・・・・・ったくいまどきのガキは。(親の顔が見たいというセリフは言えない・・・)
まあね・・・これからだんだん年を取っていくわけだから、職場は近いほうがいい。が、しかし、自宅と職場が一緒というのは・・・家族が大変な気がする。でも、まあ、夜更かししながら仕事を片付けていいわけで、そういう点では自宅と一緒のほうが便利なのかもしれない。
やっぱ、なるようにしかならないのかも。最初、アミダくじに負けてこっちへ来た時、わたしはこの世の終わりだと思った。正直、わたしにとってはまさしく終わりを意味していたのかもしれない。が、しかし、子育てするなら田舎のほうがいい。それはしみじみ感じた。
もう、なるようになるしかないね。
いいもん。空港が近いから、気が向いたら高飛びしよう。それくらいの贅沢は許されるのではないだろうか?ほかに何もすることがないし・・・
が、しかし・・・・家、売れるだろうか?
売れなかったら貸してもいいか。和室のない家でも、転勤族なら借りてくれそうな気がする。マンションでも和室のない時代。いや、マンションだから和室がないのかもしれないけど。残しておけば娘のアトリエにはなるかも。
どっちにしろ、近頃、1年が終わるのが速い。考えているうちに3年くらいは経ちそう。あーあ。
やっぱ、開業するなら大学の近くしかないのかも。
「先生、開業するならうちの近所は医者が少ないんですよ」と知り合いの看護師さんに言われたそう。しょせん、僻地だからこのところまた医者が減り、大学から戻れと言ってくる。教授から言われても知らん顔できるけど、看護師さんや患者さんから言われると弱い。
姑さんに、開業の話は断ったと言ったら、逆に心配になり神戸からやってくると言う。文字通り神戸を離れ、つくばで暮らすつもりになっている。
が、しかし・・・・
つくばじゃないんだよね。
神戸でもそうだけど、結局、子どもの学校のことがあるからと、学区のよいところで開業する医者が多い。そうなるとそういう地域は医者だらけ。それでいて不便なところはいつまでも医者の数が不足している。
わかってるんだよね・・・何を言われているのか。
この前、久しぶりに知り合いのクリニックへ行ったら、看護師さんたちがよそよそしい。で、「開業するなら・・」とダンナに世間話のついでに話す。
いや・・・わかっているのです。
わかっているんだけど、わたしはつくばが好きなんです。・・・・って言っても説得力がない。(言わないが・・)
ちなみにTXが開通したから、この先、一斉につくば市は開業ラッシュになるという話。医者不足の茨城にもかかわらず、つくばだけは医者が不足するということはないだろうと思う。
わかっているんだよね。あらゆることがわかっているにもかかわらず、果たして家を売って移住して開業して、わたしはハッピーになれるのだろうか? 今の生活、結構気に入っているし・・・
まあ、娘もまもなく中学生になるし、高校受験があるわけではないし、スクールバスに乗って学校へ通える範囲内ならどこでも似たようなものかとふと思う。
どうせ、わたしは家でネットをしてるだけだし?
娘が大きくなれば、わたしだけ不意に旅に出ちゃったり?
田舎ですることもないし?
・・・・・・・それでもかまわないとダンナに言われた、ご機嫌で。
何にもしてないのに、タカピーでいやなやつだな、わたしって。ほほほ。
お正月になると夏の休暇のことを思い出す。いささか先が長いような気もするけど、来年こそは温泉を予約しようとお正月に話すよりも現実的な心境。夏が過ぎると行事も増え、気がついたら年末を迎えているという・・・
娘に、「今年の夏はプーケットへ行こうか?」と訊いたら、「大変なことになってるわよ」と言い返された。近頃、彼女はマメに新聞を読むせいか、やり返されてしまう。「大変なことになっていたけど、それがどういう風になっているのか行ってみなくては」という暗黙の了解は彼女にはまだ通じない。それとも、彼女のほうが近頃では常識的で、わたしのほうが非常識ということが露呈してきているのかも。
たぶん受験の影響なんだと思うけど、「カトリックは嫌い」とまで言われた。彼女の言うカトリックとはおそらくはミッション系の学校のことだろう。どうして嫌いなのかまでは知らないけれども、たまたま受験する友達に偏差値で選んだら(カトリックの信者ではないけど)たまたまそうなった」と言われたからだと思う。近頃では、姑さんも義理の姉もその手の学校を勧めない。それよりも実際的に職業を持ったり、職業に直結するような学校や大学へ行くことをほのめかされる。
世相というか何というか、大学時代の友人のほとんどが専業主婦をしていることを考えると、あるいは近所の人たちの大多数が仕事をしていようがいまいが非常に教育熱心なことに影響を受けているせいか、あるいはダンナの友人や知り合いの子どもたちの出来が気になるせいか、いずれにせよ、娘も大学や大学院に進学するようになる。「なる」とまで断定的な言い方ができるほど、それ以外の環境因子が欠如している。
こう・・・接し方なんだろうな。
それで、母としては、あえて娘に何かを語るつもりはない。
学校がダメならどうするか?
やっぱ、人しかないのではないか?
というわけで、娘は絵を習わせている。
先生とは特にそういう会話をするわけではないけど、雰囲気、題材、生き様、教育についての発想・・・そういう何気ない気配からそうではないかと思ったことはあるけれど、やはり学生時代に洗礼を受けた口。
娘の実際的な選択を考えると、学校とは勉強するところ、絵はくま先生のところ?
う〜む・・・
世の中がややこしすぎるため、近頃、わたしはそれが一番よい選択だったのではないかと思い始めている。どうやって考えても世の中は矛盾だらけ。
ものは考えよう。
そういえば、大殺界という言葉が流行ったのはいつだろう・・・
今日、例の如く細木数子のテレビを観ていて、古館一郎とのやりとりで思い出す。初版本の帯で思い出した。たしか、そういう本を読んだ記憶がある。その本と細木数子のイメージが今まで合致しなかったことが不思議。
なんというか、あまりよくない内容だったので、その本のことを覚えている。わたしは、25歳から20年間大殺界に相当すると書かれてあった。人生の大切な時期が大殺界だなんて!・・・・・・・それなりにショックを受けた。おそらくは25歳よりもずっと若い時期だったはず、読んだのは。
それ以後を考えると、26歳で父を亡くして以来、数々の不幸な出来事があった。そうやって考えると、当たっているのかもしれないし、それが45歳で終わるのならばわたしはその手の不幸な出来事から解放されるのだろうか?
わからん・・・・
それでいて、そういうことがすでに自分にとってはどうでもいい出来事になってしまっており、自分が不幸かと問われればさほど不幸でもない気もするし、たしかに大変な時期だったのかもしれないけど、逆に考えればいたって平穏な日々を過ごしていた気さえする。
大殺界・・・
そういう時期には何もしないでいるしかないらしい。
とは言うものの、結婚して以来、わたしは家の中で静かに暮らしているだけ。それが不幸を避けて生きる知恵だったのかもしれない。
30年後には、日本がなくなる?
まあ、もともと資源のない国だし、資本も技術も途上国へ向かい、あと30年もすれば経済的繁栄も資本も食糧さえも不足するようになるかもしれないと言われればそうかもしれない。
というより、世界が今のアンバランスな状況をバランスの取れたものとしたとき、たしかに日本は単なる小さな島国になり、現在のような繁栄は欠如してしる可能性は高い。
が、しかし・・・
それが何だと言うのだろう?
今より静かな国になるのなら、それも悪くないような気がするのはわたしが甘いのだろうか?
なんか、こう、ね、なんか、こう、うまく言葉にならないけれども、どうして大国でいなければならないのか、そちらのほうが唯一バランスの欠如した社会という気がしてならない。イギリスはかつて世界中に植民地が存在し、やたらと大きな国だったけど今は小さな国。今のイギリスは不幸なのだろうか?
一つわかったのは、まだこの国は未熟だということ。
一生懸命に国の繁栄を願う気持ちにはなれないわたしがバカなのかもしれない。
が、しかし・・・
なんか、そういうのに疲れている。