安野 光雅
カラー版 絵の教室
昨日に引き続き、安野光雅さんの『絵の教室』をパラパラめくっている。正直、まるで先に進まない。少し読むとぷあ〜っとイマジネーションが広がってしまうせいか、それともいろいろなことを考え始めてしまうせいか、まるで先に進まないまま今日も書評を書いている。
推理小説と大きく違うのは、読む速度の違い。ストーリー・テラーを楽しむものはあっという間に読み終わってしまう。早く結末を知りたいからでもあるし、展開が速いからかもしれないし、いずれにせよ文庫でも近頃は値段が高いためにもったいないと思うほどあっけない。
それに引きかえ安野さんの本は先へ進まない。
たとえば、序文ですら考え込んでしまう。いや・・・考え込む、という表現は間違っている。そうではなく、共感が広がり始めると自分の世界へ入ってしまうからとしか語れない。
絵の好きな人たちは自分の言葉で話す。絵だけではなく、本でも音楽でも好きな人たちは自分の言葉で話す。野球でも競馬でもそうらしい。自分の好きなこととなると自分の言葉で話し出す。
ところが、政治や社会事象のこととなると自分の感性だけではなくテレビやラジオから流れてくる声に流されしまいやすいし、そしてそれがやがては世論となっていく。
そのようなことが書かれていたため、今まさに考え込んでしまった。
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インターネットの楽しさは、絵の好きな人たちに通じる。皆がそれぞれ自分の言葉で話しているから面白い。ニュースネタでも、そう。それぞれの人たちが気ままに自分のブログに書いていることを読みながら、背中でニュースを聞き、あれこれ考える。
おそらくはその結果が、あの選挙だったんだなぁ・・というのが今の気持ち。それがどういう具合に進んでいくのかわからない。
ライブドアのことにしても、あれはライブドアの問題だろうし、上場が廃止になったからといってライブドアが消えるわけでもなさそう。上場していない企業はたくさんある。マネー・ゲーム的な側面が抑制されたというだけのことなのかもしれない。
なんか、こう・・・
テレビのチャンネルを変えながら、「またライブドアか」と言いながらテレビを消して友達の家に遊びに行ってしまう娘のほうがまともな気がした。
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おっと、話が大きくずれてしまった。
こうやって、自分が何が言いたかったのかを忘れてしまう。
それがいいのかもしれないな・・・安野マジック。